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読書と音楽の愉しみ


●大阪大学交響楽団 定期演奏会

チャイコフスキー「悲愴」ほか

 10日前の1月19日に京都大学交響楽団の「マーラー9番」を聴いているので、つい比較したくなってしまいます。結果、阪大のほうが上手いというのが駄目男の判断です。指揮者は北原幸男。


京大オケの演奏は、期待以上でも以下でもなかったと書きましたが、この阪大オケは「期待以上」でした。皆さん腕達者揃い、プロと大して変わらない音を出します。アンサンブルもばっちり。また、京大同様、こちらでも金管はお嬢さんがたが主役で、トロンボーンは3人とも女の子。オールドファンが見たら、目が点になる光景です。
 メンバー表を見ると、楽団員は全部で200名くらいいて、つまり、入団したら誰でも舞台に出られるのではなく、結構ふるいにかけられてるということです。入学試験でさんざんしごかれ、趣味の部活でもまた厳しい競争が・・ようやるなあ。


かくも素晴らしい演奏ができたら、プロオケとの差はどこにあるのか。つらつら考えるに、練度の違いは当然として、アマオケは音に色気がないことと、テンポをゆらすような余裕がない・・といえるでせうか。しかし、これは無理難題です。そこまでは求めませんです。ハイ。
 ・・などと、彼らの腕前をホメながら、ハタと思い当たったことあり。
「あんたら、勉強してんのんか~?」

(1月29日 兵庫県立芸セン・大ホール)
 

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ア・ラ・カルト


●B級神社の御利益とは・・

 伏見稲荷大社の広大な敷地の一角に、末社のような装いながら,全く別の宗教があって、なにやら寒い笑いを取っています。むろん、教祖様は万民の幸せを願って真剣に取り組んでおられるのでありませうが、それにしては、なんだかなあ・・と、出しかけたお賽銭も引っ込めてしまう神様なのでした。神社なのに、金色の観音様や阿弥陀様が祀ってあるのも可笑しくて、ここでの参拝は「二礼二拍手一礼」でいいのか、それとも・・。


狛犬の新バージョン、かえる様が鎮座しています。
なんで「かえる」なの? 答えはお金が「かえる」 さぶ~~。
伏見インチキ神社



左右にちょん切れた鳥居。なんでなんで?
「ナニコレ珍百景」に登場しそうな光景。
インチキ



答えはこれ。 へなへな~~。
インチキ


弁天さんがステンレスの「ざる」かぶって何するの?
インチキ


銭洗いと財力絶大の因果関係を説明せよ。 
インチキ 



もう悪趣味としか言いようがない
インチキ  


久しぶりに伏見稲荷へ行くと、あちこちリニューアルされていて境内が美しくなっていました。昨年の鎮座記念祭のためでしょう。驚いたのは、参拝客の2割くらいが外国人、その殆どは中国人です。あちらの「春節」休暇で日本の旅行を楽しんでるらしい。日本の正月休暇より中国の春節休暇のほうが期間が長く、旅行しやすいみたい。カレンダーをのぞいてみたら、なんと、1月は半分くらいが休日ではありませんか。


■中国の今年一月のカレンダー
http://ch.livedoor.biz/archives/51888748.html

読書と音楽の愉しみ


●松尾剛次著「葬式仏教の誕生」を読む

 人が死んだらお葬式をして墓をつくる・・こんなシステムはいつ頃から始まったのだろう。ま、誰も考えたことありませんね。答えは、どうやら江戸時代あたりかららしい。それ以前は貴族や僧侶、武士などエライ人は葬式や墓もあったが、庶民にまで普及するのは江戸時代のはじめごろになる。


では、江戸時代以前はどうだったのか。その話が恐ろしい。都に貴族や庶民が暮らすようになった平安時代は、庶民の葬式なんてのはなかった。そもそも,死は哀しみより「穢れ」であった。人が死ぬことは、忌まわしい、汚らわしい出来事と見なされた。葬儀の概念がないので、死体は道ばたに放置したり、河原へ捨てたりした。犬が死体の一部をくわえてウロウロするなんて普通の光景だったらしい。


それで思い出すのが、芥川龍之介の短編「羅生門」。荒廃した都のボロボロの門の階上に死体が積み上げてあって、乞食や盗人は死体から衣類をはぎ取って自分が着る。この話は芥川のオリジナルではなく「今昔物語集」にのっている話をネタにしたもの。羅生門の実際の名は「羅城門」で京都・東寺の西1キロくらいのところにあったという。(現在は粗末な標識があるだけ)


死人をポイと捨てるだけでもスゴイことなのに、さらに悲惨なのは、まだ生きてるうちから屋外に放置して死なせた。家の中で死ぬとケガレがきついからという理由で。先の「今昔物語集」の引用では、主に何十年も仕えた使用人が病気になり、もう助からないと分かると屋外に出して餓死させたという。少し情けのある主は食事や筵(むしろ)を与えて出した。貧乏人は、自分が死ぬことを悟ると,自ら河原などへ出向いて死を待った。自発的「風葬」みたいな始末のつけ方である。


僧侶は奈良時代からいたが、当時は朝廷に仕えるエリートで、庶民の死にはなんの関わりももたなかった。僧侶が一般人の死に寄り添うようになったのは鎌倉時代からで、法然や親鸞が大衆向けに仏の教えを説くようになってから。やがて、仏教と葬式が一体になりはじめる。


石の墓も江戸時代に普及するが、それ以前は五輪塔や板碑が共同埋葬のシンボルとして作られた。では、なぜ石で作るようになったのか。そのワケは耐久性にあるらしい。昔の仏教の教えでは、人が死ぬと直ちに成仏できるのではなく「仮免」状態で冥界をさまよい、ほんとうの成仏は五十六億七千万年後になる。そのとき、魂が帰ってきても卒塔婆や土饅頭では影も形も無くなっているので成仏本番ができない。よって、丈夫で朽ちない石で墓石をつくる・・ざっと、こんな由縁で現在のような墓碑ができた。それにしても、五十六億七千万年とは・・ちょっと長すぎません?   (2011年8月 平凡社新書)


本・葬式仏教 


読書と音楽の愉しみ


●京都大学交響楽団のマーラー9番
 第190回定期演奏会 ~創立95周年記念演奏会~

 学生オケの分際でなんちゅーゼイタクな演奏会するねん!同じ曲を1回目は京都コンサートホール、2回目はザ・シンフォニーホール、3回目は東京サントリーホールで・・やて。京大のキャンパス掘ったら大判小判がざくざく出てくるんかい。しかも、指揮者が井上道義ときた。高うつきまんがな~。貧乏人はつい他人の懐具合まで心配してしまうのであります。聴衆は大半が関係者(学生、OB、教授、父兄)なので、なにやら音楽付き同窓会の雰囲気。ヨソもんは身の置き場がないという感じでありました。


出来映えは、期待以上でも以下でもなかったというところでしたが、コンマスさんはじめ、各パートのソロも無難にこなし、皆さん腕達者であります。トランペットの3番は京人形みたいに可愛いお嬢さんで、嗚呼、なんの因果でラッパなんか吹いてるのか、お琴弾いてる方がずっと似合うのになあなどと余計なこと考えてしまいました。


9番はマーラー最後の交響曲、余命いくばくもないことを悟っていた当人は自分の死をイメージして書き進め、最後の第4楽章は「わたくし、これから死にます。ほな、サイナラ、サイナラ・・」を表現した曲。音符で描いた人生の総括。生への未練も消えて、もはや諦念あるのみ。最後の数分間の演奏は、お医者さんなら、心電計のグラフを思い浮かべるのではないでせうか。ここんところ、もうちょっとゆっくりと、思い入れたっぷりにやってほしかったけど、まあ、いろいろと難しいのでせう。まずは、この難曲にチャレンジした心意気に拍手喝采。(1月19日 ザ・シンフォニーホール)


■京大交響楽団のHP
http://kyodaioke.com/


■キ印マーラーファンのディスク評を紹介
http://www6.ocn.ne.jp/~f03hd8yv/music-mah9.htm


もう、ロウバイが満開・・長居植物園
ロウバイ長居植物園

たまには外メシ


●ドイツ料理 「ヴルツブルク」 ~大津市~

 琵琶湖の南端、瀬田川の上流端から浜大津方面にかけて、延長約七キロにも及ぶ「大津なぎさ公園」があり、一度歩いてみたいと思ってました。
 2月17日、穏やかな晴天という天気予報だったので、JR東海道線石山駅からのんびり散歩しました。別にお出かけ名所として有名なわけでもないので、大阪や京都の人が歩くのはまれでせう。実際、少数の散歩人は手ぶらの地元市民ばかりでした。


コースの半ばくらいのところにあるのがドイツレストラン「ヴユルツブルク」です。都市の名前で、大津市とは姉妹都市協定を結んでいるとのこと。
 店は外観もインテリアもドイツスタイル、もちろん本場のビールも飲めます。ランチは週替わりのメニューを選びました。値段はデザート、コーヒーがついて1450円ナリ。春秋なら外のテラス席が気分よさそうです。


今の季節、散歩には寒いので、あまりおすすめできませんが、比良連峰の雪山風景を眺めながらの湖岸歩きは、大津市ならではのロケーションです。


■ぐるなびのレストラン案内
http://r.gnavi.co.jp/k661400/




近江八景の一つ「粟津の晴嵐」はこの地の風景を愛でたもの
なぎさ公園 


レストラン外観
なぎさ 

インテリア
なぎさ 


サラダ
なぎさ


当日のメインディッシュは、ノルウエイサーモンの香草焼
なぎさ  


なぎさ 


こんなところに水泳場があるなんて知らなかった。
なぎさ


遊覧船「ミシガン」
なぎさ 

読書と音楽の愉しみ


●荻原遼著「朝鮮学校 歴史教科書を読む」を読む

 ほとんどの人は朝鮮高級学校の「授業料無償化」問題に関心がない。無償化に賛成、反対の意見が言えない。なぜなら、無償化の何が問題なのか、そもそも朝鮮学校って何なのか、かいもく知識がないからである。


著者が述べる結論は「こんな学校に税金を使うのは断固反対」と明快。賛成する奴はアホだと。実際、この本を読んでなお「朝鮮学校の授業料は無償にするべき」と考える人がいたら、日本人を辞めて北朝鮮に引っ越して頂きたい。では、著者は根っからの朝鮮嫌い、反共精神の持ち主かといえば、元はれっきとした共産党員、その中枢で新聞「赤旗」の編集に携わっていたというから、まあ、人生いろいろでございます。本来なら堅苦しい中身になるところ、井沢元彦氏との対話スタイルで書かれているので読みやすい。


朝鮮学校の歴史教科書は、日本人に見られるとマズイので「秘密文書」扱いにされている。なぜかと言えば、内容がデタラメな上に「反日」思想丸出しだからである。よって、日本人が入手、閲読するのが困難で、本書はその内容を暴露する意図で発行された。
 著者が言うに、新聞等で論説を書いてる人間は教科書を一度も読まないで無償化に賛成しているだろうと。差別はいけないという感情論で無償化すべきと言ってるだけだ。


本書によれば、歴史教科書の中身の大半は金日成を神格化するための文になっている。そして、著者によれば、その内容の殆どはデタラメであると。二千年前の神話時代ならともかく、たった100年前の歴史を神話化してもどだい無理なのに、ぬけぬけと神様扱いしており、むろん、それを事実として生徒を洗脳するのだから、生徒こそいい迷惑だ。


日本と北朝鮮にとって最も大事な問題である「拉致事件」について教科書はどう説明しているか。209頁の文をまる写しすると「2002年9月、朝日平壌宣言発表以後、日本当局は「拉致問題」を極大化し、反共和国、反総連、反朝鮮人騒動を大々的に繰り広げることによって、日本社会には極端な民族排他主義的な雰囲気が作りだされていった」(高級高校)これだけ、たった4行の説明しかない。前後に関連したテーマの記述がなく、突如、この4行が出てきて、ハイおしまい、になっているから、高校生にはチンプンカンプンである。


要するに、朝鮮民族が苦難の道を歩まされたのは、みんな日本や米国のせい、そんな中で艱難辛苦の末、祖国を再起に導いて下さったのはひとえに金日成様のおかげであると。あまりの身勝手な内容に、生徒の父兄も辟易し、近年は「もうこんな学校は潰してほしい」という声が出始めた。生徒はともかく、親たちはイヤでもリアル社会で生きているのだから、アホらしくてついて行けなくなってきた。金一族の忠誠な手下を除けば、みんなシラケてしまってるのだ。授業料の有償、無償以前の問題である。


著者は、一連の日本人拉致事件において朝鮮総連は共犯者であると断じている。綿密な下調べと拉致の実行は彼らの協力なしではできっこない。北朝鮮からいきなり工作員が来て、目的にかないそうな人物をいきなり拉致するなんて不可能である。被害者は何ヶ月も前から生活行動を綿密調べられていた。その情報に基づいて本国の工作員と打ち合わせ、実行に及んだと。とても説得力のある文で、反論は難しい。


繰り返すが、インチキにして反日丸出しの学校にもかかわらず、連中の運営している学校の授業料を無償にせよというアホな日本人がいる。誘拐犯容疑者に我々の税金を差し上げよ、というに等しい。彼らの「学校はすべて平等に扱うべき」の考えがいかに間抜けであるか、子供でも分かることだ。


終わりのほうに、著者の判断として、とても興味深いことが書いてある。金日成は息子、金正日に暗殺されたというのだ。親殺しである。なんで?金正日は「国民にメシを食わせる」という政治のイロハで失敗(餓死者の続出)を繰り返した。それを父親に咎められそうになったため、こっそり毒を盛ったと。公式には死因は心臓病になっているが、はて?。自分の権力を守るためには、国民の生命なんか蠅蚊なみ、必要とあらば親でさえ・・という国だ。だったら、その金正日の死ももしや・・ジョンウン、お前もか!・・てなラストシーンだったのか。(2011年11月発行 祥伝社新書) 


朝鮮学校教科書 

プチ・ケチの研究


●洗剤要らずのクリーナー「激落ちキング」

 数年前?から市販されてるのでご存じの方も多いと思いますが、ステンレス流し台や古いFRP浴槽の掃除にはこれが一番役立つみたい。洗剤ナシで掃除できるから環境保全にも有益です。発砲スチロールや発泡ウレタンではなく、メラミンの発泡材というところが特長です。メラミン樹脂の硬度の高さを生かした商品で、摩擦係数の大きさが効果のポイントかもしれない。


もっとも効果がよく分かるのは、古いFRP浴槽で、長年のうちについた黄ばみや黒ずみが軽くこするだけでよくとれます。ふだんは風呂用洗剤とスポンジで洗い、汚れが目立ってきたらこの「激落ち」を使うのがベター。
 FRP浴槽は塗装仕上げなので、これでこすりすぎると塗膜を摩耗させてしまって地肌が露出する懸念があります。使いすぎは禁物です。(新品には使わないほうが良さそう)


ガスレンジの汚れはクレンザーを使うのが一番効果大ですが、拭き取りにけっこう手間がかかります。その点、これのほうが作業は楽です。但し、油でコテコテの汚れには適さない。汚れ落としには重宝なスグレモノですが万能ではない。使い道を間違えないことが大事です。レック株式会社製。写真のサイズで200円くらい。(120×300×32ミリ)


■「激落ち」商品のHP
http://www.lecinc.co.jp/gekiochi/product/


激落ちスポンジ 

読書と音楽の愉しみ


●辻井いつ子著「のぶカンタービレ!」を読む

 生まれつき全盲という大きなハンディキャップを持ちながら、むしろ,その逆境を生かして天才音楽家になった辻井伸行さん。この本は,彼の成長を一番身近で見守ってきたお母さんのエッセイ。2008年の発行なので、05年のショパンコンクールでセミファイナルに落選した時点までの著述になっている。その後、09年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝して一気に世界的ピアニストになった。


天才音楽家といえば、すぐにモーツアルトの幼少時代の逸話を思い浮かべるけれど、辻井さんの天才ぶりもモーツアルトに劣らない。お母さんがギョッとするような場面が描かれている。
 生後8ヶ月、まだハイハイもできない乳児のときに、お母さんがBGMふうに聴かせていたピアノ曲「英雄ポロネーズ」の演奏にえり好みをした。ブーニンの演奏ならご機嫌なのに、他の奏者だと明らかに機嫌が悪かった。2歳3ヶ月のある日、Xmasなので、お母さんが鼻歌でジングル・ベルを歌っていると、襖越しの隣の部屋で、買い与えたばかりのおもちゃのピアノで伴奏音を演奏した。メロディをマネするのではなく、伴奏した。スゴイ!


~そのときの私には、無邪気にピアノを弾き続ける伸行の後ろから、やわらかい光りが射し込んでるようにも思えました~(本文15頁)とお母さんは書いていて、これはもうキリスト降誕場面の光景を想像してしまいます。全盲にして、ピアノの弾き方を教えていない赤ちゃんが突如、お母さんの歌の伴奏をする・・あり得ん!! という場面です。

 ところで、全盲の人はどうして譜面を覚えるのだろうか。見当がつかなかったのですが、彼がやってる方法は、先生が左右片手ずつ演奏した音をテープにとり、二本のテープを聴いて記憶するそうです。書けば簡単だけど、素人には想像を絶する難しい作業です。これをベースに解釈や表現の綾を加えて・・譜面通りの正確な演奏は初歩の技術に過ぎず、アカの他人を感動させる演奏をしてこそプロですから、「天才」の冠がない人間には不可能でせう。


神様が与えてくれたもう一つの恵みは、二人ともとてもポジティブは性格であること。本書から察するに、行け行けどんどん、ダメモト主義、かなりミーハーでドジを引きずらない・・。それに伸行さんには、どんな大舞台でも怖じ気づかないという天性の楽天的性格も備わっていたことです。コンクールの前夜でも、夕食は好きなものをカパカパ食べまくるなんて、普通のピアニストにはできない。(カツ丼が好物らしい)


しかし、巻末には深刻な問題も書いてある。すごいスピードで上達をした伸行さんと、幼い頃からの先生であった川上さん夫妻との間に葛藤が生じ始めた。今まで素直に川上さんのレッスンについてきた伸行さんが、解釈や表現で異論を唱えるようになった。自分流を主張し始めたのです。

 川上さんは「教える側の限界」を悟り、伸行さんの主張を受け入れる。あとは伸行さんが自らスタイルを築いて自立するしかない。それはお母さんにもいえることで、今までの「世話やき」が伸行さんに疎んじられるようになった。自宅の練習室にも「入るな」と言われてしまう。誰にでも起きうる親離れ現象です。


著者が度々感謝の気持ちを述べているように、伸行さんの才能は素晴らしいサポーターに恵まれてこそ伸びた。川上さん夫妻をはじめとして、佐渡裕、横山幸雄、大友直人、田部京子、金聖響、三枝成彰・・など、一流の音楽家が彼を暖かく、かつ厳しくサポートしてくれたからこそ成長した。このへんが、ミーハー芸崩界と一線を画すところであります。(2008年11月 株式会社 アスコム発行)


なお、辻井さんは、2月に公開予定の「はやぶさ」映画の第二弾「はやぶさ 遙かなる帰還」の音楽を担当している。


■辻井伸行さんのHP ショパンの「雨だれ」が聴ける。
http://www.nobupiano1988.com/index.html


■動画 リスト「ラ・カンパネラ」を弾く辻井さん
http://www.youtube.com/watch?v=8EaXf6fOFnA&feature=related


のぶカンタービレ 

Theme: ピアノ | Genre: 音楽

プチ・ケチの研究


●エアコン取り替えて一年・・電気代は?

 今年最初の「プチ・ケチの研究」一昨年の秋に20年使ったエアコンを取り替え、宣伝通り電気代が大巾に下がるか否か、伝票を貯めて検証しました。ウサギ小屋なのでエアコンは一台きり、とても比較しやすい。


2010年の電力使用量・・3,430kw(74,420円)
2011年の電力使用量・・2,620kw(55,836円)

その差810kw 金額差18,584円
約24%のダウンになり、昨年の「節電」には協力できたかと。新型に取り替えた値打ち十分ありです・・と納得したのですが、念のために、もう一年前の09年のデータも調べてみると、使用量2,885kw。1割の違いしかありません。これじゃ新型に取り替えた値打ちナシです。09年の大阪市の気温推移表を見ても、そんなに気温の変化はないので、理由は不明です。


年間で一番消費電力の多いのは真夏の8月だろうと思っていましたが、実は1月でした。昨年の8月は266kw、一昨年は461kw。一方、1月は昨年が398kw、一昨年が555kw。ずいぶん差があります。
 夏場は睡眠時もオンしているので、ものすごく電気を使ってると思いがちですが、冬場のほうが月間で100kwくらいも多く使っています。

 ちなみに、一番少ない月は何月か。両年とも10月でした。昨年10月の使用量は110kwで、これは3年間での最低です。次に少ないのが4月又は5月。エアコンを使わない月は明快に減らすことができます。


家庭の電力使用量の多い、少ないは、

①エアコンの使用時間の長さ
②在宅時間の長さ

によって決まる。単純にはこれが大きな変動要因になりそうです。
積極的に節電しようと思えば、エアコンの設定温度をチマチマ工夫するとか、断熱方法を考えるより、長時間外出するほうが有効です。外出すれば、エアコンだけでなく、テレビや照明器具もオフになるのだから、効果は大きい。用事もないのに百貨店やスーパーをうろつき、読む気もないのに図書館に入り浸る。節電協力、これでいいのだ(笑)。