加賀屋新田会所・・ア・ラ・カルト

●住之江区にある江戸時代の屋敷「加賀屋新田会所跡」

 ようやく涼しくなったので、お出かけガイドを復活します。
新田会所といえば、大東市の「鴻池新田会所」が有名で、見学したこともありますが、近くの住之江区にも江戸時代の会所が残ってることは数年前まで知りませんでした。大阪市内では唯一の史跡です。

江戸時代、新しく田んぼを開拓した土地で、有力者が地域の事業本部ないし、趣味のサロンとしてつくったのが「会所」です。大和川河口一帯でも新田が生まれ、富田林出身で大阪で両替商を営んだ、加賀屋甚兵衛が事業者であったことから「加賀屋」の地名が生まれました。市内では港区の「市岡」も新田を開拓した「市岡」家が町名の由来になっています。

加賀屋新田会所は、地下鉄住之江公園駅から南南東へ徒歩15分くらいのところにあります。一帯は住宅も道路もほとんどが戦後に作られているので、江戸時代の屋敷があるなんて想像しにくい環境です。
 敷地は約4300平米(1300坪)江戸時代後期の宝暦4年に屋敷ができているので、250年くらいの歴史があります。時代を経て改築や修理のために、原型のままではありませんが、近年、大がかりなリフォーム工事が行われ、無料公開されています。


■加賀屋新田会所の案内はこちら・・・。
http://www.mapple.net/spots/S0000000961.htm



入り口は復元された長屋門から
加賀屋1 


高額の復元工事費は、こちらさまの寄付金でまかなわれました。
なにはともあれ、競艇ファンに感謝! ?
加賀屋3
 


庭を通って玄関門へ
加賀屋4 


玄関の「冠木門(かぶきもん)」はビッグサイズの瓦を使ったユニークなデザイン。
京都大徳寺の瓦をコピーしたものという。
加賀屋2 


庭園は地盛りしてあり、屋敷から海が見えたのかもしれない。
周辺は広大な田園だったから、さぞやのどかな風景だったでしょう。
加賀屋5 


このガラス障子入りの廊下は当然後世の増築。
きゃしゃな作りで、そろそろ歩かねばならない。
加賀屋7 


キッチンまわりも一応保存されてます。
加賀屋8 


書院のふすま絵は雪舟の後継者、雲谷等益の作とか。
加賀屋6 


細部にさりげなく耐震補強がなされている。
実際、見るからに地震には弱そうな建物であります。
加賀屋9 



庭園のあずまやに置かれた不思議なオブジェ、実は木製階段。
丸太にステップをきざんでいる。形から「雁木」と呼ばれた。
加賀屋11 


資料室に陳列されてる書状。ハンコをたくさん押してあるいかめしい書面ですが、これは借金の申し込み状のうち、担保物件の一覧を書いてあるもの。
加賀屋10 
(完) 撮影4月29日

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鉄道発掘物語(展)・・ア・ラ・カルト

●鉄道発掘物語(展)・・府立弥生文化博物館

 鉄道の歴史も100年を越えると、懐古趣味を越えて「鉄道考古学」なんて冗談みたいなテーマをつくって研究する人が出てくる。物好きな人もいるもんや、と感心していたら、その研究成果の展示を古代史専門の弥生博物館でやるという。物好きはさっそく見物に出かけました。ひとのこと、言えまへんな。

展示のタイトルが「鉄道発掘物語」 観念的な「発掘」だと思っていたら、本当に地面掘って遺物を掘り出すんですね。レールとか枕木を掘り出して保存加工し、展示してあります。・・ということは、わずか100年未満でも地下に埋もれてしまう線路敷きがあったということです。

その他の展示品は、戦前生まれの人には懐かしいものばかりで、しばし、タイムトリップを楽しむことができます。 本展は10月19日まで。

■弥生文化博物館 御案内・・・
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/



博物館へは、阪和線・信太山駅下車、徒歩7~8分。
昔の集落道を抜けて行きます。
同17 



弥生文化博物館は、橋下知事の発案で廃止が取りざたされましたが、
さて、どうなるのか・・。

同16 



鉄道発掘物語展の会場。
同11 


岸和田で発掘したのは、煉瓦工場と原料の土採取場を結ぶトロッコ線路だった。
鉄道考古1 


発掘されたレールと枕木。樹脂で保存加工されてるのは考古遺跡発掘品と同じです。
同3 


工場で作られた煉瓦の見本
同2 


トロッコを使う工事現場の例。終戦後の復興期もこのような風景があちこちで見られ、人夫の目を盗んでトロッコ遊びをしたものです。この写真は竜華操車場建設期のもので、地下通路建設現場。(現在の久宝寺駅の地下通路)
同4 


これは、枚方市禁野(きんや)の旧陸軍弾薬工場跡で発掘されたトロッコ線路あと。
コンクリートの枕木が残っている(04年発掘)
現在の中宮団地界隈に当たる
同8 


火薬庫の大爆発事故。この事件は、戦前生まれの人はおおかた知ってるはず。
ちょっとした作業ミスから大爆発事故を引き起こし、多くの犠牲者を出した。
同5  


久宝寺遺跡で発掘作業・・というと、聖徳太子の時代を想像しますが、ここでは明治時代の線路の発掘が行われました。左前方の白いビルはシャープの八尾工場。現在、下水処理場?の工事がたけなわです。
同9 


昭和13年の関西線湊町駅発時刻表。一時間に2本くらいしか無いから「通勤列車」はなかった時代。行き先の広範囲なのには驚きます。
同10 


明治39年の鉄道宣伝チラシ。河南鉄道とは、現在の近鉄南大阪線の元祖?になる路線で、柏原~道明寺~富田林方面を通じたらしい。イラストの人物は菅原道真か?
同6 



これも明治38年の運賃大割引の広告。大阪市や堺方面から金比羅参りに行く人には半額割引しますという、ジパング顔負けのサービスです。なぜ、こんなに値引きするのか、といえば、天保山~高松方面の船便と客の取り合いをしていたから。

 高野鉄道はほぼ現在の南海高野線。山陽鉄道は・・なんか、ややこしくて現在の路線と簡単に比定できない。「西村」というのは現在の「初芝」駅のことです。
 それにしても、大阪~金比羅の往復運賃が2円65銭(通常運賃5円30銭)なんて、ピンと来ない金額。現在なら往復18000円くらいかかります。
当時の勤め人の給料は20~30円くらいだったのかもしれない。
同7 

■南海高野線(高野鉄道)の歴史を知りたい人はこちらを・・・。ボリュウムたっぷり。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E9%AB%98%E9%87%8E%E7%B7%9A#.E5.B9.B4.E8.A1.A8



戦前の駅弁の包装紙。「掛け紙」と言ったらしい。
同12    

 
昭和ヒトケタ生まれのヒトなら、実際に遊んだ覚えがあるかもしれない「電車かばん」
戦後はこの手のおもちゃは製造されなかったような気がしますが・・。
同14 

同15 
訪問当日は、ホールで川崎重工で車両設計に携わってる方の「電車ができるまで」という講演もありました。(9月15日)

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消えゆく、なにわのブランドビル

●消えゆく、なにわのブランドビル

 都会では、景気が良くても悪くても、テキトーに理由をこしらえて建物のスクラップ・アンド・ビルドが繰り返されています。ちょっと油断すると見慣れたビルが消えてしまってることがママあります。
 消えゆくビルのすべてに未練があるわけでもないが、中には、心底「惜しいなあ」と思うものもあります。以下、大阪人なら誰でも知っている有名なビルの消える前の姿をあらためて紹介します。リンク欄には生まれ変わりの姿もありますので、参考までにご覧下さい。

「惜しいなあ」と思うビルの代表が中之島のダイビル
大正時代末に完成し、今でもオフイスビルとして活躍中です。来年に解体されることが確定して、ひと目見ておこうという古建築ファンの見学が増えています。このビルが消えると、誰でも自由に出入りできる古典的ビルは、心斎橋の大丸百貨店だけになりそうです。
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2階のエレベーターホール これを壊すなんて・・・
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一階ロビーにある、金ぴか郵便箱。今も使用中。
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難波・新歌舞伎座。界隈のシンボル的な個性豊かな建物でしたが、なにゆえか壊されます。かの「ダイエー」の手に渡ったのがケチのつきはじめだったかもしれない。かっこよくリニューアルした松竹座との関わりがあるのかもしれません。 上六に新ホールを建築中です。
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移転を告げる看板
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新朝日ビル。すなわちフェスティバルホールも建て替えです。
個人的には未練ナシ、建て替え大賛成です。音楽公演で何度も行きながら、ついに好きになれなかったホール。
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朝日新聞本社ビル。新朝日ビルと向かい合わせですが、新ビルは二つのビルを統合したようなデザインになり、地区の風景はガラリと変わります。
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近鉄百貨店 阿倍野店 もうバクチとしか思えないような大改築。300mの超高層に建て替えて日本一になるとか。大成功の可能性は少ないけど、大失敗の可能性大いにあると・・沿線の人も疑心暗鬼ではないでしょうか。
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間に合わんかった~~~!
梅田・富国生命ビル。はや、跡形もなく、更地になっておりました。
建て替えは28階建の高層ビルに。屋上のビアガーデン全盛期がなつかしい。
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間に合わんかった~~~! その2
戎橋・キリン会館。これぞ、バブル景気を象徴する目立ちたがりビルの見本。しかし、築二十数年で姿を消すとは、なんともはかない。後にどんなビルができるのでしょうか。
(撮影は7月なので、現在は解体終了しているかもしれません)
UNI_1786.jpg  


参考情報・・・・

■ダイビル改築の紹介
(現ダイビルはダイビル・ウエストに生まれ変わります)
http://www.daibiru.co.jp/project/nakanoshima.html

■新歌舞伎座の移転・新築プラン
http://yutosoken.jugem.jp/?eid=4458

■フェスティバルホール、朝日新聞本社ビル リニューアルプラン
http://www.asahi.com/festivaltower/location.html

■近鉄阿倍野店 リニューアルプラン
http://www.kintetsu.jp/news/files/abeno20070808.pdf

■富国生命ビル立て替えのニュース(いまや懐かしい写真あり)
http://umeda.exblog.jp/3371431

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たまには外メシ・・セント・ジェームス

●たまには外メシ・・・道頓堀 「セント・ジェームス」

 閉店した「くいだおれ」の真向かいにあるジャズライブハウス。
雑居ビルの4階にあるが、なんせ看板だらけの通りとあって見つかりにくい。
店主の田中武久さんはピアニストでもあり、毎晩出ずっぱり。
おん年、70代半ばらしいけど、いやはや元気なおじさんです。

■セント・ジェームスの案内はこちら・・
http://www7.ocn.ne.jp/~st-james/menu/menu.htm

当日はラテン音楽の日で、「ベサメ・ムーチョ」や 「ある恋の物語」など。
セントジェームス1



久しぶりにダイキリを飲みました。
同2 

(8月27日) 

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古写真・・昭和は遠くなりにけり

古写真再生・・昭和は遠くなりにけり

●なつかしい山岳逍遥

給料安い、休日少ない、と恵まれない青春時代であっても、無理してあちこちへ出かけたおかげで素敵な思いでができました。
 当時の労働者は「滅私奉公」感覚が主流で、登山や旅行のために「有給休暇」願を出すのは、ものすごい勇気が要りました。で、長旅のチャンスは正月と5月の連休しかなく、遠い所はこの期間をフルに使って出かけました。

下の写真は、昭和34年~42年(1959~67)の登山やハイキングの記録です。誰でも知ってるような山がおおかたなので、見る人それぞれの思い出、懐かしさがよみがえるのでは、と思います。

横長の写真は、前回の蒸気機関車の写真同様、継ぎ目がありますが、ご勘弁下さい。


北海道利尻島の利尻山(1721m) 思い出の山岳風景ナンバーワンがこれ。
紺碧の海からそそり立つ真っ白な山。神々しいまでの風景です。
白黒・山1 



同山を鴛泊港から見上げたところ。
同2 



木曽御岳から中央アルプスを望む
同3 



北八ヶ岳 白駒池
同4 



小海線と甲斐駒ヶ岳
同5 



美ヶ原から北アルプスを望む
同7 



清里から八ヶ岳を望む
同9 



雲海・・伊吹山山頂
同11 



福井県 木ノ芽峠道(38豪雪のとき)
同8 



湖北 賤ヶ岳山頂からびわ湖展望
同10 



里の春 飛騨下島温泉
同13 



岩湧山への道(三日市町コース)
同14 



ランプの宿 広島県三段峡 人物は友人Iさん
同15 



開聞岳 (鹿児島県)
同16終わり 

(完)



プチ・ケチ・・葬式代の研究

●プチ・ケチの研究・・葬式代の研究

 ケチの研究、人生最後のテーマはなんでありませうか。いわずもがな「葬式」であります。自分が三途の川を渡るに、なんぼお金を用意すればいいのか。
 つい一昔前まで、これがあやふやでした。実際、葬儀代というのは自ら肉親の葬儀を経験するまでわかりにくかった。誰しもが経験していることです。
90年代半ばまで、自分の葬儀代については、かなりケチな人でも100万円以上の金額をイメージしていたのではないでしょうか。

それが今や「お葬式革命」進行中といっても良いほど、葬式も費用も様変わりしています。原因は複雑ですが、■死者の高齢化 ■信仰心の希薄化■葬儀(代)情報の普及 などがあげられます。これらの要因が重なって、全体に葬式のシンプル化が進んでいます。このため、葬儀ビジネスは従来の営業形態の大幅な改革を迫られ、寺院は危機感を募らせています。 葬儀進行の主体が、葬儀社からクライアント(注文主)に移りつつあるのは よいことだと思います。

■葬儀代情報の普及、でいえば、インターネットの影響力が大きい。ネットが無かった時代は、葬儀の前にあらかじめ2,3の葬儀業者から見積もりを取って・・なんてことは殆どなかったと思います。患者が生きてるのに業者を呼ぶこと自体、ためらわれたでしょう。

それが、今やネットで簡単に葬式のグレードや値段が検索、比較できる。むろん、電話での相談、問い合わせも気楽にできる。これだけで大改革です。つまり、自分の葬式代はこれくらいあれば大丈夫、と目算がたつわけです。

業者の価格サンプルを見ると、最低20万円あれば出来ることがわかります。最低はあんまりミジメと思えば、いくらでもランクアップできます。

 「世間並みの葬儀でいい」と言い残して死んでも、世間並み費用が錯綜して分からないのが実状ではないでしょうか。10年くらい前なら、200~300万なんて漠然とした数字があったかもしれないが、シンプル派が急増した今、平均金額は下がってるはずです。ゆえに、いまわの際には「A社の50万円コース」とかグタイ的に述べて、あるいは枕元にネット情報のプリントを用意してあの世へ行きませう(笑)
 こうすれば、遺族も心迷わせることなく、ルルルルルル・・「もしもし、あの~A社はんでっか、○○家、コミコミ50万円コースでたのんます」これで一件落着するのでございます。

葬式のシンプル化は死者の高齢化と関係があります。死者の4割くらいが80歳以上だそうで、病を得た人の多くが寝たきりや認知症などで、生前すでに社会的存在感を失ってるため、また、同世代の友人知己も似たような境遇ゆえに、「世間並み」葬儀をしても他人の参列者はほとんどいない。ご近所の少数が参列しても、それは義理参列。悲しみの伴わない葬儀に義理で参列させられるのははた迷惑と思う人もいるでしょう。

だったら、身内だけで、他人に気遣うことなく執り行うほうがベターというものでしょう。 いまや、新聞に死亡広告がでるほどの有名人だって「家族のみで密葬」が普通になってる感があります。有名人なら、必要であればのちに「お別れの会」を催せばよく、それなら平服で参加できるので堅苦しさもない。
 
今まで葬式関係のネット情報を引き出したことがない方は、このさい基本のキ知識を仕入れておきませう。「大阪葬儀情報」です。

■大真会館
http://www.daisinkaikan.com/main/plan/sougi_anshin.html

■真希社
http://www.ceremony-shinkisya.com/

■堺市立斎場
http://www.sakaisougi.net/

■散骨に興味ある方は・・
http://www.sgy2.com/kaze/sankotu/index.html

■参考・・様変わりするお葬式事情・・葬儀紹介センター
http://asagao.noblog.net/blog/a/10366374.html

■参考・・僧侶向けページ・・寺院の危機感がくみ取れる情報です。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_E_C003.htm

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