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読書と音楽の愉しみ





●太田尚樹著「尾崎秀実とゾルゲ事件」を読む

 ゾルゲ事件に関する本を読みたいと思っていたが、生硬な調査報告みたいな内容のものが多くて手に取りにくかった。本書は、内容も表現もソコソコ柔らかく咀嚼されたもので普通に読める。むろん、陰険な話であることは同じなのですが。


法制度が整った明治以後、スパイ罪(国防保安法違反、軍機保護法違反、治安維持法違反)で起訴、処刑されたのはこの尾崎秀実(ほつみ)一人かもしれない(不詳)日本をソ連へ売る=売国奴(スパイ)として十分に活躍したのだから、死刑は当然だが、決して金や利権のためでなく、日本を共産主義国家にしたいという理想を実現するための売国行為だった。


1901(明治34年)岐阜県生まれ、一高~東大法学部とエリートコースを歩むなかで共産主義思想に染まり、就職は朝日新聞社。後に大阪本社を経て上海支局勤めになり、ここでゾルゲに接触したのが人生暗転のはじまりだった。リヒアルト・ゾルゲはソ連諜報団の親分。父がドイツ人、母がロシア人。先日、ハーフはアイデンティティに悩むと書いたが、ドイツとソ連はモロに戦うことになるのだから無茶悲しい。結局、ゾルゲはソ連のスパイになってドイツと日本をやっつけるために働く。これを助けたのが尾崎だった。日本の機密情報を彼に与えた。


尾崎は共産主義思想に染まってることを隠したまま、朝日を退社、満鉄の嘱託の仕事などに関わりながら情報を集め、あろうことか、近衛内閣のブレーンに採用される。最高機密を知りうるポジションについた。
 日米開戦の前、国のトップは「北進論」と「南進論」いずれをとるかで大いにもめた。満州、ソ連へ向かうのか、東南アジア占領をめざすのか。結局、一番欲しい石油資源獲得の可能性から「南進論」に決定。むろん、これは国家の最高機密であるが、尾崎は情報をキャッチしてゾルゲに伝えた。


ソ連は領土の西側でドイツと、東側で日本と対峙していたが、日本の北進論が消えたとなれば、シベリアに配置していた大軍団を引き揚げて対ドイツ戦に使える。こんな有り難い情報があろうか。尾崎の一報が対ドイツ戦で苦戦していたソ連を一気によみがえらせた。実際、モスクワの直前から勢力を建て直し、ドイツを敗戦に追い込む逆転劇に成功する。


裁判の詳細はわからないが、尾崎が死刑になったのはこの情報でせう。独ソ戦のドイツの敗北理由は、厳寒の戦地やドイツ軍の補給の問題が大きいが、ソ連軍の戦力増加あればこその勝利だった。もし、尾崎の情報がなければ、ドイツはモスクワを占領したかもしれない。
 独ソ戦に勝利したソ連は再び軍をシベリアに配置できる。なのに、日本軍は主力を南進に使い、北は手薄になった。ソ連は密かに対日参戦を企てた。終戦の一週間前、ソ連軍がなだれ込んで、ほとんど無抵抗状態で日本の満州や北方領土を奪取した。降伏した兵士が抑留されて塗炭の苦しみを味わったのはご存じの通り


本書によれば、尾崎の理想は中国主導による共産主義革命で日本も呑み込み、さらにアジア全体を共産主義体制に生まれ変わらせることだったという。もし、実現していたら、日本では内乱で何百万人もの死者が出たかもしれない。1941年、スパイ活動を嗅ぎつけられて逮捕。裁判を経て1944年11月7日、巣鴨拘置所で絞首刑になった。同じ日、ゾルゲも処刑された。


尾崎は近衛内閣のブレーンの一人になったが、他にどんな人物がいたのか。白州次郎、笠信太郎、蠟山政道、牛場友彦、松本重治、犬養健、西園寺公一、などがいて、彼らがみんな好戦的人物とはとても思えない。結局、軍部の圧力が強くて文民思想では抗い難かったといえる。


事件から70年以上たち、この事件を知っている人は少なくなってきた。戦後生まれの半分くらいは「ゾルゲ事件って何?」の感覚ではないか。それは仕方ないとしても、壮大な理想(妄想)実現のためには「国を売る」行為も辞さなかった人物がいたことは知っておくべきでせう。(2016年3月 吉川弘文館発行)

日ソ中立条約
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%82%BD%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84

北方領土問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F%E5%95%8F%E9%A1%8C


リヒアルト・ゾルゲ
ゾルゲ


ゾルゲ  




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プチ・ケチの研究



●今夜も手抜き料理

 図書館で「缶たし」という本を借りると、缶詰を使ったカンタン応用メニューがいろいろ載っています。さっそく、「さばみそピーマン炒め」をつくる。ピーマンを炒めたところへさば缶詰をあけて温めるだけです。ピーマンをナスに変えても使えそう。缶詰の蓋をカパと開けて食べるだけでは余りに貧乏くさい。なんとかカッコつけようという趣旨らしいけど、鮭やカニ缶なんか、材料自体がけっこう高いので、お金の節約より、手間をケチるところにメリットがあります。


さば缶とピーマンの炒めもの
さば缶詰 




読書と音楽の愉しみ



●大原哲著「先駆け! 梅田雲浜」を読む

 立派な仕事をしたのに、当人にスター性がないために埋もれてしまってる人物がいる。幕末から維新へすすむなかで、吉田松陰とおなじ思想で活動しながら、地味侍で終わってしまった梅田雲浜(うんぴん)の生涯を描く本であります。


著者はアマチュアで、本書は恐らく自費出版と思いますが「文芸社」からの発行となれば百万円以上の費用がかかったと思われます。趣味道楽にしては高価だけど、熱のこもった文章からみて、ご本人も満足の行く出来栄えだったでせう。自分史よりずっと有意義な出版です。


梅田雲浜は若狭、小浜藩の藩士、著者にとっては郷土のヒーローです。文武両道を修め、国家の役に立つ人物たらんと若いじぶんから京都、江戸で学び、インテリタイプの侍に成長しますが、思想は明快に勤皇思想。それはよしとしても佐幕派の小浜藩では次第に煙たがられるようになり、ついに除籍されてしまう。ただの浪人に落ちぶれてしまった。


それでも彼の思想に共鳴する武士は多く、京においては勤皇派のリーダーとしてブイブイ言わしたらしい。当然、幕府の気に入らない。井伊直弼が悩みまくった挙げ句に日米通商条約に調印すると、勤皇派はさらに反幕府行動を強めるので、リーダー格の人物を次々引っ捕らえた。吉田松陰、橋本左内、梅田雲浜・・これが「安政の大獄」。雲浜は45歳で獄死(本書では毒殺されたと記す)。吉田松陰、橋本左内は斬首。

松陰の辞世は・・
 
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし大和魂

雲浜も辞世といえる歌を詠んでいるが、松陰作ほどかっこよくない。また、松陰は著作物をたくさん残して後輩たちへのテキストにしたが、雲浜は摘発を恐れて自ら処分してしまった。この違いは大きい。業績を示す資料がかいもく無いと著者は悔しがるけど、気持ち、分かります。


司馬遼太郎が吉田松陰を小説や随筆でたびたび取り上げたのは、松陰や長州の情報が豊富にあったからでせう。これが松陰の知名度を高め、その効果は長州、萩の観光客動員数の多さにも表れた。もし、雲浜がネタをたくさん残しておれば、当然、司馬遼太郎の気を引き、作品に主役として登場させたかもしれない。ならば、若狭小浜の町も今よりずっと賑わっていたはず・・。本当に惜しい。(2016年6月 文芸社発行)

umeda unnpinn





読書と音楽の愉しみ


●藤田孝典著「下流老人」を読む

 サブタイトルは<一億総老後崩壊の衝撃> 嗚呼、なんとユーウツな内容の本でありませうか。とくに前半は「あんたはもう下流でっせ、どないしまっか」と宣告されてるみたい。というか、月々の生活費からみると、自分はしっかり「下流」であること、確認してしまったのであります。

駄目男の考える「幸せのモノサシ」はいたってシンプルなものです。

A・金持ちで健康

B・金持ちで病人

C・貧乏で健康

D・貧乏で病人

ややこしい統計数字を見なくても、これなら自分はA~Dのいずれに属するか分かります。実際はBとCの中間が多いのですが、定義が難しい。70歳の無職夫婦が、受け取り年金と同額の月25万で暮らし、貯金額が3千万円、というあたりが、A金持ちとC貧乏の中間になるでせうか。
 生活ぶりは慎ましいけど、貯金はそこそこのゆとりがある世帯です。しかし、実際に3千万円の貯金がある世帯は1割程度しかない。


この生活レベルで、もし貯金額が500万しかなければ、夫婦のどちらかが重い病人になった場合、数年で下流へ転落する恐れがある。離婚や死別も同じくらいのきついリスクになります。若者と違い、高齢者は転落の要因はたくさんあるけど、上昇の可能性はほとんどないのが悲しい。堕ちるしかないのです。


著者はNPO法人を起ち上げて老人の貧困問題に取り組み、何百人もの相談にのり、役所への取り次ぎなどの世話をしてきた。それでわかったのは、下流老人には三つの「ない」が揃ってることだという。

1・著しく収入が少ない

2・十分な貯蓄がない。

3・頼れる人間がいない。

 この三要件がそろうと「下流老人」に至る。その先には「生活保護申請」しかないが、一部の不運なひとは自殺や孤独死に至る。親が老いれば子が養うという昔の常識はほぼ消えてしまい、土壇場に至っても自己責任を問われる厳しい時代になった。さらに、親の貧困化とともに子供の貧困化も進んでいるのが現状である。なかには、老親が無収入の息子や娘の面倒を見ているという難儀な例もある。


ごく普通の暮らしをしてきた人が行き詰まって生活保護申請をするのはもの凄く抵抗感がある。土壇場になるまで相談に行かない。これは生活保護が全額無償給付であるためだ。わずかでも良いから拠出制度にしたほうがよいと著者は提案する。要するに、負担があるほうが申請しやすいのではないかと。介護制度がそれなりに機能しているのは、受益者が保険金を払っているからさほど躊躇せずに利用できる。この感覚が大事だという。生活保護も保険化すれば、今よりずっと利用しやすいセーフティネットになる。現在の自己負担がゼロの生活保護は、コジキが施しを受けるような屈辱を感じてしまいやすい。(中には、タチの悪い受給者もたくさんいるけど)


食べるだけでカツカツという下流老人世帯は現在でも15~20%、これが増えて行くことは避けられない。貧困は老人だけの問題ではないからである。だったら、せめて「明るい貧乏」暮らしをしようではないかと著者は言う。これを実践する要は「人づきあい」である。相手が金持ちだろうと貧乏だろうと、フランクにつきあえる友人がいるだけでずいぶんストレスが緩和される。いろんな生活情報も仕入れられる。

 ランクAには、金持ちで、健康で、「孤独」な人もけっこういる。満点の「上流老人」になるのは難しい。(2015年6月 朝日新聞出版発行)

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ウオーキング・観光



●「天芝」の芝生がよみがえりました

 今年6月16日の記事で、天王寺公園の芝生が見事にハゲてしまっていると書きました。昨年10月のオープン以来、余りに大勢の利用者が踏みつけたので、耐えきれずにハゲてしまった。
 ちょうど3ヶ月目の今日、再訪するときれいな緑の原っぱが蘇っていました。むろん、立ち入り禁止です。これで「天芝」の名前も再び使えるようになりました。


では、これからどのような使い方をするのか。すでにアイデアは決まってるでしょうが、芝生広場の積極利用と維持は相反するので、なかなか難しい。とりあえず、小中学校の野外活動(遠足)での利用はアウトでせう。コンサートも恐らく禁止。カップルや家族のピクニックだけならさほど傷まないのではと思います。あんまり制限すると集客力が落ちるので、さじ加減が難しい。公共の公園ではなく、企業(近鉄系列会社)が金儲けのために運営する「天芝」。美しい緑の広場を前にビジネスマンが必死の「そろばん勘定」中であります。


今年6月のミジメな風景
天芝

緑の広場が復活しました
天芝 


天芝 



読書と音楽の愉しみ



●ピアノ三台による「展覧会の絵」 ~大阪クラシック~

 今年の大阪クラシック、聴きに出かけたのはこのプログラムだけ、というわびしいことになりましたが、なかなか素敵な演奏でした。ムソルグスキーの原曲はピアノ曲で、これをオーケストラ用に編曲したのがラベル。原曲よりこのほうが有名です。今回はピアノ三台用にどなたかがアレンジした。30本の指で弾くのだから迫力はあるけど、ホールの特性のせいか、中低音がもたつく。指揮者の大植英次さんもピアニストとして参加したけど、片手が空くと、つい指揮のそぶりをやってしまい、「そこまでせんでも」と感じた人もいるかもしれない。


サプライズの演出があって、最終曲「キエフの大門」のまえにア・カペラによる混声合唱が挿入された。これがなかなか心地よいもので、編曲もうまい。終わったら、やんやの喝采で、お客さんはなんかもの凄くトクしたような気になった。実際、演奏者、スタッフ、合唱団、合わせて100人近いメンバーによる演奏会になったのだから、入場料1000円は無茶安いのであります。(9月15日 中之島中央公会堂 中集会室)

手前が大植さんの弾いた「ベーゼンドルファー」向こう2台はヤマハの小型グランドピアノ。
展覧会 



会場の中集会室とロビー
展覧会の絵





ロビー 



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帰り道、愛珠幼稚園の前を通ったら、オンボロだった外観がきれいに修復されていました。耐震化工事に伴うリフォームです。このため、園児たちは工事期間中、近くの小学校に居候しているらしい。大阪市内では、入園が最難関の幼稚園です。(重要文化財)
幼稚園 




ウオーキング・観光



●久宝寺寺内町の燈路まつり

 八尾市の久宝寺は江戸時代の寺内町で、真宗の顕証寺を中心に寺と民家が混ざり合った町並みが残っています。ここで催された「燈路まつり」へ行ってみたけど、これは観光用というより、地元町民の寄り合い(親睦)が目当ての行事でした。地蔵盆の延長みたいな感じです。


燈路はポスターなんかで見ると、とても趣のある風景にみえるけど、これが難儀で、道を歩行者がたくさん歩くと「燈」が見えなくなり、無意味になります。折角の賑わいが仇になる。そこで、この町では、ほとんど人通りがない住宅街に燈を並べ、サンプルシーンを演出しています。屋台がでるとか、人の集まるところでは、道ばたの「燈」は、むしろ邪魔になる。燈路の情緒を楽しんでもらうには観光客はなるべく少ないほうがよいということです。困ったことではありませんか。(9月11日)


久宝寺 



久宝寺 



久宝寺 



久宝寺 





読書と音楽の愉しみ



●そんなに嫌われていたのか・・ブルックナーの音楽

 9月10日のEテレ「らららクラシック」は珍しくブルックナーの音楽がテーマ。なのに、最初に取り上げた話題が「一番嫌いな作曲家はブルックナー」というアンケート結果でした。あちゃ~~、そんなに嫌われてるのか。自称、ブルックナーファンはとても悲しい。番組司会の作家、石田衣良さんも、ピアニストで作曲家の加羽沢美濃さんも「受け入れがたい音楽」だと嫌っている。ゲストの脳科学者、茂木健一郎さんだけが必死に擁護論を述べていた。

ブルックナー



なんでこんなに嫌われるのか、理由が説明されたけど、大方共感できます。初心者とか、モーツアルトやベートーベンの好きな人には取りつく島が無い「難解で鬱陶しい曲」と評されても仕方ない。曲想に愛や恋が全然感じられないと言われたら、ま、そうですねというしかない。


逆に、ブルックナーファンにその魅力は何か、と問えば、下のような答えになった。ブルックナーの「原始霧・開始」「リズム」「休止」「ユニゾン」・・ なんのこっちゃねん、であります。これが魅力なのだと言葉で説明できる人は「ブルックナー大明神」の尊称を奉ってあげますぞ。


ブルック


「休止」というのはゼネラルパウゼ(全休止(符)のこと。こんなの、全ての作曲家の作品にあるから「なんで?」でありますが、ブルックナーの休止符は独特の魅力がある。休止符=無音に鑑賞価値がある。ヘタなオケは休止符がきちんと演奏できない、ということです。


日本のブルックナーファンが休止符の魅力に開眼したのは、音響に優れたホールができはじめた1980年以後です。実際、これ以後、ブルックナー作品の演奏会がどっと増えた。良いホールあってのブルックナー。朝比奈隆がブルックナー演奏の大御所みたいに評価されたのは、ザ・シンフォニーホールという優れた器ができたからです。


ブルックナーの休止符の魅力は、時速100キロで走ってる車がブレーキをかけないでコンクリート壁に激突するようなところにあります。これをゲージツ的に表現するにはホールの残響時間が1,8~2,0秒くらい必要ですが、昔はそんな残響の長いホールがなかった。単なる「無音」しか表現できなかった。無味乾燥、スカスカの休止符にしかならなかった。・・というあんばいで、休止符のゲージツ的表現だけでゴマンと書くことがあるのですが、誰も読まないからやめます。


前にも書いたけど、ブルックナーの作品は「聴きこなし」にとても時間がかかる。9曲の交響曲のうち、売れ筋の4/5/7/8/9番の5曲を聴きこなすのに20年以上かかった。このせわしない時代に、そんな音楽、誰が好きになるものか。
 交響曲は嫌われても仕方ないとして、おすすめしたいのが「弦楽五重奏曲 ヘ長調」この第三楽章がお気に入りです。あの世へ行く半日まえくらいに聴けば、こころ穏やかに旅立てる。音質が悪いけど、人生の店じまいが近い人はご試聴下され。

第3楽章は20分あたりから
https://www.youtube.com/watch?v=iEXYebQ-TwQ


右端がブルックナー大好き、茂木健一郎さん
ブルックナー





ウオーキング・観光



●「中川一政展」鑑賞  ~香雪美術館~

 中川一政は、文化勲章を受章した立派なアーティストなんですが、30年以上の昔、はじめて作品を拝見したときの印象は「これぞ、ヘタウマの大先生」みたいなものでした。だから魅力がない、というのではなく、逆に、鑑賞が楽しみになりました。旅行の途中、神奈川県真鶴町の個人美術館へ立ち寄ったこともあります。今回の展覧会は、没後25年の小さな回顧展です。


絵画の教育を全く受けなかったのに一流の画家になれた、稀な例です。似たような境遇でいえば棟方志功がいます。もちろん、基礎教育のないぶん、もの凄く努力したでせうが、努力よりも天賦の才能が成功のモトだと思っています。ヘタウマの魅力は努力では生み出せない。

車木工房
 記憶に間違いがなければ、最初に出会った作品は「山従人面起」です。李白の詩の一節「山從人面起(山は人面より起り)雲傍馬頭生(雲は馬頭に傍て生ず)」のリトグラフ作品です。出会ったのは、美術館ではなく、奈良県高取町にある岡村印刷という印刷会社の文化施設「車木工房」でした。ここで中川センセのリトグラフ刷師をしていたNMさんと知り合いだったので、招かれて遊びで出かけた。そこで商品として展示されていたこの作品に出会いました。今回、原画を鑑賞できて良かった。一瞥して、たいていの人は「どこらへんが李白やねん」と言いたくなるようなヘタウマぶりですが、美術市場では人気があるみたいです。


李白「山従人面起」
なか



ヘタウマに惚れた?向田邦子
 中川作品の熱心なファンとして、作家の向田邦子がいた。作品を何点も買い、そのうちセンセとコンタクトがとれて、小説の装丁を依頼できる間柄になった。下の「あ・うん」の表紙がセンセの作品である。


中

中川センセはリトグラフ制作の監修のために、何度も車木工房を訪れている。そのおり、ここでは陶芸作品もつくってることから土ひねりの楽しみも覚えた。当然、これも初体験、基礎教育ゼロですが、そこは天才、たちまち「作品」を生む力をつけたらしい。自分が訪ねたときは、センセ作の箸置きとか小物は一個500円?くらいで売っていたので、買っとけばよかった。


 これを知った向田邦子は「私にも教えて」と手ほどきを頼んだ。それで、センセはグループで奈良を旅行するから、そのとき車木で合流しませうと提案、しかし、向田邦子のほうは台湾へ旅行することが決まっていて、センセが提案した日は、台湾から帰国した翌日になる。これは厳しいので、センセは合流は無理と伝えたが、向田邦子からは「行きます」との返事が来た。次のチャンスを待っておれないという気概が伝わる。 それほど熱望したのに、向田邦子は車木へ来なかった。1981年8月22日、台北から乗った高雄行きの飛行機が空中分解、墜落した。享年51歳。


中川センセは、刷師、NMさんの腕前と人柄に惚れて、長男が生まれたときは名付け親になり「健郎」の名を授けた。健郎はいま山岳カメラマン、ガイドとして活躍しており、このブログでも紹介したけど、ま、覚えていないでせう。残念なことに、父親のNMさんは急性の白血病を患い、30過ぎの若さで亡くなってしまった。将来は独立した作家になるべく、小さなアトリエももって努力していたのに、神サマは薄情すぎる。
 NMさんが亡くなった一年後、中川一政はNMさんの三倍も生きて、97歳で大往生した。(向田邦子のエピソードは、中川一政のエッセイから引用、要約したものです)当展は10月23日まで。800円。


香雪美術館入り口(阪急御影駅から徒歩5分)
中川


バラの絵は、生涯に800点くらい描いた
中


97歳でも、このパワーがあった
中 


なか



車木窯・班唐津黒茶碗
 手前と向こうで大きく破損しており、普通は失敗作として廃棄されるが、捨てるに忍びないと思ったのか、漆をソリッドにして破損部をつないだ。そして、付けた名前が「蘖(ひこばえ」。鑑賞者は「やられた」って気になります。

なか
 





読書と音楽の愉しみ



●遠藤功著「新幹線 お掃除の天使たち」を読む

 数日前の報道で、この本の主役、新幹線車両の清掃チームの仕事ぶりが、ハーバードビジネススクール(HBS)の教材に使われることになったとありました。いや、すごいですね。「清掃員」のイメージからはあり得ないモテようです。ほんの10年くらい前までは、きつい、汚い、危険、の3K労働で、頻繁な募集と退職のくり返しでようやく人員をそろえたという職場が、今や「感動ビジネス」「お掃除の天使」なんて賞賛される職業になりました。


生活の糧を得るためのしんどい仕事だったのに「自己実現の場」なんちゃって、最高のほめ言葉で讃えられる。むろん、魔法のようなすごワザがあったのではなく、経営者と従業員の試行錯誤をくり返しながらの地味な努力の成果です。本書を読むと、こういう努力と成果は、中国人やラテン系の民族では難しいのではと思われます。


たかが掃除。しかし、清掃員個人の意欲と責任感とチームワークが100%発揮されないと達成できない。「労働と対価」の一般概念だけでは無理な発想と実践の積み重ねです。この、従来の西洋的労働、雇用の概念から外れた仕事ぶりがHBSの目にとまった。学生の大半が欧米人だったら、彼らはシッカリ理解してくれるだろうか。やや懸念があります。


いくら世間で誉めてくれても、現実の仕事が、きつい、汚い・・ことに変わりは無い。一人で、たった七分間で100席の車両をきれいに清掃して乗客を迎えなければならない。よって、研修では一つの作業は秒単位で計測して「早く、きれいに」を身につける。
 但し、トイレの清掃は専門の担当者が行う。これは技術と経験、さらに勇気?もいるから新米にはできない。排水が詰まって汚物があふれそうになってる場面や、なぜか、男性用小便器にウンコがてんこ盛り、の緊急事態もある。どうするか。道具ではラチがあかないと判断したら、ポリ袋を二重にして腕に巻いて手で・・。感動ビジネスの現場は、尋常でない責任感とモチベーションを要求される。


掃除のプロだから、完璧な掃除をして終わり、ではないところが彼らの魅力。列車の到着時はホームに整列して迎える。掃除が終わって乗客が乗り込むときも「お待たせしました」とお辞儀する。しょせん掃除人のつもりで作業を見ていた外国人は、彼らがお迎えとお見送りまですることに驚く。労働と対価の概念ではありえないマナー、サービスです。


目や耳の不自由な人のサポート、田舎から出て来てうろたえている老人の案内といった仕事外のサービスも上司からの指示でやるのではなく、自発的に行う。そういうささいなことを記録し、ミーティングで伝えて情報と経験の共有をはかる。これがまた別の「気づき」のもとになって、よりきめの細かいサービスを生むことになる。


ちなみに、この「お掃除の天使たち」が活躍するのは東京駅だけで、他の終着駅では停車時間にゆとりがあったり、新大阪駅などは線路構造が違っていたりして、モーレツ掃除場面は見られない。東京駅の線路容量のゆとりの無さが生んだ「お掃除の天使たち」です。何が幸いするか、わかりません。(2012年8月 あさ出版発行)


新幹線


新幹線掃除 






プチ・ケチの研究



●エスビー「ドライカレーの素」

 フライパンでご飯と野菜などを炒めたうえにこの粉末をふりかけるとドライカレーが出来上がり。有り難い手抜き調理法なのでさっそく試してみました。結果、味はなかなかのスグレモノです。香りもグッド。
 しかし、大欠点があって、フライパンに盛大にこびりつきます。(一応、焦げ付き防止のフライパンです)なんか、焦げ付かないコツがあるのでせうか。同類の「チャーハンの素」よりずっとハデに焦げ付いて、洗うのに手間がかかります。2食分60円と安いし、味が良いので常備したいところですが、次回購入はないかと。


doraikare 


野菜などは自前です。

doraikare-





ウオーキング・観光



●八尾市「安中新田会所」見学

 大阪府には新田会所が3カ所保存されていて、大東市の鴻池新田会所、大阪市住之江区の加賀屋新田会所とこの安中新田会所。江戸時代に開発した新田や畑の、いわば管理事務所みたいな役目を担いました。責任者は土地の有力者がなり、設計施工からモメごとの仲裁、役所(奉行所)との交渉まで、いろんな仕事があります。住民(農民)との会合に使われるため、そこそこ広い座敷が必要ですが、この安中の会所はこじんまりしていて、普通の屋敷なみです。


当地では植田家が界隈を仕切っていたので、江戸時代から明治まで数代にわたって世襲され、ここに住み続けたため、建物や調度品が保存できました。現在は単なる見学対象だけでなく、落語やミニコンサートなども開かれる、今ふうの「会所」として活用されています。


ところで、大阪府に3カ所もの新田会所が残っているのに、他府県では存在しない?のが不思議です。(探せばあるのかも知れない)ヨソでは、川の流路を変えたり、海を埋め立てたりという大規模なプロジェクトが無かったからでせうか。今でいえば普通に公共事業なのですが、役所ではなく、民間主導で企画、実施し、200年間も継続できたのは、農民が納得できるシステムだったからでせう。

観覧料金200円 火曜日と祝日の翌日は休館
JR八尾駅南出口から東へ徒歩5分


JR八尾駅の南側、植松町に残る古い町並み
安中新田


会所の庭と母屋
安中


接客や会合に使われた座敷
安中


なつかしいポットン便所
安中


天井裏の物置
安中