●勝谷誠彦著「獺祭」~天翔ける日の本の酒~ を読む
日本酒の好きな人なら必読の書。山口県の二流メーカー「旭酒造」の波瀾万丈のサクセスストーリーと日本酒業界の裏事情を知るに最適の資料でもあります。「文春」記者を辞め、テレビ業界からも追放?された勝谷氏が糊口を凌ぐためにはじめた文筆業の成果でもある読み物です。
遠回し、あいまいな表現を嫌う著者のこと、ここまで書いて委員会?と本人も気にしながら、しかし、書いてしまいましてん、という感じで、書かれて傷ついた関係者もかなりおられると想像します。 勝谷氏は、売れ行き不振で倒産、廃業が迫るころから旭酒造の桜井社長の人柄に共感し、ライターという立場で20年近く付き合った。そして「獺祭」の企画、生産、販売を学びつつ、これは日本酒製造に革命を起こしたブランドであると確信する。実際、地酒蔵元の多くは獺祭を見習って旧来の生産方式を見直し、高品質の酒をつくれるようになった。
「獺祭」が起こした革命とは・・・
◆酒の生産は杜氏が仕切るという伝統を廃止した。
蔵元(オーナー)が自ら杜氏の役目を担う。
◆酒を絞るに袋を使わず、遠心分離器を採用した。
◆カンと経験ばかりを頼りにせず、データ(数値)をベースにする。
◆冬場中心の生産を年間生産(四季醸造)可能にした。
◆大吟醸しかつくらない。
◆卸業者を介せず、小売店、消費者に直販する。
お酒に関心のない人が読めば地味な情報に思えますが、灘や伏見の大手メーカーではない、地方の蔵元にすれば大革命であります。箇条書きにすればカンタンに思えてしまうけど、それぞれのテーマを実現するために大変な苦労を経験させられた。山ほどの借金をかかえてしまった。それでも前進あるのみと、常にプラス思考でイバラの道をかき分けた。
勝手な想像をいえば、あと10年くらいで酒造りは杜氏と蔵人が行うという常識がなくなってしまうのではないか。旭酒造では社長と社員が酒造りのフルコースを担い、杜氏はいない。それで「獺祭」のような高品質な酒をつくっている。獺祭の最高級品は4合瓶で3万2400円もするが、品質は杜氏がつくったものではなく、社長の企画、社員の製造になる酒である。 旭酒造では海外への輸出に力を入れていて、すでに売上げの一割を占めている。ニューヨークとパリにアンテナショップをつくり、欧米人の感性に合う酒の研究を続けている。こんな時勢に、杜氏の感性や経験で欧米人の味覚を探るのは難しい。
さて、数日前のニュースで、勝谷氏が兵庫県知事選挙に出馬すると伝えていた。現職、井戸氏の五選を阻んで兵庫に新風をという意気込みでありますが、今でも無頼派のイメージが強いから楽観はできない。それは本人も承知なので、記者会見では苦心の変装?でソフトなおじさんをアピールしている。当選したら、言うことまでソフトになる?・・ならないでモメそうな気がします。(2014年 西日本出版社発行)
旭酒造のHP
https://www.asahishuzo.ne.jp/index.php
「獺祭(だっさい)」命名の由来
https://www.asahishuzo.ne.jp/dassai/origin.html
●中野信子著「サイコパス」を読む
世に住まう人の100人に一人がサイコパスである、と著者は言う。ならば、日本には約120万人のサイコパスがいることになる。もしや、自分も?・・と不安になる人もいるはずだ。自分がそうではなくても、確率からいえば、私たちは生涯で何人かのサイコパスに出会う、付き合う可能性は高い。彼ら、彼女らに振り回されないためにもサイコパスに関する知識を仕入れておいた方が良いと思う。
最近、世間を騒がせている「時の人」にもサイコパスを疑われる人物はたくさんいる。千葉でベトナム人の女児を殺したと疑われている容疑者がサイコパスの見本。相模原の障害者施設で19人を殺害した男や金持ちの老人を次々と誘惑し、青酸カリで殺した「後妻業」おばさん、趣味で人を殺した、元名大女学生・・。このブログで裁判記録を紹介した、池田小学校事件の犯人、宅間守。彼らに共通しているのは、良心の呵責なしに人を殺せることです。
こんな極悪人が100人に一人の割合でいたら恐ろしくて生きておれない。実はもっとゆるい、ソフトなサイコパスもいる。快活で話し上手、物事に積極的に取り組むといった誰にも好まれるタイプに見える人が実は・・という例がたくさんある。よって、サイコパスイコール犯罪者、犯罪予備者という見方は間違っている。有名人、実力者と評価されている人にもサイコパスはいるから人の判断は難しい。
サイコパスの訳語は精神病質者であるけど、これじゃ漠然として分からない。具体的にはどんな人物なのか。本書によれば「良心を持たない人」である。無茶きつい言い方だけど、著者個人の認識ではなく、一般的な概念になっている。
サイコパスの特徴(犯罪心理学者のロバート・D・ヘアの定義)
◆良心が異常に欠如している
◆他者に冷淡で共感しない
◆慢性的に平然と嘘をつく
◆行動に対する責任が全く取れない
◆罪悪感が皆無
◆自尊心が過大で自己中心的
◆口が達者で表面は魅力的
自分がこの定義に合致するか、又は、身辺にこのような人物がいるか。考えてみる価値はあります。このような人格の持ち主であっても、世間では有能な人物と評価され、あるいは普通に人気者だったりする。
本書の巻末には「サイコパスの多い職業 トップ10」が載っている。
1位・・企業の経営責任者
2位・・弁護士
3位・・報道関係者
4位・・セールスマン
5位・・外科医
6位・・ジャーナリスト
7位・・警察官
8位・・聖職者
9位・・シェフ
10位・公務員
聖職者がランクインというのはビックリですが、著者は具体例としてマザー・テレサを挙げている。弱者の味方という立場を生涯貫いた立派な修道女に裏の顔があると。1位・経営責任者にしてサイコパスといえばまずブラック企業の経営者を想定するが、その通りであります。社員が過労自殺しても平然としておれるのはサイコパスならではの態度である。外食産業の雄だった「W」の社長など、ピッタリ当てはまる。遺族の悲しみに寄り添い、反省するなどありえない。(マスコミ向けの謝罪は芝居である)
上記の職業を見てイメージできることは、仕事や私生活で大きな失敗をしたとき、素直に謝罪したがらない人たちであること。自分のミスを認めず、他人のせいにしてピンチを逃れようとする。これは当事者個々の性格によるものではなく、基本的に「道徳や倫理を学習できない」サイコパス特有の気質によるものだ。逆に、サイコパスの少ない職業は、看護士、内科医、教師、技術者(職人)、アーティストなどがある。
サイコパスには、有能で好感の持てる人もたくさんいる、ということを認識した上で、なお難儀なことがある。
その1・・サイコパスは遺伝する。
その2・・サイコパスは治療できない。
その3・・サイコパスはADHDと相関性がある。
本書では脳科学の面からも多様な研究が進んでることを記してあるが、この3点を解決するのは難しいようだ。生まれつき「良心を持たない」人がいるなんて信じたくないけど、一定の比率で「反社会的人間」が存在することは知っておかなければならない。
日本人の代表的サイコパスは誰か。織田信長であります。学者も一般人も異論はないでせう。彼のサイコパスぶりに翻弄されたのが明智光秀ではないかと思います。(2016年 文藝春秋発行)
●絵と写真で見る「大阪大空襲」
大阪城公園の南端、中央大通り沿いに「ピース大阪」という施設があります。大阪の戦時中の空襲の記録や市民の暮らしぶりを展示する施設です。現物資料は少なくて、写真や市民が描いた絵画が中心です。 戦前生まれの人(昭和15年までに生まれた人)が見たらライブ感はなかなかのもので、気が滅入ってしまいますが、戦後生まれの人が見れば単なる紙情報として見るだけなので「こんなもんか」という感覚で見ることができます。
たくさんの写真を見たら、当時6歳だった駄目男の記憶がよりリアルに再現できるのではという期待があったのですが、自分の記憶と展示写真の合致する場面は、四天王寺の五重の塔が炎上、倒壊する場面(当時は四天王寺の南300mくらいのところに住んでいた)と市内中心部(今の中央区)にB29爆撃機が墜落した現場へ見物にでかけたことの二つくらいしかない。
昭和20年は、3月から8月までに計8回の大規模空襲があり、大阪市や堺市、尼崎市などが灰燼に帰した。(大規模空襲とは一回に100機以上の爆撃機、戦闘機による攻撃があることを指す)
ピース大阪の案内
http://www.peace-osaka.or.jp/
四天王寺五重塔 歴史上、実に八回目の炎上、倒壊。(七回目は室戸台風による倒壊)この場面で写真を撮っていた人がいたことに感心。
「火の雨」と称された焼夷弾の軌跡。
本町交差点から南方を見る
●細川貂々著「ツレがうつになりまして」を読む
名前「貂々」はてんてんと読みます。テンはイタチ科の動物。この方の旦那さん(ツレ)がうつを患い、なんとかフツーの暮らしに戻るまで一年半の闘病生活をマンガで描いた。この表現のユニークさが受けたのか、25刷を重ねる人気本になった。病気が治ったうえに大きな臨時収入、こんなハピーなこともあるのですね。
ツレがうつになったのは会社(中小企業)が傾き、リストラでは生き残ったものの、辞めた社員の仕事もこなさねばならず、それが続いて過労~うつ~出社拒否という、よくあるパターンです。まずかったのは、テンさんが夫にやさしく寄り添うという付き合い方ができず、突き放した態度を続けたためにツレはたちまちどん底に落ち込み、自殺願望を起こしてしまう。家庭における修羅場到来でありますが、そこは漫画家、陰険な場面でも笑いをとることを忘れず、よって、読者は「えらい薄情なヨメはんやなあ」とニヤニヤしながら読みすすめるのであります。ツレは食事も拒否して、頭からふとんかぶってシクシク泣く日々。
しかし、投薬が効いて少しずつ症状が改善される。もっとも、揺り戻しもあって、突然、落ち込んで「死にたい」と言ったりする。これを繰り返して一年半後、ほぼ正常に戻った。このケースで一番の救いは、ツレが失業してたちまち経済ピンチに・・ではなかったこと。ヨメさんの収入でなんとか持ちこたえられた。少々薄情でも有り難いヨメさんです。
うつを患ったことは不幸な体験ですが、ツレさんは以前のような頑固でわがまま、完全主義(神経質)という性格が変化して、人当たりがやわらかくなった、とテンさんが述べています。災い転じて福となす・・うつを患う人がみんなこんなハッピーエンドにはならないでせうが、今は「うつは治る」時代だという認識を前提に対処できる。このマンガもウツのイロハを学ぶには有益な「読むクスリ」の役目を果たしています。(2006年 幻冬舎発行)
●Jアラート・・試しに聴いてみる
朝鮮有事という言葉がメディアで使われるようになりました。朝鮮半島で戦争が起きるかもしれない。起きたら日本はどうなるのか。少しは心配する人がでてきました。政府も不安を煽るだけでは混乱を招くし、知らん顔するのも無責任すぎる。なかなか対応が難しい。
大地震などの自然災害と戦争状態勃発という国家的大ピンチが起きると政府が判断した場合、Jアラートという緊急通報が全国に発せられます。その方法の一つがサイレンです。戦前生まれの人間には、サイレン=空襲警報のイメージがバッチリ刷り込まれていて不快感は満点です。空襲警報~B29の爆音~爆弾、焼夷弾攻撃~街は火の海、このパターンを何度も経験させられ、脳みそにこびりついている。
しかし、戦後生まれの人はこんな経験がないのだから、単なる警報音にしか聞こえない。それだけでもシアワセですね。いったい、どんな音なのか、試しに聴くことができます。
試し聴きはこちら・・・
http://www.kokuminhogo.go.jp/arekore/shudan.html#siren
Jアラートの説明はこちら・・・
http://www.kokuminhogo.go.jp/shiryou/nkjalert.html
北朝鮮から日本を狙ったミサイルが発射された場合、発射確認~警報発令まで10分くらいかかるので、着弾までの避難時間は5~10しかない。迎撃ミサイルがあるじゃないかって? まあ、アテにできませんね。自分の頭上に落ちないことを願うのみです。
●「通り抜け」最終日
森ノ宮の図書館へ行くまえに「通り抜け」 へ寄り道。17日が最終日で月曜日。天気予報は雨・・なら空いてるはずという予想はしっかり外れて大賑わいでした。賑わいの原因は3~4割を占める外国人観光客。彼らに「月曜日」って関係ナシなのでした。大川端の屋台が大半営業していたのも外国人目当てでせう。
外国人にとっては、大川端の咲き残りのソメイヨシノと通り抜けの八重桜系、両方の桜が見物できて大満足だったと思います。通り抜けの桜並木は、日本中でここでしか見られない風景で、エレガントだけではない桜の姿に驚きの声を挙げてる人もたくさんいました。
枝の位置が低いので記念写真が撮りやすいのも人気のモト。
●赤に負けそう・・甲子園球場 阪神:広島戦
15日午後、TVをオンしたら内野レフトスタンドが真っ赤に染まってる風景が映ってビックリ。甲子園では対戦相手側のスタンドもほぼ黄色に染まるという常識が覆っていました。恐るべしカープ人気! よく見ると、スコアボード寄りのレフトスタンドは黄色と赤が入り交じっていますが、虎ファンはさぞかし居心地が悪かったでせう。声援のボリュウムでも互角です。広島のマツダスタジアムで阪神:広島戦をやったら、阪神ファンのシェアは1~2割なので、カープファンのすごい情熱に虎ファンもたじたじです。
カープファンの多くは地元から駆けつけたのか、それとも阪神間在住の広島人が押し寄せたのか、興味がありますね。15日はデーゲームだから、広島から日帰りでの応援も楽ちん、ニンマリしたのはJRでせう。甲子園球場には駐車場がないというのもJRの売上げアップに貢献しています。広島~新大阪の料金は通常料金なら片道約1万円(往復2万円)。もし広島から1万人が応援に来たら乗車券だけで2億円の売上げ。5千人としても、一日で1億円の増収です。看板の阪神:巨人戦では、JR西の売上げ増はまったく無いのに、阪神:広島戦はドル箱試合といえます。15日の試合は7対1で阪神のボロ負け、16日は2対1で勝利。
●井上理津子著「大阪 下町酒場列伝」を読む
ひと昔前「大阪人」というローカル雑誌があった。そこに連載されていた酒場紹介記事をまとめて文庫本にしたもの。井上理津子の著作は「最後の色街 飛田」を読んだことがあり、とても読みやすく、下町の人情物語を描くのが上手いので気に入っている。
大阪市内全部で29軒の居酒屋が紹介されているが、取材は2001~2003年。ということは、現在まで十数年たっていて、店主が亡くなっていたり、廃業した店もある。自分が行ったのは29軒中、わずか4軒だけど、今も生存しているかどうか確かめていない。
せめてもう一軒は訪ねて見ようと「背割堤」へ行った帰途に大正区の「クラスノ」へ。JR環状線大正橋駅北側の路地にある、間口2間の小さい店。入り口寄りのカウンター席に座ると目上に賞状が2枚。古ぼけた方は平成元年、海部首相から授けられたもので、厳しいシベリア抑留の労苦をねぎらったもの。もう一枚は百歳を祝う安倍首相からの賞状。下町の酒場に首相から贈られた賞状が2枚もあるのは珍しい。
店名の「クラスノ」はソ連(当時)の中央部にある街の名前、クラスノヤルスクのことで、ここで長く辛い抑留生活を送った。忘れてしまいたい恨みの街なのに、逆に再出発人生の原点と考えたらしい。店主、松原さんは今年百一才を迎え、さすがに衰えて老人施設で暮らしておられる。ちなみに、この本の取材で著者が訪ねたときは84才で、元気ハツラツ爺さんだった。店は、息子さん、お孫さんに引き継がれて、メニューも先代のものを引き継いでいる感じだけど、不詳。
評判の良い「だし巻き」と「きずし」「いか天ぷら」と焼酎を注文したが、きずしの酢が甘すぎるのが残念。敷居の低さは文句なしなので、一人で出かけてもすぐなじめます。(2004年 筑摩書房発行)
●和田竜著「村上海賊の娘」を読む
上下巻合わせて1000頁、上巻は友人から頂戴し、下巻は図書館で借りて読む。瀬戸内海に実在した村上海賊が毛利家の要請で大阪の石山本願寺へ10万俵の米を届ける。しかし、織田信長はこれを阻止せんと泉州の海賊、眞鍋一族などを使って合戦となった。その顛末を描いた時代劇、歴史教科書で学ぶ「石山合戦」の一部であります。
上巻の半分程まで読み進んだとき、この作品はコミックで読んだほうがいいのでは?と思いつく。(コミック版もある)結局は最後まで活字を読んだのでありますが、話のくどいのにはウンザリしましたね。アクションものなのに人事の解説が続いてなかなか前へ進まない。著者は大量の歴史資料を読み込んでいるので、そのウンチクのあれこれを披露したくて、つい過剰な説明をしてしまう。で、話が進まないのであります。
なのに、本願寺や近辺の砦、要するに合戦の地理的な説明があいまいで戦場としてのロケーションが描けていない。木津川海戦といいながら、どんな風景なのかかいもく分からない。地理ファンとしては不満が募るのであります。著者が16世紀の大阪の地理、地形の概念をもてなかったからでせう。文献資料だけではリアルな風景は想像しにくいのです。
下巻最後のヒロイン(村上海賊の娘)とヒーロー(泉州海賊のリーダー)との一騎打ちなんか延々と何十頁も続いて「ええ加減にせんかい」と読み飛ばしたくなります。劇画を文字にしてるだけで文学的なネウチなんかありません。しかし、コミックファンがこれを読めば「文学作品を読んだ」と思うかもしれない。
泉州海賊の出番では泉州弁の会話が誇張されて書かれ、面白いけど、どうして著者は泉州弁を学んだのでせう。大阪生まれだけど赤ちゃんのときに広島へ引っ越してるからネイティブな泉州弁は身についてないはず。身分差があっても敬語を使わないというような感覚で泉州人のキャラクターづくりをしている。各地から兵士が集まるのだから、全部標準語で会話させたら退屈する・・そんな意図があったのかもしれません。(2013年 新潮社発行)
背割堤に「さくら であい館」オープン
年々人気の高まる「背割堤の桜並木」に展望台が完成、さらに知名度が高まりました。展望台は花見シーズン以外でも利用できますので、八幡市の新しい観光スポットになります。(花見期間以外は無料) 数年ぶりに訪れて驚いたのは、バーベキューを禁止したらゴミが見事に消えたこと、土手や草広場では、探さなければ見つからないほどクリーンな風景になっています。バーベキューファンがいかにマナーが悪かったかを再認識させられます。もうゴミ収集車の出番はありません。
人混みの嫌いな人には、花見以外の季節に訪ねることをおすすめします。「であい館」ができて、ふだんの人出も多少増えますが、のんびり散歩するには最高に快適な環境です。八幡市駅から徒歩15分。
●おすすめ・・タオルのサイズを半分にする
浴用タオル(フェイスタオル)のサイズは、80×35センチ位が標準です。これを半分(80×18センチ)にすると結構使いやすい。バスタオルを使わない人は、身体を洗うタオルと拭くタオル、おなじものを使っていますが、洗うだけならもっと小さくてもよい。洗う、拭く、を別々にすれば、濡れたタオルで身体を拭く不快感がなくなります。(厚地のフェイスタオルをバスタオル代わりに使う)
プチ・ケチ研究の成果としては・・・
□石鹸(ソープ)が節約できる。
□すすぎの湯水が節約できる。
□手絞りするのがラク(高齢者や子供はとくに)
□洗濯機、乾燥機の負荷が小さくなる。
□天日干しでもスペースが半分に節約できる。
□収納スペースが小さくて済む。
・・といったケチができます。
同じ生地厚で、フルサイズ、ハーフサイズを交互に使うと、フルサイズの「無駄感」が実感できます。とくに、すすぎや手絞りするときに違いがハッキリ分かります。・・で、ハーフサイズを愛用中です。(注)ハサミで切ったあとは糸でまとっておきます。
使いやすいハーフサイズ
●忖度と斟酌・・の違いは?
最近、にわかにメディアでの登場が増えた「忖度」という言葉。意味は概ね理解しているけど、これに似た「斟酌」という言葉もある。どこが違うのか、確かめてみました。
■忖度(そんたく)とは・・・他人のこころを推し量ること。
■斟酌(しんしゃく)とは・・・相手の事情や心情をくみとること、また、くみ取って手加減すること、であります。
忖度より斟酌のほうが、他人(相手)の立場、事情を深く考える場合に使うと理解すればよいでせうか。この言葉に該当する英語が見つからないので、日本語独自の心理表現かもしれない。日常の会話ではあまり使わないけど、人間関係を考える場面ではけっこう「忖度」「斟酌」しているはずです。「空気の読めないヤツ」って、これが苦手な人のことを指すのでせう。
参考情報
http://whatimi.blog135.fc2.com/blog-entry-711.html
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114717086
●紙の写真はなくなるのか?
「カメラのキタムラ」が店舗数を大巾に減らすとか、街のDPE店にとっては厳しい状況になっています。今はコンビニでもプリントができるので、お店の存在感は薄れるばかりです。この先、紙の写真は絶滅危惧メディアになるのだろうか。いや、なくならない、と言うのが願望を込めた駄目男の考えです。ま、アナログ人間の未練かもしれませんが。
50年、100年、という長期間で保存、継承し、かつ、いつでも誰でも簡単に見る事ができるのは、今のところ、紙の写真しかない。親から子、子から孫へと伝えたい写真(記録)が紙以外のメディアでは、保存と再生においてリスクが多くて信頼性が乏しい。今のCDやDVDが100年後に誰でも簡単に再生できるのかといえば、いささか怪しい。有機物である限り、物理的な劣化が進むこと(これは紙も同じ)と、再生システムの継続が困難と思われるからです。サーバーで保存なんて一番危ない気がします。音響でいえば、カセットテープの再生がだんだん難しくなってる状況に似ています。
3,11大震災のとき、アルバムなどを持ち出した人は稀で、ほとんどは津波に呑み込まれてしまった。しかし、熱心なボランティア活動のおかげでたくさんの写真が発掘、洗浄されて持ち主の手に戻った。もし、写真のデジタル保存がさらに進んだ時代に同じ災厄が起きたら・・・再生はほとんど不可能ではないか。紙の写真だから救えたのです。愛する家族を失ったうえに、その写真を一枚も残せなかったとしたら悲しみは倍増します。
1・多様なデジタルシステムの維持、継続が難しい。
2・メモリーが微細なぶん、事故や天災などの破壊に弱い。
こんな素人の考える理由で紙写真の優位性を唱えたい。下の写真は、やや高級なアルバムに駄目男の「酒とバラの日々」を移してみた試作品ですが、紙の写真と手書きの文章という旧式な表現が一番アルバムらしいカタチになります。
●駐韓大使の帰任、裏の事情は・・?
慰安婦像問題などで大使が日本へ戻り、膠着状態になっていたところ、唐突な感じで帰任が決まり、ソウル、釜山、それぞれで任に着きました。普通の感覚では日本側が折れた感じにも受け取れます。実際の事情は何なのか。一部のメディアが伝えているのは朝鮮有事の懸念があるからです。駄目男も同じような理解です。
米中会談で中国が北朝鮮に対する厳しい措置をとらないと分かったら、米軍又は米韓軍が斬首作戦をはじめるかもしれない。それが想定外にもたついたら一気に戦争状態になる。半島は大混乱。なにはさておき、日本政府は在留日本人を救出しなければならない。そのとき、現地に大使も領事もいなかったら・・最悪です。日本国民の9割は最高度に平和ボケしているので、こんなイロハのことも思考外です。
官邸も防衛省もとっくにシミレーションをしていて、何をどう動かすか、プランは出来ていると思いますが、なんせ初体験だからドジだらけになること間違いなし、であります。 戦時体制という点では、そもそも韓国は事実上、無政府状態に近く、統治能力は皆無です。自国民さえ掌握できないのに外国人のことまでかまっておれない。米軍だって当然自国民優先で救出、退避させる。日本人は誰を頼ればいいのか。それにしても、韓国人の平和ボケぶりは日本人以上です。
米国は密かに在韓の民間人を脱出させるプランをつくり、手はずを整えている(という情報がある)ま、それが普通でせう。 米軍に斬首作戦の能力はあるとしても、それを実行するための論理を整えるのは無茶難しい。まだ記憶鮮明なイラク戦争の失敗例もあるし。
●こうの史代著「この世界の片隅に」を読む
昨年11月末に映画を見て原作ではどんな描き方をしているのか興味があったが、偶々、「まちライブラリー」で見つけたので借りました。 前編・後編で約400頁、表現にもいろいろ工夫があって丁寧につくられています。感心したのは戦時中の世相、生活のこまごましたところをずいぶん詳しく調査したことが伺え、情報の密度では映画より勝ると思いました。著者はまだ50才まえで、戦争体験などあるはずがないが、そこは丹念に調べ尽くしたうえで、恐らく何度も修正しながら描いたものと思われます。軍艦や飛行機をええ加減に描くと必ずクレームがつくので、さぞかし気を使ったことでせう。
空襲や食糧難という最悪の環境なのに、人々は平常心を保ち、ユーモア感覚も忘れない。これは著者が意図的につくった場面ではなく、実際の生活もそれに近かったと思われます。呉の町外れのすずさん宅より10倍くらいヤバイ環境だった自分の生活も、家人や周辺には恐怖で気が狂ったり、ウツになった人はいなかったと思う。明日死ぬかもしれないという予感はあっても、だからといってどうしようもないとなれば、明日の死に怯えるより、今夜のメシをどうするかのほうが大事であります。心配や恐怖も、繰り返してるうちに「慣れ」が生じてしまうこともあるでせう。
後年になって気づいたことは、人は意外に死なない、しぶとい、ということです。大阪空襲の場合、大規模な空襲だけで延べ8回、一回あたり、300~500機の爆撃機や戦闘機が来襲してテッテー的に街を破壊し、焼き尽くした。それでも死者は1~2%でおさまった。しぶといというしかない。安全が保証された逃げ場所なんかないにもかかわらず、です。
左巻の連中がこの本を読めば、話が甘すぎると不快になるでせう。しかし、著者の意図が奈辺にあるのかはともかく、戦時中の庶民の生活感覚としては納得できる。それがいえるのは昭和15年までに生まれた人だけですが。著者は、そのハンディを埋めるために多くの資料で学習した。
被災当事者なのに恣意的に描いた「はだしのゲン」とえらい違いです。
大阪市都島区あたりが炎上中。画面中央上は大阪城(右が北)右のエンジンが破損している?
コミックのB29の画。上の写真と比べても、かなり正確に描いてることがわかる。
焼き尽くされたミナミ。左下が南海難波駅と高島屋。中央に「大劇」と
「千日デパート」(ビックカメラ)右下は松坂屋(高島屋東別館)