読書と音楽の愉しみ



●同人誌「ひろしま随筆」54年で終刊

 たまたま、仕事で半年だけ広島市で暮らしたのが縁で「ひろしま随筆」と付き合うことになり、以来45年もの長きにわたって地元の人たちと紙上での交流が続きました。

 45年も在籍したのに、投稿した作品はたったの20編、存分にサボッておりました。そのサボリマン、駄目男の最後の作品を掲載します。


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「サヨナラダケガ人生ダ」余話    


ー勧酒ー

勧君金屈巵   コノサカヅキヲ受ケテクレ
満酌不須辞   ドウゾ並々ツガシテオクレ
花発多風雨   花ニ嵐ノタトヘモアルゾ
人生足別離   サヨナラダケガ人生ダ


 井伏鱒二の名訳で知られるこの詩、若い頃は語感のかっこよさだけで親しんでいた。しかし、七十年以上生きると、「サヨナラだけが人生」のイメージが現実味を増してくる。
 いつのまにか縁が切れた人、亡くなった人が増える。サヨナラばかりで新しい出会いは皆無だ。花に嵐、お互い明日のことは分からない。ならば、今日は旨い酒を心ゆくまで酌み交わそうではないか。最後の一行が俄然光って名訳の評価を得たが、このサヨナラの句の生みの親が実は林芙美子、生まれた所は広島県因島の三ノ庄港ということを知らなかった。井伏、林両名とも広島県にゆかりの深い作家なので、本誌の読者には耳タコ情報になることを気にしつつ、名訳が生まれたエピソードをご紹介。


  昭和六年四月の末、井伏鱒二は林芙美子に勧められて、尾道や因島へ講演の旅に出る。因島は井伏鱒二が若いころ逗留したことのある懐かしい土地だった。随筆「因島半歳記」の終末部分を引用すると「やがて島に左様ならして帰るとき、林さんを見送る人や私を見送る人が十人足らず岸壁に来て、その人たちは船が出発の汽笛を鳴らすと「左様なら、左様なら」と手を振った。林さんも頻りに手を振っていたが、いきなり船室に駆け込んで「人生は左様ならだけね」と云ふと同時に泣き伏した。そのせりふと云ひ、挙動と云ひ、見ていて照れくさくなって来た。何とも嫌だと思った。しかし、後になって私は于武陵の「勧酒」といふ漢詩を訳す際「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳した。無論、林さんのせりふを意識していたわけである」(筑摩書房 井伏鱒二全集 第二十巻より引用)


 泣く女とむかつく男。詩的場面とは言えない気まずい体験が後世に残る名訳を生んだのだから面白い。このとき林芙美子二十八歳、井伏鱒二は三十三歳。前年に出版された「放浪記」が大ヒットして林は一躍流行作家になり、講演などで引っ張りだこだった。一方、井伏鱒二の「勧酒」を含む「厄除け詩集」は六年後の昭和十二年に刊行された。しかし、右の裏話を明かしたエッセイが発表されたのはずっと後の昭和三十三年、林芙美子がこの世にサヨナラして七年後である。
 三ノ庄港で二人を見送った島の人たちもみんな冥土へ旅立ち、当時を語れる人はいない。もしや、このエピソードを刻んだ文学碑が島にあるのではとネットで探したが見つからなかった。今年は井伏鱒二没後二十年、地元の酒飲みと酒造業者の発案で建立したら「サヨナラ」ファンを惹きつけるのではないか。  ~完~


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 以上で原稿用紙3枚分、1200字。最初の難儀は、決められた字数で文章を書くこと。この基本のキができなくて原稿用紙をどれだけポイしたか。(ワープロの無い時代でした)
 これをクリアしても作文が上手になるものでもなく、自分の表現力の貧しさ、語彙の乏しさはコンプレックスになって未だに脳に染みついたままであります。でも、この同人誌での経験があるからブログでの作文もさほど苦にならないというプラス効果もあります。コンプレックスは一生もんですけど。



林芙美子
ひろしま 

 


井伏鱒二

ひろしま 



最終号 表紙
ひろしま随筆

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