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読書と音楽の愉しみ


●岡江晃著「詫間守 精神鑑定書」を読む

 2001年6月、池田市の附属小学校で起きた大量殺人、傷害事件の犯人、詫間守の精神鑑定書。犯人は精神異常者だったのか、否かを精神科医の立場で判定した、調査、判断資料でありますが、著者は「精神異常者ではなかった」と述べている。狂気の挙げ句の犯行ではなく、正常人に近い精神状態で、8人の子供を包丁で刺し殺し、15人に傷を負わせた。


生まれながらのワルだった
 統合失調症などの精神疾患ではないが、相当な「情性欠如者」だった。他人の気持ちを推し量る、他人に協調するという、ごく普通の感覚が欠けていた。親のしつけ、教育の失敗であるが、しつけ以前に親は彼を放置していた。育て方の失敗に育ち方の失敗が重なった。 三歳のころ、三輪車で遊んでいて、何気に車道のまん中へ出て行き、車の渋滞を起こした。また、幼児は親とはぐれると、恐怖で泣きじゃくるものだが、彼はけろっとしていて、警察に保護されて帰宅すると、パトカーに乗れて良かった、などと平然としていた。小学生になると、級友を押さえつけて小便をかけたりした。十代で強姦事件を起こした・・・。それでも両親は真摯に彼と向き合わなかった。


ジキル博士とハイド氏?
 警察沙汰になる事件だけで十数回、それ以下の小さなトラブルを含めると、恐らく数百人の被害者がいたかもしれない。通行人にいきなり殴りかかる。ツバをかける、罵声を浴びせる・・。バスの運転手をしていたとき、乗客の態度が気に入らないといって車内で客に暴言を吐いたこともある。と、こう書けば、やはり狂ってると思うのが普通だが、そうでない、ふつうの姿も見せるからややこしい。小説の「ジキル博士とハイド氏」みたいな二重人格的な面がある。


仕事はどこへ勤めても長続きしない。せっかく採用されても、入社日に出勤しない。そんなだらしない生活なのに4回結婚した。何十回も転職した、4回も結婚したということは、少なくとも交際中はふつうの人に見えた。就職先の採用者の印象では、おとなしくて、真面目そうな男だった。結婚、離婚をくり返し、普通は男が慰謝料を払う側になるが、彼は元妻に難癖をつけ、あるいは脅迫して、20万、30万とたびたび金をせびった。


こんな「普通の男に見える」ことと、凶悪大量殺人者のイメージとの乖離が大きすぎて著者は診断に逡巡する。400頁にわたる著述のほとんどは、正常な人間か、狂気(精神病)の男か、なかなか結論をだせない、判断の「ゆらぎ」に費やされている。むろん、MRIなどの検査もくり返し行って脳科学の面でも慎重な診断が行われた。医師(著者)との問診では、普通、凶悪犯なら、反抗の態度をみせるか、無視など、非協力的な者が多いのに、彼の場合はそんな反抗はなく、協力的であり、しばしば饒舌でさえあった。これがまた著者を悩ませる。問診で詫間自身はこの事件のことを「ブスブス事件」と呼び、他人事のように話した。


反省、謝罪の言葉、一度も語らず
 この精神鑑定書が判決にいかほどの影響を与えたのか、読者は判断できない。しかし、巻末の判決文を読むと、被告、詫間の生い立ちや社会生活に関しては同情や斟酌の言葉は一切出て来ない。スパッと「死刑しかない」と断罪している。むしろ、殺された子供たちの恐怖や、救えなかった親、教師の、生涯消えない深い心の傷をおもんばかって、同情の言葉を述べている。
 普通の人間=少しは常識のある人間 なら、自分の犯した罪の大きさにおののき、悔悟の気持ちも湧くものだが、彼は全く平然とした態度を貫いた。そもそも、大量殺人の動機さえあいまいで、単なる鬱憤晴らしのレベルで二十数人もの人を殺傷した。社会人としての己の無能ぶりに愛想を尽かした挙げ句の大量殺人である。被害者にはなんの恨みもなかった。身長180センチの彼は、恐怖に立ちすくむ7才、8才の子供を一撃で致命傷になるほど包丁で深く突き刺した。5人、10人、15人・・殺人という作業をクールに繰り返した似すぎない。さすがに疲労を覚えて「あ~しんど、もう終わりや」の場面で取り押さえられた。(問診でその時の気持ちを述べている)


詫間本人も、父親も、被害者へのお詫びの言葉は一切述べなかった、と言う点でも珍しい。彼にとって、殺人は単なる作業でしかなかった。大根を切るように人を切り裂いたにすぎない。反省の言葉など、どうして出すことができよう。むしろ、鬱憤を晴らしたという達成感のほうが強かった。死刑判決後、彼は早く死刑執行するように求めた。執行しなければ裁判で訴えるとまで言った。その意を受けてか、判決後1年目に執行された。(普通は判決後、5~10年で執行される)
 遺体の引き取りは親族の全てが拒否した。仕方なく、なんの関係も無い某キリスト教会が引き取り、かたちばかりの葬儀を行った。(2013年6月 亜紀書房発行)


死刑制度廃止論者の考えを聞きたい
 世論調査によると、日本では、死刑制度を存続するべきという意見が8割、廃止すべきが1割で、この比率はあまり変化がない。それでも、10人に一人の割合で廃止論者がいる。駄目男はむろん存続論者でありますが、廃止論者の意見はどのようなものか、聞いてみたい。死刑に関しては過去に参考になる本を読んでいるので、廃止論の大方は見当がつく。「加害者にも人権、生存権がある」「死刑は国家による殺人」「冤罪の可能性」「廃止は世界の趨勢」など聞き飽きた意見のほかに、説得力のある廃止論があるのだろうか。ろくに学習もしないで廃止論を唱える人は単に「ええかっこしい」ではないのか、というのが意地悪駄目男の考えであります。加害者にも人権がある、というなら、生きる権利を一方的に奪われた被害者の人権と加害者の人権を対等に考える根拠を示してほしい。当然のことながら、死刑廃止論者は自分の言葉で被害者遺族に対して「だから、死刑は廃止するべきだ」と説得できなければならない。


死刑廃止国の多くがキリスト教信仰の国であることを考えれば、倫理感に神の教えが影響していることは避けられない。そんな国々が死刑制度を無くしてるからと、なぜ日本が同調しなければならないのか。死刑制度廃止が世界の趨勢だとして、廃止国の多くがキリスト教信仰国であるなら「世界の趨勢」になにほどの客観性があるのか。信仰そのものは否定はしないが、日本ではあくまで人間社会の倫理で議論するべきである。


現場で死刑、という現実を見よ
 世界の趨勢は死刑廃止であり、先進国で死刑制度を存続させている日本は、むしろ特異な国である・・と廃止論者は訴える。まるで日本は人権無視の非人道国みたいな言い方である。では、死刑制度廃止国は日本以上に人権意識の高い国なのか、といえば、それはない。
 アメリカは多くの州で死刑制度が廃止になっている。フィリピンも死刑制度は廃止された。しかし、現実はどうか。アメリカで銃乱射事件が起きた場合、警官隊はほとんどの場合、犯人を現場で射殺している。問答無用だ。フィリピンでは麻薬犯罪容疑者は、逮捕時に抵抗したり、逃亡を企んだ者は容赦なく射殺している。ドウテルテ大統領が地方都市の市長時代から射殺した容疑者は1800人にもなる。フランスなどもテロ犯罪容疑者は「容疑」だけで射殺される。(注)12月13日の情報では5900人が殺害された。


死刑制度は廃止した。しかし、現実は犯罪現場で、罪状確認もせずに殺されている。だったら裁判ナシの死刑と同じではないか。これらの国の人権意識が日本より高いとどうして言えるのか。現場で銃殺は絞首刑より人道的な措置だと言いたいのか。死刑制度廃止を訴える日本人は、この死刑廃止国における「現場で死刑」の現実をどう考えるのか。・・というわけで、死刑制度存続を是とする私見を書いてみました。被害者遺族の無念や怒りを察すると、死刑制度の存続論の概念は、えらく古めかしい言葉だけど、裁判を経た上での「国家による仇討ち」が腑に落ちる。死刑制度廃止国の大矛盾「現場で死刑」よりはマシな発想だと思うのであります。


ケチンボ精神でみても終身刑は納得できない
 もし、日本で死刑制度が廃止され、終身刑が最高の罰となれば、凶悪犯、詫間守は生涯を独房で過ごすことになる。彼の生活を支える費用は年間300万円、70歳代まで生きるとして、30年間の経費は物価変動を無視しても1億円に達する。むろん、費用は国費で賄われる。年収300万そこそこで地味に暮らしてる人はこれを看過できるでせうか。何人もの命を奪ったものが生涯「三食昼寝つき」で暮らす。詫間の場合、自ら早々の死刑執行を懇願した。なのに、何十年も生きなければならない。死刑廃止論者は、これが人権擁護の精神にもとる正しい措置だという。廃止論者の言う「守るべき加害者の人権」とは何なのか。


日弁連「死刑廃止宣言」のうさんくささ
 10月7日、福井市で開かれた「人権擁護大会」において、日弁連は2020年までに死刑制度を廃止する旨の「死刑廃止宣言」を採択した。こう書けば、日本の弁護士の大多数が死刑廃止に賛成しているように思われるが、そうではない。全国の3万7千人の弁護士のうち、この大会に参加したのはわずか700人、この会場で多数決をとり「死刑制度廃止」を宣言した。これが日弁連の意志と言えるのか。(多くの国民は日弁連の全体の意志だとカン違いしてしまう)


今までたくさんの読書感想文を書いてきましたが、精神鑑定書を読むなんて初めてだし、この上なく暗い内容だから(当たり前や!)気分が滅入ってなかなか読み進めず、読後も感想文を書く気にならなかった。しかし、ほどなく日弁連の「死刑廃止宣言大会」があり、これに同調する朝日新聞は社説でこの宣言を高く評価した。これで感想文を書く気になりました。朝日新聞さんに感謝。(2013年 亜紀書房発行)

参考情報
http://www.sankei.com/affairs/news/150124/afr1501240022-n1.html



<追記>詭弁を弄する朝日新聞社説
 10月9日の社説では「OECD加盟35カ国の中で死刑制度があるのは日本だけだ」と述べているが、日本以外の加盟國はすべてキリスト教を主たる信仰にしている国である。加盟国である韓国もキリスト教信者が一番多い。そもそも、死刑制度の存廃を論ずるのになぜ経済協力開発機構(OECD)の組織を持ち出すのか。朝日らしい、見え見えの詭弁であります。


精神鑑定 





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たまには外メシ



●「梅蘭焼きそば」 ~阪急三番街~

 今年最後の忘年会で案内していただいたのは、阪急三番街B2の「梅蘭」という中華料理店。ここの名物が写真のような変わった焼きそばです。そばの中に餡かけの具材が詰め込んであり、そばの表面はわざと焦がしてある。これをピザのように切り分けて食べます。オーナーが苦労して開発したオリジナルメニューだそうです。一人前300円くらい。


ume 


梅 


阪急百貨店9Fの祝祭広場のクリスマス・ディスプレイ
梅 






犬町・猫町情報



<投稿>●ヴィヴァルディ「四季」を聴く  ~F~
 
 早朝ウォーキングに備えてコーヒーを飲みながらNHKーBS103chに回すと、アントニオ・ヴィヴァルディ作曲「四季」を放送していました。演奏者はベルリン・コンツェルトハウス室内オーケストラ、リーダーは日下紗矢子さん。昨年11月の再放送です。


バロック音楽との関わりは今から45年くらい前NHKのFM放送で「バロック音楽の楽しみ」という番組があり、皆川達夫さんと服部幸三さんの二人が交代して解説されていました。テーマ曲「羊は安らかに草を食み」で始まりす。バッハ、テレマン、クープラン、ヘンデル、コレルリ・・・・など楽しみながら聞いたものです。今でも放送は「バロック音楽の楽しみ→あさのバロック→バロックの森→古楽の楽しみ」と改題し続いているそうです。


さて「四季」と言えばバロック音楽の定番。正式には「和声と創意への試み」に出版された12曲のヴァイオリン協奏曲集の内、 第1集すなわち第1曲から第4曲までの「春」「夏」「秋」「冬」に付けられた総称だそうです。イ・ムジチ合奏団のレコードが発売された頃、梅と桜に例え「四季を聴くバカ聴かぬバカ」と言われていたほど流行っていました。春夏秋冬の情景を弦楽器と鍵盤楽器で表情豊かに聞かせてくれます。春の小鳥のさえずり、夏のうだる様な暑さの次に激しい雷鳴と雨、秋の歯切れの良いリズム、そして穏やかな冬の第2楽章はまるで炬燵(イタリアに炬燵は無いでしょうが)に入り穏やかにまどろんでいるような情景を浮かびます。気楽に音を楽しみたいと思っている私にはうってつけの曲です。


奏者による表現の違いも楽しみの一つ。カール・ミュンヒンガーの規律正しい演奏、イ・ムジチでは フィリックス・アーヨの職人芸、次の ロベルト・ミケルッチ は軽快なテンポ。パイヤール、 ネヴィル・マリナー、カラヤン・・・・・・そしてイングリッシュ・コンサートの古楽器が現在のお気に入りです。


さて今回日下紗矢子さんの演奏は、出だしは「大したこと無いなあ」と感じていたのですが、あれあれ?・・・と云う感じ、段々と気迫が伝わり終演で「ブラボー!!」 たまたま今朝聴いた演奏が望外の素晴らしいもので感激しました。この演奏を好きな日本酒にたとえると、キリッとしてフルーティーな「純米生原酒」となりますか。


イ・ムジチ合奏団による「四季」LPレコードジャケット
イムジチ 



犬町・猫町情報



●三本立て忘年会終了

 まったく趣の異なる三カ所の店(場所)での忘年会が無事終了しました。アウトドアでの例会では顔を合わす機会が少ない人もいますが、ウオーキングなしなら気軽に参加できます。忘年会でなくても、このような機会を増やしたいと思います。


12月4日 北新地「カンパネラ」
忘年会



12月10日 五条「うちのの館」
忘年会



うちのの館(藤岡家)母屋のスケッチ ~サウダージさん提供~
忘年会 



12月18日 新世界「ココルーム」 
忘年会 




読書と音楽の愉しみ



●寺山修司著「家出のすすめ」
 同「書を捨てよ 街へ出よう」を読む

 文庫本扉の寺山修司の写真を見て、この人、誰かに似てるなあ・・と思いつつ読んでるうちに、ん、矢沢永吉に似てるんではと気づきました。どないです? 但し、TVのCMでしか見たことがありませんけど。

寺山修司
寺山


矢沢永吉
矢沢


寺山さんが人気ライターであったわけの第一は青森県の田舎町出身だからでせう。故郷を捨てて(家出して)魑魅魍魎の東京で一人暮らしをはじめる。「家出」を正当化するためには挫折なんかしてられない。さりとて、大学で一所懸命に学問するわけでもない。そんなちゃらんぽらんな生活でも飢え死にはしない。


なんとかメシが食えるようになると「家出せよ」「親を捨てよ」と若者を煽るようになる。だからといって、故郷、青森が大嫌いなわけではない。そのような葛藤は都会で生まれ育った人には理解しにくい。ただ、無頼な生活をしているように思わせて、実はしっかり勉強もした。何気に出て来る書名がそれをうかがわせるが、そのへんの文章が70~80年っぽくて懐かしい。キザ寸前、と思うところもある。懐かしいと感じるのは、著者が駄目男とほぼ同世代だからで、いま30~40代の人が読めばどう感じるだろう。


「書を捨てよ・・」は半分くらいが競馬の話で競馬ファンでなくても楽しい文だけど、その中に、歌人の塚本邦雄を誘って競馬場へ行く話がある。カタブツ塚本は競馬のケも知らないから誘われて大迷惑の体だった。水と油くらい性格の違う二人がなんで競馬場へ?と思うけど、前衛短歌の研究実践者としては同志だったという。これは知りませんでした。


詩人、エッセイスト、評論家、演劇団体「天井桟敷の人々」主宰・・多方面に活躍したのに47才で亡くなった。読んだ文庫本は十年間で10刷しているから、今でもたくさんファンがいる。でも「懐かしさ」が動機で読んだ人=オジンはごく少数でせう。懐かしさの中身は、共に「アナログ世代」だからです。(唱和47年初版発行 角川書店)


terayama



プチ・ケチの研究


●蛇口に象の鼻

 蛇口につけていたシャワー用のアタッチメントが壊れたので取り外してみたら、シャワー用小穴まわりに黒カビが発生していてゾッとした。何ヶ月もカビに触れた水を飲んでいたのです。(下の写真)同類のパーツを使ってる方は点検しませう。(ハイターなどの液に漬ければOK)しかし、使い勝手は良かったので同じものを探したけど見つからず、また、取り付け方に制約があるので、適合品は限られます。


ノズルにカビが発生しているのに気づかなかった
蛇口



結局、これしかないと購入したのが象の鼻みたいな写真の商品。これがとてもええかげんなシロモノで、まず、ご覧のように長すぎる。やわらかい樹脂製なのでカットしようと思ったが、そうすると口径が合わなくなって取り付けができなくなる。切らずにそのまま取り付けても、水圧で抜けてしまう。なので、ビニールテープで固定しなければならない。
 要するに欠陥商品でありますが、これしかないので欠陥を我慢するのが貧乏性というものであります。ン千円もする浄水機能のついた製品を買おうなんて発想に至らない。


半月も使ってると、使いやすい点も気づいた。ぶらぶら長い象の鼻は、シンクを洗い流すときはとても楽チン、快適です。フライパンなど、大きなものを洗うときも鼻を振り回してシャワーできるのでカンタン。(従来はフライパンを動かして洗っていた)・・という、メリットに免じて、当分、使い続けることにしました。貧乏性は欠陥商品に寛容であります。(ロイヤルホームセンターで購入 値段400円くらい メーカー不詳)


蛇口 






●師走のアートシーン ふたつ

★玉村洋平の世界 ~vol.2~

 新進演奏家のコンサート、というのは何度も経験したけど、新進作曲家の発表会というのは初めて。玉村さんとは先月、北新地のバー「カンパネラ」で相席したのがご縁で招待されました。年齢は40才くらい?京都大学法学部を出て会計事務所で働くかたわら作曲活動もするという、二足のわらじ的生活をしている。作曲は十数年前からはじめたというから、そこそこ実績もあり、ただ今作品を蓄積中?であります。

といっても、曲は堅苦しい無調の現代音楽ではなく、ピアノ曲と弦楽四重奏曲、いずれも普通にメロディが主体の曲でした。このさき、一つでも世間で話題になるような作品が生まれると嬉しいけど、駄目男が言う「メロディ資源枯渇の時代」であるから、セールスはなかなか難しい。純粋にクラシックではなく、たとえば映画音楽なんかに関われたらチャンスが広がる。しかし、ご本人はそんなの邪道と思ってるかもしれない。ま、草葉の陰で出世を祈っております。(12月7日 豊中芸術文化センター小ホール)


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★大和座狂言ガラ公演

 Tさんからのチケットを頂いて久しぶりの狂言鑑賞。梅田の大阪能楽会館の場所を忘れており、遠回りして着いたら、梅田センタービルのとなりだった。客席椅子の取り替えや玄関まわりの改装はされてるが、ホール自体はオンボロのままで懐かしい。特に2階席の荒れようは山村の芝居小屋みたいで座るのに勇気がいる。(一階で鑑賞)


ダシモノは大変ユニークで、最初の「梟」では音楽の伴奏つき。それも、オーストラリア、アボリジニの使う木管楽器「ディジュリドゥ」がひたすら単音階でボ~ボ~と鳴り続ける。なんとも奇妙ですが、音が邪魔にならないところが面白い。おまけに演じるメンバーの一人が初老のドイツ人だから、異色というか、けったいというか。赤ら顔、縮れ毛の彼が現れた瞬間、大江山の「酒呑童子」を思い出してしまった(失礼)。のみならず、彼は尺八の名人でもある。


狂言はほかに「寝音曲」と「盆山」。それに、前記の原始楽器と尺八、シベリアの某民族が使う妙な楽器のアンサンブルで一曲を演奏。楽器は原始的でも、奏でられる音楽は現代音楽の趣があるから楽しい。


プログラムなどには大和座の代表、安藤伸元氏が能楽、狂言団体が抱える問題を愚痴まじりに書いていて、察するところ、現行の家元にはかなりアンチな姿勢で仕事をしているらしい。歌舞伎の梨園と同じような閉鎖性があると。関西では茂山一家がブイブイ言わしてるから、アウトサイダーの安東家はマイナー扱いになるのは仕方ないが、反面、今回のように自由な発想で企画できるのは強みでありませう。。

 古い殻を破ろうという試みは能楽界でもあり、会館にあったチラシによると、山本能楽堂では、年末と新春の番組で「羽衣」「高砂」をひらくときは観客の二百人も一緒に謡おうと呼びかけている。なんだか「一万人の第九」みたいではありませんか。ま、謡い本のコピーを手渡しておけば、地謡といっしょに唱和できる。面白い試みになりそうです。
(12月11日 大阪能楽会館)


大阪能楽会館
大阪能楽会館


プチ・ケチの研究



●おかずの好みも昔返り?

 トシをとると、子供のころ、若かった頃に食べた、又は、食べさせられたシンプルなおかずが懐かしくなる。写真は「うすあげとひじきの炊いたん」「千切り大根の酢のもの」。特に「千切り大根」は定番になって、二日か三日に一度は食べます。(正しくは酒のアテ)栄養なんか無さそうな気がするけど、まずは美味しい。酢は、ミッカンの「カンタン酢」では甘すぎるので、普通の酢を3割くらい足して酸っぱくしています。こんな「味の昔返り」も老化現象の一つでありませう。

うすあげとひじきの炊いたん
おかず




千切り大根の酢の物
おかず 




読書と音楽の愉しみ



●じっか~~ん「毛髪川柳」

 11月13日に「じっか~~ん シルバー川柳」を紹介してしばらく後に「ココルーム」へ行くとこの本が目にとまりました。こんなしょーもない本、誰が買うねん、という思いで開けてみると、こちらもケッサク揃いです。いや、川柳って楽しいですねえ。作者はみんな素人なのに、いちびり、哀感、ヤケクソ、開き直り・・毛髪の有無多少だけでこんなにたくさんの面白い作品ができるのかと感心しました。かく言う駄目男の頭もとっくに「在庫僅少」ですが、もう嘆きやコンプレックスはとっくに卒業して、晴れて、いや、ハゲて、安穏の日々を送っているのであります。以下は駄目男選の秀作です。(2006年 文芸社発行)


ハゲ川柳 



ハゲ 



ハゲ 



ハゲ 



ハゲ 



ハゲ 




たまには外メシ


●梅田「グランド白楽天」のランチ

 阪急グランドビルの飲食店街がリニューアルされて3~4年たちますが、茶店の「キーフェル」以外の店ははじめて。半分以上の店が改装、またはテナントが入れ替わっています。いずれの店も窓外の展望の良さがウリで、これがなければ全店が生き残れなかったかもしれない。
 白楽天のランチ、場所柄、さすがに千円未満で食するのはムリですが、単品ものは味もボリュウムも不足なしの納得メニューでした。ただし、グラスビールが900円というのはいささか抵抗があります。


店からの眺望は東側のみ
ランチ



午後3時すぎににランチ・・さすがにガラ空き
ランチ



汁かけそば・小鉢サラダつき1400円
ランチ



日没後のトワイライトがきれい(店外・西側の窓から撮影)
ランチ