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読書感想文

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01 /11 2021
 
田辺聖子「私本・源氏物語」を読む
 日本の文化遺産といってよい「源氏物語」をコケにした、おふざけ源氏物語。もともと読む気なんかなかった「源氏物語」ではありますが、本書を読んで200%原作を読む気がなくなりました。田辺センセもけったいな本を書きはります。こんな本、誰が読むねん、と思って奥付を見たら、あちゃ~、85年から91年までに14刷とある。もしや10万冊くらい売れたのかも知れません。誰が買うてん、こんな本。

 田辺聖子は源氏物語の現代語訳本として、与謝野晶子や、谷崎潤一郎や円地文子とならぶ立派な「新源氏物語」を書いている。それで十分ではないかと思うのですが、このイチビリすぎる「私本・源氏物語」もぜったい書きたかった、と本人が述べている。まあ、そういう発想も田辺聖子らしいけれど。

 本物の雅の世界ではなく、思いっきり俗物源氏物語を書きたかった。よって、本書に登場する人物は光源氏をはじめ、全員が今ふう大阪弁を語るのであります。えらいこっちゃ。

 たとえば、こんな場面。夜ごと美女のもとへかよう光源氏、若い美人に飽きてしまい、ある夜、付き人の中年男(おっさん)に、婆さんもええもんやで、とのたまう。「私も若い女は飽いたよってに、ここらでひとつ、年かさのオナゴに当たって経験ふやそ、思うてな、典侍(ないしのすけ)をくどいた」 おっさんはおどろいた「年かさはよいが、五十七、八とは・・。程度(ほど)ちゅうものがおますがな、もうちょっと頃合いの年かさのご婦人、おられませんのか」「いや、三条のが四つ上、六条のが八つ上や」

 全編、こんな会話が繰り返されて話が進む。田辺センセ、書いてて楽しいけど、どっかで打ち切らんとズルズル続いて果てがない。・・ので、明石の汐汲み女がでるところで打ち止めとなる。その「明石の汐汲み女」が筋肉隆々、アスリートみたいな大女で、なよなよ男、光源氏はさすがに持てあましてしまい・・てなところでエンドになる。

 こんな、おもろいけどゲスな「源氏物語」で田辺センセは何を伝えたかったのか。ゲスの勘ぐりをいえば、千年昔、平安時代に創作された最高の文学作品とゆうたかて、よう考えたら「雅なポルノグラフィー」とちゃいますか。しかし、今さら「源氏物語」を王朝ワイセツ文学というわけにもいかず、ほんなら、ホンマはこういう本なんやで、とシモジモにもわかるように脚色したのが「私本・源氏物語」である。さらにソフトに表現するために大阪弁でごまかした。

 もう一つの勘ぐり。田辺センセは新・源氏物語を書くために平安時代の生活、風俗の細部まで猛勉強したにちがいない。しかし、その大量に仕入れた知識すべてが源氏物語に取り入れられるものでもない。それらがデッドストックになるのはもったいない。だったら、パロディを作ってそこで書いたろ。で、「私本・源氏物語」を書いた。

 たとえば、当時の貴族はどんなトイレを使ったのか、についてウンチクを述べている。大のほうは漆塗りの四角い箱で・・専任の処理係がいて、云々と「見てきたように」詳しく書いてある。そもそもあの大層な衣装(装束)を着てのトイレだから、一回毎に難作業となる。「厠」という設備がなかった時代に十二単を召した姫君が一人でトイレを済ませるなんて不可能なこと、誰でもわかる。

 食事のこともえらく詳しく書いてある。しかし、サイド情報なので本編に書く必要はほぼ無い。もったいない・・で、パロディ版に書いた。 この本読んだ人は本物「源氏物語」は読まない(読めない)。「源氏物語」読んだ人はこんなアホくさい本読まない。そやけど、どっちにアクセスするかはあんたの自由でっせ。好きなほう読んだらよろし。これが田辺センセのメッセージではないかと勝手に判断したのであります。(1985年 文藝春秋発行)
 

本 源氏物語 






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 dameo

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