読書と音楽の愉しみ



●明智憲三郎著「本能寺の変 431年目の真実」を読む

 本能寺の変が起きた理由については「定説」が出来ていて、すでに常識化している。即ち、信長と光秀の確執・・信長の光秀イジメが謀反の原因だったと。でも、なんだか全面的には納得しがたい点もある。


本書は、光秀の末裔が膨大な資料を読み込み、自分で異説を編み出したもので、なかなか説得力はあるのですが、だからといってこちらが「真相」たり得るかといえば・・。う~ん、難しい。しかし、面白い読み物であります。


一番新鮮な発想は、信長が本能寺へやってきたのは、光秀と共に謀って徳川家康を暗殺するためだった、という話です。この三人、当時はお互いに殺し合いあをするような仲では全くなかった。お互いに尊敬や信頼で結ばれた間柄と思われていた。現在の「定説」でもそう見られている。


しかし、権力者たるもの、いくら強大な天下人になっても常に謀反、暗殺の不安から免れることはない。実際、当時の信長と家康は同盟を結ぶ間柄であったし、家康が謀反を起こすような懸念はなかった。
 それでも、信長は「いずれ俺の命を狙うのは家康」という猜疑心がふくれあがり、信頼を置いている光秀と家康謀殺の案を練った。そして、用意周到に準備し、天正10年6月、本能寺で討たれたのは信長だった。
 このシチュエーションを想像するだけで、これって映画にしたら面白いのとちゃう?と思ってしまいます。ホント、面白い発想です。


あの用心深い信長が、なぜ、わずか二、三十人の、小姓中心の供しか連れずに本能寺へ宿泊したのか。定説ではこの疑問に対する答えはないように思うのですが、本書では、これは家康を油断させるためとある。家康側は四~五十人の面々で招かれており、戦闘力では信長側は明らかに劣る。すなわち、ウチはこんなひ弱な面々、テロなんか起こしませんよという家康へのメッセージだった。


しかし、これが信長と光秀の考えた作戦で、信長が家康を接待しているときに、突然、光秀の軍が乱入し、家康を襲う・・という筋書きだった。そうだったのか。よく考えましたなあと褒めたくなる作戦だったが、事実は小説より奇なり、殺されたのは信長でした。


もっとも、ここに至るまでの経過はとても複雑で、武将だけでなく、貴族や僧侶や神官や商人まで絡む、こんがらがった人間関係が綾をなし、昨日の友は今日の敵、状態が繰り返されて無茶ややこしい。細川藤孝や筒井順慶といった面々は後世の世評通り、日和って要領の良さを見せるし、一本気な男は簡単に殺されたり、切腹を命じられたりする。


信長は天下統一したら、次は海外遠征、シナへ打って出る計画をもっていた。国内では戦功のあった大名に与える土地が無くなってきて、ならば海外へ・・要するに覇権主義思想です。しかし、この案に賛成する武将や貴族はおらず、外地での戦争を想像するだけでウツになる人もいた。もし、実行すれば光秀も当然、シナへ出陣しなければならず、彼は心中では覇権主義は反対だった。これも謀反の原因の一つだと著者は言う。


しかし、信長の遺志を継いだ秀吉はこれを実行した。結果は・・大失敗だった。そして、秀吉も暗殺恐怖症にかかり、猜疑心から身内を含めた貴重な人材を殺してしまった。この遠征プロジェクトがなければ、秀吉の評価は10ポイントくらい上がるはずです。惜しい。(2013年12月文芸社発行)


本 本能寺




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