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ウオーキング・観光


●「青春18きっぷ」でミュージアムめぐり 

~その1~ 京都・梅小路蒸気機関車館を見学

 思いがけず「18きっぷ」四日分をプレゼントされたので、さあ、どこへ・・と思ってもこのひどい暑さ、ウロウロ歩き回る気になりません。 思案の末、先日「スリーデイチケット」で私鉄の未乗区間を乗りに出かけたのと同じように、大阪近郊の未乗JR線を乗り、ついでにミュージアム巡りを、というプランにしました。ただし、JRの未乗区間についても、記憶はあいまいなので、この区間は未乗と自信のある路線を優先しました。


最初は梅小路蒸気機関車館。前々から行きたかったのですが、きっかけが無かった。それで、すぐにこのアイデアが出ました。
 お寺参り(施餓鬼)を早めに済ませ、天王寺10時発で、奈良経由で京都へ。奈良線の棚倉駅あたりから京都駅までが未乗区間です。こんなに遠回りするから、たっぷり⒉時間かかりました(物好きやなあ)。京都で山陰線に乗り換え、一つ目の丹波口駅下車で歩きます。これでバス代節約できます。


土曜日なので、機関車館はファミリー客が多く、賑やかです。大方の子供は蒸気機関車は初めて見るので興味ありそうですが、とりあえずは「機関車トーマス」の本物を見たというのが感想みたい。黒い煙を吐いて走る乗り物なんて「怪物」に見えたかもしれません。
 園内に500mほどレールを敷き、体験乗車できるサービスがあるので、入園者はみんな乗ります。約10分、200円(子供100円)ナリ。100人くらいしか乗れないので、満員でも売り上げは1万円台で全然儲かりませんが、動態保存が目的の運用だから赤字でもいいわけです。


ハチロク、キュウロク、シゴハチ、デゴイチ・・懐かしい機関車が勢揃いしていて、数両が現役です。各地の観光用に使われている機関車も、シーズンオフはここで、保存、整備されています。子供にはあこがれ、オジンには郷愁感が味わえる楽しいミュージアムです。


公園内にはこれまた懐かしいチンチン電車も走っています。300mほどの路線で運賃300円だから、日本一高い電車チンではないでしょうか。なお、帰りは、公園の南側の遊歩道を歩くと自動的にJR京都駅前に着くので、バスに乗るより早くてカンタンです。但し、逆方向で京都駅から公園へ向かうのは少しややこしい道になります。往復歩いてバス代ケチれば、入館料400円が浮きます。(8月25日)


■梅小路機関車館の案内はこちら・・・
http://www.mtm.or.jp/uslm/



本館は旧二条駅駅舎を移築したもの。立派な木造建築
京都梅小路機関車館 


一番安上がりのSL体験乗車。一回200円。
機関車 


客車はこんな感じ。テント貼りの屋根に横一列のベンチシート
機関車 


家族連れは記念写真撮影に大わらわ。よい思い出になります。
機関車 


今日の出番はハチロクでした。
機関車 



機関車



機関車 


機関車 


ポール式のちんちん電車。土曜、日曜のみ運転します。
機関車 


公園内の「朱雀の庭」 平安遷都1200年記念につくられた。
機関車 おわり
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読書と音楽の愉しみ


●保阪正康著「昭和史 七つの謎」を読む

 古代史にロマンを味わうのもいいが、現実社会でベンキョーになると言う点では現代史も大事です。しかし、関心が無かったり、忘れてしまったりして、つい数十年前の出来事でもあやふやになってる事が多い。

 本書には著者がピックアップした七つの「謎」が掲載されていて、そのうちの、以前から自分も「?」と思っていた二つの疑問を解説した文を読みました。

■なぜ陸軍の軍人だけが、東京裁判で絞首刑になったのか?
■占領下で日本にはなぜ反GHQ地下運動はなかったのか?

この二つですが、内容は複雑で、ここに安易に要約文を書くと、間違ったメッセージになる可能性があるのでヤメます。(興味ある人もいないし)

もう一つ、巻末に「番外」として「昭和天皇の謎」が、著者と原武史氏の対談形式で載っており、これがなかなか興味深い。
 1945年9月、天皇陛下と連合軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーが大使公邸で歴史的な会見をしたのですが、そのときの天皇の発した言葉や会見の雰囲気について、著者、保阪氏は「未だ謎だ」と言う。同席したのは両者の通訳だけだったので、翻訳文はともかく、雰囲気(特に天皇の)の再現は難しい。


端折って言うと、保阪氏の見解は「天皇陛下は能弁ではない、口べたである。ゆえに35分間の会見中、自らぺらぺら語ることはなかったはず。しかし、会見の挨拶で、マッカーサーにとっては衝撃的な発言をした。その言葉を通訳が英語にしたが、その時点で通訳個人の配慮があって、天皇の言葉が正確に訳されなかったのではないか。実際はどうだったのか、不明である。」通訳はその内容を他言しないという約束だったので、きちんとした会話内容は未解明のままになった。

 保阪氏が言うに、天皇の寡黙が幸いした。語らないことで「默契」が生まれたのではないかと。全部を説明しなくてもお互いに通じ合うものがあった。天皇がヒトラーのような能弁家だったら、マッカーサーの心証は違っていたかも知れない。 敗戦国の君主の末路は、言い訳、命乞い、自殺、または海外へ逃亡するのが普通だが、日本の天皇は、弁解も逃亡もしなかった。のみならず、自ら敵国の親分に会見を申し入れたのである。


その会見場面をマッカーサーは「回想記」で次のように書いている。
 
天皇はこう言った。「私は、戦争遂行するにあたって、我が国民がとったあらゆる政治及び軍事的決断と行動に対して、全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する連合国の判断に委ねるため、お訪ねした」。

 大きな感動が私をゆさぶった。死を意味するほどの責任、それも私が知り尽くしている諸事実とは明らかに矛盾する責任を引き受けようとする。この勇気ある態度は私を骨の髄まで感動させた。彼は生得の権利として即位した天皇だが、その瞬間、私の目の前にいる人は、一人の人間として日本の最上の紳士であることを知ったのである。(引用ここまで)


今ふうに言えば「そこまで言うか」とマッカーサーは驚いた。そして、保阪氏の想像は、恐らく天皇は、この後は何ほどもしゃべらなかった。二人のあいだに「黙契」が生まれた、となる。しかし、真相は不明、つまり「謎」だ。(2000年 講談社発行)


当時の日本人に大ショックを与えた会見写真。
GHQの命令で新聞に掲載された。
 マッカーサー会見写真


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■もう一人のマッカーサーが関わる日韓重要情報

 静岡県下田市議会副議長、たさかとみよ氏のブログに竹島問題に関わる重要情報があるので紹介します。(拡散希望・孫引き情報です)韓国の言う「独島は韓国の領土」が正当性のないことを裏付ける情報の一つです。さらに、竹島なんか韓国にあげちゃえばいい、と社説で論じた朝日新聞、若宮氏の トンデモ思想も紹介します。

ここから引用(茶色文字)

■駐日アメリカ合衆国大使が担保する「竹島は日本の領土である」

それは1960年当時に米国駐日大使であったダグラス・マッカーサー2世(あのアメリカ軍総司令官の甥)が、当時のパーソンズ極東国務次官補経由国務長官とソウル大使館のマッコーニー駐韓米国大使宛ての電文で4枚に及ぶ電文ですので、最重要箇所だけ抽出しておきます。電文中、大使は終始「TAKASIMA(竹島)」と表記、DOKDO(独島)」などとは一言も書いていません。


1960年4月27日

パーソンズ極東国務次官補経由国務長官とソウル大使館のマッコーニー駐韓大使宛て(抜粋)

韓国に新しき民主主義体制の誕生が予期される今、私は、日韓間に存在する論争を永続的に解決する機会をできるだけ早く確保しておかれるようお勧めします。

▲李政権は、韓国の人々に押し付けた独裁主義的なやり方で、民主主義の基本的な教義をほとんど踏みにじってきましたが、過去にも、李承晩ライン周辺の公海上で海賊行為を働き、日本人の漁師らを政治的な捕虜として収監し、韓国外の領土を武力により強奪する形で、国際規範および倫理の最も基本的な原則を破壊した経緯があります。野蛮な人質外交の慣行は、共産主義国家中国に対する我々の重大な告発の一つであり、韓国がこれに続くようであれば、それは韓国の新民主主義体制にとって重大な負荷となります。

▲(1)李政権の野蛮かつ圧政的な取扱いにひどく苦しめられてきた日本人漁師の人質たち(判決確定前の段階にある者らを含む)すべてを解放し、日本に返すこと、 (2)公海上での日本漁船の拿捕をやめること、を説得するよう強くお勧めします。

▲李政権は、公海上で日本の船を拿捕し、人質外交を展開するのみならず、常に日本の領土とみなされてきた竹島を、武力により、違法に占有しています。

▲この日本の島が日本に返還されることなくしては、日韓の根本的な和解はありえません

▲二国間の他の懸案事項の相互和解の一環として、竹島から撤退する意思を表示すべきです

▲最低限、国際司法裁判所に仲裁を求めて問題を提起することに同意するよう主張すべきです。

▲日本人は、李氏の占領政策の被害を8年間にもわたって被り続けており、李氏の後継者からそのような防ぎようのない取扱いを受け続けることは望むはずがありません

・・・・以上・・・・・


この李承晩ライン以降、韓国は竹島(独島)を自国領だと主張し続けているわけですが、李承晩ラインが引かれた8年後、米の駐日大使であったマッカーサー2世が、当時の米国、韓国大使に宛てて出した長文の公式電報に「竹島は韓国が不法占拠している」と明確に指摘しています。

また文中マッカーサー2世大使が日韓併合に関して、annexation (併合・合併)という言葉を使われ、colonialize(植民地化)という単語を使用されていないことも、着目に値することかと思います。

大変、重要な資料かと思われますので、わたくしのほうからも拡散をよろしくお願いします。韓国がこの資料に関しても、何か言ってくる、その内容まで予見できますがー笑― 何にしろ真実が強いのです、ただしそれが強い意志を持って広められた場合には、です。よろしくお願いします。日本を侵略者の手から守るのは日本人しかいません。


*ダグラス・マッカーサー2世(Douglas MacArthur IIは連合国最高司令官として知られているダグラス・マッカーサーの甥。1957年1月から1961年3月まで駐日アメリカ大使を務めた。


■たさかとみよ氏のブログ
http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-77cc.html 


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●竹島を韓国に譲ったら・・と論じた朝日新聞 


 愛国精神より売国精神が旺盛な朝日新聞は、今回の竹島に関わるゴタゴタでも一番腰の引けた記事を書いている。
その背景には7年前の「筆禍」というべき「いっそうのこと、竹島を韓国にゆずったら」の文言が入った、反日思想丸出しの論説があり、今でもネットでカンタンに引き出せる。。
 以下、全文をコピーするので、興味ある人はシッカリ読んで下さいませ。若宮氏は今年、中国への旅行で「美人秘書を同行」させ、旅行費用で不正に会社の金を使ったことがバレ、それを「週刊文春」にスッパ抜かれてスキャンダルでも話題の人になった。
 


論説「風向計」 主筆・若宮啓文

■竹島と独島 これを「友情島」に…の夢想
(2005/03/27)

 それは、嵐の中に飛び込むようなものだった。島根県が「竹島の日」条例を定めて間もない18日、日本批判が燃えさかる韓国を訪れたのだ。

 大先輩にあたる韓国のジャーナリスト・権五ギ(クォン・オギ)さんとの対談で作った『韓国と日本国』(朝日新聞社刊)が韓国語になって出版され、この日にソウルで記念の催しが行われた。そこに降ってわいたのがこの問題だった。

 日の丸が焼かれる。抗議のために指を詰める。「日本人お断り」のゴルフ場が現れる。「竹島の日」に対抗して「対馬の日」を定めようとの自治体まで出てくる。韓国政府は「断固対処」の対日新原則を発表し、やがて盧武鉉大統領は「外交戦争」と言い出す。出版会こそ無事に終わったものの、私の心は晴れないままだ。

いつか見た光景が目にだぶる。 日本の高校の歴史教科書が「歪曲(わいきょく)」だと問題になり、「反日」旋風が吹き荒れたのは、私がソウルで留学生活を送っていた82年のことだ。新聞もテレビも「日本はけしからん」で明け暮れ、韓国政府は強硬姿勢を譲らない。「克日」の言葉が生まれ、国民の募金で独立記念館ができた。

 だが、あれから23年。サッカーW杯の共催を経て、空前の韓流ブームの中にいる。今年は「日韓友情年」と呼ばれ、NHKの「のど自慢」も6月にソウルで開かれる。『韓国と日本国』では権さんと率直な自国批判を語りあったが、大きな時代の変化を実感すればこそだった。それなのに、これは一体どういうことか。私も大きな戸惑いを禁じ得ない。


 韓国が独島と呼ぶこの島に、こだわりが強いのは知っていた。だが、これほどの熱狂を招くとは。いささかあきれながらも、今回思い知ったのは島に寄せる彼らの深い情念だった。

 明治政府が竹島を日本のものとして島根県に編入したのは1905年2月。その秋に韓国が日本に強要されて保護国となり、5年後に併合されてしまう。だから、韓国にとって竹島編入は植民地支配への第一歩と映るのだが、裏を返せば、戦後に韓国が強行した竹島占拠は、植民地解放の象徴ということになる。

 いや、日本が自国領と主張する島の岩肌に「韓国領」と大書し、40人の警備隊員がこれ見よがしに駐留する姿を見ると、ひょっとして、どこかで植民地支配への報復気分を味わっているのかもしれない。日本が独立運動を容赦なく弾圧したように、彼らも「竹島奪還」の動きには過敏に鉄槌(てっつい)を加える。それが今度の騒ぎだといえば、意地が悪すぎようか。

 それにしても、にわかに広がった日韓の深い溝は、両国の関係にとどまらない深刻さをはらんでいる。

 まず、北朝鮮との関係だ。核と拉致で「日朝」が最悪になっている折、「日韓」の好転ぶりが救いだと思っていたのに、これでは下手をすると民族と民族の対立になりかねない。

 朝鮮戦争を仕掛けられ、悲惨なテロの犠牲にもなってきたはずの韓国なのに、いまは北朝鮮に寛大だ。むしろ、拉致問題で強硬論があふれる日本に対して「日本支配時代に数千、数万倍の苦痛を受けた我が国民の怒りを理解しなければ」と盧大統領が注文をつけるのは、南北を超えて同じ血が流れているからに違いない。

 これでは北朝鮮への包囲網どころではない。韓国にも冷静に考えてほしいところだが、日本にはいまも植民地時代の反省を忘れた議論が横行する。それが韓国を刺激し、竹島条例への誤解まであおるという不幸な構図だ。


 さらに目を広げれば、日本は周辺国と摩擦ばかりを抱えている。
中国との間では首相の靖国神社参拝がノドに刺さったトゲだし、尖閣諸島や排他的経済水域の争いも厄介だ。領土争いなら、北方四島がロシアに奪われたまま交渉は一向に進まない。そこに竹島だ。あっちもこっちも、何とまあ「戦線」の広いことか。

 そこで思うのは、せめて日韓をがっちり固められないかということだ。  
例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。

 見返りに韓国はこの英断をたたえ、島を「友情島」と呼ぶ。周辺の漁業権を将来にわたって日本に認めることを約束、ほかの領土問題では日本を全面的に支持する。FTA交渉も一気にまとめ、日韓連携に弾みをつける――。

 島を放棄と言えば「国賊」批判が目に浮かぶが、いくら威勢がよくても戦争できるわけでなく、島を取り返せる見込みはない。もともと漁業のほかに価値が乏しい無人島だ。元住民が返還を悲願とする北方四島や、戦略価値が高い尖閣諸島とは違う。

 やがて「併合100年」の節目がくる。ここで仰天の度量を見せ、損して得をとる策はないものか。いやいや、そんな芸当のできる国でなし、だからこれは夢想に過ぎないのである。

■引用元 朝日新聞 社説・コラム
http://www.asahi.com/column/wakayama/TKY200503270067.html

たまには外メシ


●下戸のマティーニ

 夜10時前にGALWAYへ行ったら、しばらく後でロージンと中年男の二人連れが隣に座る。この店では、自分が最高齢の客と思っていたので、ムヒヒ、このおじいさんが一番になってくれそう・・と安堵しつつ、しかし、見事に光頭のおじいさん、なんか見覚えのある顔です。

 結局、思い出せず、二人が帰ったあとでマスターに尋ねたら、なにわの和食料理の大御所、U氏でありました。同行の人は息子さんで、南の高級割烹Kのオーナー。そこで修行したのが、北新地「弧柳」の松尾さんです。なにわのグルメさんなら、U氏もK店の名前もたちまち分かるでせう。接待?でぎょうさん飲んできたと言いながら、甘口のカクテルを二杯か三杯飲んで、ご機嫌におかえりでした。


閑話休題。最後の注文は「下戸(駄目男)向き マティーニ」。標準のレシピだと正しく千鳥足になってしまって、コケたりしたら大変だから、ちょびっとゆるめにしてもらう。で、マスターの藤田さん「ええアイデア浮かびました。任せて」と、取りいだしたるのが白ワイン。むむむ、そーゆー手でいくか。結果、なかなか美味に仕上がりました。マティーニのヴァージョンは何百種類もあるそうですが、リキュールでなくワインでゆるめるか。納得して、振れ幅50センチくらいの千鳥足で帰ったのでした。


■GALWAY のHP
http://r.goope.jp/galway2010



マティーニ 

読書と音楽の愉しみ


●斎藤英喜著「とんでもなく面白い 古事記」を読む

 古事記に関する本にも、硬軟いろいろあって、これはもうガキでも分かる、マンガ入りの一番カジュアルな本のハズと思って買ったのですが・・・。たしかに分かりやすいけれど、国造りのストーリーはとても覚えられないくらいややこしくて、結局断片的に頭に残るだけです。ま、しゃーないかと諦めました。


前回の記事「大出雲展」を見ると、出雲は古事記のなかで大きな役目を果たしていることが分かりますが、国造りの歴史では権力闘争の「負け組」としての役目を背負っています。それにしては出雲大社のような立派な社殿があることや、大量のスグレモノの発掘品があることから、敗者のミジメさはなく、逆にえらいリッチな感じがします。
 あの高さ48mの巨大神殿も,実はオオクニヌシが敗戦交渉のなかで、負けを承知する代わりに、デラックスな家(神殿)を建ててくれと要求し、勝ち組(アマテラス組)がそれを認めて建設した。古事記にはそう書いてあります。しかし、巨大神殿は設計ミスか施工不良で何度もコケてしまい、結局、現在の出雲大社の社殿が残った。もちろん、これも大変立派な建造物です。


出雲の神話といえば、誰でも知ってるのが「因幡の白兎」の 話。これに関して、本書ではなく新日本海新聞(大阪日日新聞の親会社)の文化面にとても興味深い記事がありました。兎がワニをダマしてワニの背中をぴょんぴょん跳びわたって陸地に着く話、実は、大昔(2万年前)は隠岐の島と山陰海岸とは陸続きだったというのです。その後、気候の温暖化で海水面が上昇し、6千年前には現在のようになったと。隠岐の島にはオキノウサギという固有種が今でも住んでおり、ワニはサメのことで、これも当地で「ワニザメ」を正月行事に食する習慣がある。 ワニを並べてその背中をぴょんぴょん・・の発想は海蝕された岩盤の光景から想像できる。


・・ということを考えれば、この荒唐無稽なお話も全くの作り話と言えないのではないか。記事の筆者、赤木三郎理学博士はこのように述べています。文字も無く、言語さえ怪しい旧石器時代からの伝承が、何の因果か「古事記」に反映されている。なんともロマンチックな話ではありませんか。


宮崎県青島の「鬼の洗濯板」この海蝕風景から、ワニを並べて背中をぴょんぴょんのシーンは想像しやすい。
古事記


私たちの日常生活でおなじみの光景で「古事記」に書かれた由来をしっかり守ってるものに神社の「しめ縄」があります。しめ縄の起源は、かのアマテラスが天の岩戸から出現する場面、外の騒がしさが気になって、そろりと岩戸を開けた途端、待ち構えていたタジカラヲがアマテラスの腕をつかんで引きずり出し、瞬時に岩戸にロープを張って戻れないようにした。そのロープが「しめ縄」であります。よって、しめ縄は「神様はこの縄を張ったエリアにおられます」「ここから出ません」との行動範囲を示す役目を果たしています。なるほど・・。


なんにせよ、古事記は稗田阿礼という超絶メモリーの持ち主と、太安万侶という天才ライターのコンビがいたから出来た貴重なレポート。監修は天武天皇。初版から1300年を経た歴史書です。(2012年7月 PHP文庫発行)


古事記

ウオーキング・観光


●「大出雲展」見学  ~京都国立博物館~

 願ったり叶ったり・・まるで駄目男のリクエストが採用されたような、有り難い展覧会であります。これで遠い出雲へ出かけなくても、見たい宝物は全部見られる。ゆえに、1300円という高価なチケット代も気にならない、35度の酷暑もなんのそのと出かけました。
 平日の昼下がりに行けばガラ空きのはずと予想して訪ねると、あちゃ・・満員ではありませんか。あんたらヒマ人やなあと自分のこと棚に上げて文句たれる駄目男でした。なにがこんなに人気を呼ぶのでせうか。


人生最後の拝見になるやも知れぬ、現存では最古の古事記写本(国宝・真福寺本)をしげしげと眺めては「なんか、ぺんてるの水性ペンで書いたみたいやなあ」などと次元の低い評価 しかできないのが情けない。
 日本の古代史観を揺るがせた、荒神谷などから出土した大量の銅剣、銅矛も、あと百年か二百年発見が遅れたら原型が失われていたかもしれず、それを間近に見物できる幸運に感謝したくなります。この発見で古代出雲がどんとクローズアップされました。


さらに近年ビックリの大発見は出雲大社敷地で見つかった「宇豆柱(うづはしら)」そして、これを元に想像、復元した大神殿の縮尺模型。10分の1サイズでありますが、そのデザインのユニークさに惚れ惚れします。高さは48m説と二倍の96m説があるそうですが、48mとしても15階建ビルの高さですから、実物はいかほど迫力があったことか。施主オオクニヌシノミコトの威光かくやと思わせますが、実際に建設を請け負ったゼネコンの苦労もいかばかりかと想像せずにはおれません。五重塔建築のノウハウがあるとはいえ、構造的にしんどい面があったようで、二回か三回はコケタという説があります。でも、果てしなき天空を目指す、日本版「バベルの塔」として、今からでも努力賞を授与したい 大建築物です。


展示物は神話関連のものだけでなく、中世の仏教資料もあって、木造仏には、奈良や京都の寺院では見られない魅力的なフォルムのものもあり、仏像ファンにも見応えのある展示です。後醍醐天皇の宸翰(しんかん=直筆の書面)もあります。展示の質、量とも十分で、みなさん満足度は高いのではと思いました。ゆっくり見ると、二時間くらいかかります。(本展は9月9日まで)


■京都国立博物館のHP
http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html


大出雲展


神殿模型と宇豆柱は撮影OKになっています。
神殿の復元模型
大出雲展


宇豆柱の実物(杉材らしい)
大出雲展 

プチ・ケチの研究


●家庭用温湿度計は精度が低い、を知っておこう

 節電を意識すると、温度、湿度に敏感になります。普通の人なら誰でも認識できる最小温度差は2度というのが通説らしいけど、節電=ケチを意図すれば1度の違いも体感できます。・・となると、温度計の精度が気になります。節電のため、室内温度は28度に設定して下さい、なんてPRもありますが、家庭でも職場でも、きちんと測定できるのでせうか。


調べてみると、家庭用温湿度計では、温度は±1度、湿度は±3%が許容範囲になっているようです。けちんぼから見ると甘いような気がするけど、市販商品はこれに準拠している。もっと正確に測定したければ水銀温度計が必要とあります。


温度計を使ってない家庭では、リモコンで28度に設定したら、室温が28度になると思って当然ですが、エアコンの温度センサーは室内機にあって、天井に近い位置だから、その測定温度28度が床上1~1,5mの体感温度と同じなのか、気になります。

 だから、別に温度計を買って室内に取り付ける。それが上記のように誤差が大きい・・となると、Aさん宅の28度設定とBさん宅の28度設定では かなりの差があると見てよいでせう。二人とも節電に努めているのに、実際の消費電力に差が出てしまいます。さらに、住宅の構造(木造かコンクリートか)でも差はありますから、節電の成果はもっとあいまいになります。


温湿度計はいかほど怪しいのか、20年使ってるアナログ表示のものと最近購入したデジタル表示の温湿度計を並べて観察しました。結果、この二つに関しては、温度は最大±0,5度、湿度は±3%の相違がありました。基準の「正確な温湿度」が不明なので、信頼性は低いけど、ま、こんなもんか、というのが感想です。
 気温は何度なら快適か、これは個人差がありますが、自分の感覚でいえば、気温28度、湿度65%未満なら不快感はありません。しかし、28度でも湿度が70%を越えるとジメジメ感が増して不快になります。湿度の多少が快、不快に大きく影響するので、節電のために28度設定、というのもかなりええ加減な推奨値と言えるでせう。


蛇足になりますが、エアコンの風速設定で、「弱」が一番節電になると思っていましたが、実は「風速自動」のほうが消費電力は少ないそうです。


温湿度計を並べて観察
温度計誤差 

読書と音楽の愉しみ


●一関開治著「記憶が消えていく」
       
~アルツハイマー病患者が自ら語る~ を読む

 自分はアルツハイマー病なんかにならないと自信をもって言える人は一人もいないはず。なる、ならないは、ほとんど運の良し悪しで決まるといってもいいくらい、予測しがたい。ならば、怖がるだけより、実態を知って予備知識とし、自分自身、また身内や友人が患ったときの心構えとして、ささやかながら学習をしておこう・・。本書は患者自らが語ることで啓蒙とサポートを促す、切ないレポートです。


著者、一関さんは53歳で発病した若年性アルツハイマー患者。こういう例は極めて珍しいというのではないけれど、彼の職業が北海道は北竜町の現役町長だったということで、個人の病気云々では済ませられなかった。町中が「えらいこっちゃ」状態になる。役場の職員、町会議員はもちろん、住民みんなが「町長がアルツハイマー? 信じられへん!」というほど、それまでの町長は仕事熱心で、生来の性格から敵をつくらず,付き合い好きで、腰が低くてみんなに好かれていた。要するに、住民の信頼が厚い有能な町長だった。


それが・・最初は誰でもやらかす小さな思い違い、物忘れではじまり、過労からくるストレスのせいだろうと思って二三日休養すると、ちゃんと正常にもどった。しかし、また同じようなミス、トンチンカンを繰り返す。町の施政方針演説で文章を何行も飛ばして読む、同じ文を二度読む、などのミスでおかしいと気づく人が出てきた。   ある日、町民の葬儀があり、恒例で町長自身香典を持参するに、袋に自分の名前を横書きにしているのを妻が見つけ、ゾッとする。これで病院へ無理やり連れて行き、診断してもらったら「若年性アルツハイマーに間違いありません」と告げられた。

 妻は直ちに町長辞任を夫に迫るが、当人は「大丈夫、仕事はできる」という気持ちがあるから決断させるのに難儀した。ようやく辞任を決め、自宅に役場の幹部や町の有力者を集めて妻が辞任を告げた。あらかた予想された事態だったが、参加した者はみんな泣いた。


大事なことは、公の場で辞任理由を「体調不良」とかでなく「アルツハイマー病」とはっきり明かしたこと。町長という立場から、これを言うには相当の勇気が要る。常識的には体調不良のほうが言いやすい。しかし、敢えて隠さなかった。しかし、これで逆に以後の精神的負担、苦悩は大きく軽減される。長年にわたってヘンな憶測、うわさで悩まされることがない。本書の啓蒙の要は「隠さずにアルツハイマー病と名乗る」ことにある。


このことは北海道新聞の記事になった。ネガティブな報道ではなく、逆に本人や家族の姿勢が評価され、話がふくらんでテレビ東京がドキュメンタリー番組の取材に来たりした。一時、鬱病に陥った妻も健康を回復した。町民全員が彼の病名を知ることで、引退後、町内の散歩などではだれかれ無く挨拶を交わしてくれ、お茶でもどうぞと気遣いをしてくれる。もし、なにかあれば、すぐ家族に連絡するという気配りまでしてくれる。「体調不良」とかで家に引きこもってるのとは天地の違いである。もちろん、それは難儀な病気のせいだけではなく、町長時代に誰からも好感をもたれていたためでもあるが。


書名に~アルツハイマー患者自ら語る~とあるけど、本人の述べた言葉はわずかしかない。症状は中期で、話はできるが書くことはできない。話し言葉もボキャブラリーが貧しくなり、難しい言い回しなどできない。悪くいえば幼児化しつつある。それでも気持ちは十分伝わる。文を読む限り、この先への不安や恐怖感は感じられないけど、実際はどうなのだろう。


時系列でつながっていた記憶がプツン、プツンと切れはじめ、自分の生きてきた道筋が少しずつ闇のなかに消えてゆく。しかし、なにもかも無になるのではなく、なつかしいこと、楽しかったことの記憶はまだ残り、一関開治という人格も健在である。この時点では・・・。


記憶は消えてしまうかもしれない。けれど、今まで生きて来たという事実は決して消えない。妻や息子や、町の人々の心のなかで生き続ける。本人の記憶だけが生きた証しではないはずだ。本書で彼の語った最後の言葉は「妻は私の心の中で生きていると思う」だった。(2005年10月 二見書房発行)

(注)本書の発行が2005年であるため、アルツハイマー病に対する世間の認識が現在とはやや異なっていたかもしれない。


本・記憶が・・・ 


北竜町は「ひまわりの里」として知られている
ひまわりの里 

プチ・ケチの研究


●最後は小さなウエスでお役立ち・・・古布を捨てる前に

 使い古したタオルや寿命のきたシーツ、コットンの衣類など、そのまま捨てずに、最後の洗濯をして15センチ角くらいに切り、ウエスとして使います。この小ささが意外に便利。むろん使い捨てにします。
 たとえば、障子の桟やドアノブの掃除とか、ガステーブルの拭き掃除、電子レンジやオーブントースターの内部の掃除、便座や便器の清掃、扇風機のガード掃除、エアコンフィルターの清掃なんかに役立ちます。

 ふきんやぞうきんだと、いちいち洗い直さなければなりませんし、大きすぎて拭きにくい場面もある。この小さいウエスなら、二枚、三枚束ねて使うことができ、融通無碍。靴の泥落としにも気兼ねなく使えます。古いシーツを一枚つぶしたら、えらくたくさんのウエスができるから、どの家庭でも常に供給過剰になるはずで、そのぶん気楽に消費できます。
 自称「捨て魔」の「捨て惜しみ」。最後に役立てることで納得できます。


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読書と音楽の愉しみ


●長部日出雄著『津軽じょんから節』『津軽世去れ節』を読む

 知らんなあ、こんな作品、 と言われても仕方ない。1973年に直木賞を受賞したのだから、もう40年も昔のことです。当時はこんな素朴な物語を書く作家がいて、そんな作品、作家を評価する審査員がいた。いま、これと同じ類いの作品を書いても、予選で落選でせうね。


『津軽じょんから節』は津軽三味線の名人を『津軽世去れ節』は唄の名人の生々流転を描いた短編ですが、中学校か高校の国語の教科書に載せてもいいような味わいのある読み物です。そう「物語」という呼び方がピタリときます。今の作品には「物語」と言えるようなものは無いのでは、と思いますよ。


津軽三味線のライブを二、三回聴いたことがあるけど、本書の冒頭の描写にある「演奏開始前」の雰囲気を思い出しました。演奏者は誰でも本番の前に楽器のチューニングをしますが、津軽三味線の場合は、音合わせではなく、助走という感じがぴったりです。あるいは、競馬でいえば、ゲートインした馬と騎手の雰囲気。ペペン、ペンペン・・と調子を合わせていたかと思うと、いきなりダッシュ! それは三味線を弾いてるのではなく、叩いてるといったほうが良い。ペペン、ペンペンではなく、ガシッ、バシッ であります。これが津軽三味線の魅力です。


三味線にもいろいろ種類があるけど、公に演奏のハイテクぶりを競ってるのは、津軽三味線だけではないでせうか。あいつに負けてなるもんか、あのグループを追い越してやる・・闘争心むき出しでワザを競い合う。当人は大変ですが、お客さんはこれが楽しみです。本書はそんな三味線バトルの顛末を津軽弁を交えて描いています。繰り返すけど、もう忘れていた「物語」を読む楽しさを久しぶりに蘇らせてくれた佳作です。(大活字本)


■長部日出雄 プロフィール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%83%A8%E6%97%A5%E5%87%BA%E9%9B%84


津軽平野と岩木山
津軽平野 

ウオーキング・観光


■「スルッとKansai」鉄道路線 完乗記録-3日目 (最終回)

 前の二日間を頑張ったので、最終の今日は余裕の行動です。二箇所の寄り道も含めて京都の街をちょこまか移動しました。
 未乗区間は移動コース順に、近鉄京都線の三木山駅~丹波橋駅、京都市営地下鉄の六地蔵駅~御陵駅、同じく、京阪三条駅~太秦天神川駅、京福電鉄北野線の帷子ノ辻駅~ 北野白梅町駅、京都市営地下鉄の京都~竹田駅・・結構ぎょうさんあるやおまへんか。 これを、路線図を見ないで乗り換え、乗り継ぎプランを作れる人が鉄道ファンなのでせう。とにかく、一日14回も乗り換えをしたのは人生初経験! ひたすら気ぜわしい。


まず、近鉄京都線の未乗区間に乗るために、京都へ行くのに難波から西大寺経由で参ります。午前10時台に京都線の急行に乗ったら、ずっと立ちんぼでした。なんでかな~。近鉄丹波橋駅で下車、京阪に乗り換えて中書島へ。ここで宇治線に乗り換え、六地蔵駅下車、住宅街を300mくらい歩いて京都市営地下鉄東西線に乗ります。御陵駅までが初体験です。

京阪三条駅でまた京阪に乗って終点、出町柳駅へ。市バスで銀閣寺道まで乗り、あとは徒歩で「京鐘(きょうかね」という、貸衣装などブライダル関係の会社の施設へ。サラリーマン時代の先輩Hさんとそのグループが陶芸展を催しているので、拝見に伺ったというわけです。小ぶりながらお洒落な庭をしつらえた和室が展示場で、しばしアタフタ乗車を忘れて見物させてもらいました。忙中閑あり、とはこのことですね。


出町柳駅に戻り、三条でまた地下鉄に乗って烏丸御池駅へ。駅すぐ北側に「京都国際マンガミュージアム」があって、前から気になっていたので初訪問です。少子化で使われなくなった小学校を改装してあり、なかなかいい雰囲気です。しかし、夏休みちゅうなので親子連れがわんさと来ており,マンガを座って読む席が満員でした。外国人の多いのにも驚きました。
 入館料800円はちと高いのとちゃいまっか、という感想ですが、まあ、いろいろ経費がかさむのかも知れません。

■京都国際マンガミュージアム
http://www.kyotomm.jp/

また地下鉄東西線に乗って終点の太秦天神川駅へ。地上に出ると京福電鉄嵐山線が隣接していて、これで帷子ノ辻乗り換えで北野白梅町終点へ。この区間が未乗でした。せっかくだから北野天満宮へ参拝し、神社前からバスで四条へ。ここで地下鉄に乗り換え竹田駅終点へ。この地下鉄の京都~竹田間が未乗でした。竹田で近鉄に乗り換えて丹波橋へ。さらに京阪に乗り換えて淀屋橋へ・・。とにかくめまぐるしい乗り換え、乗り継ぎで、居眠りするヒマがありません。かくて無事に、さほど疲れもせずに「完乗」出来たのであります。基本的に、電車に乗ってるだけですから、疲れないのは当たり前か。また、連続三日間でなく、一日あけての隔日の三日ですから楽ちんです。自宅出発8時30分、帰宅午後6時30分。(実施は8月3日、5日、7日の三日間)


完乗した、と書きましたが、きちんと言うと「スルッとKansai」加盟会社の路線の完乗です。実は加盟していない会社、路線があって、駄目男が知る限りは以下の五路線です。

阪堺電鉄(ちんちん電車)
■近鉄田原本線
■水間鉄道
■和歌山電鉄
■嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)
■六甲ケーブル、摩耶ケーブル

 以上ですが、見落としがあるかも知れません。幸い、駄目男はこれらの路線はすべて乗り終わっています。近鉄田原本線は、なんか継子扱いの感じで、この路線(王寺駅~田原本駅)のみカードが使えないから外していると思えます。Pitapaは使えるのに、カードは使えないというヘンなシステムになっています。和歌山電鉄は、猫の「たま駅長」で人気のある路線。ここはカードもピタパも使えない。路線バスにあるような整理券~現金払い方式です。また、本社は岡山にあります。


■究極の「乗り鉄」さんがいた
 なんぼヒマジンやゆうたかて、こんなことする人は滅多にいないはずと検索してみたら、東京から往復ヒコーキで来て「スルッとKansai」スリーデイチケットで乗りまくってる人がいました。KAZU0010さん。関西を乗りまくったレポートは2002年のものでしたが、その後2007年には日本全国の鉄道を制覇したとあります。自称、乗り鉄のチャンピオンです。ということは、どこかに新路線が開業すると、ササッと出かけて乗る。常に全線完乗記録を保持しているわけです。一円の儲けにもならんのに、たまりませんなあ・・。自分の関西の私鉄完乗なんて、ハナクソほどのしょぼい記録です。


■KAZU0010さんの関西私鉄乗りまくりレポート(2002年)
http://www1.cnc.jp/mgsclub/railway201.htm


■「旅のカケラ」さんは秋田から乗りにきた! ようやるなあ・・
 http://tabinokakera.blog95.fc2.com/blog-entry-566.html



近鉄京都線の新祝園~大久保間にはこんな田園風景が残っている。
スルット京都 


「京鐘」の展示室を訪ねて陶芸展を拝見。庭園は「百福園」という
スルット 


京都 


京都国際マンガムージアムは古い小学校を改築してつくられた
京都 


約5万冊のマンガが読み放題 探すのが大変です。
スルット京都おわり 


手塚治虫の「火の鳥」のモニュメント
京都 


館長室。 館長は解剖学者で「バカの壁」著者、養老孟司さんです。
京都 


昔のオモチャコーナーにはブリキの「鉄人28号」が展示してありました。
京都 


嵐電の車両をパトカーに似せて・・苦労しますなあ。(天神川停留所)
京都 


子供時分を思い出す場面でした
京都 


北野天満宮本殿前では梅干し作業が行われていました。
スルット京都オワリ

ウオーキング・観光


■「スルッとKansai」鉄道路線 完乗記録-2日目

 二日目は、まず南へ一直線、南海本線難波駅から特急「サザン」で和歌山港駅へ。この初体験の和歌山市駅~和歌山港駅のダイヤはくせ者で、徳島行きのフェリーのダイヤに合わせているから、乗り損なうと2時間待ちなんてことになります。関西全域で一番気をつけるべきポイントです。
 次は泉佐野乗り換えで関西空港へ。この路線も乗ったかどうか記憶あいまいでした。自宅から関空への往復は専らJRを利用したはずと思っているのですが、なんか一度はラピートに乗ったような気もして・・。で、疑わしきは乗る、に従い、今回は往復とも泉佐野発普通列車にのりました。これで納得です。


次いで羽衣駅下車で高師浜線に乗ります。そんな線、知らんで・・という人も多いかもしれません。浜寺、羽衣、高師浜、助松・・昔はみんな海水浴場でした、なんて話が通ずるのは団塊世代の古手の皆さんまでかもしれませんね。天下茶屋駅まで戻り、泉北高速の終点、和泉中央駅へ。光明池~和泉中央駅間が未乗でした。この駅前もどでかいハコモノが並んでいて驚きました。


難波へ戻って阪神で三宮へ。初体験、神戸市営地下鉄海岸線に乗ります。車両のサイズは小さめで、大阪の鶴見緑地線と似ています。終点の新長田で下りて地上へ出ると駅前の公園に「鉄人28号」がドカ~ンと鎮座、いや、そびえていて、なかなかの迫力。JRの車窓からも一瞬見えるので、ご存じの方、多いでせう。

 ここから西神・山手線に乗り換え、終点、西神中央駅へ。この線は、学園都市前駅~西神中央駅間が未乗でした。駅前の広場では夏祭りのメーンエベントが見物でき、ラッキーでした。帰途に乗った山手線、新長田~三宮間も初経験です。今日も最後は阪急で梅田へ。
 自宅出発8時20分、帰宅、午後8時40分。ビールが旨い!!


南海の「格差特急」サザン。手前が有料、人の向こうが無料の車両。
スルット和歌山 


関西空港の南海の改札口
スルット和歌山 


高師浜線の終着駅。昭和モダンのお洒落な駅舎です。
和歌山 


泉北高速終点、和泉中央駅からの眺め。
和歌山 


神戸市営地下鉄、海岸線の車両。小ぶりで大阪の鶴見緑地線に似ています。
和歌山・神戸 


新長田駅前の「鉄人28号」モニュメント。迫力満点です。
神戸 


西神中央駅前広場でお祭りに遭遇。
神戸 


まわりの風景とひどいミスマッチなのが面白い。
神戸 

ウオーキング・観光


■「スルッとKansai」鉄道路線 完乗記録-1日目

 一日目は、山陽電鉄、神戸電鉄、能勢電鉄の未乗区間に出かけました。阪神梅田駅から直通特急で山陽電鉄飾磨駅下車。飾磨駅~網干駅の網干線の往復、そして飾磨駅と終点姫路駅間も初経験。大阪~姫路間は、JRの新快速だと60分くらいですが、山陽電鉄は100分くらいかかり、スピードでは勝負にならない。ということは、梅田から姫路まで通しで乗る人は、駄目男のような閑人か、さもなければ、なんぞJRに恨みがある人でせう。

 午後は一気に新開地まで戻って神戸電鉄有馬温泉口から有馬温泉駅を往復。昔、乗ったような気もするのですが、なんか記憶があいまいです。さらに東へ横山駅へ至り、乗り換えてウッディタウン中央駅へ。この駅前のワイドなカントリーシーンがとても印象的で再度訪ねて付近を散歩したくなりました。(写真参照)


ウッディタウン駅から終点、三田駅へ。この区間も初体験です。三田駅前風景の大変身ぶりにびっくりしました。三田から谷上まで戻り、北神急行に乗り換えて一気に三宮へ。この路線が無かったら、鈴蘭台経由のものすごく遠回りになるので、北神急行サマサマです。


三宮から阪急で十三へ。最後に、十三から宝塚線で川西能勢口駅乗り換え、妙見口駅へ。山里にたたずむ、木造オンボロ無人駅舎の風情がグッド。ここも「記憶あいまい」駅で、もしや半世紀くらい昔に来たような気がします。次いで、山下駅まで戻り、乗り換えて、初訪問の日生中央駅へ。巨大ニュータウンの中心の駅で、一日14,000人もの乗降客があるのに無人駅なのだから驚きます。合理化、ケチンボ、そこまでやるかというのが、ヨソ者、駄目男の感想です。乗客の顔ぶれが固定しているから、こんな措置ができるのでせう。

 それにしても、姫路、三田、能勢って結構ワイドなエリアになります。これで1700円は安い。ちょっと申し訳ないような気がするくらいです。阪神梅田駅と山陽姫路駅間の通常運賃は往復2500円ですから、この区間だけで800円も安くなり、他の神戸電鉄、能勢電鉄は計算上タダノリになります。ちなみに、JR大阪~姫路の往復運賃は2900円です。

 
 自宅出発が8時30分、帰宅が午後8時30分。ちょうど12時間の外出、
かなり電気代の節約になったと思いますヨ。


生涯二度と来ない? 山陽電鉄網干駅
スルット姫路 


山陽電鉄姫路駅は、山陽百貨店の構内にあります
スルット姫路 


閑散とした有馬温泉駅
スルット 


有馬温泉街をチラと見て駅へ引き返しました
スルット 


ウッディタウン中央駅。改札を出たところにこんな風景が展開していて、びっくりします。この反対側に大型ショッピングセンターなどがあります。
スルット


神戸電鉄三田駅。昔のままのしょぼい駅ですが・・・
スルット 


駅前の風景は大変身していて、これもびっくり。左がJR三田駅側、右が阪急百貨店。
スルット 


能勢電鉄終点、妙見口駅。終着駅の風情たっぷり。
スルット 


スルット 


能勢電鉄 終点日生中央駅。夕陽を浴びて家路を急ぎます。この駅も無人駅です。
スルット姫路おわり 

ウオーキング・観光



●「スルッとKansai」鉄道路線 完乗

 ・・って、なんのこっちゃねん? 答えは、関西二府四県の私鉄やバスで使える乗車カードを使って、利用可能な鉄道、モノレールの路線全部に乗りましたという、しょーもない記録のことです。
  下の路線図で赤線の部分が未乗区間でした。なんの用事もないので乗らなかっただけです。ならば、頭と身体が元気なうちに、せめて関西圏の私鉄だけでも全部乗り尽くしておこうと「にわか鉄道ファン」になって、のべ三日間、ウロウロした次第であります。生涯最初で最後の乗車になる区間もかなりありそうです。


その気になったのは「3day チケット」という乗り放題カードが販売されているからで、3日分で5000円。一日当たり約1700円でエリア内は乗り放題です。記憶をたどって未乗区間を探すとけっこうたくさんあって、3日で足りるか、ちょっと心配でしたが、なんとか乗り尽くすことができました。過去に乗ったかどうか記憶があいまいな路線は「疑わしきは乗る」で乗りました。


観光やハイキングの趣味のない人や、外出は専らマイカー利用という人は、未乗路線がもっと多くて、とても3日では乗り尽くせないかも知れない。たとえば、大阪市民で大阪市営地下鉄を乗り尽くしていない人も大勢おられるでせう。鉄道ファンでなくても、路線図をじっとにらんで、ここは乗った、ここはまだや・・とチェックするだけでもヒマつぶしになりますよ。また、一日でたくさんの路線を乗りこなすにはどんな順序の乗り方がベストか、を考えるのは頭の体操になること請け合いです。そう、実際に乗らなくても「ヒマつぶしの達人」になれるかも知れません。 
 
 
 また「青春18きっぷ」を使い慣れた人にとっても楽しい遊びネタになるのではとおもいます。たとえば、18きっぷでは出来ないケーブルカー集中登山で、比叡山、高野山、生駒山、信貴山、男山めぐりを三日間で・・てな案はいかがでせう。 

下に路線図のURLを案内をしてありますので、興味ある方はチェックしてみて下さい。地図にマウスを当てると拡大図が見れます。

路線図・・マウスを当てた部分が拡大表示されます。
http://www.surutto.com/sub_content/use_area.html


赤線が駄目男の未乗区間、または記憶があいまいな区間
スルット


■スリーデイチケットのチラシ
スルットかんさい 

次回から3回、完乗レポートを書きます。

たまには外メシ

 
●川床のある、スペイン居酒屋「ルンバ」

 納涼川床といえば京都鴨川のそれが人気独占しているけど、うちも負けてられへんと北浜は土佐堀川沿いに3~4軒の店が出来ました。公共物である川の護岸の上に床を載せるのだから当然役所の許可が要り、どこまで認めるか、いろいろ面倒なやりとりがあったと思われます。


ルンバは難波橋(ライオン橋)の東20mの雑居ビル一階にあって、床席・・は和風だからテラス席ですね。12,3人分の狭いスペースですが、解放感は十分です。残念ながら、当日は途中で雨が降って店内に入りました。
 メニューはタパス(小皿)料理がメインで値段も安く、最後にパエリヤを食すればお腹もふくれます。一人3000円くらいでOKです。


■ルンバのホームページ
http://kitahamarumba.com/


土佐堀通りに面しています
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昼間の風景はこんな感じ
ルンバ


黄昏どきにはこんな雰囲気になります。
ルンバ 


ルンバ


パエリヤ(二人分)
ルンバ 

読書と音楽の愉しみ

●雨宮処凛(かりん)著「右翼と左翼はどうちがう?」を読む

 図書館の青少年向け書架で見つけた本。「14歳の世渡り術」というサブタイトルがついていて、大人社会の難儀な問題を分かりやすく解説するシリーズ本であります。著者は30代の女性作家で、はじめ右翼、次いで左翼の思想に共感し、街宣など運動にも携わった。男なら「アホちゃうか」と蔑まれるところ、女性だと「ま、ええか」となるのでせうか。しかし、思い詰めたら即行動に移すところはグズグズしてる人よりはまし、何も考えずにボケーと生きてる人に比べたらベターでありませう。


なにしろ青少年向けの本ですから、極論や過激な表現は慎み、ソフトに分かりやすく書いていて、大人が読んでも十分勉強になります。右と左、それぞれの思想を解説しつつ、全ての考え方において左右が対立しているわけではなく、共通の問題意識もあると述べて
います。左右共通の敵と言ってもいいが、それは「反資本主義(反資本家)」と「反グローバリズム」の二つ。もっとも、右翼側はだからといって社会主義が良いなんて、絶体言わないのですが。要は、資本家による搾取、格差社会化など、庶民、若者が生きにくい世の中をなんとかしたい、人間らしく生きたいという点では左右とも似たような見識のもとで活動していると。


では、明快な対立点は何か。大人ならみんな知っていることですが、憲法問題、天皇制、教育問題、などで、これらが互いに歩み寄ることは無さそう。しかし、著者に思想的な影響を与えた知人は、左右関係なく、人間として十分魅力的なオジサンばかりだったという。右の人はやかましいだけの街宣右翼を嫌い、左の人は革マルなど暴力が本命の左翼を軽蔑する、いわばインテリだからでせう。そして、左右の活動家及び著者自身が一番危惧するのは国民の「無関心」です。だから、君が14歳であっても、政治だけでなく,身の回りに起きることに関心をもち、疑問が起きれば積極的に関わることをすすめています。

戦後最初の小学一年生になった駄目男の経験からいえば、当時の親の考え、先生の教育が共に「戦前の全否定」になってしまったのは仕方ないと思ってます。あらがうことは出来なかった。問題はそのあとの考え方です。「戦前の全否定」を検証しようともせず、そのまま引きずってるのが左翼でせう。「自虐史観」なんかがそのサンプルです。もっとも、駄目男だって昔は土井たか子のファンだったから、えらそーなことは言えませんけど。


世渡りをする中で、ちょっと待てヨ、と「戦前の全否定」に疑問をもった人と持たなかった人、ここんところが右・真ん中・左の分かれ目です。大げさに言えば、全否定という国民総洗脳状態から脱却できたか、できなかったか、です。自分の場合は漢方薬の効き目のように年月かけてジワジワと脱・全否定に至ったのであります。左寄りから真ん中へ戻ったつもりですが、朝日新聞の悪口なんか書くと、右寄りに見られたりして。ま、いいか。(河出書房新社 2007年5月発行)


■雨宮処凛氏のブログ「雨宮日記」
http://ameblo.jp/amamiyakarin/


本・右翼と左翼