ア・ラ・カルト

●ホトトギス啼く都会の森・・・大泉緑地

 近所の長居公園は「年中満員御礼」状態なので、ときどき堺市の大泉緑地まで足を延ばします。こちらもだんだん人が増えて来ましたが、平日は十分空いていて快適です。
 この日は北側の森でホトトギスが「東京特許許可局」と元気にさえずっていました。本来、山で聴く声なので、なんかトクをしたような気になります。以前、見かけたカワセミはどこかへ引っ越したようで、カメラマンも見あたりませんでした。


大泉緑地1



同2



同3

(完)

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たまには外メシ

●再訪 森のレストラン ラッキーガーデン(生駒)

 スリランカ料理の店としてかなり有名になった「ラッキーガーデン」を数年ぶりに訪ねました。生駒ケーブルの宝山寺駅からゆっくり歩いて40分くらい、見晴らしの良い傾斜地に店があります。漫才の宮川大助・花子さんの自宅がすぐ近くにあるそうです。

平日のランチタイムなのに結構繁盛しています。客のほとんどは20~30代のカップルかグループ。シニアは自分たちだけでした。7割が女性です。休日は大混雑で、駐車場からはみだした車でまわりの狭い道が埋まってしまうとのことでした。
近鉄生駒駅からタクシーでやってくる人も多い。

初夏の昼どき、アウトドアでビール飲みながら歓談のひとときを過ごすには最高のロケーションです。帰りも国道308号を南生駒駅までトボトボ歩きました。あの「暗峠」から続く一車線の国道です。

■お店のホームページはこちら・・・
http://www.luckygarden.jp/



ケーブル宝山寺駅から山腹道を歩いて行きます。
ラッキーガーデン1



木陰に隠れるような入り口
同2



店内からの眺めです。
同3



近くの棚田風景
同10



こんな雰囲気のところで食べるので、ときに虫が飛び込んだりすることも・・。
同4


ランチは1600円と2500円の2種類。 これは1600円のプレート。
同5



2500円では前菜がつきます。
同6



2500円のプレート。ピラフは長粒米です。
同7



カレールーは2種類つきます。左の麺のように見えるのは大根でした。
同8



けっこう賑やかな食卓。
同9

オジンは1600円プレートとビールで十分満腹しました。

(完) 6月17日

プチ・ケチの研究

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●プチ・ケチの研究 これまでの記事一覧(新しい順)

■ガス代の研究
■アンチブランド趣味
■靴は修理して延命、倹約
■電気代の研究③
■同②
■同①
■デジカメのホームプリントの損得②
■同①
■ケチにうれしい、9800円のデジカメ
■○ビでもレギュラーコーヒーが飲める時代
■キャベツの食べ方、サバイバルふう
■半分の効用
■99円ショップのお値打ち品
■もしや、刑務所給食のほうがご馳走?
■スーパー激戦地に住む
■レジ袋有料化に賛成? 反対?

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●ガス代の節約

久しぶりの「プチ・ケチ研究」です。

■マホービンの活用・・・毎朝、コーヒーのための湯沸かしは、マグカップ(300㏄)3杯半ぶんの水をヤカンで湧かします。沸いたらカップ温め用に注ぎ、カップが温まったらマホービンに入れます。次の一杯はコーヒーのために使い、残りの湯もマホービンに入れます。これで容量750㏄のマホービンがほぼ満タンになります。要するに無駄な湯沸かしをしない。

昼食時にお茶を飲むときは、やや冷めていますが、緑茶にはこのほうがベター。
また、昼食にレトルトカレーなんか食べるときは、750㏄全量を鍋にいれ、沸かして使います。カレー袋を取り出したら、まな板の上にフキンを敷き、熱湯をジョジョジョ~と注いで殺菌します。・・で、最後まで無駄なしに使い切れます。

要するに、余ったお湯はみんなマホービンにリターンすることでガス代をケチります。なんか「船場・吉兆」の残り物使い回し術のチョー貧乏性版みたい?
こういうのって、経済効果より、ケチのアイデアを考えるほうが楽しい。

■お風呂の湯沸かし・・・風呂を沸かすとき、お湯を注いでそのまま使うか、水を入れてから沸かすか。どちらがガス代少なくて済むか? 正解は分からないのですが、普通は水から沸かしています。給湯方法だと浴槽に貯まる過程で「冷める」可能性もあると思うからです。冬は給湯にえらく時間がかかるし、室温が低いのでリスクが大きい。

水から沸かすときは60%くらいの容量で高温に沸かし、水で薄めて調整します。
快適な湯温は日によって、体調や気温でビミョーに変わるもので、薄め具合でコントロールするのがベターだと思います。

 お湯は半分捨て、次回に注ぎ足す。一人ぐらしなのでこれを3回か4回繰り返します。ガス代より水道代の節約が主になりますが、残り湯が水道水の温度より高いので湯沸かし時間が短くて済み、ガス代も節約できます。清潔に敏感な人は一人でも毎回全部捨てるかもしれませんが、水道料金の高い町なら相当な出費になるでしょう。
 ちなみに、大阪市では所帯主が65歳以上の家庭は基本料金が免除され、駄目男宅では一ヶ月の水道代が150円~300円程度です。ガス代は3,307円でした。(5月分)

■参考までに・・・町ごとの水道料金を調べると、けっこう大きな差があることが分かりました。大阪府下では大阪市がダントツに安く、1立方メートルが124円です。毎月の水道料金が2500円程度の家庭が多いのではないでしょうか。
 対して高いのは高槻市や茨木市で200円を超えています。堺市が195円。
泉南方面も高い。府県別で一番高いのは山形県、一番安いのは神奈川県だそうです。(以上は上水道料金で下水道は別になります)

■全国市町村別の水道料金がわかります・・・
 
http://homepage2.nifty.com/dorukun/

メール投稿のページ

●北越後便り          ヤマメ

バックパッカーが我が家の前を・・・
声をかけたら外人だった。
あわてたが日本語で答えてくれた。
「佐多岬から歩いてきた」
May I speak with you?
「ok 今日はゆっくりだから」
我が家の庭先で30分ほど話ができた。

■詳しいことは「村上野歩」へ
http://sa4410.at.webry.info/

■さらに彼のブログへ  
http://onemanwalking.com/page/5/raigstanton@mac.com


■お節介コメント
27歳のNZ青年との楽しい出会いです。
以下は、ヤマメさんに無断で、駄目男のお節介情報。
上記の彼ことcraig  stanton さんのブログをあけて見たら、彼も日記にヤマメさんとの出会いを書いていました。6月9日の日記です。「村上の野歩」と同じ写真ものせています。

6月9日の日記がこれ・・・
http://onemanwalking.com/2008/06/09/2008-06-09-beside-the-seaside/#comments

和文翻訳文を読むには、画面左側のカテゴリー欄の一番下、TRANSLATIONS 項目にJAPAN(日の丸の旗)がありますので、クリックすると和文がでます。意味不明な文ですが、概略はわかります。

閑人帳


●「死刑廃止論」はなぜ支持されないのか(その3)

★終身刑の新設は国民の理解を得られるのか
 つい先月のこと、国会内では超党派で「量刑制度を考える超党派の会」が生まれました。これは、来年から始まる裁判員制度もふまえての会合で、死刑制度の存続、廃止の議論ではなく、死刑と無期懲役刑とのギャップが大きすぎるから、懲役以上、死刑未満といえる終身刑の創設を考えようというものです。現在の無期懲役は実際には10年以上になれば出所や仮釈放が普通になっているので、現用の無期より厳しい長期の懲役制度を作ってはどうか、を議論しようというのが趣旨です。
 メンバーの亀井静香氏は自ら「死刑廃止論」なる本を出版している熱心な死刑廃止論者です。

■「・・超党派の会」発足を伝えるオーマイニュースの記事
http://www.ohmynews.co.jp/news/20071019/16313

もし、終身刑ができたら、「生きて償いをする」刑としては最も厳しいものになりそうなので、死刑容認派の人にも賛成者があるかもしれません。
 しかし・・・です。貧乏性の駄目男は「待った」をかけたくなるのです。
「終身刑のムショ代、誰が払うねん?」人権論でも文化論でもなく、ゼニで引っかかるのです。嗚呼、なんとセコイ根性であるか、とお嘆きの方も、あと2分辛抱してお読み下さいまし。

★終身刑受刑者の収容に一億円以上かかる
 孫引き情報でありますが、2006年末現在、刑務所に収容されている懲りない面々は 66、000人。そして当年の刑務所の維持運営予算は2200億円。単純に割り算すると、一人当たり330万円になります。犯罪者を一人収容すると一年間にこれだけの経費がかかるのです。駄目男でなくても「おい、ま、待った!」と言いたくなるでしょう。  その金、誰が払うねん、といえば、答えは「税金」しかありません。国家予算で賄われるのです。年収330万以下の地味暮らしの諸兄、納得できますか。

終身刑が確定し、仮に30年間服役したとします。330万×30=9900万。
物価変動ゼロとしてこの金額です。凶悪犯一人を終身刑に処すると1億円以上の収容コストがかかるのです。人命をカネの多寡で計るとは何事だ、と怒る人道主義者も少しはたじろぐかもしれませんね。(いえ、こんなことでビビッてはいけませんよ)

上のオーマイニュース記事によれば、07年末での無期懲役受刑者は1670人。10年前の2倍に増えているそうです。犯罪件数が増えてるというより厳罰化が進んでるせいでしょう。少なくとも合計2000人以上は殺したと思われる凶悪犯1670人の生命と人権保護に毎年55億円(330万×1670)の国費が費やされる。
ならば、殺された人の命は?・・・2000人の被害者に彼らは何ほどの償いをしたのか。

★ワーキングプアの生活費は受刑者の半分 
 年金暮らし同胞のことはさておき、一番考えさせられるのは、社会問題になっているワーキングプアのことです。身分不安定のまま、必死に働いても年収200万そこそこの人が500万人以上いるのです。終身刑者と同じく、30年働いたとして収入は6000万円。この差を彼らが知ったらどう思うでしょう。まじめに汗だくになって働いた報酬が 受刑者の生活コストの半分ですよ。その上、なんらかのカタチで税金を払う限り、乏しい収入から受刑者の経費を負担することになります。

カネが惜しいから死刑にせよ、ではなく、新しい制度をつくるなら、国民の経済的負担も考えよ、と言いたい。犯罪者の人権保護をうたうなら、不安におびえながら必死に働いてる人の人権、生活権も考えよ、です。

 なんの因果か、かの秋葉原通り魔事件の犯人もワーキングプア的境遇におかれた男でした。罪を憎みつつも、自暴自棄になった境遇に一端の共感を抱く人、皆無ではないと思います。・・・と、死刑廃止論者への悪口を書き連ねましたが、廃止論は劣勢であるにしても今まで通り、死刑廃止運動に情熱を注いでいただきましょう。

 もし、廃止論が容認論に押しまくられて、世間にアピールする力を失うようなことになれば、恐ろしい社会の到来です。大政翼賛(ふるう~)、ファシズムに毒された自由のない社会になります。死刑廃止論をビシバシ叩きながら「ぐわんばれ、廃止論」でなくてはならない。 

廃止派も容認派も等しく願う犯罪激減の社会になれば、当然、廃止論が勝利します。そんな平和な時代が早くきてほしいが、さて・・・。(完)

■参考情報「TACHIYOMI」
(この情報の元資料は中嶋博行著「この国が忘れた正義」文春新書)
http://www.bunshun.co.jp/tachiyomi/200707/t9784166605828.htm

■参考情報「死刑廃止論を嗤う」
http://f26.aaa.livedoor.jp/~nanase/hitori/ht010.htm

■参考情報「死刑囚リスト」
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage29.htm

■参考文献
「ワーキングプア」門倉貴史著 宝島新書 06年発行

閑人帳


●「死刑廃止論」はなぜ支持されないのか(その2)

 「そんな言いぐさは死刑反対論に対する言論封鎖、恫喝ではないか」
反対論者にこう言われそうです。ほんま、イヤミ、脅かしですね。
実際、自分がもし事件当事者になってしまったら・・と想像すると、死刑反対を唱える意欲や情熱が失せてしまうかもしれない。結局、そんな希な事態は自分には起こりえないとした上で発言、行動するしかありません。

それは致し方ないと認めますが、それでもなお反対論者に「偽善家」のイメージをもってしまうのは、こちらがよほどひねくれているからか。大阪弁で言えば「ええかっこしい」に思えるのです。
 
★団藤重光著「死刑廃止論」を読んでみたけれど・・・
 まじめに意見を述べる死刑反対論者は大方読んでるのでは、と思えるこの本を図書館で借りて読みました。著者は東大教授、最高裁判事を勤めた刑法学の権威で文化勲章受章者という、えらい先生です。リンク紹介した「フォーラム90」運動にも関わっておられました。

 死刑存廃に関する文では5割が「誤判(えん罪)」問題、2割が死刑がいかに残酷、非人間的な刑罰であるかの所感、そして国連の死刑廃止条約への加盟(日本政府による批准)促進と残りわずかが被害者遺族の無念さ、怒りへの同情について書かれています。廃止論だから、死刑反対論者にはモロに共感できる内容です。また、著者が判事だったから「誤判」の恐ろしさを自覚するのは当然で最重要テーマになるのは仕方ないとしても、誤判の可能性あるゆえに死刑は廃止するべきという主張が突出しているのはいただけない。

 でも、全体的には平易な文章で読みやすいから、賛否はともかく参考にはなります。(1992年 改訂版 有斐閣発行)

★国際条約を批准しないから「遅れた国」なのか
 「フォーラム90」をはじめ、死刑廃止を唱える組織は国連の「国際死刑廃止条約」批准を大きな活動目標に掲げています。世界の趨勢は死刑制度廃止に傾き、大国で知らん顔しているのは日本と中国だけだそうです。途上国?の中国はさておき、先進国の日本が加盟しないのはみっともないというわけです。
 団藤氏の「死刑廃止論」にも「日本が政治的にも国際的にも認められるようになるには、経済大国というだけでなく、文化的にも大国にならなければなりません。人権問題全般について、欧米諸国に見劣りするようでは困ったことです」とあります。(33頁)

よく名前を聞く「アムネスティ・インターナショナル・ジャパン」もこのことを強く訴えています。
 「あの~、なんでっか、日本だけ死刑制度があるのはかっこわるい、
世間体が悪いから死刑を廃止したいのでっか」とイヤミを言いたくなりますが、世論で死刑廃止賛成が50%くらいにならないと難しいと思いますよ。今の死刑廃止論で容認派を説得するには限界があります。

団藤氏はこんなことも書いています。
「フランスでは世論の過半が死刑容認にもかかわらず、政府が率先して死刑廃止条約に加盟した。政治家は世論に追従するだけではいけない。自ら高い理念を掲げて国民をリードしなければいけない」
死刑を廃止したからといって、それが国民の意思を反映しているとは限らない、ということです。

 文化的背景で言えば、欧米では子供時分から信仰生活のなかで罪と罰の概念をある程度インプットされる面があるのに比べ、日本では死刑問題で宗教的概念はほとんど影響力をもたないという事情もあります。

★事件現場での犯人射殺は生存権、人権侵害にならない? 
 一方、死刑廃止国でも起きる凶悪犯の犯行現場では、警官が犯人を射殺して一件落着みたいな場面がよくある。犠牲者が増えるのを防ぐために、やむを得ずの措置だとしても、この点は日本の方がはるかに慎重な対応をしているように思えます。ときに臆病と思うくらいです。拳銃で威嚇する犯人にも、とことん説得を試みるのが普通です。言い換えれば、凶悪犯の生命と人権を尊重した対応です。

 凶悪犯を現場で射殺・・・これって、裁判抜きの死刑に準ずるような気がします。「国家による殺人」を非難する人は、この非常措置をどう説明するのでしょう。正式の裁判を経た上での死刑は「国家による殺人」であるが、犯行現場での射殺は単に正当防衛であって殺人に非ずという論理が成り立つのでしょうか。あるいは、死刑制度と事件現場の対応は次元の異なる問題で論じる必要なし、なのか。

うがった見方をすれば、官権側には「逮捕しても死刑にならないから、ここでケリをつけてやる」という発想も起きかねない。
 
 そういう文化や国民性の違いを考慮せず、外国は死刑廃止しているからと訴えても、共感を得るのは難しい。 まあ、こんな意見は、死刑反対派のセンセイ方から見ると、どうしょうもない俗論、感情論としか思えないでしょうね。

■団藤重光氏のプロフィール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E8%97%A4%E9%87%8D%E5%85%89

■アムネスティ・インターナショナル・ジャパンのホームページから
「死刑存続・廃止国リスト」ページ
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/death_penalty/abolitions&retentions.html

 

閑人帳


●「死刑廃止論」はなぜ支持されないのか(その1)

 はるかな昔、まだハタチ代?だったころ、フランスの作家、アルベール・カミュの「ギロチン」という作品を読んだことがあります。詳細は忘れたが、死刑の不当性をとても説得力のある文で書いてあり、感化されて死刑はイケナイ制度であると思っていました。

それが幾星霜を経て、今では明快に死刑容認論者になっています。何が転向の理由になったのか自分でもよく分かりません。無理して言えば、文学作品による説得力より、現実の世界で起きる事件のほうがより大きな説得力をもっていたから・・でしょうか。

べつに大きな関心をもってるわけではないけど、死刑の賛否に関する情報もネットでカンタンに入手できるので、ときどきつまみ食いならぬ「つまみ読み」しています。ネット上では死刑反対論のほうが容認論よりずっと情報が多く、出版物でも、死刑反対論はあるけど、死刑促進論とか倍増論は見つからない(あたりまえかも)

★成果が上がらない、死刑反対運動
死刑反対派の論旨はもう出尽くしているといえるでしょう。同じアピールを繰り返すのみです。そして、一生懸命に反対運動をやっているのに成果があがらない、というのが現状です。 実際、死刑判決は明らかに増える傾向にあり、世論の八割以上は死刑容認派です。

その上、先日の秋葉原通り魔事件などで、さらに死刑容認派が増えるかもしれません。この事件は反対派にとっては大きなダメージになりましたが、死刑反対論者はとにもかくにも17人を死傷させた犯人、加藤某の生命と人権擁護を唱えなければならない。「生きて償いをさせるべき」と主張するしかありません。

死刑反対論者の主な主張は次のようなものです。

①死刑は国家権力による殺人である。

②加害者にも、生存権、人権がある。

③死刑を続けても犯罪は減らない。見せしめ効果はない。

④えん罪の可能性がある。

⑤被害者遺族の復讐感情を反映すれば社会は暗くなるばかりだ。

⑥判決を下す裁判官や死刑執行人の苦悩を考慮せよ。

⑦欧米など先進国の多くは、すでに死刑制度を廃止している。
 死刑制度を残す日本は文明国とは言えない。
 
これらの主張はもっともなものだとしても、基本的には加害者の立場にたって考えられたものでしょう。どんな凶悪犯であっても、被告人は「弱者」であるという発想がなければ、死刑反対論は語れません。

 そして、常に思うことは、死刑反対論者は、死刑に関わるような大事件はあくまで他人事としていることです。どんな残酷な事件も自分には関係のないこと、を前提にしているから死刑反対を主張できるのではありませんか。
 自分の家族が目の前で皆殺しにされ、自分も生涯寝たきりになるような瀕死の重傷を負ったとしても、犯人に対しては「死刑にしてはならない」と主張しなければなりません。愛する家族を殺された悲しみ、怒りをを乗り越え、犯人の生命、人権を尊ぶことが死刑反対論者の信念、義務なのです。そんなの、信じられない?。でも、信念は貫いてもらわねばなりません。

不運にして、あの池田小学校の8人の子供が殺された事件の犠牲者の父母が死刑反対論者であった場合、犯人には「生きて償いをしてほしい」としか言ってはならない。犯人、宅間某は公判中に度々「早く死刑にしてほしい」と願っていたにもかかわらず、です。

今度の秋葉原事件についても同じです。犯人は間違いなく死刑判決を受けるでしょうが、息子や娘を殺された肉親が死刑反対論者であれば、当然、犯人の死刑判決に異議を唱えなければなりません。
 逆に犯人の親が死刑反対論者であれば、「息子に死刑は許さない」と堂々と主張しなければならない。「息子にも生存権、人権がある。おろそかにしてはいけない」他の死刑反対論者も団体もこの親の主張に沿って、犯人の死刑反対運動をする義務があります。

 それと反対運動とは別問題とか、自分が当事者になるなんて確率的にあり得ないなどと言ってしまっては、せっかくの主張も全部ウソになります。死刑反対論者はみんな覚悟ができているのでしょうか。(つづく)

■死刑制度廃止を唱える団体の一つ「フォーラム90」のホームページ
死刑が執行されるたびに抗議声明を掲載しています。
http://www.jca.apc.org/stop-shikei/index.html


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●北越後便り

ここ北越後は皐月冷えの下旬でした。今は、田植えも5月中旬までにほとんど終わってしまいますが、
昔、私の中学生(1953年)の頃は5月末から6月始めでした。「田植え休み」が3日間ぐらいあり、農家へ手伝いに?。冷たい雨の中、ふるえながらの作業だったことを覚えています。

冷えると坐骨神経痛(?)で足がよくありません。それでも、歩き始めると元気ですが・・・。

1024日~26日 新潟県関川村でローカル交流会を行います。

詳細は下記のブログをご覧ください。

 

佐藤 由弘
blog  
http://sa4410.at.webry.info/