読書と音楽の愉しみ



●林芙美子著「放浪記」(原典版)を読む


◆原典版を読むべし
 図書館の棚から何気なく本書を取り出したら、原典版の「放浪記」で、これが読めたのはたいへんラッキーでした。それって、なんのこっちゃねん?・・実は「放浪記」には原典版と現代版があって、ほとんどの人は現代版、すなわち、新潮社の文庫本を読んでいるらしい。おなじ「放浪記」でも印象がまるで違う二種類が出版されているのです。


巻末で解説している森真弓はむろん原典版を強く推薦していて、234頁でこう述べている
「私は古書店で改造社版の放浪記(1930 昭和5年発行)の復刻版を手に入れ、驚いた。それは現在の文庫版とはまったく印象が違う。どう違うかはあとで述べるが、圧倒的に原典版の方が良い。なんと幼くて、なんとまっすぐで、なんとけなげで元気な現在形の本であろう。そこには社会の底に生きる若い不服従な女のほとばしりがある。それに比べると、文庫版の文章はなだらかで、取りすまして当たり前で、過去のお話になっていた」


戦前生まれの駄目男にとっては、原典版が旧かなづかいであるだけでもムフフであります。「放浪記」を読んだ人はたくさんおられるでせうが、機会あれば、この原典版も読んでみて下さい。
 内容は、行商人の娘であった著者の若き日の放浪生活を日記ふうに綴ったものでありますが、読者の胸に一番ひびくのは、その極貧生活の描写でありませう。樋口一葉「にごりえ」出版から30年以上経ち、文明文化大いに進歩発展していたのに、社会の底辺で生きる人の暮らしぶりは何ほどの向上もなかったことが窺えます。


◆青春時代は「苦しきことのみ多かりき」
 6畳一間の家賃が払えない、どころではない。今日食べる米がない、手元の金は二十銭、十銭、きりという日が続く。それを使い果たしたら、空腹を我慢するしかないない。(当時は、3畳、2畳の貸間もあった)

228頁の文を写すと・・
 
「私は五銭で駄菓子を五つ買ってくると、古雑誌を読みながらたべた。貧乏は恥じゃあないと云ったものの、五つの駄菓子は、しょせん私の胃袋を満たしてくれぬ。手を伸ばして押し入れを開けてみる。白菜の残りをつまみ、白いご飯の舌触りを空想する。何もない。漠々。涙が滲んでくる・・」


 かくして、林芙美子の青春時代は「住所不定・職業不詳」の時代だった。メインの行商のほかに、食堂の店員、カフェの女給、おもちゃ工場の工員、事務員・・転々として定着しない。事務員は大阪天満の毛布問屋の仕事だったが、すぐに飽きてやめてしまった。放浪エリアも九州から東京まで広範囲で、比較的長く住んだ尾道市は「文学散歩」という観光の対象になっている。


これらの放浪記のどこまでが真実、またはフィクションなのか気になるところでありますが、各地を転々とした足跡は大方裏付けが取れてるので、概ね事実だったと思われます。むしろ、次々と入れ替わる男関係のほうが怪しい。食うために体を売った、場面もあったかもしれない。


食うや食わずの苦難の時代を経て、雑誌の連載から出版社の目にふれることになり、1930年、改造社から本書が発行されると大ベストセラーになります。当時(昭和初期)で50万部売れたというから、住所不定、職業不詳女は一気に「女流文学者」に祭られたのです。
 一膳のメシさえ食えなかった逆境にあっても、日記や歌を書くのはやめなかった。何人もの、B級、C級男を渡りあるきつつも、上昇心を失わなかったタフな精神が僥倖をつかむモトになりました。


◆無類の旅好きだった
 放浪は止むをえぬ境遇によるものだったとしても、一カ所に定住することが最善の選択でもなかったらしい。文学者として成功をおさめたあとも、しょっちゅう旅行に出かけた。パリへ行くのはシベリア鉄道経由だったというから、男でもびびりそうなハードさです。
 その印象を小説やエッセイに生かしただけでなく、新聞社の従軍記者として戦地へ行くし、ついには陸軍の従軍記者として、ベトナム、シンガポール、ジャワ、スマトラなど戦闘地へも赴いた。女性の一人旅のリスクなんて全然気にしなかったらしい。


 当時の女流文学者は、インテリや実業家など「ええしの子」が普通で一人旅自体が御法度だったから、彼女は、作家にして変人とみられたでせう。旅好きといえば、与謝野晶子も全国各地へ旅しています。旅好きの第一条件「尻が軽いこと」においてツートップと言えます。(2004年 みすず書房発行)


放浪記



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