ウオーキング・観光



●春日・京都で等伯作品鑑賞を楽しむ   ~4月8日~

 安部龍太郎著「等伯」上下二巻をTさんから頂戴して読み終えると、小説に出て来る等伯作品を実際に見たくなった。幸い、京都の智積院と本法寺に国宝、重文の傑作があり、公開されているので、桜見納めという暖かい日に出かける。同行は、Iさん、Mさん、Yさんの3名。


■智積院
智積院の宝蔵庫に展示されてる等伯の「楓図」と息子の久蔵の「桜図」はなどいずれも国宝。 今は大きなガラスケースの向こうに収まっているけど、これらの絵が完成したときは寺の本堂や書院に何十面もの襖や壁に連続作品として描かれ、部屋を囲んでいたのだからどんなに華やかだったか。秀吉や貴族の面々も、ひょっとしたらこれらの絵に「位負け」したのではないかと想像してしまいます。


遠近法の概念がなかった日本画の世界は、襖絵のような画面では構図のバランスが優先されて、描かれる樹木や花のサイズは堂々とアンバランスに描かれているのが面白い。自然描写のリアリティより「パッと見たときのカッコ良さ」が大事らしい。鑑賞者もなんとも思わなかったのかもしれない。

それにしても、400年を経た今は汚れや変色、剥落でずいぶん画面が劣化しており、鑑賞者の多くは「なんとかしなくちゃ」と思ってるでせう。


■妙蓮院
 堀川通り近くの住宅街にある寺で、等伯グループが描いた「鉾杉図」が公開されています。杉の形を三角形に抽象表現していて、とても新鮮な発想。よくもこんな題材を選び、こんなカタチにデザインしたもんだと思う。依頼主からクレームが出なかったのだろうか、と余計な心配をする駄目男でした。別の部屋にある昭和の作品「春の野」(幸野豊一作品)のほうが古めかしく見えたくらいです。これも傷みがはげしい。


■本法寺
 堀川通り東側、茶道会館や裏千家家元宅が近い、日蓮宗本山の寺。ここでの見物は等伯作の「大涅槃図」です。文字通り特大でタテ10m、ヨコ6mもあり、ゆえに、これを展示するための専用の建物に収められています。作品の上部を鑑賞するために「2階展望室」が用意されてます。また、表装も別仕立てではなく、作品画面の四周に手描きで表装ふうに描かれた、ものすごく手間のかかった作品です。


お釈迦様を描いた「涅槃図」はいろんな画家が自分流の表現をしていて個性が楽しめますが、この等伯の涅槃図はまずビッグサイズに圧倒され、ディティールでは、悲嘆にくれる人々の仕草、表情も見飽きない。人間だけでなく、馬や蛇や犬までが嘆き悲しんでいる。等伯自身も画面の端っこのほうにいて、みすぼらしい姿で悲しみにくれている。


涅槃図の難儀なところは、こちらを向いて横たわるお釈迦さまに対面する「送り人」たちはみんな背中しか描けないこと。ゆえに、みなさん、お釈迦様の背中側に並んでいるけど、やはりおかしい。等伯は「動物なら横向きに描いても失礼にならない」と考えてこんな構図にしたのではないかと、勝手に想像する駄目男でした。(4月16日からはレプリカを展示)


400年前のアート業界は狩野永徳を頭とする狩野派が注文を独占しており、これをゼネコンにたとえるなら長谷川等伯は「町の工務店」レベルだった。そこをなんとか・・と長谷川社長は営業に走りまわるが、結局 ゼネコンにはなれなかった。逆に、たびたび不運や非業に見舞われ、幸せなアーティストライフといえるのは数年しかなかったかもしれない。しかし、度重なる不幸がこの「涅槃図」の発想と制作の動機にもなった。


 「でっかいなあ」「よう描けてるなあ」は普通の感想。等伯本を読んだ人はもう少し等伯の人生に寄り添って、一片の悲しみとともに鑑賞できる。等伯センセ、安部センセ、Tさんに感謝。



桜満開の智積院山門 
智積院2  



国宝「桜図」等伯の息子、久蔵の作品
桜図  



ランチは久しぶりに京大「カンフォーラ」で。780円ナリ。
等伯 



妙連院「十六羅漢の庭」
等伯 



涅槃図全景 朝日新聞デジタル版より
涅槃図

 


涅槃図の下部 動物も悲しんでいる
涅槃図 




スポンサーサイト