●六甲山ホテル「レトワール」のディナー
某会の一泊プランで、前記、高山植物園見学のあと、六甲山ホテルへ。
夕食は企画商品「あじさいプラン」でのフレンチ。メニューを見ても、なんのこっちゃねん(汗)の面妖なレシピでありますが、なかなか美味しい料理でした。何よりボリュウムの小さいことがオジンには助かります。
山上のホテルゆえ、ハイキングスタイルで食することができ(そんな人、他にいなかったけど)、お気楽なディナーです。朝食はバイキング。帰りはリムジンで阪急六甲駅まで20分くらいなのでラクチン(6月19日)
■六甲山ホテル(6~7月)のご案内
http://www.hankyu-hotel.com/cgi-bin2/cms2/rest.cgi?hid=27rokkosanh&page=osusume&code=bJI6fRe4Id
■あじさいディナー MENU 6/1(火)~7/31(土) 7500円
★本日のアミューズ
★仔羊とラタトゥイユのテリーヌ ホテル菜園のサラダを添えて
★写真略ー茄子のスープ フォアグラ添え
★イサキのキャベツ包み 海老添え トマト風味のバターソース
★写真略ーズッキーニのグラニテ グレープフルーツルビーを添えて
★牛ロースのポピエット 赤ワインのリゾット添え ハーブ風味のソースで
★写真略ーあじさいディナー特製デザート
パン/コーヒー又はハーブティー
旧館には1929年建築当時の部屋が保存されている。
●「プチ・ケチの研究」で、人生パ~!!
いまや、珍しくない事件でありますが、鉄道会社の社員が不正乗車を繰り返し、バレて懲戒解雇・・下の共同通信記事を引用すると「JR東海社員85人が不正利用により運賃の支払いを免れた総額は25万2930円で、同社は全額を弁済させた上、4人を懲戒解雇、一人を諭旨解雇、37人を出勤停止30日、40人を同10日とするなど、既に処分された7人を含め、85人全員を処分した」とあります。
85人で25万円の被害額。一流企業の社員がこれで人生マックラになりました。懲戒解雇の人でも、不正は5万円以下と思われますが、苦労して入社した一流企業なのに、これぽっちのカネで失業の身です。軽い処分の者は、500円とか1000円のパクリがばれたのでしょう。たったこれだけで、生涯ヒラ社員確定の可能性大です。リストラのときは、真っ先に候補になるでしょう。職場でも、毎日「針のむしろ」に座る思いです。
ちょっとした出来心が動機だとしても、余りにオロカすぎる。妻子や親兄弟の衝撃、悲嘆、想像するだに酷いものがある。友人も慰める術さえなく、黙って離れていく。いや、ムショ入りしないだけマシ、という考えもできるけど、救いにならないでしょう。
電車賃の節約の方法を研究、実践し、割引チケットで外出して、無駄な買い物して帰る・・なんてのは「笑えるオロカ者」ですが、消費経済に貢献していると考えれば「正しいオロカ者」かもしれない。(何を言いたいねん)「プチ・ケチの研究」も研究テーマをよ~く考えませう。ケチンボの「事業仕分け」を誤ると、人生マックラ、地獄行きです。(6月12日)
●伏見「京町おくど 十二夜」
お付き合いで、久しぶりに伏見の街を散歩しました。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」のおかげで観光客が増え、賑わっています。もっとも、かの「寺田屋」は実は龍馬が活躍した時代の建物ではなく、後の「鳥羽・伏見の戦い」のあとで再建された旅館で・・とか、話題になりましたね。では、寺田屋さんは、今や閑古鳥啼いてるのか、といえば、いへいへさうではありませぬ。十分に賑わっています。観光客は「史実」なんかどうでもええのでございます。龍馬は寺田屋で暗殺されたと勘違いしてる人もいるくらいです。
昼食をとったのは、開業まだ浅い「十二夜」 古い民家を改造しておしゃれな和食の店にデザインされています。いかにも観光客目当ての外観、インテリアですが、当日は地元の家族連れの客が大半でした。まだ、名前が売れてないのかもしれません。ちなみに、この店、当然地元資本かと思いきゃ、実はヨソもの、滋賀県の業者です。酒蔵街にある「月の蔵人」というレストランも同じ経営者です。ムム「外資」にやられてるじゃん。
当店のすぐ南隣が、ミシュラン二つ星の「魚三楼(うおさぶろう)」と書けば、あ、あそこや、と気づく人おられるでしょう。ここでも5000円くらいでランチやってます。懐石なら2万円以上かかりそう。
店内と中庭
「龍馬御膳」2000円ナリ 豆腐は塩をかけて食べる
今のうちに龍馬で稼がにゃ・・で「龍馬鮨」登場。(竜馬通り商店街)
■十二夜の案内はこちら・・
http://r.gnavi.co.jp/c436300/
■魚三楼の案内はこちら・・
http://www.uosaburo.com/
●島内景二著「中島敦『山月記伝説』の真実」を読む
終戦後から今日まで、多くの中学、高校の教科書に採択されている「山月記」の裏話・・というには深刻なドキュメントです。もっとも、駄目男自身は教科書で読んだ記憶がなく(忘れたのか)本作品を読んだのは40歳くらいだったかもしれない。
この作品が何故多くの教科書に載せられているのか、の疑問解きが本書の核心です。答えを言うと、山月記の主人公、虎に落ちぶれた李徴は中島敦自身、李徴の旧友で出世した政府高官が釘本久春など、一高、東大時代の友人だった。この作品は、中島から釘本たちへの惜別と哀願のメッセージであった・・ということです。
作家としての自信や自尊心は満々の中島であったが、現実には鳴かず飛ばずの無名小説家に過ぎず、持病の喘息はだんだん悪化するばかり。しかし、30歳を迎えるころにようやく文壇で評価されはじめ、作品の出版が進みだしたとき、もう余命いくばくもない身であった。
この場に及んで、己の性格の悪さや高慢ちきを反省しても間に合わない。だが、このまま死んでしまうのは余りに無念だ、悔しい。せめて、中島敦という作家が存在したということくらいは伝えたい。勝手なお願いだけど聞いてもらえないだろうか。
平たく書けばこのような意味、裏事情をもつのが「山月記」です。そして、中島(虎)に懇願された相手の一人に釘本久春(政府高官)がいた。釘本は中島と違い、勤勉な立身出世型の人物。東大卒業後、文部省に入り、トントン拍子に出世して「高官」になる。その立場を利用して(ここんとこ、ビミョー)中島の願いを叶えるべく、教科書に掲載する。もちろん、それは二義的なことで、なんといっても作品自体のすばらしさが推薦の第一義です。こうして「山月記」と中島敦の名は日本文学史に永久に残ることになりました。メデタシ、メデタシ。
・・にしても、生身の中島敦は33年の生涯をB級人生で終えた。不幸な生い立ち、境遇は同情に値するけれど、自己責任のウエイトも大きい。本書には巻末に「山月記」全文が収録されているので、懐かしいと思った方はご購読を。新書版でたった12頁の、短くも素晴らしい作品です。
書き出しは、こんな具合です・・・
「隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賎史に甘んずるを潔しとしなかった・・・」 思い出しました?。(文春新書 2009年10月発行)
■中島敦の伝記・作品
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E6%95%A6