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たまには外メシ


●鰻のカルボナーラ

 土用の丑にウナギを食べたことがないと自信をもって言えるくらい、関心が無いのですが、バー「カンパネラ」からパスタにウナギ、美味しいでっせと案内メールがきたので、暑いなか出かけました。
 パスタを茹でるときに何か薬味を効かせ、スープはマスターの考えたオリジナル。鰻丼の半分以下の量しか使いませんが、けっこう濃厚な味付けになって、年寄りはこれだけで満腹感を味わえます。和洋折衷、こういう組み合わせもありんす、と美味しくいただきました。

■「カンパネラ」の案内は下記「下戸の止まり木」にあります。
http://oskjk.blog107.fc2.com/blog-category-12.html


うなぎのカルボナーラ


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読書と音楽の愉しみ


●最近の演奏会から

人生最後の「トスカ」鑑賞

 歌舞伎やオペラ見物に出かけると、ダシモノがなんであれ、数時間を祝祭的気分に浸ることができます。つまり「ハレ」の日。雨が降ってもハレの日であります。おばちゃんもおばあさんもよそゆきの服着て、中には着物を着ておいでの人もいる。それでダシモノの出来映えが良ければハレ気分はさらに高揚し、しばし、消費税のことや節電のことやオスプレイのことやいじめ自殺のことも頭から雲散霧消してしまうのであります。余命ズンズン短くなるけふこのごろ、年に一度くらいは日常を忘れて祝祭気分に浸りませう。


人生最後の・・シリーズ? 今回はプッチーニの「トスカ」。脚本は陳腐なメロドラマですが、おなじみのアリアは期待を裏切らない歌唱力で満員の聴衆を満足させました。ヒロインのトスカをいじめる悪役スカルピアを演じたバリトンが拍手喝采の大人気、歌もさることながら、ルックスの良さで魅了したのではと思います。(7月24日 兵庫県立芸術文化センター大ホール)


祝祭気分のおすそ分けに、第三幕のアリア「星も光りぬ」の歌詞と動画をご紹介。この曲、一回聴いたらメロディが覚えられ、三回聴いたら泣けてきます。メロディメーカー、プッチーニのヒット曲です。


星はきらめき・・

大地は良い匂いを立ち昇らせていた・・

菜園の戸がきしみ 足が砂地を軽く触れるように進んできた・・

かぐわしい香りをさせた彼女が入ってきて

私の腕の中に倒れかかる・・

おお なんと甘美なキス 悩ましい愛撫

そのあいだに私は震えながら

美しい姿を衣服から解き放とうとしていた!

だが消えてしまったのだ 永遠に 私の愛の夢は・・・

時は逃げ去ってしまったのだ・・・

そして私は今 絶望のうちに死んでいく!

これほど命をいとおしんだことはない!

いとおしんだことは!


動画で音質のマシなものを探したら、これが見つかりました。フランス生まれのイタリア人、ロベルト・アラーニャが歌っています。指揮はシノーポリ、オケはドレスデンみたい。(1999年録画)

■星も光りぬ
http://www.youtube.com/watch?v=v6z_a8Ivl-k&feature=related


トスカの舞台になったローマのサンタンジェロ城。
トスカ お城 

プチ・ケチの研究


●節電の成果アリ・・7月分電気代

 関電にガタガタ言われるまでもなく、無理しない範囲で節電を心がけた・・なんて殊勝なことはよう言いませんが、幸い、7月22日までは猛暑日はなかったので、昨年より消費電力量は減りました。10畳用エアコン1台の消費電力、電気代は下記のようになっています。

■7月分電気代の推移(6月23日~7月22日)
2010年  313kwh  6,791円(20年使った古いエアコン)
2011年  258kwh     5,614円(新型にとりかえた)
2012年  199kwh  4,353円(新型の2年目)


電気代レシート


順調に数字は小さくなっていますが、今年が昨年より20%もダウンしているのは、今年の節電の成果というより、昨年が使いすぎたと思っています。でも、10%であっても成果はありです。古いエアコンを使っていたときは、夏冬のピーク月には1万円以上の電気代を払っていたので、新型機種による節電の効果は大きい。

 広い家に住み、エアコンを3台、4台使ってる人は、貧乏人はええなあ、電気代安上がりで、とひがむ(笑)かも知れないが、実際、ウサギ小屋ゆえに、1台で家中冷やせるのは助かります。キッチンや脱衣所も十分冷房できます。(どんだけ狭い家やねん!)


下に紹介のURLには、エアコンに関する節電法がいろいろ書いてあり、ヒマな方はご覧下さい。この記事のなかに室外機を直射日光にさらして高温にすると冷房効率が落ちるというのがあって、これは前から気になっていたので、写真のように断熱材の貼り付け、天板に板をのせて日除けにしました。配管にも断熱材を巻きました。効果は不明なれど、貧乏性はこんなことで納得できるんです。グシュ。


■エアコンの基礎知識・節電方法
http://saijiki.sakura.ne.jp/denki1/aircon.html


室外機は西向きのベランダにあるので、西日が長時間当たり、すごく熱くなる。そこでファン横の鋼板にウレタンフォーム(キャンプで使うマット)を貼り付けた。
エアコン断熱


天板には不要になった棚板をのせ、熱射を遮る。ペットボトルを重しにのせる。このあと、配管にもウレタンフォームを巻いた。
エアコン 

読書と音楽の愉しみ


●早川一光著「ど~んと来い、困りごと」を読む

 ときどき、ここで紹介している信金の広報誌「いこい」の人気記事をまとめて単行本にしたもの。あれやこれや60の悩み事を相談スタイルで掲載しています。どの悩みも身につまされるものばかりで、現在は平穏に暮らしてる人も、いずれは我が身にふりかかるピンチかも知れず、過去に大難儀した人は苦い経験が蘇るかも知れません。


しかし、深刻な悩み事を深刻に返しては救いがない。ど~んと来たら、ハッシと受け止めて、けれど、モルヒネ効果のある言葉や肩すかし的見解でちょっぴり深刻さをやわらげる。ユーモアでくすぐる。
 そんなもん、役にたたへんがな、と誰もが思ったら読者の相談は減るはずですが、ずっと盛況なのは期待あればこそでせう。読者だって、この相談で万事解決できるなんて思ってないし、むしろ、一番の効用は悩みを公開し、不幸感を共有をすることで「自分だけがどん底なのではない」というストレス軽減にあると思います。


親子、嫁姑との軋轢、難病のつらさ、介護のむなしさ、息子の引きこもり、無能定年夫への不満、痴呆への不安と相談事はさまざまで、今さらながら悩める人の多さ、深刻さに明日は我が身かと心配になります。そこんところを快刀乱麻とは言わないけど、上手く対応する早川センセイの熟練ワザにも感心します。そのセンセイ自身、おん年88歳、ボケたらあかん、と老骨にむち打って奮闘の日々です。 90歳で現役医者、が実現しそう。まだまだ、ど~んと来いの「明るい相談室」は続きます。(かもがわ出版 発行 1400円+税)


どんと来い困りごと 本

プチ・ケチの研究


●カンタンおつまみ・・塩キャベツ

 昨夜、お好み焼き「風月堂」で食べた塩キャベツ、これぞヘルシーでローコストのアテと、さっそく家でコピーしました。
 材料は、キャベツにごま油といただきものの「塩昆布とゴマのふりかけ」。今回は油の量が多すぎて少しひつこい感じになってしまった。でも、原価は30円くらいとマルビにはうってつけのアテです。風月堂では280円。ま、ぼったくりとは言いませんけど。

塩キャベツ 

読書と音楽の愉しみ


●最近の演奏会から

■7月13日 金曜日 マーラー「交響曲第9番」
■7月14日    土曜日 モーツアルト「レクイエム」

 あちらの国では「13日の金曜日」は縁起の悪い日だそうで・・そんな日に聴いたのがマーラーの9番。マーラー最後の交響曲にして、自身の今生の別れ=死を音で語った作品。そして明くる14日の演奏会で聴いたのは「レクイエム」死者を神のもとに送る曲であります。なんやしらんけど、気ぜわしゅうて生きてられへん、てな気持ちであります。(マラ9は5月に八幡市民オケの演奏でも聴いた)


生きることよりも、死ぬことにより関心が高かったマーラー、人生の末路が見えて、ならばもう悠々自適の年金暮らし・・すればいいのに、死ぬとはどういうこっちゃねんと哲学に耽り、それをオタマジャクシで表現せんものと、田舎の粗末な小屋に引きこもって創作に熱中したのであります。その「引きこもり小屋」の写真が見つかったのでSさんから拝借しました。


マーラーが9番の作曲にいそしんだ小屋
マーラー作曲小屋

さて、13日のマラ9の演奏は、指揮者、大植英次が2007年の定期で振る予定のところ、本人の体調不良でキャンセルしたといういきさつがあり、今回の演奏にはひとかたならぬ思い入れがあったと察します。今や桂冠指揮者となって大フィルを自在に操れる強みを生かして、これ以上上手に演奏でけへん、というところまでトレーニングした成果を聴かせてくれました。


第一楽章から緊張感みなぎる、かつ相当にスローテンポの演奏で、なんと100分近い長丁場となりました。聴く方も、聴かせるほうもツツ一杯という感じです。第4楽章のことは前にも書いたけど、死への憧憬と生への未練が葛藤を起こしてか、終わりそうで終わらない。その長いエンディングは、もしお医者さんが聴いていたら心電図を想像するかも知れませんね。波形が次第に下降し・・ついにフラットになる。臨終の直前、最後まで音を出すのは誰か? 見ていたらヴィオラの主席でした。


指揮者はここで、出しうる限りの最小の、かつ最高に美しい音を要求する。なのに、それは客席に聞こえる音でなければならない。そんなムチャなこと・・でありますが、ここでチョンボしたら全てがパーになるので、ヴィオラのおばさんは必死です。結果は見事に決まって、とても感銘深い演奏になりました。この場面、空調のノイズレベルが高い二流ホールでは、空調騒音が楽器の音をマスキングしてしまい、まともな演奏ができないでせう。


13日の金曜日の夜、つつがなくご臨終となりまして、通夜もそこそこに、明くる日は「レクイエム」で神のおそばに送られる、という段取りの良さです。こちらはUさんより頂戴したチケットを使い、タダで天国へと、敬老パスにさえ無い、サービス満点の旅立ちでありました。


演奏は京都市交響楽団。合唱京都ミューズ・モーツアルト・レクイエム合唱団、独唱4名、指揮藤岡幸夫。今まで聴いたなかでは最も規模の大きい演奏で、合唱は200人くらい、とてもダイナミックなレクイエムです。合唱はアマチュアだから、歌い慣れた「第九」と違って練習では苦労なさったことと察します。人数的に男声がやや非力でしたが、とてもよくコントロールされ「こんなもん、いつでも歌うたるで」みたいな自信たっぷり?の演奏でした。この曲、1984年公開の映画「アマデウス」の最後に出てくる曲といえば、思い出す方おられるかも知れません。あれからもう二十数年たったのか・・レクイエム、やっぱし人ごとやおまへんがな。


ほかに、山本貴志のピアノで、モーツアルトの協奏曲9番。ハタチごろの作品ですが、若書きなんてものでなく、もう十分にアダルト感覚の曲です。
第⒉楽章のメランコリーは、20番以後のものほど切実ではないけど、しかし、彼はここで何を言いたかったのでっせうね。(京都コンサートホール)


■画像引用元「ヴァイオリン工房は不思議の部屋」のURL
http://shinop.exblog.jp/11690916/


なつかしい、映画「アマデウス」のポスター
アマデウス 

たまには外メシ


●八甲田山の伏流水でつくった「田酒」

 ただいま長部日出雄の「津軽世去れ節」を読んでるところで、単にそれだけのことで青森の地酒「田酒」(でんしゅ)を注文。近頃はなんとなく「キリッ」系のお酒が多い?なか、ほんわか、まったり、フルーティな、かなり個性的で美味しい酒です。この香りはどんな技術でつけるのか。いや、技術で無く材料そのもの? アテには干からびたメザシ、これがピッタリなのであります。・・などとセンサクしてるあいだに終電車のタイムリミット近づき、あたふた帰りました。(西梅田 クルラホン)

■クルラホンの案内はこちら「下戸の止まり木」で・・
http://oskjk.blog107.fc2.com/blog-category-12.html


■西田酒造「田酒」の案内
http://www.densyu.co.jp/


田酒 青森 

たなかよしゆきさんの古道紀行予定一覧


●古道紀行 新スケジュール発表 (2012/09~13/04)

 たなかよしゆきさんの主宰する「古道紀行おおばこの会」は、旧街道や農山村の里道を歩くグループです。毎回10~20人の参加者があり、誰でも参加できます。会費は一回500円。申し込み、問い合わせは田中さんまで・・

電話・ファクス 0745-79-6452
携帯  090-3485-6452へ。


古道紀行2012年9月~13年4月 



プチ・ケチの研究


●古典的貧乏性

 固形石鹸という商品は、だんだん影が薄くなり、スーパーやドラッグストアではもう継子扱い、探すのに苦労します。いつのまにかボディソープという液体のシャンプーに取って代わられてしまいました。
 しかし、コストパフォーマンスを考えると、標準的な価格の商品で比べた場合、どう計算しても石鹸のほうがずっと安い。かつ、石鹸は品質が悪いということも考えにくい。多くの消費者はメーカーに騙されてるのではないかと、疑うのであります。すなわち、石鹸とさほど変わらぬコストなのに、液体ソープのメーカーはぼったくりをしていると。


その格安石鹸を最後のひとかけらまで使い切ろうと努力する。それが写真のような「二階建て」使用であります。当ブログの読者で、かような古典的貧乏性を発揮しておられる方、いかほどおられるでありませう。
 石鹸があと二,三回でおしまいというときに、新しい石鹸と両方を濡らして、ムギュ~と押し合わせる。すると次回の入浴までに二つはくっついて一つの石鹸になり、古い、小さいほうはタオルにこすられて、しみじみと消滅するのであります。小さくなった石鹸を捨てるなんてとんでもない。最後の一片までお役に立って、さりげなく泡のなかに消えて行く。 固形石鹸ならではの美学であります。 牛乳石鹸、ミツワ石鹸、ミヨシ石鹸・・・名前からして懐かしい。まだまだ、ン百万人の貧乏性が味方しておりますぞ。

プチケチ 石鹸

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●古い歯ブラシの再利用

 小型のシェーバーに付属している掃除用のブラシは小さくて使いにくい。そこで、使い古した歯ブラシに変えたら、サクサクと掃除できます。もっと早く気がつけば良かったのに、と思うくらい。ブラシは「やわらかめ」タイプが適している。柄は写真のように短く切ったほうが使いやすいです。水洗いタイプだと、ブラシにハンドソープをつけて洗うと泡立ちもよくて早く洗えます。(この場合、固形石鹸は使いにくい)


プチケチ歯ブラシ再利用 

たまには外メシ


●織田作之助が愛した「自由軒」のカレーライス

 前回記事で出て来る、織田作之助が描いたミナミの情景はもう幻でしかないが、唯一リアルに残っているのが自由軒のカレーライス。彼はこの店の常連で、今で言う「名物カレー」が大好物で、しょっちゅう食べに来たという。かの「夫婦善哉」のなかでも、このカレーが出てくるらしい。


何が「名物」なのかといえば、ご飯とカレーがはじめから混ぜてあって、真ん中に生卵をのせてあるのが「名物」たるゆえんだそう。そのレシピを織田作が食べた頃から全く変えていないこと、また隠し味に和風ダシを使っていることもウリにしている。食べて見ると、格段に美味しいとは思わないけど、この味にはまってる人には、これがカレーのベストワンなんでせう。(並サイズで650円)


客のなかには、はじめから混ぜてある、というのが気に入らない人も結構いるとみえて、そんな人は「別カレー」と注文します。ご飯とカレーが別に盛ってある普通のカレーライスのことです。よって、当店でカレーを注文するときは「名物カレー、並」とか「別カレー、大盛り」と言う必要があります。 メニューはカレーだけでなく、洋食はほぼなんでもありの大衆食堂ですが、集客力は大で昼食時は混雑します。カップルでゆっくりランチを愉しむ・・には全く不向きの店です。


■後発「せんば自由軒」は倒産

 本家と分家の確執は普通にあることですが、自由軒も身内が起こした「せんば自由軒」が一時は本家をしのぐ勢いで事業を拡大し、しかし、その過大投資が裏目に出て、2010年にポテチン(自己破産)というミジメなことになりました。といっても消滅したのではなく、別の企業「ベクトル」がまるごと買い取って、ブランドもそのままに経営しています。


両社ともホームページをつくっていて、事情を知らない人は、どっちがどっちだか分からなくなりそうです。「せんば」といえば思い出すのが「船場吉兆」のハデなスキャンダル。あれも分家がゼニ儲け優先で暴走したあげくのポテチンでした。


■本家「自由軒」のホームページ
http://www.jiyuken.co.jp/

■「せんば自由軒」のホームページ
http://www.senba-jiyuuken.jp/index.html


名物カレー
カレー自由軒


難波の本家自由軒
自由軒 



自由軒の東隣はかつて映画ファンに愛された「千日前国際劇場」だったが、現在はパチンコ最大手「マルハン」の旗艦店になっている。
自由軒 

読書と音楽の愉しみ


●織田作之助著「アド・バルーン」を読む

 図書館で弱視者用の大活字本を借りると、なんせ読みやすいのでクセになってしまいます。前回紹介した「大和古寺風物誌」も大活字本でした。
 今回は織田作之助の短編集から、大阪ミナミ界隈の風物がてんこ盛りで出て来る「アド・バルーン」です。(他に「世相」「競馬」を収録してある)


この作品は主人公のボク(小学生)と継母二人との関係を描いたものですが、住んでいるところが高津神社のそば、引っ越し先が笠屋町といった、織田作が実際に生まれ育った町の近辺です。だから、地理はむろん、どこにどんな店屋があるとかをやたら詳しく描写していて、も、もう、そこまで書かんでもええやろ、と読者が辟易するくらいです。もちろん、リアルタイムの描写ではなく、記憶をたどっての話なんですが、オジンにはそれが郷愁感満点の町並み風景と映るのであります。


以下は、作品に描かれた昭和10年ごろと覚しきミナミの風景です。(駄目男が生まれる数年前になる)本文の一部をコピーし、ジュンク堂なんば店へ行ったついでに、文中の、今でも確認できる「物件」を求めてうろついてみました。ヒマつぶしの達人を目指すには、これくらいのマメさは必須であります。(茶色文字が引用文)


   
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■「アド・バルーン」 抜粋

(略)・・・七歳の夏、帰ることになりました。さすがの父も里子の私を不憫に思ったのでしょう。しかし、その時、八尾の田舎まで迎えに来てくれたのは、父でなく、三味線引きのおきみ婆さんだった。
  高津神社の裏門をくぐると、すぐ梅ノ木橋という橋があります。といっても子供の足で二足か三足、大阪で一番短いというその橋を渡って、すぐ掛りの小綺麗なしもたやが今日から暮す家だと、おきみ婆さんに教えられた時は胸がおどったが、しかし、そこにはすでに浜子という継母がいた。(略)


■文では「梅ノ木橋」だが、実際は「梅乃橋」 長さは3mくらい。説明板によると、この下の川を西へ掘り進めて道頓堀川になったという説があるそうだ。
おださく



その時のことを、少し詳しく語ってみましょう。というのも、その時みた夜の世界が私の一生に少しは影響したからですが、一つには何といっても私には大阪の町々がなつかしい、今となってみればいっそうなつかしい、惜愛の気持といってもよいくらいだからです。


  家を出て、表門の鳥居をくぐると、もう高津表門筋の坂道、その坂道を登りつめた南側に「かにどん」というぜんざい屋があったことはもう知っている人はほとんどいないでしょう。二つ井戸の「かにどん」は知っている人はいても、この「かにどん」は誰も知らない。しかし、その晩はその「かにどん」へは行かず、すぐ坂を降りましたが、その降りて行く道は、灯明の灯が道から見える寺があったり、そしてその寺の白壁があったり、曲り角の間から生国魂神社の北門が見えたり、入口に地蔵を祠っている路地があったり、金灯籠を売る店があったり、稲荷を祠る時の巻物をくわえた石の狐を売る店があったり、簔虫の巣でつくった銭入れを売る店があったり、赤い硝子の軒灯に家号を入れた料理仕出屋があったり、間口の広い油屋があったり、赤い暖簾の隙間から、裸の人が見える銭湯があったり、ちょうど大阪の高台の町である上町と、船場島ノ内である下町とをつなぐ坂であるだけに、寺町の回顧的な静けさと、ごみごみした市井の賑にぎやかさがごっちゃになったような趣がありました。


  坂を降りて北へ折れると、市場で、日覆を屋根の下にたぐり寄せた生臭い匂いのする軒先で、もう店をしもうたらしい若者が、猿股一つの裸に鈍い軒灯の光をあびながら将棋をしていましたが、浜子を見ると、どこ行きでンねンと声を掛けました。すると、浜子はちょっと南へと言って、そして、あんた五十銭罰金だっせエと裸のことを言いました。


 市場の中は狭くて暗かったが、そこを抜けて西へ折れると、道はぱっとひらけて、明るく、二つ井戸。 オットセイの黒ずんだ肉を売る店があったり、猿の頭蓋骨や、竜のおとし児の黒焼を売る黒焼屋があったり、ゲンノショウコやドクダミを売る薬屋があったり、薬屋の多いところだと思っていると、物尺やハカリを売る店が何軒もあったり、岩おこし屋の軒先に井戸が二つあったり。そして下大和橋のたもとの、落ちこんだように軒の低い小さな家では三色ういろを売っていて、その向いの蒲鉾屋かまぼこやでは、売れ残りの白い半平はんぺんが水に浮いていた。


二ツ井戸。道頓堀川沿いの「津の清」という和菓子店の前にあった井戸。井戸が二つ並んである光景は珍しかったので、有名だった。空襲等のため、モニュメントとしての井戸枠の場所は転々としたが、今年(平成24年)4月、国立文樂劇場の玄関前で復元された。「津の清」は今も盛業中。
おださく おわり



 猪いのししの肉を売る店では猪がさかさまにぶら下っている。昆布屋の前を通る時、塩昆布を煮るらしい匂いがプンプン鼻をついた。ガラスの簾を売る店では、ガラス玉のすれる音や風鈴の音が涼しい音を呼び、櫛屋の中では丁稚が居眠っていました。道頓堀川の岸へ下って行く階段の下の青いペンキ塗の建物は共同便所でした。芋を売る店があり、小間物屋があり、呉服屋があった。「まからんや」という帯専門のその店の前で、浜子は永いこと立っていました。


  新次はしょっちゅう来馴れていて、二つ井戸など少しも珍らしくないのでしょう、しきりに欠伸あくびなどしていたが、私はしびれるような夜の世界の悩ましさに、幼い心がうずいていたのです。そして前方の道頓堀の灯をながめて、今通ってきた二つ井戸よりもなお明るいあんな世界がこの世にあったのかと、もうまるで狐につままれたような想いがし、もし浜子が連れて行ってくれなければ、隙をみてかけだして行って、あの光の洪水の中へ飛びこもうと思いながら、「まからんや」の前で立ち停っている浜子の動きだすのを待っていると、浜子はやがてまた歩きだしたので、いそいそとその傍について堺筋の電車道を越えたとたん、もう道頓堀の明るさはあっという間に私の躯をさらって、私はぼうっとなってしまった。


  弁天座、朝日座、角座……。そしてもう少し行くと、中座、浪花座と東より順に五座の、当時はゆっくりと仰ぎ見て楽しんだほど看板が見られたわけだったが、浜子は角座の隣りの果物屋の角を急に千日前の方へ折れて、眼鏡屋の鏡の前で、浴衣ゆかたの襟えりを直しました。浜子は蛇ノ目傘の模様のついた浴衣を、裾短かく着ていました。そのためか、私は今でも蛇ノ目傘を見ると、この継母を想いだして、なつかしくなる。それともうひとつ想いだすのは、浜子が法善寺の小路の前を通る時、ちょっと覗きこんで、お父つあんの出たはるのはあの寄席やと花月の方を指しながら、私たちに言って、きゅうにペロリと舌を出したあの仕草です。


■芝居の五座は全部無くなり、浪花座のあったところは、空き地になっている。(戎橋たもと、かに道楽の斜め向かい)
おださく


 
やがて楽天地の建物が見えました。が、浜子は私たちをその前まで連れて行ってはくれず、ひょいと日本橋一丁目の方へ折れて、そしてすぐ掛りにある目安寺の中へはいりました。そこは献納提灯がいくつも掛っていて、灯明の灯が揺れ、線香の火が瞬き、やはり明るかったが、しかし、ふと暗い隅が残っていたりして、道頓堀の明るさと違います。浜子は不動明王の前へ灯明をあげて、何やら訳のわからぬ言葉を妙な節ふしまわしで唱えていたかと思うと、私たちには物も言わずにこんどは水掛地蔵の前へ来て、目鼻のすりへった地蔵の顔や、水垢のために色のかわった胸のあたりに水を掛けたり、タワシでこすったりした。私は新次と顔を見合せました。



  目安寺を出ると、暗かった。が、浜子はすぐ私たちを光の中へ連れて行きました。お午の夜店が出ていたのです。お午の夜店というのは午の日ごとに、道頓堀の朝日座の角から千日前の金刀比羅通りまでの南北の筋に出る夜店で、私はふたたび夜の蛾のようにこの世界にあこがれてしまったのです。
  おもちゃ屋の隣に今川焼があり、今川焼の隣は手品の種明し、行灯の中がぐるぐる廻るのは走馬灯で、虫売の屋台の赤い行灯にも鈴虫、松虫、くつわ虫の絵が描かれ、虫売りの隣の蜜垂屋では蜜を掛けた祇園だんごを売っており、蜜垂らし屋の隣に何屋がある。と見れば、豆板屋、金米糖、ぶっ切り飴もガラスの蓋ふたの下にはいっており、その隣は鯛焼屋、尻尾まで餡がはいっている焼きたてで、新聞紙に包んでも持てぬくらい熱い。そして、粘土細工、積木細工、絵草紙、メンコ、びいどろのおはじき、花火、河豚の提灯、奥州斎川孫太郎虫、扇子、暦、らんちゅう、花緒、風鈴……さまざまな色彩とさまざまな形がアセチリン瓦斯やランプの光の中にごちゃごちゃと、しかし一種の秩序を保たもって並んでいる風景は、田舎で育ってきた私にはまるで夢の世界です。


■「目安寺」は実在するが、名前は「自安寺」で妙見観音の寺。ビルの一階を寺院として使っている。ご覧のように風情はゼロ。
おださく


ぼうっとなって歩いているうちに、やがてアセチリン瓦斯の匂いと青い灯が如露の水に濡ぬれた緑をいきいきと甦みがえらしている植木屋の前まで来ると、もうそこからは夜店の外はずれでしょう、底が抜けたように薄暗く、演歌師の奏でるバイオリンの響きは、夜店の果てまで来たもの哀しさでした。(以下略)


■現在の道頓堀川風景
おださく

本文はこのURLからコピー
http://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/42688_45503.html


わかったわかった、織田はん、それ以上書きなや。頭に入れヘんがな、もう・・と言いたくなるくらい、こてこてとミナミの情景を書き連ねている。ところで、10行ほど上の「奥州斎川孫太郎虫」って、なんのこっちゃと検索したら、昔の民間薬のひとつで、今なら「リポビタン」みたいなものだったらしい。要するに、漢方薬店みたいな店ではないか。気になる人は、こちらで確かめられよ。

http://www.tpa-kitatama.jp/museum/museum_13.html


織田作之助は、この「アド・バルーン」を昭和21年3月に発表、翌22年1月に結核で死んだ。享年33歳。