●黒田夏子著「abさんご」を読む
75歳で芥川賞受賞、文壇デビューがニュースになって、一躍時の人。感心しました。で、早速「文藝春秋」3月号を購入、作品を読んだのでありますが、むむむ、さっぱり前へ進まない。無茶読みにくい。5頁ほど読んであきらめ、意に反して選評を先に読むことにしました。すると、審査員も大方「読みにくい」と述べている。しかし「我慢して読み進むと、すんなり読めるようになる」とも書いてあります。さうか、我慢せなあかんねんな、と思い直して最初から読み直しです。
すでに、本作品を読まれた方もおられると思いますが、感想はいかがでありませうか。文章が「横書き」であるだけでも抵抗を感じた人いるでせう。文春は縦書きの雑誌だから、414頁から始まって375頁でENDになります。おまけに、句読点も「、。」でなくて「,.」カンマとピリオドです。なのに数字は、123でなく、一、二、三です。嗚呼。
でも、読みにくさの一番の理由はひらがな多用のせいです。すこっちてりあが犬の種類だと気づくのに2、3秒かかる。 頭の中で、かなを漢字やカタカナに変換しながら読むからスイスイ進みまないのです。
なんで、こんなけったいな表現にしたのか。黒田さんは「文学っぽい文章にしたくないから」と述べています。ふ~ん・・。
結局、3時間近くかかってようやく読了。(途中でコーヒー飲んだ)実際、頁を繰るほどに抵抗感が減り、最後のほうはすんなり読めるようになりました。ホッ。こんな経験、珍しいです。
感想を言えば、ちょっと古いめのシュールレアリスムの絵画を見てるような、鈴木清順の映画をうんとジェントルにしたような、音楽でいえばサティみたい?。明快な物語などなく、幼児と親の関わりを断片的、抽象的に綴ってるだけで時系列もむちゃくちゃ。三次元でしか世界を理解できない人には難解であります。
なのに、読み終わると、なぜか「読んでよかった」という気になります。これが不思議なところ。抽象画を見て心にジンと響くような感覚。とにかく、こんなスタイルで読み手を惹きつける作家はいなかった。むろん、評価は自由だから、しょーもな、とくさしてもいいのですが。
後半、384頁の文章を引用すると・・・「未実現の混沌にもがく変態途上の不安形は、ながめてたのしい生きものでないとみずからもてあまされ、与えられたものをついやすいっぽうであることにいなおる鎧も謝恩をしめす花かざりもととのえきれないまま、からだだけは重くみのり、もはやなんのささえも要しない活力にみえた。そう見えるとおもうことでいっそうこわばっていた」(面倒なので句読点は和式で入力しています)
これは荒れた庭にぼうぼうと生い茂る雑草のありさまを描いた場面でありますが、ぼうぼうと生い茂る、ではちっとも文学的でないと。別の場面「やわらかい檻」という言葉が出てくるが、40歳以下とか、若い人はこれが「蚊帳」のことだと気づくまで少々時間がかかるかもしれない。こういう何気ない表現に工夫を凝らし、とことん推敲を繰り返すのが黒田流らしくて、また、読み手に音楽的リズム感を感じさせるところも高く評価された。これは読めば実感できます。
審査員の中で、村上龍氏はこの作品を推薦しなかった。その理由は「こんなに高度に洗練された作品は新人賞にふさわしくない」と。しかし、多数決で芥川賞に選ばれて、素直に嬉しいとも書いている。
75歳のおばちゃんが、文学界に「革新」の一石を投じた。先輩作家にとって、ロシア突入隕石なみのショッキングなデビューになったかもしれない。
駄目男流「解体新書」 文春は500頁以上ある分厚い雑誌なので、読みたい記事をナイフで切り取って読みます。持ち歩きしやすく、寝床でもラクに読めます。3月号は興味ある記事が多くてお買い得号です。
黒田夏子さん