読書と音楽の愉しみ
●苫米地英人著「洗脳広告代理店 電通」を読む
こんな本を出せば、自分自身に大きなリスクがふりかかる・・ことを予想しつつ、とりあえず書いちゃった電通糾弾の本。このブログでも電通の悪口は再々書きましたが、世間には、ほんの少数ながら「電通許すまじ」の言論人がいて、社会の隅っこで吠えている。しかし、国民のほとんどは無関心、電通ってナニ?のレベルの人が大方であり、苫米地センセイはそれを歯がゆく思ってるようであります。
期待して読んだのに、新ネタはあまりなかったのが残念ですが、それは自分がすでに電通の悪行のアウトラインを知ってるからで、無知の人が読めばけっこうインパクトが大きいかも知れません。特に、未だにマスメディアへの信頼度が高い人に読んでほしい本です。
電通という企業の存在自体が社会悪と言っても過言ではないのに、新聞、テレビ、出版などのメディアが電通の批判をしないのは、電通がメディアを支配しているからである。すごく単純にいえば、電通に都合の悪いニュースを報じる新聞やテレビがあれば、その会社に広告やCMの出稿を止める。それだけで新聞、テレビ会社がオロオロしてしまうのは、広告やCMの取り扱い量の大半を電通が占めているからです。電通様に逆らえば仕事が無くなる
近年の「韓流ブーム」は電通が韓国政府と結託して、その宣伝窓口にされたのがフジテレビだが、ドラマや映画など大量のコンテンツをすごく安い値段で提供され、スポンサーがそれを認めてしまうと、事実上、電通がフジテレビを支配したことになる。そうなれば韓国批判など封じられて当然で、たとえば、在日韓国人が殺人など重大犯罪を犯しても、敢えて報道しないなど、報道責任より、電通の顔色をうかがうほうを優先することになる。
CMやドラマなどの番組は、スポンサーとテレビ局が交渉してつくるものと勘違いしている人が多い。実際はスポンサーと電通が番組の企画をし、テレビ局に作らせる。一番視聴率の高い時間帯は電通が買い取っていて、どの番組をどのテレビ局で放送するかは電通が決める。テレビ局が独自で決められるのは昼間とか、視聴率の低い時間帯である。電通は、スポンサーの代理店であると同時に、テレビ会社の代理店でもある。
著者が電通の悪質さの根元と指摘するのがこの点だ。要するに、スポンサーとテレビ局を天秤にかけ、ええとこ取りして稼いでいる。テレビ局が逆らえば、番組はよその局に持って行かれてしまう。また、たとえば、スポンサーに不祥事が起きたら、それをきちんと報道すべきところ、電通が「報道するな」と指示してくる。そんなことは普通に行われている。そのうちにテレビ局が自主規制してしまう。電通がうるさいから知らん顔するのである。メディアを支配するとは、こういうことである。
このようなタチの悪い報道規制、干渉はテレビが生まれる前からあった。1950年代に「森永ヒ素ミルク事件」という痛ましい事件が起きたとき、電通は得意先を失いたくないために、新聞社などに報道規制の圧力をかけた。のみならず、大ピンチに陥った森永がそのための工作資金を電通に提供した。(これは著者の推定であると断っている)人命に関わる問題でもあくまで金が大事、これが電通の企業ポリシーだ。
電通という企業の存在自体がスキャンダラスこの上ない。著者は「電通を解体せよ」と述べるが、国民世論の高まりでそんなことが実現できるほどヤワな会社ではない。広告業界での寡占率が高く、競争原理を阻害しているとして「独占禁止法」を盾に告発するというまっとうな方法もあるが、それは公正取引委員会の仕事だ。しかし、電通は委員会のOBを役員に迎えている。ちゃんと先読みして「対策済み」なのである。
テレビ番組の大方がバラエティなど愚劣きわまるものしかないのは、政権の意向も踏まえた「愚民化政策」の一環だろうと著者は推測する。要するにバカな国民の比率が高いほど政治もビジネスもやりやすい。洗脳しやすい。何が事実か、正しいことか、きちんと学んで政府や企業に立ち向かう国民が増えたら困るのだ。選挙で、バカも賢人も一票の価値が同じだったら、バカの数を増やす(育てる)ほうがずっと有益である。かくして、今日も明日も愚者の楽園は安泰である。(2012年2月 サイゾー発行)



