読書と音楽の愉しみ


●藤田孝典著「下流老人」を読む

 サブタイトルは<一億総老後崩壊の衝撃> 嗚呼、なんとユーウツな内容の本でありませうか。とくに前半は「あんたはもう下流でっせ、どないしまっか」と宣告されてるみたい。というか、月々の生活費からみると、自分はしっかり「下流」であること、確認してしまったのであります。

駄目男の考える「幸せのモノサシ」はいたってシンプルなものです。

A・金持ちで健康

B・金持ちで病人

C・貧乏で健康

D・貧乏で病人

ややこしい統計数字を見なくても、これなら自分はA~Dのいずれに属するか分かります。実際はBとCの中間が多いのですが、定義が難しい。70歳の無職夫婦が、受け取り年金と同額の月25万で暮らし、貯金額が3千万円、というあたりが、A金持ちとC貧乏の中間になるでせうか。
 生活ぶりは慎ましいけど、貯金はそこそこのゆとりがある世帯です。しかし、実際に3千万円の貯金がある世帯は1割程度しかない。


この生活レベルで、もし貯金額が500万しかなければ、夫婦のどちらかが重い病人になった場合、数年で下流へ転落する恐れがある。離婚や死別も同じくらいのきついリスクになります。若者と違い、高齢者は転落の要因はたくさんあるけど、上昇の可能性はほとんどないのが悲しい。堕ちるしかないのです。


著者はNPO法人を起ち上げて老人の貧困問題に取り組み、何百人もの相談にのり、役所への取り次ぎなどの世話をしてきた。それでわかったのは、下流老人には三つの「ない」が揃ってることだという。

1・著しく収入が少ない

2・十分な貯蓄がない。

3・頼れる人間がいない。

 この三要件がそろうと「下流老人」に至る。その先には「生活保護申請」しかないが、一部の不運なひとは自殺や孤独死に至る。親が老いれば子が養うという昔の常識はほぼ消えてしまい、土壇場に至っても自己責任を問われる厳しい時代になった。さらに、親の貧困化とともに子供の貧困化も進んでいるのが現状である。なかには、老親が無収入の息子や娘の面倒を見ているという難儀な例もある。


ごく普通の暮らしをしてきた人が行き詰まって生活保護申請をするのはもの凄く抵抗感がある。土壇場になるまで相談に行かない。これは生活保護が全額無償給付であるためだ。わずかでも良いから拠出制度にしたほうがよいと著者は提案する。要するに、負担があるほうが申請しやすいのではないかと。介護制度がそれなりに機能しているのは、受益者が保険金を払っているからさほど躊躇せずに利用できる。この感覚が大事だという。生活保護も保険化すれば、今よりずっと利用しやすいセーフティネットになる。現在の自己負担がゼロの生活保護は、コジキが施しを受けるような屈辱を感じてしまいやすい。(中には、タチの悪い受給者もたくさんいるけど)


食べるだけでカツカツという下流老人世帯は現在でも15~20%、これが増えて行くことは避けられない。貧困は老人だけの問題ではないからである。だったら、せめて「明るい貧乏」暮らしをしようではないかと著者は言う。これを実践する要は「人づきあい」である。相手が金持ちだろうと貧乏だろうと、フランクにつきあえる友人がいるだけでずいぶんストレスが緩和される。いろんな生活情報も仕入れられる。

 ランクAには、金持ちで、健康で、「孤独」な人もけっこういる。満点の「上流老人」になるのは難しい。(2015年6月 朝日新聞出版発行)

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