大阪日暮綴



●瀧瓢水の墓を訪ねる

 先日紹介した「ひろしま随筆」の67号にI さんが「古希を迎えて」という題の作品を載せておられ、そのなかで、瀧瓢水(たきひょうすい)の

    浜までは 海女も簑着る 時雨かな

の句を引用してこう説いている。「この句の意味は、海女なのでどうせ海に入って濡れるのは分かっているのに、時雨ぐらいでいちいち簑を着なくても良いのに、と思うものだが、反面、たとえ家から海岸までのわずかな距離であっても濡れずに行きたいという、女性としての礼儀、たしなみとして受け取れるのである。要するに、この句は、その人の生き方や考え方を詠っているのではないだろうか」(引用ここまで)


この詠みかたには大方の人が共感を覚えるのではないでせうか。英文学者・エッセイストの外山滋比古氏はさらに演繹的解釈を加えてこう述べる。


(前略)
浜までは濡れずに行きたい、というのが海女の気持ちなのである。つまり人間は、少しでも自分を愛おしみ、 最後まで努力を重ねていかなければならないのである。

この句の “浜” を “死” と捉えれば、 一層味わいが深まる。

どうせ仕事を辞めたんだから、どうせ老い先短いんだから、と投げやりになるのが年寄りの一番よくないところである。死ぬ時までは、とにかく蓑を着る。 日が照りつければ日傘を差す。そうして最後の最後まで前向きに、 少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきなのである。(談)

引用元 http://chichi-ningenryoku.com/?p=467


この素敵な句を知っている人は多いかも知れないが、作者の瀧瓢水の名を知る人は少ない。どんな人物だったのか。
 名前で検索すると、ぞろりと情報が出てきました。そうだったのか、知らんかった、と少々ハズカシイ思いがしたくらいです。幸いなことに、彼の墓が天王寺区の生玉さんの近くにあるとわかって、図書館の帰り道に寄りました。持明院という、ちっちゃい寺です。


持明院の山門
滝



瓢水の墓
滝瓢水 



境内に「香木」と彫られた石ががあり、寺の人に尋ねると、秀吉時代、家臣の加藤清正の屋敷がここにあり、清正が朝鮮から持ち帰った香木をここに植えた、という由来らしい。
滝


上の含蓄の大きい句から、人格高潔にして人情豊かな作者像をイメージして伝記を読むと、これが大ハズレ(笑)難儀なオッサンでした。
 三善貞次の<なにわ人物伝>を読むと、概要、次のような人物だった。
江戸時代、加古川の運送業を営む金持ちの一人息子に生まれた瓢水は、甘やかされて育ち、仕事などまったくせずに遊び呆けた。芭蕉のような俳諧師をめざしていたが、作品が少し褒められると即天狗になる始末。


この放蕩がたたって家業は傾き、両親も亡くなり、プレイボーイ人生はジ・エンド。しかし、78歳まで生き、大阪で客死した。芭蕉のマジメ一筋みたいな人生とは真逆のハチャメチャ人生だった。似ているのは、二人とも大阪で客死したことだけ。


 そうだったのか、と知識を新たにしたことがもうひとつあります。
有名な「手に取らで やはり野に置け れんげ草」の句は彼の作品だった。その成り立ちが面白い。友人の俳諧師の門人がある遊郭の太夫に惚れ込み、太夫は気が進まないのに是非とも身請けしたいと強情を張る。その門人をたしなめるために詠んだのがこの句だった。花街一番の美女であっても、町屋で暮らせば、ただの女になってしまう。れんげ草も野に咲いてるから美しい。摘んで持ち帰れば、すぐにしおれて美しさは失われてしまうのだよ、という意味である。発句のネタが遊郭だなんて知りませんでした。


もう少しマジメに修行したら、芭蕉や蕪村みたいな有名人になれたかも知れないのに、金持ちのぼんぼんという恵まれた境遇が災いした。惜しい。(名は滝瓢水 滝野瓢水という表記もある)

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