読書と音楽の愉しみ


●波多野聖著「本屋稼業」を読む

 2017年最後の読書は紀伊國屋書店の誕生、発展物語で主人公は田辺茂一。創業社長にして有名文化人だったので知る人は多いはず。文化人といえば聞こえがよいが、酒飲みで女たらし、数字にからきし弱い社長だった。こんな駄目社長を支えたのが東大出身で陸軍軍人あがりという松原治。、田辺とは正反対の数字に強い男で後に社長になった。社長にして粋人というタイプはおそらく田辺あたりが最後で、何よりも効率や生産性を求められる現在、こんな人物はさっさと排除されてしまう。


父親は薪炭商。小学生のとき、父に連れられて入った「丸善」のえも言えぬ文化的な雰囲気が大好きになり、将来は本屋になると決める。二十歳すぎに小さな本屋を開業するが、成長するまえに戦時色が強まり、東京大空襲ですべて灰燼に帰した。しかし、終戦後まもなくにバラック小屋のような店をつくるとものすごく繁盛し、雑誌「文芸春秋」発売の日は長蛇の列が出来た。みんな貧しくても活字情報に飢えていた。当時は出版社から書店への配送は自転車や荷車が主で、荷台に本を満載してピストン輸送した。後年、大出版社になった角川書店も角川社長自ら自転車を漕いで本を届けた。入荷する尻から本も雑誌も売れる・・夢のような繁盛を経験し、この時代の大もうけが発展のもととなる。


本屋の標準サイズは25坪と言われた時代に、新宿でどでかい本店をつくり、ビル内に紀伊國屋ホールという劇場までつくった。酒飲み女たらしは休まないでの大文化事業。そして、国内二店目は大阪梅田の阪急梅田駅再開発にともなう出店で面積は700坪、若き駄目男もドヒャーと驚いたバカでかい書店でした。しかも、設計は当時、丹下健三と並んで人気トップの前川国男。これは今まで知りませんでした。(新宿本店も前川の設計)開店は昭和44年12月。大阪万博開催の4ヶ月まえだった。


1981年、田辺社長は76歳で亡くなる。本屋が一番景気の良かった時代だった。仕事と遊びの境目が分からないという人生は最高に幸せだったといえる。読書離れ、出版不況に悩む現在の業界では想像もつかないハピーな時代だった。年商1000億に達した紀伊國屋だけど、この先も順風満帆の保証はない。ちなみに、紀伊國屋というブランドは紀伊國屋文左衛門とはなんの関係も無いという。(2016年 角川春樹事務所発行)


今年は40冊
 大晦日に40冊目駆け込みです。今年もいろんな本を読みましたが、印象の強い作品をあげれば「日の名残」「蜜蜂と遠雷」「泥の河」くらいでせうか。読むのに苦労したのは「村上海賊の娘」。長すぎます。ジャンルは、間口広く何でも読んでるように思われそうですが、好き嫌いははっきりしていて,例えば佐伯泰英のシリーズ本なんかタダでもらっても読まない。単に好き嫌いの問題です。

本屋


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読書と音楽の愉しみ



●遠藤周作著「海と毒薬」を読む

 今年読んだ本の中では一番深刻で陰気な作品。遠藤作品で一冊くらいはシリアスなものを読んでおこうという殊勝な心がけ?で手にした本がこれです。途中でやめようかなと思ったくらい陰々滅々の内容ですが、読み終わって世間を顧みれば、この本以上の残酷物語が現実に起きている。


戦争末期の1945年、福岡で米軍捕虜の生体解剖実験が行われた。このおぞましい事件を小説で描いたもので、実験場になった大學病院の教授の出世争いをからませて、命を救うのが使命の医者たちが、かくも冷淡、非情、無責任な人間になれるのかを描く。メスを持った殺人者とその手下たちたちは、自分のポジションを守るためには良心も正義感も捨ててしまい、結果の恐ろしさにもがき苦しむこともない。それでも「やる前」は相当に良心の呵責があったのに「やった後」は精一杯、責任転嫁を考えたりする。しかし、心の傷は癒えない。絶対、他人には口外できない事件ゆえに、一人悶々と苦しむしかない。


著者はどうして勉強したのか、病室や手術室の描写が細かくて、麻酔の施術なんか「見てきたような」リアルさで書く。教授やスタッフの人間像の描き方も上手くて、簡潔な文章で個々の人物を描き分けた。人間は本質的にワルであり、教養や倫理もしょせん付け焼き刃に過ぎない。地味に、清く正しく暮らしてる人だっていつ悪魔に変身するかもしれない。あのアウシュビッツの残酷物語の超ミニスケール版ともいえるけど、あれを考えるとママゴトみたいな事件でしかなかった。


何の恨みもない他人を趣味嗜好で殺す・・。無抵抗な我が子をいじめ殺す。精神病の娘を座敷牢に閉じ込めて衰退死させる。最近起きた事件でもし自分が裁判員に選ばれたら、加害者は全部「死刑にせよ」と言うかもしれない。神サマが見たら、そんな人間も悪魔でありませう。ともあれ、人間の原罪を問うという重いテーマは浅学駄目男には荷が重い。
 地味な作品なのに、文庫本で約50年のあいだに100刷というのは大変なロングセラーといえます。遠藤作品は「狐狸庵」ものしか読まなかった自分が恥ずかしい。(昭和35年 新潮文庫発行)

海と毒薬






プチ・ケチの研究



●野菜高値・・で「豆苗」の出番
 野菜が高値圏に張り付いてしまった感。家庭も困るが、飲食店も難儀であります。キャベツを大量に使うお好み焼き店や串カツ店も苦労してるでせう。おまけに今年はミカンも高い。そこで、売り場の隅っこに陳列されてる豆苗を活用します。サラダにも煮物にも使えます。あわよくば再生して元の量の半分くらい収穫?できます。値段は95~100円で安定。完全な工場生産だから天候に関係なしです。


豆苗と大根のサラダ 材料費80円くらい
ケチらんち

●1分でできるお手軽ランチ
 揚げそばにチンしたカレールーをかけるだけ。少食のオジンならこれでも昼メシにできます。これにミカン一個あれば言うことなし。


材料費約180円
けち 






読書と音楽の愉しみ



●映画「ダンシング ベートーベン」鑑賞

 天才振付師、モーリス・ベジャール(故人)は「春の祭典」や「ボレロ」のほかに、ベートーベンの「第九」も作品にしていた。しかし、曲自体が大曲であり、舞踊も大規模で長時間を要する作品なので公演にはたいへんな準備が要り、コストも高くつく。で、おいそれと実現できない。


映画は、モーリス・ベジャールのグループと東京バレエ団との合同公演を記録したもの。いわば「観る第九」であります。演奏はイスラエル・フィル、指揮はズビン・メータと最高の組み合わせです。第九ファン必見、といいたいが、小さな小屋での短期間の上映なのでほとんどの人は、こんな映画があることを知らない。駄目男もBS放送のCM?でチラ、と見つけてあたふたと出かけた次第。予想通り観客は30人くらいでした。


ベジャールの芸術観をなぞりながら、映像のほとんどはレッスン風景で構成している。完成された本舞台を映すより、このほうが楽しいというか、親しみがもてる。高難度の舞踊を見ては「キミタチ、何の因果でこんなしんどい職業を選んでしまったのか」と低級な感心もする。なんにせよ「白鳥の湖」なんかとは全く違う表現の舞台です。それでは「春の祭典」や「ボレロ」より、この「第九」のほうが芸術的に優れているか、といえば、?・・であります。完成度では二作に勝てないと思う。何より上演時間の長さがダンサーにものすごい負担になる。こんなの、毎日公演したら「ブラック企業」ならぬ「ブラックバレエ団」と陰口されそう。


モーリス 



閑人帳



●今年も傑作に脱帽・・第8回創作漢字コンテスト

 毎年、今年こそは応募するぞと意気込んでるのに、実作ゼロ。はやばやと一年経って受賞作の発表となりました。下の最優秀賞「ティッシュ」には脱帽です。よくぞこんなアイデア浮かんだものだと感心します。作者が13歳とあってはオジンの出る幕ではないかと。しかし、「胸キュン」の作者は70歳ではありませんか。70歳で胸キュンの発想ができる、トシなんか関係ないと思い直す。


応募数1万3584点。入賞は佳作含めて27点だからものすごい競争であります。中学、高校では課外授業で作品をつくらせて応募するところもあるらしい。アタマの体操にはとても優れたアイデアごっこと言えます。なんでもカタカナで書きたがるご時世に漢字一字で丸ごと表現する創作漢字。こんなの日本語だけでせう。


最優秀賞
創作漢字  


最優秀賞
漢字  



優秀賞

漢字  



優秀賞

漢字  



優秀賞

漢字







読書と音楽の愉しみ



●井伏鱒二著「ジョン万次郎漂流記」を読む

 久しぶりに「読み出したら止められない」本に出会いました。止められない理由は内容自体の面白さに加え、文章の上手さゆえです。著者はこの作品を「記録文学」というジャンルで書いたので、勝手な想像によるフィクションに仕立ててはいけない・・ハズですが、読めば「講釈師 見てきたようなウソを言い」場面が多々で、これに惹きつけられてすらすら読んでしまう。しかも、自分で資料探しをしたのではなく、他人に借りた資料をネタにして書いているのだから、さすがプロやなあと感心します。


冒頭、万次郎が仲間とともに土佐の浜から漁にでたところ、大嵐で遭難してしまい、何日も漂流したあげく、絶海の孤島(鳥島)に漂着するまでの描写なんぞ、記録資料には細部まで書かれていないはずなのにすごい現実感があって、まるで著者も一緒に遭難したかのよう。読みながら、ニュースで知った、日本海で嵐に遭った北朝鮮のボロ漁船と乗組員の難儀ぶりを想像してしまいました。ようやく流れ着いた孤島の断崖への着岸のスリルや食料も水もない島での絶望的な日々の描写も「見てきたような・・」名文で読者はやすやすとのせられてしまいます。この文章力が評価されたのか、昭和13年の直木賞を受賞したことも納得です。


それにしても、ジョン万次郎の波瀾万丈の人生はそれこそフィクションとちゃうか、と疑いたくなるくらいです。貧乏で読み書きの素養ゼロの小僧が遭難で九死に一生の体験をしてからは、ハワイに渡り、米国本土に行き、捕鯨船の乗組員として世界一周の航海まで経験する。その間に英語を覚え、捕鯨の技術をマスターし、アメリカ西部ではゴールドラッシュに乗じて砂金堀りをして金を稼ぎ・・日本へ戻ったのは12年後だった。当時、こんな破天荒な体験をした日本人は彼ひとりではないか。


帰国当時の日本はアメリカに開国を迫られて大騒ぎのさなかだった。そこで万次郎の英語が生きる。なにしろ本場仕込みだから並みの通訳よりずっとすぐれものであちこちから引っ張りだことなる。そのうち、身分も上がって最後は江戸幕府直参の旗本に出世するのだからコミックみたいな実話であります。更に、語学力+航海術を買われて「咸臨丸」でアメリカへ向かう使節団の世話役になった。福沢諭吉や勝海舟のお供をしたが、船長たる勝海舟は航海中ずっと船酔いでへろへろだったため、万次郎が実質、船長を勤めた。


本書を読む限り、万次郎が過酷な運命に翻弄されながら、異人にも同胞にも好かれたのは、天性の明るい性格と勉強熱心で、物事に積極的に取り組む姿勢が好まれたためでせう。出自が無学文盲ゆえに色眼鏡(教育・教養)で世間を見ることがなかった。大出世してもおごらず、晩年までもう一度捕鯨の仕事がしたいと地味な願いを抱いていた。明治31年死去。享年72歳。墓は谷中の仏心寺にあるそうだ。(昭和61年 新潮社発行)


この万次郎の生涯、大河ドラマに向いてるのではと、ドラマを一切見ない駄目男が思いついた(笑)。ハズレの少ない幕末ものとして受けそうな気がします。難点は女性が全く出て来ないことか。映画や単発ドラマではすでに作品化されてるとおもうけど、退屈しないこと、請け合いです。

万次郎




犬町・猫町情報


●焼酎「たんこどん」   ~F~
 
以前ボーイスカウト活動でご一緒していたTさんから珍しいお酒、芋焼酎「たんこどん」を頂きました。「たんこどん」とは鹿児島弁で樽、桶職人のことを言います。この焼酎は木樽蒸留機で蒸留された焼酎です。昔は木製でしたが、段々とステンレス製に変更となり今では限られた酒蔵のみが使用しているそうです。
 
Tさんの親戚に当たる「津留辰矢」さんは日本でただ一人の木樽蒸留機をつくる職人「現代の名工」に選ばれています。

現代の名工
http://www.wakashio.com/blog/archives/2012/03/06/134717.html
 
 
さて賞味は、ロックとお湯割りで頂きました。杉の香りが仄かにします。また芋か樽の経年変化のによるものか独特(昔の芋酎)の香りも。樽は約5年位で交換するそうで、交換初期と後期では香りがかなり変化すると思うのですが、これが蒸留されたのはどの時期だろうな。味の方は非常にまろやか、ロックがあいました。


藤井 焼酎案内


たなかよしゆきさんの古道紀行 プラン案内


●ササユリの会 2018年前期の予定表

主宰はたなかよしゆきさんです。お問い合わせは
電話・ファクス 0745-79-6452
ケータイ 090-3485-6452 へお願いします。
(注)文字が小さいので拡大してご覧下さい。

ササユリの会 2018前期 



大阪日暮綴



●大阪市「総合区案」説明会に行った

 2年前、大阪都構想なる案が住民投票で否決されたあと、この「総合区案」の企画が生まれました。「都構想」ほど劇的な変化をしない、ソフトな改革案と言えます。その内容の説明会が各区で行われていて、紙資料の配付とともに、市の担当者から説明があります。


この案のキモは区の統合です。現在24区あるのを8区にまとめます。この案によると、駄目男の住む住吉区は、住之江区、西成区と一緒になる「第7区」となります。目的は行政の効率アップ、民間企業で言えば生産性の向上です。大正区や此花区は人口が5~6万人で、この先の減少を考えると、独立した区としては維持が難しい。現案では25~35万人くらいの規模にまとめるようです。しかし、数字を動かすだけでは済みません。区長の権限や大阪市本体のありかたなど、課題は多い。そして、この案をどうして決めるか、という肝心のことが未定です。(議会の議決で決めるか、市民の投票で決めるか、という問題)


あと2,3年で、大阪市民はこの「総合区案」か「大阪都構想」のいずれかを選択することになります。課題がたくさんありすぎて個人が結論をだすのはとても難しい。行政のシステムや法律上の課題は知識を積めばある程度理解が進みますが、最後に引っかかるのは「気持ち」の問題かもしれない。大阪都構想を選んだ場合、自分は大阪市民ではなくなる。大阪市民というアイデンティティを失う。他人さまはともかく、自分はコレが引っかかります。トシのせいかもしれません。大阪都〇〇区民でいいのか。(大阪府、大阪市は消滅します)


しかし、東京都はとっくに先例をつくってべつに大きな問題はおきていないではないか。その通りですが、東京市が東京都になるにさいしては市民の意見は全く反映されなかった。戦時中、敗色の濃い1943年に政府の考えで「都」になった。首都ゆえ、容易に支配するために内務省管轄の「政府直営」みたいな都になった。時の権力者が勝手に決めたのであって、大阪の良き先行モデルとはいえない。


住民にとってはとても大事なテーマでありますが、残念ながら関心は低い。先の都構想の説明会はあの橋下さんが熱弁をふるったり、賛否の議論がなされたが、この総合区案はそんな熱気ゼロです。区民センターに集まった人は200人くらい、人口15万人の区にしてはいささか寂しい集いでした。(12月16日 住吉区民センターホールで開催)


現行24区を8区にまとめる案
総合区案 



大阪日暮綴


●電気代3割増加・・懐も寒い日々

 先月、今月と寒い日が多いと感じていますが、気温表を見ると、今月は、最高、最低気温とも平年より低い日が断然多いことがわかります。昨年の今日、12月22日は、大阪で最高気温21度、最低気温14度という、とんでもない暖かい日でした。なのに、今年は毎日、最高、最低気温とも平年より2~4度も低い。きょう通知のあった電気料金を見ると、昨年の同時期より30%も増えていて驚きました。貧乏人いじめの寒波到来です。しかし、電力会社にはウハウハの有り難い寒波、大歓迎でありませう。外出すれば寒い。家にいても懐は寒い。難儀でおます。


 今月の最高、最低気温表(大阪市) 直線は平年値
気温表





犬町・猫町情報



●山の彼方の「森のカフェ ココロ」

 たなかさん企画の忘年会C案を実施。近鉄「関屋駅」に集合して静かな住宅街を抜け、人影なき坂道を上下して到着。二上山の雄岳が間近に見える丘の中腹に「森のカフェ ココロ」があります。駅から40分、歩いてやってくる客は月に一組くらい?・・のロケーションです。


古民家とはいえない、戦後築の住宅を改装したアットホームな雰囲気の店。メインのメニューは月替わりの家庭の味で、地元でとれる食材をたくさん使ってるそう。デザート、コーヒー付きで1300円というのは安いと思います。平日でも予約しないとあぶれるらしいから、地元ではピカイチの人気店でせう。お酒を出さないのは、客は100%クルマで来るからですね。ナットク。


帰り道、急遽「D案」を・・・
 とは言うものの、やっぱし、酒がないと・・で、鶴橋駅で思案。上本町ハイハイタウンの安酒場に仕事中のTさんを呼び出して4人でD案実施。ちょっと一杯のつもりが2時間も費やしてしまいました。


森のカフェ



カフェ 



カフェ 



二上山が間近に見えます
カフェ 







アジア ウオッチング


●サイテーの首脳会談・・韓国メディアの総括

 前回記事で、中韓首脳会談は韓国にとって屈辱的な会談だったと、駄目男の考えも混ぜて書きましたが、韓国内でもボロクソにけなされた。当選以来、支持率60~70%を誇る文大統領ですが、この先どうなるのか。歴代大統領と同じミジメ末路に至る可能性も出てきました。(以下、青色文字が引用文)

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「韓国外交史に残る最悪の首脳会談」 
文大統領“訪中大失敗”で韓国メディアと野党から袋だたき (2017.12.18)

 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の中国訪問について、韓国メディアや野党から「大失敗」と酷評された。滞在日程短縮や「(独り)ぼっち飯」問題など中国の露骨な冷遇に加え、肝心の外交でも成果はゼロ。「成果はなく恥だけ残した」との批判も出た。


 国賓とした招かれたはずの文大統領だが、習近平政権の冷遇は最後まで徹底していた。4泊5日から3泊4日に短縮された滞在中、全10回の食事のうち文氏が中国指導部と同席したのは、習主席との晩餐(ばんさん)会と陳敏爾・重慶市党書記との昼食会だけ。李克強首相との昼食会は拒否された。文政権側は韓流スターの公演や、中韓首脳の相互訪問についても打診したが拒絶された。


 習主席との首脳会談でも、米軍の「THAAD(高高度防衛ミサイル)」配備に対する中国の報復措置を解消するという言質を取ることはできなかった。北朝鮮問題についても「制裁と圧力の強化」への言及はなく、逆に日米韓の連携にくさびを打ち込まれた形だ。共同会見も拒否され、共同声明も見送られた。こうした惨状に、韓国経済新聞は社説で、習主席との会談は「格式・日程・内容のすべてが納得しがたい」と指摘した。


 野党からも批判が噴出した。洪準杓(ホン・ジュンピョ)自由韓国党代表は「皇帝就任式に朝貢外交をしに行ったこと以上でも以下でもない」と批判。国民の党の金東チョル(キム・ドンチョル)院内代表も「THAAD封印も、対北朝鮮制裁の要求も、経済報復の再発防止も失敗した」とし、「成果はなく恥だけ残した。韓国外交史に恥辱として残る最悪の首脳会談だった」とののしった。

引用元 
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/171218/soc1712180006-n1.html?ownedref=not%20set_main_newsListSoc
 



アジア ウオッチング



●中韓首脳会談・・「格下」韓国が味わった屈辱

 先週、Iさんからお借りした、ケント・ギルバート著「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」という本を読んだばかり。中国、韓国に対する嫌悪感丸出しで、けっこう込み入った情報もあるので、もしや本書はゴーストライターが書いたのでは、と疑ったくらいです。帯には「15万部突破」なんて宣伝文句もあるけど、ホンマかな?


そのボロクソ中国と韓国、韓国の文大統領が就任後はじめて国賓として中国を訪問しました。結果は?・・ギルバートせんせが言う通り、儒教に毒された国家どうしの外交は、下位の韓国が宗主の中国にボロ扱いされるという惨憺たる結果に終わりました。文大統領が負った最大級の屈辱、一生、心の傷になるでせう。千年以上前から続く中華思想、事大主義が21世紀の今日でも全く変わっていないことを認めさせられた。


中韓のあいだにはTHAADという喉に刺さった骨のようなトラブルがある。これをネタに中国はこの一年のあいだに露骨な嫌がらせをしてきた。これだけでも韓国政府、国民には大きな負担になっているのに、今回の首脳外交では、中国は韓国に対して「お前は格下や」とキッパリ態度で示した。過去の嫌がらせ+今回の格下扱い。えぐいことしますなあ。


文大統領は国賓として北京を訪問した。しかし、習近平サンは「南京へ出張」して出迎えなかった。ならば、代わりに外相とか閣僚が出迎えるところ、ナントカという「次官補」サンが出迎えた。国賓に対してこれはないでせう。ミエミエの格下扱いです。さらに、普通は儀礼として北京駐在の韓国大使も出迎えるのに、この人も南京へ習近平サンをヨイショするために出張して留守。訪問第一歩から「格下」感満点の中国入りになりました。


儀礼問題だけでなく、肝心の首脳会談もかる~く扱われた。必ずあるはずの両首脳の声明発表と記者会見がなかった。これじゃ何のために訪問したのか、わかりません。さらに、華やかな歓迎晩餐会のようすも報道されなかった。(写真一枚だけ公表という話がある)おまけに、随行する韓国のカメラマンが中国側の警備員に暴行されて血だらけ、というトラブルが起きた。なのに、加害者である中国側は謝罪もしなかった。


まだある。大統領は滞在中に10回の食事をするが、中国政府関係者と会食するのはたったの2回きり。国賓待遇の大統領がわびしく一人メシ・・なんて揶揄するメディアもある。こんなイジワルはすべて中国政府の差配である。文大統領に「格下」を自覚させるためのシナリオだ。とことん、韓国を見下げた対応です。これらの非礼の山に韓国政府は強烈に怒ったか。・・それが、ほぼだんまりでした。嗚呼、情けない。


怒り、嘆いたのは韓国の保守系メディアくらいでせう。かくして、韓国国民には不満と劣等感が貯まる。しかし、中国に逆らう気概はない。で、その鬱積は日本に向かって吐き出される。反日は言いたい放題、やりたい放題です。それを許す日本人も十分にアホでありますが。


2017年 講談社発行
儒教に・・  




犬町・猫町情報



●観光列車で吉野の鮓店「弥助」を訪ねる

 近鉄の「青い交響曲」という観光列車を使ったランチプランはできないかと思案。下市の古い鮓屋に「鮎定食」があると知って出かけました。花も紅葉もなかりけり・・という季節なので、観光列車は気の毒なくらいのガラ空き。定員63名なのに、乗客は20名くらいしかなかった。そもそも、3両編成で63人というのがいけません。満席でも一便の売上げが10万円そこそこ。これじゃ、モト(設備投資)をとるのもたいへんでせう。


しかし、ものは考えようです。この定員の少なさを生かして、たとえば、中小企業の慰安会や趣味の会などで「貸切」運用がしやすい。全車貸切でなくても、一両(30名)貸切もできます。参加者に喜ばれるのでは、と思います。あとは、電車に乗ってどこへ行く?・・このアイデアが要りますけど。


下市町の「つるべ鮓 弥助」は、日本一古い鮓屋では、と噂される老舗。歌舞伎の「義経千本桜 鮓屋」に出るのがこの店です。むろん、芝居の話だから真偽を云々するまでもないが、創業が江戸時代というのは本当かもしれない。歌舞伎でのこの「鮓屋」の場面は、いがみの権太というヤクザが刀で切られて瀕死の重傷を負いながら、これまでの因縁を語るのでありますが、そのセリフの長いこと。まあ15分くらいもかかる独白場面なので、よほど熱演しないとお客さんは白けてしまう。それより、素朴に「血まみれやから、救急車呼んだれや。死ぬで」気分になります。自分が観たのは染五郎だったかもしれないが(不詳)5年前に亡くなった勘三郎さんも、この役をやる前に当店を訪ねているそうです。


義経千本桜 鮓屋の場面
鮓や

観光特急「青い交響曲」の車内
鮓や


「弥助」の昼定食 焼き鮎のあんかけ
鮓や


鮎の押し鮓
鮓や




鮓や 
 




閑人帳



●「朝の詩」二度目の入選

 12月9日「おでん de 忘年会」で紹介したTさん(田代光枝さん)の投稿した詩が選ばれて掲載されました。ともに93歳の夫婦の老々介護のワンシーンをうたったものです。ご主人は今年春に亡くなられたので、懐旧の気持ちも込めた作品です。70年連れ添った夫婦の心情はかりがたいけど、いちばんハピーな場面かも。


asanouata




犬町・猫町情報



●「カンパネラ」最後の忘年会

 この数年間で10回くらい?利用させてもらいましたが、今回が最後の晩餐となりました。そのメニューは・・・

1/瀬戸内産牡蛎と大根
2/和歌山産ほうぼうの煮付け
3/とり天の野菜あんかけ
4/イベリコ豚の小籠包
5/和のデザート・・・でした。


ほうぼうの煮付け
カンパネラ



本町駅から歩いて北新地へ・・暖かい夜でした。
カンパネラ




カンパネラ 


カンパネラ 




DSCN0117.jpg 





閑人帳



●古い「カタカナ新語辞典」

 書物を捨てる作業のなかで、一番捨てにくいのは辞典の類いでせうか。「ど忘れ漢字辞典」なんか、しょっちゅう使うので死ぬまでそばに置いておくかもしれない。ということは、手紙やハガキを手書きすることが多いといえる。未だにアナログ人間であります。(手紙なんか一年に一度も書かないと言う人がいるかもしれない)


「カタカナ新語辞典」というのも持っています。カタカナ言葉ばかり集めたもので、1993年発行。購入したのは96年。もう20年も前の購入だから、当時の新語が今では旧語になっているものもあり、辞典では最も賞味期限の短いものといえます。たとえば「ハイブリッドコンピュータ」訳語は「アナログとデジタルを組み合わせて、速度と精度を高めたコンピュータ」とあります。もう知らなくてよい言葉です。一方「ハイブリッド米」というのもある。訳語は「収穫の増加を狙った米の雑種」現在のハイブリッド米とややニュアンスが違うけど、これは現役の言葉です。車に関するハイブリッドは出てきません。しかし、ソーラーカーやソーラーパネルは記載されています。


この辞典、680頁に約1万5000語が収集してあります。難しい学術用語などは省いた日常語の辞典なのにこれだけある。しかも、その4~5割くらいは既に知っている言葉だから驚きます。日ごろの読み書きや会話で、私たちは5000語以上のカタカナ語を操って会話していることになります。カタカナ語を禁じたら会話は成り立たない。


今は、たいていの言葉はネットでぐぐったら解説が出ます。紙の辞典なんか不要でせう。しかし、オジンは紙をぺらぺらめくるほうが好き。小池百合子はんが選挙のとき言うてた「アウフヘーベン」ってなんやねん?・・で、辞典をめくったら「止揚」やて。日本語もわかりませんがな。 



「学研」のカタカナ語辞典

jitenn 








読書と音楽の愉しみ


●山田ルイ53世著「ヒキコモリ漂流記」を読む

 著者は芸能人らしいけど初耳の人。しょーもないことが原因で、中学生から20歳くらいまではヒキコモリ、すなわち、世間と断絶した生活を送った。その顛末を書いたエッセイですが、文章がよくこなれていて面白い。40歳を迎えて自分の情けない半生をセキララに書いています。本来は恥、屈辱である体験を書いて、出版して名前を売る、少しは収入も得る。こういう世渡りの方法もあるのですね。


著者は、人生の、社会の敗北者であること、過剰なくらい自覚しており、ふつうは陰険な話になるところ、自分をとことんバカ扱いすることでオモロイ本になった。三人兄弟の次男で親はガチガチの公務員。貧乏なのに私立の「六甲学院中学」へ入学した。阪急六甲駅から徒歩で20分かかる坂の上の学校。成績は良かったけど、ある年、夏休みの宿題を100%さぼったことからヒキコモリが始まる。


ヒキコモリにもグレード?があって、自宅から一歩も出ない、パーフェクト型から、たまには外出もするゆるいタイプもあり、著者はゆるいタイプだった。ヒキコモリつつ、自分で金を稼ぐ努力もした。コンビニに勤めたときは賞味期限切れの弁当を店長の許可を得て食べたりした。しかし、二十歳を前にどん底の暮らし、家人からは「出て行け」と矢の催促。


結局、家出して家族とプッツン状態になる。あちこち転々とするうち、ついに東京でホームレス状態に。さすがにこれはイカンと肉体労働して自活を目指し、サイテーのアパートへ入居した。池袋の近くで、四畳半、1万5千円也。東京ではありえないような物件だ。なのに、この家賃が払えない。とうとうサラ金に手を出し、たちまち借金がふくれあがる。最後は「三畳で8千円」という、究極の安アパートに移り、住民の出すゴミ袋をあけて食べ物をさがすというありさまに。この辺の生活を描いた文が一番切実で読み甲斐がある。純粋ホームレスに落ちないための、唯一の支えは一片の自尊心だったのか。ウツに落ちなかったのも幸いした。


本を書いてる時点で、両親には20年会っていないという。それでも寂しくないと思うところが悲しいけど、だからといって絶縁したのでもない。顔を合わせるきっかけが作れないだけかもしれない。結婚して、娘が生まれて、あるとき、妻の機転で?母娘で親に会いに出かけた。親はモロ大喜びだった。もう怨恨はなかった。年に一度会ってケンカするより、20年間疎遠だったほうが良かったのかもしれない。(2015年 マガジンハウス発行)


表紙 





大阪日暮綴



●おでん de 忘年会

 昼間にTさん宅を訪れてささやかな忘年会。自分でおでんをつくることはないから、これの方がありがたいご馳走です。ご飯はかやくご飯でこれも久しぶり。Tさんは詩作やエッセイが趣味で、詩は伊藤桂一氏(故人)が主宰する「花筏」(はないかだ)という会で修業した。その会報を見せてもらって驚いたのは、掲載の全作品に伊藤氏の添削があり、それが自分のようなド素人にも納得できる、優れたアドバイスであることだった。Tさんの作品にもいろいろアドバイスがあるけど、伊藤センセの指示に従ったほうが良くなること、理解できた。


こんな親身なアドバイスは、会員が15人限定だからできる。30人とか50人という大所帯では目が行き届かない。15人限定の運営ははた目にも正しいように思えた。これは文芸趣味に限らずに言えることかもしれない。会員の人数に比例してメンバーのクオリティは落ちやすい。
伊藤氏は昨年秋、99歳で亡くなられた。認知症を患うこともなく、亡くなる直前まで会の世話をされたそうだからすごい生命力であります。氏の作品を読んだことがないので、お正月にでも読んでみませう。


 伊藤 桂一(いとう・けいいち=作家、詩人)10月29日、老衰のため死去、99歳。連絡先は新学社総務部。お別れの会は12月6日午後2時から大津市馬場1の5の12の義仲寺。喪主は妻、千代美さん。
 三重県生まれ。1938年に陸軍に入り、中国大陸を転戦した。戦後、自らの戦場体験を書いた「蛍の河」で62年に直木賞。「静かなノモンハン」で84年に芸術選奨文部大臣賞と吉川英治文学賞。85年紫綬褒章。2001年日本芸術院会員。日本現代詩人会の会長も務めた。


二日煮込んだTさんのおでん
田代おでん

 




閑人帳



●ネーミングは難しい
   ~大東亜戦争と太平洋戦争~

 76年前の今日、12月8日は真珠湾攻撃、即ち、戦争のはじまった日です。しかし、この戦争の名前がきっちり決まっていないらしい。そういえば、天皇陛下が戦没者慰霊の祭事などで語られるときは「先の戦争で亡くなられた・・」で、名前を言われないのではないかと、勝手に勘ぐっている。(自分の思い違いかもしれない)


「大東亜戦争」なのか「太平洋戦争」なのか。たいていの人は太平洋戦争という認識ではないか。しかし、この名称は戦争が終わってからGHQが「これにしなさい」と指示されたから普及した。オリジナルは「大東亜戦争」という名称で、真珠湾での開戦直後に閣議で決定した。実は、この名前を推奨したのは陸軍で、海軍は太平洋戦争という名前を推した。陸軍と海軍の戦争に対するイメージの違いが良く現れており、選択は難しいが、大東亜戦争で落着し、以後、敗戦まで使われた。


米軍が主体のGHQにすれば、太平洋の東と西の国が戦争したのだから太平洋戦争という名前の方がずっと分かりやすい。その上、日本の海軍も推薦した名称だから、すんなり決めることができた。のみならず、被占領国、日本にこの名前の使用を強制した。もし、当時の新聞で「大東亜」を使った社があれば「とり潰し」になったかもしれない。


かくして、日本人は「太平洋戦争」の名前を刷り込まれて、あの戦争は日本と米国の戦争だったと思い込み、東南アジアやソ連もエリアだったことに大方、関心を持たなくなった。ネーミングだけで戦争に対する概念が変わるlこともある。この戦争が契機になって、アジアのほとんどの国が欧米列強国による植民地支配から解放された・・ことには何ほどの関心もない。


大東亜戦争も太平洋戦争も、イマイチ、しっくりこない名前である。そこで、これでどないや、と「アジア太平洋戦争」というネーミングも生まれた。しかし、これもなんだかなあ・・であります。国家の存亡に関わる歴史的大事件なのに、キッパリとつけた名前がない。100年あとになっても。天皇陛下は「先の戦争で多くの国民が・・」と述べられるのだろうか。京都人がいう「先の戦争」は応仁の乱のことらしいけど、これにならって「昭和の乱」ちゅうのはいかがでせうか。


閑人帳



●そうだったのか・・年賀はがき料金

 数年前に年賀状ヤメマス宣言して、やりとりの枚数はガタリと減った。しかし、親戚だけには「無事生存」のお知らせを兼ねて出しています。 今年の夏にハガキは52円から62円に値上げされたので、年賀はがきも62円かと思っていたら、52円で据え置きでした。一般はがきより配達効率が良いから旧料金でサービスするとのこと。納得です。


但し、条件があって、12月15日から翌年1月7日の期間に投函したものに限りますと。私製はがきをつくって、あわてて12月15日までに投函すると62円切手が必要です。100枚出したら1000円も損します。返礼をぐずって1月8日~に出すときも62円必要です。昔は「松の内」なる概念があって、1月15日までは「正月気分」でしたが、だんだん気ぜわしくなり、年賀気分は7日で終了となりました。


「お年玉賞品」を疑ってみる
 JPは民営化されたら少しはビジネスセンスが良くなるかな、と思っていたけど、相変わらず野暮のままです。年賀状に関わる「お年玉賞品」企画もお役所時代と同じ田舎もんのセンスを踏襲している。ユーザーの方を向いていない。お年玉賞品の一等は12万円相当のギフトか現金10万円。この金額で確率が100万本に一本、抽選番号の下6桁が合致して当選です。この6桁の番号を照合する人、どれくらいいるでせうか。千人に一人もいないでせう。ということは当選本数2599本のほとんどが死蔵になります。金額にして約2億5千万円。本来、ユーザーに還付するべき金がカイシャの金庫に残ったままになる。悪意を感じるのは駄目男だけでせうか。もともと払う気がない、と勘ぐられても仕方ない。


本当にサービス精神があるのなら、一等、二等を廃止し、三等の切手シートの額面を500円にアップし(現在は144円)当選確率は百分の一(下二桁の数字合致)にする。これなら番号照合は楽ちんで、アタリの楽しみも大きい。賞品で切手をゲットすることで、ハガキや手紙を書く人が増える可能性があります。幻の一等賞よりずっと有意義でせう。

参考情報
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201712/0010793364.shtml



年賀状 



年賀状の枚数は年々、大巾に減っている

年賀状







読書と音楽の愉しみ



●前野ウルド浩太郎著
「バッタを倒しにアフリカへ」を読む

 虫の研究をする人には個性的な人=変人が多いけど、この著者、前野氏もそう。子供の頃からバッタが好きで、夢は「バッタに食べられちゃう」ことだった。神戸大学大学院を出てもバッタ研究の夢は覚めず、しかし、それではメシが食えないことも分かっているから、なかなかしんどい。ムシか、メシか、悩みつつ、メシの獲得にも必死のパッチで努力して、なんとかムシでメシを食う算段が出来た。その奮闘記であります。


書名から察すると、著者が勇躍アフリカへ出かけて、寄せ来るバッタの大群をバッタバッタと退治する話かと思うけど、それはいろいろワケありで一部しか語られない。話の大半は地味な予備調査やメシをくうための、要するに就職活動の苦労話に費やされる。


しかし、こちらの興味は「恐ろしいバッタの襲撃」にあるので、テキトーに調べてみた。 一番被害が大きいのは本書でも主役の「サバクトビバッタ」で、アフリカではこれに襲撃されて国家的飢饉に陥ったことが何度もある。人間の食料を全部バッタが食い尽くしてしまう。2003~2005年の大発生では農作物の被害が25億ドル(2800億円)に達した。被害の歴史は古く、聖書にも記載がある。(被害を「神の罰」というらしい)


なにしろ、大群が襲来すると空が暗くなるくらいだ。資料によると、1平方キロ当たり、4000万~8000万匹という密度になる。(地面から百m以上の上空に群れる)一日で100キロくらい移動し、通過した後は一木一草も残らない。発生、移動地域も広く、アフリカや中東の砂漠地の大半で被害が起きる。


この科学の進歩した時代、画期的な駆除方法があるのではと想像するけど、残念ながら「殺虫剤」しかないらしい。これでは大発生してからでは到底太刀打ちできないので、発生の初期に退治する必要がある。本書の著者はモーリタニアの砂漠にある研究施設に単身乗り込んで研究するのですが、肝心のバッタが見つからなくて大弱りという苦い経験もする。いつ、どこで発生するか、予想するのは難しい。 しかし、殺虫剤をポンプで散布という方法しかないというのは心許ない。前野さん、バッタ大好きなのにバッタの退治を目指すのは矛盾しているが、画期的技術の開発でアフリカ諸国に貢献して下され。草場の影で祈っておりますぞ。(2017年5月 光文社発行)


こんな状態になる前に退治しなければならない。
バッタ


食べて敵討ち? バッタの素揚げ
バッタ


バッタ 






ウオーキング・観光



●紅葉見納め・・万博「日本庭園」

 曇天で人出もまばらな日本庭園を数年ぶり?に訪ねました。紅葉はほぼ散って「ドウダンツツジ」の真紅だけが目だっています。はす池わきの休憩所で差し入れの「風の森」を頂きながらのランチ。この酒、シャンパン並みに炭酸ガスが濃厚で、開栓時はスポコ~ンと、栓が10mくらい飛びました。日本酒では珍しい。純米吟醸ICBMってか。



万博




万博 




万博公園 







犬町・猫町情報


My favorite song 「アランフェス協奏曲」 ~ F~
 
ベニー・グッドマンの「Memories of You」、鈴木章治さんの「鈴懸の径」。優しく甘たれる様なクラリネットの音色に魅かれ、高校入学と共に吹奏楽部に入部しました。部所有のクラリネットは前述の様な音色が出るわけが有りません。しかも在庫2本、先輩が優先して使用すると新入りには中々回ってきません。 やむなく退部し楽な音楽鑑賞部に入部しました。ここではセミクラシックを主体に鑑賞しますが、時たまジャズとアメリカンポップスもプログラムに上ります。何せここには米軍岩国基地(海兵隊)が有ります。

 
当時印象に残ったのは「茶色い小瓶」「Sing Sing Sing」。クラシックではホアキン・ロドリーゴ作曲「アランフェス協奏曲」でした。軽快な第1楽章はスペインの情熱と青空を連想し、第2楽章はオーボエからギターへと哀愁たっぷりに聴かしてくれます。第3楽章は元気溌剌、スペインの平和を願って作られたそうです。 感化されやすい私早速ギターを入手し練習です。当時ベンチャーズ全盛でもあり皆の憧れはエレキギターでしたが、私はアコースティックギターを選びました。教則本(楽譜)も揃え自己練習に励んだのですが、人前で披露するには後100年掛かりそうと納得。


無理な演奏は諦めその後はリスニング専門となりました。限られた視聴からの感想を述べます。ナルシソ・イエペス盤が最初ですから、これを基本として比較しますとパコ・デ・ルシアは歯切れ良く「星のフラメンコ」を連想します。山下和仁さん村治佳織さんは没個性的なのかな。ジョン・ウィリアムズは真面目さと知性を感じます。 又、この曲は他のジャンルで沢山取り上げられています。ポール・モーリア、レイモンド・ルフェーブルのストリングス主体の演奏、ジャズではマイルス・デイビス、MJQ、ジム・ホール等々、サラ・ブライトマンの優雅な声 スウィングル・シンガーズも有りましたっけ 平原綾香さんはドスの利いた声ですね。


さて、私にとってのベストは2点。クラシックは「ナルシソ・イエペスアルヘンタ指揮スペイン国立管弦楽団盤」、10弦ギターのテクニックは大したものです。 ジャズは「ジム・ホール盤」豪華メンバーによる演奏でノリノリにしてくれます。中でもポール・デスモンドのアルトサックスにシビレルます!。
 
 
ナルシソ・イエペス盤 第2楽章
https://www.youtube.com/watch?v=RxwceLlaODM
 
 
ジム・ホール盤
https://www.youtube.com/watch?v=rS53nSmf_Ck


ナルシソ・イエペス
イエパス


ジム・ホール
ジム・ホール 




大阪日暮綴



●たなかさん JR環状線駅記念スタンプ 全駅収集

 たなかさんがJR鶴橋駅で見つけた記念スタンプが魅力的なデザインだったので、もしや他の駅にも?と興味をもち、このほど全19駅のスタンプラリーを完遂しました。そのコピーが下の写真です。こうして眺めるとなかなか見応えのあるコレクションです。今回、全駅を巡って、環状線には「今宮駅」という駅もあったのかと、オマケの大発見!?(笑)もありました。(現在の高架駅が開業して20年くらいになります)


このコレクション、各駅で降りてペタンとスタンプ押すだけやろ、とイージーに考えますが、たなかさんによると、けっこうモタつくそうです。スタンプ台の置き場所が駅によてまちまちで、中には改札外の駅もあるから電車チンがかさみます。利用度が低い駅は駅員にたのんで持ってきてもらうことに、とプチ苦労する。うっかり快速電車に乗ったら目的の駅は通過駅だった、なんてドジもあります。そのぶん、達成感が味わえますけど。


せっかくデザインを統一してまでアピールしているのだから、JRはもう少し宣伝をして利用者を増やす努力をしてほしい。子供には社会勉強になるし、老人には外出の良い機会になります。環状線一周ウオーキングよりきっぷの売上げは伸びると思いますよ。駅近くの飲食店が「スタンプ提示のお客さんは100円引き」なんてサービスをすれば、常連以外の新しい客が来るかもしれない。(この場合、スタンプは改札内に置くことが条件になる)どないです? 


ところで、大阪府市民で環状線の全駅で乗降した経験のある人、どれくらいいるでせうか。2割あるかどうか、と推定します。


鉄道ファンならずとも、良い思い出になります。
スタンプ



スタンプ