読書と音楽の愉しみ
読書感想文
●亀井勝一郎著「大和古寺風物誌」を読む
著者名、書名ともしっかり覚えているので、昔むかし、たぶん二十代で読んだのではと思うが、開けてみると皆目記憶がない。途中で読み止めたのかもしれない。旅心を誘う書名に惹かれて買ったのはいいが、読んで見れば、若造には難しすぎて、放り出してしまったと。
50年の歳月を経て今読めば、素晴らしいエッセイであります。大和の古寺探訪が好きな人には、これほど上等な教科書は無いのでは、と思うくらいであります。何が上等なのかといえば、古寺や仏像の見方や解説をしているのでなく、著者の「思いのたけ」を吐露しているからであります。世間で、学会でいろんな見方があるにせよ、まずは亀井流の「思い」を書く。加うるに、これでいいのダ!と読者を納得させてしまう筆力とそれを裏付ける、うんちくの山。持論を自信をもって述べながら、謙虚さも失わない、このバランスの良さも読者を惹きつけてやまないところでせう。
・・と、ほめておきながら、こりゃちょっとヤバイで、とも思いました。大和の古寺めぐりの前にこれを読むと、著者の「思いのたけ」が強いぶん、先入観を持ちすぎてしまう恐れありです。「司馬史観」ならぬ「亀井史観」に洗脳されてしまいそうです。ゆえに、ある程度、古寺巡りをこなした人が読むほうがベターではと思います。自分の感想や評価との違いを見つける愉しみもありますし。この本を読んだら、もう一度現地へ行きたくなった・・。これが最高ではありませんか。
■文章紹介・・「薬師寺」のなかの ~塔について~ より
・・塔は幸福の象徴である。悲しみの極みに、仏の悲心の与える悦びの頌歌であると云ってもいい。金堂や講堂はどれほど雄大であっても、それは地に伏す姿を与えられている。その下で人間は自己の苦悩を訴え、かつ祈った。生死の悲哀は、地に伏すごとく建てられた伽藍の裡に満ちているであろう。しかし、塔だけは天に向かってのびやかにそそり立っている。悲しみの合掌をしつつも、ついに天上を仰いで、無限の虚空に思いを馳せざるをえないようにできあがっているのだ。人生苦のすべては金堂と講堂に委ねて、塔のみは一切忘却の果てに、ひたすら我々を天上に誘うごとく見える。しかも、塔の底には仏の骨が埋められてあるのだ。(以下略)
著者の大和古寺巡りは、昭和12年~27年ごろまでと、もう半世紀も昔のことですから、寺やその環境の風景は大きく異なります。薬師寺なんか、荒れ果てた寺として描かれていて、それなりに興味が湧きます。
古寺めぐりに誘う本はたくさんあるけれど、その賞味期限の長さにおいて、これほどのスグレモノは珍しいでせう。歴史ファンにも愛読者が多いかもしれません。
(大活字本で読む・底本は新潮社文庫「大和古寺風物誌」)
■亀井勝一郎のプロフィール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E4%BA%95%E5%8B%9D%E4%B8%80%E9%83%8E