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プチ・ケチの研究



●化繊のタオルを使ってみた

 ナイロンやポリエステルだけでつくった、吸水性の皆目ないタオルを使ってみた。もうとっくに普及済みで目新しさはない商品かもしれない。最初に買ったのが標準的なものみたいだが、強烈な感触(肌触り感)にびっくりしました。顔をこすれば、まるで紙ヤスリでこすってるが如し、ヒーヒー痛いのであります。誰やねん、こんな拷問道具みたいなタオル考えたのは、と文句言いたくなりました。


しかし、良い点もあることが分かった。
泡立ちがすごく良い=石けんの節約になる
泡切れもすごく良い=湯水の節約になる
 と、この点で大層なスグレモノであります。ケチンボ、貧乏性の味方といえる商品です。石けん(固形石けん)の減り方を見ると、普通の木綿のタオルに比べて5割くらい節約できそう。ただ、このタオルは吸水性が全然無いので、入浴では普通の木綿タオルと2種のタオルを使い分けることになります。


三ヶ月ほど使って、しかし、もうチョット肌にやさしいのが欲しいと二枚目を購入。同じ素材ながら、織り方に工夫があって、感触は木綿とあまり変わらないのでホッとしました。値段も高くないので、プチ・ケチ精神旺盛な方におすすめです。但し「本品は洗濯機で洗わないで下さい」という注意書きがあるので、もしや、他の洗濯物をガシゴシこすって痛めるのかもしれない。


左が標準(480円) 右がソフトタイプ(380円)和歌山県の「アイシン」の製品

タオル







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ウオーキング・観光



●関西学院に博物館誕生

 美しい芝生広場に建つ時計台・・関学・上ヶ原キャンパスの象徴であるクラシックな建物が博物館に変わり、一般にも公開されました。展示は関学の歴史を伝える地味なものですが、これが一般者の訪問の動機付けになり、より開放されたキャンパスのイメージが増すと思われます。


この上ヶ原キャンパスの学舎の設計は、心斎橋・大丸百貨店の設計をした、W・M・ヴォーリズで、明るいスパニッシュスタイル、以後に新増築した建物もこのスタイルを踏襲しています。説明によると、時計台(用途は図書館)の建て物は竹中工務店の社長さんの寄贈だそうで、昔の社長は太っ腹ですね。


愛称は「時計台ミュージアム」に
関学  


2階の展示室
関学



キャンパスが開発される前の上ヶ原。変わらないのは甲山の姿だけ。

関学





読書と音楽の愉しみ



●明智憲三郎著「本能寺の変 431年目の真実」を読む

 本能寺の変が起きた理由については「定説」が出来ていて、すでに常識化している。即ち、信長と光秀の確執・・信長の光秀イジメが謀反の原因だったと。でも、なんだか全面的には納得しがたい点もある。


本書は、光秀の末裔が膨大な資料を読み込み、自分で異説を編み出したもので、なかなか説得力はあるのですが、だからといってこちらが「真相」たり得るかといえば・・。う~ん、難しい。しかし、面白い読み物であります。


一番新鮮な発想は、信長が本能寺へやってきたのは、光秀と共に謀って徳川家康を暗殺するためだった、という話です。この三人、当時はお互いに殺し合いあをするような仲では全くなかった。お互いに尊敬や信頼で結ばれた間柄と思われていた。現在の「定説」でもそう見られている。


しかし、権力者たるもの、いくら強大な天下人になっても常に謀反、暗殺の不安から免れることはない。実際、当時の信長と家康は同盟を結ぶ間柄であったし、家康が謀反を起こすような懸念はなかった。
 それでも、信長は「いずれ俺の命を狙うのは家康」という猜疑心がふくれあがり、信頼を置いている光秀と家康謀殺の案を練った。そして、用意周到に準備し、天正10年6月、本能寺で討たれたのは信長だった。
 このシチュエーションを想像するだけで、これって映画にしたら面白いのとちゃう?と思ってしまいます。ホント、面白い発想です。


あの用心深い信長が、なぜ、わずか二、三十人の、小姓中心の供しか連れずに本能寺へ宿泊したのか。定説ではこの疑問に対する答えはないように思うのですが、本書では、これは家康を油断させるためとある。家康側は四~五十人の面々で招かれており、戦闘力では信長側は明らかに劣る。すなわち、ウチはこんなひ弱な面々、テロなんか起こしませんよという家康へのメッセージだった。


しかし、これが信長と光秀の考えた作戦で、信長が家康を接待しているときに、突然、光秀の軍が乱入し、家康を襲う・・という筋書きだった。そうだったのか。よく考えましたなあと褒めたくなる作戦だったが、事実は小説より奇なり、殺されたのは信長でした。


もっとも、ここに至るまでの経過はとても複雑で、武将だけでなく、貴族や僧侶や神官や商人まで絡む、こんがらがった人間関係が綾をなし、昨日の友は今日の敵、状態が繰り返されて無茶ややこしい。細川藤孝や筒井順慶といった面々は後世の世評通り、日和って要領の良さを見せるし、一本気な男は簡単に殺されたり、切腹を命じられたりする。


信長は天下統一したら、次は海外遠征、シナへ打って出る計画をもっていた。国内では戦功のあった大名に与える土地が無くなってきて、ならば海外へ・・要するに覇権主義思想です。しかし、この案に賛成する武将や貴族はおらず、外地での戦争を想像するだけでウツになる人もいた。もし、実行すれば光秀も当然、シナへ出陣しなければならず、彼は心中では覇権主義は反対だった。これも謀反の原因の一つだと著者は言う。


しかし、信長の遺志を継いだ秀吉はこれを実行した。結果は・・大失敗だった。そして、秀吉も暗殺恐怖症にかかり、猜疑心から身内を含めた貴重な人材を殺してしまった。この遠征プロジェクトがなければ、秀吉の評価は10ポイントくらい上がるはずです。惜しい。(2013年12月文芸社発行)


本 本能寺




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●最近の演奏会から

佐渡裕のブルックナー「4番」を聴く

 兵庫芸セン・オケが創立されて10年、機は熟したりと定期演奏会で企画したのがこの演奏会。佐渡裕はブルックナー初体験、従って定演の聴衆の多くも初体験になる。型どおり「4番」からスタートして、今後経験を積んでゆく。世に「佐渡裕のブルックナー」が浸透するまでずいぶん年月がかかる。


4番ではホルン奏者の上手下手が演奏の「品質」を決めかねないのでハラハラするが、今回は無難にこなして合格。気になったのは、ティンパニの音がえらくくぐもった鈍い音に聞こえたことで、これはホールの特性かも知れない。全体にゆっくり目のテンポで、破綻はないが個性も感じない音作り、初演だから仕方ないか。第二楽章なんか朝比奈サンのスローテンポを思い出したくらいだけど、まずは慎重に、無難に、なのでせう。


自分の経験に照らしても、ブルックナーの4番、5番、7番、8番、9番の5曲を聴きこなすのに10年くらいかかったように思う。そんなの、CDを何回も聴けばええじゃないかと言われそうだが、聴きこなしって、そんなもんじゃないんですね。ここんところが、ジャズやポピュラーとは全然違う。キザな言い方をすれば、ウイスキーを樽で寝かせるような「熟成」が要る。違った指揮者、オケの演奏を聴くたびにビミョーな差異を聞き分けて栄養分を取り込んでゆく。長年にわたる聴きこなしは人間的成熟とあいまって、趣味道楽の域を超えた精神的ビタミンの役目を果たす。(言葉では説明が難しい)


ブルックナーの曲を普及させるためには、オケや指揮者の技量も大切だけど、聴衆の成熟が伴わなければファンは増えない。これがまた難しい。今回の演奏会ではじめてブルックナーを経験した聴衆の何割かは拒絶反応を示したはずだし、さりとて彼らを説得する術はない。朝比奈=大フィルコンビの時代と違って、聴衆の高齢化が進んでることも大きなハンディになる。60歳過ぎて、はじめてブルックナーを聴いて、ぞっこん惚れ込んだ・・はほとんど期待できない。


で、たったいま思いついたのでありますが、作曲家の生涯を描いた30分ほどの伝記DVDをつくったらどうか。図書館などで気軽に借りられたら興味をもってくれるかもしれない。映像のバックに曲のさわりの部分をカッコヨク流す。予習としては安直で、ミーハーっぽいけど、まずは曲と人物像を覚えてもらうのが肝要であります。(9月12日)


ブルックナー「交響曲第4番」の動画(第一楽章)
http://www.youtube.com/watch?v=2EFoDEgzs40





ウオーキング・観光



●河内ワイン館 見学

 Nさんの案内で羽曳野市駒ヶ谷にある「河内ワイン」の工場を見学・・といっても、中小企業だから30分もあれば十分です。あとは試飲してお土産にワインを買って帰る。よって、ワインに興味のない人が行ってもぜんぜん楽しくない。大勢の場合はランチ込みの企画もあるそうですが。


ガイドさんの説明では、大阪府にはワインメーカーが6社あり、当社がいちばん規模が大きいらしい。(近くには堅下ワインという会社もある)円高で、安くて美味しいワインがどどっと輸入され、国産はずっと日陰の身で、それでもコケずに細々と生産を続けてきた。
 長年の地味な努力が実って、近年はようやく「河内のワイン」が認識され、また、メーカーも宣伝に力を入れるようになり、このワイン館も見学者が増えて、ちょっと元気が出たそうですが、いずこも経営は苦しい。すぐ近くの「チョーヤ梅酒」が大成長したのに比べたら無名に近い。


いろいろ試行錯誤したけど、昔から栽培しているデラウエア種のワインが一番味に自信があるそうです。その辛口の白を土産に買って帰りました。出来たてだから、河内のボージョレってことになります。


近鉄南大阪線の駒ヶ谷駅から車で5分のところにある「河内ワイン館」
ワイン 


ぶどうの収穫は終わったけど、見学者用に少し残してある。
河内ワイン 


なつかしい「ダイハツミゼット」2台あって、1台はきちんと整備し、
現役だそう。イベントの日に走るらしい。
ワイン 


ショールームと試飲コーナー(左奥)
ワイン


ブドウ汁を搾る機械。これは旧型であまり使わないという。
ワイン


すぐ近くにある社長さんの自宅は純和風の立派な屋敷です。
ワイン


駅までぶらぶら歩いたら、旧家が結構残っていて、感じのいい道だった。
ワイン


土産に買った白ワイン。1290円。
ワイン


最近、力を入れてるのが梅酒で、これはブランデー仕込み。 焼酎のものよりずっと美味しい。

ワイン









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●最近の演奏会から

■スーパーキッズオーケストラ演奏会
          
(9月15日 AM10時50分~11時20分 MBSで放送)

   

 指揮者、佐渡裕の肝いりでこしらえた子供だけのオケ。小学生から高校生までの年代巾で、高校を卒業すると自動的に退団させられる。今年は創立10年の節目になる。メンバーは弦楽だけで約30人。


いくら佐渡さんの指導よろしきを得て・・といっても、しょせんはガキのオーケストラ、大人なみのレベルは無理だろうという先入観をもって聴いたら、これが見事に大ハズレでした。舞台のガキの幼い顔と生まれる音の素晴らしさのギャップにショックを受けたくらい、見事な演奏でした。大人のアマ・オケよりずっと上手い。


貧乏性の駄目男は、まず、子供のオケだから楽器だけでもハンディがつく。親はそうそう高価な楽器を買い与えることができない。適当に安もののヴァイオリンやチェロを使う。で、良い音がでない・・。こんなふうに、勝手に想像していたのがハズレました。猛練習によるアンサンブルのうまさでそんなハンディを乗り越えたのかもしれないが、ソロのパートでも十分良い音を出していたので「安物楽器論」は説得力なしです。


曲は、ビアソラの「ブエノスアイレスの四季」から「夏」、グリーグ「ホルベアの時代から」、バッハ「二つのヴァイオリンのための協奏曲」など。最後の、バーバー「弦楽のためのアダージョ」はチェロだけ6本の演奏で、メンバーの何其君が自らチェロ用に編曲したという。高音部がなかなかきつくてしんどい演奏なのに破綻無く弾きこなしました。


タイトル下に書いたように、9月15日AMに当日の演奏を含めたドキュメント作品が放送されるので、おひまな方は聴いてみて下さい。(8月30日 兵庫県立芸術文化センター大ホール)

動画では、短時間ですが、こんなのがアップされてます。
http://www.youtube.com/watch?v=MSdNZQyrjhU


キッズオケ



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●列島縦断鉄道旅 「10万円」はお買い得

 クラブツーリズムのチラシを見ると表題のようなプランがありました。鉄道ファン、中でも「乗り鉄」といわれる人には興味をそそるプランです。大阪発で、北は北海道・稚内から南は鹿児島・指宿まで鉄道で駆け抜けます。日程は5日間、ホテル3泊、寝台列車1泊。かなりきついスケジュールですが、乗り鉄さんなら苦にならないでせう。一日で最も長い距離を乗車するのは4日目で、仙台から鹿児島・指宿まで乗りっぱなしです。


でも、10万円は安いと思いますよ。通常価格なら乗車券だけで6万円くらいかかりそうですから、これに特急券、ホテル代、食事代なんかを加えると十数万円、いやもっとかかるでせう。ちなみに、東海道新幹線の往復はグリーン車利用だから、お得感はさらに増します。さらに、添乗員同行なので、人件費もコミでこの値段です。鉄道が好きでも、もう細かい時刻表を見るのが辛くなった、老いたるファンには魅力的なプランです。


ならば、駄目男も行きたくなる?・・いいえ、行きたくありません。移動するだけの旅なんてつまらない。やっぱり、知らない街へ着いたら、日暮れに酒場の暖簾をくぐる・・これがサイコーであります。ま、好き好きですね。


最果ての駅・・北端・稚内駅
 稚内駅 

最果ての駅・・南端・西大山駅
西大山駅 



ウオーキング・観光



●八尾・安中新田会所 見学

 江戸時代、平野部で新しい田畑が開墾されると、これを円滑に管理するために、開発者、所有者等による組織が必要になり、地域毎に集会所が設けられた。これが「会所」で、運営は地区の有力者が担います。


明治時代になって次々廃止されましたが、ごく一部が昔の面影を残して保存されています。八尾の安中新田会所も、最近になってようやく保存、修復工事が終わって公開されたので見学しました。
 この会所は、当地の有力者だった植田家が住宅を兼ねて建設したもので、いわば、自宅兼集会所といった公私混同型の建物です。場所はJR八尾駅から東へ徒歩5分の住宅街にあります。


この会所が設立されたきっかけは、1704年、大和川が付け替えられたあと、旧河川を再開発して新田を増やしたときの「土地の割り振り」を円滑にするためでした。誰某の農地はこの区画といった、今の土地台帳に相当します。具体的には地図をつくって区画と所有者を記入するのですが、そのサイズがすごい。
 長さ6,5m、巾1,5mで、縮尺は300分の1。正確を期すために(モメごとが起こらないように)こんなサイズにしたのだと思います。これに所有者の名前と田んぼのサイズを記してあります。(写真参照)それでも、実際にはいろんな問題が起きるから、これを合議するのが会所だった。封建制の時代にあって、一応、民主的な運営がなされたと言えるでせうか。


大和川の下流(柏原より下流)は自然の川だと思い違いしてる人がいるけど、100%人工の河川です。(淀川も毛馬から西は人工河川です)洪水の被害に耐えかねて何度も幕府に陳情し、ようやく認められて工事をしたのが300年前、驚くのはその工事期間の短さで、約15キロの区間をわずか8ヶ月で完成させた。手道具しかなかった時代にこの早さは信じがたいほどです。新大和川が完成すると、あたふたと旧大和川(という名前は無くて、現在の長瀬川や玉串川など)流域を埋め立て、灌漑用の水路に作り直し、旧河川敷で新田を開発した。このときに出来たのが会所です。


大阪には、ほかに加賀屋新田会所(住之江区)と鴻池新田会所(東大阪市)が昔の姿を残して保存、公開されています。いずれも趣のある屋敷です。


■安中新田会所
http://kyu-uedakejutaku.jp/

■鴻池新田会所
http://www.bunkazaishisetsu.or.jp/kaisho/

■加賀屋新田会所
http://www.city.osaka.lg.jp/suminoe/page/0000066283.html



会所の玄関
会所 


本宅と庭園
会所



座敷の一部
会所 



二階からの眺め
会所 



展示室の床タイルにプリントされた巨大地図
会所 






読書と音楽の愉しみ



●ドナルド・キーン著「百代の過客」を読む

 文庫版ながら、600頁というボリュウムにたじろいでしまったけど、読むなら今でしょ、の気合いで? 購入。しかし、案の定、なかなか進まない。つい、他のスラスラ読める本を優先してしまい、約2ヶ月を要してようやく読了。・・ということは、読む尻から忘れる忘却人間には感想文を書くにも、改めてひもとかなければならないハメになり、なんともしんどい読書でありました。


著者の意図は、日本文学の原形は日記にあるのではという推定で、平安時代から近代(江戸末期)までの作品77編を精読、論評した。一番古いのは「土佐日記」や「蜻蛉日記」から始まっている。翻って、読者、駄目男の意図は、本書を読んでおけば、日記文学の概論は会得できるハズという、ズルイ考えから発しており、しかし、余りにも中身が濃すぎて消化不良に終わってしまったのでした。


一つだけ印象深い考察を書いておくと、これは著者独自の論ではないのだけれど、日記の書き手には二つのタイプがあり、一つは、日常の出来事、自然の移ろいなどをリアルに記録する日記。もう一つは、日記という形を借りて文学作品として表現する日記であります。
 著者は、日本の日記作品の最高傑作は、多くの人が認めるように、松尾芭蕉の作品であり「奥の細道」が頂点だという。これは、間違いなく「日記」ふうの表現になっているが、芭蕉ははじめから(構想の段階から)リアルな日記ではなく、文学作品としての紀行文を意図した。言い換えれば、芸術的であればウソを書くのもいとわない、という態度であります。(奥の細道の正しい名称は「おくのほそ道」)


こういうことが論じられるようになったのは比較的近年で、奥の細道の旅に随伴した曾良が自ら書き付けた日記と比較検証したら、食い違いがたくさん見つかり、曾良が素朴にありのままに書き付けたと仮定すれば、芭蕉の文には、俳句も含めて「創作」が多い。リアルな紀行文ではないことが分かった。芭蕉は「奥の細道」の旅を思いついたときから、単なる紀行文では無く、百年、二百年後の人が読んでも評価に耐えうる芸術作品であってほしいと望み、一言一句、言葉を選び抜き、推敲に推敲を重ね、旅を終えて五年後にようやく決定稿を仕上げた。リアルに事柄を記録する日記なら、こんなに手間暇をかける必要はない。


芭蕉の目論見は見事に成就し、百年、二百年どころか、三百年経った今でも不朽の名作であり、俳句も国際的な広がりを見せ始めている。リアルな紀行文ではないと批判するような人はいない。


著者は「蜻蛉日記」や「とはずがたり」は日本の近代文学で大きなウエイトを占めた「私小説」の源流ではないかとも論じているけど、まあ、これという仕事の無い貴族が男女関係をネチネチと執拗に書き連ねる日記は「私小説」の元祖と思われても仕方ない。
 貧乏性の駄目男が感心するのは、平安時代のB級貴族の男女が恋を語るにも「源氏物語」の登場人物を引き合いにだすとか、ずいぶん教養の高さを示すことで、そもそも「本」の制作、流通システムがどれくらい出来ていたのか。普及には「写本」という方法しか無かった時代に、どうして読みたい書物を手に入れたのだろうか。ゲージツ論より貧乏性のほうが気になってしまうのでした。


それにしても、著者、ドナルド・キーン氏の博覧強記、日本文学に対する造詣の深さには感心するばかりです。この人、一回目を通した書物は全部脳にメモリーされてるのではと疑いたくなります。源氏物語から三島由紀夫まで全部語れるアメリカ人がいるなんて・・。その上、漢籍やシエイクスピア論、はては古今の映画まで引き合いに出してラクラクと文学を語り、なお謙虚さを失わない。


こんなに日本通なのに、本書を日本語で書かなかったのは何故か。その理由も書いてますが、何より金関寿夫という優れた翻訳家がいたからで、誰が読んでも英文を和文に翻訳したとは思えないくらいのこなれた日本語に訳されています。翻訳文ということを全く意識させない見事さです。(文庫版 2011年10月 講談社発行)


ドナルド・キーン