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プチ・ケチの研究


●ケチなのか、ゼータクなのか・・古ネクタイのリフォーム

 10年くらい前に頂いたウールのネクタイ。高級品だが当時は幅広デザインが流行で、9,5センチもある。そこで、幅を細めてまた愛用しようとリフォーム業者に預け、幅を7,5センチにしてもらった。その手間賃2000円ナリ。(3本頼んだので計7500円+税)イタタタ・・。


自称「捨魔」の駄目男でも、このように愛着があって捨てられないモノがまれにある。捨てないだけでなく、リフォーム代という投資をしてまで残すのだから、プチ・ケチの研究もなんだかややこしいのであります。


いくら愛着があると言っても、いまどきネクタイをリフォームしてまで再利用する人なんかいるのか。そもそも請け負ってくれる業者があるのか。疑惑の眼でネットで探したら、けっこうありました。下の東京の業者さんは、費用が安いぶん、注文が多くて納期が遅延してる様子で、一ヶ月以上かかります。これって地味だけど、そこそこ儲かる「すきまビジネス」ではないでせうか。


地方暮らしの人は、地元に業者が見つからなければ、宅配便利用で遠方の業者に頼むしかありません。そこが目のつけどころです。それに、ネクタイリフォーム専業の業者は、そうでない業者より、技術が上達し、作業時間が短くでき、能率向上で価格を安くできます。結果、注文が増えるというわけです。ネットと宅配便の発達のおかげで、今は全国から注文がとれる。たかが古ネクタイと侮るなかれ、一本2000円で月に100本こなせば20万円。美味しい内職になりますぞ。 今回は堺市・北野田のリフォーム屋さんに頼みました。


■ネクタイメーカーが手がけるリフォームの宣伝
http://www.necktieshop.jp/shopdetail/010000000001/024/000/order/


リフォーム前
ネクタイリフォーム


リフォーム後(写真ではわかりにくい)
ネクタイリフォーム

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ア・ラ・カルト


●和敬学園後援会総会と「武家と能」展鑑賞

 なんだか堅苦しいタイトルですが、総会の行事は相国寺管長、有馬頼底師と女優、竹下景子さんの対談のみです。頼底師はつい先日、ブータン国王夫妻を金閣寺でお迎えしたので、TVニュースでご覧になった方も多いかと。竹下景子さんは近鉄のポスターでしか知らないのですが、もうすぐ還暦(1953年生)というのに、2mの距離で見ても40代後半にしか見えないのはさすがというか・・。しかし、今回の対談はイマイチ盛り上がりませんでした。

■竹下景子 オフィシャルブログ
http://www.takeshitakeiko.net/jp/profile/


総会の開かれたホールの隣が「承天閣美術館」読みはショウテンカクかと思ったら、ジョウテンカクでした。
 「武家と能」展は、肥後で長年、細川家に使えた筆頭家老、松井家の所蔵する名品を陳列した、地味ながらハイレベルの展覧会です。その展示品でいちばん面白かったのは写真の「銀箔押尖笠形兜」のデザイン。


洋の東西を問わず、戦に使う兜は、自分を強く、大きく見せるために、いかついデザインが普通なのに、これはなんとも軽薄でおもちゃっぽい形です。説明を読むと、とんがりコーンの部分は鉄のように見せかけて、実は紙に銀箔を押したもの。(変色して鉄のように見える)その後ろの赤いのはウサギの耳を模したものです。・・ということは、攻撃より逃げるのが得意の動物をまねてることになり、こんなの、カッコ悪くて、また実用にならなくて戦場では使えません。


誰がこんなしょーもない、役立たずの兜を作ってん! と訊きたくなりますが、作らせたのは、誰あろう、豊臣秀吉というからビックリです。本当なら、太閤はんこそ「いちびり」の元祖やおまへんか?
 それにしても、なんでこんなけったいなもん作ってんやろ・・興味尽きないのですが、とにかく秀吉はこれを松井家にプレゼントした。松井の殿様、ははーっ、恐悦至極にござりまする、と拝受したものの「なんじゃ、これ?」 当惑しきりであったでせう。


秀吉が天下を平定して、世の中少しは安堵の気風が漂った時代、武具づくりにもちょっと遊びごころが芽生えた?のかもしれません。家康には、こんなセンスはなかったのではと想像します。当展は12月4日まで。


美術館へのアプローチ (相国寺境内)
UNI_0380_20111128140744.jpg 

銀箔押尖笠形兜
同カブト 


カブト 

「古道紀行おおばこの会」新プランご案内


●古道紀行おおばこの会 
    
 2012年(1~8月)のプランができました

 たなかよしゆきさんの主宰する「古道紀行おおばこの会」は、旧街道や農山村の里道を歩くグループです。毎回10~20人の参加者があり、誰でも参加できます。会費は一回500円。申し込み、問い合わせは田中さんまで・・

電話・ファクス 0745-79-6452
携帯  090-3485-6452へ。


文字が読みにくいときは、表示→拡大→125%又は150%に
拡大してご覧下さい

古道紀行2012年プラン一覧

読書と音楽の愉しみ


●プラトン著「ソクラテスの弁明」 ~関西弁版~を読む

 この書名を見ただけで、めまいや眠気を催す人がいるかもしれない。大方の人にとって、とりつく島も無いような、南海な、いや難解な書物でありますが、世間には奇特な人がいるもんで、何回読んでも難解と敬遠されるのは、翻訳文がガチガチに硬すぎるからではないか。だったら、関西弁で翻訳したらどないや、と思いつき、ほんまにやってしまった。その人が本書の著者、北口さんであります。ミナミの料亭の息子、大阪大学中退・・ま、関西弁操るのは得意でありませう。プラトンが天上で知ったら「なんちゅうことしてくれんねん、高邁な哲学をわやにしよる」とぼやくかもしれませんけど、とにかく読みやすいことでページ繰りはすいすい進みます。


            ソクラテス  


実際、どんな文章になっているのか。たとえば67ページを開けると・・・
「もし、みなさんがわたしを死刑にしはるんやったら、それはわたしよりみなさんが損することになりますやろ。ちゅうのは、メレトスもアニュトスも、わたしに損させるようなことは何もできひんからです。そんなこと、できるわけあれへん。そんな劣った人間が、立派な人間を損させるようなことは、あってはならんことやと思うからです」

(略)「アホなこと言うてる思われるかもしれんが、わたしは、神がこのアテナイっちゅう国にくっつけた人間ですわ。たとえたら、この国は品格のある立派な馬で、せやけど大きすぎてぼーとしとるから、しゃきっとさせるには、蜂や虻みたいなもんが必要で、わたしがそれっちゅうわけですわ。せやから、わたしは一日中、いろんなところへ出かけてって、説得したり、非難したりすることをやめへんのです」(引用ここまで)


どないです? こんな文章なら読めまっしゃろ。なーんも難儀なことあらしまへんがな。北口はんは、でけたら「船場ことば」で通したいと思ったらしいけど、それはどないでっしゃろ。ちょっとあかんみたいな気がしまっけど。・・にしても、ソクラテスが関西弁でグダグダ演説するやなんて、いちびりもええ加減にしいや。


ところで、閑人の、いや肝心の「ソクラテスの弁明」ってなんのことか。
 紀元前400年ごろ、アテナイの賢人といわれたソクラテスが、自分より賢い人間がいるかを知りたくて、いろんな人に議論をふっかけ、「知」とは何か、「死」とは何か、いろいろ探求するのでありますが、次第に世間からうっとうしがられ、キモイじじい扱いされたあげくに告発されてしまう。その裁判の席で延々と語った「弁明」のことであります。(ソクラテス自身は何も書き残さなかったので、弟子のプラトンが著した)


驚くべきことに、陪審員は投票によってソクラテスに死刑を決めてしまう。その判決理由が「なんかしらん、言うてることがええ加減で世間をたぶらかしてる。若者に悪影響を与えた」というものでありました。この超不当な裁判結果を彼は受容する。死刑を免れるハウツーはいろいろあったのですが、有名な「悪法も法なり」の言葉を残し、牢屋で用意された毒物をぐいとあおって亡くなった。


このとき、日本はどうであったか。まだ「弥生時代」でありました。日本という国家もなく、王様もおらず、文字すらなく、農耕と狩猟でしみじみ暮らしていた。そして、日本のエース、聖徳太子が出現するのは、ソクラテス裁判の1000年後でありました。(2009年5月 パルコ出版発行)

ソクラテス

たまには外メシ


●だるまのカツサンド

 新世界で行列のできる串カツ店を商っている「だるま」があちこちに店舗展開していることは既に書きましたが、そのうちの一軒、北新地店ではカツサンドを店頭販売しています。肉とソースの仕入れ、仕込みはお手のものであることから思いついた商品だと思います。


試しにワンパック買いました。紙箱入りで680円ナリ。安くはないけど、中身で250gくらいあり、肉は厚くやわらかい。肉だけで150gくらいあるのかもしれない。ソースは控えめです。ランチならこれだけで十分おなかがふくれます。珍しく、満腹感の味わえるサンドイッチでした。

一日100食の限定販売です。場所は永楽町通りの西端あたり。

だるまのカツサンド 

だるまのカツサンド

読書と音楽の愉しみ


●河名秀郎著「ほんとの野菜は緑が薄い」を読む

 農薬も肥料も使わない「自然栽培野菜」にこだわり、試行錯誤のあげく、ようやくビジネスとして軌道にのせることができた著者の開発苦労物語。学者とか研究者ではなく、一般人がひたすら現場「修行」した上での経験談だから説得力がある。良い野菜、ダメな野菜に関する常識の多くがひっくりかえされる刺激的な内容です。


題名の「ほんとの野菜は緑が薄い」というのも常識と反対のように思えます。大きく実って、緑が濃い野菜のほうが栄養価が高いと思い込んでませんか。著者の論では、それは消費者に媚びた危険な野菜なんだそうですよ。
 また、健康、美容のために「野菜をたっぷり」食べることが良いことにしても、その野菜に毒もたっぷり入っていたら・・どうします? そう、緑濃い野菜をたっぷり食べて体に毒を蓄積させていく。どう考えても不健康ですけど。


農薬を使わず、ゆえに虫食いだらけの野菜を自家栽培して「自然の力で育った野菜=安心な野菜」と思い込むのは当人の勝手ですが、それも間違い。虫が寄ってくる畑は不健康なんだそうです。・・・などなど、いちいち気にしてたら、明日から野菜が食べられなくなります。ついでに言えば、割高な「有機JAS」栽培野菜も「毒入り」では同じこと。気休めにしかならないそうです。だったら、安くて怪しい野菜しか買えない○ビ人間は、もう開き直って「毒を食らわば皿までも」と、ふつうに毒入り野菜を食べるしか無い。


著者の言う自然栽培とはどんなものか。畑の土から農薬や肥料の成分を徹底的に除く。これが基本です。むろん、簡単にできるはずがない。普通の畑を自然栽培に適した土の成分に変えるためには5年、10年かかります。その間、収入がないのだから貧乏農家には無理。よほどの覚悟と経済的ゆとりが無いとできません。それに、まだ完成された技術とは言えない段階だから、思わぬ障害に出会うことも覚悟しなければならない。


しかし、苦労してピュアな自然に戻した畑で野菜をつくると・・驚くべきことに、虫がこない。雑草も生えない。ホンマか?と疑いますが、ホンマだそうです。要するに、農薬も肥料もナシで栽培できる。だから自然栽培なのです。なんだか夢のような話でありますが、著者は仲間と連携して、安全な野菜作りの輪を広げようと啓蒙活動に力を入れてます。但し、一般的な栽培に比べて面積当たりの生産量は少なくなり、価格も高い。これは仕方ないでせう。


農薬や肥料、種子の改良など、研究が進むほどに自然の摂理から外れていってるのが実情です。近年は「遺伝子組み換え」なる手法も普及して、便利な一方、リスクも高まるばかりです。いつまでそんなイタチごっこが許されるのか。ものすごいしっぺ返しが来るのではないか。
 今、問題になってるTPP。日本が参加し、条約が成立すれば、農薬や遺伝子組み換えに関わるリスクが高まること必然です。食料の輸入が大巾に増える日本は、国内規制ではガードできず、国民の健康不安が高まります。賛成派は、こんなリスクへの対処を合理的に説明できない。


本書の最後のほうで、著者の会社に入社した、重度のアトピー性皮膚炎を患っている青年が、土を自然に戻すのと同じ発想で体内の毒素成分をクスリを使わずに排出する闘病記も紹介している。クスリをやめた後の苦しさたるや尋常ではなかったみたいですが、無事に健康な身体を取り戻します。もし、著者との出会いがなかったら、生涯クスリ漬けで寿命が縮まっていたかもしれない。自然栽培の発想が人命をも救った例といえるでしょう。(日本経済新聞出版社 2010年7月発行)


本・ほんとの野菜は緑が薄い 

読書と音楽の愉しみ


●最近の演奏会から・・

大フィル11月定期演奏会

マーラー 交響曲「大地の歌」

 この曲は、マーラーの交響曲では第2番「復活」に次いで好きな曲。めったに演奏されないが、レアなぶん、聴く方は真剣、期待が大きい。今回、改めて詩の成り立ちをプログラムやネット情報でおさらいしたものの、何が何してなんとやら・・良く分からないというのが感想です。


マーラーは、李白など唐時代の有名詩人の作品をネタにして、かなり自分流にアレンジ、オリジナルから変身してしまった詩に曲をつけた。そのネタも中国語~フランス語~ドイツ語と意訳されたもので、加工が大きい。第一楽章の人気フレーズ「生は暗く 死もまた暗い」も、マーラーの考えた一節だという。あと、日本語翻訳の上手下手によっても曲のイメージはかなり変わる。どのみち加工してしまうのなら、昔のヴェルレーヌ~上田敏みたいな、カッコイイ訳を読みたい。


全6楽章のうち、駄目男のお気に入りは第一楽章と第六楽章。
当日のプログラムに掲載された訳文をちょっと書き写すと・・・

第一楽章 「大地の悲愁を詠える酒席の歌」
黄金の杯満たす酒 はやくも、飲めよと誘いのまたたき
されど しばし待ちたまえ、口触れることは。

まずは一曲この席にて我が吟をば聴きたまえ!
深き憂愁より飛来する歌を君達の心の底ふかく
哄笑のひびきあげて高鳴らせむ。

いずれの心の園も荒び果て
歓びの情も歌の声もしおたれ 滅びゆくもの。
生は暗く 死もまた暗い・・・

(以下略)


第二楽章 「秋に独りいて淋しき者」
第三楽章 「青春について」
第四楽章 「美しさについて」
第五楽章 「春にありて酔える者」
第六楽章 「告別」


なんの因果か、若い時分から厭世観にさいなまれたマーラーにとって、遠い東洋のこんな詩との出会いは「ピッタシ」感があったのかもしれない。
 オケの曲もすごく魅力的で、よくもこんなにきれいで洗練された旋律が書けたもんだと思わせるシーンが多々ある。しかし、オケはオケ、ヴォーカルはヴォーカル、全く別々のメロディやリズムで進行するから歌手は大変です。ポピュラーミュージックのように伴奏が歌の出入りをサポートするような配慮がない。書いたマーラー自身「なんとかなるんとちゃう?」なんてプレイヤーに下駄を預けた?


第六楽章のエンディングは、こんなフレーズで締めくくられる。

大地も春来たりなば百花舞い緑萌えいず。
何処に往くとも遙けき彼方は光り青めり。
永遠に・・永遠に・・・・・・
し~~ん。


Ewig(永遠)という言葉が何回か繰り返されて、最後は弦がゆっくり、消え入るように曲を閉じる。ほんとうは永遠の沈黙が続いてほしかったのに、拍手でフライングしたバカが50人くらいいた。切腹せよ。


メゾソプラノのナタリー・シュトウツマンがなぜかキャンセル、がっかりしたが、急遽、代役に起用された小川明子がすごいがんばりで難曲を見事に歌いきり、やんやの喝采。指揮者、大植英次と珍しい「日本人同士の抱擁、キスシーン」を演じたのでありました。なお、テノールは、ジョン・ヴィラーズ。
(11月10日 ザ・シンフォニーホール)


大地の歌

プチ・ケチの研究



●芽が出るかな?

 どんぐりなど、木の実が成る季節。散歩のおりに目についた木の実を拾って土に埋める。こんなの趣味とも言えないし、もとより園芸には興味がない。来春に芽がでるかどうかという好奇心だけでの、いちびり土いじりです。土や植木鉢に1000円ほどの投資をしましたが、本体は拾いものという「プチ・ケチの研究」の一環であります。


ベランダ 


昨年の冬まえ、ザ・シンフォニーホール前のラクウショウの並木道で拾った種が今春めでたく芽をだし、ほうっておいたら、ヒョロヒョロ、草みたいに70cmまで 伸びた。あまりにブサイクなのでちょん切って来年は樹木らしく整形?しませう。


今回、土に埋めたのは、クヌギ、シラカシ、アブラギリ、イチョウ、ナンキンハゼ、クスノキ、サルスベリ、コバナノシナノキ。半分は長居公園で拾ったものです。


ナンキンハゼの実を拾ったのは、奈良の旧志賀直哉宅ちかく。杉幸園(さんこうえん)という、オバサンたちに人気のある食事処の隣の空き地です。

ベランダ雑木林

クヌギ
ベランダ


アブラギリ
ベランダ・・


コバナノシナノキ
ベランダ

読書と音楽の愉しみ


●坂口安吾著「堕落論」を読む

 無頼派とあだ名され、自称、ぐうたらをウリ?にしたこの作家、執筆態度もAクラスのぐうたらだったらしく、下の写真なんか、もうゴミに埋もれて書いてるって感じです。いやあ、オモロイおっちゃんですね。


          坂口安吾写真


終戦直後の昭和21年に発表された「堕落論」は戦前の軍国主義政治の価値観、もっと前の武士道精神や、古代からの天皇制までまるごと「くだらん!」と切って捨てた刺激的な内容で、大いに売れたそうであります。これに気を良くして続編も書いています。別の作品「日本文化私観」では、日本の伝統文化の象徴たる法隆寺や桂離宮なども、そんなもん、いらん、何の役にも立たん、とゴミ呼ばわりの過激さ。


たとえば、天皇制についてはこう書いている。(茶色文字が引用文)
 
 私は天皇制についても、極めて日本的な政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生み出されたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起こしたこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局政治的理由によってその存立を認められてきた。社会的に忘れられたときにすら政治的に担ぎ出されてくるのであって、その存立の政治的理由は、いわば政治家たちの嗅覚によるもので、彼らは日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。これは天皇家に限るものではない。代わり得るものであれば、孔子家でも、釈迦家でも、レーニン家でも構わなかった。ただ、代わり得なかっただけである。


少なくとも日本の政治家たち(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛を約束する手段として絶体君主の必要性を嗅ぎつけていた。(略)
 彼らは本能的な実質主義者であり、自分の一生が愉しければよかった。その癖、朝議を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。天皇を拝むことが自分自身の威厳をしめし、また自ら威厳を感じる手段でもあった。(略)


もう2年早く、戦争中にこんな文を書いたら即刻タイホでありませう。ただし、こんな天皇観は何も彼だけでなく、戦前はともかく、戦後においては庶民でさえ抱いていたのではないか。ただ、思いを公にしなかっただけで、たまたま坂口安吾がエッセーで発表したにすぎない、とも思えます。


政治家が天皇を担いで利用する、の伝統はこの敗戦で途切れるかと思いきゃ、継続が決まりました。憲法でポジションが定められ、国民もおおむね了とした。継続はチカラなり。


生きよ、堕ちよ。この敗戦を機にとことん堕ちよ。個人も国家も、どん底まで堕ちて、ご破算で願いまして・・の原点から這い上がれ。と安吾センセイはのたまうのでありますが、しかし、人間は堕ちぬくためには弱すぎる。堕ちぬけずにまた武士道を編み出したり、天皇を担いだりして愚行を繰り返す、とも言う。そんな日本人の本質が変わらないのであれば、政治による救いなど、上っ面だけの愚にもつかないものだと。


とことん堕ちる、堕落する、の見本は自ら示してやる・・なんてつもりはなかったのでせうが、安吾センセイはぐうたら生活も災いして、アドルムやヒロポンなどクスリの常用者になり、しばし発狂状態に陥り、心身ボロボロになって48歳で他界した。(中央公論新社 2011年7月発行の「日本文化私観」に収録)


■坂口安吾のプロフィール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E5%8F%A3%E5%AE%89%E5%90%BE

ア・ラ・カルト

~写実の天才~ 磯江毅=グスタボ・イソエ展

 「わしらの後輩に、どえらい天才がおるで」同窓のTY君からのメールでこの展覧会を知り、後日、Tマサさんからも「感動した、ぜひお出かけを」のメールをもらって、これはもう義理でも出かけなければなりませぬ。しかし、そこは貧乏性、ついでに秋の奈良を散歩もしようとリュック姿で出かけ、若草山ハイキングの帰りに県立美術館へ参じたのであります。


スーパーリアリズムと呼ばれる細密描写の作品をかなり見てきたつもりですが、技術的には、これが限界かと思えるくらいの、究極のハイテク作品です。肝心なことは、この人の手にかかれば、対象物だけでなく、空気や音まで「写生」されてしまうのではと錯覚するくらい、空間、空気感までが平面上に醸成されています。カメラのレンズが及ばない「心眼」で対象に迫る。納得するまで何度も描き直す。


たいていの絵は、筆やペンの軌跡が読み取れるものですが、彼の作品にはそれがない。髪の毛一本をを描けば、画面には髪の毛があるのみです。果物に生えたカビを描けば、カビの胞子が画面についている・・としか思えない超絶リアリズム。まあ、こんなこと、くどくど書いてもキリがないので、興味ある人はぜひご覧下さい。


以下は、Tマサさんからの鑑賞おすすめメールです。

 先日10月30日(日)礒江 毅(ツヨシ)=グスタボ・イソエ展を鑑賞しました。大阪出身で、大阪市立工芸高校卒業後30年余り、主にスペインで活動、2007年急逝されたかたです。(享年53歳)
 
 人物及び静物画は、まるで写真が掲載されているのかと見間違うほどです。「新聞紙の上の裸婦」は、裸婦そのものを崇高に描写し、新聞もこれが絵画なのかと繊細に描かれています。また、ブドウは一粒一粒ごとに色が違い、白い粉がふいているのもきちっと描写されています。リンゴやシャケの身の中もものすごく繊細です。また、ワインや酒びんもほこりやよごれが見事に表現されています。こんなリアルな絵画を鑑賞したのは、初めてです。スーパーリアリズム礒江 毅展は、同所で12月18日まで開催されています。是非一度見学してください。
 なお、10月30日は、1時間ほどジャズ演奏がライブでありました。夫婦で約3時間堪能しました。


展覧会は12月18日まで。奈良県立美術館 料金1000円
■詳しくはこちらで・・・作品写真もあります。
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_itemid-71445.htm


同展の絵はがきをコピー
グスタボ 

ア・ラ・カルト


●舞子公園の文化財邸宅見学 ~その2 木下家~

 駄目男のような、生涯○ビ暮らしをする人間は、「数寄屋」造りの家に招かれて歓談のひとときを・・なんて場面はあり得ないので、こういう「見学用物件」へ出向くしか内部を見る機会がありません。住まいのしつらいを通して日本人の洗練された遊び心を再認識できる空間です。

 この先、個人で数寄屋建築をつくる人は皆無なので、これは貴重な文化財と言えます。復元、整備に4億円もかかったそうですが、それだけの値打ちはあるでせう。兵庫県にあったことが幸いで、大阪府の元知事だったら、こんな文化事業にはハンコを押さなかったでせうね。


建物は昭和16年築、約70年経た、和風に一部洋室を取り入れた、当時の流行の設計です。洋服を着る人が増えて、接待は洋室のほうが便利ということが分かってきた時代、それにハイカラ趣味が後押ししたと思われます。(ハイカラの意味が分からない人増えてるかも)


舞子 

舞子 

舞子 

洋風の応接間から庭を見る。
舞子 木下家 

応接間のインテリアは全く洋風につくられている・・と思いきゃ、左上の棚は 数寄屋の造作になっていた。
舞子  


さりげなく、おしゃれなデザイン
 小さい欄間にさりげなく彫られた模様・・どこかで見たような、と思って係の人に尋ねると、香道で使われる符号をアレンジしたものでした。いろんな香りにそれぞれ名前があり、それを符号にしたものです。これに月と星が二つづつ彫られていて・・施主は何を表現したのでしょうか。
舞子


■「源氏香」で使われる符号のデザイン一覧
http://homepage2.nifty.com/ukifune/Genji/ggenjiko.htm



戦前の金持ちも「プチ・ケチの研究」をしていた
 台所や浴室も復元されていますが、当時は、水回りはタイル貼りにするのが「上等の仕事」でした。しかし、どう見ても寒そうな感じです。
 注目したのは浴室のアイデア。洗い場の床に木のフタがあり、何かと思ったら、洗濯場でした。入浴後、抜いたお湯をここに貯め、洗濯すれば、水洗いより汚れがよく落ち、冷たい目にもあわず、水道代の節約にもなる、一石三鳥のアイデアです。但し、しゃがむ姿勢で洗ったら辛そうですが。

舞子木下家 

スノコ型のふたを外して浴槽から湯を引き込み、洗濯に利用する。
舞子木下


■木下家の詳しい案内はこちら・・・
http://www.hyogo-park.or.jp/maiko/contents/sisetsu/area_kinoshita.html

ア・ラ・カルト


●舞子公園の文化財邸宅見学 ~その1 武藤山治邸~

 神戸・舞子公園には、孫文ゆかりの「移情閣」がありますが、近年、近くに「武藤山治邸」と「木下家」の二邸宅が新たに整備、公開されました。これで同じエリアに和・洋・中・3タイプの文化財価値高い昔の邸宅がそろったわけで、古建築ファンにおすすめの「物件」です。今回は武藤邸と木下家を紹介します。


武藤山治邸は、鐘紡中興の祖と言われた武藤山治が明治40年に建てた別荘。もう100年以上たち、移築を繰り返したために、材料等は原型通りというわけにはいきませんが、現場を見れば、よくぞ、ここまで「そっくりさん」に復元したもんだと感心します。内装の壁は漆喰仕上げですが、いまどき、こんな仕事は注文ゼロなので、職人を探すのに苦労したそうです。


 家具、調度品はほとんどオリジナルだそうで、とても風格があり、映画のロケにも使えそうなカッコいいインテリアです。繊維産業が栄えた時代は日本を代表する大企業だった「鐘紡」も戦後は波瀾万丈の経営を余儀なくされ、後発の「カネボウ」も今は化粧品があの「花王」に買収されてかろうじてブランドを残すのみです。カネボウ化粧品のユーザーで、カネボウの原型が鐘淵紡績だったってこと、知ってる人、どれくらいおられるでせうか。

武藤山治邸
武藤 

舞子公園 武藤 

武藤 

武藤 

武藤 



■詳しい案内はこちらで・・・
http://www.hyogo-park.or.jp/maiko/contents/sisetsu/area_mutou.html