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犬町・猫町情報



小学生時代の思い出    作:DH
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71) 床屋

 我が家の隣りのブロックにある「床源」さんが行きつけの床屋さんだった。床屋へ行くのは大嫌いだった。何しろ痛いのだ。床源さんが下手なのか、それともバリカンの切れが悪いのか、しょっちゅうピッピッと髪を引っ張られる。当時のバリカンは勿論手動式で、ぐっと握って髪を切り、緩めるとバネで元に戻る式のものだったが、それの何処が悪いのか兎に角痛くて嫌がるので、床屋へ行くたびに後で玩具を買って貰う事になった。全くどちらが高くついたか知れたものではない。


所でバリカンは英語かなと思って辞書を見るとフランスのメーカーの名だった。ホッチキスと同様である。こちらもメーカーの名前で品物の名はステイプラーである。この事を知らなかった日本人の留学生がホッチキスを買うべくホッチキス、ホッチキスといくら言っても通じなかったという笑い話だか苦労話だかがある。いやこれは余談でした。

戦前の床屋の店構えの例
道明 床屋

(72) 電話局・郵便局

 局番がある以上何処かに電話局があるはずだが、さて何処にあるのか何をしているのか現実に見る事はない。以下は局番もダイヤルも無かった時代の話。勿論、電話がある以上、番号はあった。我が家のそれは271番だった。そして我が家の西隣が一つの棟を真ん中で仕切って我が家側が電話局、向こう側が郵便局だった。


電話を掛けるには、受話器を取って出てきた交換嬢に話したい相手方の番号を言うと繋いでくれる。町外にも掛けられたのだろうが掛けた事も掛かってきた覚えもない。その電話局の前を通った時、偶々窓が開いていて中が見えた事があった。数名の交換嬢がコードのような物を持ってうろうろしていた。大きなボードのような物も見えたが、一体何をどうしているのやらさっぱり分からなかった。


さて郵便局。説明の要もないようだが、まだ貯金も扱っていたとだけ言っておこう。私の関係するのは貯金だけ。貯金を始めると通帳がもらえる。お金を持ってゆくと通帳に年月日と金額を書いて朱印を押してくれる。その朱印貰いたさに毎日一銭ずつ持って郵便局に日参した。仮に五銭持っていても一度に貯金せず、一銭ずつ五回に分けて貯金した。朱印も欲しかったが窓口が感じのいい青年で近所の子供たちの間でもなかなか人気者だった。というのも、子供らが「蛸の真似して!」とせがむと別に嫌がりもせずに口を尖らせて真似てくれる、その様が本当に蛸によく似ているので忽ち「蛸さん」の愛称で有名になった。なぜか西巌という名前まで知ってしまった。残念な事に戦争(日支事変)が始まると程なく召集令が来てその後は音信不通である。戦死などせずに無事に帰国して欲しいと願うのみだ。


手動交換式の電話局。戦後しばらくはこのシステムが続いた
道明 昔の電話局




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