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読書と音楽の愉しみ

読書感想文
12 /31 2017


●波多野聖著「本屋稼業」を読む

 2017年最後の読書は紀伊國屋書店の誕生、発展物語で主人公は田辺茂一。創業社長にして有名文化人だったので知る人は多いはず。文化人といえば聞こえがよいが、酒飲みで女たらし、数字にからきし弱い社長だった。こんな駄目社長を支えたのが東大出身で陸軍軍人あがりという松原治。、田辺とは正反対の数字に強い男で後に社長になった。社長にして粋人というタイプはおそらく田辺あたりが最後で、何よりも効率や生産性を求められる現在、こんな人物はさっさと排除されてしまう。


父親は薪炭商。小学生のとき、父に連れられて入った「丸善」のえも言えぬ文化的な雰囲気が大好きになり、将来は本屋になると決める。二十歳すぎに小さな本屋を開業するが、成長するまえに戦時色が強まり、東京大空襲ですべて灰燼に帰した。しかし、終戦後まもなくにバラック小屋のような店をつくるとものすごく繁盛し、雑誌「文芸春秋」発売の日は長蛇の列が出来た。みんな貧しくても活字情報に飢えていた。当時は出版社から書店への配送は自転車や荷車が主で、荷台に本を満載してピストン輸送した。後年、大出版社になった角川書店も角川社長自ら自転車を漕いで本を届けた。入荷する尻から本も雑誌も売れる・・夢のような繁盛を経験し、この時代の大もうけが発展のもととなる。


本屋の標準サイズは25坪と言われた時代に、新宿でどでかい本店をつくり、ビル内に紀伊國屋ホールという劇場までつくった。酒飲み女たらしは休まないでの大文化事業。そして、国内二店目は大阪梅田の阪急梅田駅再開発にともなう出店で面積は700坪、若き駄目男もドヒャーと驚いたバカでかい書店でした。しかも、設計は当時、丹下健三と並んで人気トップの前川国男。これは今まで知りませんでした。(新宿本店も前川の設計)開店は昭和44年12月。大阪万博開催の4ヶ月まえだった。


1981年、田辺社長は76歳で亡くなる。本屋が一番景気の良かった時代だった。仕事と遊びの境目が分からないという人生は最高に幸せだったといえる。読書離れ、出版不況に悩む現在の業界では想像もつかないハピーな時代だった。年商1000億に達した紀伊國屋だけど、この先も順風満帆の保証はない。ちなみに、紀伊國屋というブランドは紀伊國屋文左衛門とはなんの関係も無いという。(2016年 角川春樹事務所発行)


今年は40冊
 大晦日に40冊目駆け込みです。今年もいろんな本を読みましたが、印象の強い作品をあげれば「日の名残」「蜜蜂と遠雷」「泥の河」くらいでせうか。読むのに苦労したのは「村上海賊の娘」。長すぎます。ジャンルは、間口広く何でも読んでるように思われそうですが、好き嫌いははっきりしていて,例えば佐伯泰英のシリーズ本なんかタダでもらっても読まない。単に好き嫌いの問題です。

本屋


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読書と音楽の愉しみ

読書感想文
12 /30 2017



●遠藤周作著「海と毒薬」を読む

 今年読んだ本の中では一番深刻で陰気な作品。遠藤作品で一冊くらいはシリアスなものを読んでおこうという殊勝な心がけ?で手にした本がこれです。途中でやめようかなと思ったくらい陰々滅々の内容ですが、読み終わって世間を顧みれば、この本以上の残酷物語が現実に起きている。


戦争末期の1945年、福岡で米軍捕虜の生体解剖実験が行われた。このおぞましい事件を小説で描いたもので、実験場になった大學病院の教授の出世争いをからませて、命を救うのが使命の医者たちが、かくも冷淡、非情、無責任な人間になれるのかを描く。メスを持った殺人者とその手下たちたちは、自分のポジションを守るためには良心も正義感も捨ててしまい、結果の恐ろしさにもがき苦しむこともない。それでも「やる前」は相当に良心の呵責があったのに「やった後」は精一杯、責任転嫁を考えたりする。しかし、心の傷は癒えない。絶対、他人には口外できない事件ゆえに、一人悶々と苦しむしかない。


著者はどうして勉強したのか、病室や手術室の描写が細かくて、麻酔の施術なんか「見てきたような」リアルさで書く。教授やスタッフの人間像の描き方も上手くて、簡潔な文章で個々の人物を描き分けた。人間は本質的にワルであり、教養や倫理もしょせん付け焼き刃に過ぎない。地味に、清く正しく暮らしてる人だっていつ悪魔に変身するかもしれない。あのアウシュビッツの残酷物語の超ミニスケール版ともいえるけど、あれを考えるとママゴトみたいな事件でしかなかった。


何の恨みもない他人を趣味嗜好で殺す・・。無抵抗な我が子をいじめ殺す。精神病の娘を座敷牢に閉じ込めて衰退死させる。最近起きた事件でもし自分が裁判員に選ばれたら、加害者は全部「死刑にせよ」と言うかもしれない。神サマが見たら、そんな人間も悪魔でありませう。ともあれ、人間の原罪を問うという重いテーマは浅学駄目男には荷が重い。
 地味な作品なのに、文庫本で約50年のあいだに100刷というのは大変なロングセラーといえます。遠藤作品は「狐狸庵」ものしか読まなかった自分が恥ずかしい。(昭和35年 新潮文庫発行)

海と毒薬






プチ・ケチの研究

プチ・ケチの研究
12 /29 2017



●野菜高値・・で「豆苗」の出番
 野菜が高値圏に張り付いてしまった感。家庭も困るが、飲食店も難儀であります。キャベツを大量に使うお好み焼き店や串カツ店も苦労してるでせう。おまけに今年はミカンも高い。そこで、売り場の隅っこに陳列されてる豆苗を活用します。サラダにも煮物にも使えます。あわよくば再生して元の量の半分くらい収穫?できます。値段は95~100円で安定。完全な工場生産だから天候に関係なしです。


豆苗と大根のサラダ 材料費80円くらい
ケチらんち

●1分でできるお手軽ランチ
 揚げそばにチンしたカレールーをかけるだけ。少食のオジンならこれでも昼メシにできます。これにミカン一個あれば言うことなし。


材料費約180円
けち 






読書と音楽の愉しみ

読書感想文
12 /29 2017



●映画「ダンシング ベートーベン」鑑賞

 天才振付師、モーリス・ベジャール(故人)は「春の祭典」や「ボレロ」のほかに、ベートーベンの「第九」も作品にしていた。しかし、曲自体が大曲であり、舞踊も大規模で長時間を要する作品なので公演にはたいへんな準備が要り、コストも高くつく。で、おいそれと実現できない。


映画は、モーリス・ベジャールのグループと東京バレエ団との合同公演を記録したもの。いわば「観る第九」であります。演奏はイスラエル・フィル、指揮はズビン・メータと最高の組み合わせです。第九ファン必見、といいたいが、小さな小屋での短期間の上映なのでほとんどの人は、こんな映画があることを知らない。駄目男もBS放送のCM?でチラ、と見つけてあたふたと出かけた次第。予想通り観客は30人くらいでした。


ベジャールの芸術観をなぞりながら、映像のほとんどはレッスン風景で構成している。完成された本舞台を映すより、このほうが楽しいというか、親しみがもてる。高難度の舞踊を見ては「キミタチ、何の因果でこんなしんどい職業を選んでしまったのか」と低級な感心もする。なんにせよ「白鳥の湖」なんかとは全く違う表現の舞台です。それでは「春の祭典」や「ボレロ」より、この「第九」のほうが芸術的に優れているか、といえば、?・・であります。完成度では二作に勝てないと思う。何より上演時間の長さがダンサーにものすごい負担になる。こんなの、毎日公演したら「ブラック企業」ならぬ「ブラックバレエ団」と陰口されそう。


モーリス 



閑人帳

閑人帳
12 /27 2017



●今年も傑作に脱帽・・第8回創作漢字コンテスト

 毎年、今年こそは応募するぞと意気込んでるのに、実作ゼロ。はやばやと一年経って受賞作の発表となりました。下の最優秀賞「ティッシュ」には脱帽です。よくぞこんなアイデア浮かんだものだと感心します。作者が13歳とあってはオジンの出る幕ではないかと。しかし、「胸キュン」の作者は70歳ではありませんか。70歳で胸キュンの発想ができる、トシなんか関係ないと思い直す。


応募数1万3584点。入賞は佳作含めて27点だからものすごい競争であります。中学、高校では課外授業で作品をつくらせて応募するところもあるらしい。アタマの体操にはとても優れたアイデアごっこと言えます。なんでもカタカナで書きたがるご時世に漢字一字で丸ごと表現する創作漢字。こんなの日本語だけでせう。


最優秀賞
創作漢字  


最優秀賞
漢字  



優秀賞

漢字  



優秀賞

漢字  



優秀賞

漢字







読書と音楽の愉しみ

読書感想文
12 /26 2017



●井伏鱒二著「ジョン万次郎漂流記」を読む

 久しぶりに「読み出したら止められない」本に出会いました。止められない理由は内容自体の面白さに加え、文章の上手さゆえです。著者はこの作品を「記録文学」というジャンルで書いたので、勝手な想像によるフィクションに仕立ててはいけない・・ハズですが、読めば「講釈師 見てきたようなウソを言い」場面が多々で、これに惹きつけられてすらすら読んでしまう。しかも、自分で資料探しをしたのではなく、他人に借りた資料をネタにして書いているのだから、さすがプロやなあと感心します。


冒頭、万次郎が仲間とともに土佐の浜から漁にでたところ、大嵐で遭難してしまい、何日も漂流したあげく、絶海の孤島(鳥島)に漂着するまでの描写なんぞ、記録資料には細部まで書かれていないはずなのにすごい現実感があって、まるで著者も一緒に遭難したかのよう。読みながら、ニュースで知った、日本海で嵐に遭った北朝鮮のボロ漁船と乗組員の難儀ぶりを想像してしまいました。ようやく流れ着いた孤島の断崖への着岸のスリルや食料も水もない島での絶望的な日々の描写も「見てきたような・・」名文で読者はやすやすとのせられてしまいます。この文章力が評価されたのか、昭和13年の直木賞を受賞したことも納得です。


それにしても、ジョン万次郎の波瀾万丈の人生はそれこそフィクションとちゃうか、と疑いたくなるくらいです。貧乏で読み書きの素養ゼロの小僧が遭難で九死に一生の体験をしてからは、ハワイに渡り、米国本土に行き、捕鯨船の乗組員として世界一周の航海まで経験する。その間に英語を覚え、捕鯨の技術をマスターし、アメリカ西部ではゴールドラッシュに乗じて砂金堀りをして金を稼ぎ・・日本へ戻ったのは12年後だった。当時、こんな破天荒な体験をした日本人は彼ひとりではないか。


帰国当時の日本はアメリカに開国を迫られて大騒ぎのさなかだった。そこで万次郎の英語が生きる。なにしろ本場仕込みだから並みの通訳よりずっとすぐれものであちこちから引っ張りだことなる。そのうち、身分も上がって最後は江戸幕府直参の旗本に出世するのだからコミックみたいな実話であります。更に、語学力+航海術を買われて「咸臨丸」でアメリカへ向かう使節団の世話役になった。福沢諭吉や勝海舟のお供をしたが、船長たる勝海舟は航海中ずっと船酔いでへろへろだったため、万次郎が実質、船長を勤めた。


本書を読む限り、万次郎が過酷な運命に翻弄されながら、異人にも同胞にも好かれたのは、天性の明るい性格と勉強熱心で、物事に積極的に取り組む姿勢が好まれたためでせう。出自が無学文盲ゆえに色眼鏡(教育・教養)で世間を見ることがなかった。大出世してもおごらず、晩年までもう一度捕鯨の仕事がしたいと地味な願いを抱いていた。明治31年死去。享年72歳。墓は谷中の仏心寺にあるそうだ。(昭和61年 新潮社発行)


この万次郎の生涯、大河ドラマに向いてるのではと、ドラマを一切見ない駄目男が思いついた(笑)。ハズレの少ない幕末ものとして受けそうな気がします。難点は女性が全く出て来ないことか。映画や単発ドラマではすでに作品化されてるとおもうけど、退屈しないこと、請け合いです。

万次郎




閑人帳

閑人帳
12 /14 2017



●「朝の詩」二度目の入選

 12月9日「おでん de 忘年会」で紹介したTさん(田代光枝さん)の投稿した詩が選ばれて掲載されました。ともに93歳の夫婦の老々介護のワンシーンをうたったものです。ご主人は今年春に亡くなられたので、懐旧の気持ちも込めた作品です。70年連れ添った夫婦の心情はかりがたいけど、いちばんハピーな場面かも。


asanouata




閑人帳

閑人帳
12 /12 2017



●古い「カタカナ新語辞典」

 書物を捨てる作業のなかで、一番捨てにくいのは辞典の類いでせうか。「ど忘れ漢字辞典」なんか、しょっちゅう使うので死ぬまでそばに置いておくかもしれない。ということは、手紙やハガキを手書きすることが多いといえる。未だにアナログ人間であります。(手紙なんか一年に一度も書かないと言う人がいるかもしれない)


「カタカナ新語辞典」というのも持っています。カタカナ言葉ばかり集めたもので、1993年発行。購入したのは96年。もう20年も前の購入だから、当時の新語が今では旧語になっているものもあり、辞典では最も賞味期限の短いものといえます。たとえば「ハイブリッドコンピュータ」訳語は「アナログとデジタルを組み合わせて、速度と精度を高めたコンピュータ」とあります。もう知らなくてよい言葉です。一方「ハイブリッド米」というのもある。訳語は「収穫の増加を狙った米の雑種」現在のハイブリッド米とややニュアンスが違うけど、これは現役の言葉です。車に関するハイブリッドは出てきません。しかし、ソーラーカーやソーラーパネルは記載されています。


この辞典、680頁に約1万5000語が収集してあります。難しい学術用語などは省いた日常語の辞典なのにこれだけある。しかも、その4~5割くらいは既に知っている言葉だから驚きます。日ごろの読み書きや会話で、私たちは5000語以上のカタカナ語を操って会話していることになります。カタカナ語を禁じたら会話は成り立たない。


今は、たいていの言葉はネットでぐぐったら解説が出ます。紙の辞典なんか不要でせう。しかし、オジンは紙をぺらぺらめくるほうが好き。小池百合子はんが選挙のとき言うてた「アウフヘーベン」ってなんやねん?・・で、辞典をめくったら「止揚」やて。日本語もわかりませんがな。 



「学研」のカタカナ語辞典

jitenn 








読書と音楽の愉しみ

読書感想文
12 /11 2017


●山田ルイ53世著「ヒキコモリ漂流記」を読む

 著者は芸能人らしいけど初耳の人。しょーもないことが原因で、中学生から20歳くらいまではヒキコモリ、すなわち、世間と断絶した生活を送った。その顛末を書いたエッセイですが、文章がよくこなれていて面白い。40歳を迎えて自分の情けない半生をセキララに書いています。本来は恥、屈辱である体験を書いて、出版して名前を売る、少しは収入も得る。こういう世渡りの方法もあるのですね。


著者は、人生の、社会の敗北者であること、過剰なくらい自覚しており、ふつうは陰険な話になるところ、自分をとことんバカ扱いすることでオモロイ本になった。三人兄弟の次男で親はガチガチの公務員。貧乏なのに私立の「六甲学院中学」へ入学した。阪急六甲駅から徒歩で20分かかる坂の上の学校。成績は良かったけど、ある年、夏休みの宿題を100%さぼったことからヒキコモリが始まる。


ヒキコモリにもグレード?があって、自宅から一歩も出ない、パーフェクト型から、たまには外出もするゆるいタイプもあり、著者はゆるいタイプだった。ヒキコモリつつ、自分で金を稼ぐ努力もした。コンビニに勤めたときは賞味期限切れの弁当を店長の許可を得て食べたりした。しかし、二十歳を前にどん底の暮らし、家人からは「出て行け」と矢の催促。


結局、家出して家族とプッツン状態になる。あちこち転々とするうち、ついに東京でホームレス状態に。さすがにこれはイカンと肉体労働して自活を目指し、サイテーのアパートへ入居した。池袋の近くで、四畳半、1万5千円也。東京ではありえないような物件だ。なのに、この家賃が払えない。とうとうサラ金に手を出し、たちまち借金がふくれあがる。最後は「三畳で8千円」という、究極の安アパートに移り、住民の出すゴミ袋をあけて食べ物をさがすというありさまに。この辺の生活を描いた文が一番切実で読み甲斐がある。純粋ホームレスに落ちないための、唯一の支えは一片の自尊心だったのか。ウツに落ちなかったのも幸いした。


本を書いてる時点で、両親には20年会っていないという。それでも寂しくないと思うところが悲しいけど、だからといって絶縁したのでもない。顔を合わせるきっかけが作れないだけかもしれない。結婚して、娘が生まれて、あるとき、妻の機転で?母娘で親に会いに出かけた。親はモロ大喜びだった。もう怨恨はなかった。年に一度会ってケンカするより、20年間疎遠だったほうが良かったのかもしれない。(2015年 マガジンハウス発行)


表紙 





閑人帳

閑人帳
12 /08 2017



●ネーミングは難しい
   ~大東亜戦争と太平洋戦争~

 76年前の今日、12月8日は真珠湾攻撃、即ち、戦争のはじまった日です。しかし、この戦争の名前がきっちり決まっていないらしい。そういえば、天皇陛下が戦没者慰霊の祭事などで語られるときは「先の戦争で亡くなられた・・」で、名前を言われないのではないかと、勝手に勘ぐっている。(自分の思い違いかもしれない)


「大東亜戦争」なのか「太平洋戦争」なのか。たいていの人は太平洋戦争という認識ではないか。しかし、この名称は戦争が終わってからGHQが「これにしなさい」と指示されたから普及した。オリジナルは「大東亜戦争」という名称で、真珠湾での開戦直後に閣議で決定した。実は、この名前を推奨したのは陸軍で、海軍は太平洋戦争という名前を推した。陸軍と海軍の戦争に対するイメージの違いが良く現れており、選択は難しいが、大東亜戦争で落着し、以後、敗戦まで使われた。


米軍が主体のGHQにすれば、太平洋の東と西の国が戦争したのだから太平洋戦争という名前の方がずっと分かりやすい。その上、日本の海軍も推薦した名称だから、すんなり決めることができた。のみならず、被占領国、日本にこの名前の使用を強制した。もし、当時の新聞で「大東亜」を使った社があれば「とり潰し」になったかもしれない。


かくして、日本人は「太平洋戦争」の名前を刷り込まれて、あの戦争は日本と米国の戦争だったと思い込み、東南アジアやソ連もエリアだったことに大方、関心を持たなくなった。ネーミングだけで戦争に対する概念が変わるlこともある。この戦争が契機になって、アジアのほとんどの国が欧米列強国による植民地支配から解放された・・ことには何ほどの関心もない。


大東亜戦争も太平洋戦争も、イマイチ、しっくりこない名前である。そこで、これでどないや、と「アジア太平洋戦争」というネーミングも生まれた。しかし、これもなんだかなあ・・であります。国家の存亡に関わる歴史的大事件なのに、キッパリとつけた名前がない。100年あとになっても。天皇陛下は「先の戦争で多くの国民が・・」と述べられるのだろうか。京都人がいう「先の戦争」は応仁の乱のことらしいけど、これにならって「昭和の乱」ちゅうのはいかがでせうか。


閑人帳

閑人帳
12 /06 2017



●そうだったのか・・年賀はがき料金

 数年前に年賀状ヤメマス宣言して、やりとりの枚数はガタリと減った。しかし、親戚だけには「無事生存」のお知らせを兼ねて出しています。 今年の夏にハガキは52円から62円に値上げされたので、年賀はがきも62円かと思っていたら、52円で据え置きでした。一般はがきより配達効率が良いから旧料金でサービスするとのこと。納得です。


但し、条件があって、12月15日から翌年1月7日の期間に投函したものに限りますと。私製はがきをつくって、あわてて12月15日までに投函すると62円切手が必要です。100枚出したら1000円も損します。返礼をぐずって1月8日~に出すときも62円必要です。昔は「松の内」なる概念があって、1月15日までは「正月気分」でしたが、だんだん気ぜわしくなり、年賀気分は7日で終了となりました。


「お年玉賞品」を疑ってみる
 JPは民営化されたら少しはビジネスセンスが良くなるかな、と思っていたけど、相変わらず野暮のままです。年賀状に関わる「お年玉賞品」企画もお役所時代と同じ田舎もんのセンスを踏襲している。ユーザーの方を向いていない。お年玉賞品の一等は12万円相当のギフトか現金10万円。この金額で確率が100万本に一本、抽選番号の下6桁が合致して当選です。この6桁の番号を照合する人、どれくらいいるでせうか。千人に一人もいないでせう。ということは当選本数2599本のほとんどが死蔵になります。金額にして約2億5千万円。本来、ユーザーに還付するべき金がカイシャの金庫に残ったままになる。悪意を感じるのは駄目男だけでせうか。もともと払う気がない、と勘ぐられても仕方ない。


本当にサービス精神があるのなら、一等、二等を廃止し、三等の切手シートの額面を500円にアップし(現在は144円)当選確率は百分の一(下二桁の数字合致)にする。これなら番号照合は楽ちんで、アタリの楽しみも大きい。賞品で切手をゲットすることで、ハガキや手紙を書く人が増える可能性があります。幻の一等賞よりずっと有意義でせう。

参考情報
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201712/0010793364.shtml



年賀状 



年賀状の枚数は年々、大巾に減っている

年賀状







読書と音楽の愉しみ

読書感想文
12 /05 2017



●前野ウルド浩太郎著
「バッタを倒しにアフリカへ」を読む

 虫の研究をする人には個性的な人=変人が多いけど、この著者、前野氏もそう。子供の頃からバッタが好きで、夢は「バッタに食べられちゃう」ことだった。神戸大学大学院を出てもバッタ研究の夢は覚めず、しかし、それではメシが食えないことも分かっているから、なかなかしんどい。ムシか、メシか、悩みつつ、メシの獲得にも必死のパッチで努力して、なんとかムシでメシを食う算段が出来た。その奮闘記であります。


書名から察すると、著者が勇躍アフリカへ出かけて、寄せ来るバッタの大群をバッタバッタと退治する話かと思うけど、それはいろいろワケありで一部しか語られない。話の大半は地味な予備調査やメシをくうための、要するに就職活動の苦労話に費やされる。


しかし、こちらの興味は「恐ろしいバッタの襲撃」にあるので、テキトーに調べてみた。 一番被害が大きいのは本書でも主役の「サバクトビバッタ」で、アフリカではこれに襲撃されて国家的飢饉に陥ったことが何度もある。人間の食料を全部バッタが食い尽くしてしまう。2003~2005年の大発生では農作物の被害が25億ドル(2800億円)に達した。被害の歴史は古く、聖書にも記載がある。(被害を「神の罰」というらしい)


なにしろ、大群が襲来すると空が暗くなるくらいだ。資料によると、1平方キロ当たり、4000万~8000万匹という密度になる。(地面から百m以上の上空に群れる)一日で100キロくらい移動し、通過した後は一木一草も残らない。発生、移動地域も広く、アフリカや中東の砂漠地の大半で被害が起きる。


この科学の進歩した時代、画期的な駆除方法があるのではと想像するけど、残念ながら「殺虫剤」しかないらしい。これでは大発生してからでは到底太刀打ちできないので、発生の初期に退治する必要がある。本書の著者はモーリタニアの砂漠にある研究施設に単身乗り込んで研究するのですが、肝心のバッタが見つからなくて大弱りという苦い経験もする。いつ、どこで発生するか、予想するのは難しい。 しかし、殺虫剤をポンプで散布という方法しかないというのは心許ない。前野さん、バッタ大好きなのにバッタの退治を目指すのは矛盾しているが、画期的技術の開発でアフリカ諸国に貢献して下され。草場の影で祈っておりますぞ。(2017年5月 光文社発行)


こんな状態になる前に退治しなければならない。
バッタ


食べて敵討ち? バッタの素揚げ
バッタ


バッタ 






ウオーキング・観光

ウオーキング・観光
12 /03 2017



●紅葉見納め・・万博「日本庭園」

 曇天で人出もまばらな日本庭園を数年ぶり?に訪ねました。紅葉はほぼ散って「ドウダンツツジ」の真紅だけが目だっています。はす池わきの休憩所で差し入れの「風の森」を頂きながらのランチ。この酒、シャンパン並みに炭酸ガスが濃厚で、開栓時はスポコ~ンと、栓が10mくらい飛びました。日本酒では珍しい。純米吟醸ICBMってか。



万博




万博 




万博公園 







 dameo

■10年続けた<快道ウオーキング>を改題しました。
■《手づくり本》の研究は、大事なことは紙に記録しようという、アナログ爺のレジスタンスです。お問い合わせは【拍手ボタン】押してコメント欄からどうぞ。内容は非公開です。
■下記のカテゴリーが趣味をあらわしています。
■ニックネームはdameo(丸出駄目男)です。
■1939年大阪生まれ