読書と音楽の愉しみ



●池田晶子著「14歳からの哲学」を読む

 四天王寺の古本市で買った本。プラトンとかカントといった哲学者の名前を一切出さずに哲学のなんたるかを説いた本であります。14歳からの哲学入門書だから、年長けたオジンやオバンが読めばすいすい分かるか、といえば、無論そうではなくて「何回読んでも難解」という人も多いでせう。世はなんでもインスタントの時代でありますが、未だに「即席哲学の素」なる便利なツールは生まれない。

 そもそも、哲学なんてもん、一切知らなくても生活になんの差し障りもない。逆に、勉強したって生活には何ほどの役にも立たず、金儲けの足しにもならない。ま、世間の99%の人はそう思っている。


それを言っちゃあおしまいだ、と著者は平易な言葉で、かつ情熱を込めて「物事の本質」を考えるように説きます。

・考える
・自分とは誰か
・死をどう考えるか
・心はどこにある

といった小見出しをつけてありますが、有り体に言って、中学生には荷が重い。ゲームに呆けているガキに「自分とは誰か」なんて命題は難解というより、次元の違う世界でありませう。しかし、50人か100人に一人くらいは食いついてくるかも知れない。著者の意図もそこにあるのでは、と思います。


哲学者の名前は一人も出てきませんが、48頁の次の文は、たぶん、デカルトの有名な言葉「我想う 故に我あり」のことだと思います。


考えてみよう


考えよう


考える


考えている


考えている自分がある


考えている自分があると考えている自分がある


自分がある


どこまで考えても自分がある


やっぱりどこまでも自分がある


中学、高校生の読者をイメージして、著者は必死にこの表現を考えたことと思われますが、果たして伝わるでせうか。なんか・・駄目男にも難しい。


「我想う 故に我あり」も「我考う 故に我あり」としたほうが分かりやすい。(この書き方の書物も多い)
 世の中、全宇宙一切を疑って疑って疑いまくって、なお疑いようのないのは疑っている自分の存在だった。大発見やあ~~、であります。とことん突き詰めて、最後に「神のみぞ知る」とか運命論に逃げなかったところがエライ。なんせ、400年昔のことですからね。よって、デカルトは近世哲学の祖と言われています。


もう一カ所、引用しておきませう。(170頁)

 「人間はあらゆる思い込みによって生きている。その思い込み、つまり価値観は人によって違う。その相対的な価値観を絶対だと思い込むことによって人は生きる指針とするのだけれども、まさにそのことによって人は不自由になる。外側の価値観に自分の判断をゆだねてしまうからだ。この意味ではイスラム過激派も自由民主主義も、同じことだ。自分で考えることをしない人の不自由は全く同じなんだ。人は思い込むことで、自分で自分を不自由にする。それ以外に自分の自由を制限するものなんて、この宇宙には存在しない」(引用ここまで)


ガキに向かって述べているこの言葉、ええトシした大人にもグサリとこたえるではありませんか。「外側の価値観に自分の判断をゆだねてしまう・・から不自由になるのだ」言われてみればごもっとも、私たちはほぼ100%外側の価値観で生きている。新聞にこない書いてあった、テレビでこない言うてた、と外側の価値観をコピーしてあたかも自分の考えみたいに言う愚かさ、少しはハンセーしなければ。

 さりとて、今さらテツガクしろと言われてもなあ・・。

(2003年3月 (株)トランスビュー 発行)


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