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読書と音楽の愉しみ


●重要文化財の部屋で聴くタンゴ

 アストロリコのメンバーのうち、タンゴでは珍しいトリオでの演奏会。場所は京都府庁旧館にある「正庁の間」。重要な接待や会見に使われた部屋で、旧館まるごと重要文化財です。現役の庁舎では日本最古の重文建物だそうです。


ピアノ抜きで大丈夫かい?と懸念しましたが、大丈夫でした。バンドネオン、ヴァイオリン、ベースのトリオでPAなしのナマ演奏。編曲の工夫もあってか、なかなか魅力的な演奏でした。聴衆は約90人、大阪から出かけたのは自分だけだったかも知れないが、こじんまりして、コンサートというより、サロンの雰囲気でした。


大阪では、12月6日に津村別院ホールで、フル編成(10人)でのコンサートがあります。駄目男はほかのコンサートとかち合って行けないのが残念。興味あるかたはHPをご覧下さい。

■アストロリコのHP
http://www.astrorico.com/index-j.html



京都府庁 


京都


京都 


京都
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●最近の演奏会から

大フィル9月定期演奏会

世にも奇妙な楽器「オンド・マルトノ」登場

 曲目はメシアンの「トゥランガリラ交響曲」全10楽章、演奏時間80分という長大な作品です。一応「彫刻」「愛」「花」といった標題がついていますが、まあ、ちんぷんかんぷんであります。初演は1949年。この曲が有名な割には滅多に演奏されないのは、技術的にしんどいのと、やたらコストが高くつくからと思われます。(大編成なので多数のヘルパーが必要になる)


人件費以外に、この曲の演奏には表記のオンド・マルトノというヘンテコな楽器が必要で、これの調達、演奏が困難らしい。正体は電子楽器の祖先といえるものですが、ネットで解説を読んでも、ホールで現物を見ても「音の出る仕組み」がさっぱり理解できない。
 終演後、自分を含めた物好きな聴衆が30人ばかり、ステージ前に集まって、あーだこーだと勝手に解釈したけど、結局「なんでっか、これは」と誰も仕組みが分からずじまいでした。


どんな音を奏でるかというと、そう、お化けが出るときの「ひゅ~~~ふわわわ~」てな連続音です。こんなもん、今の電子オルガンやシンセサイザーで簡単にでるはずですが、さりとてそれで代用しようという発想はアウトなのであります。
 金属をこすって出す音を変換、増幅するのは真空管のアンプ、嗚呼、懐かしい。それに、如何にも能率の悪そうなスピーカー。出力は小さいので音はバックのオーケストラに大音量にかき消され、前方の数十人にしか届かない感じ。当日の演奏は、この楽器演奏の第一人者、原田節さんでした。


オンド・マルトノの解説
http://atmk.sakura.ne.jp/ondes/omm_rev2.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%8E


当日演奏されたものと同じと思われる楽器一式(他にアンプなどがある)
マルトノ 


右手で鍵盤を弾いたり、金属の細い板をこすったり・・。左手で音量や音色?の調整をする。
マルトノ 

ウオーキング・観光


●宇陀市に新観光スポット  ~ワールド メイプルパーク~

 廃校になった木造校舎とその広い敷地を生かして生まれた「楓」専門の樹木園です。うたい文句によれば、1200種、3000本を植えたというから驚きです。個人のコレクションを受贈してNPOが育て、園を運営するそうです。今年春にオープンしたばかりなので苗や若木ばかりで観光価値は低いけど、里山に囲まれた緑豊かな環境はとても居心地がよく、将来は人気スポットになるでせう。


場所は旧榛原町の宇太水分神社の北隣の台地。四棟の木造校舎のうち三棟を残してサービス施設にしています。地元物産の展示室やカフェもあり、ランチは600~700円とお手軽価格。家賃が要らないぶん、安くできるのでせう。(月曜日は休業)

 交通は近鉄榛原駅からバスで20分ほど。「宇太水分神社前」下車、徒歩5分くらい。ウオーキングも楽しむなら、当地から芳野川(ほうのがわ)沿いの道を榛原駅方面に歩き、八咫烏神社までの5,5キロのコースがおすすめです。(地形図が必要 2,5万図「古市場」)

■情報はこちらから・・・
http://www.city.uda.nara.jp/shoukoukankou/shisetsu/siteikanri/hirara.html



楓園と木造校舎
菟田野



ビニールハウスにも苗木がぎっしり
菟田野 


校舎は広すぎて使い切れてないよう
菟田野



教室?を転用したカフェ
菟田野 


オムライスを注文しました
うたの 



お土産に買った「メイプルパン」 木の切り株の形をしています{330円)
菟田野 



芳野川の堤防道を歩きます
菟田野 


途中の「さくら広場」には休憩所やトイレもあります。
菟田野



菟田野 


サッカー勝利祈願で知られる八咫烏神社拝殿 。メイプルパークからゆっくり歩いて約2時間。元気人は榛原駅まで歩きませう。(パークから約9キロ)
菟田野

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●日高義樹著
「アメリカが日本に<昭和憲法>を与えた真相」を読む

 NHKの特派員として長くアメリカで活動した著者が、その豊富な人脈を生かし、インタビューを重ねて日本国憲法成立の裏側を明かした本。
 
 どんな人にインタビューしたか。主な名前を挙げると・・

・ヘンリー・キッシンジャー(元国務長官)
・ジェームス・シュレジンジャー(元国防長官)
・ズブグニュー・ブレジンスキー(元大統領補佐官)
・ジョージ・ブッシュ(第41代大統領)
・ジミー・カーター(第39代大統領)
・ヘムルート・シュミット(元ドイツ首相)
・ゲアハルト・シュレーダー(元ドイツ首相)
・ジョン・ガルブレイス(歴史学者)
・ピーター・ドラッカー(経営学者)
・ジャック・キャノン(連合国軍キャノン機関長)
・ビクター・ウイリアムズ(連合国総司令部民生部長)ほか


さて、内容を簡潔にまとめて紹介すべきところ、これが難儀でございます。残り少ない頭の毛をかきむしって呻吟・・というほどでもないけど、何から書いていいのやら。ま、なるべく柔らか~く書いてみませう。


誰が読んでも感心するであろう立派な内容と表現の前文ではじまる日本国憲法が、実は日本国民の有する主権や総意によってつくられたものではなく、日本を占領していたアメリカのプロジェクトチームによって発案され、日本政府に呈示、合意の上で完成した。これが憲法問題を考える上での大前提です。つまり、MADE IN USA。

その製造責任者がダグラス・マッカーサー。むろん、彼一人が仕切ったわけではないけど、マッカーサー憲法と言ってもよいほど影響力は強かった。そして、新憲法づくりの一番のコンセプトは「日本への復讐」であった。自国にも多大の犠牲者を出した、戦争の勝利者としては当たり前の発想である。日本が二度と欧米に刃向かうことができないように、徹底して無力化する。世界に冠たる「平和憲法」の発想のモトは、まず復讐ありきだった。そのホンネを隠して美しく文章化したのが第九条だ。


このことはほとんどの日本人が知っているハズでありますが、戦争放棄を謳う「九条」が、まるで戦後日本人の発想、総意で出来たかのように思い違いしている人もいる。言うまでもないが、新憲法制定の経緯において日本国民の主権や総意が反映されることなどあり得なかった。


日本をどう処罰するか、はポッダム会議の時点から議論されたが、結局はマッカーサーに委ねられた。日本への復讐は成就したとして、もう一つ大きな課題は天皇の扱い。映画「終戦のエンペラー」にも天皇の処遇、付き合い方をどうするか、の場面があるけど、マッカーサーに限らず、欧米人には天皇の存在自体がとても理解しにくい。むろん、戦争責任者として断罪することも可能だったが、結局「国民の象徴」として残すことになった。


それは、天皇への畏敬の念ゆえではなく、存続させたほうが占領国家を統治しやすくなると考えたから。もし、勝利者の権限で天皇を廃止したら、日本国内は一挙に不穏になり、各地で反乱が起きかねず、それを収束するための軍事行動で米軍に死者が出ること必定である。そんなリスクを犯すより、残して平穏を保つほうが理にかなっている。
 ハイハイと占領軍のいいなりになっている日本政府も、天皇制の存廃問題にはえらくこだわった。国民に計らないまま歴史を断絶させるなんて耐えられない。


憲法の原案は英文で作成され、日本語に訳されて政府へ届けられ、要望事項や修正で何度もやりとりがあって最後に英語、日本語で正式文がつくられて、双方が確認した。この間のやりとりで、かの白州次郎が活動した。


新しい憲法について国会議員の反応は良かった。米軍関係者がたびたび国会議員と接触し、反応を確かめたが、九条を含め好意的に受け止めていた。一番歓迎された案は「象徴天皇制」だった。

147~149ページに興味深い対談文がある。
日高・・・要するに、国会議員のほとんど全員が憲法改正に賛成、軍事力の放棄にも反対はしなかった。

ビクター・ウイリアムズ・・・その通りです。憲法の改正は国会議員の間では極めて好評で、ほとんど全員が賛成しました。共産党だけが反対した。8人の議員が新しい憲法に反対しました。

日高・・・憲法草案のうち、国会議員が最も熱狂的に受け入れたのは?

ウイリアムズ・・・象徴天皇でした。そして国家主権を国会に与えることも大歓迎されました。衆議院ではほとんど全員が憲法の草案に賛成したが、貴族院が反対したため、両院の審議会が開かれることになりました。(注)貴族院=現在の参議院

日高・・・憲法第九条も歓迎されたのですね。

ウイリアムズ・・・その通りです。共産党を除いて全員が賛成した。
(引用ここまで)

第九条を含む新しい憲法の草案に対して共産党だけが反対した。そんなアホな、という気がします。錦の御旗のように大事にしている平和憲法を当時の共産党は否定した。ま、今の日本共産党に言わせれば「あの当時の共産党はアカン共産党だった」と弁解するでせう。暴力革命を是とする思想の古い共産党といっしょにされたら迷惑だと。


かくして、新しい憲法のもとで日本は生まれ変わった。めでたし、めでたし・・と安堵したのもつかの間、たちまち、日本もアメリカも軍事的脅威にさらされることになる。ソ連や中国という共産党の勢いが増し、日本を呑み込んで共産党国家に、という野心が露骨になる。なんか、ヤバイな、と心配する矢先に朝鮮戦争勃発。ついこのあいだ「日本には二度と軍事力を持たせない」と言っていたアメリカから「武器は貸したるさかい、はよ軍隊(自衛隊)作らんかい」と矢の催促。アメリカって、先見の明、ぜんぜんありませんがな。その上、平和憲法生みの親、マッカーサーは上司(大統領)と喧嘩してクビ、日本ともプッツンしてしまいました。


著者、日高氏は憲法改正を是とする立場で本書を書いている。安保条約や日米同盟の重要さも説くが、今後のアメリカに対する信頼感は薄い。アメリカの衰退が止まらず、中国の脅威がますます大きくなる状況において、日米安保条約が日本の安全を担保するなんて、もう考えないほうがよいと言う。

 アメリカ国防総省幹部が繰り返し著者に述べた言葉を紹介すれば、尖閣諸島問題について「アメリカの海兵隊が日本の自衛隊といっしょに戦って日本の領土を守るということは考えていない。尖閣で地上戦闘があれば、日本だけで戦う必要がある」(247頁)

 アメリカが守りたいのは周辺海域の自由航行権であって尖閣の島ではない。島自体を守るのは自衛隊のお仕事、と割り切っている。日本側がどう考えようと、事実上の安保条約の形骸化が進んでる。
  まして、今の弱腰オバマ大統領が尖閣というちっぽけな島の防衛のために米軍を出動させるなんてありえない。こんな超ローカルなところで米中全面衝突なんて、考えたくもないだろう。(実際に何が起きるかは不明でありますが)


あらためて憲法全文と日米安保条約の条文を読んでみました。

【憲法第九条】
戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


この文章には書かれていないが、自衛権の保持は認められている。マッカーサーは、これも認めない意向だったが、日米の交渉の末、了解された。


竹島問題や尖閣諸島問題など、現実の脅威が増してくるほど護憲論は政治思想というより信仰に近づいている。福島瑞穂が街頭演説などで訴えていた典型的なフレーズは「こんな立派な憲法をもつ日本に攻め込んでくる外国があるはずがない。現に60年以上、平和が守れたではないか」でありました。これって「神が私たちを見捨てるはずがない」という身勝手な願望、思い込みと変わらない。

 60年以上、平和が守られた、という実績を言うなら、しかし、平和を守るのに、自衛隊の必要は全くなかったと言わなければ、ええとこ取り、安直なご都合主義ではないか。
 論理的な説得力を失ったら、精神論や感情に訴えるしかない。行き着くところ信仰である。さしづめ「護憲教」「護憲原理主義」でありませうか。困ったあげくに「国連」なんかを持ち出すようでは、もう精神年齢12歳未満だ。(2013年7月 PHP研究所発行)


憲法
 


憲法

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●2013「大阪クラシック」を聴く

 おもろいこと考えはりますなあ・・プロデューサー、大植さんのアイデアに惹かれて出かけたのが次の二つの公演

■第27公演は、ブラームスの交響曲、4曲の第四楽章だけ演奏するという企画。普通の演奏会ではあり得ないプログラムです。おまけに、順序が4-3-2-1番と逆方向。この意図がイマイチ分からないけど、すべてなじみの曲なので楽しく聴けました。

 ブラームスの交響曲といえば、なんとなく堅苦しい、暗い。という印象があるけど、こうして第四楽章だけ聴くと、なかなかにパワフルで祝祭的雰囲気もあり、気分は十分に盛り上がります。 ただ、なんとなくオーケストレーションのセンスが古くさい(これがウリのガチ保守派だから当然でありますが)(9月9日 ザ・シンフォニーホール)


■追加で企画された特別公演は、ベートーベンの「運命」を3台のピアノで弾くというオモシロ企画。といっても、大植サンの思いつきではなく、ベートーベン自身が作曲時に友人たちと試し弾きしたのではと伝えられる。演奏は大植さんと音大の若手が二人。


これが実に楽しい。3台のピアノがフォルテで弾くと、なんだかオーケストラの演奏みたいにバカでかい音になり、迫力満点であります。旋律は「運命」と同じで、足し算も引き算もなく、余分な装飾音もない。いくら物覚えが悪い駄目男でもこの曲は全楽章丸覚えしているので、ピアノを聴きながら、頭の中でオーケストラの音を鳴らしつつ、オーボエの独奏パートはこんなふうにアレンジするのか、などと自分流の「解釈と鑑賞」を楽しみました。終わって、聴衆やんやの喝采。今年の大阪クラシックで一番の人気公演だったかもしれません。


アンコールでホルストの「惑星」から「木星」、ハンガリアン舞曲の5番、最後に大植サンがビートルズの「イエスタデイ」をしみじみ弾いてお開きになりました。(9月12日 ザ・シンフォニーホール)


■第47公演は渋めにブラームスのピアノ四重奏曲第一番ト短調。この曲、7月の大フィル定期公演でシェーンベルクが編曲した管弦楽版が演奏されて興味をもち、CDを借りて原曲を聴こうと思ったのですが、図書館で見つからなかったのでナマを聴きに行ったと・・。ヒマジンやなあ。


聴きどころはやはり第四楽章、ハンガリアンメロディーがたっぷりで、ジプシーと無縁の日本人でも独特の郷愁感あふれるメロディは心にシミます。管弦楽版でもそれらしき雰囲気はあったけど、ドンチャカ鳴りすぎて情緒不足でした。あの世のブラームスも「シェーはん、えらいことしてくれはりますなあ」と顔をしかめていたのではありませぬか。(9月11日 中之島中央公会堂 中集会室)


中央公会堂 特別室のステンドグラス
ステンドグラス 

たまには外メシ


●てんやの天丼

 東京圏では100店以上のフランチャイズ店を展開している「てんや」が関西初出店。ウリは500円の天丼です。牛丼店の展開に似ているけど、新規参入はこちらのほうが難しそうという感じです。
 海老の大量、安定確保や牛丼よりデリケートと思われるダシの味付け、そして、何より天ぷらのクオリティが問題です。


・・と、思いきゃ、天ぷらの品質は「オートフライヤー」なる天ぷら自動揚機の開発によって解決したとHPにあります。つまり、熟練の調理人がいなくても高品質の天ぷらが供給できるという。開発者の努力に頭が下がります。


第一号店は、御堂筋、千日前通り交差点の西北寄りにあり、7月にオープンしたばかりなのでまだピカピカです。今回は海老が2匹載った「上天丼」を注文しました。580円ナリ。追加海老代80円というわけです。ほかに、南京やナス、インゲン豆などの野菜が載っていて、味噌汁付きでこの価格は安い。ダシがやや化学調味料っぽい味がするけど、この安さでデリカシーを求めるのは厚かましい。


てんやは、ロイヤルグループ(ファミレス「ロイヤルホスト」などを運営)の傘下に入って全国展開を目指すそうであります。よって、この関西第一号店の成績は在阪同業者も注目しているはず。ただ、値段競争だけの牛丼と違って、ユーザーにA級(1000円以上)、B級(てんや)と使い分けされ、在来店の天丼が激減なんてことにはならないと思います。


海老を大きく見せるために、どんぶりのサイズの選定にも気を使ったはず。
てんどん


食べログのてんや情報
http://tabelog.com/osaka/A2702/A270202/27073619/

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●島田荘司「写楽・閉じた国の幻」を読む

 万年閑人、駄目男のために、Tさんからプレゼントされた本。美術ファンなら誰しもご存じの「謎の絵師・写楽」問題をミステリー作家が独自の発想で追求、斬新というか、トンデモ案というか、とても面白い小説に仕立てた作品です。小説とはいえ、写楽に関する過去の情報はすべて世間に認知されているものばかりなので、ええ加減な新提案では読者がしらける。さうか、さもありなん、と思わせるには膨大な情報の収集と吟味が必要であります。

 過去の、写楽の正体は何某という説を一つずつ排除し、これぞ写楽だと著者が結論づけたのは、写楽=オランダ人だ、であります。どっきり!

今までに知られている写楽の正体ナニモノぞ説は・・・

写楽の正体は喜多川歌麿である
・写楽の正体は葛飾北斎である
・写楽の正体は山東京伝である
・写楽の正体は斎藤十郎兵衛である

などが提唱されてきました。そこへ著者、島田荘司氏が唱えた新説が
「写楽はオランダ人、レオポルド・ウイルレム・ラスである」論です。


島田説では、ラスは長崎、出島のオランダ商館のスタッフの一人で書記役。毎年、江戸城へ参府する商館館長に付き添って江戸へ出張します。その江戸滞在日程のなかで、浮世絵版元の蔦屋重三郎と知り合い、密かに歌舞伎を見物して役者を写生する。その斬新なセンスに驚いた蔦屋は「これは売り物になる」と直感して、当時は大売れっ子だった歌麿に原画を写させ、東洲斎写楽の名前で販売したら大当たり。


写楽は1794年の5月から翌年の1月までの10ヶ月間に145点の作品を制作し、しかし、突然に姿を消す。もともと正体不明な作者が消えてしまったわけです。写楽という生身の絵師が存在したら、いくら隠しても、世間のどこかに痕跡(情報)があるものですが、それが全くない。ゆえに、写楽という人物はいなかった、誰かの身代わりに違いないと憶測され、前記のような諸説が生まれた。


いろんな「写楽別人説」のなかで、一番有力なのは誰か。現在は斎藤十郎兵衛がトップ、選挙でいえば、開票率70%で「当確」ってな感じでせうか。斎藤は阿波藩お抱えの能役者、歌舞伎には無縁のはずですが、やはりお忍びで芝居小屋に通い、素晴らしいスケッチをした。これを蔦屋が大絶賛、東洲斎写楽のネームで売り出すと大ヒット・・。


この斎藤説を最初に唱えたのがドイツ人の美術史家、クルトと言う人でその後、この説を裏付ける研究が進み、現在はノミネート第一位です。
 2011年には、NHKスペシャル『浮世絵ミステリー 写楽〜天才絵師の正体を追う〜』が放映され、これも内容は斎藤説でキマリみたいなものだったらしい。NHKも斎藤十郎兵衛「当確」と判断したのでせう。


しかし、一件落着とはいきません。この斎藤「当確」説にカッカ怒ってる人がいて反論の本まで出した。田中英道著「写楽問題は終わっていない」(2011年 祥伝社新書)です。この人は、写楽=北斎説を唱えています。本書にはNHK への抗議文のコピーも掲載されてるので引用すると・・(176~177ページ)


田中氏がNHKに出した抗議書

「2011年5月12日9時からのNHK BS -103「写楽」についての番組に決定的な誤りがありましたので、公共放送を使って、浮世絵の絵師の役割そのものの芸術性を否定するような常識外れの番組を流したことに抗議せざるを得ません。

 むろん、それはこの番組に生出演した方々への批判ともなります。それは、まず、写楽の線、色彩、緊張感といった芸術性が、この番組では彫り師、刷り師の技術によるものだ、という仮説の誤りです。そうすると、この番組はそれら彫り師、刷り師が誰だったのか、という番組にならなければならなかったはずです。これは奇妙な仮説です。


歌麿、北斎ら当時の絵師たちは、皆そうだったのでしょうか。その肉筆画が残っていますが、すべて浮世絵の線、色彩と同一と考えていいものです。彫り師、刷り師はそれを忠実に再現したに過ぎないことが分かります。
 そうすると、この写楽だけが素人的な線、色しか描けなかったことになります。だから10ヶ月でやめたのだ、と言いたいのせしょう。それなら、写楽の素晴らしさを作り上げた彫り師、刷り師の存在を探り、突き止めるという作業をするべきでしょう。それを探すのは可能なことです。(以下略)


まとめると、斎藤十郎兵衛の描いた原画は上手ではなかったが、彫り師、刷り師の素晴らしいワザによって芸術性の高い作品になった。だったら、共同作業者である彫り師、刷り師も紹介するべきだ、ということです。


この「原画は技術的には下手だったが、職人の卓越したワザで芸術作品が出来た」という、写楽=斎藤説、実は島田説に共通するところがあります。島田説は、原画はオランダ人が描いた。技術的にはイマイチだったが、その斬新な表現力に版元の蔦屋重三郎がぞっこん惚れ込んだ。しかし、原画のままでは商品化しにくいから、表現を浮世絵らしく補正したい。その作業を当時の大売れっ子であった歌麿に頼んだ。歌麿は当然いやがったが、最後は折れて原画の写しをとり、プロの業で商品化した。従って、写楽作品は、原画はオランダ人、ラス、リメークは歌麿ということになります。


小説家、島田氏の提唱した、写楽=オランダ人説はあまりに突飛すぎてお堅い学者、専門家の世界では「予選で失格」ふうに無視されてるらしい。さりとて、斎藤説が満場一致でキマリというのでもない。
 駄目男は上記のNHK番組を見てませんが、斎藤説には組しない。斎藤十郎兵衛が実在したという文献的実証が出来たから、イコール写楽とするのは危ないと思います。


むしろ、島田氏が何気に書いている、東洲斎写楽というネーミングは、もしや版元の蔦屋がつけたもので、オランダから見てはるか東の地=東州で写しをもとに出来た絵、と半ばしゃれっ気でつけられたのではないか。こんな説に説得力を感じます。
 あと、役者絵の中には、有名でもない端役の役者も描かれていて、これは浮世絵セールスの常識から外れています。売れる見込みがないのに商品化するのはおかしい。だったら、そんなこと百も承知の歌麿や北斎が描くはずがない。


 しかし、写楽最大の謎は、著者が力説しているように、写楽という人物の個人情報が全くないことです。絵を描き、版元が選択して職人に彫らせ、刷らせて・・というプロセスで原画作者が一切人に会わないなんて考えにくい。電話もファクスもない時代に作者の存在を100%隠しての商品づくりなんてできるのか。これが大問題です。


読み終えてから、大阪市立中央図書館で立派な装丁の美術全集を見ました。制作期間10ヶ月のうち、写楽らしさがよく表れているのは初期の作品で、後になるほど他の作家の作品と区別がつきにくくなります。要するに新鮮さが失われてゆく。こんなプロセスも歌麿や北斎ではあり得ない。彼らはすでにスタイルを確立した一流のプロでしたから。


文庫本ながら、上下2巻で900頁、これでも著者は書き足りないとあとがきで述べています。読者を説得、納得させるために持っている情報を全部書きたいと。でも、駄目男の感想では100頁くらい端折ってもええじゃないか、であります。説明にくどいところがある。
 この写楽=オランダ人説、どなたか脚色して映画化してもらえたら分かりやすいし、そこそこ説得力をもつこともできると思います。いつぞや見た「舟を編む」の浮世絵版です。浮世絵の制作風景も知りたい。(2013年2月 新潮社発行)

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本書のファーストシーンでは大阪市立中央図書館が出て来る。主人公はこの地下の収蔵庫で作者不明の肉筆画を見つけ、コピーを持ち出す。この絵のコレクターは江戸時代の文化人、博物学者であった木村蒹葭堂(けんかどう)である。現図書館は彼の屋敷跡に建っている。
写楽 



写楽 


写楽 


これが写楽の代表的な作品

写楽

プチ・ケチの研究


●「紀文」の水なしで焼ける餃子

 先日、油も水も不要なAJINOMOTOの餃子を紹介しました。これは冷凍商品ですが、「紀文」の冷蔵商品もあって、水なしで焼けるのがウリです。これを焼くとき、先日紹介したアルミフォイルを使うと、油も要らなくなります。値段は198円。328円のAJINOMOTOより3割も安い。

 断然お得と思ったけど、そうは行きません。同じ12個入りパックでAJINOMOTOは300g、紀文のは230g、目方は3割も軽い。安いのはそれなりの理由があるということです。70gの差が、油分と水分の目方かも知れないが、見た目はそんなに変わらない。


美味しさには3割ぶんの差がないと思われるので、プチ・ケチ実践者は安い紀文のほうで十分かと。冷蔵だから、冷凍より焼く時間も少なくてすみ、ガス代が節約できます。
 フォイルを使って焼くとフライパンや皿の油汚れがなくなるのは助かりますが、焦げ目がきれいにつかないのが残念です。


紀文の餃子
紀文の餃子 

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●木曜会著「夏目漱石を楽しむ」を読む

 木曜会は広島在の漱石ファンが集う読書会。小さな会なのに、こんなに立派な本を自費出版するなんて甲斐性あるなあ、と感心しました。
 本書は、同会の会員であり、広島の同人誌「ひろしま随筆」の同人でもあるOさんから恵送いただいたもので、Oさんが漱石ファンであること、はじめて知りました。

 内容は、会の主宰者、I氏の漱石に関する解説と基本情報で、主な作品の紹介や年譜、交友録など、とても要領よく、簡潔にまとめてあります。また、Oさんはじめ、会員12名が読者目線で漱石に関する蘊蓄や思い入れをエッセイに綴っていて、カタブツになりがちな本の印象をやわらげています。趣味の会の出版物はとかく自己満足に終わりがちなところ、本書は漱石ファンをもっと増やしたい、漱石作品を読みたい人のガイドブックにしたいという意図が汲み取れて好感がもてます。


・・と、エラソーなこと書きながら、駄目男が読んだ漱石作品はちょびっとしかなくてハズカシイ。本書で紹介されてるリストのなかでは「我が輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」「夢十夜」と、短いのがたった4作。ほかに途中で放り出したのが「三四郎」。漱石オタクに言わせれば「非国民」の類いでありませう。 
 でも、この本を頂戴したのも良いご縁と思い「漱石、ハジメっ」と再スタートしませう。候補はOさんがエッセイで取り上げている「明暗」です。そして、水村美苗の「続明暗」。ただし、読了いつのことになるやら・・。(2013年7月 木曜会発行)


木曜会