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ウオーキング・観光

 

●ひと足お先に満開・・狭山池のコシノヒガンザクラ

 大阪狭山市の狭山池のほとりでは、役所と住民の協働による桜の植樹活動が進んで、遠からず、花見の名所に加えられそうです。樹の成長ぶりからみて、あと10年でかっこいい桜並木になるでせう。


池の北岸、狭山池博物館のある側の堤防にはコシノヒガンザクラという、やや早咲きの桜が植えられ、ソメイヨシノとちょっとタイミングをずらせることで、イラチ又はあわて者の花見客を喜ばせています。淡い薄紅色の花ですが、八重桜のピンクようなハデさはなく、並木風景でも色が濃すぎるという印象はありません。池のほとりすべて(約2800m)がこの桜並木になれば、ひと目千本、どころではない、大パノラマシーンになりそうです。


平日でもたくさんの人で賑わっていますが、地元の方ばかりのようで、電車チン使って見物にくる人はほとんどいない感じです。南海電車も今のところ、知らん顔してるみたい。八幡市の「背割堤」を長年無視してきた京阪電車と同じです。・・というか、実際は八幡市が「宣伝してくれるな」という態度が続いたのが実情ですが。その背割堤は、いまやジパング倶楽部のツアーにも採用されるメジャーな花見名所になりました。(南海高野線 大阪狭山市駅から徒歩10分)



なぜか、ラバーダックが浮かんでいます。
狭山




狭山 




狭山池 



平日のせいか、お酒を飲んでる人はほとんどいなくて、きわめて静かな花見風景。
狭山 



建物は「狭山池博物館」
狭山 


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たまには外メシ


●んん~~まい~~~、ベン・ネヴィス2001

 「天災と駄目男は 忘れた頃にやってくる」と言われそうなくらい、酒場にご無沙汰しておりますが、久しぶりに「GALWAY」に顔を出して飲んだのが、これも久しぶりのブランド、ベン・ネヴィス。シングルモルトウイスキーと付き合う原点になったブランドであります。


しかし、これが特別旨かったという記憶はなくて、これより美味しいブランドはいくらでもあります。今回、飲んだのは豊中のサトウという卸業者が現地で樽買いして寝かせたもので、当然、少ない量の限定版です。度数は50度と高め。ロックにして飲むと、Hakkeyさんの、んん~~まい~~がピッタリの美味しさ。文学的表現ができない者にはとても有り難い、単純明快な誉め言葉であります。ベン・ネヴィスにはなんとなく「B級」のイメージをもっていたのに覆りました。


最後にマスターがすすめる「ベン・リアック」を飲む。度数53度とさらにハード。ネヴィスとぜんぜん違う味わいだけど美味しい。これもロックで飲んでると、隣で独り呑みしてたオバサンが「あたし、それストレートで頂くわ」やて。クククと呑んで、そそくさとお帰りになったのでありました。


ベン 


イングランドの最高峰、ベン・ネヴィス山 この山の麓でつくられている。
ベンネヴィス 


ウオーキング・観光



●「神武東征」の不思議 (その2)

 神武東征は各地にたくさんの伝承を残して今に伝えています。大阪近辺では、上陸地になった生駒山麓と泉州地方にあり、試みに、自宅から行きやすい泉南市の神社を訪ねてみました。


■男神社(おのじんじゃ)
 神武天皇(イワレヒコノミコト)の軍が大阪湾から生駒山麓へ上陸したとき、敵の待ち伏せに遭い、神武の兄、イツセノミコトが流れ矢で負傷する。やむを得ず、撤退。一行は大阪湾を南下して和歌山へ向かうが、その途中、傷の手当てのために一旦上陸したのがこの地だった。


傷口を洗い、手当をするが血は止まらず、重傷である。イツセノミコトは不覚をとったことが無念で「ぐやじい~~」と叫んだ。よって、ここを「雄叫びの杜」とし、「男神社」となった。・・などと、古事記に書かれているらしい。よって、当地は「男里(おさと)」という地名になり、男里川という川もそばを流れている。


当神社の摂社「浜宮」は南海電車の線路際にあり、ここが上陸地点だという。石碑と粗末な社以外、何も無い原っぱだが、昔はここが波打ち際だった。現在は海岸まで800mくらいあり、海は見えない。


■茅渟神社
 南海電車の樽井駅下車、南へ歩いて15分くらい、昔ながらの集落の面影を残す静かな住宅地にあります。台地のゆるやかな傾斜の途中にあり、ここも昔は海べりに建つ神社だった。
 茅渟をチヌと読める人は大阪近辺の人だけかもしれない。(海釣りの好きな人は全員読めますね)大阪湾になぜか多いクロダイをチヌという方言で呼ぶが、原語は「血沼(ちぬま)」というのだから、なんかオソロシイ。負傷したイツセノミコトや兵隊がここで傷口を洗うと、水は血で染まって真っ赤になった。だから血沼。


口伝による伝承を、ようやく普及しはじめた漢字に当てはめたとき、血と沼という字を選んだ可能性がある。昔は血を「穢れ」とする概念がなかったので、別にオソロシイ表現でもなかった。それにしても「チヌの海」が元は「血沼の海」だったというのは、感覚的に受け入れがたい。
 何気に口にしている「チヌ」という名称が、1300年のあいだに、
「血沼」→「血渟」→「茅渟」→「チヌ」と変遷した。ひとつ、賢くなった気がします。


イツセノミコトは結局、亡くなる。その亡骸は和歌山市南部の「竃山神社」境内の御陵に祀られている。数年前に訪ねたことがあるけど、管理の行き届いた立派な御陵です。宮内庁が世話をしているのかもしれない。
 神武軍団はさらに南下して熊野へ向かうのですが、合理主義思考でいうなら、和歌山まで来たのなら、なんで紀ノ川を遡って大和を目指さなかったのか。このルートのほうがずっと近道で安全ではありませんか。


近道で安全? そんなもん、あかんに決まってるやないか。そもそも神武軍の戦闘コンセプトは「太陽を背にできる位置、方角で戦う」ことである。紀ノ川を遡ったら、また西から東へ、つまり太陽を正面にして進むことになる。だから、紀ノ川コースはアウトであります。太陽神信仰が紀ノ川コースを許さないのでした。合理主義、死ね!っちゅうねん。


男神社拝殿
男神社


神社周辺の町並み
男  


浜宮境内
男神社


浜宮 雄水門表示
男神社


茅渟神社
茅渟神社 


チヌの海(岡田浦)
男神社 
 




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プチ・ケチの研究


●ガラ~~ン、の気持ちよさ

 冷蔵庫の食品が日ごとに少なくなっていく場面はなかなかに快感を覚えるものでありますが、これは少数派で、なんで快感やねん、不安やろ、という人のほうが多いかもしれない。


まあ、人好き好きにしても、このガラ~~ンは気持ちいい。さ、掃除しょ、であっという間に隅々まできれいに掃除できる。もし、満タン状態だったら、掃除しようという気にもならないでせう。しないのも勝手でありますが、当然、不潔であります。のみならず、電気代がかさむ。ということは、コンプレッサーの稼働時間が長いわけだから、冷蔵庫自体の寿命が縮みます。いずれ捨ててしまう食品のために電気を消費するなんて実にバカらしい。


家庭から出る食品ロス(ゴミではない食品)は年間300万トンくらいあるとされ、これを全世帯数、5000万で割ると、一世帯あたり60キロになる。一ヶ月なら5キロ。こんなに多くはないと思うけれど、どのみち、お金と電気の無駄遣いには違いない。もしや、冷蔵庫の大型化が食品の無駄買い、無駄ストックを助長しているのでは、と察します。


在庫は、漬け物、佃煮、ジャム。野菜庫に伊予柑。但し、ドアポケットは、酒や調味料でほぼ満タンです。(容量は210リットル)
空冷蔵庫


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読書と音楽の愉しみ



●井上ひさし著「わが友 フロイス」
 川崎桃太著「続・フロイスの見た戦国日本」を読む

 さしたる期待もせずに手に取った本が予想外に面白かった、ということがままあるけど、本書もその例。ルイス・フロイスとの最初の出会いでもあります。2冊読んだのは、井上本が手紙文形式でフロイスの人となりを伝え、川崎本がフロイスの著した「日本史」の断片を取り上げていて、合わせてフロイスの業績が理解できるからです。


フロイスはまじめで誠実なキリスト教宣教師である半面、好奇心満々にして饒舌という「神のしもべ」らしからぬ性格の持ち主であったらしい。見たこと、聴いたことを即時に文章化できる能力に長けているために、膨大な記録が生まれ、16世紀、日本の戦国時代の歴史編纂に大きな役目を果たした。もし、彼がいなければ、織田信長や豊臣秀吉の人物像が少し違ったものになっていたかもしれない。戦国時代をヨソ者の眼で観察した貴重な記録を残した。


せっかく、遠いポルトガルからやってきたのに、日本は戦国乱世のさなかだった。フロイスにとっては不運だったが、得もした。外国にものすごく関心が高い、信長と秀吉にサシで面会できた。それも儀礼的な対面では無く、自由にモノが言えるフランクな対話ができた。

伏見城で秀吉と面会したときは、こんな会話があった。
 秀吉「予に多くの側室を持つことを許すなら、キリシタンになってもよいぞ」と言うと、フロイスは「殿下、そうなさいませ。殿下一人が地獄へ行っても、日本人は助かりますから」秀吉「ぷはは」ぷはは、は駄目男のオマケでありますが、普通なら、即時、首が飛ぶところでありませう。フロイスは、内心、秀吉を嫌悪、軽蔑していたが、そんなことおくびにも出さず、チャラけた会話もした。


宣教師たちは使命感に燃えて、一所懸命に布教活動をしたが、成果はイマイチだった。一番の難儀は、権力者がほとんど気分で、キリスト教を許したり、禁止、弾圧したりと、めまぐるしく変えたからである。いらついたフロイスは、本国あてに「艦隊を送ってくれ」とか、信者を守るために「砦を築きたい」と請願して、およそ、平和の使徒らしからぬことを言いだし、すべて却下されている。まあ、気持ちは分かりますけど。


フロイスには、相手を見て瞬時に性格を見抜く感受性の鋭さがあり、彼が書き残した、信長や秀吉、明智光秀、石田三成といった大物の人物像は、現在、私たちがイメージしている人物像と変わらない。(むろん、好き嫌いはあるけど)信長を討った光秀は悪人としつつも、無益な殺生はしなかった、まっとうな人間性は認めている。


あれこれ言いたいことがいっぱいあって、本国に手紙を出すと言ったって、片道2年、3年かかる。返事がくるのは数年後になる。途中で遭難、沈没も普通に起きる。今じゃ考えられない不便な時代、それでも布教活動をやめなかった意思の強さには感心するばかりであります。


その間に、フロイスは日本で見聞、経験したことをマメに記録し、欧州人による「日本史」にまとめた。その膨大な資料を発見し、コツコツ日本語訳本をつくったのが川崎桃太氏だった。ライフワークになった、この地味な仕事にも敬意を表します。(井上本 1999年 ネスコ発行・川崎本 2012年 中央公論新社発行)


フロイス

読書と音楽の愉しみ



●93歳 スクロヴァチェフスキの「ブル8」を聴く

 日曜日のEテレ「クラシック音楽館」でブルックナーが取り上げられるのは稀、さらに、指揮がスクロヴァチェフスキとあれば聞き逃すわけにはいかない。早めに風呂に入って、パジャマ姿で寝転んでの鑑賞であります。(今回、ようやく、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキの名前を覚えた。しかし、明日には忘れてるかも)


1923年生まれだから、今年93歳。現役最高齢指揮者かもしれない。しかも、椅子を使わず、譜面も見ずの演奏が85分(「第九」より10分くらい長い)だから、途中でへなへな~とならないか、余計な心配してしまいます。今回の演奏は読売日本交響楽団。


感想をくどくど書いても、誰も読まないので略しますが、ま、とことん、デリカシーにこだわる、上等吟醸酒の味わいであります。メンバーもよく応えていた。そして、第4楽章のコーダ。これが、あっと驚くどんでん返しでありました。最後の3分は、プレイヤーも聴衆も血圧がぐんぐん上がってクライマックスになるのでありますが、スクロおじいさんの棒は「お茶漬けの味」を選んだ。あっさり、軽~い、今まで聞いたことのないブル8のラストシーンでありました。こんなん、ありんすか?が正直な感想。93歳だから枯れた演奏でいい、ではないと思うのですが。


20年間、朝比奈隆の「解釈と演奏」に洗脳されてきた駄目男にとっては衝撃のブルックナー8番でしたが、会場のブルックナーファンもさぞ面食らったのではないでせうか。(1月21日 東京芸術劇場)


6歳でブルックナーの交響曲と出会った
burukkuna-


buru


団員が舞台を去ったあとも喝采に応える・・朝比奈隆の演奏でも同じシーンがあった。なつかしい

buru

読書と音楽の愉しみ



●群ようこ著「働かないの~れんげ荘物語~」を読む

 大手広告代理店でガツガツ働き、しっかり高給を得ていた45歳のシングルウーマンがある日、こんな生活でいいのか、と疑問を抱き、退職する。以後、貯金を取り崩してゆくだけの無職暮らし。よって、生活費は月10万円を厳守する。一番の出費であるアパートの家賃は3万円。築数十年の木賃、6畳一間きり、風呂、トイレ共同のサイテー物件である。その名が「れんげ荘」で、主人公、キョウコは結構気に入っている。


そのマルビ生活ぶりを描いた小説。毎月、貯金を目減りさせながら、当然、不安と焦燥感にさいなまれつつ、しかし、表向きは明るく暮らすという境遇は駄目男と同じであります。ただ、労働を拒否しながら、いざとなれば、仕事につけるキョウコと、それはほぼ100%絶望的な駄目男の違いはあるけど、キョウコがバイトなどはじめたら小説にならない。


大事件は起きず、隣人や昔の友だちもいい人ばかり、という設定に物足りなさを覚えるけど、それは著者のスタイルだから是としませう。物語にメリハリをつけるために、区役所の職員が執拗に「なぜ働かないか」を問い続ける一件と、趣味ではじめた刺繍がイメージ通りに進まず、指先の細かい作業で「老い」を自覚する話が盛られている。そして、何を言われようと「私は私」と割り切ってるつもりなのに世間や他人が気になる。まあ、こういう小さな葛藤も普通のことでありませう。話はさらに続くようで、主人公はキョウコではなく「れんげ荘」のようであります。(2015年8月 角川春樹事務所発行)

群ようこ


それにしても、東京の家賃は高い
 6畳一間、風呂、トイレなしのオンボロアパートの家賃が月3万円。東京都区内としては、ローエンドといえる安値かもしれません。著者は実勢を調べた上でこの金額を設定したと思われます。
 現実に3万円の物件はあるだろうか。ネットで探してみたけど、なかなか出て来ない。不動産業者の認識では、3~5万円という家賃は単身の生活保護費受給者向けの物件らしい。どうにか見つけた3万円の部屋はコレです。


■東京の3万円物件例
東京都中野区 最寄り駅より徒歩5分。洋室4帖。
風呂、トイレ共同 家賃3万円
群

■大阪の3万円物件
大阪にも3万円の物件はあるだろうか。近所の不動産業者の広告看板で探しました。築年数が古いけど、大阪では3万円の物件でも、風呂付き、トイレ付きの、少しはマシな暮らしが出来そうです。


和室 6畳と3畳 DK 風呂・トイレ付き 共益費ともで3万円
群 



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ウオーキング・観光



●中山観音の梅林

 4月中旬の暖かい日和りのもと、阪急宝塚線沿線の中山観音へ。もしや半世紀ぶりくらいの訪問ですが、当然、境内の風景は様変わりで、記憶が戻りません。山門から本堂に至る間の建物がみんな立派な上、ただ今五重の塔の再建工事中です。完成すれば、一段とカッコイイ風景になります。


参道はゆるい坂道ですが、石段のあるところ、二カ所にはエスカレータが設置してあるというサービスの良さ。拝観料をとらない寺なのに、どうしてこんなに贅沢な施設をこしらえることが出来るのか、不思議であります。奥のほうには食堂が、手前には100人くらい入れるカフェもあります。そういえば、参拝客が多い割りには、本堂で手を合わせている人は少ない。みなさん、ほとんどが参拝客ではなく、レジャー客なのでした。


梅は満開から散り始めになりかけたところ。ボリュウム感ではイマイチですが、よく手入れされていて、坂道を上がるたびにアングルが変わり、見上げ、見下ろしの風景が楽しめました。(3月8日)


山門
中山寺 


エスカレータ
中山 


梅林
中山 


中山 

中山 


カフェ「梵天」
中山 



たまには外メシ



●震災復興応援?・・「牛タン弁当」1380円ナリ

 弁当を買って家で食べるのも「外メシ」であります。近鉄百貨店本店の催し場で行われている東北六県の催事に立ち寄って買ったのは、仙台の「利休」というところが作ってる牛タン弁当。本当は隣の店の「ステーキ弁当」が食べたかったけど、値段が2500円もするので、マルビにはきつい。


さて、牛タン弁当、写真のようなボリュウムで、これなら高くはないか、という感じ。焼き肉店で食べるより、やや柔らかい食感なのは、焼き方の違いだと思います。ほかに、山形県の白ワイン「高畠」を購入。


牛タン弁当

半畳雑木林



●「半畳雑木林」はや五年目

 面白半分にはじめた、ベランダにタタミ半分サイズの雑木林をこしらえる貧乏趣味が五年目を迎えました。今まで植えた樹木のタネは20種類以上、発芽率は5~6割という感じです。みんなが成長すると、ベランダが樹木に乗っ取られてしまうので、高さはせいぜい1mまでにセーブします。(強風でコケてしまうという理由もあります)


 なので、五年目を迎えたのはクスノキだけです。昨年は、この木にアゲハチョウが卵を生み、無事成長して、羽化する瞬間を朝の食卓で観察することができました。私有雑木林のオーナーならではのリッチな経験です。このクスノキ以外は1~2年モノ。盆栽趣味ではありえない、めまぐるしい「更新」です。


わっ! えらいとこで生まれてしもた~。え、ウチはビールで育ったん?
5年目雑木林 


昨日はぽかぽか陽気だったので、種まきをしました。昨年はモミジバフウが育たなかったのでこれを撒き、クヌギとシマトネリコも。これは2回目です。そして、Sさんが送ってくれた、京大の湯川記念館そばの大木の下に落ちていたタネ2個も。樹木名は不明、無事に発芽するかどうか、楽しみです。


5年目




五年目 



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読書と音楽の愉しみ


●国木田独歩著「武蔵野」を読む

 今ごろ、そんな本を読んでまんのか? と笑われそうでありますが、たまには、こんなシミジミした心洗われる作品を読むのもいい。最近読んだ「にごりえ」や「放浪記」(原典版)もシミジミ名作でありました。


 「武蔵野」は小説作品だそうですが、読めば、長めの随筆か紀行文という印象になります。明治時代中頃の武蔵野の風景の魅力をあますところなく描写していて、まあ、これ以上、上質の文章はない。堀辰雄が「風立ちぬ」で描いた信州の高原風景とともに、山野渉猟が好きな人にはバイブル的名文だと思います。


で、当時の武蔵野って何処らへん?と素朴な疑問が起きますが、イヤハヤ、現在の東京都の都心も昔は武蔵野なのでありました。東京駅から30キロも離れたら、もう田舎の上にドが付く辺境の地でありました。こんなことを知るだけでも楽しい。ウソみたいな話ですが、本書の一部を抜粋して、在りし日の武蔵野風景に浸っていただきませう。


 もしそれ時雨(しぐれ)の音に至ってはこれほど幽寂のものはない。山家の時雨は我国でも和歌の題にまでなっているが、広い、広い、野末から野末へと林を越え、杜(もり)を越え、田を横ぎり、また林を越えて、しのびやかに通り過く時雨の音のいかにも幽かで、また鷹揚な趣きがあって、優しく懐しいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であろう。自分がかつて北海道の深林で時雨に逢ったことがある、これはまた人跡絶無の大森林であるからその趣はさらに深いが、その代り、武蔵野の時雨のさらに人なつかしく、私語(ささや)くがごとき趣はない。

  秋の中ごろから冬の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田ケ谷、または小金井の奥の林を訪(おとの)うて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよ。これらの物音、たちまち起こり、たちまち止み、しだいに近づき、しだいに遠ざかり、頭上の木の葉風なきに落ちてかすかな音をし、それも止んだ時、自然の静蕭を感じ、永遠(エタルニテー)の呼吸身に迫るを覚ゆるであろう。武蔵野の冬の夜更けて星斗闌干たる時、星をも吹き落としそうな野分がすさまじく林をわたる音を、自分はしばしば日記に書いた。風の音は人の思いを遠くに誘う。自分はこのもの凄い風の音のたちまち近くたちまち遠きを聞きては、遠い昔からの武蔵野の生活を思いつづけたこともある。


どないです? 嗚呼、タイムマシンで明治時代に帰りたいと切実に思うのは駄目男だけではありますまい。逆に、国木田独歩が平成28年の今、東京に現れたら・・。思わず、ドヒャ~~ッと喚いて気絶するかもしれない。武蔵野の雑木林の木々が超高層ビルに化けているのだから失神モノであります。もっとも、独歩ももう少し長生きしたら、ビルが並ぶ銀座の風景も目にしただろうから、ショックはいくぶん小さかったと思います。

他に「忘れ得ぬ人々」「非凡なる凡人」も読む。小品ながら、感銘深い傑作であります。(2003年 教育出版発行)


向井潤吉が描いた武蔵野風景(戦後の作品) ~NHK日曜美術館から~
武蔵野


これは作者不詳
武蔵野