ウオーキング・観光



●縄文時代の大阪

 下の写真は「大阪高低差地形散歩」の著者、新之介氏がパソコンで描いた数千年昔の大阪の風景です。同じような画像を見る機会が増えたのでご存じの方も多いと思います。教科書にも載ってるかもしれません。 縄文時代は現在より海水面が数メートル高かった。この情報をもとに地形を描くとこんな風景になります。上町台地は半島のようなかたちで、西は大阪湾、東は河内潟(湖)と呼ぶ浅い海です。これが土砂の堆積で次第に陸地化します。

画像引用元
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-863.html


上町筋


神話に出て来る話、神武天皇の一行が上陸したのは生駒山麓というのはこの写真で分かります。現在の石切あたりですが、ここまで舟を漕いで来た。舟を下りていきなり生駒山に登ります。しかし、上陸作戦は失敗し、すごすご引き返します。


大和に通じる「なにわ大道」づくり
 写真には、現状と比較しやすいように淀川や市内の湾岸地帯の地形も白い線で描かれています。自然の作用による陸地化と人工による陸地造成があいまって現在の姿になりました。大昔ではなく、江戸時代半ばまでは、大和川は台地に沿って北上し、大阪城の東で淀川と合流していました。もともと水量の多い淀川に大和川の水も加わるのだから、しょっちゅう洪水が起きる。これが新大和川開削の理由です。淀川も新淀川を開削して水害に対処しました。


台地の上端(北端)に難波宮が設けられ、中国など外国からの船はこの西側の岸に着いた。ここから大和へ向かうために上町台地をまっすぐ南下する「なにわ大道」がつくられ、堺で東へ向きを変えて大和へ。 難波宮から南下する道というと、単純に上町筋を想像してしまい、なにわ大道は平坦な道だったと錯覚しそう。もちろん間違いです。復元された大極殿跡は上町筋から東へ約200mのところにあり、ここに近い道を選んで南へ進むと坂だらけの道になります。フラットな地形の街に住んでる人には驚きというか、新鮮な風景に見えます。新之介氏もこの坂道風景に触発されて「大阪高低差地形散歩」を著された。大発見や~、みたいな気分だったかもしれない。


上町筋も市街地として開発されるまでは坂道だらけだったと思いますが、路面電車を走らせるためにも丁寧な平坦化造成工事が行われた。しかし、それ以外の町は坂や崖を残したまま開発されたので「坂道風景」がたくさん残っています。なにわ大道は、上町台地では全く痕跡がないけど、少し東側の道(清水谷高校校舎の西側の道)は千日前通りまではほぼ直線道なので、古代のなにわ大道の風景を想像しながら散歩できます。この道に名前をつけるか、「歴史の散歩道」に選定すると知名度が上がって散歩ファンが増えると思います。


難波宮大極殿跡 ここから「なにわ大道」がはじまる
上町  


上町筋は平坦に造成された道だが・・・
上町


上町筋から少し外れると坂道が多くなる
上町


崖や急傾斜地を公園にした例
上町




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