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プチ・ケチの研究


●反省中・・安物買いの銭失い

 この「プチ・ケチの研究」10月の記事で、ノートパソコンの冷却のために、小さいファンを買った、と書きましたが、わずか4ヶ月で壊れてしまいました。しかし、冷却には有効だと分かったので買い直したのが下の写真のファン。壊れたのは980円、新しいのは1280円。300円の差なのに、風量は大きく、騒音は小さく・・と、ずっとスグレモノです。

300円の差を惜しんで最安の商品を買って、結局、安物買いの銭失い というわけ。なかなか治りませんねえ、この貧乏性は。少しは品質を気にしながらも、つい「いっちゃん、安いもん」を買ってしまうクセ、ええ加減にせんと・・。

先日、冬用の厚手の靴下をまとめ買いしました。いっちゃん安い「3足780円」のものと「2足680円」のもの両方を買って、品質に差があるか試してみた。両方をまんべんにはき、計5回洗濯した。差はありましたね。安い方は起毛部分のケバ立ちがひどく、洗濯機のゴミ取りネットにたくさんの繊維クズが貯まる。ゴム部分にはやほつれがでるなどです。

ま、こんなええ加減なテストで違いを言うのは間違ってると思うけど、いつまでも「銭失い」を積み重ねるのもなあ・・。ようやくハンセーしはじめた昨今であります。

話戻って、下の写真の冷却ファン。ユーザーはどんな使い方をしてるのか。もしや、キーボードに直接風を当ててるのでしょうか。(それが普通?)パソコン操作中に回転するファンが目に入るなんて目障りで、手に風が当たるのも不愉快では、と思いますが。

写真のように、背面に置くと全く目に入らず、冷風を感じることもありません。但し、パソコンはペットボトルのキャップでテーブルとの間に隙間をつくっておくことが条件です。この方法だと、ボードの表面、底面とも温度上昇はほとんど無く、「平熱」を保つことができます。(商品は梅田ヨドバシカメラで購入)
 

冷風はディスプレイの背面に沿って下に流れ、スキマに入ってボディの底面の通気口から入り、強制排気用の小窓から出ます。パソコン内蔵のファンはほとんど動作しない。ログオフにすると、ファンも止まるので手間いらずです。
冷却用ファン

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プチ・ケチの研究


●これでいいのだ・・皮つきじゃがバター

 今年最後の「プチ・ケチの研究」は、枝豆より安上がりな、ビールやワインのアテの研究。自分には、ジャガイモは皮をむいて食べるもの、という固定観念があったが、試してみたら、皮つきのほうが美味しかったのでした。煮物では皮つきはまずいのかもしれないが、レンジでチンしてバターをつけて食べる場合は皮つきでOKです。チンしすぎても形が崩れないし、見た目も、いかにも酒のアテらしい。皮なしだと「おかず」っぽくなってしまいます。

写真のような小振りなものは、7個入りでただいま150円。一回一個しか食べないので、冷凍の枝豆より安いはずです。○ビでめんどくさがりな同輩におすすめのアテであります。(丸ごとでなく、半分に切って、切り口を上にしてチンする)

じゃがバター

読書と音楽の愉しみ


●石平著「私はなぜ<中国>を捨てたのか」を読む

 時の政権や権力者に、てんこ盛りの不満や嫌悪感を抱いているとしても、だから、日本人や~めた、どこか外国へ国籍を移そう・・なんて考える日本人は皆無のはず。そんな人がいたら、外国へ行く前に、精神病院へ行ったほうが良い。

しかし、中国においてはあり得る。政治体制への不信、嫌悪、絶望によって国を捨てるという、安穏日本人には考えられない、ものすごい人生の大転換。その一人が著者、石平(せきへい)氏である。氏は中国人をやめて日本人になった(正式に帰化した)。それは全くの個人の問題であるが、その背景である中国の独裁体制の過去と現状をのべ、日本人との、似て非なる・・ではなく、全く違う国民性を説いて、故国を捨てた事情を吐露している。 決断に当たっていかほど苦悩、逡巡したかについては。あまり記述がないので、それは、逆に自国への憎悪、絶望感の大きさを物語っているのかもしれない。

もともとシナ嫌いだった上に、数年前、中国の歴史や政治に関する60冊くらいの本をまとめ読みして、駄目男は模範的?中国大嫌い人間になりましたが、普通の人はマスコミなどの報道で好き、嫌いの感情を表すにとどまります。それでも構わないが、中国ってこんな国、の本質を最もシンプルなかたちで知りたければ、あの「天安門事件」の現場の映像をごらんになるのが良いでしょう。動画を検索すれば、見られると思います。(気の弱い人は、しばらくメシが食べられなくなるかもしれない)

中国人の本質、中国という独裁国家の本質があの映像に凝縮されています。日本人にあの過酷さがあるかと自問すれば、中国人のなんたるかはイヤで認識できます。一衣帯水とか同文同種といって、親中をうたう日本人の馬鹿さが分かります。「文化大革命」と「天安門事件」からまだ半世紀しか経っていないのに、これを忘れて「日中友好」を論ずるなんて、馬鹿丸出しです。

石平氏は北京大学で哲学を修めたインテリで、少しは民主化運動にも関わっており、もし、もっと積極的に反政府的言論で活動していたら、ノーベル平和賞云々の有名人物になったかもしれない。しかし、日本へ研究生として留学したことが運命を変えた。顔かたちは似ているのに、中身(心)はまるで違う日本人との出会いが、反中国思想をいっそう強めてしまったのだから、皮肉というか、不幸というか・・。

のみならず、巻末の文で、反日の裏返し、自ら「愛日主義者」になったと書いている。そこまで変身できるのか、と驚いてしまいます。今後も、ジャーナリストとして、あちこちで評論等発表すると思うので、目にしたら読んでみて下さい。(WAC文庫 2009年8月発行 886円+税)

石平 私は中国を・・


たまには外メシ


●なんといふ偶然・・

 「下戸の止まり木」5軒目も「なにわ快道」沿いに開業

 当ブログ内「下戸の止まり木」で紹介している4軒のバーは全て拙著「なにわ快道」沿いにあります。「わざとそないしてんやろ」とギワクの眼で見られても仕方ないけど、店とコースをくっつける義理も意味も無い。たまたまそうなっただけのことであります。(ホンマか?)

さて、今回、仲間入りする5軒目の「ゴールウエイ」さん、あっと驚く為五郎(ふる~)なんと、この店も「なにわ快道」沿いにできたではありませんか。・・によって、先の4軒が、たまたま「なにわ快道」沿いという偶然も、納得して頂けるのであります。(ホンマか?)
 駄目男が「なにわ快道」沿いのここへ店をつくりなはれ、なんて言えるわけがない。はじめて店を訪ねて、えっ、こんなとこに出来たんかと、すごい偶然にびっくりしました。一体、なんの因縁因果でありませうか。

ゴールウエイは、天王寺区西門交差点の北約150m、上町筋の東側にあります。かの有名な、創業、西暦578年、世界最古の企業と言われる建設業「金剛組」本社ビルの4軒南側です。マスターの藤田さんは、前記4軒の中の「クラシカル」で6年半勤めていたベテラン・バーテンダー。念願の独立が叶って、11月14日にめでたくオープンされました。

5軒のうち、唯一、表通りに面したカフェふうの店です。ドアを開けるのに相当勇気が要る、北新地の隠れ家「カンパネラ」より10倍は入りやすい店なので、界隈にお住まいの方はどうぞ。
 ・・・にしても、自称下戸が、なんでこんなにたくさんの「止まり木」と付き合うハメになったのか。マッタク不可解であります。

天王寺区四天王寺1-14-25 インターシティビル
電話 06-6772-5307  営業17時~25時
当分、無休で営業中です。
(後日、「下戸の止まり木」ページに掲載します)

■「金剛組」の紹介はこちら・・
http://www.kongogumi.co.jp/index.html

右手、黄色い自販機のあるビルがゴールウエイの入るビル。左4軒目が金剛組本社ビル
ゴールウエイ 

ゴールウエイ 

ゴールウエイ

読書と音楽の愉しみ

●奈良女子大学管弦楽団 第40回記念定期演奏会

プログラム
シベリウス 交響詩「フィンランディア」
ブラームス ハンガリー舞曲 1/5/6番
ベートーヴェン 交響曲第五番「運命」

友人に誘われて、天王寺区の国際交流センター大ホールへ。女子大のオケを聴くのははじめてで、全員女性かと思ったら、数人の男性が混じっていました。おじいさんもいたのは、もしや教授でしょうか。

上記のような、ちょっと、めまいの起きそうなプログラム、まあ、なにかワケがあるのでしょう。幸い、どの曲も熱演、アンサンブルも上出来。特に「運命」でのホルンがとても上手で感心しました。弦の低音部もプロみたいな、こなれた音質で気持ちよかった。一生懸命練習した成果が発揮できた演奏だったと思います。

残念だったのは、こんな音の悪いホールを使ったこと。むろん、これもワケありなんでしょうが、せっかくの熱演がかなり割引されてしまいます。地元の郡山城ホールのほうがよほどマシだと思うけど、記念演奏会という節目の公演ゆえ、集客優先で選んだと察します。

実は、集客できすぎて着席できない人が数十人いたもようで、休憩時間に指揮者、牧村邦彦氏がおわびのアナウンスをしました。(牧村氏にはなんの責任もありません。カワイソウ)消防法により、立ち見は禁止されており、ホール側との折衝に苦労された様子です。大学オケの公演は通常、6~8割の入りなので、うれしい誤算だったとも言えます。もっとも、「運命」の第一楽章あとで拍手した人が30人くらいいて、今どき珍しいシーン。質より量の集客だったことがバレてしまいました。(12月19日)

 帰り道、久しぶりに、上六「ハイハイタウン」の串カツ屋で一献。だんだん空き店舗が増えており、先行き心配です。

注・・「相愛女子大」オケの演奏会へ行ったこと思い出しました。

たまには外メシ


●北新地 バー「カンパネラ」借り切り忘年会

 ・・なんて書けば、えらくゴーセーな忘年会に思われそうですが、○ビ駄目男にそんな甲斐性あるはずもなく、費用は世間の忘年会の平均と同じでございます。実は、借り切りというのは、営業開始前の2時間を借り切るということで、終われば通常の営業が始まります。店も?お客もトクするグッドアイデアであります。

料理4品+お酒飲み放題で、X000円ナリ。マスターにはお昼ごろから下ごしらえなど段取りをして頂き、午後5時から7時までが借り切りタイム。ロージン向きのヘルシーメニューと心のこもったもてなしで、参加の面々には、大いに満足してもらえました。店ごと借り切りのリラックス感は、いまごろ流行の酒場の「個室」感などとぜんぜん違ひます。 当たり前ですけど。

ならば、休日に彼女と二人きりでの「借り切り」もできるのか。イエス、とマスターは申しております。○金にして、ええカッコしいの御仁は、ヨメはんにナイショで企画されたし。いわずもがな、一見客はアウトですけど。(12月15日)

当日のメニュー
★魚貝とかぶのにんにく風味
★キスのトマト包みあげ
★白身魚の梅あんかけ
★大根のたいたん肉味噌のせ
★デザート

カンパネラ忘年会4枚 

カンパネラ 

カンパネラ 

カンパネラオワリ 

■カンパネラの案内はこちら・・・
http://barcampanella.fc2web.com/index.html

■当ブログ内「下戸の止まり木」でも紹介しています。

読書と音楽の愉しみ


●加治将一著「舞い降りた天皇」を読む
          
~初代天皇「X」はどこから来たのか~

 近年読んだ歴史モノでは出色の面白い本だった。小説(ミステリー)仕立てで書いてあって、古代から飛鳥・奈良時代あたりまでの歴史を鳥瞰するような、ワイドで中身も濃い情報が詰まっている。この一作で古代史のおさらいができ、ついでに著者が唱える初代天皇「X」論も楽しめる。なんというか、一粒で二度美味しい・・みたいな本です。文庫本、上下600余ページのボリュウムがあるけど、すいすい読めます。

副題にあるように、最大のテーマは、初代の天皇は、何処から来たのか、を追求することです。その天皇とはむろん、仮想ではありますが、神武天皇です。そして、著者の推理では壱岐・対馬(長崎県)出身だろうと・・。う~ん、むむむ。
 基本資料は「魏志倭人伝」と「日本書紀」ですが、周辺の関係資料もわんさと出てくる。しかし、学者の著作のように、重箱の隅をつつくような細かい解説はしないので、独断、偏見交えて話が早い、というのが素人向きでよろしい。

世に言う「神武東征」とは何であるか、なんのためにあんなしんどいツアーをやったのか。著者の論では「シナ勢力からの逃避」であります。本来、北九州で国らしきカタチをつくっていたけど、いずれ、シナが進軍、侵略してくるだろう。戦っても勝ち目など無いから、国(邪馬台国)ごと、シナから見たらなるべく奥のほう、つまり近畿地方へ引っ込んで、北九州は空き家状態にした。そこで新たに国、ヤマトをつくった。神武東征とは、文字面では東の方へ攻め上がるという意味にとれるけど、ちがいます、逃げてきましてん、というのが著者の研究成果であります。シナの圧力におびえて東へ東へ・・。後世、岡山の鬼ヶ城とか、生駒山系の高安山に防御のための城(砦)を築いたことでも分かるように、朝鮮、シナによる攻撃を本気で心配していました。

ゆえに、邪馬台国創立の地は北九州、移転後は大和になります。今の論争では、九州と近畿、どちらが邪馬台国だったのか、が争われていますが、著者の発想ではどちらも本物、引っ越しただけだと言う。こう言われると、すごく分かりやすい。どちらも邪馬台国であった、というわけです。(学説ではないので、誤解なきよう)
 
これだけなら、600頁も費やす必要はないけど、そこに話を楽しくするための仕掛けがいろいろあって、出雲系(権力闘争の負け組)の扱いとか、裏でヒモを操るフィクサー、秦氏の一族とかが絡む。現代の皇室情報では、この秦一族の話題は皆無だけど、天皇家の元祖をつくり、裏で支え、コントロールしたのは秦氏ではないのか。藤原京や平城京、平安京をつくるには政治思想から仏教情報、ハード面での設計、技術情報など、膨大な情報を入手、駆使しなければなりませんが、その役目のおおかたを秦一族が担ったのではないか。これは半分、駄目男の想像も交えての見解です。

箸墓古墳に葬られているのは卑弥呼か。著者はノーという見解です。では誰なのか。答えは、卑弥呼の次にシャーマンになった壱輿という少女だろうと。卑弥呼は九州のもっと小さい古墳に葬られたと推理している。

本書が面白いのは、神話時代の事件を、神ならぬ普通の人間なら、こう考え、行動すると、リアリティを持たせて描写しているからです。こじつけもままあるが、なるほど、そういうことだったのかと妙に説得力があって、つい読み進んでしまうのでありました。

巻末に「魏志倭人伝」の原文と訳文が添付されています。(詳伝社文庫 2010年10月発行 638円+税)

表紙 舞い降りた天皇 


Theme: 歴史全般 | Genre: 本・雑誌

ア・ラ・カルト


●大阪 光のルネッサンス<2010>

 12月14,15日、キタで忘年会があったので、かえり道に見物。予算が足らん、税金の無駄遣い、いろいろ言われながら、年々スケールが大きくなってるみたいで、見物人もずいぶん増えたような気がします。

一方、材料のLED球の技術進歩やコストダウンがすすんで、同じ予算で中身の濃い展示ができるようになった面もありそうです。中之島では屋台もたくさん出て賑わい、それなりの消費効果がうまれています。

御堂筋の黄葉風景に続くように催されるこのイベント、先輩「神戸ルミナリエ」よりデザインの自由度が高いぶん、集客力では互角、それ以上になるかもしれません。撮影は大阪市役所、中之島公園、御堂筋にて。

光のルネッサンス 

光の・・ 

光の・・ 

光の・・ 

光の・・ 

光の・・おわり 

プチ・ケチの研究


●儲かりまっか? JR格安きっぷ自販機

 前記、高砂・加古川ウオーキングの帰りに、写真の自販機で割り引ききっぷを買いました。加古川~大阪間の場合、通しで買うと1280円。それがこの自販機で買えば950円。差し引き330円も安くなります。

割引のモトは、区間回数券、昼間割引、特定区間割引料金といった値引ききっぷを組み合わせて、というシステムらしい。なので、機械にお金を入れると、加古川~舞子、舞子~三宮、三宮~大阪 の3枚の切符が出てきます。なんか、自販機に「えらい手間かけまして」と頭下げたくなります。

それで、大阪駅で改札機に3枚のきっぷを入れると、ピンポーン・・出られないのでありました。(2枚ならいいのか)だから有人改札口で出ます。

ところで、こんな手間のかかる切符を売って、販売者はなんぼ儲かるのか。貧乏性駄目男はたちまち詮索したくなるのであります。本来の割引額の大半を購入者に渡し、残りが利益。せいぜい1~2割の儲けではないでせうか。原価は、きっぷの仕入れ代金と、機械設置の設備投資、置き場所の家賃、電気代・・けっこうかかるような気がします。一人の客から100円稼いだとして、一日100人で1万円。 一ヶ月で30万円。いかに数をこなすかが肝要でしょう。ならば、加古川や姫路は好立地かもしれません。

ともあれ、加古川~大阪間で一人330円トクをしたのであります。10人のグループなら3300円もトク! 
 「ほな、これでビール呑んで帰りまひょか」即衆議一決し、ビアホールへなだれ込み、せっかくトクした330円はたちまちアワとなって消えてしまったのでした。アワワ。

JR格安きっぷ 

格安きっぷ 

Theme: 小さな日々 | Genre: ライフ

読書と音楽の愉しみ


●ニコラス・スロニムスキー編
 「世界名曲悪口事典」を読む

 ひえ~、こんな本もあるのか、と思わず手に取り、借りて帰った本。ベートーヴェンからショスタコーヴィチに至る百余年のあいだに活躍した作曲家の作品をケチョンケチョンにくさした評論の抜粋集であります。

さっそく、↓下に書いたR・シュトラウス作品の批評文を読む。駄目男は「いちびり」の発想で作曲したのではないかとシツレイなこと書いたのでありますが、100年前の批評家はどう評したか。(青色文字が批評文)

音楽上のユーモアはだいたい退屈なものだが、シュトラウスのユーモアは私がかつて退屈したことのあるもののうちでも、最も退屈なものだったというしかない。はっきり言って、私は「ティル・オイレンシュピーゲル」をチクチクする再生毛糸でつくった、いい加減な代物として却下する。(ロンドン・サタデーデビュー 1896年5月)

R・シュトラウスの最近の労作は、なんとつまらないことだろう。私はこの呪うべき「よじれて壊れた」ポリフォニーと戦っている。このゾロアスター的文化、音楽の名のもとにある音の塊は、忌まわしい口げんかに過ぎないと言っても良い。(略)和音を込み入ったものにし、対位法を複雑なものにし、オーケストラを騒々しくすれば、音楽を高めたことになると思いこんでいる。(アーサー・バード ニューヨーク 1900年)

19世紀末、まだまだ様式美が重んじられた音楽界にあって、シュトラウスのような前衛的な作品は「下品、騒々しいだけ」の評価しかしてもらえなかったようであります。 では、人類の音楽遺産ベスト3に入るかもしれない、ベートーヴェンの「第九交響曲」の評判はどうだったか。

第九のオーケストラ部分全体がとても退屈だった。幾度か寝入りそうになってしまった。合唱部分に達したときはほっとした。しかし、第九のこの部分に関しては、ほとんど互いに混ざり合わない奇妙で滑稽、たどたどしく獰猛でキーキー響く素材と、ただ一つのわかりやすい旋律からできあがっているようだ・・と、残念だが言わなくてはならない。プログラムに印刷されてる歌詞に関していえば、全くお話にならず、しかも一切の騒音が何を意図しているのか、全く分からなかった。総体的な印象としては、インディアンの雄叫びと荒れ狂った野良猫たちから成り立ったコンサートだった。(ロードアイランド州の新聞評 1868年)

ベートーヴェンの死後20年経った時点でも、こんなに酷評されてたわけで・・。あの合唱をインディアンの雄叫びとは、えげつないですなあ。

もちろん、発表即大好評という作品も多々あるのですが、斬新なアイデア、技法を使った曲は、30~50年後にようやく「名曲」と評されるケースが多い。それは絵画の世界でも同様で、ゴッホやモディリアニなんか、生前は全然評価されなかった。その点、文学のほうがわりあい社会になじみやすいかもしれません。(音楽の友社 2008年6月発行)

名曲悪口辞典 

読書と音楽の愉しみ


最近の演奏会から

●大フィル11月定期演奏会

曲目 リヒアルト シュトラウス作曲
交響詩「ドン・キホーテ」
交響詩「ツラトストラはかく語りき」
指揮・・大植英次

 大作曲家のなかで一番のイチビリは誰か?と問えば、たいていの音楽ファンはハイドンと答えるでせう。交響曲の「驚愕」や「告別」を例にあげて。駄目男も異存はないのですが、よ~く考えると、イチビリのスケールや凝り性ぶりにおいては、R・シュトラウスが一番ではないかと思うのであります。

今回聴いた2曲と、他の「英雄の生涯」もそうだし、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」なんか、題名からしてイチビッているのであります。しかし、実際に演奏を聴くと、大編成のオケで、音楽は壮大にしてダイナミック、また細部まで緻密に組み立てられ、思わず襟を正してしまうような曲に聞こえてしまうので、つい、イチビリのイメージが消えてしまいます。で、終われば拍手喝采・・となります。

まあ、それでもええのですが、どうも、あの世でR・シュトラウスは、鼻クソほじりながら「んなもん、なに真面目くさって聴いとるねん、ふん」とか、上から目線で馬鹿にしてるような気もするのであります。発想はイチビリ、仕上がりは上等なゲージツ作品。これがシュトラウス作品の真骨頂でありませうか。一から十まで、とことんマジメだったベートーヴェンなんかとえらい違いであります。


それにしても、ニーチェの哲学をオタマジャクシで書き直したるねん、という大それたイチビリ精神は、やはり尊敬に値するか。(11月12日 ザ・シンフォニーホール


ア・ラ・カルト


●伏見散歩のベストコース
                     
~「いこい」誌に紹介しています~

 自分は一度も見なかったNHK「龍馬伝」が終わって、伏見の街も少し落ち着いたのではと思います。
 
近畿信用金庫協会の広報誌「いこい」冬号で、伏見の散歩コースの案内をしています。ランチにちょっとご馳走食べて、午後は街中を散歩しようというプランです。ランチに勧めてるのは「梅の花・京都伏見店」と、いつかここで紹介した「京まちおくど・十二夜」予算は2000~3000円程度。ほかに、老舗の「鳥せい」と「黄桜カッパカントリー」「月の蔵人」など。黄桜・・は地ビールが飲めます。

お奨め散歩コースは、京阪伏見桃山駅~大手筋商店街~納屋町商店街~竜馬通り商店街~酒蔵街~大倉酒造記念館~長建寺~濠川沿い遊歩道~出会い橋~伏見港公園~三栖閘門~京阪中書島駅 距離は3,5キロ程度です。
 
伏見は観光の街として知られてますが、実は、観光案内所や流行のボランティアガイドというサービスがありません。おまけに、ひどい駐車場不足で、マイカーで行ったら難儀します。観光客はガイド雑誌や駅置きの案内地図を手にウロウロします。簡素でいいから、伏見桃山駅か中書島駅前に案内所があればずいぶん便利なんですが、なぜか知らん顔です。

上に紹介したお奨め散歩コースは、一番無駄なく、わかりやすく、楽しいコースと自負しています。しかし、この通りに歩く観光客は皆無です。なぜなら、濠川沿い遊歩道はパンフや現地地図には表示してあるのに、現地に道標がないのです。だから、初めての人は不安で歩けない。あるいは、地図のコース自体を見落としている。歩いてるのは地元の散歩人ばかりというのが現状です。

濠川には「十石舟」という遊覧船が大倉記念館裏と三栖閘門のあいだを往来していますが、冬場は運休です。この機会に歩いてみてはいかがでしょうか。乗船賃1000円の節約にもなりますし。

「いこい」誌を置いてる信金はこちらで探して下さい。(無料)
■近畿信用金庫協会加盟店(配布のない店舗もあります)
http://www.shinkin.co.jp/

納屋町商店街。豪華なアーケードに驚く。
伏見・いこい


竜馬通り商店街。納屋町とのコントラストが面白い
伏見


黄桜カッパカントリー
伏見


大倉酒造旧本社オフイスはカフェになっている。
伏見


濠川沿い遊歩道起点  大倉酒造記念館の裏側
伏見


出会い橋たもとにある角倉了以顕彰碑
伏見


濠川沿い遊歩道  前方は京阪電車の橋 
伏見

「いこい」誌 2010年冬号
伏見「いこい」表紙 


Theme: 京都 | Genre: 旅行

読書と音楽の愉しみ



●堺のバー「クラシカル」のライブ情報

カーペンターズ Songs by 中垣あかね・竹下清志(ピアノ)
 
 カテゴリー「下戸の止まり木」で紹介している「クラシカル」で久しぶりにライブ。中垣あかねさんが、カーペンターズの歌を歌います。カーペンターズってナニ? ってのは30才未満、80才以上の皆様方でありませうか。アメリカンポップスの最後のスターだったかもしれませんね。
 
■2011年1月16日(日)
■ライブは、一回目・・19時  二回目・・21時
■料金・・前売り2000円 
■申込みは下記「クラシカル」へ(日曜日休業)

■バー・クラシカル
http://www.osk.3web.ne.jp/~classiy/

■カーペンターズのナツメロを聴いてみたい人はこちらを・・・
http://www.youtube.com/watch?v=t0oroGJusBg&NR=1

中垣あかね
中垣あかね

読書と音楽の愉しみ


●竹内薫著「99,9%は仮説」を読む

 本書がロングセラーになったのは、仮説の説明の最初に「飛行機はなぜ飛ぶか」の問題をもってきたからですね。うまい、と思いました。じっさい、この後のモロモロのテーマはあんまり面白くないのだから。

さて、飛行機はなぜ飛ぶか。そんなもん、ライト兄弟初飛行のときにもう分かってたんやろ、と思ってたのですが、えらいこっちゃ、なんで飛ぶか、飛べるのか、未だに分からへんのやて。そんなアホな!・・で、皆さん、この本を買ってしまったのであります。

ライト兄弟初飛行から最新鋭ジェット機まで、なぜ飛ぶのか(飛べるのか)が分からないまま、現実に飛行機は飛んでいる。なぜ飛べるのか、の答えはいまだに見つからないけど、現実に飛んでいる。ゆえに、それでええではありませんか。結果良ければ全てよし、文句あっか、ガハハ。ああ恐ろしや、飛行機は「仮説」で空を飛んでいるのであります。

理屈を言えば、翼の断面形状とその上下の空気の流れ方が、飛ぶ、飛べないになるのですが、今のところ、推論でしかない。カクカクシカジカの理論で飛行機は飛ぶ、と明快に説明できないそうです。
 理論はともかく、あの、ほぼ金属でできている飛行機がすいすい空を飛んでることに素朴な疑問と言い難い不安をもつ人は多いのではありませんか。空を飛んでること自体、不条理に思える。最新型の戦闘機なんか、翼はお義理につけてるのでは、と思えるほど小さく、ほとんどエンジンの馬力の強さだけで空に浮いてるのではと勘ぐってしまいます。

タイトルのように、本書は、我々が「事実」と思ってる事の多くは、実は仮説である。仮説を事実と勘違いしながら生活を営んでいる。少しは頭を冷やして「何が事実か」を見極める努力をせよ、とハンセーを促すのであります。地動説が認められるまでは天動説が常識で、地動説という仮説なんか「アホかい」と馬鹿にされた。アインシュタインの相対性原理も、初めは「何しょーもないこと言うとるねん」の扱いだった。

うんと身近な問題でいえば、つい十数年前の「土地神話」は仮説でなく、事実だと信じられた。誰もが土地は値上がりする一方であると信じたからバブル景気になった。しかし、あれは結局、仮説でしたよね。トホホ・・。
(光文社新書 2006年2月発行 700円+税)

99,9%は仮説 本 

読書と音楽の愉しみ

●野呂邦暢の作品を読む

■諫早菖蒲日記(平成22年5月 梓書院発行)
■夕暮れの緑の光(平成22年5月 みすず書房発行)

 作家にも、地味タイプと派手タイプがあるとすれば、この人はジミ派の代表。作品がトップセラーになったとか、映画化されたといった世俗的話題には上らないまま、1980年、42才で急逝。しかし、そのジミな作品を愛するファンが多く、今回読んだ2冊も、没後30年を機に、再編集、発行されました。1974年(昭和49年)「草のつるぎ」で第70回芥川賞を受賞。

■諫早菖蒲日記
 著者が長崎県諫早で借りて住んでいた家が、実は幕末の諫早藩の中級武士(砲術指南役)の家であった。その土蔵から見つかった砲術書などの資料に興味をもってイメージを膨らませ、武士の娘の目線で当時の世情を描いている。こういうきっかけで小説が生まれることもあるのですね。

想像力と創造力、この二つがかみ合って、まるで自分の先祖の生きようを描くように話が展開されるのですが、正直言って、最初の数十ページは退屈しました。しかし、武士や庶民の暮らしぶりの丁寧な描写に付き合ううちに、わずか1~2行の文を書くために、作者はどれほど歴史資料を渉猟し、裏付けをとり、表現に気遣いしているかを察して、なんか頭の下がる思いさえして、以後、すいすいと読み進んだのであります。

歴史小説ははじめてという作家にとって、また、描くのが自分の故郷であるために、いかほど神経を消耗したか、ヒシと伝わります。会話での方言の扱いかたなど、クレームが出やすいだろうから、あれか、これかで呻吟したのではと察します。一方、江戸時代の諫早の地形、埴生の描写なんかは、まるで昨日見てきたかのような、リアルで細かい表現がなされていて、この人、かなりの地図ファンでは?と勝手に想像し、親近感を抱いたのでした。
 
■夕暮れの緑の光
 1970年代といえば、まだ文学青年という言葉が死語になっていない時代、あるいは末期だったかもしれない。本書を読むと「文学青年のアンカー」みたいな著者が、もうブンガクなんかでメシは食えんのとちゃうか」と察知しながら、しかし、文学青年的ライフスタイルから足を洗えずに、名もなく貧しく、しみじみと暮らすありさまが伝わります。

妙にホッとする文がありました。同郷の詩人、伊東静雄の詩は難しくてワカラン、と書いているくだり。そーか、プロの作家にしてなお難解な詩であれば、ド素人の自分なんかチンプンカンプンは当然、しゃーないちゅうもんや。野呂センセイに限らず、伊東静雄の詩の難解さは、イメージの飛躍しすぎで、ついて行かれへん、ということでしょう。(作った本人しかわからないのでは?)

無知ゆえの偏見を言わせてもらえれば、伊東静雄の詩は韻律のかっこよさが魅力であり、内容の理解云々は、ま、ちょっと脇へ置いといて・・ではありませぬか。ご本人も自作の朗詠が好きだったそうだから、全くの見当ちがいではないと思うのであります。

■野呂邦暢の紹介
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野呂の本表紙