ウオーキング・観光

 

●ひと足お先に満開・・狭山池のコシノヒガンザクラ

 大阪狭山市の狭山池のほとりでは、役所と住民の協働による桜の植樹活動が進んで、遠からず、花見の名所に加えられそうです。樹の成長ぶりからみて、あと10年でかっこいい桜並木になるでせう。


池の北岸、狭山池博物館のある側の堤防にはコシノヒガンザクラという、やや早咲きの桜が植えられ、ソメイヨシノとちょっとタイミングをずらせることで、イラチ又はあわて者の花見客を喜ばせています。淡い薄紅色の花ですが、八重桜のピンクようなハデさはなく、並木風景でも色が濃すぎるという印象はありません。池のほとりすべて(約2800m)がこの桜並木になれば、ひと目千本、どころではない、大パノラマシーンになりそうです。


平日でもたくさんの人で賑わっていますが、地元の方ばかりのようで、電車チン使って見物にくる人はほとんどいない感じです。南海電車も今のところ、知らん顔してるみたい。八幡市の「背割堤」を長年無視してきた京阪電車と同じです。・・というか、実際は八幡市が「宣伝してくれるな」という態度が続いたのが実情ですが。その背割堤は、いまやジパング倶楽部のツアーにも採用されるメジャーな花見名所になりました。(南海高野線 大阪狭山市駅から徒歩10分)



なぜか、ラバーダックが浮かんでいます。
狭山




狭山 




狭山池 



平日のせいか、お酒を飲んでる人はほとんどいなくて、きわめて静かな花見風景。
狭山 



建物は「狭山池博物館」
狭山 


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大阪日暮綴



●「なにわ大道」という歴史道があった

 自宅近くの再開発団地の前を通ると、入り口脇に掲示板があり、当地は遺跡発掘の跡地であり、昔は「なにわ大道」という官道が通じていたと説明しています。昔と言っても大昔、飛鳥時代のことだから、1500年くらい前の話です。当時をしのぶ歴史街道といえば、山辺の道や竹ノ内街道が知られていて、一部は現在も残っています。


しかし、なにわ大道は日本書紀など文献に表れるだけで実体が見つかっていなかった。幻の大道だった。それが、2008年、大和川沿いの高速道路の工事現場で見つかった。歴史ファンには「大発見やあ~」クラスのビッグニュースでした。しかし、難波宮と堺を結ぶその道が、自宅近くに通じていたこと、迂闊にも気がつかなかった。
 説明によると、「大道」と言うだけあって、道幅は約18m、現在の4車線道路と同じくらいの規模です。当時、こんなに幅広の道路はほかにありません。


この大道は直線路というので、あらためて、地図上で発掘現場と難波宮を直線で線引きすると、団地掲示板の説明通り、大道は長居公園のほぼまん中を南北に貫通しているではありませんか。知らんかったなあ。
 そして、何の因果か、この大道の跡が住吉区と東住吉区の境界、そして、大和川の南側では、堺市と松原市の境界になってることに気づきました。地中に埋もれて見えない古道なのに、現在の街の境界の役目を果たしているのです。平安時代にはすでに廃道化して畑になっていた道が、明治以後に「ここが境界線ね」と伝えたことになります。不思議ですねえ。


こういう情報は地図好きの好奇心を刺激します。なにわ大道は市内のどこを通じていたのか。難波宮の大極殿跡(石の基壇がある)から堺までストーンと直線を引くと、道は清水谷高校の前をとおり、上本町の近鉄駅を抜け、四天王寺の東側を通り、天王寺駅近くに向かいますが、その手前には「大道(だいどう)」という町名が残っている。実は、駄目男は、この大道2丁目で生まれたのであります。いやはや・・。


さらに南下して、今話題の「シャープ」本社の東を通って長居公園を抜け、大和川に向かいます。距離はのべ12キロくらいあります。上町台地の森のなかを4車線幅、12キロもの直線路が通じてたなんて、ちょっと信じられない壮大な風景であります。
 なんでこんな大げさな道づくりをしたのか。物資の運搬や軍隊の移動なら、こんな道幅はいらない。もしや、中国の都をマネして、又は、中国からの使節を迎えるさいに、ええかっこしい(見栄)のために大層な道づくりをしたのか。だから、難波宮が廃止されると無用の長物になり、
畑や住宅地になってしまった。インフラ整備としては無駄な投資でありました。


大阪城を含む上町台地の北端は「神武東征」の時代から歴史を蓄積してきた中身の濃い土地です。そこに「大阪歴史博物館」があることは必然といえます。

古代の幹線道路 左端がなにわ大道
なにわ大道 



2008年に発掘された「なにわ大道」 左右両端に排水溝が設けられていた

なにわ



難波宮の大極殿跡 ここからなにわ道が一直線に伸びる。向こうの建物は中央が大阪歴史博物館。その左がNHK大阪放送局
なにわ



東住吉区山坂町の法楽寺に接するこの細道が「なにわ大道」と重なる。

なにわ



なにわ大道跡地には農村時代の風景が残っている。(東住吉区矢田)
なにわ  


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閑人帳


●白鵬の相撲にブーイング

 春場所千秋楽の最終戦は白鵬対日馬富士。楽しみにしていたのに、白鵬が立ち会いの変化で日馬富士をかわし、あっさりと勝った。おいおい、それが横綱の相撲かい? いささか不満だったのは駄目男だけでなく、ファン、観客のほとんどだったでせう。高いチケット買って見にきた観客にすりゃ「ゼニ返せ」と言いたくもなる。


「だめ押し」「かちあげ」などアンフェアな態度が目だった最近の白鵬。こんなワザで優勝しても誉める気にならない。本人も分かっていてなおやめられないのなら、個人の資質の問題では無く、民族性のせいかもしれない。勝つためには手段を選ばず。結果が第一で、勝ち方云々は二次的な問題だと。むろん、平幕とか、下位の関取ならこんな手もゆるされるけど、横綱がこれではねえ。


横綱のプライドより勝つことに執着した。それのどこが悪い、という見方もある。そういう見方もあるけど、横綱のこんなセコイ勝ち方が増えると、確実に相撲人気は衰える。(3月27日)


お帰りは あちら~~

春場所



閑人帳



●映画「マルタの鷹」鑑賞

 Fさんにチケットを頂いてタダ見。1941年公開(日本では1951年)、即ち、太平洋戦争がはじまった年で、駄目男は2歳でありました。主演のハンフリー・ボガートをスクリーン上で見たのは十数年あとです。この映画がなんで現在でも人気があるのかといえば、作品の内容より、H・ボガートのキャラの魅力のせいでありませう。ハードボイルド映画といえば、このオッチャンを想像するくらい人気がある。正義の味方なのか、ワルなのか、ようわからんというキャラにはぴったりの容貌です。


しかし、探偵映画として見たら、期待はずれでした。ストーリーがややこしくてついていけない。セリフが多すぎる。ハードボイルドという割りにはカッコイイアクションシーンもない。うだうだ口げんかしてる間に終わっちゃった、という感じです。100分の上映時間中、95分くらいが室内のシーンなのもいただけない。1940年代の作品だから評価されるのであって、今なら安っぽいテレビドラマのレベルです。


長生きしたのかと思っていたら、57歳で亡くなっている。病名は食道癌。ファンはみんな「煙草吸いすぎのせい」と想像しそうだ。映画でもしょっちゅう煙を吐いてるけど、実生活でも大変なヘビースモーカーだったらしい。その意味では、よき時代を生きたスターでした。(3月26日 弁天町生涯学習センター)


マルタの玉



たまには外メシ


●んん~~まい~~~、ベン・ネヴィス2001

 「天災と駄目男は 忘れた頃にやってくる」と言われそうなくらい、酒場にご無沙汰しておりますが、久しぶりに「GALWAY」に顔を出して飲んだのが、これも久しぶりのブランド、ベン・ネヴィス。シングルモルトウイスキーと付き合う原点になったブランドであります。


しかし、これが特別旨かったという記憶はなくて、これより美味しいブランドはいくらでもあります。今回、飲んだのは豊中のサトウという卸業者が現地で樽買いして寝かせたもので、当然、少ない量の限定版です。度数は50度と高め。ロックにして飲むと、Hakkeyさんの、んん~~まい~~がピッタリの美味しさ。文学的表現ができない者にはとても有り難い、単純明快な誉め言葉であります。ベン・ネヴィスにはなんとなく「B級」のイメージをもっていたのに覆りました。


最後にマスターがすすめる「ベン・リアック」を飲む。度数53度とさらにハード。ネヴィスとぜんぜん違う味わいだけど美味しい。これもロックで飲んでると、隣で独り呑みしてたオバサンが「あたし、それストレートで頂くわ」やて。クククと呑んで、そそくさとお帰りになったのでありました。


ベン 


イングランドの最高峰、ベン・ネヴィス山 この山の麓でつくられている。
ベンネヴィス 


大阪日暮綴



●AMラジオをFM波で放送・・

 というサービスがはじまって数ヶ月?たつらしい。関西では、朝日、毎日、OBC、の3局で聴けます。試しに、安物のポータブルラジオで聴いてみたら、雑音が少なくて快適です。(場所や建物によって受信状況が変わります)しかし、音質の良さを生かすような番組企画をするわけではないから、これでリスナーが増えるということはないでせう。


テレビの「地デジ化」が済んで余ったFM波の枠を活用するためのお役所発想のサービス。災害時にAM局が放送不可になったときの補完の役目もある。変化のないラジオ世界では事件に値するデキゴトです。どんなラジオでOKではなく、FMの周波数帯域が76~108MHのもので聴けます。(たいていのラジオはこの帯域になっています)

周波数は、朝日放送93,3MH、毎日放送90,6MH、ラジオ大阪91,9MH。


ベン  

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●「神武東征」の不思議 (その2)

 神武東征は各地にたくさんの伝承を残して今に伝えています。大阪近辺では、上陸地になった生駒山麓と泉州地方にあり、試みに、自宅から行きやすい泉南市の神社を訪ねてみました。


■男神社(おのじんじゃ)
 神武天皇(イワレヒコノミコト)の軍が大阪湾から生駒山麓へ上陸したとき、敵の待ち伏せに遭い、神武の兄、イツセノミコトが流れ矢で負傷する。やむを得ず、撤退。一行は大阪湾を南下して和歌山へ向かうが、その途中、傷の手当てのために一旦上陸したのがこの地だった。


傷口を洗い、手当をするが血は止まらず、重傷である。イツセノミコトは不覚をとったことが無念で「ぐやじい~~」と叫んだ。よって、ここを「雄叫びの杜」とし、「男神社」となった。・・などと、古事記に書かれているらしい。よって、当地は「男里(おさと)」という地名になり、男里川という川もそばを流れている。


当神社の摂社「浜宮」は南海電車の線路際にあり、ここが上陸地点だという。石碑と粗末な社以外、何も無い原っぱだが、昔はここが波打ち際だった。現在は海岸まで800mくらいあり、海は見えない。


■茅渟神社
 南海電車の樽井駅下車、南へ歩いて15分くらい、昔ながらの集落の面影を残す静かな住宅地にあります。台地のゆるやかな傾斜の途中にあり、ここも昔は海べりに建つ神社だった。
 茅渟をチヌと読める人は大阪近辺の人だけかもしれない。(海釣りの好きな人は全員読めますね)大阪湾になぜか多いクロダイをチヌという方言で呼ぶが、原語は「血沼(ちぬま)」というのだから、なんかオソロシイ。負傷したイツセノミコトや兵隊がここで傷口を洗うと、水は血で染まって真っ赤になった。だから血沼。


口伝による伝承を、ようやく普及しはじめた漢字に当てはめたとき、血と沼という字を選んだ可能性がある。昔は血を「穢れ」とする概念がなかったので、別にオソロシイ表現でもなかった。それにしても「チヌの海」が元は「血沼の海」だったというのは、感覚的に受け入れがたい。
 何気に口にしている「チヌ」という名称が、1300年のあいだに、
「血沼」→「血渟」→「茅渟」→「チヌ」と変遷した。ひとつ、賢くなった気がします。


イツセノミコトは結局、亡くなる。その亡骸は和歌山市南部の「竃山神社」境内の御陵に祀られている。数年前に訪ねたことがあるけど、管理の行き届いた立派な御陵です。宮内庁が世話をしているのかもしれない。
 神武軍団はさらに南下して熊野へ向かうのですが、合理主義思考でいうなら、和歌山まで来たのなら、なんで紀ノ川を遡って大和を目指さなかったのか。このルートのほうがずっと近道で安全ではありませんか。


近道で安全? そんなもん、あかんに決まってるやないか。そもそも神武軍の戦闘コンセプトは「太陽を背にできる位置、方角で戦う」ことである。紀ノ川を遡ったら、また西から東へ、つまり太陽を正面にして進むことになる。だから、紀ノ川コースはアウトであります。太陽神信仰が紀ノ川コースを許さないのでした。合理主義、死ね!っちゅうねん。


男神社拝殿
男神社


神社周辺の町並み
男  


浜宮境内
男神社


浜宮 雄水門表示
男神社


茅渟神社
茅渟神社 


チヌの海(岡田浦)
男神社 
 




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大阪日暮綴



●驚きの5900m・・大阪市内 最長バス停間隔

 市街地のバス停の間隔は、だいたい300m~500mに設定されています。市民の足として使いやすい距離です。稀に、交差点の西と東、200mなんて短い区間もある。


では、逆に、大阪市内でバス停の間隔が最長なのはどこか?。答えられる人は余程の物知りかヒマジンでありませう。ヒマジン駄目男が得た答えは、地下鉄中央線「コスモスクエア駅」と舞洲の「環境事業局前」の間、実に5900mであります。・・と言っても、どこやねん、といぶかる人がおおかたでせう。この路線、大阪市営バスではなく、北港観光という民間会社の路線です。区名でいえば、住之江区と此花区を結ぶ湾岸路線になります。 ま、こんなもん、知らんでも生活に何の不便も無いですけど。


5900mをノンストップ。この距離を地下鉄路線に置き換えると、堺筋線の天神橋6丁目駅~恵比須町駅間と同じです。御堂筋線では、梅田駅から大国町駅と動物園前駅の間の距離になります。(梅田~天王寺は7500mです)都会のバス路線ではウソみたいな長距離です。
 田舎の路線バスでも、こんなの無いかもしれない。というか、そんなひどい過疎地帯の路線はとっくに廃止されてるでせう。もし、あるとすれば、山間部の長大トンネルをはさむ区間くらいだと思います。

 過疎といえば、この北港観光バス路線も同じで、終点の「ロッジ舞洲」まで停留所は8カ所あるのに、沿道の住民はたった51人という、田舎でいえば「限界集落」みたいな有り様です。


では、大阪市営のバス路線で停留所間隔が最長の区間はどこか。きちんと調べたわけではないけど、港区の築港中学校前~大正区の鶴町南公園前だと思います。その距離は約2700m。なんでこんなに長距離なのかといえば、延長1600mの「なみはや大橋」を渡るからです。
 


ついでに、もう一つ見つけたバス路線に関する珍情報を紹介。大阪市内で最も長い直線のバス路線はどこか。答えは「地下鉄出戸」と「地下鉄住之江公園」の路線。距離は約8600m。これもスゴイではありませんか。直線区間だから、右折、左折が一回もありません。地下鉄区間でいうと、御堂筋線「江坂」と「本町」間が8,6キロで同じです。この区間、一直線。運転手は車線変更の操作だけで運転できます。(注)地下鉄出戸駅バス停の位置を確かめていないので、若干、変更あるかも。


ほんまか、それ?・・マユにツバしたい人は確かめて下さい。北港観光のバス「コスモドリームライン」は6月の「ゆり園」見物に便利な路線です。但し、カード乗車不可、運賃先払い方式の利用になります。(210円)

北港観光バスの案内・・・
http://www.hokkohbus.co.jp/route_bus/cosmo_dream/


車窓からの眺め
舞洲

バス道沿いでは、オリックスの二軍専用球場の建設工事中。雨天練習場や選手寮も建設する。
舞洲 


完成予想図
舞洲


北港観光バスは低床の新車をそろえています。
舞洲 


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大阪日暮綴



●買い物前に花見

 冷蔵庫がガラ~~ンのままではメシが食えないので、スーパーへ買い物に。その前に、向かいの植物園を散歩、ソメイヨシノはまだですが、早咲きのエドヒガンザクラ、アンズ、コブシが 満開で来園者を楽しませていました。(3月20日)


エドヒガンザクラ
sakura


アンズ
akura


コブシ
sakura



プチ・ケチの研究


●ガラ~~ン、の気持ちよさ

 冷蔵庫の食品が日ごとに少なくなっていく場面はなかなかに快感を覚えるものでありますが、これは少数派で、なんで快感やねん、不安やろ、という人のほうが多いかもしれない。


まあ、人好き好きにしても、このガラ~~ンは気持ちいい。さ、掃除しょ、であっという間に隅々まできれいに掃除できる。もし、満タン状態だったら、掃除しようという気にもならないでせう。しないのも勝手でありますが、当然、不潔であります。のみならず、電気代がかさむ。ということは、コンプレッサーの稼働時間が長いわけだから、冷蔵庫自体の寿命が縮みます。いずれ捨ててしまう食品のために電気を消費するなんて実にバカらしい。


家庭から出る食品ロス(ゴミではない食品)は年間300万トンくらいあるとされ、これを全世帯数、5000万で割ると、一世帯あたり60キロになる。一ヶ月なら5キロ。こんなに多くはないと思うけれど、どのみち、お金と電気の無駄遣いには違いない。もしや、冷蔵庫の大型化が食品の無駄買い、無駄ストックを助長しているのでは、と察します。


在庫は、漬け物、佃煮、ジャム。野菜庫に伊予柑。但し、ドアポケットは、酒や調味料でほぼ満タンです。(容量は210リットル)
空冷蔵庫


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閑人帳



●「神武東征」の不思議 (その1)

 石田俊雄さんからお借りした「海道東征をゆく」を読んで、古代日本国家の成り立ちのイロハをおさらいした。中学生でもわかるムックスタイルの本で、本書では高千穂から浪速までの「東征」を、各地の伝承を紹介しながら紀行ふうに描いている。これ以上分かりやすい「東征記」はないでせう。ただ、神サマの名前がえらく読みにくいのが難儀だけど仕方ない。


戦後の教育では、GHQの指示もあって、この神話はつまらないインチキ物語として全面否定され、カリキュラムから除かれている。このため、日本人の9割以上は知識も興味も持ち合わせていない。
 神武東征記の話がウソかホンマかといえば、ウソですね。神話の中身がロジックできちんと裏付けできるのなら神話ではありません。ギリシャ神話は事実か、と問うのと同じくらいにアホらしい。なんせ、コトは神サマの話ですからね。


それはさておき、神武東征の話が99%ウソだとしても、1%が引っかかる。全部デタラメなら「東征記」は書けたのか、という疑問です。
 地理、地図が好きな駄目男が昔から不思議に思ってることの一つは、東征記のネタになった「古事記」「日本書紀」成立の8世紀はじめにおける権力者の地理概念です。この時点で記紀のライターたちは日本国のカタチ、広さをどれほど把握していたのか。国境の概念はあったのか。


東征のラスト近く、神武軍団は明石海峡~大阪湾から河内湖を経て生駒山麓に着き、上陸作戦となるが、待ち構えた地元の蛮族(西部劇に出て来るインディアンみたいな感じ)にボコボコにやられ、退却する。そして、大阪湾を南下、紀伊半島を半周して熊野で再上陸し、八咫烏をガイドにして大和を目指す。途中、宇陀あたりでも蛮族を掃討して進む。


紀伊半島を大きく回り込んで熊野で再上陸し、大和を目指す、のであれば、紀伊半島の地形と大和の位置の認識がなければならない。私たちは、ハハン、ここからここへ向かうのね、と地図をイメージして難なく理解できるけど、せいぜい山頂から風景を見渡すくらいしか出来なかった時代に、紀伊半島のスケールと「大和」の位置を認識するのはきわめて難しい。


神武東征が記紀のライターによる捏造だとすれば、彼らに地理的概念があったはずだけど、宮廷の舎人にそんな知見があったとは思えない。そうではなく、昔からの口伝を聞いて舎人が文章化したのであれば、その口伝者に地理的知識があったことになる。しかし、一定の土地に定着して農業中心の生活をした古代人が数百キロ四方の地形をイメージする必要などなかったし、出来なかった。熊野灘海岸に上陸して北へ進めば、大和に至るということを誰が知っていたのか。しかも、その大和とは、生駒山の向こう(東側)にある大和と同じであることを知った上での熊野~大和コースである。


熊野発、大和行き、といえば、私たちは「ああ、奈良交通の日本一長距離路線バスのコースね」と言いたくなる。これを神代の時代に知ってたなんて・・。(注)東征記のコースは熊野川沿いのコースでは無い。


もっとも、記紀が成立する100年以上前に遣隋使や遣唐使がシナとの往来をしており、もっと昔、神功皇后の時代には三韓征伐の話もあるのだから、世界は広いという漠然とした空間認識はあったでせう。しかし、それらの国際情報は外国人がもたらしたものであり、日本人の発想ではない。それなら、九州北部から瀬戸内海を通って大阪~大和に達するのは、熊野~大和コースよりはやさしい。


神武東征記がまるきりインチキというなら、古事記、日本書紀もインチキ文献になる。まあ、実際、インチキが多いとしても、それなら、東征記に関わる各地の伝承も全部ウソであって、それらはインチキ話に基づいて、記紀執筆の後の時代に捏造された伝承、インチキ史跡である、ということになる。つまり、みんな8世紀以後に生まれた伝承になる。


では、そのインチキ情報をどうして各地に伝えたのか。コピーを配布して「日本書紀には、あんたの村には〇〇岩という大岩伝説があると書かれているので、それらしい岩を用意してカッコつけて下さい」とお触れを出したのか。もし、8世紀以後に、そんな伝承を捏造したら文字記録に残る可能性大であります。そもそも、当時の宮廷に地方の末端まで指図、命令できる力はなかった。記紀の記述に合わせて各地に伝承をつくるのはかなり難しいのではないか。


鶏と卵の関係のように因果関係が分かりにくい。はじめに伝承があって記紀が生まれたのか。それとも、記紀が成立したあとで伝承がつくられたのか。なんとも言えないが、「海道東征をゆく」を読むと、はじめに伝承ありき、のほうが説得力がある。「ま、なんや、よう分からん」というのがホンネでありますが。


神武東征のコース
東征 


東征 


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●「不二現代書展」鑑賞 ~大阪市立美術館~

 知り合いの田代光枝さん(93)が投稿した詩が産経新聞「朝の詩」に選ばれたことは昨年末に書きましたが、娘さんがこの詩をテーマにして書道展に応募したところ、これもめでたく入選、という知らせがあったので拝見に出かけました。 書道展にはめったに行かないので、少しは「書の現代」の学習になるかと思った次第です。


この団体が奈辺の位置にあるのか知らないけど、文化庁や大阪府、大阪市が後援してるので、そこそこ歴史と実力を認められてるのでせう。 会員の作品と一般からの応募作品、ほぼ半分ずつの展示ですが、この世界に全く疎い自分でも、チカラの差は納得できます。単品で見比べたら差が分かりにくいけど、大量に並べると「やっぱり、ちゃうな」と実感できる。しかし、どこがちゃいまんねん?と訊かれると説明しにくい。


文字自体が芸術作品になるのは、恐らく漢字、仮名だけではないでせうか。アルファベットも美しく装飾化はされるけど、ゲージツには至らない。漢字、仮名だけが独創的な表現が許され、それが鑑賞に値する。しかし、本家、中国は「簡体字」が普及して文字の美的価値は失われつつあります。プロ、アマ、問わず、文字の芸術的美しさを追求して、それでジャンルを確立しているのは日本だけかも知れませんね。

 逆に、文字自体に全く美的価値がないのはお隣の韓国のハングル。どなにいじくり回しても、造形的に美しくならない。アラビア語のほうが遙かに美しい。ま、民度に釣り合った文字、と思えば納得できますけど。 下の作品は自分の「お気に入り」のいくつかを写したものです。


はじめに、田代さんの娘さん、中島香恵さんの作品<ふたり>
書道展


良寛の句「ほろ酔いの あしもと軽し 春の風」ふつうに上手い作品。
書道


「戦死せり 三十二枚の 歯を揃えへ」歯の漢字の表現にこんな方法もあるのかと。着想が秀逸。
書道

文部科学大臣賞をとった作品。ナンデアル?・・「断」の字です。上手、ヘタの問題ではありませんね。ほとんど発狂状態で描いたのかもしれない。
書道


これもナンデアル?・・羽生弓弦選手のスケーティングにインスピレーションを得て描いた「舞」の字。そう言われたら「舞」に見えてくるところがミソ。しかし、このカタチを得るまでどれほど試行錯誤を繰り返したか、を想像すると、そこはプロの業というしかない。シロウトは千回練習しても達し得ないでせう。
書道

会場風景(公募作品の部)    本展は21日まで。無料。
書道


犬町・猫町情報



private


             4月号表紙 by ぽんさん


4月表紙


    森林浴セラピーの具体的効果は 私たちだけでなく、後の・・・・・


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●4月わんぱく 御案内

4月6日~7日のわんぱく
集合時刻 大阪発の案内 

6日(水) 13時00分 日生中央駅 改札口集合
13時15分発の送迎車(貸切)に乗車します。

参考ダイヤ*************** 
阪急梅田発  12時10分(宝塚線)
川西能勢口着 12時30分
日生中央行きに乗り換え 12時34分発
日生中央駅着 12時54分 
運賃580円

■宿泊費等、精算用千円札、小銭をご用意下さい。


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●3月例会 レポート   (3月10日実施)
 富田林寺内町から錦織公園へ 
~担当 たなかさん~


 今年はじめてのアウトドア例会は、富田林寺内町から石川の堤防を歩き、旧高野街道を経て錦織公園へ。梅は散っていましたが、菜の花が盛り。園内の「河内の里」で昼食にして、各自、持ち寄りの酒、肴を賞味しました。昼間から旨酒にありついて「アルチューハイマー」発症であります。一升瓶を背負い、奥様手作りの酒肴も用意されたIさんほか、ご苦労さまでした。帰りは公園から金剛団地を抜けて金剛駅まであるきました。


スケッチ「富田林寺内町 旧杉山家」 サウダージさん提供
錦織

石川河川敷を歩きます。
錦織

河内の里で記念撮影
錦織

「越後桜」「秋鹿」など上等のお酒がそろいました。
錦織


手作りの酒肴もいろいろ
錦織



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読書と音楽の愉しみ



●井上ひさし著「わが友 フロイス」
 川崎桃太著「続・フロイスの見た戦国日本」を読む

 さしたる期待もせずに手に取った本が予想外に面白かった、ということがままあるけど、本書もその例。ルイス・フロイスとの最初の出会いでもあります。2冊読んだのは、井上本が手紙文形式でフロイスの人となりを伝え、川崎本がフロイスの著した「日本史」の断片を取り上げていて、合わせてフロイスの業績が理解できるからです。


フロイスはまじめで誠実なキリスト教宣教師である半面、好奇心満々にして饒舌という「神のしもべ」らしからぬ性格の持ち主であったらしい。見たこと、聴いたことを即時に文章化できる能力に長けているために、膨大な記録が生まれ、16世紀、日本の戦国時代の歴史編纂に大きな役目を果たした。もし、彼がいなければ、織田信長や豊臣秀吉の人物像が少し違ったものになっていたかもしれない。戦国時代をヨソ者の眼で観察した貴重な記録を残した。


せっかく、遠いポルトガルからやってきたのに、日本は戦国乱世のさなかだった。フロイスにとっては不運だったが、得もした。外国にものすごく関心が高い、信長と秀吉にサシで面会できた。それも儀礼的な対面では無く、自由にモノが言えるフランクな対話ができた。

伏見城で秀吉と面会したときは、こんな会話があった。
 秀吉「予に多くの側室を持つことを許すなら、キリシタンになってもよいぞ」と言うと、フロイスは「殿下、そうなさいませ。殿下一人が地獄へ行っても、日本人は助かりますから」秀吉「ぷはは」ぷはは、は駄目男のオマケでありますが、普通なら、即時、首が飛ぶところでありませう。フロイスは、内心、秀吉を嫌悪、軽蔑していたが、そんなことおくびにも出さず、チャラけた会話もした。


宣教師たちは使命感に燃えて、一所懸命に布教活動をしたが、成果はイマイチだった。一番の難儀は、権力者がほとんど気分で、キリスト教を許したり、禁止、弾圧したりと、めまぐるしく変えたからである。いらついたフロイスは、本国あてに「艦隊を送ってくれ」とか、信者を守るために「砦を築きたい」と請願して、およそ、平和の使徒らしからぬことを言いだし、すべて却下されている。まあ、気持ちは分かりますけど。


フロイスには、相手を見て瞬時に性格を見抜く感受性の鋭さがあり、彼が書き残した、信長や秀吉、明智光秀、石田三成といった大物の人物像は、現在、私たちがイメージしている人物像と変わらない。(むろん、好き嫌いはあるけど)信長を討った光秀は悪人としつつも、無益な殺生はしなかった、まっとうな人間性は認めている。


あれこれ言いたいことがいっぱいあって、本国に手紙を出すと言ったって、片道2年、3年かかる。返事がくるのは数年後になる。途中で遭難、沈没も普通に起きる。今じゃ考えられない不便な時代、それでも布教活動をやめなかった意思の強さには感心するばかりであります。


その間に、フロイスは日本で見聞、経験したことをマメに記録し、欧州人による「日本史」にまとめた。その膨大な資料を発見し、コツコツ日本語訳本をつくったのが川崎桃太氏だった。ライフワークになった、この地味な仕事にも敬意を表します。(井上本 1999年 ネスコ発行・川崎本 2012年 中央公論新社発行)


フロイス

閑人帳


●替え歌「平成枯れすすき」つくってみました

 3月12日の記事でantaresさんがつくった替え歌「♪そして神戸・・改め・・♪そして民主」を紹介しました。これに触発されて、駄目男も民主党の名前が民進党に変わることを記念し、民主党怨歌「平成枯れすすき」をつくりました。元歌はむろん「昭和枯れすすき」であります。

「昭和枯れすすき」の歌詞はこれです。
歌手は、さくらと一郎。

貧しさに負けた
いいえ 世間に負けた
この街も追われた
いっそ きれいに死のうか
力の限り生きたから 未練などないわ
花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき


そんな古い歌、知らん、と言う人はこちら・・・
https://www.youtube.com/watch?v=iHpdxhwgJpA


***************


駄目男作詞の「平成枯れすすき」
歌手は 蓮舫と克也です。

維新に負けた
いいえ 世論に負けた
この党も終わりだ
いっそ きれいに死のうか
無力のままで生きたから 未練などないわ
花さえも咲かぬ 民主は枯れすすき


****************

「民進党」って名前、台湾に新しく出来た政権党「民進党」のパクリですよね。二番煎じ。NHKの世論調査によると、民進党に「あまり期待しない」と「全く期待しない」を合わせると69%。


♪ 維新に負けた~~

kaeuta

♪ いいえ 世論に負けた~~
kaeuta

読書と音楽の愉しみ



●93歳 スクロヴァチェフスキの「ブル8」を聴く

 日曜日のEテレ「クラシック音楽館」でブルックナーが取り上げられるのは稀、さらに、指揮がスクロヴァチェフスキとあれば聞き逃すわけにはいかない。早めに風呂に入って、パジャマ姿で寝転んでの鑑賞であります。(今回、ようやく、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキの名前を覚えた。しかし、明日には忘れてるかも)


1923年生まれだから、今年93歳。現役最高齢指揮者かもしれない。しかも、椅子を使わず、譜面も見ずの演奏が85分(「第九」より10分くらい長い)だから、途中でへなへな~とならないか、余計な心配してしまいます。今回の演奏は読売日本交響楽団。


感想をくどくど書いても、誰も読まないので略しますが、ま、とことん、デリカシーにこだわる、上等吟醸酒の味わいであります。メンバーもよく応えていた。そして、第4楽章のコーダ。これが、あっと驚くどんでん返しでありました。最後の3分は、プレイヤーも聴衆も血圧がぐんぐん上がってクライマックスになるのでありますが、スクロおじいさんの棒は「お茶漬けの味」を選んだ。あっさり、軽~い、今まで聞いたことのないブル8のラストシーンでありました。こんなん、ありんすか?が正直な感想。93歳だから枯れた演奏でいい、ではないと思うのですが。


20年間、朝比奈隆の「解釈と演奏」に洗脳されてきた駄目男にとっては衝撃のブルックナー8番でしたが、会場のブルックナーファンもさぞ面食らったのではないでせうか。(1月21日 東京芸術劇場)


6歳でブルックナーの交響曲と出会った
burukkuna-


buru


団員が舞台を去ったあとも喝采に応える・・朝比奈隆の演奏でも同じシーンがあった。なつかしい

buru

大阪日暮綴



●交通費は一ヶ月 5450円

 乗物の運賃支払いがカードシステムになってから、消費額は簡単にわかるようになりました。入金時のレシートを残しておいて、合計するだけです。但し、家計簿に「今月の交通費」を記入する人は、カード支払いはかえって不便かもしれません。


2011年から15年までの5年間、カード乗車の合計運賃は32万7000円でした。一年間では6万5400円、一ヶ月平均では5450円になります。想像していたよりは少ないな、という感じです。(注)ジパング割引きを使うような長距離乗車は含んでいません)


少ない理由は、ロージン向けに市営交通の大幅割引きがあるからで、これがなければ、一ヶ月一万円くらいになりそうです。地下鉄、バス、一回50円というのが助かります。(別途に年間3000円負担要)それでも、この割引制度の利用者が60%台だそうです。乗物を使う外出はほとんどしない人が多いということです。


交通費のことだけ考えたら、年寄りの都会暮らしは恵まれています。移動1キロ当たりの費用を考えたら、ものすごい差があるのではと察します。マイカー使用の場合、車の代金(ローン)、ガソリン代、保険料、車検費用、税金、修理・メンテ諸費用、高速道通行料金、駐車場料金・・ウンが悪いときは交通違反罰則金も発生します。これらの経費は田舎で暮らしても同じだから、都会のロージンの数倍はかかるでしょう。
 

1000円~2000円の入金が多いのは、一万円札の両替を兼ねているため。
ピタパ
 



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閑人帳



●hahaha! ケッサクです
  ♪そして神戸・・改め・・
♪そして民主

 antaresさんがブログに投稿された替え歌がナイス。前川清とクールファイブがヒットさせた「そして 神戸」を「そして 民主」にチェンジしたら、まあ、哀感、胸に迫るではありませんか。

↓ これを聴きながら、歌詞を下のように読み替えて下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=seJvGjvmOaQ


民主 変えてどうなるのか
変えられたわが身が みじめになるだけ
民主 焦る気持ちうつす
濁り水の中に プライド投げ落とす
そして 民主が終わり
そして 維新も終わる
夢の続き 見せてくれる
相手捜すのよ~~~~。

切なくて、涙ちびりそうになります。


あんまり、いちびらんといてや。んぐぐ。

岡田代表

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原曲はこれですね。

神戸 泣いてどうなるのか 
捨てられた我身が みじめになるだけ
神戸 船の灯うつす 
濁り水の中に 靴を投げ落とす
そして ひとつが終わり
そして ひとつが生まれる
夢の続き 見せてくれる 
相手 捜すのよ


前川清の歌って、賞味期限が長いというか、
聞き飽きない歌が多いですね。

読書と音楽の愉しみ



●群ようこ著「働かないの~れんげ荘物語~」を読む

 大手広告代理店でガツガツ働き、しっかり高給を得ていた45歳のシングルウーマンがある日、こんな生活でいいのか、と疑問を抱き、退職する。以後、貯金を取り崩してゆくだけの無職暮らし。よって、生活費は月10万円を厳守する。一番の出費であるアパートの家賃は3万円。築数十年の木賃、6畳一間きり、風呂、トイレ共同のサイテー物件である。その名が「れんげ荘」で、主人公、キョウコは結構気に入っている。


そのマルビ生活ぶりを描いた小説。毎月、貯金を目減りさせながら、当然、不安と焦燥感にさいなまれつつ、しかし、表向きは明るく暮らすという境遇は駄目男と同じであります。ただ、労働を拒否しながら、いざとなれば、仕事につけるキョウコと、それはほぼ100%絶望的な駄目男の違いはあるけど、キョウコがバイトなどはじめたら小説にならない。


大事件は起きず、隣人や昔の友だちもいい人ばかり、という設定に物足りなさを覚えるけど、それは著者のスタイルだから是としませう。物語にメリハリをつけるために、区役所の職員が執拗に「なぜ働かないか」を問い続ける一件と、趣味ではじめた刺繍がイメージ通りに進まず、指先の細かい作業で「老い」を自覚する話が盛られている。そして、何を言われようと「私は私」と割り切ってるつもりなのに世間や他人が気になる。まあ、こういう小さな葛藤も普通のことでありませう。話はさらに続くようで、主人公はキョウコではなく「れんげ荘」のようであります。(2015年8月 角川春樹事務所発行)

群ようこ


それにしても、東京の家賃は高い
 6畳一間、風呂、トイレなしのオンボロアパートの家賃が月3万円。東京都区内としては、ローエンドといえる安値かもしれません。著者は実勢を調べた上でこの金額を設定したと思われます。
 現実に3万円の物件はあるだろうか。ネットで探してみたけど、なかなか出て来ない。不動産業者の認識では、3~5万円という家賃は単身の生活保護費受給者向けの物件らしい。どうにか見つけた3万円の部屋はコレです。


■東京の3万円物件例
東京都中野区 最寄り駅より徒歩5分。洋室4帖。
風呂、トイレ共同 家賃3万円
群

■大阪の3万円物件
大阪にも3万円の物件はあるだろうか。近所の不動産業者の広告看板で探しました。築年数が古いけど、大阪では3万円の物件でも、風呂付き、トイレ付きの、少しはマシな暮らしが出来そうです。


和室 6畳と3畳 DK 風呂・トイレ付き 共益費ともで3万円
群 



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●こんな都知事で委員会?

 全国都道府県の知事のなかで、一番好かんタコは沖縄の翁長知事、二番目に嫌いなのが東京の桝添知事。そのマスゾエさんのとんでもない贅沢な視察旅行ぶりが報じられている。以下引用。


舛添都知事のロンドン・パリ出張費 20人で5000万円なり

 東京都は7日、昨年10~11月に舛添要一知事がロンドン・パリを訪れた際にかかった海外出張費が、計20人分で総額5042万円に及んだことを都議会の予算特別委員会に示した。その直前に訪れたソウル出張には、11人で約645万円かかっており、今年度は計5700万円が海外出張に費やされていた。

 舛添知事は2020年東京五輪・パラリンピック開催に向け“都市外交”にさらに力を入れる方針。来年度予算案には、都市外交関連費19億円のうち3億3500万円が海外出張費として計上されているという。都によると、ロンドン・パリ出張は昨年10月27日から5泊7日の日程で、知事ら20人が参加。ロンドンで開かれたラグビーW杯の決勝を視察し、パリ市長と面会するなどした。ソウル出張は同月19日からの1泊2日で、韓国の毎日経済新聞社が主催する「世界知識フォーラム」で講演、ソウル市長と対談するなどした

引用元
http://www.sankei.com/politics/news/160308/plt1603080002-n1.html


ロンドン・パリ出張は5泊7日 一人当たり250万円。
ソウル出張は1泊2日 
一人当たり59万円。

 びっくり仰天の金額ではありませんか。おそらく、随行の役人でも飛行機はファーストクラス、ホテルは一泊10万円クラスの部屋に泊まったのでせう。そうでないと、お金の使い道の説明がつかない。これ、都民の税金で賄ってるという自覚が全くないと言われても仕方ない。


都議会で問題にされないのか。されないから実施したのでせう。もしや、議員も同じような大名旅行してるから問題にできないのかもしれない。都民はイチャモンつけないのか。これを看過するって、鈍感過ぎるではありませんか。東京都が財政豊かなことは知ってるけど、たとえば、区によってはひどい保育園不足で困ってる家庭がいっぱいある。


マスゾエさんが嫌いな理由は、人間的な魅力が全く感じられないこと。この点、間抜けなイノセさんや、横暴イシハラさんよりも劣る。さらに、就任早々、韓国のパク大統領と会談したときの最高に卑屈な態度は忘れない。(下の写真)とはいえ、選挙のとき、ほかにマシな候補者がいなかったのも事実。コレしかなかった。次回、再選されないことを願うものであります。



masuzoe


ウオーキング・観光



●中山観音の梅林

 4月中旬の暖かい日和りのもと、阪急宝塚線沿線の中山観音へ。もしや半世紀ぶりくらいの訪問ですが、当然、境内の風景は様変わりで、記憶が戻りません。山門から本堂に至る間の建物がみんな立派な上、ただ今五重の塔の再建工事中です。完成すれば、一段とカッコイイ風景になります。


参道はゆるい坂道ですが、石段のあるところ、二カ所にはエスカレータが設置してあるというサービスの良さ。拝観料をとらない寺なのに、どうしてこんなに贅沢な施設をこしらえることが出来るのか、不思議であります。奥のほうには食堂が、手前には100人くらい入れるカフェもあります。そういえば、参拝客が多い割りには、本堂で手を合わせている人は少ない。みなさん、ほとんどが参拝客ではなく、レジャー客なのでした。


梅は満開から散り始めになりかけたところ。ボリュウム感ではイマイチですが、よく手入れされていて、坂道を上がるたびにアングルが変わり、見上げ、見下ろしの風景が楽しめました。(3月8日)


山門
中山寺 


エスカレータ
中山 


梅林
中山 


中山 

中山 


カフェ「梵天」
中山 



たまには外メシ



●震災復興応援?・・「牛タン弁当」1380円ナリ

 弁当を買って家で食べるのも「外メシ」であります。近鉄百貨店本店の催し場で行われている東北六県の催事に立ち寄って買ったのは、仙台の「利休」というところが作ってる牛タン弁当。本当は隣の店の「ステーキ弁当」が食べたかったけど、値段が2500円もするので、マルビにはきつい。


さて、牛タン弁当、写真のようなボリュウムで、これなら高くはないか、という感じ。焼き肉店で食べるより、やや柔らかい食感なのは、焼き方の違いだと思います。ほかに、山形県の白ワイン「高畠」を購入。


牛タン弁当

犬町・猫町情報



●元気に歩いてます・・新潟・村上野道クラブ

 雪の多い地方はウオーキング活動もやりにくい気がしますが、村上の皆さんは冬でも16キロのコースを企画、参加者も20人を越える盛況です。電車やバスに乗らなくても、町なかからいきなり自然豊かなコースが設定できるのだから、都会人にはうらやましい限りです。

 ここでは、2月27日に実施した「大池コース」というプランを紹介させてもらいます。村上市は、新潟から北へ電車で約1時間、山形県の県境に近い海辺の町です。市内の三面川は鮭の遡上が盛んで、地元の名産。海岸には「瀬波温泉」があります。南寄りの塩谷地区には、新潟県で一番低い「稲荷山」があり、地元の名所にしようと売り出し中です。


クラブ代表 佐藤さんの記事
 毎年ながら厳冬期のこのイベントは天気が心配。幸い予報よりも好天気に恵まれ、コースの積雪も深い所で15㎝程度で心配することなく歩いた。岩船港直売所でゲンギョ汁のサービスをいただく。大池へ分岐点の東屋で昼食。塩谷は野沢食品で休憩し、稲荷山を経て荒川土手道を歩きゴールを目指す。風も少なく気持ちよいウオーキングの1日だった。参加者も久しぶりに20人を越えた。

ブログ・村上の野歩
http://sa4410.at.webry.info/201602/article_1.html



大池の白鳥
村上 


村上 



これが新潟最低山「稲荷山」15,3m 山頂に社と展望台あり。
村上 


地元でつくった登山証明書。駄目男は上ってないのに頂戴しました。感謝。
村上 



半畳雑木林



●「半畳雑木林」はや五年目

 面白半分にはじめた、ベランダにタタミ半分サイズの雑木林をこしらえる貧乏趣味が五年目を迎えました。今まで植えた樹木のタネは20種類以上、発芽率は5~6割という感じです。みんなが成長すると、ベランダが樹木に乗っ取られてしまうので、高さはせいぜい1mまでにセーブします。(強風でコケてしまうという理由もあります)


 なので、五年目を迎えたのはクスノキだけです。昨年は、この木にアゲハチョウが卵を生み、無事成長して、羽化する瞬間を朝の食卓で観察することができました。私有雑木林のオーナーならではのリッチな経験です。このクスノキ以外は1~2年モノ。盆栽趣味ではありえない、めまぐるしい「更新」です。


わっ! えらいとこで生まれてしもた~。え、ウチはビールで育ったん?
5年目雑木林 


昨日はぽかぽか陽気だったので、種まきをしました。昨年はモミジバフウが育たなかったのでこれを撒き、クヌギとシマトネリコも。これは2回目です。そして、Sさんが送ってくれた、京大の湯川記念館そばの大木の下に落ちていたタネ2個も。樹木名は不明、無事に発芽するかどうか、楽しみです。


5年目




五年目 



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読書と音楽の愉しみ


●国木田独歩著「武蔵野」を読む

 今ごろ、そんな本を読んでまんのか? と笑われそうでありますが、たまには、こんなシミジミした心洗われる作品を読むのもいい。最近読んだ「にごりえ」や「放浪記」(原典版)もシミジミ名作でありました。


 「武蔵野」は小説作品だそうですが、読めば、長めの随筆か紀行文という印象になります。明治時代中頃の武蔵野の風景の魅力をあますところなく描写していて、まあ、これ以上、上質の文章はない。堀辰雄が「風立ちぬ」で描いた信州の高原風景とともに、山野渉猟が好きな人にはバイブル的名文だと思います。


で、当時の武蔵野って何処らへん?と素朴な疑問が起きますが、イヤハヤ、現在の東京都の都心も昔は武蔵野なのでありました。東京駅から30キロも離れたら、もう田舎の上にドが付く辺境の地でありました。こんなことを知るだけでも楽しい。ウソみたいな話ですが、本書の一部を抜粋して、在りし日の武蔵野風景に浸っていただきませう。


 もしそれ時雨(しぐれ)の音に至ってはこれほど幽寂のものはない。山家の時雨は我国でも和歌の題にまでなっているが、広い、広い、野末から野末へと林を越え、杜(もり)を越え、田を横ぎり、また林を越えて、しのびやかに通り過く時雨の音のいかにも幽かで、また鷹揚な趣きがあって、優しく懐しいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であろう。自分がかつて北海道の深林で時雨に逢ったことがある、これはまた人跡絶無の大森林であるからその趣はさらに深いが、その代り、武蔵野の時雨のさらに人なつかしく、私語(ささや)くがごとき趣はない。

  秋の中ごろから冬の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田ケ谷、または小金井の奥の林を訪(おとの)うて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよ。これらの物音、たちまち起こり、たちまち止み、しだいに近づき、しだいに遠ざかり、頭上の木の葉風なきに落ちてかすかな音をし、それも止んだ時、自然の静蕭を感じ、永遠(エタルニテー)の呼吸身に迫るを覚ゆるであろう。武蔵野の冬の夜更けて星斗闌干たる時、星をも吹き落としそうな野分がすさまじく林をわたる音を、自分はしばしば日記に書いた。風の音は人の思いを遠くに誘う。自分はこのもの凄い風の音のたちまち近くたちまち遠きを聞きては、遠い昔からの武蔵野の生活を思いつづけたこともある。


どないです? 嗚呼、タイムマシンで明治時代に帰りたいと切実に思うのは駄目男だけではありますまい。逆に、国木田独歩が平成28年の今、東京に現れたら・・。思わず、ドヒャ~~ッと喚いて気絶するかもしれない。武蔵野の雑木林の木々が超高層ビルに化けているのだから失神モノであります。もっとも、独歩ももう少し長生きしたら、ビルが並ぶ銀座の風景も目にしただろうから、ショックはいくぶん小さかったと思います。

他に「忘れ得ぬ人々」「非凡なる凡人」も読む。小品ながら、感銘深い傑作であります。(2003年 教育出版発行)


向井潤吉が描いた武蔵野風景(戦後の作品) ~NHK日曜美術館から~
武蔵野


これは作者不詳
武蔵野


大阪日暮綴



●「キャットアート展」鑑賞  ~心斎橋大丸~

 Oさんに誘われて、心斎橋大丸の「キャットアート展」へ。シュウ・ヤマモトという画家が古今の名画の主役を全部ネコに置き換えて描いた作品の展覧会です。だから、鑑賞者は美術ファンではなく、ネコ好きがほとんどではと思います。


ゲージツなのか、パロディなのか? と問われたら、パロディなんでしょうが、絵はとても丁寧に、かつ原画の名作へのリスペクトを感じさせる達者さで描かれているので鑑賞価値はあると言えます。では、市場価値は?というと・・う~ん。
 デパートで開催して、入場料が500円ナリ、というあたりにビミョーな「市場価値」が表れているようです。もし、1000円なら「ざけんな」と、批判が出たかもしれない。その辺は、作家も鑑賞者も、アートよりはビジネスライクな活動と割り切っていいのでは。


Oさん自身、石ころにネコの絵を描く趣味に執心していて、当日、カフェで最近の作品を見せてもらいましたが、技術的にこなれてきて、それこそ「鑑賞価値」が増してきました。(下の写真参照)
 かわいがってきたネコが亡くなったあと、生前の写真をもとに描くそうですが、そっくりさんと思わせないとネウチがないため、丁寧、かつ、リアルに再現しなければならない。遺影ならぬ、遺石というわけです。そんな苦心作を無料でプレゼントしているのだから、まあ、欲が無いというか、これも地味な奉仕活動といえるでせう。(同展は3月1日で終了)


フェルメール「真珠の耳飾りをした少女」から
ネコ


クリムト「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像」から
ネコ


広重「東海道五十三次 御油」から
ネコ


Oさんが石ころに描いたネコたち(長さ10センチくらい)
ネコ





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