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犬町・猫町情報



小学生時代の思い出    作:DH
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(62)1900年(明治33年)

 1900年は単に切がいいというだけでなく、私にとっては一寸特異な年でもある。その第一は母の生年だという事で、しかも3月10日(陸軍記念日)生まれとくれば何となく作為的な匂いがする。事実どうやらそうだったようで、ある時母が「私は子年生まれという事になっているけれど本当は亥年なんよ」と言ってるのを聞いた覚えがある。当時の戸籍は今ほど正確なものではなく、出生届けにしても医師の出生証明書を付ける事もなかったようだから、(第一、分娩は殆どが産婆さんの仕事で、産院でのお産なんか滅多になかった)出生日を早める事は無理にしても、少しぐらい遅くする分には簡単にできたのではなかろうか。


それはともかく、1900年生まれと言うのは暦年と生年が同じという事で誠に便利なのだ。つまり1920年なら20歳、50年なら50歳で紛れがない。88歳で亡くなったから1988年と没年が瞬時に分かる。他の年だとこうはいかない。父は85歳で亡くなったが、その没年となると、えーっと明治29年は西暦では・・・と、よく計算しないとなかなか正確な答えが出てこない。それと もう一つ、1900年は19世紀の最後の年だから、母がもし、もう13年ながらえて2001年まで生きたとすると、実に3世紀に亘って生きた事になり、これ亦一つの記録になったろう。今ほど長寿大国でなかったにしても、そんな人も何名かは居たに違いないと思っている。


もう一つは私の母校、第六高等学校(略称・六高)が創立されたのも明治33年、1900年だったという事。残念な事に、六高は昭和25年(1950年)にGHQ(占領軍総司令部・長官マッカーサー将軍)の方針で廃校になってしまった。丁度50年の寿命だったという事になる。敗戦後のゴタゴタも漸く治まり、同窓会の発足したのが昭和36年。多くの資料が散逸していて名簿一つ作るのも大変だったようだ。ともあれ、こちらの方も2000年が創立100周年と非常に分り易い。2010年の110周年はいいとしても、120周年はとてもできまいとあって半端になるが、115周年を強行。おそらく総会としては これが最後となろう。大阪支部も結成当時は略2000人ほど居たらしいが、年々減る一方で今年現在のメムバーは約100名、内、同窓会に出てきたのが20名余りという事で今年を最後とする事にした。何しろ一番若いのが87歳という超高齢者集団とあっては「老兵は消えるのみ」である。

六校の校歌「山紫に」
https://www.youtube.com/watch?v=2sHYc1ED4MY

同 寮歌
https://www.youtube.com/watch?v=YLbse44o80A


六校の在りし日の姿
道明 六校 



道明六校

 









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