ウオーキング・観光



●「中川一政展」鑑賞  ~香雪美術館~

 中川一政は、文化勲章を受章した立派なアーティストなんですが、30年以上の昔、はじめて作品を拝見したときの印象は「これぞ、ヘタウマの大先生」みたいなものでした。だから魅力がない、というのではなく、逆に、鑑賞が楽しみになりました。旅行の途中、神奈川県真鶴町の個人美術館へ立ち寄ったこともあります。今回の展覧会は、没後25年の小さな回顧展です。


絵画の教育を全く受けなかったのに一流の画家になれた、稀な例です。似たような境遇でいえば棟方志功がいます。もちろん、基礎教育のないぶん、もの凄く努力したでせうが、努力よりも天賦の才能が成功のモトだと思っています。ヘタウマの魅力は努力では生み出せない。

車木工房
 記憶に間違いがなければ、最初に出会った作品は「山従人面起」です。李白の詩の一節「山從人面起(山は人面より起り)雲傍馬頭生(雲は馬頭に傍て生ず)」のリトグラフ作品です。出会ったのは、美術館ではなく、奈良県高取町にある岡村印刷という印刷会社の文化施設「車木工房」でした。ここで中川センセのリトグラフ刷師をしていたNMさんと知り合いだったので、招かれて遊びで出かけた。そこで商品として展示されていたこの作品に出会いました。今回、原画を鑑賞できて良かった。一瞥して、たいていの人は「どこらへんが李白やねん」と言いたくなるようなヘタウマぶりですが、美術市場では人気があるみたいです。


李白「山従人面起」
なか



ヘタウマに惚れた?向田邦子
 中川作品の熱心なファンとして、作家の向田邦子がいた。作品を何点も買い、そのうちセンセとコンタクトがとれて、小説の装丁を依頼できる間柄になった。下の「あ・うん」の表紙がセンセの作品である。


中

中川センセはリトグラフ制作の監修のために、何度も車木工房を訪れている。そのおり、ここでは陶芸作品もつくってることから土ひねりの楽しみも覚えた。当然、これも初体験、基礎教育ゼロですが、そこは天才、たちまち「作品」を生む力をつけたらしい。自分が訪ねたときは、センセ作の箸置きとか小物は一個500円?くらいで売っていたので、買っとけばよかった。


 これを知った向田邦子は「私にも教えて」と手ほどきを頼んだ。それで、センセはグループで奈良を旅行するから、そのとき車木で合流しませうと提案、しかし、向田邦子のほうは台湾へ旅行することが決まっていて、センセが提案した日は、台湾から帰国した翌日になる。これは厳しいので、センセは合流は無理と伝えたが、向田邦子からは「行きます」との返事が来た。次のチャンスを待っておれないという気概が伝わる。 それほど熱望したのに、向田邦子は車木へ来なかった。1981年8月22日、台北から乗った高雄行きの飛行機が空中分解、墜落した。享年51歳。


中川センセは、刷師、NMさんの腕前と人柄に惚れて、長男が生まれたときは名付け親になり「健郎」の名を授けた。健郎はいま山岳カメラマン、ガイドとして活躍しており、このブログでも紹介したけど、ま、覚えていないでせう。残念なことに、父親のNMさんは急性の白血病を患い、30過ぎの若さで亡くなってしまった。将来は独立した作家になるべく、小さなアトリエももって努力していたのに、神サマは薄情すぎる。
 NMさんが亡くなった一年後、中川一政はNMさんの三倍も生きて、97歳で大往生した。(向田邦子のエピソードは、中川一政のエッセイから引用、要約したものです)当展は10月23日まで。800円。


香雪美術館入り口(阪急御影駅から徒歩5分)
中川


バラの絵は、生涯に800点くらい描いた
中


97歳でも、このパワーがあった
中 


なか



車木窯・班唐津黒茶碗
 手前と向こうで大きく破損しており、普通は失敗作として廃棄されるが、捨てるに忍びないと思ったのか、漆をソリッドにして破損部をつないだ。そして、付けた名前が「蘖(ひこばえ」。鑑賞者は「やられた」って気になります。

なか
 





スポンサーサイト