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たなかよしゆきさんの部屋


● 年収二百万円で極楽生活!?    たなかよしゆき

 わたしのただいまの年収(2012年申告)は二百万円(中身は年金百三十万円、アルバイト七十万円)である。夫婦二人で二百万円ではさぞかしフーフーいって生活しているかというと、然にあらず。優雅にゆったり、堂々と心豊かに暮らしている。(!?無理シイナヤ) どうして、そんなことができるの?というみなさまもおられるだろう。そこで、わたしの極秘(ホンマカイナ)の技を伝授することにしよう。耳の穴をかっぽじって、眉に唾をつけて、どんぐり眼を大きくみひらいてお聞きあれ、ごろうじろ。(箇条書きに短く書きます)


一、金を使わず、頭(大した知恵もなく、頭悩と書きたくなるようなしろものなのだが)と手と足を使え。が基本原則。たとえば仏華ひとつとっても、あり合わせの庭の松、びしゃこ、なんてんと、畑の水仙などの季節の花を組み合わせて手づくり。何でも創意工夫して、手づくりをこころがけよ。


一、歩きや自転車(スーパーカブ)を活用せよ。からだを動かせばいい智恵も浮かんでくるし、飯も酒もうまい。新陳代謝が活発になれば、病気にもなりにくい強い肉体をつくることができる。一駅や二駅くらいは歩け。(現在、わたしは買物運搬用に原付を使っているが、しかし、ふだんは危険がともなうので、歩ける場合はできるだけ歩いている)


一、食事はできるだけ素(粗ではなく、素=シンプル ということ)食を旨とせよ。一汁一菜くらいがちょうどいい。特にわたしは、朝と昼は茶がゆと漬けものくらいで済ませている。夕ご飯は酒を飲むので、その分、ちょっと豪勢か(といっても、たかが知れています)わたしは山で食べる弁当やおにぎり、ラーメンがこの世でいちばん美味と思っているので、美食には関心がない。シンプルな食べ方がいちばんうまいと考えている。酒は楽しい酒であれ。静かな酒であれ。わたしはアルコールに弱いので、一日チュー(焼酎)五勺か一合あれば十分。


一、山や野の新鮮素材を利用せよ。山菜や木の実、草の実、きのこをいただけ。野の花を飾れ。季節感が味わえるし、自然への感謝の念もおこる。


一、お茶は自家製のどくだみティをペットボトルにいれて用意し、できるだけ、買うべからず。弁当を持参せよ。こんなものでも毎日だとバカにならない。資源のムダづかいにもならず、暮らしのかたちがキレイ(エコ)になる。そう、暮らしの姿がキレイな(エコ)ことが何よりも大切なのだ。どくだみティは毎年六月ごろ、妻と摘みに出かけ天日干しにして、一年分を確保します。どくだみ=十薬は健康茶のすぐれもの。まわりの人たちにもすすめています。


一、自分の内部にある自然治癒能力をひき出し、高めよ。わたしは歩くことからさまざまなよい刺激をうけ、いきいきと暮らしています。過労、酷使、ストレスは病気のもと。しっかり働いたあとはしっかり休め。(休みっぱなしも病気のもと)宮沢賢治の詩のように<イツモシズカニワラッテイル>時間をすこしでも多くつくれ。


一、再使用を心がけること。ものにも命がある。いつくしんで使え。リサイクル、リユース、リデュースのなかではリユースがいちばん地球に負荷をかけない。わたしは封筒を裏返して再使用するし、カレンダーも封筒に再利用する。(とてもきれいな封筒になります)コピーの失敗紙をメモ用紙、便箋、ノートなどにも使っています。


一、 山を友とせよ。山では金を使うところがない。山で遊べば、金要らず。ストレスも発散できるし、自然の摂理からいろいろ学べます。


たなかさん エッセイ 

一、ひとに与えよ。さらば与えられん。自分に与えられるものがあるときは大根一本、玉葱一個でも、ひとに与えよ。この世はギブアンドテイク。与えれば必ず与えられる。仏教では無財の七施といい、笑顔を与えよ、座る場所を与えよ、やさしい言葉を与えよともいっている。これが最大の保険制度と考えよ。


一、畑を借りられるのなら、土を耕し、種をまき、野菜くらいは自給せよ。できるだけ無農薬、有機農法で金をかけずにやればいい。家庭の生ゴミは堆肥にもなり、ゴミを減らし、一石二鳥。畑は一種の遊びであるし自然から学ぶ重要な機会ともなる。(台所の排水も庭に散水しています)


一、何よりの無形の財産は友である。よき友をつくれ。よき友はさまざまなものをもたらしてくれる。(ものをくるる友、医者の友、賢き友がいいといったのは兼好法師か)


一、手紙は最大の心の愉しみ。せっせと手紙を書け。心が豊かになり、自分史にもなる。


一、衣料はおさがりで十分。現代日本は不要な衣類で溢れかえっている。交換して使えば、十分間に合う。わたしの服は百%近くもらいもの。かなり沢山もらって、たいそうな衣装持ちとなって処分に困っているくらいである。
このセーターはだれだれさんにもらったもの、このズボンはだれだれさんにもらったものと記憶していると、まるで愛情を着ているようで豊かなきもちになる。


一、旅には金を使え。ハレとケをうまく使い分けよ。ケでは節約、シンプルライフを心がけ、ハレでは大いに使え。溜めるばかりが能ではない(なかなか溜まりませんが)ただのケチになってはつまらない。(わたしは青春18きっぷを使って旅をすることが多いです)また、お金に余裕があるときは、災害支援金やユニセフに募金しろ。金はうまく回せば、みんながしあわせになれる。(うまく回さないからふしあわせがおこるともいえます)


一、頭寒足熱。下半身をあたため、頭部は冷やしておけ。エアコンはできるだけゆるく設定しろ。ちょっとぐらい我慢して切っておけ。


一、本や雑誌は図書館で読め。(ブックオフの百五円コーナーもけっこう充実していて重宝していますが、家中が本だらけになる難があります)リクエストすれば他館から取り寄せることもできます)


一、できるだけ外食にたよらず、自炊をこころがけよ。自分で調理したものは安全でうまく、安上がり。(でも、たまには外食もいいものです)


一、虚飾と見栄を廃せよ。質実剛健を旨とせよ。


一、苦しい時こそ、自分の内部の何かが問われている時。自分の内部世界を改造するチャンス。変身の絶好機。何かを変えれば、もっと楽に、もっと自由に生きられる。


一、すべては宇宙の采配。最大限の自己努力をしたあとは、すべて宇宙の摂理にまかせておけばうまくいくと信じています。すべての出来事には深い意味がある。


一、<現在>という時間と経験をゆったりとうけとり味わうこと。樹を見、鳥の声を聴き、さわやかな風に吹かれることにお金は要らない。すべては学びのもと。苦しみを根元からのり越えるところに人生の醍醐味があると考えよ。


一、生きてりゃ最高、他に何が要るの? はわたしの人生のスローガン。四国をお遍路して学んだこと。この瞬間、この世界を生きていることがいちばん素晴らしいこと。他のことはそれに比べれば取るに足りない。こんな素晴らしいチャンスに恵まれたことにいつも深い感謝の意をささげたいとおもってます。


 以上、ちょっと偉そうなことを書いてしまい、恐縮ですが、わたしの信念なのでお許しを願う。また、信念といっても、わたしはルーズ(弛緩や逸脱)を愛好しているので、いい加減なところもある。まあ、ぼちぼち(でもしっかりと)やりまひょ。自分なりの方法と工夫で年収二百万円生活ができればいいネ。愉快に明るく心豊かにやるのが絶体条件です。ムリは禁物。世の中にはゼロ円生活をやって、しあわせなひともいます。下は坂口恭平とホームレス禅僧(?)の代々木公園での対話です。


<「おにぎり二個、ですか?」
「そう、人間ってのは余計に食べすぎなんだよ。だから病気になっちゃうわけ。本当はおにぎり二個で十分なんだよ。私の場合は、おにぎり二個で、二日持っちゃうからね。しかも、そのおかげで、健康になっちゃったから。こんなによいことはないよ」
 彼はもらった食事を、代々木公園に集まってくる鳥たちに分けてあげている。(中略)彼は満面の笑顔で語ってくれた。
「本当に幸せだよ。ここには鳥たち生き物もたくさんいるし、植物たちもたくさん育っているからね。それを眺めているだけで、心が落ち着いて気持ちよくなる(中略)この完全無職ゼロ円生活には束縛がない。代わりに完全な自由があるの。この生活を送ることは、自分の使命だと思ってやってます」 二年前からゼロ円で暮らしているという。>


 もし、これを読んで心が軽くなるようだったら、<人間、どんな状態になっても、ぜったい生きていけるよ>という境地になることができるでしょう。(『ゼロから始める 都市型採集狩猟生活 坂口恭平著』)より。


 しかし、上には上がいるね。わたしなんかまだまだです。

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■坂口恭平氏のプロフィール

1978年熊本県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。在学中より現代建築の在り方に疑問を持ち、都市に存在している、専門家ではない人々によって建てられた無名の建築物、庭の調査を行う。卒業論文として発表した路上生活者の家の調査が、2004年に「0円ハウス」という写真集としてリトルモアから出版される。(略)

 2008年1月に、隅田川沿いに暮らす都市生活者の達人の生態を描いた「TOKYO 0円ハウス 0円生活」を出版、さらに小説「隅田川のエジソン」も4月に出版された。

■引用元
http://www.monex.co.jp/AboutUs/00000000/guest/G800/new2008/news810z.htm


■坂口恭平氏のHP(0円ハウスの動画あり)
http://www.0yenhouse.com/house.html  

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読書と音楽の愉しみ


●亀井勝一郎著「大和古寺風物誌」を読む

 著者名、書名ともしっかり覚えているので、昔むかし、たぶん二十代で読んだのではと思うが、開けてみると皆目記憶がない。途中で読み止めたのかもしれない。旅心を誘う書名に惹かれて買ったのはいいが、読んで見れば、若造には難しすぎて、放り出してしまったと。


50年の歳月を経て今読めば、素晴らしいエッセイであります。大和の古寺探訪が好きな人には、これほど上等な教科書は無いのでは、と思うくらいであります。何が上等なのかといえば、古寺や仏像の見方や解説をしているのでなく、著者の「思いのたけ」を吐露しているからであります。世間で、学会でいろんな見方があるにせよ、まずは亀井流の「思い」を書く。加うるに、これでいいのダ!と読者を納得させてしまう筆力とそれを裏付ける、うんちくの山。持論を自信をもって述べながら、謙虚さも失わない、このバランスの良さも読者を惹きつけてやまないところでせう。


・・と、ほめておきながら、こりゃちょっとヤバイで、とも思いました。大和の古寺めぐりの前にこれを読むと、著者の「思いのたけ」が強いぶん、先入観を持ちすぎてしまう恐れありです。「司馬史観」ならぬ「亀井史観」に洗脳されてしまいそうです。ゆえに、ある程度、古寺巡りをこなした人が読むほうがベターではと思います。自分の感想や評価との違いを見つける愉しみもありますし。この本を読んだら、もう一度現地へ行きたくなった・・。これが最高ではありませんか。


■文章紹介・・「薬師寺」のなかの ~塔について~ より

 ・・塔は幸福の象徴である。悲しみの極みに、仏の悲心の与える悦びの頌歌であると云ってもいい。金堂や講堂はどれほど雄大であっても、それは地に伏す姿を与えられている。その下で人間は自己の苦悩を訴え、かつ祈った。生死の悲哀は、地に伏すごとく建てられた伽藍の裡に満ちているであろう。しかし、塔だけは天に向かってのびやかにそそり立っている。悲しみの合掌をしつつも、ついに天上を仰いで、無限の虚空に思いを馳せざるをえないようにできあがっているのだ。人生苦のすべては金堂と講堂に委ねて、塔のみは一切忘却の果てに、ひたすら我々を天上に誘うごとく見える。しかも、塔の底には仏の骨が埋められてあるのだ。(以下略)


著者の大和古寺巡りは、昭和12年~27年ごろまでと、もう半世紀も昔のことですから、寺やその環境の風景は大きく異なります。薬師寺なんか、荒れ果てた寺として描かれていて、それなりに興味が湧きます。
 古寺めぐりに誘う本はたくさんあるけれど、その賞味期限の長さにおいて、これほどのスグレモノは珍しいでせう。歴史ファンにも愛読者が多いかもしれません

(大活字本で読む・底本は新潮社文庫「大和古寺風物誌」)


■亀井勝一郎のプロフィール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E4%BA%95%E5%8B%9D%E4%B8%80%E9%83%8E


斑鳩・法起寺三重塔
本 大和古寺風物誌

たまには外メシ


●人生最後の三つ星割烹・・北新地「弧柳」

 三年前、2009年の春先に、友人でショップデザイナーのOさんから電話あり「このあいだ北新地で割烹の店、設計しましてん。気が向いたら行っておくれやす」と。あ、そう、フンフンと聞いたものの、すぐ忘れてしまった。


翌年の暮れ、再度電話あり「あの店、ミシュランの★★取りましてん」「ほんま、そら良かったなあ。ところで、料理、なんぼくらいするの?」と尋ねると「メニューはおまかせコースのみで、1万円と1万2千円の二種類」「ドヒャ~~」一言絶句。 かくして、また一年が過ぎたのでありました。


そして、昨年の暮れ、なにかの記事で、この店が★★★に昇格したことを知りました。べつにOさんに義理はないけれど、これ以上、知らん顔するのもイカンガーと、三年以上たってようやく出かけた次第であります。晩メシに一万円以上使うなんて、清水の舞台どころか、スカイツリーのてっぺんから飛び降りる勇気が要るのであります。


店は、新地の一番南の通り、ANAクラウンプラザホテルの北西向かいにあります。キャパはカウンター12席のみ。オープンキッチンなので、取り澄ました、堅苦しい雰囲気は全然ありません。オーナーの松尾慎太郎さんは、法善寺の「㐂川」で修行した、誠実で研究熱心と評判の若手です。


料理の印象を一言でいえば、ダサい形容ながら「究極のチマチマ料理」になりますか。すべてのメニューがボリュウム感最小。その分、素材と味付けの凝りよう、こだわりようは、家庭料理と次元の異なるものです。お客さんは美味しさの「非日常体験」を期待して来る。それに応えるのが松尾さんの仕事です。だから、コストパフォーマンス優先の発想では、かようなレシピは生まれないでせう。コストを意識する家庭料理とこの店の料理とは乖離(プッツン)している。比較することがナンセンス。だから愉しい。そうでも思わないと、スカイツリーから飛び降りた意味あらしまへんがな。(なんか、ヤケクソです)
 しかし、中に、義理や付き合いで来た人の中には、愉しくなかった人もいるはず。愉しくない理由は、コストパフォーマンスを考えてしまうからです。あの金で、ワタミなら6回は行けたのになあ・・嗚呼、グヤジイ~。


なんせ「人生最後の」の冠をつけるくらいだから、気軽には行けないど、結婚記念日とか、人生の節目の記念なんかに使えば、ヨメさん喜ぶこと請け合いです。ものは考えようで、自分が、毎月、医療費に5千円とか1万円を使わざるを得ない病人や被介護人になったことを思えば、この外メシのほうが、なんぼ幸せな投資であることか。病人になってから「行っとけば、えがったに。グシュ」と悔やんでも後の祭りです。


料理はすべて酒肴として出されるので、飲めない人は美味しく味わえないと思います。飲まない場合は昼膳があります。(下のHPの「店舗の紹介」頁をご覧下さい)


■弧柳のHPはこちら・・・メニューも出ています
http://www.koryu.net/index.php



奥、左の人が松尾さん
弧柳



刺身には醤油、わさびと海水(白い器)の二つのタレが供される
弧柳



サメの心臓の刺身
弧柳



島根県高津川の天然鮎
高津川って?・・検索すると、島根県西部、津和野のあたりを流れる「日本一の清流」を謳う川でした。一級河川で流域にダムが一つもないのは、日本中でこの川だけとのこと。天然鮎が遡上するので、鮎釣りファンには人気高いそうです。
弧柳

高津川上流風景
高津川

高津川観光PRのHP
http://www.kankou-shimane.com/mag/08/06/takatsu.html

読書と音楽の愉しみ


●人生最後のバッハ「ヨハネ受難曲」鑑賞   ~大フィル6月定期演奏会~

 指揮者、ヘルムート・ヴィンシャーマン、92歳。彼は引き受ける仕事の全てが「人生最後の仕事」という覚悟をもって舞台に上がってるに違いない。長身でスリムな体つきは枯れ木のごとくでありますが、指揮は漢字でいえば楷書のようにかっちりしたスタイルで、かつ情熱的。演奏時間2時間の大曲を疲れたそぶりも見せずに振り終えた。いやもう、すごいスーパージイサンであります。


クリスチャンならいざ知らず、このような宗教曲は、有り体に言って、あくびをかみ殺しながら聴くのが普通でありますが、今回、退屈しなかったのは、演奏のレベルの高さ、特に福音史家役のテノール、マルティン・ペッツウオルトの美声に聴き惚れたこと、また他のソリストや合唱団の技術の高さゆえと思います。オーボエやフルートのソロも実にきれいな音色だった。


もう一つ、退屈しなかった理由は、滅多に聴けない珍しい古楽器、リュート、ヴィオラ・ダモーレ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、小さいオルガンの演奏が聴けたこと。ダモーレもガンバも、古楽器特有の「すねたような音色」が、かえって新鮮に聞こえた。ガンバ奏者のおばさんが、なんだかアウンサン・スーチーさんに似ていました。


曲は、イエスが裏切り者のためにゴルゴダの丘で処刑され、遺体が埋葬されるまでの悲劇を、歌と小編成のオケで綴るのでありますが、終曲の約10分はまことに美しい旋律とハーモニーで、宗教宗派を越え、聴く人全てを感動させる名曲です。


安らかに憩い給え 聖なる御骸よ
御身を嘆くことは もう致しません
安らかに憩い給え そして私をも憩いに導き給え・・・


このような詞がなんども繰り返される。神ならぬ俗人でもあったはずのバッハ、一音入魂のラストシーン。 
 「演奏が終わっても拍手はするな」のお触れ書きの通り、至高の沈黙のなか、満員の聴衆は名演の余韻に浸ったのでありました。


ジョヴァンニ・ティエーボロが描いた処刑場のキリスト(1738年)
ヨハネ 

たまには外メシ


●泉南・田尻漁港 「漁業体験と海鮮BBQ」

 Nさんの案内で珍しい経験をしました。小さな漁船でカゴ漁と刺網漁を体験、とれた魚は即バーベキューなどで賞味。まさにとれとれの味です。料金6,300円は高いなあと思ってましたが、網やカゴの準備と片付けの作業の大変さを見ると、そういう思いは消えました。
 不振の沿岸漁業が生き延びるための副業みたいな観光ビジネスですが、参加した人の多くは、小さな魚一尾、粗末な食べ方できないとハンセーしたのでありました。当日はなんとか魚の種類、量とも満足できるものでしたが、運の悪い人(グループ)は獲物ゼロみたいな場面もありそう。


ゴム引きの前掛け、長靴にライフジャケットというスタイルで出港。ちっちゃい船だからよく揺れ、波しぶきがかかります。
田尻漁港


はじめにカゴ漁、次に刺し網を揚げます。網は長さが300mくらいあるので、交代で揚げます。クラゲやヒトデも多く、漁師がいちいち外してくれます。一番の獲物は大きなタコと黒鯛(30cm~)でした。ほかに、イカ、アナゴ、カレイ、カニ、など。仕掛けの割にはどうみても不漁で、これじゃ漁師さんはメシ食えないこと納得。
田尻



漁が終わったら、サービスで関空の着陸誘導灯下まで出向き、着陸シーンを見物させてくれます。
田尻



岸壁のすぐ横に100人くらい使えるBBQ席があります。黒鯛は半身を刺身に、半身は炭焼きで賞味。イカも刺身と炙りで。カレイとアナゴは天ぷらで食べました。調理は店でやってくれます。 タコは食べきれないので、分けて持ち帰りました。
田尻 


田尻 


田尻 


田尻 おわり 


田尻


■案内はこちら・・田尻漁業協同組合のHP
http://www.tajiriport.com/gyogyoutaiken.html

http://www.tajiriport.com/

プチ・ケチの研究


●「蒲焼き」はうなぎに限定せよ

 年々うなぎが品薄になって、中国産の貧弱な蒲焼きでも1000円以上になりました。そこで、これはどないや!と、うなぎに見せかけた商品が「イワシの蒲焼き」です。タレの味やまぶし方をうなぎに似せて、せめて見た目だけでもうなぎ風にと、苦心の作です。値段は149円(二きれ入りで298円)ナリ。レンジでチンするだけで食べられます。味や食感は、100円くらいで売っているサンマの味付け缶詰と似ています。


ついでに言えば、同類の塩干モノに比べたら、焼く手間が省けるのはメリットであります。しかし、「イワシの蒲焼き」という商品名が気に入らない。貧しくてうなぎが買えないから、仕方なくこれで我慢する・・みたいな、貧乏人のヒガミ、劣等感を助長してしまうからです。器用な人は、これを食べながら、脳内ディスプレイにうなぎの蒲焼きを映しているかもしれないけど。ま、ここは素直に「タレつきイワシ」でええのでは、と思います。


そうでないと、たとえば、生活保護家庭でしょっちゅうこれを食卓に出していると、子供が「おかあちゃん、また蒲焼きなん、たまにはサンマも食べたいよう」などと不満をのべ、他人が聞いたら「○○さんとこ、毎日のように蒲焼き食べてはりまっせ。不正受給ちゃいまっか」と役所に密告するやも知れませぬ。清く、正しく生きるためにも「蒲焼き」はうなぎに限定するべきであります。


イワシの蒲焼き  

読書と音楽の愉しみ


●武良布枝著「ゲゲゲの女房」を読む

 漫画界の過激派、西原理恵子の本の次は、妖怪漫画の雄、水木しげるの女房が書いた夫婦愛物語であります。この本を下敷きに、同じタイトルでNHKの連続ドラマが放送されたので、ご存じの方が多いと思います。駄目男はテレビドラマは一回も見たことないので、出来映えがどうだったのか、さっぱり分かりません。


副題に「人生は・・終わりよければすべてよし」とあるように、この本の主題は、人生半ばの超貧乏物語にあると言えます。そこそこの安定した生活水準を維持しながらの半生では、どうにも退屈なストーリーになったに違いない。第一、本を書く気にならなかったと思います。


水木しげるが不遇な時代は、貸本のための作品を書いてる時代ですが、この貸本や貸本屋がふつうにあった時代を思い出せるのは、今なら65~70歳くらいの人が限界でせうか。60歳の人が子供の時分は、もうそんな商売は滅亡していたのでは、と思います。(記憶あいまいです)貸本屋は、廃業するか、古本屋へ転向していきました。


書いても書いても売れない・・のは現代でも同じで、先般紹介の西原理恵子だって同じ苦い境遇を経験しているし、今日でも売れない漫画家はゴマンといるに違いない。ほんと、外見の派手さにくらべ、食うや食わずのライターがうじゃうじゃいるのでせう。出版社へ日参という図式も同じかもしれない。
  水木夫妻は、貧乏のピーク時には、はいてる靴まで質にいれて下駄履きで暮らしたとか。なんのことはない、生活保護家庭の水準で貧しさに耐えた。河本準一の言う「貧乏」がいかにええ加減なものか、ハンセーしなさい。


 おお、と思ったのは、不遇時代にちょこちょこ手伝いに来た漫画家に、つげ義春がいたこと。著者が書くに、つげさんは、ふらりと現れ、飄然と消えてしまう人だったと。彼自身、妖怪みたいな人物だったらしい。むろん、赤貧、洗うがごとしの貧乏ぶりも似たようなものだった。但し、つげ義春は「積極的なまけ者」であった感が強い。


ただいま、水木しげる90歳、著者の布枝80歳。いろいろ苦労はあったものの、功成り名遂げて幸せな晩年です。作家としての成功だけでなく、ふるさと境港に記念館や「水木しげるロード」などできて観光客が大巾に増え、地域振興にもずいぶん貢献しています。そんなサクセスストーリーを陰で支えたゲゲゲの女房が、今や歴史遺産に思える「良妻賢母」タイプの地味な女性だった。漫画業界において、このような夫唱婦随カップルは、水木夫妻をもって絶滅すること、確定でありませう。(底本は2008年 実業之日本社発行)


■水木しげるのプロフィール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B


■水木プロダクション 公式サイト
http://www.mizukipro.com/


大活字本で読みました。22Pのでかい活字で編集されてるので、3冊にもなるけど、一日で読めます。価格 8760円(税別)という高価な本(住吉図書館で借用)
ゲゲゲの女房 本 

読書と音楽の愉しみ


●西原理恵子著 漫画「サイバラ茸」を読む

 5月31日に西原の自伝「この世で一番大事なカネの話」を紹介したあと、肝心のマンガを読まなきゃと図書館で借りました。
  いやもう・・実に、読みにくいのであります。原版よりサイズを縮小しているうえに、文字が全部手書き、それもヘタクソな字だから苦労します。なかなかページが進まない。


しかし、オモロイ。オモロイ漫画家として、女性ではナンバーワンでせう。男でもためらうような卑猥な画や文を何気に書いて知らん顔。このハチャメチャぶり、誰かに似てるなあ・・と記憶をたどって思い出したのが、谷岡ヤスジ。あれの女性版ですね。(ご本人は意識してるのでせうか)
 ”全国的に、アサ~” ”鼻血がブー”のセンスが乗り移ってるみたい。谷岡ヤスジが意外に短命だったので、ここはサイバラ先生に頑張ってもらって、末永く漫画界を支えてほしいものであります。しかし、いつまでこんな過激な漫画を画き続けられるのか、ちょっと心配。まあるくなったら、オシマイです。(2009年11月 講談社発行)


余白には文字がぎっしり・・
サイバラ本 


サイバラ本 


サイバラ