閑人帳



●「捨て魔」あれば「残し魔」もあり

 京都府在住のSさんは、会社退職後、長年にわたって、中国や南米などで、ボランティア活動による植林事業を遂行されました。身体も口も達者をウリにしてこられた元気じいさんですが、84歳の今年、ようやくわが人生を振り返り、波瀾万丈の生き方の記録を出版されました。


・・といえば、自分史の発行になるのですが、自分史=自慢史になるというセオリーはイカンと、半分いちびりで「自己満足史」としてまとめました。タイトルは「実践自分史記録選集」です。簡単にいえば、大半の頁は保存してきた紙資料だけの構成で「何をしてきたか」を綴ろうというものです。


一冊を恵送いただき、まず目方にびっくり、A4サイズで306頁、800gもあります。新たに書き起こした文章は約40頁で、あとは仕事や趣味で関わったあれこれの記録の編集版です。取捨選択してゴッソリ減らし、編集してなおこのヴォリュウムです。「捨て魔」駄目男が同じ事をしたら、全5頁で人生を語れるでせう。


Sさんの「残し魔」の原点は下の朝日新聞です。昭和13年、小学生1年のとき、このカラー印刷の新聞が強烈なインパクトを与え、父親に「この新聞ほしい。大人になるまで残しておくから」と頼み、保存した。大人になるまでどころか、70年以上も保存したのだからすごい。


7歳のときに保存した朝日新聞
沢井氏

Sさんは大学卒業後、永大産業に就職します。合板のトップメーカーにして、プレハブ住宅の先駆けだった大企業です。しかし、昭和53年に倒産、1800億円という負債額で戦後最大の倒産と騒がれました。そのとき、Sさんは子会社の小名浜合板の社長。負債額120億円で、当然、連鎖倒産になるところでしたが、従業員ともども必死のパッチでコケそうな会社を支えます。人生最大のピンチ。・・・なのに、そのときの新聞記事をちゃんと残してる。大手紙から地方新聞、福島民報の記事まで、きっちり切り抜き、保存しています。生きるか死ぬかの瀬戸際なのに、新聞の切り抜きなんかやってられますか。ほんま。


沢井氏


Sさんは、当時、流行語にもなった「モーレツ社員」の見本みたいな人。始発電車で家を出て、終着電車で帰るのが普通という、狂気のサラリーマンでした。ならば、全くの無趣味人間なのか、といえば,全然違うのですね。趣味に関する記事を読むと、無類の趣味人に思えるから、このへんがどうも分かりにくい。


大学時代から「競技かるた」の達人(全国大会に出場)、連珠の名人(日本連珠社の役員)切手コレクターとしては郵政省から感謝状をもらうくらいのマニア。みんな一流にならないと気が済まないタチなので、趣味もモーレツでした。そして、最後に砂漠の植林事業へと進みますが、これは趣味気分ではできない、しんどいボランティア活動です。合板メーカー時代は木材を消費する側でメシを食った。山や森を裸にしてきた、その贖罪意識が「木を育てる活動」に向かわせます。その一部始終がこの選集に記録されています。


Sさんは「残し魔」であったゆえに、人生のラストシーンで記録がとても役立ちました。駄目男が「捨て魔」なのは、残すに値する記録がないからです。


にほんブログ村

スポンサーサイト