快道ウオーカーからの便り



●最後の「さざなみ快道」ウオーカー?・・TK子さん

□14年間、地図を眺めていた
 半月ほど前、大正区在のTK子さんからハガキが届いて「さざなみ快道」を完歩しましたと嬉しい便り。快道のマップはとっくの昔に廃版にしており、作者の駄目男自身も忘れてしまっている古いガイドです。


ハガキによると、2000年5月2日の日経新聞文化欄の記事(写真)を見て興味をもち、一年後に地図を購入。しかし、仕事のある身だったので、すぐには使わず、ときどき眺めては「いつか歩きたい」と地図上で空想旅行をくりかえした。その期間がなんと14年!ドヒャ~~です。


2015年、退職を機に、友人を誘ってついに天保山をスタートしたのであります。何度も何度も地図を見たおかげで、ご本人いわく、「脳内でイメージが出来上がっていた」そうで、道迷いも少なく順調に歩をすすめ、11月末に、終点、敦賀市気比の松原にゴールイン。最後は鉄道好きのお孫さんも連れていったそうです。メデタシ、メデタシ、であります。


さざなみ 


さざなみ


それにしても、14年間もよく我慢できましたねえ。「捨て魔」の自分が購入者なら、とっくにゴミとして処分したと思います。本ではなく、A3の10円コピーだから、処分するに何ほどの未練もない。実際、使わずに捨てた人、たくさんおられると思います。ゆえにTK子さんが「捨てなかった」ことだけで、感謝と尊敬の念、てんこもりであります。


□一番ロマンチックなコースが「さざなみ快道」
 西国三快道(さざなみ・やまなみ・新高野)の地図の頒布数は約2500冊、歩いた方からたくさん便りを頂戴しましたが、やはり「さざなみ快道」の人気が一番でした。特に女性の評判が良かった。なんでかなあ、と考えるに、風景がロマンチック、特に琵琶湖のほとりを延々と歩く場面が好まれたようです。最後に草深い峠、深坂峠を越えて敦賀の気比の松原に着く。このロケーションが好まれたのではないかと思います。


遠近の歴史街道を歩く人が増えていますが、いにしへの風景、ロマンを求めて歩いても、実際には退屈な道が多い。なぜかというと、街道はもともと「実用道路」であって、物見遊山のためにつくられた道ではないからです。それが近代化されると、当然、府県道や国道という物流道に整備され、無味乾燥な風景になる。結局、現代のウオーカーは本来の街道から外れた生活道を歩いてごまかすことになります。そんな「街道」と「快道」の違いをハッキリ自覚し、快適な道=快道を優先して線引きしたのが「西国三快道」です。全コースの90%を「快道」にしたいという目標でデザインしました。


「さざなみ快道」を踏破したTK子さんは、現在「鯖街道」2コースも踏破中だそうです。また、近江の山々にも興味をもち、さらに「関西百名山」も半分くらいこなしたと便りに書いてありました。たまたま、一部だけ在庫があった「新高野快道」の購入を希望されたので、早速送りました。有り難いことですが、願わくば、駄目男の生きてるうちに「完歩」の報告を頂きたいと思ってます。


湖北・今津の「湖の辺の道」
さざなみ


□大阪の歩く会「オレンジクラブ一歩会」では・・
 「新高野快道」に続き、現在「やまなみ快道」も歩行中です。もとより、大人数の歩行をイメージしてつくったコースではないので、幹事さんは毎回、引率やトイレ確保などで苦労されてるようで、複数のかたが下見歩きしてコースの変更、カットなどの気遣いをしています。(参加人数を制限したら良いのに、と思いますが、それが難しいらしい)
 「やまなみ快道」も頒布をはじめてから20年近くたち、オレンジクラブさんの例会では「丹波竜公園」なんてところがコースに取り入れています。自分が地図をつくったときは、そんな、恐竜発見の情報はなかった時代だから、もう賞味期限切れもいいとこです。


オレンジクラブの「新高野快道」例会
さざなみ


□泡沫(うたかた)の道、西国三快道
 さざなみ快道の調査をはじめたのが1986年、地図の頒布をはじめたのが1998年(12年もかかってる!)そして、TK子さんが「さざなみ快道」を歩いたのが2015年。歴史街道を否定してつくった新発想の道なのに、30年近い歴史ができてしまいました。イヤハヤ。
 TK子さんが「最後のウオーカー」になると勝手に決めて、個人が勝手にこしらえた「さざなみ快道」は泡沫のごとく消えてゆきます。「やまなみ」もオレンジクラブさんが完歩したら、恐らく、THE ENDです。
 考えてみれば、三快道、のべ545キロの道は、すべて紙の上にしか存在しなかった。現地には一本の道標さえない「幻の快道」だった。これって「快道」ではなくて「怪道」でしょ?、ひょっとしたら詐欺じゃない?・・・い、いまごろ、そんなこと言わないで下さいヨ。フガフガ。



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