ア・ラ・カルト

●日本で一台きり? 醤油の自動販売機

 兵庫県たつの市の観光エリアを歩いていると、写真のような自販機に出会いました。醤油ともろみが買えます。メーカーは地元のカネヰ醤油。こんなの他には無さそうな気がします。おみやげに「もろみ」を買いました。140グラムパックが二ツ入りで400円ナリ。

電気式しょうゆ もろみ販売機
醤油 

もろみ 

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読書と音楽の愉しみ

●曾野綾子著「最高に笑える人生」を読む

 曾野綾子の作品はたくさん読んだが、全部エッセイ。これもそうです。したたかなリアリストにして、敬虔なクリスチャンというキャラクターが魅力で、新聞、雑誌などでも文を見つけるとつい読んでしまいます。かなり長いあいだ「日本財団」の会長を勤めたことはよく知られていますが、こんなギャンブル団体の親分をよくぞ引き受けたもんだと、マユにツバした人も多いはず。自分もその一人です。

けっこうズケズケとした物言いもするから、ファンも多いけど嫌う人も多いのではと思います。しかし、数年前?はウツに落ち込み、しばらく活動しなかったのだから、ズケズケ物言いにして傷つきやすい面もあるのでしょうか。今年80歳になるはずですが、もうチョットがんばって、さらなる辛口エッセイを書いてくださいまし。
  本書の中から「一輪の赤いバラ」の一部を紹介します。

 略・・人間の生き方は、できるだけ目立たないほうがいい。人類が発生してからどれだけ経つのか私には考える気力も知識もないが、その間の夥しい死者達が生きて力尽きたその方法は、大河のように自然なものであった。その偉大な凡庸さに従うことが、実は人間の尊厳でもある、としみじみ思うのだ。

 ことに老年にとって「目立たないこと」は明らかに美徳と言ってよい。私は毎年、障害者や高齢者を含めた外国旅行をしているが、その中で性格のいい人と健康な人は、瞬間的に目立たないものだ、ということを発見した。身勝手な人(私もその一人だろう!)や体に故障のある人は、グループの中ですぐ目立つのである。だから八十代九十代の人で(ほんとうにその年頃の方が、今まで何人も旅行に参加したのだ)健康な人は、グループの中で、遅れもせず、階段の上り下りに危険を感じさせないから、とにかく目立たないのである。後からじんわりと、これは凄いことだ、と思うだけである。

 誰でも、たとえ心にどんな悲しみをもっていようが、うなだれずに普通に背を伸ばして歩き、普通に食べ、見知らぬ人に会えば微笑する。それこそが、輝く老年というものだ。馬齢を重ねたのでないならば、心にもない嘘一つつけなくてどうする、というものだ。この内心と外面の乖離を可能にするものこそ、人間の精神力なのだろう。それは雄々しさと言ってもいいかもしれない。・・ 以下略 (新潮文庫 2004年発行)

曾野綾子エッセイ

ア・ラ・カルト


●足湯つくってアシがついた・・お粗末話

 矢田丘陵は榁ノ木峠の西側、国道308号沿いに生駒市がつくった足湯施設があって誰でも利用できます。休憩所やトイレもあるのでハイカーには有り難い施設です。雨模様の平日の昼過ぎ、足をつけながら、・・・ん? これって、もしやあの足湯のこと? と思い出したので、帰って検索したらカンは当たっていました。

生駒市の市会議長が新潟県の業者に5355万円でこれを作らせ、400万円の賄賂をせしめていたのです。いい湯だな、なんて、ゆうてる場合か。しかし、生駒市民の怒り心頭に達し・・なかったのか、廃止されずに使われています。汚職事件つきの温泉施設ってことで、なんだかなあ~。

議長はもっと大きい規模のワルを市長と共謀し、バレて二人とも逮捕されて実刑判決と罰金刑を受けたところです。齢70に至ってムショ入りというミジメな晩年。市民にとっても足湯は「負の遺産」でしょう。安くはない維持管理費はゼーキンで賄われます。

この温泉の名前が「歓喜乃湯」というのもムカつく(又は笑える)ではありませんか。生駒市民には「懺悔乃湯」がふさわしい。利用するほどに、足は癒されるけど、頭にはストレスの溜まる妙な温泉でございます。

生駒足湯

 

■裁判を伝える記事
 2009-04-17
公園用地汚職、元生駒市議会議長に実刑判決

asahi.com:朝日新聞のニュースサイト
奈良県生駒市の公園用地取得や足湯施設建設をめぐる汚職事件で、背任と2件のあっせん収賄の罪に問われた元市議会議長、酒井隆被告(67)に対し、大阪地裁は16日、懲役3年6カ月(求刑懲役5年)の実刑判決を言い渡した。わいろ相当額の追徴金は求刑通り1400万円とした。無罪を主張していた弁護側は控訴する方針。

 西田真基裁判長は公判で、酒井元議長が捜査段階で容疑を認めた内容の供述調書について「任意性に疑いがある」として検察側の証拠調べ請求を却下した。だが判決では、公園用地取得事件の背任と加重収賄の罪で実刑判決を受けた前市長の中本幸一被告(72)=控訴中=らが元議長の関与を認めた捜査段階の供述調書には信用性があるとし、元議長を有罪とする根拠とした。

 判決によると、酒井元議長は03年、奈良市の建設会社側が所有する山林を公園用地として買い取るよう中本前市長に依頼。この山林を1億3480万円で市側に購入させて同額の損害を与え、売買に協力した謝礼として建設会社側から1千万円を受け取った。05年には、市発注の足湯施設建設をめぐって受注会社側から400万円を得た。

ア・ラ・カルト


●団菊祭五月大歌舞 鑑賞   
松竹座

 東京の歌舞伎座が建て替え工事で閉鎖されたため、大阪で興業の機会が増える。その第一回がこの「団菊祭」 団十郎と菊五郎のコラボというわけです。今回は花道そばの席で見物。

ダシモノは最初が「本朝二四考」から十種香、これって一番退屈な部分で、ミーハーの駄目男にはぜんぜん面白くない。なんでこんなものを撰んだのでせうね。続いて「京人形」左甚五郎役が三津五郎、京人形が菊之助。名人、左甚五郎のつくった大夫の人形が、あまりに良くできたので人間のように動き、踊り出すという趣向。今なら人間そっくりのロボットが踊る場面。今回の演出は人間そっくりさんの動きが大半で、ぎこちない、しかし面白い人形の演技が少なかったのが少し残念。

三つ目が「髪結新三」(かみゆいしんざ) 尾上家のオハコだそうで、何代も継承されて演技が練られ、いわゆるブランド化されたダシモノ。新三はむろん菊五郎、対する下町の親分役が団十郎、長屋の家主が三津五郎という配役。二時間以上かかる長編世話物です。この男達、みんな銭ゲバで、娘の誘拐に絡む金をなんとかせしめてやろうと悪知恵の出し合いをしますが、一番若くて威勢のいい新三が最後はずるがしこい家主にやられて一攫千金の夢がパーになります。はじめはシリアスドラマ、だんだんコミックになるところがこの芝居の楽しさでしょう。

季節は春、「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」この三点セットが舞台でさりげなく、仰々しく披露されます。(五月二五日)

歌舞伎 団菊祭 


プチ・ケチの研究

●温水便座の解体

 小人閑居して不善を為す・・・不善かどうかはともかく、閑居の身を生かして、ベランダに放置してあった便座をバラしてみました。テレビやラジオなどは解体しても面白くなさそうですが、便座はメカ部分があるのでバラしがいがあります。

1990年に購入した松下電器製品。この時代、すでに温水便座はそこそこ成熟商品でした。現在の商品との一番の違いは温水タンクの有無ではないかと思われ、当時は全部貯湯タンク付きでした。だから、現在の商品に比べてタンクのぶんだけ、かさばっていました。また、タンクで常時温めてある湯を洗浄に使うので電気代がかさんだわけです。現在は電気式の「瞬間湯沸かし」で温水にするので電気代が節約できる。年間消費電力は半分とか三分の一になってるはずです。

裏蓋を外してみて、こんなにややこしい構造なのか、と少々驚きました。外したビスは大小100本くらいあったかもしれない。予想外に時間がかかりました。家電回収システムでは2000円くらい請求されますが、作業手間を考えると、高額とは言えない気がします。駄目男のように通販で便座を買った人は、古い便座の処分に困りますが、バラシには道具が必要ですので、道具の無い人はマネしないでください。

裏向けてカバーを外したところ。20年間、故障無しでしたが、今年はじめにポックリ死。
温水便座1

スイッチ操作など、コントロール部分の内部
温水便座2

貯湯タンクは分厚い耐熱製の樹脂でできている。逆コの字型の金属棒がヒーター、左、横向きの小さい金属棒はセンサーかもしれない。
温水便座3

シロッコファン付きのモーターが二つ。手前大きい方は温風用、奥は脱臭用と思われる。他にノズル動作用などの小型モーターもあります。
温水便座4おわり 


 
 

読書と音楽の愉しみ


●最近の演奏会から・・

大阪フィル第438回 定期演奏会 
           
5月21日 ザ・シンフォニーホール

プログラム
■ムソルグスキー 交響詩「はげ山の一夜」
■ラヴェル 組曲「クープランの墓」
■ムソルグスキー(ラヴェル編曲)
 組曲「展覧会の絵」   指揮・・イオン・マリン

たまにはこんな楽しいプログラムもなくては・・。
 「はげ山の一夜」ナマで聴くのは何十年ぶりか、というくらいご無沙汰の曲です。この曲の初体験は、嗚呼懐かしい、W・ディズニーのアニメ映画「ファンタジア」でありました。自分にとってはクラシック音楽開眼になったと言ってもよい素晴らしいマンガ映画でした。ストラヴィンスキー「春の祭典」もこの映画で初めて出会った曲、恐竜がどたばたするシーンがこの曲でした。この映画、3Dに作り直して、再度公開してくれたらええのになあ・・。 とかなんとか書いても、ファンタジアを知ってる人って、もう恐竜なみに絶滅世代かもしれませんね。(アイマックス版という新版はあったらしい)

「展覧会の絵」 昔、プロのオケでも十分に下手くそだった時代、曲の出だしのトランペット・ソロで音を外す率が5割くらいありまして、聴衆は固唾をのんで、気の弱い駄目男なんか、もううつむいてしまって「けふは、はずしませんやうに、神の加護を」と祈ったくらいでありました。
 アマのオケなんか、堂々とでんぐりかえって、椅子から転げ落ちそうになるのがスタンダードでございました。アマ・オケでこの曲の名演などあり得ないと言ってもいい。というより、もうこんな曲は選びませんね。

7曲目?にサキソフォーン(テナーサックス)のソロのパートがあって、これも難儀でございます。クラシックにサキソフォーンなんか滅多に登場しないから奏者は場数をふんでいない。おまけに、消え入るように吹き終わったあとが全休止符、つまり数秒間の無音(余韻)を演出しなければならない。最高にデリカシーを要求される場面。管楽器で長い余韻を生むのはハイテクが要ります。この日の演奏は上出来でした。聴く楽しみはむろん、客席から演奏を見る楽しみも十分ある曲です。

アレンジの天才、ラヴェルのイケズぶりを存分に楽しめる演奏会でありました。イオン・マリンという指揮者、人気が高まる予感。名前が覚えやすいだけでもトクです。

■大阪フィルのホームページ
http://www.osaka-phil.com/


たまには外メシ


●日本一格式の高いバー? BAR SOU瑜伽神社店 

 前記展覧会の帰り道、なら町はずれのバー「SOU」へ寄りました。カテゴリー「下戸の止まり木」で案内している、難波SOUの奈良店です。 写真でおわかりのように、こんなスタイルの店は日本中で一軒きりかもしれませんね。なにせ、玄関ドア開けるまえに鳥居をくぐらねばなりません。店は神社の境内にあるのです。

なので、客は玄関入ったら、まず、二礼二拍手一礼・・・は、ウソですけど。要するに、オーナーの意図するコンセプトはこの神聖な空間にふさわしい、オーセンティックなスタイルのバーであります。ならばインテリアはどんなん? 気になるところですが、それは行ってのお楽しみ。(5月20日)

■BAR SOU 瑜伽神社店(0742-22-6766)
カウンター席7名+座敷4名。値段はカクテルが1000円前後、場所は奈良ホテル南東200mの瑜伽(ゆうが)神社境内。近鉄奈良駅から徒歩15分くらい。
営業時間13:30~22:30 不定休。境内安全管理のため、日没後は門扉を閉じます。インターホンで来店を告げて下さい。(当店は会員制ではありません。観光客歓迎だそうです)

■神社の案内はこちら・・・
http://t-isamu.web.infoseek.co.jp/kosyaji-5.htm


BAR SOU  瑜伽神社店・・の、どこがバー?
SOUなら支店 

SOU 

SOU 

SOUなら おわり 

ア・ラ・カルト

●見応え十分「大遣唐使展」 奈良国立博物館

 混雑を嫌って、雨模様の平日の午後3時入館、を意図して行ったら、予想通り空いていました。自分みたいな歴史オンチに近い者でも、展示のスケールや中身の濃さは十分感じ取れる、素晴らしい展覧会です。

展示物件のうち、国宝が41点、重要文化財が87点(リストによる)という役者揃いぶりをみてもレベルの高さが分かります。もし、遣隋使や遣唐使という文化輸入プロジェクトが無かったら・・今日の日本の地位はなかったかもしれない。のべ数千人のプロジェクトチームが命がけで渡航し、文物を持ち帰った、その過程と成果が分かる展示です。

一番人気が高い?「吉備大臣入唐絵巻」は、現物とは別の場所で大型のデジタル画像による展示がされており、内容が分かりやすくなっています。
 この絵巻を見た人の中には、かの国宝「信貴山縁起絵巻」を思い浮かべる方もいるのでは、と思いました。吉備大臣が魔法で空を飛ぶ場面は「飛倉」の絵の感じと非常に似ています。決して楽しい場面じゃないのに、なんとなくユーモラスなところも。この傑作がボストン美術館蔵というのはなんとも残念至極ですが、ま、見ることができただけでもシアワセです。

ふだんは常設展示室になっているスペースが第二会場になっていて、密度はこちらのほうが高い。仏像からアクセサリーまで国宝級がずらり。菅原道真愛用の小刀やベルトの飾りなんてのもあって、神様以前の人間道真を彷彿とさせます。ところで、この遣唐使プロジェクトは、彼の「もう事業打ち切りにしません?これ以上続けてもムダやと思います」の進言で終了になりました。そうか、菅原道真って平安時代の「事業仕分け人」だったのですね。

司馬遼太郎「空海の風景」を読んだ人は、空海や最澄の事績をもっと見たいと思うでしょうが、ここでは地味な扱いです。むしろ、空海や最澄以外にもこれだけ多くの優れたメンバーがいたということを認識させてくれる展示と言えるでしょう。そんな地味メンバーの一人である、大阪府藤井寺市出身といわれる、井真成(せいしんせい)の墓誌もあります。36歳で客死した彼の無念を代弁するような哀切感あふれる文章が刻まれている。ま、当時のごく普通の社交辞令という見方もありますが、印象深いものです。

展覧会は6月20日まで。チケット1400円。スイスイ見られても2時間はかかります。

■大遣唐使展の案内はこちら・・
http://kentoushi.exh.jp/


奈良国立博物館 正面  近鉄奈良駅から徒歩15分
奈良博物館 



★快道ウオーカーからの便り

●やまなみ快道レポート 

■五日目 JR三田駅~JR新三田駅  
                    
2009年5月10日

 ゴールデンウィークは、雨が続き、やっと晴れたので、久しぶりに歩く事にしました。相変わらず昼から歩き、日差しが強く暑い一日でした。
 三田の駅から山の手のほうに快道は進み、有馬富士を目指します。遠くから見るとカッコイイので山頂まで登り、少しコースから外れますが向こう側に下りて、ダム湖のほうから広野の駅に出てきて、新三田の駅まで戻りました。少しだけ山にも登れ、よく晴れた気持ちのいい一日でした。
                                          
~やまなみ最後のたびびと~

やまなみ5月 

やまなみ5月 

やまなみ5月 

やまなみ5月 



閑人帳


●無責任・不親切道標

 山道で出会う道標は大切な情報ポイント。しかし、中にはええ加減な表示の道標があってハイカーを迷わせます。下の写真の立派な道標は、矢田丘陵の中央部にある矢田峠に建っています。これのどこがアカンの?と思う人が多いでしょうが、アカンのですね、これが。

山の中で道迷いして困った経験のある人なら納得して頂けると思いますが、迷ったときの不安、恐怖感は「目的地が見つからない、方向が分からない」からではなく「現在地が分からなくなった」からです。自分が今、どこにいるのか分からない・・これが怖いのです。ま、道標完備のハイキングコースばかり歩いてる人なら、こんな経験はしないのでピンとこないかもしれませんが。

で、何を言いたいのかといえば、矢田峠のような道の分岐点、クロスするところでは「ココは矢田峠」という表示が一番大事なのです。ココがどこなのか表示せずに「アッチは何々」と言われても位置や距離感がつかめないでしょう。ココを確認した上でのアッチです。

この道標にはココの表示がない。アッチだけ記されています。だから、これはまずいで、と気がついたハイカーがマジックペンで縦の柱に「矢田峠」と書き込んでいます。本来、ルール、マナー違反ですが、これは正しい違反?です。道標を建てた人(組織)のミスを訂正しているのです。
 なぜ、こんなミスがおきるのか。設置する側に山歩きの経験者がいないからでしょう。お役人や職人など、シロウトの計画、制作で設置するからこんなミスが起きる。利用者の身になって・・の発想がない。

イチャモンついでに書けば「乙田」という表示も不親切。丘陵の西側、生駒市の町名ですが、この名を知ってる人は、地元のごく一部の人だけでしょう。たいていのハイカーは乙田ってどこ?と思うはずです。正しくは 乙田(萩の台駅)方面 と書くべきです。これも利用者の身になってという発想がないための不親切です。

矢田丘陵は県立公園になっていて、道も道標もよく整備されています。しかし「公園」をイメージしてはじめて訪ねた人は結構まごつくと思います。たくさんのコース、道がありすぎて迷ってしまう、贅沢なつくりの公園です。

不親切道標 

泣かせます・・大阪昔風景画集


●泣かせます ~大阪昔風景画集~
     ~野村廣太郎「明治・大正 大阪百景」から~

■その6・・北新地本通りの今昔
原画・曾根崎新地の瓦斯燈屋(明治時代)
 曾根崎新地は、明治42年の「天満焼け」と言われる大火事で壊滅した。そのとき出た火災の残骸、廃棄物の捨て場がなく、川へドカドカ投げ込んだため、川は埋まってしまった。こうして蜆川(曾根崎川)はあっけなく姿を消してしまう。
■天満焼けの被災状況の説明。焼失家屋11,000戸、空襲以外では最大規模の火災。
http://www.eonet.ne.jp/~otora/page172.html

  原画は、火災後に再建された新地の風景。夕焼け空の通りで「瓦斯燈屋」が一軒ずつ灯をつけてまわってる様子を描いています。良き時代の京都の町並みと変わらない情緒たっぷりの風景です。夜が更けてひっそり静まった通りに、新内流しの哀調たっぷりの三味線の音が近づき、遠ざかってゆく・・たまりませんなあ。
明治の北新地

瓦斯燈職人の仕事の様子をアップで分かりやすくしました。
北新地クローズアップ


現在の風景
 商売の中身はさほど変わらないのですが、情緒もクソもない、無味乾燥の町並みです。この新地本通りだけ電柱の地中化工事が済んで、以前よりは猥雑さはマシになったけど、どう見ても美しくはない。しかし、日が暮れると、がらりと雰囲気変わって、なにやら楽しげな街になるのでございます。昼と夜のコントラストが大きい。ミナミとの違いはこれですね。

写真の通りの右手、雑居ビルがぎっしり並んでるところが蜆川の南岸になります。川は手前から向こうに流れ、四つ橋筋に出会ったところにかかっていたのが桜橋。桜橋って交差点の名前とちがいまっせ。さらに進んで、前回案内した出入橋のある堀川とクロスしていました。前方の高層ビルはリッツ・カールトンホテル。
今の北新地 

泣かせます・・大阪昔風景画集

●泣かせます ~大阪昔風景画集~
     ~野村廣太郎「明治・大正 大阪百景」から~

■その5・・大阪駅の今むかし
原画・2代目大阪駅(梅田ステンショ 明治時代)
 
 明治時代の大阪駅はこんな建物・・なんか別世界の風景に見えます。この駅舎は2代目で、いかにも文明開化ふうのデザインです。
 ちなみに、初代は1874年(明治7年)に田んぼの中に開業。この2代目は1901年(明治34年)開業で、駅前を市電が走っていますが、貨物運搬はまだ荷馬車や大八車がメインという感じ。

駅の北側はまだ田園風景でした。キリンビールはもうあったのですね・・。
駅前にずらりとタクシーが・・ではなく、人力車が客待ちしています。
明治画 大阪駅 

プラットホームの左側は現在の環状線の位置なのかもしれない。遠くの駅舎の右手に陸橋が見えますが、これと同じものが現在の大阪駅でつくられています。下の「現在の風景」写真の一枚目をご覧ください。斜めの大屋根のあるものと、手前の トラス構造の陸橋がそう。110年目に復活ってわけです。
明治画

「出入橋」は残っている
当時、貨車はあったが、大きなトラックが無かったので、貨物は駅の西よりの堀で舟に移し、堀川で堂島川へ出て運んだようです。その堀川にかかっていた橋の一つが「出入橋」 ラジオの交通情報なんかで「梅田の出入橋ランプ付近で渋滞・・」なんてアナウンスをよく聞きますが、本当に「出入橋」という橋があったのです。堀川で堂島川へ出入りするから出入橋。

現在は?・・おお、出入橋は残っていました。川は埋め立てられたけど、橋はベタな地面に残っています。路面は石敷き、欄干も石製、重厚なデザインです。通行人はなんの興味も無さそうだけど、川のない橋は健在でした。橋のすぐそばに、きんつばの老舗「出入橋屋」の店があります。橋なんか知らんけど、このきんつばは知ってるで、の方多いかもしれません。

地べたに橋がかかってるって・・けったいな風景ですなあ。
出入橋 

高速道路を「車の川」としたら、なんか天地が逆さまになったような気がして・・。
出入橋 

しばりいで・・とちゃいまっせ
出入橋 

車道なのに石敷きのデラックス道路です。
出入橋 

けっこう有名らしいです。
出入橋きんつばや

現在の風景
さて、現在の大阪駅は4代目、アクティ大阪として改築されたのが1983年でした。
ということは、いま、30歳くらいの若者は3代目の駅の姿を知らないのですね。3代目は1940年(昭和15年)に開業。箱形の無愛想なデザインの、取り壊されても惜しむ気にならない駅舎でした。もっか、駅は大改築工事中なのはご存じのとおり。来年には完成するそうですが、おそらく5代目とは言わないと思います。

阪急グランドビルから見た大阪駅。改築工事が完成すると、駅プラットフォームの上を往来できます。明治時代の設計に戻ります。
明治画 

参考・・初代の大阪駅。陸橋(跨線橋)がありました。(1874年開業)
大阪駅初代モノクロ

右手、クレーンのあるところが大丸百貨店の増築部分。
左手前の白い建物は阪急百貨店のオフイスタワー。
明治画 大阪駅 


アジア ウオッチング


●ちょっとした違い
 久しぶりの「アジア ウオッチング」です。

日本の家=蛇口をひねったら、ミズが出てくる。
中国の家=蛇口をひねったら、ミミズも出てくる。

 ま、一文字多いだけの違いでありますが、キモチワリイー・・。でも、こんなことは事件でもニュースでもなく、中国では「日常」でありますから、シナの肝っ玉母さんはミミズも一緒に炊き込んでダシにしてるかもしれませんね。

中国では野菜にたっぷり農薬がかかっているので、野菜専用洗剤をいれた桶に一晩つけておくとかするのですが、それに使う水道水にミミズやヒルが混ざってるのであれば、何をかいわんや、であります。ユーウツ。

水道水なんか飲めたもんじゃないと、ペットボトルの水を飲む。しかし、それが普通の、つまり汚い水道水をフィルターでゴミを取っただけの水で、業者が大もうけ、という話も「日常」であります。
ここから引用。

■蛇口から水ミミズ 60%の都市の飲用水に問題=中国
 【大紀元日本5月15日】高層ビルが並ぶ中国の大都市では、ビルの給水施設に水を貯水して、パイプを通してから各戸の水道口に流すという「二次供水」の形式がメーンである。上海など大都市では60%の飲用二次供水に衛生問題が存在し、水道の蛇口から出る水に肉眼で見える不純物、更に水ミミズなどの生物が混じっていると多くの市民が訴えている。中国メディアが伝えた。

 上海康城、春申景城、天山河畔花園、東方城市花園など多くの団地住人がネット掲示板上で水道水の不純物、赤虫のような生物或いは異臭などの問題について議論している。上海のある90年代に建てられたマンションはコンクリートでできたタンクを使用しているが、水質に対する苦情が出たため屋上にあるこのタンクを調べたところ、苔や鉄サビだらけだったという。

 また、広州市民と住宅区のビル管理部門、各清掃会社によると、一般的に水道管から流れ出てくる赤虫や水ミミズの類についての苦情は毎月10件以上。これらは死んでいたり、生きていたり、様々。時には驚くほどの数が塊で発生するそうだ。

 水道水の問題を討論するある住宅区の掲示板上で、水にウマビルがあったという書き込みもある。あるネットユーザーは水質が良くないため浄水器を使用しているが、数日でフィルターが黒くなるとフィードバック。

 上海市衛星監督所産品衛生監督課の応亮副課長は、水の中に不純物が確認できるなら、間違いなく衛生基準に適合しておらず、飲用には出来ないと指摘している。また、上海水産大学水産養殖学科の王武介教授は、水ミミズの出現は水道水がすでにある程度汚染されている事を証明していると説明した。

 二次供水の水源汚染は、通常タンクが清潔でないために起こるものと考えられている。各都市には関連の規制が存在するが、これについて監督する部門はない。上海市にも二次供水用タンクの衛生管理についての規定があり、違反すれば罰金を科せられるのだが、実際は執行されていないようだ。(翻訳編集・坂本)

ソースはこちら。
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/05/html/d39535.html

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ミミズどころではない、ダイレクトに有害物質が入った水道水もある。                                              

■水道水で中毒発生=河北省
 【大紀元日本3月24日】河北省邢(けい)台市寧晋県の村で17日、水道水による中毒事件が発生した。中毒症状の深刻な村民5人がすでに確認されているが、被害者全員の人数は把握できていないと地元の鎮政府は伝えている。

 「河北青年報」によると、被害にあった趙平邱北村に住む孟さんは、16日晩に急須に溜めておいた水で翌朝お粥を作ったところ、塩辛いことに気付いた。孟さん夫婦は食後間もなく目まいや吐き気に襲われ、唇が紫になるなどの症状が現れたという。

 当初、孟さん夫婦は風邪の症状だと思い、あまり気に留めていなかった。午後になって、他の村民にも同じ症状が現れたことを知り、2人は急いで寧晋県の病院へ行った。その後、孟さんが食べ残した粥を食べた犬が、18日に死んでいたことも判明した。

 病院側の説明によると、検査を受けた村民のほとんどが亜硝酸塩中毒だった。地元の鎮党委員会副書記は、一部村民の家の水道水の中から亜硝酸塩が検出されたと伝えている。(翻訳編集・坂本)

ソースはこちら・・・
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/03/html/d83597.html

読書と音楽の愉しみ


●楡周平著「衆愚の時代」を読む

 世論や多数派の意見は常に正しいのか、「国民の目線」や「弱者の視点」の怪しさに気づかねば・・。で、本書の帯広告には「国民の皆様が国を滅ぼす」と訴えているのであります。

読んで見れば、週刊誌のコラムなんかと変わらない、通俗的「目線、視点」で書かれてあって、分かりやすいけど物足りないというのが感想。作家とて人気稼業であるから、読者かもしれない世論や多数派にどこまで楯つけるかをおもんばかりながら書かねばならない。ここんところが難しい。

民主党政権を誕生させたのは衆愚の皆様であると書きたいところ、それではあまりにストレートすぎるので、適当に中和剤も入れ、味付けを薄めてあります。衆愚とて大事なお客様です。

マスコミ報道に同調し、世論に付和雷同し、自ら学習する意欲も能力もない人たちを衆愚というなら、有権者の半分以上は衆愚でありましょう。著者が如何に嘆こうと、いつの世も、国家は、国民の皆様=衆愚に支えられている。楡さん、衆愚読者でスイマセンです。(新潮新書 2010年3月発行)
 
本・衆愚の時代

★快道ウオーカーからの便り

 やまねこさんから4ヶ月ぶりに「さざなみ快道」レポートが届きました。空白期間が長いのに、マイペースでこつこつ前進される「やまねこ」流に敬意を表します。さざなみ快道レポートは、もう一人MM子さんからも写真付きのレポートを寄せて頂いてるうえ、現在の歩行エリアが同じようなところなので、ややこしいかもしれません。やまねこさんのレポートはタイトル文字に色をかぶせてみました。

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やまねこさんの「さざなみ快道を往く」④ 

京阪淀駅から京阪丹波橋駅まで 10キロ行程
2010年5月3日 晴 

 5月3日 快晴。淀競馬場は開催日でなかったので、駅前はゴールデンウィークなのに閑散としていてウォーキングには快適でした。道路幅が広いのに車の数が全然なく歩行しながら、おにぎりや飲み物もとったりして…。

堤防の上では鉄道マニアが自動車でやってきて京阪電車を撮影している人が数人いました。宇治川の川辺の護岸工事の為か河川敷立入禁止のロープがしてありましたが工事人の姿が見えないので草ぼうぼうの河川敷を踏み分けて通ります。三栖閘門でトイレ休憩をすませ十石舟の行き交う堀川沿いの道、桜の開花時は過ぎていて両側の緑一色は大変さわやかでした。

寺田屋の前には入館する観光客が道の両側に並んでいて交通整理のガードマンに注意されていました。酒蔵を通り抜け御香宮に参拝し、名水を頂きました。軟水なので誠に口当たりが良く、名水巡りのスタンプラリーもあってか沢山の人が列をなしていました。

明治天皇陵、昭憲皇后陵、乃木神社、桓武天皇陵を巡って近鉄丹波橋に到着。この時季の一番天候の良い日だったので あまり疲れも感じず、もちろん迷い道にもならず、10Kコースを5時間でした(天皇陵巡りの道は小砂利で足をとられて時間がかかり丹波橋から伏見までは次回にくり入れるつもりです)  やまねこ

プチ・ケチの研究


●そらまめのオーブントースター焼き

 某日、ラジオでアナウンサーが「超カンタン、これ、旨いっす」といって説明したのが表題のビールのアテ。ほんまか?と疑いつつ、カンタンの言葉に釣られて早速試したのでありました。

そらまめを鞘ごとオーブントースターで焼くだけ。こんなのレシピとも言えないけど、10分ほど焼けば、豆は蒸し焼きになってやわらかくなり、上等の塩をつけて食せば、なるほどウマイ。・・といっても、そらまめ以上ではありませんけどね。

食べてから気がついた。豆は5個で180円。一個に2粒しか入ってないから、計10粒。一粒18円もする。う~む、これは「プチ・ケチ」ではなくて「プチ贅沢」の類ではあるまいか。なんとも言えませんです。
 
そらまめ 


大阪日暮綴


●歩き心地最高
 堺版「哲学の道」

 堺市の大泉緑地の森に木材チップを敷き詰めた遊歩道があり、散歩道としてはなかなか快適です。広葉樹中心のよく茂った樹林のなかをクネクネしながら、2キロ?くらい続きます。

チップ素材は、この緑地や市街地の街路樹の剪定で出た枝などを細かく砕いたものだそうで、いわば廃物利用。これを考えついた人、エライです。森のなかだから日陰道ばかり、雨上がりなんかに歩けば最高にいい気分で散歩が楽しめそうです。 休日は人が多いけど、平日なら「哲学の道」になりそうですよ。まれにジョギングしている人もいますが、クッションが良すぎて、走ると脚への負荷が大きすぎるような気がします。

大阪市内の公園には、ここのようなフラットで広い、良く茂った森が無いので「哲学の道」 にはなりません。ゆえに、ここは市街地では貴重な森です。 大泉緑地は、地下鉄御堂筋線「新金岡駅」下車、東へ徒歩10分。

大泉緑地 哲学の道 

同 

同 

熱心な野鳥ファン
同 


読書と音楽の愉しみ

●朝日新聞「なにわ柳檀」に百選、という快挙

 昔々のハイキング仲間、鈴木栄子さんから簡素な川柳句集が届きました。その作品を拝見して上手さに感心、尊敬の念を新たにしたところです。この道何十年のベテランならともかく、2003年にはじめて川柳教室で学びはじめたのだから、年期ではまだ新米の部類でしょう。

この句集をつくったのは、2004年にはじめた朝日新聞大阪版「なにわ柳檀」への投句、入選が今年2月に計百句になったからだそうです。初心者向きの教室へ入ってわずか一年後に「なにわ柳檀」に投稿をはじめ、入選の常連になったわけで、暇つぶし、手すさびのレベルではあり得ない成果です。努力精進の賜といえるけど、それより天性のセンスのほうがウエイトが高いと思ってます。

64歳のご本人が、98歳の寝たきりの母を介護する、老老介護の日々。今やさほど珍しくない生活スタイルですが、愚痴や嘆き、もろもろの思いが、ホンネはともかく、川柳という形式を通して表現するとあまり暗くならないのが読者には救いです。むろん、その根本には、起きてしまったことは受け止める。しゃあない。という彼女らしい達観があります。

百句のうち、駄目男の「お気に入り」十句を紹介しておきます。

  着せないで着るまで待ってやる介護
  
  おとぎの国で生きてるような母の笑み
  
  うんざりが偶に顔を出す介護
  
  消えかかる炎へ油さす介護
   
       
  戻れない川へ一歩を踏み入れる
  
  首のあたりに淋しさが来て止まる
  
  しゃあないなこれで何度も切り抜ける
  
  
  ばたばたが終われば堰を切る涙
    
  
  好奇心近づく老いを突き破る
  
  
  ブナの森連鎖の生命語り合う

鈴木さんは、日本百名山踏破が今ほどポピュラーでなかった時代に、ほとんど単独行で達成し、アフリカのキリマンジャロ山にも一人で出かけた猛女?でありましたが、そんな経験が、決めたらやり遂げる、逃げない、今の暮らしのバックボーンになってるのだと思います。

鈴木さん句集表紙 



たまには外メシ


●Gウイーク唯一の「ハレの日」に・・

 ゴールデンウイーク期間中は何処へもいかず、家に引きこもっていましたが、一回だけ、ご馳走を食べに出かけました。何度か紹介した「大阪あそ歩」のグルメバージョンで、住吉大社吉祥殿での昼食会です。(5月5日)

メニューは「浪速魚菜の会」の創作によるもの。大阪産の材料をあれこれ手の込んだレシピで食します。箸で食べたり、フォーク、ナイフで食べたり、和洋ごっちゃの料理でありました。会の代表の方や、シェフが詳しく説明してくれましたが、ま、ようわからん・・ままでした。

■浪速魚菜の会のホームページ
http://www.ukamuse.jp/

住吉大社は来年、創建1800年の大祭を催すそうで、境内各所はきれいにリフォームされつつあり、太鼓橋も美しくなっています。奈良の「遷都1300年」なんかチョロイ、うちは1800年でっせ! なにしろ神功皇后さまのご託宣で出来た神社です。出雲大社同様、神のみぞ知る古い歴史の神社でございます。
住吉グルメ 


本日はお日柄もよろしいようで・・。
住吉グルメ

「卯の花祭」にちなむ舞楽が奉じられていました。何とも優雅な舞です。
住吉 

住吉グルメおわり

桜鯛とまびき菜の山葵マリネ。わさびをソースにねえ・・。
赤いのはマイクロトマト。ミニトマトよりずっと小さく、直径1センチくらい。
住吉グルメ 


犬鳴ポークと浪速野菜の変わりステーキ。
最初は全然売れなかったという犬鳴ポーク。今は売れすぎて品不足とか。 
住吉神社グルメ   


河内肴の創作揚げ。穴子、鰆にマナガツオも。八尾牛蒡や大阪千両ナスもあしらって・・。器のように見えるのは湯葉の揚げ物。
住吉グルメ 


スープは河内地鶏のコンソメスープ仕立て。
住吉グルメ

ごはん なにわ魚貝の桜御飯。香の物。
住吉グルメ

デザート 碓井豌豆のムース、河内自然卵のカステラ。
マスカットセルフィーユ。
住吉グルメ 

読書と音楽の愉しみ


●城山三郎著「もう、君には頼まない」を読む

 戦後経済界の立役者、財界総理と言われた石坂泰三の評伝・・と書けば、えらく堅苦しい内容の本に思えますが、ふわっと軽い、エッセーふうの書き出しなので、つい読み進み・・これが上手い。読者はまんまと城山の術にはめられてしまいます。

死ぬまで政治家が嫌い、官僚が嫌いで良く経済界のリーダーが勤まったものだと思いますが、そこが石坂のスケールの大きさ、ミニ揉め事から大喧嘩まで「敵は幾万ありとても」凌いでゆく。しかし、本人は大仕事をしているという気負いはあまりなく、学習と経験から、最良の選択をしているにすぎないというスタンス。

表題の「もう、君には頼まない」は、第一生命の社長をしているとき、本社ビルを建てるため、国有地の払い下げを大蔵省に頼んだ。しかし、何度訪問してものらりくらりの対応で埒があかないため、とうとう癇癪を起こして「もう、君には頼まない」と啖呵を切った。その相手が大蔵大臣だった。後年、同じような場面があった。銭ゲバ、田中角栄総理を毛嫌いしていた石坂は、公のパーティ会場で、総理が自ら石坂のいるところへ挨拶に行ったが石坂は無視したため、面目丸つぶれの体になった。

しかし、これは一面であって、実像はかなり複雑な性格の持ち主であったらしい。え? と思わせるような面もあり、これが魅力でもあった。むろん、その下地には猛烈な勉強による深い教養と高い倫理観がある。一方、生活者としては、自分で靴下もはけない無能ぶりも発揮した。(これは著者のフィクション?)

一高~東大~逓信省~第一生命社長~東芝社長~経団連会長(6期12年)~大阪万博協会会長。これ以上ないエリートの道を歩んだ、しかし、人間味たっぷりの男の評伝。単にエライだけでは本になりませんて。

1995年 毎日新聞社発行(本書は第44回 菊池寛賞を受賞)

もっと上等の書評を読みたい人は、松岡正剛センセイのこれをどうぞ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0565.html

 

大阪日暮綴


●西成の大衆演劇劇場で味わう「どっぷり昭和時代」

■その1・・オーエス劇場
  前から気になっていた、5200m商店街コース沿い(ちょっと横道に入りますが)の「オーエス劇場」で大衆演劇見物。西成区山王の場末感満点の劇場です。フツーの人はビビるでしょう。チケット買うのにかなり勇気がいると思います。ま、木戸銭1300円だから、早々に逃げ出しても被害は少ないですけど。

どっぷり昭和時代・・といっても、ここのそれは昭和30年頃のシーンです。戦後の闇市、どさくさ時代を記憶している世代にピッタリ。床はコンクリートむき出し、客席にはトイレのクレゾールの強烈な臭い。これだけで帰りたくなるかもしれませんね、ほんま。客席後方の「売店」と称する小部屋(下に写真)なんぞ、目が点になる「昭和遺産」的光景。

この売店のオバチャンもきっぷ売ってるネエサンも、みんな普段着にエプロンかけていて、どう見ても劇場従業員に見えない。客も同じ感じの服装の人が多いから、客と従業員の区別がつかないのであります。

それはさておき、公演は、舞踊ショー、お芝居、歌謡ショーの3部に分かれ、途中で座長の口上やグッズ売りがある。上演時間、休憩入れて約3時間。けっこう長いのであります。当日は澤村慎太郎劇団の公演でした。

こんな空間に身を置くと、なぜか、大昔に観たイタリア映画「道」を思い出してしまう。(フェデリコ・フェリーニ監督 ジュリエッタ・マシーナ、アンソニー・クイン主演)これの初公開を観た人、このブログの読者にはいないかも知れないが、一生忘れない名作です。なんでこの映画を思い出すかといえば、どちらも旅芸人の話だから。

大衆演劇の役者たちが全部「旅芸人」だからといって、「道」に描かれたような境遇の暮らしをしているわけでなし、まったく、自分勝手な空想に過ぎないのですが、年中、旅から旅へというライフスタイルに、自分たちとは生活の次元の違いを感じて、あれこれ想像が膨らむ。

そして、ここは「お客様は神さまです」が100%ホンネの世界。粗末な舞台で全力投球の芝居や踊り、合間には観客全員に挨拶と握手のサービス。舞台終わったら、客より先に外へ出て丁重なお見送り・・。ん? こんな場面、最近ほかでも経験したんちゃうか? さうだ、三橋貴明政治講演会(4月20日)の場面とそっくりさんなのでした。ガハハ。(4月29日)

この風景がお気に入り。
大衆演劇 

客席後方にある売店。左のケースにおかきとピーナッツ。右手のケースに オロナミンCが・・。商品はこれしかない。
大衆演劇 

大衆演劇 

大衆演劇 

この人が座長さん(男)帯には一万円札が・・。一回の公演のチケット売り上げと役者へのご祝儀の金額がほぼ同じだとわかった。
大衆演劇 

真ん中が座長さん。ヤクザ、サムライ、花魁、なんでもやります。
大衆演劇

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■その2・・鈴成座
 鶴見橋商店街から50mほど入ったところにある劇場。環境はオーエス劇場よりマシかな、と思いますが、う~ん・・。チケット代がオーエスより200円高いのは、照明と音響設備にゼニがかかってるから?。最新のLEDライトが狭い舞台の両袖に立ち上がってるので、なんとも目障りですが、役者も客も、そんなこと全然気にしないのであります。

当日は「愛京花」という女座長の劇団の公演。京唄子(ふる~)をこじんまりさせたような人でなかなか人気があるらしい。少ない人数でいろんな役柄をするので、早変わりのテクニックは相当なもの、一回の公演で全員が10~20回くらい衣装を変えるから、楽屋は着物やカツラがてんこ盛り状態かもしれない。むろん、歌舞伎なんかと違って、楽屋が寝食、生活の場でもあるからタイヘンです。

千秋楽の舞台が終わると、その日のうちに荷物まとめて次の興業地へ。劇団の入れ替えは月末の一日だけというのが全国ルールらしい。休演は月に一回または無休。ものすごいハードな仕事であります。

サラリーマン一筋40年とか、カタギの人生しか知らない人が見たら、どうしょうもなくアウトサイダーの世界にして、アンダーグラウンドの世界でもあります。役者にも観客にも、マジメで無難な人生送った人なんか一人もいないと思いますよ。(5月2日)

あと、浪速区の「ナニワ倶楽部」と「新世界朝日劇場」も行ってみよう。

■鈴成座の案内はこちら・・
http://0481.jp/c/suzunariza/

鈴なり座 

鈴なり座 

客席で全員にご挨拶と握手
鈴なり座 

5歳の長谷川しおんちゃん
鈴なり座 

鈴なり座


大阪日暮綴

●昨日(5月1日)のラジオ大阪番組の内容・・

 「ピピッとおおさか 大発見!」のレポートです。 
ずいぶん詳しく説明してもらって感謝! 放送より分かりやすい? おいおい・・。
http://hito-machi.org/ppt/2010/100501/index.html

■心斎橋筋って、どこからどこまで?
 放送の後半でちょびっと「心斎橋筋」の説明をしたのですが、連続型で日本一長い商店街のスタート点「せんば心斎橋筋」は地下鉄本町駅のすぐ東、船場センタービルの北側になります。ここの町名は南本町三丁目で心斎橋とは距離も離れているため、この商店街名は有名ブランドである「心斎橋筋」にあやかる、悪くいえばパクリとちゃうか、と単純に思っていました。

そこで、念のために江戸時代の船場地図を見ると・・おお、パクリなんて失礼な、この通りもしっかり「心斎橋筋」と記されているではありませんか。(下の写真参照)江戸時代から心斎橋筋であり、これが削除、変更されたのではなさそうです。なのに、私たちがイメージする心斎橋筋は、長堀通~戎橋であるのはなぜか。「しんきた商店街」のHPによると、明治以後、たびたび町名変更があって長堀通から北は「南船場」になり、心斎橋筋の名称が失われたためだと説明しています。

本来の心斎橋筋の北端は土佐堀通です。ここから道頓堀川の戎橋までが心斎橋筋です。地図上で距離を測ってみると・・2600m! あの天神橋筋商店街と同じです。全部が今でも商店街なら、天神橋筋と長さ日本一を争っていたかもしれません。現在は本町通り以北はオフイス街なので、商店街としては約1500m、これって、天神橋筋に次いで大阪では二番目に長い商店街かもしれませんね。(せんば心斎橋筋商店街、しんきた商店街、心斎橋筋商店街、の合計長さです)

江戸時代の船場地図(これは北が上の地図です)の部分拡大図
画面中央に心斎橋筋の文字、右手の「栴檀の木橋筋」は現在「三休橋筋」の名になっている。左の「御霊筋」は現在「御堂筋」に。御霊神社は現在もあるが、御堂筋より一本西側の通りに面してある。

昔の心斎橋筋地図