●人生最後の?「ブル8」
~大植英次ファイナルコンサート~
人生最後の・・という言い方をすると、なんだか気ぜわしい。ちょっと早すぎるかも知れません。しかし、演奏のクオリティを考えれば、これで聴き納めかな、という気にもなりました。九年間、大阪フィルの音楽監督を務めた大植英次の最後の演奏会。曲は、ブルックナーの交響曲第八番、一曲のみ。何しろ90分もかかるシロモノだから、これだけで十分であります。
1970年代に、FM放送で初めてブルックナーの曲に出会い、こんな大層な曲、どんな作曲家がつくったんやろと、これまたご大層な本「ブルックナー 人と作品」を買った。本も恐ろしく堅苦しい内容であります。モーツアルトの伝記を読むより100倍は退屈する。なぜかと言えば、ブルックナーの人生そのものが退屈だからであります。偉大なアーティストで、彼くらい凡庸で退屈な(この場合、人生において大事件や波瀾万丈が皆無、という意味であります)人生を送った人物は珍しい。伝記作家がため息つくような、B級人生で生涯を終えた作曲家だった。
いや、ここでブルックナーの悪口書いてどないすんねん、であります。悪口は次の機会に書きませう。満を持して・・という感じで第一楽章スタート。席は2階の最前列。滅多に見られないハープ3台とワーグナーチューバ4本も揃ったフルサイズの編成で、低音部のまあるい響き、ハーモニーがまこと心地よい。心地よいけど、しかし、なんと危ういオーケストレーションであるか。オタマジャクシ一個の置き所を間違えたら、音楽がガラガラと崩れてしまいそうな、きわどい音づくり。この難儀な曲を大植英次はいつも通り暗譜で振ってるのだから、彼の頭のメモリーは何GBくらいあるのでせうね。駄目男なんか、三行の文章、1KBさえ覚えられないのに。
そして、改めて認める、休止符のかっこよさ。ナニ?休止符で感動するのか、と疑惑のマナコで見られても仕方ないが、本当であります。しかもブルさんの曲の休止符は、しばしばfff 最強音で止まる。そのときの余韻を演出できるホールが、1982年、この「ザ・シンフォニーホール」が出来るまで日本になかった。つまり、ブルックナーの曲をちゃんと演奏できるホールがなかったということであります。ナントカ市民会館みたいなホールでは、休止符の鑑賞なんか絶体できない。
昔、朝比奈隆の棒で、はじめてこの曲を聴いたときは大感動したのでありますが、幾星霜を経てオケのメンバーの大半が変わり、今回の大植英次の指揮では、ずいぶん音が洗練されたように聞こえました。切磋琢磨の成果でありませうが、なかには、あの泥臭いのも良かったなあと回想したファンもいたかもしれない。
満員の聴衆の拍手鳴り止まず、スタンディングオベーションが当然のように起こり、楽員がステージを去っても客は帰ろうとしない。やむなく指揮者だけが舞台へ・・。そう、朝比奈隆の晩年の演奏会のシーンが再現されたのでした。まあ、朝比奈長老と違うのは、客席まで下りてきて握手しまくったことですね。お客さんに若い人が多かったのも嬉しい。オジンには「人生最後の」でよかったのか。よかったのだ。これでいいのダ。
(3月31日 ザ・シンフォニーホール)
ロビーには、ファンなどから贈られた花束がたくさん