大阪日暮綴



●「なにわ大道」という歴史道があった

 自宅近くの再開発団地の前を通ると、入り口脇に掲示板があり、当地は遺跡発掘の跡地であり、昔は「なにわ大道」という官道が通じていたと説明しています。昔と言っても大昔、飛鳥時代のことだから、1500年くらい前の話です。当時をしのぶ歴史街道といえば、山辺の道や竹ノ内街道が知られていて、一部は現在も残っています。


しかし、なにわ大道は日本書紀など文献に表れるだけで実体が見つかっていなかった。幻の大道だった。それが、2008年、大和川沿いの高速道路の工事現場で見つかった。歴史ファンには「大発見やあ~」クラスのビッグニュースでした。しかし、難波宮と堺を結ぶその道が、自宅近くに通じていたこと、迂闊にも気がつかなかった。
 説明によると、「大道」と言うだけあって、道幅は約18m、現在の4車線道路と同じくらいの規模です。当時、こんなに幅広の道路はほかにありません。


この大道は直線路というので、あらためて、地図上で発掘現場と難波宮を直線で線引きすると、団地掲示板の説明通り、大道は長居公園のほぼまん中を南北に貫通しているではありませんか。知らんかったなあ。
 そして、何の因果か、この大道の跡が住吉区と東住吉区の境界、そして、大和川の南側では、堺市と松原市の境界になってることに気づきました。地中に埋もれて見えない古道なのに、現在の街の境界の役目を果たしているのです。平安時代にはすでに廃道化して畑になっていた道が、明治以後に「ここが境界線ね」と伝えたことになります。不思議ですねえ。


こういう情報は地図好きの好奇心を刺激します。なにわ大道は市内のどこを通じていたのか。難波宮の大極殿跡(石の基壇がある)から堺までストーンと直線を引くと、道は清水谷高校の前をとおり、上本町の近鉄駅を抜け、四天王寺の東側を通り、天王寺駅近くに向かいますが、その手前には「大道(だいどう)」という町名が残っている。実は、駄目男は、この大道2丁目で生まれたのであります。いやはや・・。


さらに南下して、今話題の「シャープ」本社の東を通って長居公園を抜け、大和川に向かいます。距離はのべ12キロくらいあります。上町台地の森のなかを4車線幅、12キロもの直線路が通じてたなんて、ちょっと信じられない壮大な風景であります。
 なんでこんな大げさな道づくりをしたのか。物資の運搬や軍隊の移動なら、こんな道幅はいらない。もしや、中国の都をマネして、又は、中国からの使節を迎えるさいに、ええかっこしい(見栄)のために大層な道づくりをしたのか。だから、難波宮が廃止されると無用の長物になり、
畑や住宅地になってしまった。インフラ整備としては無駄な投資でありました。


大阪城を含む上町台地の北端は「神武東征」の時代から歴史を蓄積してきた中身の濃い土地です。そこに「大阪歴史博物館」があることは必然といえます。

古代の幹線道路 左端がなにわ大道
なにわ大道 



2008年に発掘された「なにわ大道」 左右両端に排水溝が設けられていた

なにわ



難波宮の大極殿跡 ここからなにわ道が一直線に伸びる。向こうの建物は中央が大阪歴史博物館。その左がNHK大阪放送局
なにわ



東住吉区山坂町の法楽寺に接するこの細道が「なにわ大道」と重なる。

なにわ



なにわ大道跡地には農村時代の風景が残っている。(東住吉区矢田)
なにわ  


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