たなかよしゆきさんの古道紀行


 西国三十三観音巡礼といっても、マイカーやバスツアーでイージーに済ませる人が多いなか、歩きを基本にして、寒風に耐え、大汗かいて巡拝した、たなかよしゆきさんのユニークな巡礼記を掲載します。


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●西国三十三箇所 デコボコある記
                    
 たなかよしゆき


 西国三十三箇所のすべてをようやく打ち終わりました。第一番を参拝したのが一九九六年でしたから、何と十六年間もかかってしまったことになります。なんでそんなにかかってしまったの、とおもわれるでしょうが、九九年六月に火災にあい、家財を焼失、水損(当然、集印帳も)意欲がそがれてしまい、放ったらかしにしてしまったからです。
 この二、三年、また気をとりなおして打ちはじめました。九九年六月までに三分の二は打ち終わってましたので、ぼちぼち残りを打ち続けていたら、ようやく結願となった次第です。日記なども焼失してしまったので、明確な全体の記録は残りませんが、印象に強く焼き付いている札所をほんの少し列記して結願の記録とします。


■第一番 那智山西岸渡寺
 さいわい、第一番の参拝記はわたしの『人生途中下車』のなかに記録が残っています。わたしの三十三箇所巡礼は古道を歩き、探索することを目的の一つとしています。参考図書は『山越えの古道(上)(中)(下)』(中庄谷直著・ナカニシヤ出版)など。那智山は一九九六年八月の夏の旅で訪ねています。小雲取大雲取越えで三泊四日の旅。この折り、集印帳を購入し、西国巡礼の発願をおもい立ちました。西岸渡寺宿坊尊勝院に泊めていただいたのですが、客はわたし一人。夕食は厨房にて賄い人の高木さんといっしょに熊野三山のはなしで盛り上がりながらいただきました。大盛りのカツ丼と沢庵。おいしかったなあ。


■第四番 槇尾山施福寺
 紀州から桧原越えの参拝。JR和歌山線笠田(かせだ)駅で下車。四郷川を遡行し、三国峠へ。参拝した日が十一月二十三日で、四郷の里ではにぎやかに串柿祭がおこなわれていました。はるばる山を越え、槇尾山へ。途中、農家の軒先の青空市にて、オバアチャン手作りの沢庵を一本買いました。この沢庵がぬかと塩だけで漬けたシンプルな沢庵。美味。こういう本物の沢庵がなかなか食べられません。


第三十三番 谷汲山華厳寺
 岐阜県の地図を眺めると、谷汲山は近鉄養老線の揖斐駅から割合と近い。ローカル線に乗ることはけっこう好きなので(自分では鉄ちゃんなどとはおもっていないのだが、あるひとに云わせると「十分、ノリ鉄やんか」とのこと。そうなんや。)
 揖斐駅からピストンすれば一日旅可能。それに近鉄のフリーパス乗車券を使えば安く上げられます。金を使わず(できるだけ)手と足と頭を使え、がわたしの人生のスローガン。よっしゃ、一丁やりまひょ。という訳で出かけました。弁当持参。一月の二日か三日でしたが、とても寒い一日。ふるえながら弁当を食べました。


■第三十二番 繖山観音正寺
 桑の実寺から観音寺城、観音正寺、石寺、石馬寺と自分なりのコースをつくり、決行。この繖山行も『人生途中下車』に記録が残っています。一九九六年十二月。観音寺城跡は杉の植林帯の山。その林床につめたい冬いちごの実がなっていて、たくさん食べた。


第二十九番 青葉山松尾寺
 JR敦賀から小浜線に乗りかえ、松尾寺下車。ここから松尾寺までピストンすることにしました。夏だったか、大汗をかいた記憶があります。松尾寺のご本尊は忿怒相の馬頭観音。恐ろしい仏さまでした。(次回へ続く)


■第二十八番 成相山成相寺
 北近畿タンゴ鉄道というローカル線に乗れるということで、いそいそと出かけました。天橋立駅で下車し、天橋立を観光し、砂嘴と呼ばれる松林を渡り対岸へ。この日は夜のあいだに積雪があり、成相寺の三重の塔が青空のなかにくっきりと屹立していました。美しかったなあ。風で雪煙がおこりました。松林で冬ぐみの実を食べました。
 帰り、和知で田舎暮らしをしている友人の家に一泊。”与作は木を伐る、女房は機を織る”の暮らしで、美しい田舎暮らしをしていて感動しました。


■第二番 紀三井寺
 わたしの『涙を一滴』という詩集の中に「涙をひとしずく」という詩が収められていますが、この詩は紀三井寺で書きました。紀三井寺の茶室で冷やしあめを飲みながら、紀の海を眺めていました。海が夏の太陽にきらきらきらと輝いていました。

 日々の暮らしでは行儀よくふるまうくせがついて
 悲しみも凍りついてしまっている
 かくれるように
 どこかの山川に涙をひとしずく
 こぼしたかったのかも知れない


■第三十五番 御嶽山清水寺
 JR福知山線相野駅からピストン。けっこう遠かった上に、御嶽山の頂上近くにあり、骨がおれました。しかし、その展望の素晴らしかったこと。すがすがしい風に吹かれて食べたサンドウイッチ(食パンにゴボ天をはさんだシンプルなもの)のおいしかったこと。境内にはピンクの九輪草が群れて咲いていました。


■第二十六番 法華山一乗寺
 わたしの西国巡礼は乱れ打ちなので、一乗寺が最後となりました。北条鉄道(加西市)の法華口駅からピストン。ガイドブックによると、一乗寺は法道仙人の開基で、山の形が蓮華のようにとりかこんでいるところから、一寺を建立したとあります。
 一乗寺近くまでやってきたとき、小さな手書きの看板が目につきました。法華山登山コース。ここから行ったほうが早いんとちゃうか、とこのコースにとりついたのですが、まさに蓮の花弁のふちを歩くようなアップダウン。おまけにヤブコギ。これには参ってしまいました。何とか古びたテープの目印にくらいつき、法華山頂に到着(二四三メートル)靴に穴はあくし、ズボンは破れ、汗びっしょり。ヨレヨレになって到着。低い山だからとなめたのが悪かったと反省しました。(なめたらアカン、なめたらアカンで、山は)食パンにちくわをはさんでペロリと食べてしまいました。でも、最後を飾るにふさわしい参拝だったかもと納得しています。(二〇一二年三月八日)


 これで終わりますが、終わってみると、わたしの巡礼の記憶は食べ物と深くかかわっていることに気がつきました。寺の佇まいは忘れても、食べ物の印象は強烈。死ぬまで忘れることはないでしょう。それもまた痛快なことではないでしょうか。(痛快ナノハ、ワタシダケカモ)


 四国八十八箇所巡拝は一九九五年~九六年にすませ、『お四国極楽旅日記』という私家版にまとめましたから、残るは秩父板東合わせて六十七箇所。江戸時代の庶民は西国四国秩父板東合わせて百八十八箇所巡拝が人生の一大イベントでしたから、わたしもそれを目指そうかという気が少ししています。秩父板東は遠くて、ちょっとひるむ気がしないでもありませんが、まア、ぼちぼちやりまひょ。           

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