ア・ラ・カルト

●ひと足お先に満開風景・・宇治市植物公園

 またまた冬に逆戻りしたような寒い日、宇治市の植物公園へ行ったら、しだれ桜が満開でした。この一本でお客さんを集めてる感じです。植物公園は京阪宇治駅から近鉄大久保駅行きバスで約15分(3月26日)
■植物公園のホームページ
http://www.uji-citypark.jp/ucbpark/index.htm

宇治 しだれ桜 

この一ヶ月の寒暖の差の大きさはグラフをみても納得できます。大阪市の最高気温は7度から24度と3倍以上の開き。真冬と初夏の差です。冬物を片づけたり、引っ張り出したり、気ぜわしい一月でした。
■大阪市の気温推移グラフ 
http://www.canacana.net/kion.htm

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大阪日暮綴

●二人展ご案内

 内山政義さんの焼物、永見隆義さんの水彩画・パステル画の展覧会です。永見さんは駄目男の高校の同級生です。心斎橋にお出かけのさいにどうぞ。
3月25日(木)~30日  11時~18:30分
ギャラリー永井・・大丸心斎橋店東正面玄関の向かい
Samantha thavasaの4階(エレベーターでどうぞ)
ギャラリーの電話 06-6243-1681

永見さん個展ハガキ 



読書と音楽の愉しみ

●最近の演奏会から

■大フィル 3月定期演奏会から(第436回)
 朝比奈隆の直弟子だった下野竜也がブルックナーを振るというので興味津々と言いたいが、ダシモノが「交響曲第一番」ではなあ・・。駄目男はかなりのブルックナーファンでありますが、彼の曲ならなんでも◎ではなく、一番、二番は駄作と勝手に決めており、三番と六番も△と評価は厳しい。実際、ブルックナープログラムの演奏会で無難にゼニの取れるのは、四、五、七、八、九番の5曲に限られています。

そこんとこ、敢えて一番を撰んだ下野氏には敬意を表したい。もしや、将来は朝比奈みたいなブルックナー振りになりたいと野心を・・はうがちすぎですか。演奏は熱演であり、拍手喝采でしたが、曲自体はどう考えてもB級作品であります。上記有名ナンバーに見られる品位や格調に欠け、楽想が凡庸。オーケストレーションも泥臭くて、しばしば音が団子になってしまう。でも、これが先の名曲の下敷きになったことも間違いないのだから、と思い直しました。

下野氏をはじめて見たときは「ボクちゃん」みたいな初々しさがあったけど、今や堂々の「メタボおじさん」になってきました。この先精進成熟して朝比奈親分を凌ぐブルックナーを聞かせる指揮者になる可能性ありですが、残念ながら駄目男の命の賞味期限が先に来てしまいます。他にモーツアルト ヴァイオリン協奏曲第3番 ソリスト ルノー・カプソン。(3月19日 ザ・シンフォニーホール)

■紫苑交響楽団 第15回定期演奏会
 紫苑はシオンと読みます。高槻市に本拠をおくアマチュア・オーケストラ。創立10周年記念にザ・シンフォニーホールで演奏会を開催。9割近くの客入りで聴衆のマナーもよく、まずはメデタシの記念公演でした。
 指揮に高槻在住のゲルハルト・ボッセを迎え、ウエーバーの歌劇「オベロン」序曲、ベートーベンの交響曲1番、そしてメインはブラームスの交響曲2番。オケの腕前でいえば、関西では芦屋交響楽団に並ぶくらいのレベルかも、と思います。

長年、プロとアマ両方のオケを聴いてきた上での感想を言えば、アマの演奏が劣るのは、曲のスローテンポの部分での表現が巧くないこと。なぜか「退屈」な音づくりになってしまう。「正しく楽譜通りに弾いてます」みたいな、平板な表現になってしまうのはナゼか。めりはりやゆらぎがないからですが、しかし、そこまで求めるのは酷である・・ということも分かっております。1000円のチケットで贅沢言うなよ、と叱られそう。

指揮のボッセさんは御歳87歳。日本での現役では最高齢でしょうか。なんで日本に、また高槻に定住したのか分かりませんが、アマ・オケには心強い指導者なので、まだまだ活躍して下さい。(3月21日 ザ・シンフォニーホール)

ボッセ指揮の次回演奏会のチラシ。会場は高槻市の現代劇場大ホール。
オケは大阪センチュリー交響楽団 5月9日昼公演
オケチラシ 

大阪日暮綴

●津波・高潮ステーション 見学 (大阪市西区)

 前々回の「大阪昔風景画集」で紹介した江之子島の大阪府庁舎跡地の東隣に、昨年この施設ができました。大阪市の西部など低地に住む人に、津波や高潮の恐ろしさをリアルに感じてもらおうというのが主な目的です。入場無料ですが、場所が阿波座の近くと、中途半端なところにあるので、利用者数はイマイチといった印象です。(入場無料・月曜休館)

地下鉄阿波座駅の西側、本町通りに面して入り口があります。
津波ステーション 


重さ3,5トンの水門の実物。手動で操作を試すことができる。
津波 


目玉展示は津波のシーンを映す模擬体験館。壁と床に映像が投射されます。
椅子が無いので立ったままで、または寝ころんで見るもよし。
津波 

約7分の映写でCGを使ったリアルな動画と音響が体感できます。3Dならもっと迫力ありそうですが。予想される南海地震が起きたら、こんな場面があり得るという警告でもあります。
津波 

津波おわり 

■津波・高潮ステーションの案内はこちら・・
http://www.pref.osaka.jp/nishiosaka/tsunami/

泣かせます・・大阪昔風景画集

●泣かせます ~大阪昔風景画集~
     ~野村廣太郎「明治・大正 大阪百景」から~

■その3・・江之子島 大阪府庁舎
 移転問題でモメている現在の大阪府庁舎は3代目。2代目がこの江之子島のおしゃれな洋館でした。では、初代は?というと、今の本町あたりにあった江戸時代の奉行所の建物を使ったそうです。
 西区江之子島という地名は今でも残っています。当時は四方を川や堀に囲まれていて、本当に「島」の地形だったからでしょう。昔の島の南端が、<その2>の現在風景に写っているマンションです。

原画
原画の左手に描かれた人物が蛇の目傘でなく洋傘だったら外国の風景と見間違いそうです。竣工は1874年(明治7年)ですから、大川上流の重要文化財「泉布観」(1871)とほぼ同じ古さです。規模はこちらのほうがずっと大きいので、さぞ壮麗な建物だったでしょう。残念ながら、太平洋戦争の空襲で焼失しました。
江之子島原画 


現在の風景
この絵もビューポイントをほぼ正確に特定できます。写真は木津川橋の西よりから撮しました。敷地は府立産業技術総合研究所として使われていましたが、これも老朽化して移転、土地は民間に売却されて、今は開発者として「長谷工コーポレーション」の標識が見えます。大型のマンションが建てられるらしい。
江之子島 


何か明治時代の痕跡はないかと探したところ、敷地外周の低い石垣がひどく古びた感じで、もしやと思って写真に撮って帰りました。ネットで検索したところ、古い写真と絵はがき?が見つかり、カラーの絵はがき?のディティールにかろうじて石柱の間の鉄柵らしきものが見えます。この石垣は130年昔のものに間違いなさそうです。空襲での破壊も免れて、しかし、誰に注目されることもなくひっそり生き残ってきたものです。
 長谷工がこれを撤去するのか、歴史価値を認めて残すのか、気になります。なんか「建築探偵団」気分になってきました。
■古い写真はここを開けて下さい。一枚目と二枚目です。一枚目に木津川橋が写っています。
http://homepage3.nifty.com/kindaikenchiku-yuuho/sakusaku/1_3.htm

江之子島 

石の上面に柵の鉄のバーを差し込んだ穴が残っている
江之子島 


敷地の隅っこに残された旧研究所。昭和初期くらいの建物でしょうか。これを残したのは文化財価値を認めて再活用の意図があるのかもしれず、ならば、石垣も残りそうな気が・・・。地下鉄中央線の北側車窓から見えます。
江之子島 
江之子島 


読書と音楽の愉しみ

●太宰治作品を読む(その1)
 
①「晩年」
 二十歳代の青年作家がはじめて世に問う本の題名が「晩年」やなんて「冗談やろ?」とツッコミたくなりますが、本人、太宰治は真剣でありました。「私はこの作品を書くために十年の歳月と五万枚の原稿用紙を費やし、エネルギーを使い果たした。もはや他に語るべきものはナシ」とかいって、処女作にして遺著のつもりで書いたそうであります。

その意気やよし、と共感し、さてと読み始めると、第一作「葉」の冒頭はこんな文ではじまるのでございます。
 
      撰ばれてあることの
      恍惚と不安と

       二つわれにあり     
ヴェルレエヌ

 死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きようと思った。(略)

死のうと思っていたが、もらったギフトが夏用だったので、夏まで生きようと思った。太宰治にとって、あの世へ行くことは銭湯へ行くのと同じくらい身近なものであったのでせう。実際、38歳で愛人と心中するまで四度、自殺と心中を試みトチッている。心中のときは相手の愛人だけ死んでしまったので、罪な話ではあります。それにしても、デビュー作で「死にたい」「生きていてもしょーがない」を連発するところが太宰流でありませうか。

・・などと、からかうつもりは全然無いのでありますが、第一作への作者のこの意気込みと自信、そして不安なさまは、ブラームスの第一交響曲づくりに味わった苦悩と似ている。あーでもない、こーでもない、書いては破り、書いては破り、頭かきむしり、を繰り返すこと20年に及んだ苦闘の日々。ブラームスの場合は偉大なる先輩、ベートーベンに対するコンプレックスも災いして余計に苦労を増やした。ゆえに、この曲の冒頭十数秒の音楽の濃さたるや、なんとゆうか、9回裏の逆転満塁ホームラン的な感動を呼ぶのであります。ブラームスの情念がムギューっと詰まっている。

なんか脱線してしまいました。本書は十五編の小品で構成されていて、いずれも名作と思いますが、感銘大なるのは「葉」「思い出」「魚服記」でせうか。「思い出」は作者の子供時分の思い出を淡々と書いたものですが、何年か前に訪ねた「斜陽館」の光景など思い出されて、しみじみ感十分の佳作。「葉」と「魚服記」は、主人公の生きていることの辛さ、切なさを描いてなおメロドラマにしないところが良い。
 たまにはこんな優れた「物語」も読んで、干からびた精神に潤いを与えることが大事ではと思いました。近年の芥川賞作品の殺風景さに比べるとコラーゲン、ヒアルロン酸たっぷりのスグレモノであります。(講談社文庫版)

■太宰治 経歴・作品など
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB

太宰治 


泣かせます・・大阪昔風景画集

●泣かせます ~大阪昔風景画集~
     ~野村廣太郎「明治・大正 大阪百景」から~ 

 2月下旬、中央図書館3階の資料室でごそごそ資料を探してるとき、ふと手にしたのが「明治・大正 大阪百景」。頁を開けるなり、こ、この風景はホンマか?と見入ってしまいました。明治、大正の大阪の風景は絵画や写真、版画、錦絵などでたくさん見てきましたが、それらは中之島や道頓堀など市の中心部のよく知られた街の風景が主でした。

野村画伯の絵は下町のなんでもない街角も情緒たっぷりに描いていて、これがなんとも魅力的です。この本、図書館に返したあともなお未練があったので古本検索で探したらすぐ見つかったため、2000円を投資して手に入れました。本書は昭和53年(1978)保育社発行で、序文は当時の大阪市長、大島靖氏、解説は宮本又次氏(大阪生まれの歴史学者、文化功労者)という豪華メンバーでつくられていますが、皆さん既に物故者になり、保育社も倒産してしまいました。従って無断掲載になるのですが、許可を得る相手が死去や倒産で不明の場合はどうすれば良いのでしょうか。

自分一人でニンマリしたり、涙ちびってるのはもったいない(これも貧乏性?)ので、ここに掲載して、読者にも涙をちびって頂こうと目論みました。ただし、原画だけ掲載すると絵の鑑賞だけに終わってしまうので、描かれた場所の現在の風景を参考として掲載します。100年のタイムトリップができます。

 画集にも描いたポイントが地図に記されており、同じアングルの「現在」の写真が小さくのっていますが、その「現在」が昭和40年代~52年ごろ、つまり今から30年以上昔になるため、平成の今とは大きく風景が変わってしまってます。これもまた興味深い。この旧写真も参考に駄目男が現在の風景を撮影しました。むろん、きっちり一緒というわけには参りません。アバウトです。

画集の表紙 
各ページの下の小さい写真が「現在の風景」だが、その撮影が
昭和40年代~52年ごろで、もう「過去の風景」に。
画集の中身 

野村画伯がこれらの絵を描きはじめたのは終戦後かなり経ってからですから、当然、明治、大正時代の風景のスケッチはできません。だから子供時分のかすかな記憶に写真や絵を参考にして描き、完成後は地元の古老や学者にリアルさを検証してもらっています。要するに、芸術性より記録価値に重点をおいて描いたと本人も述べています。
 現場確認に結構手間がかかるので、まとめての掲載は出来ませんが、トータルで10カ所くらいはアップしたいと思ってます。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

■その1・・秋の薩摩堀水郷(明治時代)
 この風景画がどこか地方の町の一角を描いたものなら涙ちびることはないでしょう。しかし、大阪市西区阿波座交差点のすぐ近くの風景と知ったら涙ちびりますよね。ホント、信じられない風景です。
 薩摩堀川なんて聞いたこともない。なので、画集の地図と「現在の風景」写真をもとに、図書館で古地図を漁ったところ、幸運にもほぼピンポイントで位置を特定できました。イヤハヤもう何とも・・まさしく「明治は遠くなりにけり」の感慨ひとしおでございます。というか、同じ場所のあまりの変化の大きさにボーゼン、涙ちびるのを忘れてしまうくらいでありました。 

原画・明治時代の薩摩堀
画集 薩摩堀 原画 

同じアングルの現在の風景。道路が堀川だった。道の先は中央大通
り。現在の道路は直線だが、原画は左へカーブしている、下の旧地
図にそれが表われている。(地図の橋は後にできた?)

画集 薩摩堀 

中央大通り。前方が阿波座の交差点。人物の左手が堀川だった。画集 薩摩堀

大正11年の薩摩堀界隈の地図。
逆L字形の角から北(上)方向を見て描いたと思われます。
画集 薩摩堀 


現地の小公園にある石碑。明治風景の墓標に見えます。
画集 薩摩堀 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その2・・松島の水都風景(明治時代)
 上の薩摩堀風景の現地から南へ300mくらいの木津川風景です。
北の方向、つまり木津川上流を見て描いたのではと想像しますが、
よく分からない。松島という地名は、明治のはじめ、新しい遊郭が
できるさいに、松ケ鼻と呼ばれた名物の老松と本来の地名、寺島か
ら一字ずつとって「松島」になったという。画面の松がその由来の
松。これぞ水都風景と言いたい雰囲気をもっています。
松島水郷 原画 


木津川にかかる松島橋から撮した現在の風景はコレ・・と推定して
いますが、南北に多少ずれているかもしれない。明治時代は木津川
に北から江戸堀、京町堀、阿波堀、立売堀、長堀、堀江川、西道頓
堀、といった多くの堀川がつながっていたが、現在残ってるのは西
道頓堀川だけ。薩摩堀は阿波堀川の一部(支流)でした。
松島水郷 現代 



 

★快道ウオーカーからの便り

●やまなみ快道レポート 

■二日目 JR加島駅~」JR中山寺駅  
                2009年3月15日

すこし暖かくなってきたので又、やまなみに行きました。
加島の駅のところで昼食をすませ。今日の旅立ちとする。
住宅地を抜けて川を渡り、川沿いの遊歩道を歩く。
小春日和の遊歩道を北上する。前回とはちがい少し暖かく田舎っぽくなってきた。

遠く真正面に六甲のやまなみが壁となり、そのずっと向こうに日本海があるんだろう・・遠いなぁ。
 やがて遊歩道からはなれ空に飛行機が登って行くのが間近かに見える。大きな川の向こうに伊丹の空港があるらしい。今日は天気がいいので空の飛行機がかっこいい。

道は園田の競馬場の裏へと続き、やがて川から離れにぎやかな伊丹の駅へと着いた。暗くなってきたので帰ろうかとも思ったが、もう少し先まで行こうと足を進めた。住宅地の裏手の伊丹緑道で満開近くの桜があった。青空に映えてきれいだった。大渋滞の171号線を越えて池沿いの遊歩道を回って道は続く。良く整備されたきれいな快道だ。ため池が多くあり公園となっている。夕日が池に落ちていくあたりなんかはホントにいい感じだった。

だんだん暗くなってきて川沿いを進み、夕暮れのなかやっと国道を横断し、真っ暗になった中山寺の駅へと着いた。今日はここまでとしました。
                                         ~やまなみ最後のたびびと~

やまなみ2回目 

やまなみ2回目 

やまなみ2回目 

やまなみ2回目 

大阪日暮綴

●高野街道・にぎわい・町並み再生について
            ~河内長野市観光フォーラム~

上記のテーマでフォーラムが開かれたので傍聴してきました。(3月13日 市内ラブリー小ホール)高野街道を観光資源として活用、町起こしに結びつけようという、他人事ながら、快道メーカーにとっては嬉しい情報です。

計画の概要は市長さんの講演で分かりましたが、そもそもは橋下知事の唱える「大阪ミュージアム」構想にのっとったプランで、大阪府内では、富田林市寺内町、枚方市枚方宿周辺、岸和田市岸和田城周辺、阪急箕面駅周辺と箕面滝道、柏原市太平寺地区、そして河内長野市の6箇所が整備地区に選ばれました。数年後には景観がかなり良くなるかもしれないので期待しましょう。

河内長野市では、高野街道沿いの三地区で町並み再生や修景工事の計画があります。まず、天野酒造の蔵がある通りの無電柱化、石畳工事、夜間の行灯照明が実現しそうです。次いで烏帽子形八幡神社一帯の整備、そして三日市町駅周辺の旧宿場界隈の町並み再生です。

十数年前から「新高野快道」マップづくりで現地をうろうろしてきた快道メーカーにすれば企画が遅きに失したという思いがあり、特に三日市町駅周辺の古い民家を壊して行った再開発事業は大失敗だったと思っています。駅前に商業ビルを建てるのなら、せめて少しは回りの景観に配慮したデザインにしてほしかった。今日のフォーラムに出席した地区の当事者は激しく後悔したはず・・と想像しています。むろん、市長さんも大ハンセーしてもらわなければ。

ただ、駅前の貴重な古民家をぶっ壊した当時は、まさか将来ここが「旧街道の町並み再生」計画の対象になるなんて全く思い及ばなかったかもしれず、駐車場や駐輪場整備最優先でコトをすすめてしまったのかもしれません。覆水盆に還らず・・残念至極であります。

整備による集客力のアップという点では、富田林の地味な努力の成果が成功例の先輩といえるし、枚方宿もかなり期待できる。対して、河内長野は景観デザインのまとまりの無さという懸念があり、他の町に比べてややしんどいかな?という気がします。でも、官民力合わせて、なんとか魅力ある町にチェンジしてほしい。できれば、快道メーカーが生きてるうちに。

余談ながら、市長さんが講演で自慢された話によると、全国の1700余の市町村で、国宝や重文など文化財の保有点数の多さでは河内長野市は12番目だそうです。(一位は京都、二位は奈良)

会場風景 開演時は補助席でるほどの盛況でした。
高野街道フォーラム会場 

★快道ウオーカーからの便り

MM子さんの Newさざなみ快道ー紀行文ー ②

●豊里大橋から枚方大橋まで     3月7日(日) 
 
曇天の中8時発。
鳥飼仁和寺大橋で休憩。ここまではお天気も災いしてか、出会う人が非常に少なかった。Tさん持参の温かいチャイと各自のパンやおにぎりでおやつにする。ここのパターゴルフが27ホールもあって安価なことがわかり、道具の貸与ができれば来てみたいと全員の意見一致。

再出発後、風と雨、寒さが増し、樟葉までの予定を変更し、鍵屋資料館へ。舟止めの跡から当時の川幅がおしはかられ、二階からの眺めは雨にけむって一層風流。昔にタイムスリップできました。三十石船に乗ってみた~い。

資料館から数分のところでみつけた古民家をリフォームしたイタリアンの店でランチ(1000円)することに。このお店は夜ジャズの生演奏があるそうで、ピアノなどの楽器がおいてあり、それが土壁とコラボしていて良い感じでした。男性客1:女性客10。
京阪に乗り京橋に1:45着、解散。とても寒い一日でしたが、15キロ歩き、資料館で学び、心も体もほかほかあたたまって帰ってきました。 MM子

森田さざなみ枚方まで  

同                                 

古写真再生 昭和は遠くなりにけり

●昭和の古写真<長居競馬場> 意外なところで再生

 2月8日、創元社の編集部からメールが届いて、長居競馬場の写真を探しているが、文献ではどうしても見つからない。ネットで検索したら、貴方のブログで一点見つかった。ぜひ使わせてほしいという旨の文でした。あれがそんなに珍しい写真なのかと、こちらが驚いたくらいですが、スキャンした写真を送信したところ、即日、お礼とともに、写真は大阪検定関連の本に使うとの返信がありました。

昨日、御礼の印にと贈られた本を見て納得しました。この写真が使われたのは、大阪検定公式出題・解答集「大阪の問題集」の203頁、2級の問題、解説記事です。大阪市内の公園で、過去に競馬場として使われたのは次のうちのどれか、という四択の問題で、①住之江公園 ②大阪城公園 ③長居公園 ④鶴見緑地 ・・正解は③長居公園というわけです。 正答率は66%。

このブログで紹介しているページはこちら (2008年7月14日掲載)
http://oskjk.blog107.fc2.com/blog-entry-379.html

大阪検定本中身 

大阪検定本 

ついでに、次頁204頁のやはり2級の問題は「東淀川区に本社を置く、パンや洋菓子のメーカーはどれか」で①山崎製パン ②神戸屋 ③フジパン ④敷島製パン ・・しょーもない問題やなあ、と思いますが、正解は②神戸屋ですね。阪急京都線の線路際に大きな工場があるので京都線利用者は100%正解でしょうが、他の地域の人は迷うかもしれません。正答率は35%とかなり低い。
■本書は創元社より3月10日発行 価格1000円+税 です。
■創元社のホームページはこちら・・・
http://www.sogensha.co.jp/
 
もう一つ、ついでを言えば、拙著「なにわ快道」商都コースはこの工場前の道を歩きます。ま、同じ問題は二度と出ないけれど。

なお、今年の第二回大阪検定は7月4日(日)に大阪府立大学中百舌鳥キャンパスで行われます。
■大阪検定の情報はこちら・・・
http://www.osaka-kentei.com/

大阪日暮綴

●行方不明の太子地蔵、バラバラ処分?

 さる2月17日に書いた、大阪日暮綴 ●ボーゼン・・400年の歴史史跡が空っぽ!! の記事、報告先の西成区役所から電話があって、あいまいながら顛末がわかりました。江戸時代から座っておられた太子地蔵はん、土地の所有者によって現地から運び出され、破壊された可能性が高いという、最悪の結果が知らされました。いやはやなんとも・・ナムアミダブツでございます。

 職員の話によると、この遺跡は所有者の個人所有の土地で、ということは、固定資産税を延々と払い続けてきたあげく、今回、誰かに譲渡したらしい。で、更地にする前に、坊さんを呼んで地蔵の魂を抜く供養を行い、レッカー車で運び出し、建設廃材のごとく、バラバラに砕いて処分・・あるいは、どこかの山中にこっそり捨てた・・。なんにせよ、江戸時代から庶民の心の拠りどころであったろう太子地蔵は住民の思いなどに何の配慮もなく抹消されたことになります。

もし、このようなことが西成区の最もディープな町以外で起きたら「事件」になった可能性が高い。また、おそらく移転先が見つかって、お寺や公園の片隅にでも安住出来たのではと想像します。なのに、全然、問題にならなかったというのがいかにもご当地らしい。近隣で何が起きようとわれ関せずの街・・と諦めるしかないのか。

所有者には法律上なんの瑕疵がないにしても、近隣にもお寺がたくさんあるのだから、せめて事情を話して移設の話を持ちかけてほしかった。それがダメなら、あの懐の深い?一心寺さんへ救済方を相談してほしかった。その程度の努力が出来なかったのだろうか。なんて、アカの他人がごちても埒があきませんが、西成区太子という町名の由来にもなった太子地蔵を処分した人の心、測りがたい。

■2月17日の記事
http://oskjk.blog107.fc2.com/blog-entry-805.html

ア・ラ・カルト

●ひな飾りの伝統、まもなく消滅?

 「家庭で楽しむ「ひな祭り」と「端午の節句」の伝統は平成時代に途絶えた」数十年後に発行される現代史にはこういう解説がなされるかも知れません。ミニサイズの飾りはともかく、五段、七段といった伝統的な雛壇を飾る家庭はもう絶滅に近い状態にまで減ってると思います。さりとて、誰もが無関心ではないので、見たければ雛まつりイベントを行う町に出かける。こんな風潮がふつうになってきました。

今風にいえば、雛飾りのアウトソーシング(笑)自分でできないことはヨソにお任せってわけです。 見てるだけ~・・で満足。ひな祭りを観光ネタにして集客を目論む町がふえ、実際そこそこ賑わってるので所有者も見せがいがあるし、満足度は高いと思います。
 雛飾りは博物館で見物するもの・・すでに子供達はそう思いこんでるかもしれませんね。下の写真は近江八幡市内の施設で撮影したものです。(3月3日)

ひな祭 

ひな祭り2 

ひな祭3 

ひな祭り4 




閑人帳

●22222・・面白登山、無事達成!

 2月5日の「閑人帳」で紹介した、HKさん企画の2222・・づくし登山が無事達成できたとの便りをいただきました。この快挙?に乗じて、次は3333・・も狙うとか。となれば、今上陛下にはなんとしてもあと11年在位してもらわなくちゃ・・お互い、サバイバルレース突入でございます。

ここからコピー
 222・・おかげさまで当初の予定通り節目の瞬間を達成、 22年2月22日2時22分22秒、紀州南部・高田山222米、22名で。 いい歳をしたメンバ-で歓声をあげました。

思えば11年前、やはり1111111111111111に拘りましたが、 その時以来の念願達成でした。よき歩き仲間に囲まれてとても 幸せに思います。日本一の南部梅林の近くでした、梅も満開の 笑顔で迎えてくれましたし、当日の宿・国民宿舎「紀州路 みなべ」も絶景のロケ-ション、楽しい宴になりました。

この上はこの先11年後、33年3月3日・・・333米の山に登ろう と新たな計画を早速スタ-トさせました。 滋賀県は近江八幡市、 琵琶湖沿い西国三十三ヶ所の札所で有名な長命寺 のちょっと先 の山「長命寺山」です。長寿を願ってのいい名前 の山です。 メンバ-お互いに微妙な年代ではありますが、遊び 心半分に、 真剣な目標半分、、でやってみるつもりです。

写真は高田山での集合写真です、山頂といってもカッコのいい ピ-クではありませんが、カメラマン一名を除き21名の写真です。 平均年齢は70歳超でしょうか。

2222登山