読書と音楽の愉しみ

●文藝春秋 拾い読み 「法隆寺は燃やされた」 
                 (09-6月号 武澤秀一 著)

 なんだか恐ろしいタイトルでありますが、法隆寺や聖徳太子に関心のある人は知らん顔できない、大事な問題を扱った内容です。そして、今まで謎とされてきた法隆寺再建に関わる疑問の半分くらいは答えが出た、そう思わせるレポートになっています。今から30年くらい前に発行された、梅原猛著「隠された十字架」を読んだ人はぜひこの「謎解き」を読んでみて下さい。

いま私たちが拝観できる法隆寺は、「聖徳太子が建立した世界最古の木造建築物」だと思ってる人がいたら「ブブーッ」×です。最古の木造建築は正しいけど、実は再建された二代目の建築であり、聖徳太子が建立、は間違いで、答えは誰が建てたか不明。こんな基本のキからして怪しいお寺であります。

実は、現法隆寺が初代か二代目か、も大論争が続き、二代目が正解と決着がついたのは1939年、駄目男が生まれた年でした。わずか70年前のことです。
 数年前「隠された十字架」を読んでえらく感銘を受けた駄目男は、聖徳太子に関する本を片っ端から読みあさり、ワルのりして「太子快道」マップまでつくってしまったほどでありました。 

しかし、肝心の聖徳太子や法隆寺に関する謎解きはさっぱりできず、よけい混乱が増しただけでした。聖徳太子架空人物説や実は外国人だったという説も妙に説得力があり、頭の配線がワヤワヤ~とこんがらがってしまいました。

さて、この記事で最も興味津々だった謎解きは、初代法隆寺が焼失する前に、二代目の法隆寺の建設が進み、本尊である釈迦三尊像は新しい堂に引っ越していたという推理です。初代法隆寺は焼失したのに、そこに祀られていた本尊など多くの仏像は無傷であるのはおかしい、謎だ、というミステリーはどうやらこれで決着がつきそうな気がします。

そんなことがどうして分かったのか。これを解いたのが木材の年輪測定です。 2004年、金堂の部分修理の際に天井などの部材の精密測定を行い、古いのは西暦667~8年に伐採されてることがわかりました。初代法隆寺の焼失が670年ですから、この材木は焼失する前に既に切り出されていたことになります。ふつうは火災のあとで再建計画が建てられ、資材の手配などをすすめますが、この場合、火災前から二代目の設計、建築が始まっており、最初にできた金堂に本尊などを移しておいた。だから火災でも無事だったというわけです。

こんなに単純化して書くとマユにツバされそうですが、なかなか説得力はあります。かの梅原先生をさんざん悩ませたこの問題、目からウロコ的発想、判断で一件落着しそうです。(むろん、これが結論ではありません)

では、最大の謎、誰がなんのために法隆寺を建てたのか?はどうか。
記事の著者、武澤先生は天智天皇ではないか、と推定しています。読めばこれもナルホドと思わせる論ではありますが、むろん定かではない。因みに、梅原説では藤原一族が太子の怨霊を鎮めるため、という説です。いずれ定説に近い答えがでるかもしれないが、駄目男が生きてるうちは・・たぶん、出ないでせうね。

記事のタイトル「法隆寺は燃やされた」は、初代法隆寺は「日本書紀」に書かれてるような、落雷(天災)による焼失ではなく、もしや・・天智天皇自ら「燃やした」のではないかという推理によります。天皇がなんでそんなエグイことを・・。もし、これが事実なら、天智天皇は生涯で殺人と放火の罪を犯したワルになります。

□622年・・聖徳太子死去
□643年・・蘇我入鹿の軍が斑鳩宮を襲撃
       
太子の息子の家族や従者二十数名は全て自害。一族絶滅    
□645年・・中大兄皇子(後の天智天皇)が蘇我入鹿を斬殺。(大化の改新)
□670年・・初代法隆寺焼失。武澤説では天智天皇が放火?

日本書紀の記述が正しければ、聖徳太子の子孫一族は、天皇家累代のなかで最も悲惨な最期を遂げたことになります。もし中大兄皇子が、その秋葉原事件どころではない凄惨な現場を目にしていたら、生涯脳裏に焼き付いていたに違いない。すなわち、初代法隆寺は耐え難いほど忌まわしい寺でありました。ゆえに・・・こうして、また空想が一人歩きしはじめ、十人十色の法隆寺論ができてしまうのであります。

この記事とほぼ同じ内容の番組が、3月にNHKスペシャル「法隆寺再建の謎」 のタイトルで放送されました。

■NHKの番組紹介
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090315.html

読んでも読んでも、謎が解けない・・聖徳太子各論
法隆寺はもやされた 

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閑人帳

●「屑神社」 なんてあるのか!?

答え・・・あるんです。
下に掲載の<古道紀行 おおばこの会>の例会予定、第141回,忍阪の道・・の行程に「嬉河原屑神社」の名前があります。屑神社なんて文字の誤入力?と思って検索したら、ほんとにありました。
 クズという読みの神社は、普通は葛、国栖、久須、などの文字を使いますが、「屑」はありえん! 冗談 やろ、神さまに失礼や、と思うのが常識です。

なんで「屑」なのか。興味津々なのに案の定よく分からない。
下に紹介のHPをあけると、昔は春日神社だったが、1927年、昭和のはじめに屑神社に改名したとあります。大昔の話ではなく、80年くらい前の話というのが又興味をそそります。それなら「屑」に変えたいきさつを知ってる人が周辺におられると思うのですが・・。まさか、過去何百年お祀りしたのに何の御利益も無かったので、この屑め! と屑神社にしてしもた・・ではないでせうね。

文では支配者に虐げられた民衆の反感、怨恨かも・・みたいな説明もしています。真相はどうだったのか。HP文、前段のおわりに出てくる「エウカシ」って何なのか。これは古事記に書かれた、いわゆる神武東征記に出てくるキャラクターの一人、当地、宇陀地方を支配していた兄弟の兄の名前です。
 彼は神武天皇に恭順の意を示さなかったばかりか、暗殺を企て、しかし、失敗して自分の仕掛けたワナに落ちて死にます。神武サイドから言えば、これで目出度し目出度しの大団円。

しか~し、平定された地元宇陀人は・・・。の話と屑神社が関係あるのかどうかも不明ですが、まあ、いろいろ想像をかき立てる名前の神社ですね。

■大和の神々「屑神社」のホームページ
http://kamnavi.jp/as/uda/uresi.htm

■古事記に出てくる「エウカシとオトウカシ」のドラマ
http://www.melma.com/backnumber_91972_626781/

「神武東征記」は数年前、図書館で子供向きの本を借りて読みました。神話だから荒唐無稽この上なしですが、艱難辛苦の冒険物語として読めば面白い内容です。ただ、東征ツアーのさなかに、同じ場所に一年も滞在したりして、今風にいえば「こんなダルいプランでは兵士のモチベーション下がりまっしゃろ」とツッコミたくなるし、大和へ行くのに大阪湾からの上陸をあきらめて、海路熊野まで行って超遠回りコースをとるいきさつは子供でも「アホクサ」とシラけそうです(笑)。

キャプテン神武の一行は熊野で上陸して一路北上します。国道なんかありませんから毎日毎日藪こぎの連続。方位は磁石がなかったので三本足の「ヤタガラス」をナビゲーターに使い、ようやく大和が近づいたところ、宇陀で邪魔したのが「エウカシ」でした。藪こぎの苦労だけで大和へゴールインではドラマにならないので、こんなエピソードを加えたのでせうか。

読書と音楽の愉しみ

ライブは愉し・・・最近の演奏会から

●渡辺貞夫ライブ
 高価なチケットを頂戴して、はじめてナベサダのライブを聴きました。
チラシでプロフィールを見たら、ナベサダさんは1933年生まれ・・ギャッ、もう76歳ではありませんか。ずーっと中年オジサンのイメージを抱いてきたので、これは少しおどろきです。(自分も年食ってること忘れて勝手にイメージ固定してる)

演奏した曲のほとんどは自作のフュージョン系のもの。スタンダードは2曲のみで、その一つは「SHADOW OF SMILE」 懐かしいなあ。
 ふつう、2時間のコンサートなら途中で休憩タイムがあるのですが、これがノンストップです。オジンは少々疲れました。聴くほうが疲れてるのに聴かせるナベサダさんはすんごいスタミナで出ずっぱり。この人、しゃべるよりサックス吹いてるほうが楽なんだろなと本気で思いました。じっさい、おしゃべりはヘタだし。あと10年くらい現役やるんじゃないですか。

編成は彼の他はピアノ、エレキ、エレキベース、ドラムス、パーカッションの6名で、ピアニストはときどきコンガも叩いてました。なるほど、ナベサダ・サウンドはこうして生まれるのか。サウンドに味付けをするのはセネガル人のおじさんが担当するパーカッションで、これでラテン、アフリカっぽさが出るんですね。エレキが主役なら「サンタナ」に似てるんちゃうか・・なんて想像もしました。嗚呼、なづがじい~! 余計なことながら,このオジサンの名前がンジャセ・ニャン。ンではじまる名前もあるんですねえ。

春宵一刻、ナベサダ・サウンドに酔い、帰りは梅田のクルラホンで酔っ払って帰りました。(5月14日・西宮芸セン・中ホール)

ナベサダ ちらし 


●名曲コンサート 「ザ・チャイコフスキー」
 地元、大阪生まれの若手ピアニスト、関本昌平クンはまだ24歳。さきのショパンコンクールで第4位に入賞の実力あらば、チャイコのピアノ協奏曲くらい朝飯前や、と実際かるがると弾いたのであります。第一楽章のカデンツアが聞き慣れないので、どこで仕入れたん?なんて余計なこと考えたけど、こちらの記憶違いかもしれない。

メインは交響曲第5番。 チャイコさんの交響曲の好き嫌いは明快にあって、4・6・5の順。ゆえに5番は聴く回数も少ない。なぜビリなのかといえば、全体の流れの悪さとドラマチックさがイマイチだから。特にコーダが気に入らない。
 今日の演奏で不満だったのは、編成をケチったために音の厚み、ふくらみがなかったこと。コントラバスが5本ちゅうのはねえ・・。弦セクションだけでもう12,3人欲しかった。指揮は岩村力。

しかし、A席で3000円という「名曲コンサート」とあらば、そんな不満は言えません。コストパフォーマンスを考えたらこれで精一杯でしょう。年に何度かの「客寄せパンダ」的企画で、とにかく一人でもファンを増やすのが目的ですから、そこんところは我慢しなければ・・と、とても物わかりのいい駄目男でありました。(5月9日 西宮芸セン・大ホール)

閑人帳」

●どっこい、生きてる 「国民宿舎」

 昭和30~40年代に大人気だった国民宿舎。国の施策としては珍しいヒット作だったと思います。しかし、幾星霜を経てほとんどが老朽化し、あるいは経営のヘタクソさで廃業続出、もう絶滅したと思ってました。公営のユースホステルも同じ運命をたどりました。

ところが、ほんの少しの宿舎だけが大人気施設となって残ってることを知りました。施設の評価は普通「稼働率」ではかりますが、下に案内している茨城県の「鵜の岬」はこれがなんと96パーセント、信じがたい高率です。要するに年中満員御礼状態で経営しています。
 なんで??のワケはリンク記事を読んで頂くとして、立地や施設のグレード+ヒューマンファクターがすごく大事だということがわかります。裏返せば、他の赤字の責任を問われず、「官」の発想から抜け出せなかった宿舎はぜんぶオシャカになったということです。

それにしても、年末年始の宿泊は競争率80倍!とは・・。ヒマなホテルのオーナーからみたらヨダレたらたらの妬ましさです。
 で、大阪にも残ってるのか、と見たら、全滅でした。京都も全滅。奈良県はつつじで知られた「葛城ロッジ」一軒のみ。兵庫には「赤とんぼ荘」など数軒残っています。

大阪近辺では、新高野快道の近くにある「紀伊見荘」が生き残り組。しかし、先日、紀見峠の丹波屋さんを訪ねたおりに伺った話では、もう何年も前に地元の人が買い取って(又は借りて)経営しており、サービスが良くなったせいで客が増えてるとのことでした。しかし、看板は全く変えてないので、知らない人は公営国民宿舎と勘違いするかもしれません。

さて、来月のはじめに「定額給付金 活用ツアー」なる名目で吉備路の「サンロード」という宿を利用しますが、実はここが総社市経営の国民宿舎で、稼働率が「鵜の岬」に次いで第2位(83パーセント)という施設です。まだ築数年みたいですが、よくぞ建てる勇気があったなあ、と変に感心します。どんな宿なのか、なんで2位なのか、見てきたいと思います。

■「鵜の岬」の人気絶頂ぶりをご覧下さい。
 下のほうに「サンロード」も出てきます。
 
http://www.jsdi.or.jp/~y_ide/031120uno_no1_b.htm

■他の生き残り国民宿舎の情報はこちら・・
 
http://www.kokumin-shukusha.or.jp/

閑人帳

●各地で散歩コースの開拓、PRが盛んに・・

 健康増進、観光振興、タテマエがなんであれ、楽しく歩けるウオーキングコースの充実は嬉しいことです。大阪市では、この春から「大阪あそ歩」と名付けたミニコースの情報が公開され、ボランティアガイドによる詳しい説明付きのミニツアーもはじまりました。いつまでも、キタ、ミナミ、海遊館だけやあらへんで・・と、大阪の街再発見を意図した企画です。

プランを見たら「大阪食い倒れ 料亭シリーズ 高麗橋 吉兆」なんてのもあって、それで、な、な、なんぼやねん、と参加費見たら、35000円! うぎゃ~~、定額給付金ぜんぶ注ぎ込んでも足らんやおまへんか。
 ま、一見さんおことわりの店だから、こんな機会でないと行けませんけどね。甲斐性のある人は行っとくなはれ。

コースの地図はプリントできますので、好きなエリアを選んで散歩するのもいいでしょう。まだ数が少ないですが、将来は100コースくらいできそうです。

新潟県でも合計44コースを選んでPRしています。昨年「交流会」で訪ねた関川村も紹介されています。あのへんは村中散歩コースだらけって感じの環境なのがうらやましい。村上市にもコースがあります。

■「大阪あそ歩」の案内はこちら・・・
http://www.osaka-asobo.jp/

■新潟県の健康ウオーキングコースの案内はこちら・・・(県庁のHP)
http://www.kenko-niigata.com/21/step2/undousyuukan/walkingroad/index.html

閑人帳

●惜しまれない人・・小沢一郎

政権奪取のためには身を捨ててでも・・と悲壮な決意で辞任したのに、国民のあいだで惜しい、残念だという声がまるで起きないのが小沢サンの情けないところ。民主党支持の有権者だって大半は「良かった、ホッとした」気分でしょう。妙な話ですが、この見識は正しい。

逆に、自民党支持者は「惜しい、辞めないでほしかった」という反応。なぜなら、相手が岡田さんとかより、不人気の小沢サンのほうが戦いやすいから。ご当人は無念やるかたないといった心境でしょうが、遠からず、あのとき辞めて良かったと安堵する日がくるでしょう。

あまり表沙汰になってないけど、小沢さんの秘書の一人は韓国の女性。国の税金で賄われる秘書雇用になぜ韓国人なのか。ルール上、問題がないとしても、韓国は日本を「仮想敵国」視している国です。現に竹島を不法占拠している。なんでそんな国の人を秘書にするのか。この点でも説明責任があるでしょう。まして、政界の実力者と秘書の関係であれば、大事な国家機密が流出する心配多々です。

もし、小沢サンが総理大臣になったら、この件で国民は納得するだろうか。「んな、アホな!」と反応するのが普通でしょう。 在日への地方参政権付与を言い出したのも、この秘書さんの件と無関係とはいえないかも知れない。そうだとしたら公私混同もええ加減にしろ、と言われるでしょう。裏金問題で逮捕された秘書と情報筒抜けかもしれない韓国人の秘書。「一点のやましいところもない」やなんてよく言うね。

夫人が創価学会信者だというのは真相不明なので、また仮に事実であっても他人がとやかく言えないが、自民と公明との癒着を批判してきた民主党や民主党支持者にはうっとうしい話です。この先、小沢サンや民主党が公明党批判のパワーを落としたら、事実かもしれないという疑念が湧く。民主党と公明党が手を組む場面だってあるかもしれない。(その前に民主党が空中分解しそうだけど)

秘書が韓国人で奥さんが学会信者(仮定・下の参考情報参照)。こんな人に国家の経営を任せていいのか。・・・なので、今回の辞任は本人のため、国民のためにとても良い判断でした。
 
■秘書が韓国人、の問題を批判するブログ
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-880.html

■真偽不明・参考情報
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019556&tid=ja1ed9afiwfb3u&sid=552019556&mid=278827

読書と音楽の愉しみ

●堀田善衛著 「方丈記私記」を読む

 先に掲載した「定家明月記私抄」と同じ著者の作品。
生まれてこの方に読んだ読み物の中で、名文ナンバーワンは何か、と問われたら、ためらわずに「方丈記」を挙げます。この評価はたぶん死ぬまで変わらない。また、本好き100人に同じ質問をしたら、かなりの人がベストテンにこれを選ぶのではないかと想像します。

本書は「方丈記」に惚れ込んだ著者が、感動賞賛しつつ、一方で一言一句、重箱の隅をつつくがごとく、テッテー的に詮索もし、「しかし、鴨長明って、けったいなオッサンやおまへんか」と、おちょくったりもするのであります。ここんところが文学研究者の鴨長明論とはぜんぜん違う。「私記」と名付けた由縁でしょう。

名文礼賛は棚の上に置き、読者のほとんどが気になるのは長明の人生観、ライフスタイル。出世の見込みがなくなった(あるいは自ら遠ざけた)男が世を拗ねてひきこもり的生活を選び、なお徹底するために都会から出て山の中に手作りの小屋(方丈庵)を建て、清貧の暮らしをはじめるが、しかし煩悩を払拭できず、世間のことが気になってしようがない・・。

なんのことはない、ホームレスおじさんがブルーシートと段ボールで小屋をつくって橋の下暮らし・・と基本的に同じです。実際、方丈庵ではボロをまとったような情けないザマで暮らしたかもしれない。しかし、よく読むと、わずか四畳半のスペースに竹でつくった吊り棚をつけたり、趣味の琵琶や琴を置いたりしてるのだから、段ボールハウスよりは「庵」のイメージになる。引きこもりと言いながら、実は来客があったりして・・(笑)。
 方丈庵の説明のくだりを読むと、長明はセンスのあるインテリアデザイナーであると思えます。実際、かなり手先の器用な人だったでしょう。

世間から孤立、山中のひとりぼっち暮らしをうたいながら、じつは人脈もあり、それが貴族や皇室につながる人物だったりして、ただいまのホームレスとは大違いというのが実状らしい。だからといって、かの名文の評価に差し障るものではないが、肝心の原本が失われているため、方丈記の真相が100パーセント分かってるとはいえないでしょう。

ヘタな文であーだこーだと感想を述べるより、本文の冒頭をコピーして、ダイレクトに「方丈記」セールをしたいと思います。方丈記を通読してから、この 「方丈記私記」を読むと楽しさ10倍アップ!。

              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。

住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。

いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。
火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で來けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。

その中の人うつゝし心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。七珍萬寳、さながら灰燼となりにき。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六燒けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が二(一イ)に及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ邊際を知らず。人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。(以下略)

■「方丈記私記」はちくま文庫版 700円+税

方丈記 

■方丈記の解説はこちら・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E4%B8%88%E8%A8%98

■方丈庵のあったところ(宇治市日野)はハイキングで行けます。
 現地を訪ねたブロガーさんの案内記です。
 
http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/51118781.html




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●やまねこさんの「さざなみ快道を往く」② 

中之島~豊里大橋(太子橋今市)                                                                                     

5月1日 日本晴れ
午前8時家を出る。大阪着9時20分 大江橋より歩き始め9時40分
バラ園は5月1日開園なれど一部のみにて、通りぬけは出来ず中之島のループ階段は工事中のため歩行だめ。途中ブルーのテント村があったが川と船が上り下りするのを横に見ながら川崎橋までのんびり歩く。

途中ドンキホーテにて昼食を調達し近くの公園にて食事をすます。11時50分
毛馬の閘門12寺40分 それから大川を離れて淀川の堤防の上をえんえんと歩く。少し日差しは強かったが時折川風に吹かれて暑くもなし、汗はあまりかかず快適な歩行だった。太子橋今市バス停で折りよく布施行きのバスに乗車出来、14時2分発近鉄布施に到着14時50分大変快適な1日でした

メール投稿のページ

●今年も盛会でした「高槻ジャズストリート」 ATさん                 

ご無沙汰しております。今年も高槻ジャズストリートにいってきました。私にとってゴールデンウィークの必須行事になっております。今年は大不況の影響と毎年100万近い赤字を出していることから開催を心配しておりましたが、例年どおり5月3,4日に開催されました。いままでに比べると縮小しておりますが・・。

今回、渡辺貞夫の弟である渡辺文雄と岸ミツアキの素晴らし演奏を聴き大満足でした。こんな素晴らしい、無料できけるジャズフエステバルがいつまでも続くことを祈っております。

■当日のにぎわいぶりを伝えるブログ「大阪のほんま」を紹介します。
 
http://blog.livedoor.jp/osakanohonnma/archives/51462564.html

★メール投稿歓迎・・公開可否を書き添えてお送り下さい。
 
kai545@violin.ocn.ne.jp   快道メーカーあて

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読書と音楽の愉しみ

●谷川彰英著 「大阪 駅名の謎」を読む

 著者は長野県生まれ、東京暮らしで大阪人にとってはヨソモノでありますが、それゆえに私たち大阪人がなんとも思ってない日常・・この場合は駅名・・にえらく興味をもって、こんな本まで書いてしまったのであります。

そういえば、枚方や放出や十三なんて確かに難読ではあるけれど、なんでそう読むのか、今更詮索する気もないのが普通でしょう。しかし、ヨソモノは俄然気になる。調べずにはおれない。で、古事記や日本書紀までひもといて難読の謎に迫るのでありました。読めばこれがなかなか面白い。

そんな駅名詮索大好きな著者が、あなたは何個読めますか?と「大阪駅名検定」として30の駅名を掲げています。幸い駄目男は全部読めましたが、以下にコピーしますので試して下さい。大阪人は8割読めれば合格だと思います。

●十三 ●放出 ●鴫野 ●徳庵 ●喜連瓜破 ●北巽 ●正雀 

●上牧 
●柴島 ●箕面 ●牧落 ●門真市 ●枚方市 ●樟葉 

●私市 ●弥刀 
●恩智 ●堅下 ●枚岡 ●布忍 ●土師ノ里 

●大小路 ●粉浜 
●伽羅橋 ●七道 ●淡輪 ●孝子 

●栂・美木多 ●我孫子町 ●百舌鳥

伽羅橋なんて駅、どこにあるねん? って不思議に思う方おられて当然です。南海電鉄の支線、高師浜線にある駅で一般には知名度は皆目ないでしょう。

大阪以外の人には、駅名より地名として読めるケースが多いので十三や枚方も苦になりませんが、別に有名でもない地名である柴島、布忍、孝子なんかは難しいでしょう。

著者は、大阪の駅名や地名には日本のルーツが現れていると述べていますが、浪速や日下(東大阪市)といった名は古事記に描かれた神武東征の話にでてくるものであり、樟葉は継体天皇ゆかりの地であることを知ると、改めて歴史の重みを感じます。不動産開発業者が安直に名付ける「希望ケ丘」なんて、とても1000年続くとは思えませんね。(祥伝社黄金文庫 600円)

大阪駅名の謎  

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ア・ラ・カルト

●改装「造幣博物館」見学

硬貨や勲章を造る造幣博物館が改装オープンとのことで、初めての見学です。お金(硬貨)を造る役所だから財務省(旧大蔵省)直轄かと思えば、今は独立行政法人だそうです。ま、中味は変わらないと思いますが。

入り口は銀橋(桜宮橋)のたもとにあり、住所氏名を書いて入場します。博物館までの通路は桜の「通り抜け」の道、今は緑の並木道です。内部は一新されたらしく、ディスプレイも十分お金をかけたと思われるリッチなもの。欲をいえば「お札」も見たいのですが、こちらの製造物ではないので展示はありません。

ハイビジョン映像による工場の歴史や硬貨の製造過程など、要領よくまとめてあってわかりやすい。それに明治~大正時代に使われた機械、器具のメカやデザインがとても魅力的です。手作りの大判小判の時代から、いきなり蒸気機関による大量生産へ移行したのだから、開設当初の、ついこの間までチョンマゲを結っていたエンジニアの苦労が忍ばれるというものです。技術情報も乏しく、先輩もいないなかで、よくもこんな複雑な機械が作れたもんだと感心します。

土日と祭日は休館。入場無料です。JR桜宮駅から大川端を散歩して行くのがおすすめのアクセスです。(5月1日)

■造幣博物館案内
http://www.mint.go.jp/plant/visit_museum_h.html


造幣博物館 

同2 

同3 


玄関にある大時計。工場の技師が1876年(明治9年)につくって工場内に時刻を知らせた。1998年に修理して現在も時を刻んでいる。
同4 

展示室は1~3階まであり、エレベーターも新設。ディスプレイは宝飾店のようにリッチ。
同6 

貨幣の原点は石や貝殻だった。
同7 

昔の硬貨の鋳造を復元したもの。現代は打ち抜き、プレス加工になっている。
同8 

徳川家康の時代に使われた「慶長大判」 1601年に16000枚造られ、家康が関ヶ原の戦いの恩賞として各武将に手渡したものではないかと・・。
10×7センチくらいで164グラム。純度1000分の671。
同9 

江戸時代の造幣局? 大判小判の製造所の様子がジオラマで展示してある。
これは最終工程で、目方を量ったり、花押を描いたり・・という、今なら品質管理部の仕事みたい。
同11 

昔は、旅に出るときはお金をいかに守るか、いろんな工夫をした。
これは刀にみせかけた財布。鞘を抜くと刀身の代わりに銭を収納できるようになっている。うっかり抜くと道に銭をばらまく恐れありです。
同12 

同13おわり

(完)撮影5月1日
 

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