読書と音楽の愉しみ


●陳舜臣 著「唐代伝奇」を読む

 千年以上の昔、中国は唐時代に著された物語を十七編集めたもの。その中で日本にも伝わり、現在でも良く知られているのは「沈中記」「郭翰と織女(牽牛と織女)」「杜子春」の三つです。これらの作品の原典を知ることができ、なかなか興味深い。


「沈中記」=「邯鄲」
 「沈中記」は日本では謡曲に編集されて四番目能「邯鄲」になっています。旅の若者が安宿で借りた枕で寝ると、たちまち夢の世界へ引き込まれ、まるで竜宮城へ来たのかと思うような贅沢で華やかな、栄華の暮らしが何十年も続いた。しかし、夢から覚めると、何十年どころか、寝る前に火をつけた黍ご飯がまだ炊きあがってないという、わずかな時間しか経っていなかった。若者は悟りを得て、悄然と宿を後にする・・。こんな他愛ない話です。


原作はどうなのか。とても話が長い。夢の世界へ入ってから栄華の世界を体験するのは同じですが、出世の段階をいちいち説明している。はじめは課長クラス、次に部長に出世し、知事になり、大臣や軍隊の指揮官にもなり・・と全部説明してあって煩わしい。しかも、順調な出世だけでなく、左遷や降格、あわや自殺、という場面もあってなかなか忙しい人生であります。こんなの、謡曲でやってられん、というので、能の「邯鄲」は超ダイジェスト版となっています。


謡いの一部を写すと・・・
 「ありがたの気色やな。ありがたの気色やな。元より高き雲の上。月も光ハ明らけき。雲龍閣や阿房殿。光も充ち満ちてげにも妙なる有様乃。庭にハ金銀の砂を敷き。四方の門辺乃玉の戸を。出で入る人までも。光を飾る装ひハ。實や名に聞きし寂光の都喜見城の。楽しみもかくやと思ふばかりの気色かな」 これが天国的暮らしの表現でありますが、文を読んでも「なんのこっちゃねん」なのに、舞台で面を通して語られると100%ちんぷんかんぷんであります。


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「杜子春」
 あいまいな記憶ながら、駄目男はこの物語を小学校の教科書で読んだような気がします。(昭和20年代です)今にして思えば、子供が読み物で初めて接する残酷物語だったかもしれない。今でもこれが教科書に採用されているのなら、文学的価値より道徳教育の読本としての価値が高いからでせう。


 芥川龍之介の名作としてだれでも知っている短編ですが、オリジナルは同名の中国の読み物です。本書ではこれも原典と芥川作品の両方を比較しながら紹介していて違いがわかりやすい。
 この杜子春も芥川版はかなり物語を端折って書いています。アチラ版はどうもコテコテ感が強くて日本人の感性に合わない気がします。


芥川版では、杜子春は一人者のように描かれるが、原作では妻帯者であり、妻も地獄の責め苦に遭う。また、芥川の杜子春は閻魔大王に殺されたあと、最初の場面である洛陽の街に戻るが、原作では殺されたあと女の子に生まれ変わり、女ゆえにまた地獄の苦しみを味わうことになる。著者もいうように、文学的には芥川作品のほうが簡潔で洗練された作品と言えます。


この芥川版の「杜子春」をさらに脚色しなおして「ジブリ」あたりでアニメ作品にしてはいかがでせうか。親子の愛情や地獄の恐ろしさといった普遍的なテーマが軸になっているので「千と千尋」に比べて分かりやすく、海外でもウケるのではと思います。(2008年12月 中央公論新社発行)


中国本 杜子春

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