大阪日暮綴

●映画「森繁久彌特集」観賞

猛暑のなか、西区九条の「シネヌーヴォ」に通って計7本の作品を観ました。上映されたのは全部で50本だから、ほんの少しですが、暑さを忘れて昔の良き映画時代を楽しむことができました。

■1954年 次郎長三国志第八部~海道一の暴れん坊~
   この年、駄目男は15才、中学生でありました。トホホ。森繁が森の石松を演じます。威勢はいいが、最後は殺されてしまう。越路吹雪が姉御役で出ていて貫禄たっぷり。

■1958年 暖簾
 山崎豊子原作。山崎サンの実家は今も盛業の昆布の老舗「小倉屋」で、そこで拾われたガキが成長して跡継ぎに。森繁は親子の二役を上手にこなしています。戦後のまだ焼け野原の大阪の街やバラックがなんともなつかしい。山田五十鈴、乙羽信子、中村贋次郎、浪花千栄子共演。

■1960年 天下の大泥棒 白浪五人男
 ドタバタ喜劇。脇役に花菱アチャコと浪花千栄子が夫婦役で出演。画面に出てるだけで面白おかしい。パンフに「カラー・シネスコ」とあるので、普通のカラーかと思いきゃ、セピア一色のカラーでした。なんか詐欺にあったみたい。

■1961年 喜劇 駅前弁当
   社長シリーズとともにヒットした駅前シリーズの一つ。・・・と書いても、何のことかわからん人もおられるでしょうね。49年前の作品です。
共演、伴淳こと伴淳三郎、柳家金語楼、加東大介、坂本九、フランキー堺、淡島千景、淡路恵子・・この面々の顔をぜ~んぶ明瞭に思い出せる人、余命いくばくもありませんぞ。

■1964年 喜劇 駅前女将
 名作「夫婦善哉」はじめ、森繁と淡島千景の出る作品が多いが、淡島サンって、曰く言い難い、本当に魅力的な女優ですねえ。今ごろ、惚れ直しました。三木のり平、京塚昌子、森光子共演。このとき、森光子は40才代だったのか? 森繁の嫉妬深い女房役やってます。

■1973年 恍惚の人
 8月23日掲載の「読書と音楽の愉しみ」のなかで紹介しています。

■1983年 小説吉田学校
 今回観た7本のなかで一番面白かったのがこれ。この年、森繁は70才になっていた。で、ほぼ同じ年回りの吉田茂役で登場。ホンモノの吉田をずいぶん研究したとみえ、やや体格が大きい点を除けば、吉田茂のソックリさんであります。ホンモノ同様、他の男を圧する威厳、貫禄が必要なんですが、まさにその通りの宰相ぶりで絵になってます。

筋運びの上では、前半、終戦のドサクサから講和条約締結にこぎつけるまでが秀逸で、後半の鳩山派との権力争いではややだれる。森繁の吉田茂役のほかの政治家=俳優も興味津々というか、ニヤニヤしながら観てしまうのですが、ケッサクは田中角栄を演じた西郷輝彦。なんで西郷輝彦が?といぶかりますが、あの独特のダミ声を音声の加工で再現するなど、努力はしているけど、角栄の泥臭さなんかどうにも真似できない。

佐藤栄作は竹脇無我、ちょっとハンサムすぎるけど、まあまあハマッテます。ライバルの鳩山一郎は芦田伸介、これがドンピシャ。雰囲気も最高。演技で光ったのは、池田勇人をやった高橋悦史。人相はイマイチ似てないけど、吉田の忠臣として陰でさんざん苦労する場面の芝居が秀逸です。ラストのクレジットを見たら、当時の有名俳優総動員って感じで、大力作だったことが分かります。

カメラマンにコップの水をぶっかける場面、予算委員会でムカついて「バカヤロー」と質問者に怒る場面、年配者は忘れられないハプニングが再現されます。全編、男しか出てこない絵づくりで、女優は一人だけ。それが、吉田の長女、麻生和子を演じた夏目雅子。彼女の「もう、(権力に執着する)お父さんなんか嫌い」の一言で吉田は引退を決意する。麻生和子は麻生太郎元総理の母親です。ぜんぜんイメージ合わない? まあね。
 
映画見終わってシャバに戻れば、なんのことはない、昨日今日の政局もこの30年前の映画の中身とそっくりの、裏取引、恫喝、寝返り、タレコミ・・で大混戦。看板が自民党から民主党に変わっただけで、国民そっちのけの、おぞましい権力争いが続いているのでありました。(8月4日~27日)

■この映画の熱烈なファンがいて、内容紹介のブログをつくっておられます。内閣の変遷など詳しく書いてあり、戦後の政治史の勉強になります。
http://www.tante2.com/yoshida-gakko.html

シネ・ヌーヴォの玄関  賃貸マンションの地下にあって、定員60人くらい。
九条シネヌーヴォ玄関

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大阪日暮綴

●ホンマか?・・札幌34,1度  那覇31,7度 

  新聞で昨日(8月30日)の気温表を見て、目が点になりました。札幌の最高気温が那覇(沖縄)より2,3度も高い。大阪も記録的酷暑ですが、北海道の暑さも尋常ではありませんね。札幌市民、もうヤケクソで沖縄へ「避暑」に出かけたりして(笑)

30日の札幌の平年気温は、最高気温が24,7度 最低気温が17,0度。熱帯大阪の者からみたら、羨ましくなる涼しさです。朝方の17度なんか寒いくらい。それが、昨日は最高気温が平年より9,4度、最低気温は7,4度も高い。このひどい温度差を大阪に当てはめると、最高気温は41,5度、最低気温は31,6度になり・・もう、生きてられまへん。

大阪府内で一番暑い街は、当然、大阪市だと思っていたら、実は枚方市だそうです。大阪市などで作った熱気が枚方あたりで「吹き溜まり」状態になるそうで、大阪市民は「す、すまんのう、許せ横山、いや枚方」ふう気分であります。豊中や堺も大阪市を抜くことがあります。

■大阪市の気温推移グラフ
8月1日以降、最高気温が平年値を下回ったのは一日しかない。
http://www.canacana.net/kion.htm

昨日の全国各地気温表
新聞記事 気温表

ア・ラ・カルト

●残っていました「やまなみ快道」の標識

 8月27日掲載の「やまなみ快道」レポートは篠山市と丹波市柏原町の境界にある「金山」を越える山道を歩きますが、山頂直下に快道メーカーが取り付けた小さい標識がまだ残っていることが分かりました。去年の夏この道を歩いたウオーカー「やまなみ最後のたびびと」さんが写真を送って下さったので確認できました。

この金山越えは、やまなみ快道の難所で、篠山市側は登山道も整備され、標識もあるのですが、山頂から北側は柏原町になり、暗い針葉樹林の中、かすかな踏み跡程度しかありませんでした。道標もまったく無いので、これじゃハイカーは不安で進めないだろうと思い、勝手に写真のような標識をつくり、木にくくりつけました。以後、11年、マジックペンで書いた「柏原へ」の文字と矢印は、ずいぶん薄くなってますが、まだなんとか判読できます。 このように、行政境界で道標など情報が途切れ、ハイカーが困るというケースはよくあります。(人気の高いコースは別です)

写真を見ると、標識の上で木が切られています。間伐作業にきた人が、本来、この木も伐採するべきところ、標識が無くなったらハイカーが困るかも、と気を使って残してくれたのかもしれません。
 ほかにもこの標識を利用したハイカーはいるのだろうかと、ぐぐって見たところ、花探しハイキングにきたグループがブログに書いていました。今年2月の情報です。訪問情報はたくさんあるので、このチャチな標識を信じて?延べ何百人のハイカーが、金山から柏原へ向かったかもしれない。ならば、篠山市と丹波市が話し合って、ちゃんとした道標をつくってくれたら有り難いのですが。
(注)「やまなみ快道」マップは2007年に廃版にしました。

■「森に恋して」~追入のセツブンソウ~ブログに、標識を見て下りにかかった、の文と写真があります。
http://blog.goo.ne.jp/morinikoisite/e/91e40eafcf831285e5dc283f4b6767bf

やまなみ最後のたびびとさんが撮影した標識(09年8月)
取り付けたのは1997年か8年。
やまなみ道標

プチ・ケチの研究


●水冷式より空冷式・・パソコンの熱対策

 ノートパソコンの熱対策については、2年前の「プチ・ケチ研究」にも掲載しました。下にアイスノンを置くという水冷式です。今回はもっと素直な、かつ効果てきめんの、扇風機を使った空冷式の提案です。

パソコンをテーブルの端っこに置き、横手から扇風機の風を送ります。肝心なことは、パソコンの底面にペットボトルのキャップをつけて床上げすること。これで、キーボードの上面、下面(底面)両方を冷やすことができ、冷却効果は大。底面が熱くなることはありません。ユーザーも涼しく作業できます。ヨドバシカメラに行くと、アルミの放熱板や小型扇風機など対策品を売っていますが、冷却性能とローコスト(タダ同然です)の点で、これに勝るテはないでしょう。

パソコン空冷1 

底上げ用キャップは後側に2個、前側は1個でOK、両面テープかセロテープで仮止めします。前側は置いておくだけでも問題なしです。
パソコン空冷2

扇風機の風を効率よく取り込むために、写真のようなスタビライザー(笑)をつけてみました。厚紙を斜めに垂らしただけですけど、効果ありです。
パソコン空冷3

ボディをかさ上げすると操作しにくいので、手をのせるパッドが必要です。月刊「文藝春秋」に手拭いを巻いてゴムバンドで留めれば出来上がりです。
パソコン空冷4

読書と音楽の愉しみ


●長~い、お付き合い
・・ひろしま随筆同人会

 かれこれ40年以上付き合ってるこの会から「ひろしまの風」という随筆集が出版されました。同人誌発刊50周年記念ということで、同人、会員の作品から、広島にちなんだものを選んでのせています。発行には、当会の初期から関わっておられた、児童文学作家、那須正幹さんに尽力いただき、また、同人編集者の方々のたいへんな労力の賜でもあります。

駄目男は広島出身でもないのに何で? そのワケは、家電メーカーに勤めていた20代のころ、工場の地方展開にともない、一時、広島に住んだことがあり、そのときにご縁ができたのですが、きっかけが何であったか、さっぱり思い出せない。全く、ええ加減な話です。

ええ加減に40年の付き合いで何ほどの益ありや、といえば、文章を書くのに慣れたことと言えます。といっても、会では一年に一度、原稿用紙三枚(1200字)の作品を出すだけなので、微々たる作業ですが、これぽっちの作文でも、何も書かないよりは大いに役立ちます。プライベートな手紙文とちがって、小部数でも印刷で公開され、アカの他人に読まれるという緊張感が良いトレーニングになります。

素人の趣味で書いた随筆集ですが、広島在住の方や出身の方で興味お持ち頂ければ、読んでみて下さい。駄目男の作品は「山低きゆえに面白し」の一つだけです。近日中に大阪市立中央図書館に一冊寄贈しますが、書架に出るまで3ヶ月くらいかかります。(2010年8月 ポプラ社発行 1680円)

■ポプラ社のホームページからの案内です。
http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80006880
 
■ひろしま随筆会員で東京在のOさん〔主婦〕が主宰する「ジャズ プラッツ」のブログ。多摩エリアでジャズライブのプロデュースをされてます。
http://jazzplatz.blog134.fc2.com/

ひろしま随筆表紙

★快道ウオーカーからの便り


●やまなみ快道レポート
 

■十日目 JR篠山駅 ~JR柏原駅
                 
2009年8月23日歩行

 お盆休みも無事すぎて、少し暑かったが、曇り空で、雨の気配はなかったので篠山から歩く事にしました。
 駅前から一山(丘?)越えて、川沿いを北上してダムの横を通り、桜づつみ回廊という小川の土手を歩く気持ちのイイ道を、のんびり歩いて行きました。桜の季節には人も多く歩いていると思われる快道なんですが、夏場は下草が多く茂り、足を進める度に、バッタの行きかう?ワイルドな道でした。

その後、金山越えとなり、遠くに篠山の町を見下ろし、一汗掻いた後、頂上の城跡に到着。北の方角を見ると山ばっかりで、さすがやまなみ快道という感じで、これからの道中の距離を感じました。下りの道は少しわかりにくく、草むらを掻き分け、車道に出て、夕暮れが迫りつつある中、趣のある(見覚えある)駅舎の、柏原駅へとなんとかたどり着きました。

                                        ~やまなみ最後の旅人~

山口8月篠山~柏原1 

山口8月2 

山口8月3 

山口8月4 

山口8月5 

山口8月6

大阪日暮綴


●ガス灯のある風景 
~修景進む三休橋筋~

 御堂筋と堺筋とのあいだに三休橋筋という南北の通りがあり、北端は中之島中央公会堂南側の「栴檀の木橋」に接しています。この通りの本町通り以北で3年くらい前から街路の整備が行われており、電線の地中化工事や歩道の拡幅は終わって、歩行にはかなり快適な道になりました。

この修景工事のウリはガス灯の設置です。誰が発案したのか知りませんが、文明開化の象徴みたいなガス灯が大阪瓦斯の寄付?で50基つくられました。電灯の前にはガス灯の時代があったのだと、改めて知ったしだいです。

下の写真は、重文指定の「綿業会館」前の風景。建物は1920年代のアメリカンスタイルですが、ガス灯のデザインとマッチしていて、なかなかいい風景です。全体の整備工事が完成すれば、ビル街の散歩コースとして人気が出るかもしれません。近辺に高層マンションが増えて、住民が大幅に増加していることも、にぎわいづくりに役立ちます。 

ガス灯3 

 

たなかよしゆきさんの古道紀行予定一覧

●古道紀行 おおばこの会
2010年~2011年 プランご紹介

★この企画は、どなたでも参加できます。
(参加費 500円)        
“おおばこ”の愛称をつけることにしました。その心は-踏まれ強くて、薬草にもなる。そんな人生にしたいね。 古道を歩きながら、風景や人との出会いを愉しみ、森羅万象から学ぼうというのが、この企画の目的です。
ー案内人★たなかよしゆきー
住所〒639-0253 奈良県香芝市田尻430-4
電話/FAX 0745-79-6452  携帯 090-3485-6452 
 
152回 9月19日(日)
信貴山の道―丁石道を行く―
■ 近鉄大阪線高安駅 午前9時30分集合
高安駅-教興寺-のどか村ー南畑ー朝護孫子寺ー近鉄信貴山口駅
(信貴山よりバス乗車可能)
■歩行距離約10km 高低差約280m ■弁当水筒持参 ■小雨決行         

153回 10月17日(日)
秋津洲の道-巨勢山の遺跡を訪ねて―
■ 近鉄御所線御所駅 午前9時30分集合
御所駅―吉祥草寺ー孝安天皇陵ー国見神社ー国見山ー安楽寺跡ー新宮山古墳ーJRまたは近鉄吉野口駅
■歩行距離約12km 高低差120m ■弁当水筒持参 ■小雨決行 
      
154回 11月21日(日)
百済の道ー百済の里と梵字池を訪ねて-
■近鉄大阪線松塚駅 午前9時30分集合
松塚駅ー磐余神社ー瑞花院ー百済寺ー与楽寺ー富貴寺ー近鉄箸尾駅
■歩行距離約10km 高低差はほとんどなし ■弁当水筒持参 ■小雨決行 
 
155回 12月23日〈祝)
龍王山の道ー中世山城跡を訪ねてー
■近鉄桜井線長柄駅 午前9時30分集合 
長柄駅ー竹之内峠ー竜王山城跡ー南城跡ー長岳寺ーJR柳本駅
■歩行距離約12km 高低差約450m ■弁当水筒持参
■小雨決行 (恒例の忘年会です。参加者は酒のサカナ一品をお持ち寄り下さい。お酒はこちらで用意します。飲みすぎにならないようにしましょう。)
(参考) 桜井9:04→長柄9:16  奈良9:01→長柄9:24

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2011年

156回 1月16日(日) 
業平道パート1ー古代の道 ー大和国中を横断するー
■JR桜井線櫟本駅 午前9時30分集合 
参考 桜井9:04-いちのもと9:23、奈良9:01-いちのもと9:13  いちのもと駅ー在原神社ー筒井順慶墓ー推古神社ー富本恵吉記念館-竜田神社ー近鉄竜田川駅
■歩行距離約14km 高低差はほとんどなし ■弁当水筒持参 ■小雨決行 
 
157回   2月20日(日)
西熊野街道ー五新鉄道跡から賀名生梅林へー 
    
■JR和歌山線五条駅 午前9時20分集合 
(参考)王寺8:02-五条9:02・橋本8:57-五条9:12
五条駅ー御霊神社-湯塩-賀名生梅林(バス)ー五条駅
■歩行距離約13km 高低差約250m ■弁当水筒持参 ■小雨決行 
 
158回 3月20日(日)
業平道 パート2ー十三峠をこえてー 
■近鉄生駒線竜田川駅 午前9時30分集合
竜田川駅ー石床神社旧社-福貴畑ー十三峠ー水呑地蔵ー近鉄服部川駅
■歩行距離約13㎞ 高低差約350m ■弁当水筒持参 ■小雨決行 

159回 4月17日(日) 
山城の道ー海住山寺から神童寺へー
■JR関西本線加茂駅 午前9時50分集合 
(参考)なんば8:44-加茂9:47
加茂駅ー山城国分寺跡ー海住山寺ー神童寺ー蟹満寺ーJR玉水駅
■歩行距離約13km ■高低差250m ■弁当水筒持参 ■小雨決行
 
          ☆―留意事項―☆
● 地形図、資料は参加者のみ当日に配布します。
● 古街道が国道などに取りこまれている場合には、
  できるかぎり歩くにふさわしい道に迂回します。
● 安全管理は自己の責任において、行ってください。
● 参加費¥500
● 場合により中止、変更することがあります。
☆ みなさまからいただいた参加費の大部分は世界の子供たちの生活教育支援活動や地球環境保護活動につかわせていただいています。

読書と音楽の愉しみ


●米山公啓著「認知症は予防できる」を読む

 この本を読んでる最中に、古い映画「恍惚の人」を観た。1973年、当時、ベストセラーになった、有吉佐和子の同名の小説を映画化したもの。64才の森繁久弥が84才の痴呆症老人を熱演。発症から一家大混乱にいたる病気のプロセスは、当然ながら現在のそれと同じである。映画は老人の死で終わるが、むろん、ハッピーエンドではない。

高峰秀子や乙羽信子が中年主婦役を演じてるだけでも懐かしいけれど、敢えて白黒スタンダード版で撮っているので、余計に古めかしく見える。しかし、テーマである痴呆症問題自体は、当時も現在も実質、なにも変わらないところが深刻であります。症状が進んで、壁や畳にウンコをなすりつける場面など、同症状の介護を経験した人が見たら、パニックになるかもしれない。この時代は、発症したら、なすすべがないのが実情だった。

さて、この映画から30年以上経って、痴呆症という病名が認知症に代わり、原因究明の研究が進み、予防や治療の手だても増えて、恐怖感は減ってきたように思います。認知症も糖尿病と同じように生活習慣病ととらえる見方も出てきました。

本書のタイトルは、認知症の不安におびえる人に希望を抱かせるもので、ありがたや、の気分でつい手にとってしまったのでありますが、読後「予防できる」と明るい気分になる人はいないでしょう。残念ながら、御利益は、読まないよりマシ、という程度ですね。
 認知症の研究の進み具合や家族の対応法などを総花的に解説していて、それゆえ、物足りなさを感じる。ただ、著者自身、神経内科医でありながら、自分の母親が認知症になり、介護経験をもつことから、患者側、介護者側の視点にたった考えを述べているのは評価できます。

アリセプトなど、症状の進行を遅らせる良い薬が開発されて、映画「恍惚の人」時代に比べたら、相当な救いになっているけれど、さらに有効な「治療」つまり、壊れた脳細胞を正常な状態に戻すための薬の開発は望めそうにない。かといって、100%絶望ではなく、例の大発見「IPS細胞」技術を応用した、脳細胞自体を作り直す方法が実現したら、本来の「治療」ができるのでは、ということです。もちろん、今のところ、願望のレベルでしかありませんが。

それよりも肝心なのは、タイトル通り「予防」すること。いろんなことが書いてあるけど、運動や食事など、すでに知っていることばかりで、新鮮情報ナシです。そもそも、ボケを防ぐために、運動や食事に気を使って暮らしてる人なんかいるのでせうか。たとえば、アタマの健康のためには、肉類より魚のほうが良いという説を信じて、本当は肉のほうが好きなのに、魚をたくさん食べてる人って「カワイソウ」と思ってますけど。(ちくま新書 2010年5月発行 714円)

本・認知症は予防できる

大阪日暮綴


●第20回 上方歌舞伎会公演 鑑賞
                ~8月21日 国立文楽劇場~

 歌舞伎ファン=金持ちとは限らず、自分みたいな貧乏症やリアル貧乏人もいるわけで、かようなB級ファンは、36度の猛暑ものかわ、文楽劇場にはせ参じるのであります。通うこと、今年で5年目です。
 ふだんの公演では端役しかできない役者さんが、この日は、運が良ければ主役を張れる。台詞のない通行人や捕り手役がヒーロー、ヒロインになれるので、張り切るのは当然、その一所懸命ぶりが見所といえます。

今年のダシモノは
■寿曽我対面 ~工藤館対面の場~
■戻駕色相肩(もどりかごいろあいかた)
■菅原伝授手習鑑 ~寺子屋~   の三本。

メインは「菅原」で、これは片岡仁左衛門が演技指導しています。主君への忠義のために我が子を殺す、という、常識ではあり得ない残酷物語ですが、これをお涙頂戴物語に「変換」させるところが、脚本家の腕の見せ所であります。主役の松王丸、武部源蔵、女房の戸浪から子役に至るまで、「ふだんは端役」を忘れさせる、熱演にしてバランスのとれた演技で見応えのある一幕でした。

同じ題目の文楽公演と比べたら、演技のリアルさの点で、歌舞伎のほうが観客の感情を揺さぶりやすいと、普通は思いがちなんですが、そうとは限らない。義太夫のチカラがいかに大きいか、も再認識した次第であります。

大阪日暮綴


●束芋・・をご存じですか
   
~ちんぷんかんぷんゲージツの最前線を愉しもう~

 束芋(たばいも)とは女性アーティストの名前。外国人かと思ったら、フツーの日本人でした。只今、国立国際美術館で作品展開催中です。

テーマは「断面の世代」で、多くは映像インスタレーションという表現方法で展示されています。天井、壁、床にマンガふう動画が映しだされ、なんか、意味ありげな、なさそうな音も出る。駄目男が一番面白いと思った「団断」という作品は、昔風団地の生活情景を、図面でいう断面図式に描いてあり、だから「団断」なのですが、各部屋、各家庭の日常生活を4階ぶん丸ごと見せる、という趣向です。

・・と書いても、分かりにくいですね。生活の断面を、文字通り断面図で見せる。それが動画だから面白いので、例えば、風呂上がりの裸の男が、ビールか何かを飲もうと冷蔵庫のドアをあけて、飲み物を取り出すのかと思えば、まるで部屋へ入るように冷蔵庫の中へ入って消えてしまうのであります。そ、そんなもん、何がゲージツやねん? と訊かれても困りますです。

天才と狂気は紙一重、なんて言いますが、まさに、その境目を目の当たりにするところが現代芸術の愉しさでありませう。言い換えれば、常識や固定観念にとらわれて暮らしてる石頭人間は、当然そんなゲージツを愉しむ□、いや資格がない。石頭派とは何か。世間で評価の定まった作品しか値打ちを認めない人たちのことであります。

ところで、何で「束芋」って名前なん? 答えがふざけてる。田端姉妹の妹のほうだから「束芋」やて。ええ加減にし-や。

老婆心的アドバイスを一つ・・この作品展の大方は暗黒空間で鑑賞します。昼間、明るい外光の空間から、いきなり地下の展示室へ入ると、マックラで1m先も見えない。他人とぶつかってしまう恐れあり。・・なので、地下のロビーで5分ほど休んで目を慣れさせてから入るようにしませう。転んで怪我なんかしたら、ゲージツ鑑賞どころではありません。

本展は9月12日まで。65才以上無料(要証明)9月4日は全員無料。

■束芋展の案内はこちら・・。
http://www.nmao.go.jp/japanese/b2_exhi_beginning_tabaimo.html


国立国際美術館B2のロビー。ここで眼を慣らしてから会場に入りませう。
国立国際美術館ロビー 束芋展

大阪日暮綴

 
●ビジネス街で盆踊り 
~北御堂盆踊り大会~

 夕方、本町界隈を通ったら、ビル街に盆踊り歌が大音量で響いていて、えらいミスマッチな場面。こんなとこにもお盆行事があるんやなあと、音源に向かって歩いたら、御堂筋沿いの北御堂(西本願寺津村別院)でした。

本堂の前の大階段が見物席、その下の広場に櫓を組んで100人くらい踊っています。夜店も数軒あって、盆踊りの雰囲気はありますが、子供の数が少ないのは、場所柄仕方ないか。ほぼ、大人専用盆踊り大会です。
  
■北御堂の案内です
http://www.kitamido.or.jp/

手前の像は親鸞上人像 
北御堂盆踊り1 

盆踊り2 

盆踊り3  

盆踊り4 


 

大阪日暮綴

●深江菅笠の郷を訪ねる

 東成区の深江界隈は、地産の菅を使った商品の産地であった・・と、過去形の言い方しか出来ませんが、この伝統を後世に伝えるべく、深江郷土資料館が生まれました。(7月18日オープン)
 若い頃は菅笠かぶって旅したもんや・・まさか、このブログの読者にそんな方おられないと思いますけど、四国遍路や伊瀬参りウオークでは今でも使ってる人いるから、需要がゼロではないでしょう。(案外、中国やベトナムから輸入してたりして・・)

深江ブランドの偉いところは、皇室の儀式、大嘗祭や、伊勢神宮の式年遷宮で使われる、儀式用の特殊な笠も作っていることです。こういうところへ納品しているとあれば、やめるに止められないと言う事情があるでしょう。ビジネスとしては全く採算が合わないけれど、「誇り」をもって、細々ながら継承しているのだと思います。

伝承では、祖先は、大和の笠縫氏で、その一族が菅の栽培に適した当地に移住して菅笠の産地にしたと。大和の笠縫って、なんか聞いたような名前やなあと調べたところ、現在の田原本町に「笠縫大橋」や「近鉄笠縫駅」の名称があり、拙著「太子快道」のコースになっていました。

資料館の東向かいには「角谷一圭」氏の住宅があります。この方は、三代続く茶釜づくりの名人で、父は人間国宝の栄誉を賜っています。茶釜だけでなく、伊勢神宮に祀る神宝鏡も制作しており、平成25年の遷宮祭に奉納する鏡も現在制作にかかってるとのことです。資料館には、茶釜の名品も展示されています。不思議にお伊勢さんとゆかりの深い土地です。

大阪から伊勢参りに旅立つ人は、玉造稲荷神社にお参りしたうえ、まずは生駒越えの「暗峠」を目指すのですが、そのさいに深江村で菅笠を買う。これだけでかなりの売り上げがあったでしょう。深江は伊勢街道の最初の「道の駅」だったかもしれません。

資料館は、地下鉄「新深江駅」から徒歩約10分。
土曜日、休日のみ開館で、時間も限られていますのでご注意を。」

■深江郷土資料館の案内
http://www.city.osaka.lg.jp/higashinari/page/0000083732.html

資料館外観
深江1


展示室 壁面には角谷氏の作品が並ぶ。手前は直径170センチもある
儀式用の菅笠。
深江2


同、中央部のディティール
深江3


一番身近な菅製品は、茶瓶敷きでした。
深江4


菅を乾燥しているところ。近江高島の「扇骨干し」みたい。
深江5


資料館の周辺は、わずかに昔の風景が残っている。
深江6

たまには外メシ


●シシリアン ライス
         
~堂島 ザローズ&クラウン~

 ビジネス街では500円前後のランチメニューが増えて、飲食店の競合のきびしさ相当なものですが、安い、旨いの店は行列が出来ていたりしてオジンは入りにくい。それに、回りがみんなビジネスマンやOLのなか、無職閑人のオジンが一人、黙々とメシを食う場面って、えらく疎外感を感じます。なんか、おじゃま虫が紛れ込んだような・・。

そんな雰囲気の堂島地下街の南端を出てすぐの「ザローズ&クラウン」はサントリー本社ビルの一階にあるビアレストランです。ここの一番安いメニューがシシリアンライス。スープ付きで680円なり。 十分に空いていて快適でありますが、客席をよく見ると、自分と同じような、混雑店に紛れ込む勇気がない、ランチ難民みたいな一人客が大方なのでありました。

で、味は? ご覧のようにサラダ材をライスの上にぶちまけた感じですが、ソースが家ではできないような味で、これゆえに、シシリアンなんでありませう。

■ザローズ&クラウンの案内はこちら
http://r.gnavi.co.jp/k015482/

シシリアンライス

大阪日暮綴


●トホホ・・1点差で不合格   
~大阪検定2級受験結果~

 7月8日の「大阪日暮綴」記事で、自己採点で不合格が分かったと書きました。先日、事務局から通知書が届いて点数が判明。合格点70点に対し、得点は69点でありました。これで酒場へ行く口実ができたのでございます。2級の昨年の合格率は71%でしたが、今年は17,2%。なんか、一挙に狭き門になってしまいました。順位は1319人中228位です(227位まで合格) 

自分の場合、全く予習とかしないので(正しくは、したくないので)日常的知識のみで受験するのですが、それじゃ、イカンということですか。
 しかし、合格したところで、何の旨みもないのだから、予習なんかアホらしくてする気になれない。せめて合格者に「缶ビール6本パック」とかくれたら、少しはヤル気になるんですけどねえ・・は負け惜しみか。

試験結果通知書
検定不合格通知書

閑人帳

●原爆投下から65年 ~常識の入れ替えを試みる~

その3■京都を救ったのは、H・スティムソン。しかし・・
  クソ暑いさなか、こんな地味な記事書いて、誰が読むねん、と多少は気にしつつ、いきがかり上、書いてしまいます。
 <その1>記事の中ほどで、京都人にとってスティムソンは命の恩人ではないかと軽率に書いてしまったのでありますが、原爆の使用そのものは推進した張本人なので、立派な人道主義者だと考えてはいけない。京都は救ったけど、代わりに長崎へ落としたのだから、被害の深刻さは同じです。

では、彼はなぜ京都への原爆投下に反対したのか。情報をたどってみたところ、その原資料は国会図書館にありそうだと。しかし、これの閲覧はどだい無理なので、ここは二次、三次・・孫引き資料で我慢します。

スティムソンは、京都(や奈良)は日本人の精神的支柱、心の故郷といえるような都市であろうと考えていた。もし、ここを完璧に破壊すれば、もう、ボロボロ、降伏寸前の状態にある日本人の反米感情は一気に高まり、怨恨は永遠に消えないだろう。日本人は死にものぐるいで抵抗し、終わりかけた戦争が長引くだろう。沖縄に続いて、本土上陸作戦を敢行すれば、米軍の戦死者もどんどん増え、50万~100万人に達する恐れもある。また、この「米国憎し」感情に乗じて、ソビエト共産主義思想が浸透する懸念もある。そこまでリスクを負うのは得策ではない。だから、京都には落とさないけれど、これ以上、犠牲者を増やさないために、原爆を使用し、早々に戦争を終結させる。

京都への原爆投下を進言する他の高官は、もっぱら、原爆の性能評価が分かりやすいという点で京都にこだわった。ここがスティムソンとの考え方の違いである。また、スティムソンは、ウオーナー伝説での「文化財の救済」云々に比べて、ずっと高い次元での発想から「京都はペケ」にしようと主張した。しかし、繰り返すけど、原爆の使用そのものに反対したのではなく、積極的推進者であった。

京都にとって、命の恩人といえるスティムソンでありますが、その発想のモトは、高潔なヒューマニズムなんかではなく、冷徹な合理主義、打算であったといえる。ただ、補足的なことをいえば、彼は生粋の軍人ではなく、弁護士でスタートした民間人であったこと。戦前に来日経験あるのでは、という情報もあり、ジャップ、このがきゃ~、というほど日本を敵視した人間でもなさそうだ。

スティムソンのもっとも大きな功績は、原爆の使用目的を明快に述べ、その考え方を定着させたことである、ということになっている。戦争の早期終結のために、やむを得ず原爆を使うという彼の論旨が、米国の原爆使用正当化の「公式解釈」になった。国際政治学者、中沢志保氏の論文「原爆投下決定における「公式解釈」の形成とヘンリー・スティムソン」という論文には、解釈づくりに至る経過説明があり、それに対する批判意見を紹介している。

スティムソンは、日米戦争の早期終結のファクターは「原爆と天皇」だと考えていた。原爆の威力で一気に抵抗心を萎えさせ、ショック状態のときに、天皇自らに「降伏」を宣言させる。こういうシナリオを考え、実行した。やってみたら、8月6日の原爆投下から15日の降伏まで9日しかかからなかった。この、米国にとっては素晴らしい成果が、原爆使用を正当化させるための「公式解釈」になった。たくさんの原爆と爆撃機を用意し、投下訓練を繰り返したけれど、たった9日間で結果が出たのである。原爆使用を不当とする批判論は、残念ながら、説得力を持てなかった。

この論文を読むと、スティムソンは、とても優れた洞察力を持った政治家・軍人であったと思える。ほぼ独占的に原爆を開発しながら、まだ未完成の段階で、原爆(核兵器)の製造、管理の難しさや国際管理の必要性を述べている。そして、この恐ろしい新兵器を最初に開発したアメリカの道義的責任は免れないとも言う。「技術の進歩と比べて、モラルの向上が遅い世界では、現代文明が崩壊する可能性がある」と65年前に憂慮したことが、現実味を帯びている。まさか、モラルの低い北朝鮮の核開発を予想していたのではないだろうけど、彼の「悪い予感」は当たりつつある。

閑人が退屈しのぎに書いた作文だから、クオリティは保証できませんが、三本の記事の一部でも了とした人は、何十年もストックしてきた「常識」の更新をしてもらえたら幸いです。内容の妥当性を確かめたい人は、自分でいろんな情報を引き出して、確認、補完して下さい。

さて、先日(8月6日)の広島。原爆慰霊祭にはじめて参列した米国のルース大使は、犠牲者に哀悼の意をあらわしつつも、決して「謝罪」の言葉など述べなかった。その背景にスティムソンの論文に依拠する米国の原爆使用に関する「公式解釈」があること、言うまでもない。批判は承知のうえ、公式解釈=国家の意思なのだ。

ひるがえって、何ほどの根拠もなく、信念もないまま、隣国に「痛切なお詫び」声明を発表した、日本国総理大臣の軟弱、マヌケぶりが、俄然、際だったのでありました。ホント、菅サンの無能ぶりは感動的でさえあります。

参考情報
■姫路城不死身伝説
http://www.sanynet.ne.jp/~gino/phoenixs.html

■京都大学人文科学研究所 「人文」第53号 17~18P
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/57179/1/jid053.pdf

■久左衛門の居館 ~米帝野郎~
http://blogs.yahoo.co.jp/kyuhzaemon/57929351.html

■原爆投下決定における「公式解釈」の形成とヘンリー・スティムソン
  中沢志保
http://dspace.bunka.ac.jp/dspace/bitstream/10457/62/1/001032115_04.pdf

■戦争と第七高等学校造士館  長崎原爆被爆の記録
http://www.sci.kagoshima-u.ac.jp/~dosokai/dosokai/enkaku/7kou/sensou/nagasaki_genbaku/ueyama1999/index-ueyama1999.htm

■萬晩報 ~京都を救った人物 ヘンリー・スティムソン~
http://www.yorozubp.com/0603/060313.htm

閑人帳


●原爆投下から65年 
~常識の入れ替えを試みる~

その2■もう忘れてしまおう「ウオーナー伝説」
 60才くらいから上の年輩者は、こんな話を聞いたことがないだろうか。「日米戦争の最中、米軍は日本の大都市を空襲でコテンパンにやっつけながら、一方で、京都や奈良のような歴史ある街への空襲は避けていた。貴重な文化財を灰燼にさせないためである。敵国にそんな配慮ができる米国という国の懐(ふところ)の深さを知らされた」

駄目男もこの話を信じていました。京都や奈良に住まう人たちや、歴史ファン、美術ファンはまるまる信じ、米国に感謝の気持ちすら抱いていたのではないか。信じるだけでは済まず、感謝を表す顕彰碑や供養塔まで作られたのだから、ダマされたのは無知な庶民だけではなかった。

この感動美談に近いエピソードが「なんか、マユツバやで」の情報に変わった理由は、年月を経て、軍や政府の情報公開が進んだことと、それを拡散できるインターネットの普及のせいだと思います。・・と言うことは、ネット情報に無縁の人は、この先長くダマされたままでいることになります。なぜなら、美談実はマユツバ話を広めたのは当時のマスコミであり、今さらあれは間違いでしたという訂正報道は、まずあり得ないからです。ま、今日明日の生活に何の関係もない話だから、問題ナシですけどね。

この話は「ウオーナー伝説」と呼ばれていて、ネット上ではずいぶん引用、拡散されている。ここでは、いきさつをコンパクトにまとめた京都大学人文研のレポートの一部を引用した。学術誌なので、題名とか堅苦しいけれど、読みやすい文章です。

都市の計画と京都の自己イメージの特徴 第三章  伊従 勉著
(2006年発行 「人文」第53号 17/18頁)

~ここから引用~
 
一九四五年七月のポツダム会談のさなかに至るまで、米国陸軍の航空部隊は、京都を原爆投下の最有力都市のひとつに温存しており、原爆の物理的効果を測定するため、京都を通常爆撃の対象から外していた。そのため、京都は小規模の限定的空襲を四五年の一月と六月の二度被るに留まった。

ところが、原爆投下のため通常破壊が担保されたことを知らずにいた日本に、敗戟後、世界的に重要な文化財都市を、文化財保護を理由に米軍が破壊から救ったとする伝説が、奈良や京都そして鎌倉が生き残ったことの解釈として生まれる。その事実経過を解明した吉田守男氏の調査に依れば、その伝説の発端は、一九四五年十一月の朝日新聞の記事であった。

記事に登場する、ハーバード大学付属フォツグ美術館東洋部長「ラングドン・ウオーナー」氏が、伝説の起点であった。ウオーナーが一九四四年四月以降に中心メンバーとなって作成した「戦争地域における美術的歴史的遺跡の保護・救済に関するアメリカ委員会」の文化財リストの真相は、戦争中の文化財保護を目的とするよりは、休戟時に、「枢軸国の博物館やその指導者の私的コレクションのなかから被侵略国に引き渡されるべき.損害に対する返済用の一等価値の美術品・歴史的公文書のリスト」であることを、吉田氏は明らかにした。

しかし、当時この真相を知らずにいた美術評論家矢代幸男氏は、ウオーナーと三十年来の仲であったため、ウォーナーが軍部に影響力を行使し、爆撃を抑止したとの説を記事で述べた。この憶測が誤解とは知られることなく、瞬く間に、ウォーナ一致済伝説として日本中を駈け抜けることとなった。その結果は驚くべきブームとなって、戦後史に跡を残すこととなった(詳細は吉田氏の著作を参照)。日本政府は、一九五五年のウォーナーの死の直後、勲二等瑞宝章を授与し、同年、高山義三京都市長もハーバード大学に爆撃抑止に対する感謝状を贈っているほどである。

驚いたことに、この伝説は戦後の京都イメージの起点になっている。一九五〇年十一月に公布される 「京都国際文化観光都市建設法」は、その発想の原点に、「京都は、日本文化の象徴であり、爆撃の目標から特に除外された世界平和の生きた記念像である。」という認識を置いている。爆撃目標からの除外が原爆の投下目標であった事実を知ることなく、京都の文化財が「国際的」である保証を、敗戦後日本中を駈け抜けたウォーナー伝説から得ていたのである。(以下略・引用ここまで)

この間違った情報は、後の京都の街づくりのコンセプトにまで影響を及ぼしたというわけです。では、ウオーナーはインチキ学者なのか、といえばそうではない。彼は来日して報道陣に質問攻めにあったさい、自分の手柄で文化財が守られたわけではない、と言ったらしいが、すでに「恩人」という先入観に取り憑かれてしまっていたマスコミには通じなかったらしい。あるいは、大歓迎ムードのなかで、果敢に「恩人」を否定する勇気が失せたのか。

 一片の悪意も無かったとはいえ、一番の罪作りは、美術評論家の矢代氏であり、その言動のウラ取りをしなかった朝日新聞などのメディアである。日本政府が勲章まで与えた偉人?の功績を称え、ウオーナー顕彰碑を建立した自治体や寺院の責任を問うわけにもいかない。こうして、ウオーナー伝説は日本人の常識になってしまった。嗚呼、面白悲しい伝説であります。

京都や奈良の歴史的景観や文化財が爆撃されずに守られたのは、米国の深遠なる配慮のおかげ・・と言う話を信じていた人は、早々、メモリーから削除しませう。

■奈良の観光情報を発信している人の「ウオーナー伝説」紹介
~原文のまま~(法隆寺の)南大門から西に、築地塀を右にまがり塀にそってあがっていく。木々の中にひっそりと、ウオーナー塔が現れた。第二次世界大戦の折りに、奈良や京都を爆撃しないように守り抜いたというウオーナー博士の塔だ。この方がいなければ、今の奈良や京都はなく、日本人の歴史自体がなくなってしまったかもしれない。そんな偉大な方の供養がこんなにひっそりと行われているとは・・・。

この文が掲載されているブログ「斑鳩の里山 満喫コース」
http://www.narakko.com/kankou/tatsujin/ikaruga2/

閑人帳


●原爆投下から65年 
~常識の入れ替えを試みる~

 広島、長崎での原爆被災から65年を経て、政治的なニュースヴァリューはともかく、一般国民の関心が少しずつ低くなるのは仕方ない面もある。原爆がなぜ広島と長崎に投下されたのか、なんてことに興味を持つ人はもう少数である。逆に、過去に仕入れた、間違った情報を常識と思いこんでる人がいるかもしれない。以下の三つの記事が新鮮に思えた人は、アタマの古いメモリーを削除して、この新情報に入れ替えておきませう。

その1■京都は原爆投下の有力候補地だった。
 ネットで、複数の資料を引き出して読み合わせると、少しの不整合はあるものの、米国政府トップにおける、原爆投下候補地の選定経過があらかた分かる。いろんな案が出て、相当に内輪もめがあった。日程的には、最初の候補都市選びから、投下まで三ヶ月半しかなかった。

最初の候補地は、京都と広島。この二都市は、ファンドの格付けで言えば、AAAクラス、文句なしに推薦に値する都市。次のAAクラスが横浜と小倉。予備として新潟が選ばれた。京都と広島がトップ候補にされたのは二つの理由がある。

第一の理由は、新型爆弾=原爆の破壊効果がもっとも良く表れる地形を有するから。三方を山に囲まれた京都盆地は爆風や熱線の無駄な拡散が少ない。要するに破壊や殺戮の効率が良い。一発で皆殺しが可能な地形的条件を備えている。米軍がつくった地図(略図)の中心(爆心地?)は京都御所になっている。

第二の理由は、既に空襲の被害を被っていないこと。無傷のさらっぴんの街でないと、原爆の効果の検証がしにくい。空襲のキズがあっては正確なデータが取れないというわけだ。大阪など大都市は既に空襲でボコボコにされていて、原爆投下地としては、予選で失格というわけですね。ボコボコは情けないけれど、原爆ドカンと一発よりはマシか。

あ~だこ~だとまとまらず、五月下旬になって、横浜、小倉が外され、代わりに新潟が昇格。京都、広島、新潟、となった。しかし、陸軍長官、スティムソンが「京都は、はずしてんか」とイチャモンをつけた。そして、小倉が復活した。だが、「やっぱり京都はマル、必要でっせ」という複数の高官の反論も出て、またもめる。「あかんゆうたら、あかんねん」スティムソンはごねたあげく、トルーマン大統領に直談判して、京都はペケ、の了解を取り付けた。京都市民にとって、スティムソンは命の恩人ではないか。

7月下旬、最終案として、広島、小倉、新潟、長崎の四都市に決定。長崎は「京都を外す代わりに」加えられた。広島はずっと第一候補のままだった。

原爆投下最適地という宿命的状況に置かれた広島に対して、長崎は、運の悪さが重なった。京都の代わりに原爆投下都市に選ばれた上、小倉の代わりに原爆を落とされてしまったのだ。長崎市民は、京都市民と小倉市民の身代わりになった・・という見方は適切ではないかもしれないが、状況ではそう見える。

8月6日の広島に続いて、8月9日朝、原爆を抱いたB29爆撃機は小倉上空に到達した。しかし、雲が多くて、なかなか地上が見えない。原爆は必ず目視投下すること、と厳命されているので、レーダーで目標を割り出して、という方法はとれない。小倉上空を行ったり来たりしているうちに、燃料残が心配になってきた。逡巡を繰り返したあげく、とうとう諦めて、第二目標の長崎へ向かった。しかし、長崎の上空も快晴とはいかず、雲が多い。そのうち、わずかな雲の切れ目から地上が見えた。

11時02分、長崎市松山町の上空で原爆が投下された。燃料を使いすぎた爆撃機はテニアン基地に戻れず、かろうじて沖縄に着陸した。

小倉(現在は北九州市)の人は、このいきさつを大方ご存じかも知れないが、京都の人はどうなのだろう。むろん、知ったところでどうにもならないことではあるけれど・・。京都が原爆投下候補地だったと聞いて「ひえ~、ほんまどすか~」とおどろく人も結構いるような気がする。(つづく)

読み合わせしやすいようにプリントしたWEB資料。
京都に原爆
  

読書と音楽の愉しみ

●五木寛之著「人間の覚悟」を読む

 本書を読んで、自分は五木寛之の作品を一冊も読んでいないことに気づきました。単に好みに合わなかっただけかも知れません。昔はカッコイイ流行作家だったような気がするけど、著者自ら述べるところによれば、40歳代、60才代、そして数年前の70歳代はじめに、深刻な鬱状態に陥り、抜け出すのにずいぶん苦労したとあります。

法然や親鸞の思想を拠り所に「生きるとはどういうことか」を語る、このエッセイは、必然、明るい人生論にはならず、この先の時代は暗く陰鬱になるだけ、とか、人間は生まれたときから悪業を背負っている、逃れようと思うな、とか、読者に「鬱ウイルス」を伝染させるのが使命であるかのように「諦めと覚悟」を説く。前回に紹介した白洲正子の生き方なんて、五木寛之に言わせれば「アホか、おばはんは!」でありませう。

十分に説得力もある内容ながら、こんな本を読むときはアウトボクシングの要領で、つまり、距離をとって読むことが大事ですね。「全幅の共感」をもって読めば、ウツがウツるんです。また、生命の尊厳を説くに、植物状態であろうが、生きてること自体に価値がある云々の話など、抵抗を感じる人もいるかも知れない。五木式正義の押しつけではないか、という気もする。そういう思想と現実社会との乖離が鬱の遠因になってるかもしれない。

生命の尊厳というテーマでいえば、死刑制度についてどう考えているのか、お説を聞きたいところですが、このテーマを考え続けると、五木センセイ、人生四度目の鬱に落ち込むこと必須でありませう。マジメに哲学的命題に向き合うとともに、世渡りには、少しはちゃらんぽらんに生きる、ええ加減さも必要なのですよ、先生。(新潮新書 2008年11月発行 680円)

本 人間の覚悟

大阪日暮綴


●再訪・大阪暮らしの今昔館

  前回(いつか忘れた)の見学は、平日の閑散とした時間だったので、いわゆる「ハコモノ」の見物に終わってしまいました。今回は日曜日の午後、家族連れもたくさんいたので、にぎわい感があり、スタッフの皆さん方も張り切っていました。

このミュージアム、総事業費が50億円という、今なら企画時点でペケになる贅沢なつくりです。わずか300坪ほどのフロアに江戸時代の町並みをリアルに再現しているのですが、その施工に携わった職人たちは、京都の迎賓館の建築や文化財寺社のメンテの仕事をしている人ばかりで、時代考証は学問研究の成果をふまえての正確さをモットーにしています。まがいもの、張りぼて的な造作はしないということです。

ビルの天井を空に見立てて、朝、昼、晩、と時間の推移も照明効果で表現しており、商店街とはいえ、夜の町並みの暗さもあるていど体感できます。
夏は花火まで上がるところがご愛敬。(花火の映像が壁に映ります)また、ときどき落語の席もあって、店の間で実演があります。落語には昔の商店や長屋の場面がひんぱんに出てきますが、今の若い落語家は実物の長屋暮らしなど体験していないから、この場での語りは、リアルさを体験できて、よい勉強になるそうです。「花見酒」に出てくるような、典型的貧乏長屋もあるので興味深い。

宣伝がヘタ?なせいか、客足はイマイチ伸びてないそうですが、お寺や神社だけでなく、庶民の家をも見学に値するレベルで展示していることは評価されて良いでしょう。

■大阪 暮らしの今昔館の案内はこちら・・
http://house.sumai.city.osaka.jp/museum/frame/0_frame.html


ビルの中ということを忘れさせる、リアルな町並みの再現
今昔暮らしの館1 


今昔・・2 

懐かしい「のぞきからくり」 オバチャンが「地獄極楽噺」を熱演
今昔4 

裏長屋もホンモノにこだわったつくりに。
今昔5 

共同の炊事場。奥が便所
今昔6 

ぷ~んと臭ってきそうな厠(かわや)のリアルなつくり。
今昔7 

アジア ウオッチング


●なんぼ暑いゆうても、こんなのもなあ・・・

 中国は今年も天災、人災のオンパレードの感があります。干ばつ、大雨、洪水、土石流・・に加えて酷暑にも襲われ、41度に達した重慶では、暑さのあまり、飛んでる鳥が落ちてきたという話も。ホンマかいな~。

人間も涼を求めてプールなんかに殺到するんですが、この四川省のリゾートの写真を見ると、水浴を楽しむどころじゃなくて、プールでどつきあいしてるように見えるんですが・・。この画像、もしやCG?と疑っています。

中国 プールでどつきあい? 


■引用もと「大紀元時報」
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/08/html/d13701.html

★快道ウオーカーからの便り


●♪昔のマップで歩いてます・・
湯めぐり夫婦さんからの便り

 大阪市阿倍野区のNAKANOさんご夫婦は、ウオーキングのあとの「温泉とビール」の楽しさにハマり、湯めぐりマップのコースを次々こなし、お気に入りのところへは何度も出かける、ヘビーユーザーになりました。かれこれ10年近く、温泉とアワを求めて行ったり来たり・・。これが夫婦円満のモトなら安い投資でございます。最近頂戴した便りをご紹介。

湯めぐりマップ③、届きました。ありがとうございました。      
湯巡りマップ①は、何回も気に入った場所を行くので、表紙やら ボロボロになる程です。不思議に、何度行っても必ず 道を間違えてしまう場所が有り、そのたびに、快道メーカーさんに言わなあかんなぁ~とか、自分らが間違えてるのに 二人でぶつくさ言いながら歩いてます。

8年振りに草津の甲西町、十二坊温泉・ゆららへ10月に行ってみたら、入り口に「松茸山につき入山禁止」に成ってて、でも、せっかく 来たんだからと「すみません、一切 手をだしませんので」とか言って、頑張って、ドキドキしながら温泉へ到達しました。

マップは メジャーに しても いいくらいです。幸い、夫婦が同じ趣味なのも恵まれていて、お陰でいい関係です。秋に 成ったら ③を 歩きたいと 思います。 めちゃ暑い日々ですが、頑張って 乗り切って 下さいね。湯めぐりファンのNAKANOより。(8月6日)   

■湯めぐりマップ①②は頒布を終了しました。
「湯めぐりマップ③」はコピーで少部数つくっています。
内容等については下記にお問い合わせ下さい。
kai545@violin.ocn.ne.jp

快道ウオーカーからの便り


●やまなみ快道レポート 

■九日目 JR古市駅~JR篠山駅
                
  2009年8月2日

今年の夏は梅雨明けも8月になってもする気配もなく、雨天覚悟で、行こうと思い、今日も雨の予報であったが、朝には雨も上がり、近日の傾向で、突然の激しい雷雨を覚悟してれば、後は晴れ間も覗くだろうとの事で出掛けました。

見慣れた古市の駅をスタートし、日本酒の蔵元をちらりと覗き、田んぼの真ん中の一本道になり、日差しが強いので、日よけに雨傘を取り出し、差しながら進むことにした。この道が長く、暑い道でした。
 やっとのことで篠山の駅に着き、案内所でしばし涼んだあと市内を目指し歩き出す。すると、雲が出始め、突然の雨の中公民館の前で雨宿りし、その後、今日の目的地の、お城の大きな堀が印象的な篠山の町へとたどり着きました。

町は観光地とあり綺麗に整備されていたが、人通りが少なく、夕暮れの寂しげな(落ち着いた?)佇まいでした。夕立があったとは言え、やはり暑かった一日でした。やっとこれで半分です。この調子で歩いて行きます。

                 ~やまなみ最後のたびびと~

山口8月分1 

山口2 

山口3 

山口4 

やまぐち5 

山口6おわり 


プチ・ケチの研究


けふもニコニコ <プチ・ケチの研究>(その4)

●カンパンはお好き?
      
~三立製菓のカンパン~

 カンパンと言えば、即「保存食」の文字がイメージされ、日常は食べないものみたいに思われています。しかし、駄目男はこれが好物なのでございます。甘いビスケット、辛い煎餅、油分の多いクラッカーに比べて、一番ノーマルというか、食べやすい菓子だと思ってます。保存食、貧乏くさい菓子というのは偏見です。といっても、もともと間食の習慣があまり無いので、月に一袋~二袋しか買いませんけどね。

残念ながら、菓子売り場では明らかに日陰者扱い。目立たない隅っこのほうに置かれている。売ってない店もあります。メーカーは「三立製菓」でほかのブランドを見ないところから、かなり寡占率が高いのかもしれません。小売店ではさっぱり売れなくても、災害用保存食として自治体などから継続的に受注していたら、売り上げ金額は相当大きいのではありませんか。

一方、災害が起きたら、いっときに大量の供給をしなければならないから、余裕をもった生産体制が求められる。このへんの兼ね合いが難しい。大需要に応えられず、一度信頼を失ったら、注文ガタヘリになるでしょう。

災害時に、否応なく食べさせられた。この経験がカンパンへのマイナスイメージに直結するのかもしれないが、自分は喜んでポリポリ食べます。飽きないと言う点で、煎餅やビスケットよりはスグレモノである。さらに、保存性、味、カロリー、価格、量産可能・・いろんな条件をクリアしてのカンパンです。もうちょっと見直されてもええのではないかと「プチ・ケチ研究家」は巷の片隅で主張するのであります。

でも、芦屋のマダムがこれをポリポリ食べてる場面は想像しがたい。パーティのおつまみにこれが出てきたら仰天ものでありませう。菓子の世界にも、かような差別視と格差があることに憮然たる思いを抱くものであります。「菓子権蹂躙反対! カンパン食べて明るい社会を築こう!」

■三立製菓のホームページ
http://www.sanritsuseika.co.jp/index.htm

200g入りで228円。一個で10キロカロリーあるという。
カンパン

プチ・ケチの研究


けふもニコニコ <プチ・ケチの研究>(その3)

●即席麺の本命はこれ?
    トーエー食品の <ノンカップ麺>

 即席麺の食べ方は、おおかたこの二つ・・
1・・鍋に湯を沸かして煮る。器に移す。
2・・発泡スチロールの容器に湯を注いで3分待つ。

対して、ノンカップ麺は、ドンブリに直接湯を注いで3分待つ・・式です。だから、1に比べ、鍋を用意する、洗うと言う手間が省け、2に比べ、使い捨ての容器が不要、ゴミが減るというメリットがあります。
 インスタント食品の原点に立ち返ったような発想ですが、これって、意外に商品がないのですね。ほとんどが、1又は2のタイプなので、手間がかかるか、ゴミが出るかのデメリットをもっています。

メーカーのHPを読むと、3分で麺をやわらかく戻すのに苦労したとあります。鍋で熱湯で3分煮るのに比べたらハンディは大きい。だから、麺の太さを細くするとか、試行錯誤したようです。細くしても食感を損ねたらマズイので、その兼ね合いが難しい。やや湯温が冷めるのは仕方ないが、猫舌の自分には、頃合いの熱さです。

食べてみたら、味は○です。カップ麺のスープは飲む気がしないが、これはイケます。カップ麺スープのひつこさが無いという感じです。麺が細すぎるのが気にいらん、という向きもあるでしょうが、慣れの問題でせう。そば、うどん、中華、とあって、一食約100円。メーカーから通販で買えます。店売りは生協系列店中心らしい。

職場やアウトドアならともかく、自宅でカップ麺を食するのは問題意識が無さ過ぎる。お金の無駄遣いでもある。家でカップ麺ズルズルは侘びしさの象徴みたいな食事風景でもあります。
 メーカーは年商15億円の岐阜県の中小企業。ぐわんばって、シェアを伸ばしてほしい。知名度が高まれば、ステンレスのコーヒー保温カップみたいな、フタ付き「保温ドンブリ鉢」を開発する業者も現れるかもしれない。

■トーエー食品のホームページ(通販案内あり)
http://www.toe-noncup.com/01noncupmen/

ノンカップ麺1 

プラスチック容器で食べるよりずっと美味しい
ノンカップ麺2 そば

プチ・ケチの研究


 けふもニコニコ<プチ・ケチの研究>(その2)

●卵焼き器をなんでも焼き器に

 餃子一人分、6,7個を焼くなら、大きいフライパン使わず、卵焼き器で十分代用できます。面積が小さいぶん、熱効率が良いし(ガスの節約)、油も少なくて済む。洗うのも洗剤は少なくて済み、らくちん・・と良いことづくめであります。フタはどうする? 丸い鍋ぶたをかぶせればええのですよ。焼き肉もできます。

卵焼き器でぎょうざ 

プチ・ケチの研究


けふもニコニコ<プチ・ケチの研究>(その1)

●素麺サラダ

 そうめんをつけ汁だけで食べては、すぐ飽きてしまうので、洋風味のドレッシングをかけてサラダにする。別に珍しくもないけど、パスタよりボリウムの小さいのが、オジンには助かります。ゆで時間も俄然短いから、ガス代の節約にもなりませう。野菜のほかに、ハムやゆで卵を使えば、メインディッシュになりそう。ドレッシングはいろいろありすぎて迷いますが、一番安くて量の多いヤツを買ったら、マズ~~~・・。安物買いの銭失いでした。

そうめんサラダ

大阪日暮綴


●森繁の映画50本、上映中

 西区九条のシネ・ヌーヴォで、夏休み特集として、森繁久弥の追悼特集をやってます。かれは生涯に250本の映画に出演したそうですが、そのうちの50本が大集合。1950~70年代の作品もたくさんあるので、映画好きははせ参じませう。シニアは1000円、全部入れ替え制です。8月27日まで。

■シネ・ヌーヴォの案内はこちら・・
http://www.cinenouveau.com/


森繁久弥映画

読書と音楽の愉しみ


●白洲正子著「白洲正子自伝」を読む

 この本を買った動機は、前回の「読書と音楽の愉しみ」に紹介した、山野博史著「人恋しくて本好きに」に紹介されていたから。どんなに忙しくても読みたい本の一冊だそうであります。その中で引用された白洲正子の文をここでも引用します。

 202頁「何のおかげか知らないが、だいたい私は幸せ過ぎたのだ。運が良すぎたのだ。そのような苦労は(苦労とは呼べないから)誰も本気に聞いてくれないが、世の中には苦労のない苦労というものもあるのである。まったく偏見を持たない人でないと、そんな馬鹿げた話に耳を貸してくれない。一人で悩むより仕方がなかった。そんなことを考えることさえ、思い上がってるのではないか。多くの哀れな人々を目にする度に、私のような者がのうのうと生きてるのは罪悪のように見えてきた」(引用ここまで)

苦労が無さ過ぎて悩むのであります。ああ、代わってほしいなあ。もっとも、ご本人は文中で一度ならず「私の人生は失敗と恥辱にまみれていた」と、丸出駄目子みたいなことを仰るのでありますが、ドジもズッコケも全部プラスに転換できる才能と運の良さがある。加えて、血筋と人脈の恵み。これでは不幸な女になろうと思ってもなれない。

さて、伯爵家の令嬢として育った白洲正子、どんな人脈の中で暮らしたかというと、昭和天皇、秩父宮妃殿下、財閥各家、吉田茂、吉田健一、河上徹太郎、朝吹登美子、小林秀雄、青山二郎、梅若実、三宅一生ETC・・。こういう人たちが「お友達」乃至「仲良しのおじさんたち」だった。これじゃあバカにはなれませんて。一方、スポーツもちゃんとこなして、ゴルフ、テニス、水泳、乗馬、なんでもできた。ダンスも好きだった。ただの才女とは一線を画するところであります。

6才のとき、一家は御殿場の屋敷に住んでいたが、正子は毎日眺めている富士山に突然登りたいと言いだし、だだをこねた。父は仕方なく、4~5人のお供をつけて許した。三合目までポニーにまたがり、そこから歩いて八合目の小屋につき、翌朝、ご来光を拝んで戻ってくる。6才の子供が主役の登山パーティなんて、普通はあり得ないけど・・。この体験で、正子は、あんなに美しい富士山が、登ってみたら石ころだらけで、美しくも楽しくもない山だと悟るのである。

正子14才のとき、アメリカの田舎の学校に一人で留学した。そのころ、移民法ができて日本人も規制の対象になる。心配した父親が同行し、米国の友人に相談を持ちかけた。「うちの娘のこと、なんとかなりまへんやろか」「ああ、まかしときなはれ、あんじょうしまっさかいに」と軽く引き受けてくれたその友人は国務長官だった。今なら、ヒラリー・クリントンさんですね。留学生活は4年間、異境での暮らしで、正子は一度もホームシックにかからなかった。英語は最初の半年で覚えてしまったという。白洲正子の度胸は上にクソがつくのであります。

名もなく貧しく、しみじみ暮らしてる庶民から見たら、もうほとんど四次元的世界の話であります。ただ、本書を読んで、ええし(金持ち)の回顧談という印象が残らないのは、ひとえに彼女の教養のせいであり、他者への尊敬、感謝の念が強いからでしょう。皇族や貴族と、行きずりの貧乏人や自分の使用人(女中さんなど)を同じ目線で見、喜怒哀楽をともにできるポジションを生涯持ち続けた。・・と、言うのはたやすいが、自尊心と謙虚さをベストバランスで持ち続けるのは、容易ではありませぬ。白洲正子、今年で生誕100年だそうです。(新潮文庫 平成11年発行 500円)

白洲正子本

閑話休題。歯医者の待合室で手にした「家庭画報」という、ハイソ奥様向けの雑誌のグラビアで、白洲信哉なる人の名前を見つけた。お孫さんになるそうだ。名前で検索したらご自身のHPがあったので紹介しておきます。顔はおじいさんの白洲次郎に似ています。

■白洲信哉 オフィシャルホームページ
http://www.shirasushinya.jp/

白洲次郎の父親、白洲文平(ふみひら)は、大金持ちで、伊丹に別荘を構えたときは、敷地が4万坪(甲子園球場の3、5倍)あり、私設の美術館も備えていた。その場所が、伊丹市春日丘で、廃版にした拙著「やまなみ快道」で選んだ「伊丹緑道」に沿った台地の上でした。北寄りに、コニカ・ミノルタの工場があります。あそこや!とお気づきの読者もおられるかもしれません。

■伊丹にあった父親の別荘と白洲次郎の情報が知りたい人は、こちらを。
かなり詳しく紹介されています。
http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/saihakken33.htm