●曾野綾子著「最高に笑える人生」を読む
曾野綾子の作品はたくさん読んだが、全部エッセイ。これもそうです。したたかなリアリストにして、敬虔なクリスチャンというキャラクターが魅力で、新聞、雑誌などでも文を見つけるとつい読んでしまいます。かなり長いあいだ「日本財団」の会長を勤めたことはよく知られていますが、こんなギャンブル団体の親分をよくぞ引き受けたもんだと、マユにツバした人も多いはず。自分もその一人です。
けっこうズケズケとした物言いもするから、ファンも多いけど嫌う人も多いのではと思います。しかし、数年前?はウツに落ち込み、しばらく活動しなかったのだから、ズケズケ物言いにして傷つきやすい面もあるのでしょうか。今年80歳になるはずですが、もうチョットがんばって、さらなる辛口エッセイを書いてくださいまし。
本書の中から「一輪の赤いバラ」の一部を紹介します。
略・・人間の生き方は、できるだけ目立たないほうがいい。人類が発生してからどれだけ経つのか私には考える気力も知識もないが、その間の夥しい死者達が生きて力尽きたその方法は、大河のように自然なものであった。その偉大な凡庸さに従うことが、実は人間の尊厳でもある、としみじみ思うのだ。
ことに老年にとって「目立たないこと」は明らかに美徳と言ってよい。私は毎年、障害者や高齢者を含めた外国旅行をしているが、その中で性格のいい人と健康な人は、瞬間的に目立たないものだ、ということを発見した。身勝手な人(私もその一人だろう!)や体に故障のある人は、グループの中ですぐ目立つのである。だから八十代九十代の人で(ほんとうにその年頃の方が、今まで何人も旅行に参加したのだ)健康な人は、グループの中で、遅れもせず、階段の上り下りに危険を感じさせないから、とにかく目立たないのである。後からじんわりと、これは凄いことだ、と思うだけである。
誰でも、たとえ心にどんな悲しみをもっていようが、うなだれずに普通に背を伸ばして歩き、普通に食べ、見知らぬ人に会えば微笑する。それこそが、輝く老年というものだ。馬齢を重ねたのでないならば、心にもない嘘一つつけなくてどうする、というものだ。この内心と外面の乖離を可能にするものこそ、人間の精神力なのだろう。それは雄々しさと言ってもいいかもしれない。・・ 以下略 (新潮文庫 2004年発行)
●足湯つくってアシがついた・・お粗末話
矢田丘陵は榁ノ木峠の西側、国道308号沿いに生駒市がつくった足湯施設があって誰でも利用できます。休憩所やトイレもあるのでハイカーには有り難い施設です。雨模様の平日の昼過ぎ、足をつけながら、・・・ん? これって、もしやあの足湯のこと? と思い出したので、帰って検索したらカンは当たっていました。
生駒市の市会議長が新潟県の業者に5355万円でこれを作らせ、400万円の賄賂をせしめていたのです。いい湯だな、なんて、ゆうてる場合か。しかし、生駒市民の怒り心頭に達し・・なかったのか、廃止されずに使われています。汚職事件つきの温泉施設ってことで、なんだかなあ~。
議長はもっと大きい規模のワルを市長と共謀し、バレて二人とも逮捕されて実刑判決と罰金刑を受けたところです。齢70に至ってムショ入りというミジメな晩年。市民にとっても足湯は「負の遺産」でしょう。安くはない維持管理費はゼーキンで賄われます。
この温泉の名前が「歓喜乃湯」というのもムカつく(又は笑える)ではありませんか。生駒市民には「懺悔乃湯」がふさわしい。利用するほどに、足は癒されるけど、頭にはストレスの溜まる妙な温泉でございます。
■裁判を伝える記事
2009-04-17
公園用地汚職、元生駒市議会議長に実刑判決
asahi.com:朝日新聞のニュースサイト
奈良県生駒市の公園用地取得や足湯施設建設をめぐる汚職事件で、背任と2件のあっせん収賄の罪に問われた元市議会議長、酒井隆被告(67)に対し、大阪地裁は16日、懲役3年6カ月(求刑懲役5年)の実刑判決を言い渡した。わいろ相当額の追徴金は求刑通り1400万円とした。無罪を主張していた弁護側は控訴する方針。
西田真基裁判長は公判で、酒井元議長が捜査段階で容疑を認めた内容の供述調書について「任意性に疑いがある」として検察側の証拠調べ請求を却下した。だが判決では、公園用地取得事件の背任と加重収賄の罪で実刑判決を受けた前市長の中本幸一被告(72)=控訴中=らが元議長の関与を認めた捜査段階の供述調書には信用性があるとし、元議長を有罪とする根拠とした。
判決によると、酒井元議長は03年、奈良市の建設会社側が所有する山林を公園用地として買い取るよう中本前市長に依頼。この山林を1億3480万円で市側に購入させて同額の損害を与え、売買に協力した謝礼として建設会社側から1千万円を受け取った。05年には、市発注の足湯施設建設をめぐって受注会社側から400万円を得た。
●団菊祭五月大歌舞 鑑賞 松竹座
東京の歌舞伎座が建て替え工事で閉鎖されたため、大阪で興業の機会が増える。その第一回がこの「団菊祭」 団十郎と菊五郎のコラボというわけです。今回は花道そばの席で見物。
ダシモノは最初が「本朝二四考」から十種香、これって一番退屈な部分で、ミーハーの駄目男にはぜんぜん面白くない。なんでこんなものを撰んだのでせうね。続いて「京人形」左甚五郎役が三津五郎、京人形が菊之助。名人、左甚五郎のつくった大夫の人形が、あまりに良くできたので人間のように動き、踊り出すという趣向。今なら人間そっくりのロボットが踊る場面。今回の演出は人間そっくりさんの動きが大半で、ぎこちない、しかし面白い人形の演技が少なかったのが少し残念。
三つ目が「髪結新三」(かみゆいしんざ) 尾上家のオハコだそうで、何代も継承されて演技が練られ、いわゆるブランド化されたダシモノ。新三はむろん菊五郎、対する下町の親分役が団十郎、長屋の家主が三津五郎という配役。二時間以上かかる長編世話物です。この男達、みんな銭ゲバで、娘の誘拐に絡む金をなんとかせしめてやろうと悪知恵の出し合いをしますが、一番若くて威勢のいい新三が最後はずるがしこい家主にやられて一攫千金の夢がパーになります。はじめはシリアスドラマ、だんだんコミックになるところがこの芝居の楽しさでしょう。
●温水便座の解体
小人閑居して不善を為す・・・不善かどうかはともかく、閑居の身を生かして、ベランダに放置してあった便座をバラしてみました。テレビやラジオなどは解体しても面白くなさそうですが、便座はメカ部分があるのでバラしがいがあります。
1990年に購入した松下電器製品。この時代、すでに温水便座はそこそこ成熟商品でした。現在の商品との一番の違いは温水タンクの有無ではないかと思われ、当時は全部貯湯タンク付きでした。だから、現在の商品に比べてタンクのぶんだけ、かさばっていました。また、タンクで常時温めてある湯を洗浄に使うので電気代がかさんだわけです。現在は電気式の「瞬間湯沸かし」で温水にするので電気代が節約できる。年間消費電力は半分とか三分の一になってるはずです。
裏蓋を外してみて、こんなにややこしい構造なのか、と少々驚きました。外したビスは大小100本くらいあったかもしれない。予想外に時間がかかりました。家電回収システムでは2000円くらい請求されますが、作業手間を考えると、高額とは言えない気がします。駄目男のように通販で便座を買った人は、古い便座の処分に困りますが、バラシには道具が必要ですので、道具の無い人はマネしないでください。
裏向けてカバーを外したところ。20年間、故障無しでしたが、今年はじめにポックリ死。
貯湯タンクは分厚い耐熱製の樹脂でできている。逆コの字型の金属棒がヒーター、左、横向きの小さい金属棒はセンサーかもしれない。
シロッコファン付きのモーターが二つ。手前大きい方は温風用、奥は脱臭用と思われる。他にノズル動作用などの小型モーターもあります。
●最近の演奏会から・・
大阪フィル第438回 定期演奏会
5月21日 ザ・シンフォニーホール
プログラム
■ムソルグスキー 交響詩「はげ山の一夜」
■ラヴェル 組曲「クープランの墓」
■ムソルグスキー(ラヴェル編曲)
組曲「展覧会の絵」 指揮・・イオン・マリン
たまにはこんな楽しいプログラムもなくては・・。
「はげ山の一夜」ナマで聴くのは何十年ぶりか、というくらいご無沙汰の曲です。この曲の初体験は、嗚呼懐かしい、W・ディズニーのアニメ映画「ファンタジア」でありました。自分にとってはクラシック音楽開眼になったと言ってもよい素晴らしいマンガ映画でした。ストラヴィンスキー「春の祭典」もこの映画で初めて出会った曲、恐竜がどたばたするシーンがこの曲でした。この映画、3Dに作り直して、再度公開してくれたらええのになあ・・。 とかなんとか書いても、ファンタジアを知ってる人って、もう恐竜なみに絶滅世代かもしれませんね。(アイマックス版という新版はあったらしい)
「展覧会の絵」 昔、プロのオケでも十分に下手くそだった時代、曲の出だしのトランペット・ソロで音を外す率が5割くらいありまして、聴衆は固唾をのんで、気の弱い駄目男なんか、もううつむいてしまって「けふは、はずしませんやうに、神の加護を」と祈ったくらいでありました。
アマのオケなんか、堂々とでんぐりかえって、椅子から転げ落ちそうになるのがスタンダードでございました。アマ・オケでこの曲の名演などあり得ないと言ってもいい。というより、もうこんな曲は選びませんね。
7曲目?にサキソフォーン(テナーサックス)のソロのパートがあって、これも難儀でございます。クラシックにサキソフォーンなんか滅多に登場しないから奏者は場数をふんでいない。おまけに、消え入るように吹き終わったあとが全休止符、つまり数秒間の無音(余韻)を演出しなければならない。最高にデリカシーを要求される場面。管楽器で長い余韻を生むのはハイテクが要ります。この日の演奏は上出来でした。聴く楽しみはむろん、客席から演奏を見る楽しみも十分ある曲です。
アレンジの天才、ラヴェルのイケズぶりを存分に楽しめる演奏会でありました。イオン・マリンという指揮者、人気が高まる予感。名前が覚えやすいだけでもトクです。
■大阪フィルのホームページ
http://www.osaka-phil.com/
●日本一格式の高いバー? BAR SOU瑜伽神社店
前記展覧会の帰り道、なら町はずれのバー「SOU」へ寄りました。カテゴリー「下戸の止まり木」で案内している、難波SOUの奈良店です。 写真でおわかりのように、こんなスタイルの店は日本中で一軒きりかもしれませんね。なにせ、玄関ドア開けるまえに鳥居をくぐらねばなりません。店は神社の境内にあるのです。
なので、客は玄関入ったら、まず、二礼二拍手一礼・・・は、ウソですけど。要するに、オーナーの意図するコンセプトはこの神聖な空間にふさわしい、オーセンティックなスタイルのバーであります。ならばインテリアはどんなん? 気になるところですが、それは行ってのお楽しみ。(5月20日)
■BAR SOU 瑜伽神社店(0742-22-6766)
カウンター席7名+座敷4名。値段はカクテルが1000円前後、場所は奈良ホテル南東200mの瑜伽(ゆうが)神社境内。近鉄奈良駅から徒歩15分くらい。
営業時間13:30~22:30 不定休。境内安全管理のため、日没後は門扉を閉じます。インターホンで来店を告げて下さい。(当店は会員制ではありません。観光客歓迎だそうです)
■神社の案内はこちら・・・
http://t-isamu.web.infoseek.co.jp/kosyaji-5.htm
●見応え十分「大遣唐使展」 奈良国立博物館
混雑を嫌って、雨模様の平日の午後3時入館、を意図して行ったら、予想通り空いていました。自分みたいな歴史オンチに近い者でも、展示のスケールや中身の濃さは十分感じ取れる、素晴らしい展覧会です。
展示物件のうち、国宝が41点、重要文化財が87点(リストによる)という役者揃いぶりをみてもレベルの高さが分かります。もし、遣隋使や遣唐使という文化輸入プロジェクトが無かったら・・今日の日本の地位はなかったかもしれない。のべ数千人のプロジェクトチームが命がけで渡航し、文物を持ち帰った、その過程と成果が分かる展示です。
一番人気が高い?「吉備大臣入唐絵巻」は、現物とは別の場所で大型のデジタル画像による展示がされており、内容が分かりやすくなっています。
この絵巻を見た人の中には、かの国宝「信貴山縁起絵巻」を思い浮かべる方もいるのでは、と思いました。吉備大臣が魔法で空を飛ぶ場面は「飛倉」の絵の感じと非常に似ています。決して楽しい場面じゃないのに、なんとなくユーモラスなところも。この傑作がボストン美術館蔵というのはなんとも残念至極ですが、ま、見ることができただけでもシアワセです。
ふだんは常設展示室になっているスペースが第二会場になっていて、密度はこちらのほうが高い。仏像からアクセサリーまで国宝級がずらり。菅原道真愛用の小刀やベルトの飾りなんてのもあって、神様以前の人間道真を彷彿とさせます。ところで、この遣唐使プロジェクトは、彼の「もう事業打ち切りにしません?これ以上続けてもムダやと思います」の進言で終了になりました。そうか、菅原道真って平安時代の「事業仕分け人」だったのですね。
司馬遼太郎「空海の風景」を読んだ人は、空海や最澄の事績をもっと見たいと思うでしょうが、ここでは地味な扱いです。むしろ、空海や最澄以外にもこれだけ多くの優れたメンバーがいたということを認識させてくれる展示と言えるでしょう。そんな地味メンバーの一人である、大阪府藤井寺市出身といわれる、井真成(せいしんせい)の墓誌もあります。36歳で客死した彼の無念を代弁するような哀切感あふれる文章が刻まれている。ま、当時のごく普通の社交辞令という見方もありますが、印象深いものです。
展覧会は6月20日まで。チケット1400円。スイスイ見られても2時間はかかります。
■大遣唐使展の案内はこちら・・
http://kentoushi.exh.jp/
奈良国立博物館 正面 近鉄奈良駅から徒歩15分
●楡周平著「衆愚の時代」を読む
世論や多数派の意見は常に正しいのか、「国民の目線」や「弱者の視点」の怪しさに気づかねば・・。で、本書の帯広告には「国民の皆様が国を滅ぼす」と訴えているのであります。
読んで見れば、週刊誌のコラムなんかと変わらない、通俗的「目線、視点」で書かれてあって、分かりやすいけど物足りないというのが感想。作家とて人気稼業であるから、読者かもしれない世論や多数派にどこまで楯つけるかをおもんばかりながら書かねばならない。ここんところが難しい。
民主党政権を誕生させたのは衆愚の皆様であると書きたいところ、それではあまりにストレートすぎるので、適当に中和剤も入れ、味付けを薄めてあります。衆愚とて大事なお客様です。
マスコミ報道に同調し、世論に付和雷同し、自ら学習する意欲も能力もない人たちを衆愚というなら、有権者の半分以上は衆愚でありましょう。著者が如何に嘆こうと、いつの世も、国家は、国民の皆様=衆愚に支えられている。楡さん、衆愚読者でスイマセンです。(新潮新書 2010年3月発行)
●そらまめのオーブントースター焼き
某日、ラジオでアナウンサーが「超カンタン、これ、旨いっす」といって説明したのが表題のビールのアテ。ほんまか?と疑いつつ、カンタンの言葉に釣られて早速試したのでありました。
そらまめを鞘ごとオーブントースターで焼くだけ。こんなのレシピとも言えないけど、10分ほど焼けば、豆は蒸し焼きになってやわらかくなり、上等の塩をつけて食せば、なるほどウマイ。・・といっても、そらまめ以上ではありませんけどね。
食べてから気がついた。豆は5個で180円。一個に2粒しか入ってないから、計10粒。一粒18円もする。う~む、これは「プチ・ケチ」ではなくて「プチ贅沢」の類ではあるまいか。なんとも言えませんです。
●朝日新聞「なにわ柳檀」に百選、という快挙
昔々のハイキング仲間、鈴木栄子さんから簡素な川柳句集が届きました。その作品を拝見して上手さに感心、尊敬の念を新たにしたところです。この道何十年のベテランならともかく、2003年にはじめて川柳教室で学びはじめたのだから、年期ではまだ新米の部類でしょう。
この句集をつくったのは、2004年にはじめた朝日新聞大阪版「なにわ柳檀」への投句、入選が今年2月に計百句になったからだそうです。初心者向きの教室へ入ってわずか一年後に「なにわ柳檀」に投稿をはじめ、入選の常連になったわけで、暇つぶし、手すさびのレベルではあり得ない成果です。努力精進の賜といえるけど、それより天性のセンスのほうがウエイトが高いと思ってます。
64歳のご本人が、98歳の寝たきりの母を介護する、老老介護の日々。今やさほど珍しくない生活スタイルですが、愚痴や嘆き、もろもろの思いが、ホンネはともかく、川柳という形式を通して表現するとあまり暗くならないのが読者には救いです。むろん、その根本には、起きてしまったことは受け止める。しゃあない。という彼女らしい達観があります。
百句のうち、駄目男の「お気に入り」十句を紹介しておきます。
着せないで着るまで待ってやる介護
おとぎの国で生きてるような母の笑み
うんざりが偶に顔を出す介護
消えかかる炎へ油さす介護
戻れない川へ一歩を踏み入れる
首のあたりに淋しさが来て止まる
しゃあないなこれで何度も切り抜ける
ばたばたが終われば堰を切る涙
好奇心近づく老いを突き破る
ブナの森連鎖の生命語り合う
鈴木さんは、日本百名山踏破が今ほどポピュラーでなかった時代に、ほとんど単独行で達成し、アフリカのキリマンジャロ山にも一人で出かけた猛女?でありましたが、そんな経験が、決めたらやり遂げる、逃げない、今の暮らしのバックボーンになってるのだと思います。
●Gウイーク唯一の「ハレの日」に・・
ゴールデンウイーク期間中は何処へもいかず、家に引きこもっていましたが、一回だけ、ご馳走を食べに出かけました。何度か紹介した「大阪あそ歩」のグルメバージョンで、住吉大社吉祥殿での昼食会です。(5月5日)
メニューは「浪速魚菜の会」の創作によるもの。大阪産の材料をあれこれ手の込んだレシピで食します。箸で食べたり、フォーク、ナイフで食べたり、和洋ごっちゃの料理でありました。会の代表の方や、シェフが詳しく説明してくれましたが、ま、ようわからん・・ままでした。
■浪速魚菜の会のホームページ
http://www.ukamuse.jp/
住吉大社は来年、創建1800年の大祭を催すそうで、境内各所はきれいにリフォームされつつあり、太鼓橋も美しくなっています。奈良の「遷都1300年」なんかチョロイ、うちは1800年でっせ! なにしろ神功皇后さまのご託宣で出来た神社です。出雲大社同様、神のみぞ知る古い歴史の神社でございます。
本日はお日柄もよろしいようで・・。
「卯の花祭」にちなむ舞楽が奉じられていました。何とも優雅な舞です。
桜鯛とまびき菜の山葵マリネ。わさびをソースにねえ・・。
赤いのはマイクロトマト。ミニトマトよりずっと小さく、直径1センチくらい。
犬鳴ポークと浪速野菜の変わりステーキ。
最初は全然売れなかったという犬鳴ポーク。今は売れすぎて品不足とか。
河内肴の創作揚げ。穴子、鰆にマナガツオも。八尾牛蒡や大阪千両ナスもあしらって・・。器のように見えるのは湯葉の揚げ物。
スープは河内地鶏のコンソメスープ仕立て。
●城山三郎著「もう、君には頼まない」を読む
戦後経済界の立役者、財界総理と言われた石坂泰三の評伝・・と書けば、えらく堅苦しい内容の本に思えますが、ふわっと軽い、エッセーふうの書き出しなので、つい読み進み・・これが上手い。読者はまんまと城山の術にはめられてしまいます。
死ぬまで政治家が嫌い、官僚が嫌いで良く経済界のリーダーが勤まったものだと思いますが、そこが石坂のスケールの大きさ、ミニ揉め事から大喧嘩まで「敵は幾万ありとても」凌いでゆく。しかし、本人は大仕事をしているという気負いはあまりなく、学習と経験から、最良の選択をしているにすぎないというスタンス。
表題の「もう、君には頼まない」は、第一生命の社長をしているとき、本社ビルを建てるため、国有地の払い下げを大蔵省に頼んだ。しかし、何度訪問してものらりくらりの対応で埒があかないため、とうとう癇癪を起こして「もう、君には頼まない」と啖呵を切った。その相手が大蔵大臣だった。後年、同じような場面があった。銭ゲバ、田中角栄総理を毛嫌いしていた石坂は、公のパーティ会場で、総理が自ら石坂のいるところへ挨拶に行ったが石坂は無視したため、面目丸つぶれの体になった。
しかし、これは一面であって、実像はかなり複雑な性格の持ち主であったらしい。え? と思わせるような面もあり、これが魅力でもあった。むろん、その下地には猛烈な勉強による深い教養と高い倫理観がある。一方、生活者としては、自分で靴下もはけない無能ぶりも発揮した。(これは著者のフィクション?)
一高~東大~逓信省~第一生命社長~東芝社長~経団連会長(6期12年)~大阪万博協会会長。これ以上ないエリートの道を歩んだ、しかし、人間味たっぷりの男の評伝。単にエライだけでは本になりませんて。
1995年 毎日新聞社発行(本書は第44回 菊池寛賞を受賞)
もっと上等の書評を読みたい人は、松岡正剛センセイのこれをどうぞ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0565.html