読書と音楽の愉しみ


●遠藤周作著「老いてこそ遊べ」を読む

 著者は文壇で「そそっかしい男」の見本として有名だったらしい。ご本人もそれを認めて、思い出すさえ血が逆流するようなハズカシイ体験を本書に書いている。

◆その一
 親しくしていた若い雑誌記者が亡くなったという知らせを受けたとき、私は驚愕した。とにかく霊前に供えて頂こうと果物籠を持ち、世田谷の彼の家まで飛んで行った。夕暮れで回りは暗く、道は複雑、やっと電信柱に家の名前と方角を書いた張り紙を見つけた。
 「ご免下さい」私はその家の玄関戸あけ、静まりかえった奥に声をかけた。彼の母らしい老婦人が出てこられた。「遠藤と申します。このたびは・・・」そこまで言って深々と頭を下げた。果物籠を差し出し「よろしければ、お線香を上げさせてもらえますか」「は?お線香?」老婦人へ怪訝な顔をして「うちは・・誰も・・亡くなっておりませんが」


途端に頭に血が逆流した。しまった、家を間違えた、と気づいた。しかし、もう遅い。「失礼をば致しました!」吠えるように叫び、鉄砲玉のように玄関を飛び出した。しかし、しばらくして果物籠を置き忘れたことに気づいた。何ということだ。私はまた玄関戸を開け「果物籠を頂きます」と言ったときの恥ずかしさ、今でも忘れられない。


◆その2
 新幹線が出来たばかりのころ、大阪のNHKで仕事があり、一泊しての帰りにはじめて新幹線に乗った。駅で見送ってくれるはずのNHKのひとが見つからない。それで自分の車両の指定席にゆくと白い布にくるんだ弁当がおいてあった。NHKが気遣いで用意してくれたのだろう。


列車が動き出してから弁当を開けると、とても豪華なものだったので、さすがはNHKだと感心しながら箸を進めた。三分の一ほど食べたところ、男がやってきた。隣の座席に座り、キョロキョロした挙げ句、「その弁当、わしのと違いまっか」というようなことを言った。「いや、これは私の席に置いてあったのです」「え?そんならわしの弁当やで。大阪の料亭で作ってくれたもんや。それを君は食うとんか」「えっ、これはあなたの弁当?」「君はわしの弁当を断りもなしになんで食うんや。大阪の料亭の女将がわしのために、わざわざ持ってきてくれはったんやで」


「申し訳ありません」「君は海老も食うたんか」「はあ」「卵焼きも半分食うとるやないか」「はあ」「そこの卵焼きは旨いんや。女将が特別につくってくれたんや。いったい君は何ということを・・」
 ブツブツ、グチグチ、男は私に文句を言い続ける。「ケチ、ケチンボ」私は心の中で反駁し続けたが、非はこちらにあるのだから、ひたすら詫び続けるしかなかった。このような恥ずかしい経験を夜中に目覚めたときに思い出してしまうと、おもわず「わ~~っ、バカヤローッ」と叫びたくなってしまう。(72~75頁 文章は原文を編集しています)


遠藤周作は「怪人二面相」の作家であります。クソまじめな内容を書く遠藤周作と、ユーモアたっぷりのエッセイを書く「狐狸庵」と。自分が読んだのは大方「狐狸庵」の類いで、マジメ作品は「沈黙」くらいかも知れない(思い出せない)。このユーモアエッセイと北杜夫の「どくとるマンボウ」シリーズはたくさん読んだ覚えがあります。時代は大阪万博のころだったか。(2013年3月 河出書房発行)


遠藤周作



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