読書と音楽の愉しみ



●ドナルド・キーン著「百代の過客」を読む

 文庫版ながら、600頁というボリュウムにたじろいでしまったけど、読むなら今でしょ、の気合いで? 購入。しかし、案の定、なかなか進まない。つい、他のスラスラ読める本を優先してしまい、約2ヶ月を要してようやく読了。・・ということは、読む尻から忘れる忘却人間には感想文を書くにも、改めてひもとかなければならないハメになり、なんともしんどい読書でありました。


著者の意図は、日本文学の原形は日記にあるのではという推定で、平安時代から近代(江戸末期)までの作品77編を精読、論評した。一番古いのは「土佐日記」や「蜻蛉日記」から始まっている。翻って、読者、駄目男の意図は、本書を読んでおけば、日記文学の概論は会得できるハズという、ズルイ考えから発しており、しかし、余りにも中身が濃すぎて消化不良に終わってしまったのでした。


一つだけ印象深い考察を書いておくと、これは著者独自の論ではないのだけれど、日記の書き手には二つのタイプがあり、一つは、日常の出来事、自然の移ろいなどをリアルに記録する日記。もう一つは、日記という形を借りて文学作品として表現する日記であります。
 著者は、日本の日記作品の最高傑作は、多くの人が認めるように、松尾芭蕉の作品であり「奥の細道」が頂点だという。これは、間違いなく「日記」ふうの表現になっているが、芭蕉ははじめから(構想の段階から)リアルな日記ではなく、文学作品としての紀行文を意図した。言い換えれば、芸術的であればウソを書くのもいとわない、という態度であります。(奥の細道の正しい名称は「おくのほそ道」)


こういうことが論じられるようになったのは比較的近年で、奥の細道の旅に随伴した曾良が自ら書き付けた日記と比較検証したら、食い違いがたくさん見つかり、曾良が素朴にありのままに書き付けたと仮定すれば、芭蕉の文には、俳句も含めて「創作」が多い。リアルな紀行文ではないことが分かった。芭蕉は「奥の細道」の旅を思いついたときから、単なる紀行文では無く、百年、二百年後の人が読んでも評価に耐えうる芸術作品であってほしいと望み、一言一句、言葉を選び抜き、推敲に推敲を重ね、旅を終えて五年後にようやく決定稿を仕上げた。リアルに事柄を記録する日記なら、こんなに手間暇をかける必要はない。


芭蕉の目論見は見事に成就し、百年、二百年どころか、三百年経った今でも不朽の名作であり、俳句も国際的な広がりを見せ始めている。リアルな紀行文ではないと批判するような人はいない。


著者は「蜻蛉日記」や「とはずがたり」は日本の近代文学で大きなウエイトを占めた「私小説」の源流ではないかとも論じているけど、まあ、これという仕事の無い貴族が男女関係をネチネチと執拗に書き連ねる日記は「私小説」の元祖と思われても仕方ない。
 貧乏性の駄目男が感心するのは、平安時代のB級貴族の男女が恋を語るにも「源氏物語」の登場人物を引き合いにだすとか、ずいぶん教養の高さを示すことで、そもそも「本」の制作、流通システムがどれくらい出来ていたのか。普及には「写本」という方法しか無かった時代に、どうして読みたい書物を手に入れたのだろうか。ゲージツ論より貧乏性のほうが気になってしまうのでした。


それにしても、著者、ドナルド・キーン氏の博覧強記、日本文学に対する造詣の深さには感心するばかりです。この人、一回目を通した書物は全部脳にメモリーされてるのではと疑いたくなります。源氏物語から三島由紀夫まで全部語れるアメリカ人がいるなんて・・。その上、漢籍やシエイクスピア論、はては古今の映画まで引き合いに出してラクラクと文学を語り、なお謙虚さを失わない。


こんなに日本通なのに、本書を日本語で書かなかったのは何故か。その理由も書いてますが、何より金関寿夫という優れた翻訳家がいたからで、誰が読んでも英文を和文に翻訳したとは思えないくらいのこなれた日本語に訳されています。翻訳文ということを全く意識させない見事さです。(文庫版 2011年10月 講談社発行)


ドナルド・キーン









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