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読書感想文

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04 /08 2021
 

自分の読書嗜好を顧みると・・・
●少読にして乱読
 今までに約400冊の読書感想文を書いた。どんな本を読んできたのか振り返ってみた・・といってもデータを分析するなんてたいそうなことはできない。単なる感想です。結果を言うと、質量ともに模範的B級読書人であります。

 しっかり言えるのは「少読にして乱読」ということ。年間30~40冊くらいしか読まないのにジャンルはばらばらでポリシーがない。小説が好きな人はノンフィクションをあまり読まないし、ビジネス書が好きな人は文芸作品に興味が無いといった傾向があるけど、自分の場合、そういう傾向がない。だったらすべてのジャンルに好き嫌いがないのかといえばそうでもない。今はやりのミステリーなんてまず読まない。興味がない。人気作家のシリーズもの、たとえば佐伯泰英の時代小説なんかも全然興味が無い。

 前にも書いたような気がするけど、こんな読書ぶりって、もしや「読書嗜好におけるADHD(多動性障害)」ではないかと思っている。(そんな病気はありません。仮称です)興味の対象が次から次へとめまぐるしく変わり、落ち着きがない。思い出してみれば子どもじぶんからの性癖かもしれない。そして余命短い今となってもチェンジすることできず、ADHDふう読書癖で人生終わりそうであります。

●長編は苦手、短編が好き
 五巻、十巻といった大長編を読んだことがない。明らかに苦手であります。
山岡荘八「徳川家康」なんて日当くれても読みたくない。司馬遼太郎「坂の上の雲」でさえ長すぎると思うくらいだ。中身が面白くて、かつ上下巻計600頁くらいが限度ですね。戦前の作家の作品が好きなのはとりあえず「短くて上質」な作品が多いから。太宰治、芥川龍之介、森鴎外、樋口一葉、中島敦・・。志賀直哉の「暗夜行路」はゼニくれても読まないが、短編の「小僧の神様」や
「城之崎にて」は好きな作品であります。現代作家に短編の名手がいないのは、才能がないからではなく、ビジネスとしてうま味がないからではないか。

 随筆のたぐいが好きなのはとりあえず「短い」から。もろもろのハウツーものもたいていは一日か二日で読める。サイズ的に随筆と同じようなものだ。ならば、もっと手軽に読める漫画は好きか、というと意外に読むことが少ない。漫画を読むときは随筆を読むより選ぶ目が厳しいような気がする。あまり意識しないけど、作者や内容、表現技術で好き嫌いが激しいかもしれない。

●読書感想文を書いてもすぐ忘れる
 読んだ本の感想を文章にすれば長く記憶にとどまるハズ、と単純に考えてブログへの投稿を続けてきたけれど、残念ながらスイスイ忘れます。(自分だけかもしれない)それでも続けているのは生活習慣になったからで、まあルーティンのひとつです。読んで下さる方のことを思えばもっと上等の作文を、と思うのですが、これがなかなか・・ルーティン+頭の老化で駄文しか書けない。
 書いた自分が忘れるのだから読んだ他人はさらに早々に忘れる。もう書く意味が無いのでは、と思うこのごろであります。唯一の救いはブログでの作文は紙くずが残らないことです。
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04 /07 2021
 

村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」
 村上春樹の小説には全く興味がなくて長編は一冊も読んだことがない。なのに、この音楽がテーマの対談本をなにげに手にしたらめっぽう面白くて引き込まれてしまった。400頁近い大部の対談記録でテープ起こしは村上氏自身が行った。正確を期するためだろうが思い切りしんどい作業だったのではと推察する。しかし、好きな音楽の話だから、しんどいけど楽しい仕事だったのかもしれない。なんにせよ、音楽ファンには貴重な知識、情報満載のユニークな本であります。

 最初に取り上げられる話題がベートーベンのピアノ協奏曲第三番。村上氏がよほど好きな曲みたいだけど、これは自分も好きな曲(第四番も同じくらいに好き)弾き手はグールド、ゼルキン、内田光子など才人とカラヤンやバーンスタインなど大物指揮者との丁々発止の演奏の裏話が語られる。普通、こういうことを書けば演奏評で終わるところ、両人が昔の記憶も交えて好き勝手にしゃべるところが楽しい。小澤氏の下働きの時代の生活のようすもうかがえる。要するにひどい貧乏暮らしだった。指揮者の見習いだから食べるだけで精一杯というレベル。後年の大出世がウソみたいなシンプルライフを強いられた。

 村上氏はマーラーの大ファンでもある。このさい、マーラーに関する自分の蘊蓄をさらけ出し、知らない部分は小澤氏に教えてもらおうという魂胆?なのか、演奏法や楽譜の表記の細部まで根掘り葉掘り小澤氏に問う。小澤センセがまた本当に誠実に、自分の知ってることを全部さらけ出す、という感じで語る。マーラー作品の不可思議さと怪しさ(怪しいというのは評価において疑問があるということ)の話など一般のマーラーファンにも「なるほど」と思わせる話もある。要するにマーラー作品の楽屋裏を語ってくれてるみたいで楽しい。

 本書を読みながら、同じ対談スタイルの企画でブルックナー論も読みたいと思った。但し、村上~小澤コンビでは実現不可能で全く違う素人と指揮者・・昔なら指揮者は朝比奈隆にキマリだったけど、ネチネチ、コテコテのブルックナー論を読みたい。ともあれ、クラシック音楽ファンにとって新感覚の優れた啓蒙書であることを実感した本でした。(2011年 新潮社発行)
小澤征爾本

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03 /24 2021
 

小田嶋隆「小田嶋 隆のコラム道」を読む
 前回の読書感想文で同著者の「上を向いてアルコール」を取り上げたので、今回は本業、コラムニストの仕事ぶりを書いた本書を読んだ。この道ン十年、言葉がこんこんと沸き出ずるような多弁ぶりに感心するばかり。そして、ツボはちゃんと押さえて「まとめ」も述べているのでとてもわかりやすい。ブログに投稿している人には良い参考書になります。

 たとえば、第6項「書き出しについてのあれこれ」を要約すると・・「書き出しに芸はいらない」「書き出しはどうであれ、たいした問題ではない。どんなふうに始められたのであれ、流れ出してしまえば、文章はじきに一つの運動体になる。初動がどんな言葉でスタートしても読者が文章のリズムに引き込まれる頃には忘れられている」と、まあ、書き出しの一行なんか気にするなよ、というあんばい。さらに「書き出しがすべてを決定する」なんて格言は文章のマエストロを詐称する嘘つきが素人を脅迫するために発明した呪いに過ぎない、と続く。

 しかし、dameo は書き出しの一行に苦労する(苦手とする)タイプであります。なんでかなあ。答えを著者に問えば「本文の貧しさを書き出しの一行でごまかそうとするからや」と言われそう。ま、半分アタリかも。 こうして無能な書き手を冷たくあしらいながら、一方で「書き出しに苦労する人は案外、一定の文章力を持っている人だったりする」と慰めてくれる。おっちゃん、商売上手いなあ。

 書き出し文はさておき、良い文章を書くために必要な能力とはなにか。「それには二つの相反する素養が必要だ。一つは個性、もう一つは普遍性だ」されど、過度に個性的な文章はキ○ガイが書くものであり、反面、誰が書いたのかわからないような無個性な文章ではそもそも書く意味が無い。言い換えれば、作者は書き手であるとともに読み手であるというバランスが必要なのだと。作文のイロハでありますが、肝心要の文章術であります。

 書き出しの苦労といえば、手紙とメール文の書き出しにも少しは気遣いが要る。(いらないという人もいるかも)発信数ではほぼ同じでありますが、と書けば若い人は驚くかも知れない。便せんに手書きの手紙とメールの「書き出し」が同じというのに抵抗を感じるのは旧人類の証かもと思うけど、自分が受信者の場合を考えると少しは気遣いがあるべきでせう。うんと親しい人は別として、そうでないならいきなり用件というのはまずいと思います。

 自分は無関係だけどLINEのやりとりの何気ない一言で傷つく人もいるらしい。筆跡も残る手紙に人柄があらわれるのは当然でせう。(2012年 ミシマ社発行)


コラム道

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03 /10 2021
 
小田嶋 隆「上を向いてアルコール」
    ~「元アル中」コラムニストの告白~

 プロの物書きは何がトクかといえば、本書のように自分の人生途上での大失敗、大ミジメ経験でさえ錢もうけ(出版)のネタにできることでありませう。(無名素人が同じことやっても恥をさらすだけです)有名コラムニスト、小田嶋 隆が書くからアカの他人が読み、ゼニを稼げる。ええなあ、有名人は。

 ・・といいながら、小田嶋作品の何を読んだのか、と思い起こせば週刊誌のコラムばかりで単行本はこれが最初というあんばい。内容はアル中の初期から重症にいたるあれこれを綴っていて、症状自体は普遍的なアル中と変わらないのですが、本当はとても深刻な病気なのに小田嶋サンが書くとなんとなく軽い表現になるのですね。そのへんがいかにもコラムニストらしい。
 たとえば、酔っ払って「家の中のトイレでないところで小便した」なんて場面、想像するだに「うぎゃあ~」となるはずなのに、まず笑ってしまう。もし、自分がそんなことしたら自己嫌悪で死にたくなるかもしれない。少なくとも、絶対、他人には話したくない屈辱的経験です。なのに、こんなこともありましてん、となにげに書けてしまう。

 但し、と本人は少しいいわけをする。こんな話を書けるのは脱アル中から20年経ったからである。実は10年目ごろに体験記を書く企画があったけど、記憶が生々しすぎて書くのに怖じ気づいた。他人事みたいに書けるまでにもう10年必要だったと。なるほど、その通りかもしれません。年月の経過が自尊心や屈辱感を薄めてくれる。とはいえ、もし自分だったら書けるかというと、やっぱり書けませんね。生涯消えないトラウマになったと思います。

 医師に勧められて「断酒会」のような更正をはかる組織にも参加した。全員アル中が集まっての反省会?みたいなものですが、プロの物書きは自分のことより他人の人間観察が面白くて十人十色の経験談を聞くことができた。なかには本物のアル中でないのに「アル中」を装って参加する者もいた。彼の生き甲斐は「リアルなウソをつく」ことで、それを真に受けて聞く人を馬鹿にし、優越感に浸ることだ。この件を読んで「座間の9人殺人事件」を思い出した。

 世間の傾向として酒飲みの数は減っている。会社でも若者はつきあい酒を臆せず敬遠する。よって、アル中の数は減少傾向にある。しかし、酒に代わる新しい依存症が生まれた、と著者は警告する。「スマホ依存症」である。著者もふつうにスマホを使っているが、たまたま家にスマホを置き忘れて外出したときの心細さ、焦燥感は酒浸りの日に手元に酒がないときの気持ちと同じだという。酒がないということは手元に酒瓶がないことで実感できるが、コミュニケーションが無いことはモノで実感できないぶん、依存症であることも感じにくい。ゆえに酒よりもっとタチの悪いのが「スマホ依存症」ではないか。この見解に同感します。さらに「スマホの画面に集中している時間は自分自身の脳が働いていないという状態」なので、これが累積すれば「スマホ依存症」になる。しかし、この中毒はアル中で肝臓病になったようなわかりやすさがない。中毒を自覚できないぶん、より深刻な依存症である。この指摘は先月紹介した「スマホ脳」の内容と相通じます。

 小田嶋センセのアル中談義、最後の20頁で「アル中治ったらスマホ中毒」になったと正直に書いています。だったら、次の単行本は脱スマホ中毒のハウツー本ですね。(2018年 ミシマ社発行) 

上を向いて

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03 /07 2021
 

柏 耕一「交通誘導員 ヨレヨレ日記」を読む
 もろもろの事情で定職を失ってしまったとき、とりあえず受け皿になってくれるのが交通誘導員という職業。公的資格とか、経験何年とか、面倒なこと問われないので就職しやすい。70歳すぎても気後れせずに仕事できる。その上、少し文才があればこんな本も出版できる・・と思って、著者のプロフィールを見ると、本職は編集プロダクションのオーナーにしてライターというから、作文はプロなのであります。じゃ、なんで交通誘導員やってるの?となりますが、ま、いろいろワケありでして・・決して、好奇心や研究心で誘導員やってるのではありません。なんにせよ、お金に窮していること、臆せず書いてあります。

 この仕事、東京周辺では日当9000円が相場だそうで、月に20日働けば18万円。飲食店のバイトなんかにくらべて少しいいように思えます。では、仕事はきついのか、それともまあ、楽ちんなほうか、といえば現場によりけりで大きな差がある。さりとて楽そうな現場を選ぶなんてできないから、ときに大苦労も覚悟しなければなりません。筆者の経験した一番ウンの悪い現場は、数人で仮設トイレを移動しているとき、バランス崩してトイレがコケてしまい、靴ごとウンコまみれになったとか。こんな経験、死ぬまで忘れないでせう。

 誘導員の仕事で一番きついのは「片交」だそうです。工事のために二車線を一車線にして誘導員の仕切りによって交互に片側通行にする仕事です。普通は二人一組で無線機を使ったり、赤白の旗を振って車を誘導している場面、よく見かけます。さすがにこれは就職したてでは難しい。先輩の作業を観察し、要領がわかれば先輩の相手役として練習する。
 車の少ない田舎道だったら少々ドジしてもいいけど、交通量の多い街中では緊張の連続で、もたついて混乱が生じると工事の作業員と車のドライバー、両方から怒鳴られる。で、焦ってよけい混乱がひどくなる・・誘導員という仕事なのに、みんな敬遠するそうです。(この作業で苦労しても日当は同じです)

 それと、意外に苦労するのが人間関係。上下関係の苦労はもちろんですが、同じ身分である誘導員どうしのつきあいもしんどいそうです。円満な人格の持ち主は少数で、相手への気配りなんかしないタイプが多いからちょっとしたことでモメてしまう。本書の筆者は苦労人だからそのへんの案配はできても、それが通じない人が多いらしい。組織社会に馴染めなくてはみだした、というタイプの人は数人の現場仲間のつきあいでもわがままを通す。

 しかし、そういう内輪のもめ事はあるにせよ、私たちが町で見かける誘導員さんのほとんどは腰が低くて愛想良く誘導しているようにみえ、悪印象を持つ人なんかいないと思ってるのですが・・。著者によれば、こんなニコニコ低姿勢な態度は警備会社の「社是」みたいなもので、誘導員は住民やドライバーと絶対悶着を起こしてはならぬが基本のキ、もし、トラブルが起きたら即、クライアントから仕事を切られる。(住民に通報されることもある)よって、理不尽を我慢してでも悶着起こすな、となる。結論、交通誘導員も気楽な稼業ではありませんでした。

 著作の動機が生活費稼ぎのためという切実な問題があるにせよ、身近に見ながらも実情はよくわからない職業のことをセキララに書いてくれた著者に感謝します。ほかに、高圧送電線鉄塔工事とか、ビルの窓ふき仕事とか、駅の掃除とか、宝くじ売り場のおばさんの仕事とか、知りたい職業がたくさんあります。
  本書の奥付を見ると、2019年発行、約半年後に7刷しているので2~3万部は売れたかもしれず、この稼ぎで本職の文筆業にカムバックできたら幸いです。(2019年 三五館シンシャ発行)
 よれよれ日記

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03 /05 2021
 

原田マハ「モダン」を読む

 五つの短編からなる著者得意の「アート小説」。共通したテーマ(ネタ)はMoMA(ニューヨーク近代美術館)で美術館自体の歴史や運営がドラマティックというか、絵になるすてきな施設です。著者もこの美術館に惚れ込んでいることが伝わります。日本でいえば・・う~ん、建物や館長のキャラクターをウリにするような美術館は思いつかない。

 いちばん印象深いのは最初の「中断された展覧会の記憶」。福島県立美術館で「アンドリュー・ワイエス展」を開催中、あの東北大震災が起きた。世界中の人が驚愕した大津波と原発建屋大爆発の惨事。MoMAの館長はワイエス作品の損傷や汚染を案じて代表作「クリスティーナの世界」の即時撤去、帰国を日本人女性のキュレーターに命じた。対して、福島の美術館には展覧会の企画に努力した学芸員女性がいる。当時の米国人は放射能汚染にすごく敏感だったので一刻も早く引き上げたい。関係者の誰のせいでもない不幸な災害だが日本に撤去を拒む正当な理由がなかった。「クリスティーナ」は日本を去った。

 上の話、東北大震災以外はフィクションです。福島でワイエス作品展の開催もウソだけど「クリスティーナの世界」という作品があることは事実なので、美術情報に疎い人は騙されるかもしれない。(下の写真参照)
 「クリスティーナ」は今やアメリカ国民のお宝と言ってもよいほど高く評価されている傑作で、近年は外国への貸し出しはほとんどないくらい大事に扱われている。絵は草原に横たわるような姿勢の女性が描かれているが、彼女は下半身不随の難病を患っていて歩けない。それなのに痩せた腕だけで向こうの家を目指してにじり進んでいる。近隣に住むワイエスがたまたまこの姿を見ていたく心をうたれ描いた。制作は1948年だった。  MoMAが買い取り、公開したことで本作品をはじめワイエスにしか描けないアメリカの自然と庶民の暮らしが世界中に伝わった。

 dameo は1974年、建て替えまえの京都国立近代美術館でワイエス展を鑑賞した。もう半世紀昔のことです。(チケットの半券を保存していた)当時はスーパーリアリズムという言葉がなかったけど、異常に細かい描写に単純に驚いたものです。なんせ、風に揺れるレースカーテンの編み目を一目ずつ全部描いてあるのだから「どひゃ~~」であります。この展覧会で日本人のワイエスファンが一気に増えた。印象派の名画展と同じ動員力があります。

 もう一つ「ロックフェラーギャラリーの幽霊」という作品は展覧会会場の監視員の仕事ぶりを描いたもので、監視員はどんな熱心な名画ファンよりも長く作品を見る立場にあるけど、名画ファンである必要はない。美術に関する蘊蓄なんかなくても仕事はできる。むしろ、鑑賞者へのさりげなく厳しい視線こそが業務である、というクールな立場だ。人を見たら○○と思え、でありますが、これも因果な仕事です。で、主人公の監視員が仕事帰りになじみのバーへ立ち寄る。この店の主やしつらえが細かく描写されるわけではないけど、なんかとても居心地が良さそうでほんわか気分になります。「人を疑う」仕事と真逆の空間と人間。もしや、著者はこれに近い雰囲気のバーを知っていて書いてるのではないか。我に返って、嗚呼、あの店、この店、懐かしい。幻になった「竹鶴17年」ロックで飲みたいなあ。(2018年 文芸春秋発行)

クリスティーナの世界
waiesu 

マハ




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03 /02 2021
 

浦久俊彦 「悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト」 ~パガニーニ伝~
 読みたいと思っていたパガニーニの伝記にようやくで出会った。18~19世紀にヨーロッパで大活躍したニコロ・パガニーニの天才ぶりと波乱に満ちた生涯をコンパクトにまとめた本で、興味津々だからすいすい読めました。

 異様な風貌と黒づくめの衣装の印象などから「悪魔」呼ばわりされてしまったパガニーニ。外見だけでなく、演奏能力も超絶技巧だったために、人間ワザではない、もはや悪魔的である、という意味もあるから悪魔は非難だけのことばではない。(しかし、わがまま、守銭奴、女たらし、といった悪評もあった)本書を読む限りでは、もう、未来永劫パガニーニ以上の演奏者は出ないのかと寂しい気にもなる。せめて彼が100年後に生まれていたら録音が聞けるのになあと残念でならない。

 パガニーニが頭角をあらわした1800年代前半の演奏会はまだ貴族や一部の富裕層の趣味で庶民は縁がなかった。しかし、人気が高まると庶民のあいだにまで「悪魔的名人」の評判が広まり、演奏会場は常に混乱した。当時は現在のようなチケット販売システムなんかなかったからお金のない庶民はなんとかタダでホールへ潜り込もうとする。場内は喧噪を通り越して乱闘騒ぎまで起きた。

 なんとか騒ぎを静めて演奏が始まると、場内の雰囲気は一変、今まで聴いたことのない圧倒的なワザと迫力に聴衆は心を奪われ、今ふうに言えば「失神しそう」なくらい魅了された。はじめはイタリア国内での巡業だったが、通信と言えば馬車便しかなかった時代なのに周辺諸国に「悪魔」のウワサが伝わり、あちこちから興業の声がかかった。現在のフランス、ドイツ、オーストリア、イギリス・・どこへ行っても大成功だった。

 当時の有名作曲家たちも彼の演奏を聴いた。シューベルト、シューマン、リスト、ベルリオーズなどが実際に聴き、みんなメロメロになったらしい。まだ若かったリストなんか「僕はピアノのパガニーニになる」と大コーフンしたことが記録に残っている。現在、リストの作品として知られる「ラ・カンパネラ」はパガニーニの「ラ・カンパネラの主題による華麗なる大幻想曲」をピアノ曲にアレンジしたもの。

 ロマンチストに人気のあるドイツの詩人、ハインリヒ・ハイネはこんな印象を綴っている。「地獄から上がってきたような暗い風体の人間が舞台に現れた。それが黒い礼服に包まれたパガニーニであった。黒の燕尾服と黒のチョッキはおどろおどろしい形で、地獄の作法によって決められたベルセボネーの館のものであるかのようだ。やせこけた足のまわりで黒いズボンが落ち着きなくだぶついていた。彼が一方の手にヴァイオリンを、もう一方の手に弓を下げてもって、ほとんど床に触れそうになりながら、とてつもなく深いお辞儀をすると、彼の長い手はいっそう長くなったように見えた。あの懇願するような目つきは瀕死の病人の目つきなのであろうか。それとも、そこにはずる賢い守銭奴のあざけりの下心が含まれているのであろうか」この文章でパガニーニの舞台姿をおおむね想像できる。異様な体格と黒づくめの衣装・・常識とは逆にあえて「悪魔」の姿を自己演出したのは大成功だったといえる。

 「悪魔」は延べ数年に及ぶ巡業で莫大な金を稼いだ。はっきりした金額は不明だが、現在の金で何十億円といった金額らしい。こんなにガツガツ稼いだのは、一人息子、アキーレに財産を残してやりたいという親心ゆえだが、もう一つ熱を入れたのが優秀な弦楽器のコレクションだった。彼が生涯愛用したのはグアルネリだが、ストラディヴァリウスのヴァイオリンやヴィオラ、チェロも買い、弦楽四重奏曲を演奏する世界最高の四重奏団づくりを夢見ていた。

 ここまで「悪魔のような」パガニーニのあらましを書いてみた。200年前の遠い異国のアーティストの話で現代の日本人にはなんの関係もないように思えるが、意外や¥ご縁がありました。上に書いたパガニーニがコレクションした四重奏のための弦楽器、実は日本が購入していた。楽器はいったんアメリカの金持ちに買い取られ、長らくクリーヴランド弦楽四重奏団が使っていたが、1994年、日本音楽財団がこれを16億円(現在のレート)で買い取り、東京カルテットに貸与した。一挺平均4億円であります。当時はまだバブル景気の余韻があった時代だからこんな破天荒なことができたのかもしれない。パガニーニが苦労して集めた世界最高の弦楽器はいま日本の財団の所有物なのであります。(東京カルテット解散により、今はオーストリアのハーゲン四重奏団に貸与している)

 先日、パガニーニ由来の曲がTVのCMに使われているのを聴いてうれしくなった。なんのCMだったのか覚えていないが、ラフマニノフ作曲「パガニーニの主題による狂詩曲」の一節でとてもロマンティックな旋律です。当然、何百万人もの人が聴いていて、なんか知らんけどええ曲やなあと感じたのではと想像する。本当はアレンジしたラフマニノフの功績だけど「悪魔くん」の作品がTVーCMで流れる時代になったのであります。(2018年 新潮社発行)

参考 <東京カルテット>
   米・ニューヨークを拠点とする弦楽四重奏団。1969年にジュリアード音楽院に留学していた原田幸一郎、名倉淑子、磯村和英、原田禎夫の桐朋学園卒業生で齋藤秀雄門下生4名によって結成。コールマン・コンクールや70年のミュンヘン国際コンクールの優勝で一躍脚光を浴び、ドイツ・グラモフォンなどとも契約。世界トップクラスの演奏を誇り、グラミー賞ノミネートも7回を数えるほか受賞歴も多数。世界ツアーやベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏も行なう。『セサミ・ストリート』などの米TV番組にも出演。メンバーチェンジを重ねながら活動を継続するも、創設メンバーの磯村らの2013年6月の退団をもって解散。

悪魔といわれたパガニーニ 




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02 /26 2021
 

佐藤 優「人をつくる読書術」を読む
 本の広告コピーでは「現代の知の巨人」などと称されていて、じっさい、紛う方なきインテリといえば、まずこの人の顔が浮かぶ。年を重ねて最近の風貌はなんとなく西郷隆盛に似てきたような・・。南方系の血筋、人生半ばで挫折を体験している・・ことも似ている。(西郷隆盛は写真嫌い?で、肖像画しかないらしい(不詳)ま、どうでもいい話ですけど。

 なぜ作家になったのか・・生活費を稼ぐためである。外務官僚のときに北方領土問題で逮捕され、500日間、ムショ暮らしをした。とりあえず生活費を稼がねばならない。で、本を書いた。(ムショでの執筆は許される)これがスタートでした。幸い、高い評価を得て作家人生の礎になった。
 この人のすごい読書能力、執筆能力はご存じの方多いと思います。官僚時代からの延長で、執筆は毎日原稿用紙30~40枚分、読書は一日に10~20冊。これを必死のパッチで、ではなく、普通にこなしている。読書は最短で一冊5分、普通に速読で30分。むろん、半分くらいは書評や推薦依頼目当ての献本ではと思いますが、それにしても密度とスピードは常識外れです。

 読書のジャンルもめっぽう広い。政治、経済関係はもちろん、数学、哲学、宗教、歴史から古典文学、現代の小説、エッセイ、漫画まで、ほぼオールラウンドです。わずかの空き時間を見つけてはDVDで映画や芝居も楽しむ。ときには講演会も行う。

 「知の巨人」なるレッテルが出版社のイメージ戦略によるものだとしても単純な誇張やハッタリではありませんね。著者によれば、外務省の官僚、特に外交官は個人差はあれど、知識ぎゅうぎゅう詰め人間が普通で、それが年を重ねて洗練され「教養」として身につく。外国の大使や外交官は日本の外交官の印象を以て「日本国民」の何たるかをイメージするから責任重大です。外国の役人に歌舞伎やオペラの話題を振られてうろたえるようでは外交官失格です。

 著者自身の体験を顧みて、幼児から中学生くらいまでの読書のクオリティが生涯の人格、教養に影響するのではと述べている。佐藤氏の両親は本の押しつけなどはせず、しかし、本人が希望した本は大人向けの高価な本でも買ってくれたそうだ。金持ちではなかったけど、家庭環境には恵まれた子供時代だった。また、母親がキリスト教信者だったことから感化されて育ったが、高校、大学でマルクス「資本論」に出会い、相反する思想のどちらにも惹かれてずいぶん悩んだらしい。大学を同志社の神学部を選んだことで真剣に宗教を学び、悩みまくった末に洗礼を受けた。なんかイメージと合わないような気がするけど、佐藤氏はキリスト教信者である。(2019年 青春出版社発行)

佐藤優

似てません?
佐藤優 佐藤優 


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02 /19 2021
 

アンデシュ・ハンセン「スマホ脳」を読む
 著者はスエーデンの精神科医。スエーデンは生活水準でも国民の教育水準でも常に世界のトップレベルを保つ先進国で知られる。そんな国がスマホの急速な普及とともに国民に不幸をばらまいてるという。 現在、スエーデンでは大人の9人に一人が精神の不調で「抗うつ剤」を使用している。症状は「眠れない」といった軽いものから「孤独に苛まれる」という深刻な心の不調まで多様で、その原因のほとんどが「スマホ依存症」即ち、一日中スマホを手放せない中毒状態に陥ってることに起因する。(著者自身もヘヴィーユーザーみたいだ)

 なぜ、スマホの積極的利用が精神的不調を招くのか。著者の説明では、人間の脳は何千年、何万年もかけて少しずつ進化してきた。「環境に適応することで絶滅を免れる」。毎日、毎日、殺すか、殺されるかの生活。相手は猛獣だったり、人間だったり、天災だったり・・この試練の繰り返しである。半分くらいは10歳までに死に、長くても30歳くらいしか生きられない。この「環境に応じてゆっくり進化する」状態は現在も変わっていない。苦しい経験に学ぶことで少しずつ進歩してきた。おかげで、天災や感染症などの災厄に対しても時間をかけて対処する術を学んだ。

 しかし、近代~現代の科学的進歩はスピードが早すぎて人間の脳がついて行けない。機器がハイテク化しても、脳は原始人以来のDNAを引き継いでおり、変化に対処できないでいる。
 さらにマズイことに、ドーパミンという脳内の快楽誘導物質がスマホ中毒を促す。ほんの20~30分、スマホをオフにするだけでイライラしてくる。ドーパミンが「おい、おもろい情報入ってるぞ、見たいやろ、ONにせんかい」とそそのかす。で、四六時中開けていないと気が済まなくなる。その結果、不眠症や疲労感、食欲不振などが起きて体調を悪くする。

 スマホ中毒は子供にも広がりつつある。その弊害が指摘されてるにもかかわらず、日本では小中学生、一人に一台タブレットをもたせて教育に役立てるというカリキュラムを進めているらしい。マイナスよりプラス効果の方が大きいと判断しての採用だと思うが、本当に有益なのか。最近ではスマホの長時間使用による視力の低下も問題になっている。

 皮肉なことに、スマホなど最先端のツールやアプリを開発した人間が自身はそれらがドラッグとおなじ悪影響があると考えて使用をセーブしていることだ。スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツといったトップの開発者が自分の子供には使用させないという。ジョブスは家に帰ればアイパッドなんかそばに置きたくもないシロモノだと言っていた。ビル・ゲイツは子供が14歳になるまでスマホの使用を禁じていた。フェイスブックのあたらしいアプリを開発したJ・ローゼンステインはそのビジネス成果を認めつつ、悪影響の大きさにも気づいて自らは使用を制限した。案の定、SNSの普及は便利さとともに多くの人に不幸をばらまいた。

 自制心のない人間はスマホ中毒から脱却できず、最先端のテクノロジーを駆使して社会の下層階級を目指してるようなものだ。パチンコ中毒人間がようやく減少してきたと喜んだら次は「スマホ中毒」が大量発生した。パチンコと違い、子供から年寄りまで年齢制限がないぶん、悪影響の度合いが大きい。しかし、そんな問題知ったこっちゃないと、任天堂やカプコンといったゲームメーカーは次々と新しいソフトを開発して「愚者の楽園」づくりに力を注いでいる。批判に押されて自己規制をはじめたパチンコ業界より悪質なビジネスかもしれない。スマホ中毒人間はパチンコ中毒人の悪口を言う資格はない。(2020年 新潮社発行)


スマホ脳 


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02 /12 2021
 


やぶつばき 


校長先生のつくった「名言」
  ~山本紹之介「言葉の散歩道」第二集より~

 自家製「名言」つくりましてん、どない? と元神戸の中学校校長さんが自作名言集をつくって本にしています。こういう趣味もあるんですねえ。言うまでもなく、名言はえらい学者や政治家だけがつくるものでなし、誰でもつくれます。普通はせいぜい「迷言」しかつくれませんけど。ここでは dameo が選んだ先生の傑作(?)をいくつか紹介しませう。


かわいそうだ
と言いながら何もしない人は
かわいそうだと言うべきでない


貧困と貧困感とは違う
問題はむしろ
貧困感である


あなたともあろう人が
と言われてみたい


生が充実していればいるほど
瞬間処理ができるようになる


クソもいろいろ
クソタレ
アホクソ
ヤケクソ
ボロクソ
ハナクソ
ヘタクソ
は だめ
ナニクソ
は よい


型を否定する人は
型を否定するという
自分の型にとらわれている


元気で
病気
いたしております
大元気で
病気
いたしております


千円の本を
二回読めば一回あたり五百円に
十回読めば百円になり
知恵は十倍以上になる
本は安い


 一所懸命に考えてつくるというより、何かの拍子にふとひらめく、思いつく、といった発想が多いのではないでせうか。そういうことは誰でも経験するとして、そこでメモする、後にカタチを整える、という作業で「名言」または名言らしきものが生まれるのでせう。自称「名言」づくりは俳句や川柳の好きな人に向いてるかも知れません。

 巻末の著者略歴によると、1922年生まれ、高校卒業後三年間会社勤めをしたあと中学校教師になる。特に障害児教育、長欠、非行問題に取り組む。また、教育委員としては同和教育にも取り組んだ。最後に神戸市立魚崎中学校、湊川中学校校長を勤めて退職。以後も教育相談、指導、啓発活動を続けた。(1992年(株)JDC発行)

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02 /11 2021
 

佐渡 裕「僕はいかにして指揮者になったのか」

いっぺん、演奏会に来いひんか?
 ・・なんちゃって、若ぶってるけど、1961年生まれだから、もう還暦ではありませんか。「ボク」は昔のこと、今やオッサンのさなか、そして、あっという間にじいさんになりますぞ。でも、じいさんになっても「巨匠」のイメージは似合わないなあ・・。
 このタイトルで生真面目タイプの指揮者が著せばイヤミ、キザ満点の本になってブーイングものですが、佐渡さんが書けば許される、オモロイ、という本になります。余計な話ですが、小見出しの「演奏会に来いひんか」は京都弁(彼は右京区生まれ)です。大阪弁では「演奏会にけえへんか」神戸弁では「演奏会にこーへんか」となります。人の出入りの激しい大都市なのに、この「きいひん」「けえへん」「こーへん」の使い分けは今でもしっかり残ってるのがおもしろい。

 で、本書は音楽の本にしては珍しく関西弁で書かれている。(正しくは関西弁まじり)のみならず、指揮者にして佐渡の師匠、レナード・バーンスタインも関西弁でしゃべるのだ。最晩年になっても酒と煙草をやめられなかったバーンスタインは弟子の佐渡に言う。「オレが死んだら早すぎるよな。でも、煙草はやめられへんし、酒もやめられへん。でも、ユタカ、オレと今から禁煙せえへんか」(216頁)てな具合。

幸運七分に不運三分?
 指揮者に限らないが、アーティストの出世物語は努力の成果だけでなく、運の良さも大きく関わる。佐渡裕の出世物語は本書を読む限りではコツコツ努力の成果より運の良さが大きくプラスになってるように思える。その大半が幸運な人との出会いである。小澤征爾やバーンスタインとの出会いもどこかラッキーに恵まれている。出世途上において実力以上に評価されていたのではと勘ぐりたくなるくらいだ。そのベースに「人に好かれやすい」性格があると思う。アカデミックな教育を受けなかったぶん、エラソーな態度をする資質もつくれなかった。

 佐渡が指揮する演奏会にはオペラを含めて五、六回しか行ったことがないので批評めいたことは書けないけど、一番の功績は関西でオペラ公演を定着させたことでせう。オペラファンなんてかいもくいない関西で10日間の公演を企画、成功させたのは指揮者、佐渡裕ではなく、プロデューサー佐渡の腕前。こんな大胆な企画ができる人は他にいない。のみならず、初心者のためにホールでレクチャー講演までサービスする。その心意気はまさに「いっぺん、演奏会に来いひんか」であります。

 他に、佐渡の企画で素敵だと思ったのは、子供たちで編成する「スーパーキッズ オーケストラ」の演奏会だった。弦楽アンサンブルだけど、安物のバイオリンばかりなのに実に美しい音色とメリハリの効いた音づくりだった。小中学生でも、丁寧に、かつ厳しく訓練すればこんなに魅力的な演奏ができるのかと感心した。

 年末の名物行事になっている「一万人の第九」の指揮も長く務めている。アーティスト+ディレクター的センスが求められる催事だから、はまり役かもしれない。(平成22年 新潮社発行(文庫版)


佐渡


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02 /07 2021
 

滝 一平「少年とバイオリン」を読む
 戦後数年経ってまだ日本中が貧しかったころに起きた感動物語。いや、物語ではなく実話だけど、著者は微妙に脚色して「物語」にした。さらに、原稿として紙に書かず、朗読録音テープとして残したために広まることはなく、そのまま忘れさられてしまった。

 主人公は二人、博多駅構内で靴磨きで日銭を稼ぐ貧しい少年と世界的に有名なバイオリニスト、ユーディ・メニューイン。少年はある日、楽器店のウインドウにメニューインのコンサート開催のポスターを目にする。絶対行きたいが、そんなお金は無い。それで仕事の時間を長くして必死に貯金をはじめる。チケット発売日までになんとか500円を貯めて購入できた。食うや食わずの靴みがき少年がバイオリンコンサートに行く、当時の世情からみれば、それだけでも事件に近い。

 演奏会は素晴らしかった。少年は家に戻って母親に感激ぶりをしゃべりまくった。母親は「よかったねえ」と相づちを打つしかない。そして夜が更けたころ、見知らぬ男性が訪ねてきた。少年に「明日の朝、博多駅のホームに来て下さい」と。用件を言わずに帰ってしまった。
 明くる朝、博多駅のホームへ行くと昨夜の男(実は通訳)が見つかり、そばに、あのメニューイン本人がいた。彼は演奏会後、少年のことを聞いてお礼と励ましの言葉を伝えるために少年に来てもらったのだった。のみならず、離日前にバイオリンを購入して少年にプレゼントした。

 とても分かりやすい実話にして感動物語です。少年とメニューインはその後、再会したことも分かっている。しかし、どういうわけか、ここで情報はプツンと途絶えてしまった。メニューインはずっと活動を続けたが、少年の消息はいくら調べてもわからない。著者、滝 一平はこの実話に少年と同じくらい感動し、なんとか世間に広めたいと思ったが、当人は信州の山村暮らしという環境もあって自分で著作者になれず、テープに吹き込むという表現で残した。近在の人はこの朗読作品を聴いてみんな涙を流したという。

 ようやく、この感動物語は遺す価値があるという篤志家があらわれ、本書の発行になった。ここまでに60年の歳月を要した。売れないのを承知で企画、編集された皆さんの情熱と努力に敬意を表します。何十年か前、大人気イラストレーターだった宇野亜喜良氏の挿絵も素晴らしい。

巻末にメニューインの素敵な言葉が載っている。

           昼間、町を掃除する人々が、
   夜には四重奏を演奏する世界にしたい
   

(2011年 ヤマハ ミュージックメディア 発行)

 
宇野亜喜良の挿絵
バイオリン 

バイオリン



バイオリン


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01 /31 2021
 

万城目学・門井慶喜「ぼくらの近代建築デラックス!」
 人気作家二人が、京阪神、東京、横浜の近代建築を訪ねてウンチクを披露する読みもの。題名からしてクソまじめな本でないこと分かりますが、作家にもこういう趣味をもつ人がいると知るだけで楽しい。

 万城目氏は大阪生まれなので関西の建築に詳しい。そういえば、「プリンセス トヨトミ」という作品では大阪府庁を登場させていましたね。取り上げる建て物はメジャーなものばかりで、中央公会堂、大阪府庁、綿業会館、芝川ビル、難波橋、など。例外は堂島薬師堂で、この設計は誰なのか気になっていましたが「日建設計」でした。(個人名不詳)

 大正から昭和時代にかけて日本で一番活躍した建築家は辰野金吾と渡辺節(せつ)であるという見方は賛成です。この二人が近代建築設計におけるリーダーだった。辰野金吾は大阪の中央公会堂と東京駅の設計者であるといえば、そのデザインの共通性でハハンと納得する人おられるでせう。

 渡辺節はdameoの大好きな「ダイビル本館」の設計者で、オフイスビルという合理主義優先の建て物に、なにやらおどろおどろしい、エキゾチックな様式を加えて浪漫と風格を演出している。注文したオーナーは「なんどす?このけったいな飾りは」と困惑したのではと想像します。淀屋橋の「芝川ビル」も小さいけどかっこいいビルでお気に入りです。

 知らなかったのは、あの京都鉄道博物館のSL機関車庫の設計も渡辺でした。無装飾、合理性のみの建築でも無難にこなしてるのですね。紹介されてる京阪神のビルはほとんど知っているので、なつかしさもあって、すいすい読み終えてしまいました。

 余談ながら、中之島中央公会堂は現在建て物正面の東西方向の道路が車道から歩道への改造工事が行われており、完成すると公会堂正面のロングショットがかっこいい風景になるのではと期待しています。この道路工事が計画されたのは、昨年、道沿いに子供向き本の図書館「子供 本の森 中之島」が新築されていて、子供たちの通行の安全を保つためではないかと察しますが、その裏で図書館の設計者(寄贈者)安藤忠雄氏の働きかけがあったのではないか。これも想像ですが、ほぼ、間違いないでせう。(2012年 文藝春秋発行)


表紙 

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01 /28 2021
 

南 清貴「行ってはいけない外食」を読む

 副題<飲食店の裏側を見抜く> ファミレスやファストフードの店で食べる料理がいかにええ加減なものかを告発する本。著者は一般社団法人 日本オーガニックレストラン協会代表理事。

 なにしろ、飲食業界は競争が厳しい。いかに安く仕入れて高く売るかで勝敗が決まる。いかに、安全で美味しい料理を提供するか、に注力する業者は生き残れない。そんな業態のウラ側を説明するのでありますが、本書を読めば、神経の細かい人は外食する気がなくなるでせう。

 たとえば、ファミレスや持ち帰り弁当などの白いご飯。品質の悪い米をごまかすために精米改良剤という薬品が使われる。見ても、食べても分からないから誰も疑わない。この薬品はプロピレングリコールという物質が主体で、食品添加物としては「乳化剤」として扱われる。同じものを工業製品として作る場合は「界面活性剤」と名付けられる。シャンプーや洗剤に使われる化学製品である。これを炊飯時に混ぜると、白く、つやつやの光沢あるご飯に仕上がる。しかし、味までよくすることはできないから、見た目はいいのに食感は「モソッとした」感じになるが、鈍感な人はだまされて「美味しい」と感じてしまう。ご飯のツヤは界面活性剤のせいだった・・。どないです?自分は知りませんでした。

 中華料理店を主として野菜類は洗わずに調理するのが常識になっている。手間を省くためでもあるけど、一番の理由は劣化を防ぐためだ。大量に消費するネギなどは洗いナシで機械で刻んでオワリ。雑菌はついたままで客に供される。少数の運の悪い人は病気になる。
 調理師の仕事ってほとんどハンドワークだと思いがちだけど、それは一握りのエリートのみ。一般のレストランではコストダウン、省力化、すなわち「生産性の向上」をはかるために、食材や調理方法はどんどん「工業製品化」されつつある。では、工業製品=美味しくないのか、といえば、そうではない。そこは一所懸命に努力して客に嫌われないように「美味しそう」にして提供している。界面活性剤入りのご飯と同じ発想で客を欺いている。化学薬品で「美味しさを演出する」時代である。

 ファミレスやビジネスホテルのレストランで供されるサラダバー。食べ放題だから「野菜もしっかりとらなくては」と皿に取り込むが、この野菜は栄養価がほとんどない。なぜか。野菜自体、上等なものはない上に、見た目の鮮度を保つために次亜塩素酸ソーダという薬品の液に漬けて消毒、殺菌し、このままでは匂いがきついので水でジャブジャブ洗って匂いを消す。この時点で野菜の栄養分はほとんど洗い流されてしまい、食物繊維くらいしか残っていない。でも、見た目はシャキッとしているので、客は「新鮮な野菜」と錯覚してしまう。この作業は工場で行い、店では包装を解いて盛りつけるだけ、素人のバイトでもできる。(次亜塩素酸って、コロナウイルスの消毒にも使われてるような・・)

サラダバーの食べ物で調理人が作る料理はひとつもない。全部、工場から搬入されたパック品である。食べ放題をうたってる料理にコストをかけていては大赤字になる。オール「工業製品」で賄ってこそ赤字を免れる。 「味の素」の発明?以来、化学調味料の研究、開発が進み、同時に人間の舌が化学調味料に慣れ(なじみ)天然もの本来の味や香りを忘れつつある。伝統を守る一流店で昔ながらの「天然の味」で料理を出すと化学調味料になじんだ二流の客は美味しくない、とか、物足りない、という反応を示す。ニセモノが本物を駆逐するのだ。さりとて、店も商売だから、そんな二流客を無視すると客がいなくなる。で、渋々、二流客の味覚レベルに合わす・・店の料理レベルが落ちる。悪循環がはじまる。

 というわけで、国民の大半は残念ながら味覚において二流レベルだから「一流の店」の維持はだんだん難しくなっている。本当に美味しいご飯、本当に美味しい刺身、本当に美味しい野菜・・を知らない人がどんどん増えて長年築き上げた食文化を壊しているのが現状だ。ふだん、私たちが巷のレストランや回転寿司店で食する料理の大半は「工業製品」であることを認識しておこう。「安い」のは事実だとしても「旨い」のが事実かどうか、いささか怪しい。(2016年 三笠書房発行)

外食 


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01 /25 2021
 

小谷野敦「文豪の女遍歴」を読む

 正月早々、楽しい本に出会いました。明治以後、昭和時代はじめまでに生まれた作家約60人の女性遍歴をセキララに書いている。森鴎外、島崎藤村、芥川龍之介、太宰治・・そうそうたるメンバーが女性問題をどう切り抜けたか。メンバー表を見ると、一流作家の7~8割くらいは問題を起こしていて、トラブルなしなのは少数にとどまる。夏目漱石もいろんな人が調査したが、まあ、問題ナシとされた。(さりとて、鏡子夫人との仲が円満だったとはいえない、とかなり疑われている)


 一般人と違って問題が取りざたされやすいのは、作家はスキャンダルでさえ作品創作の糧にできることで、スキャンダル=悪、と評価しにくい面がある。谷崎潤一郎なんか実生活の女性問題を次々小説のネタに取り入れる名人?で「細雪」「鍵」「瘋癲老人日記」「春琴抄」などの名作をものにした。自分の醜聞を文学作品に「変換」する名人だったと言えます。じっさい、女性問題で谷崎をマイナス評価する人は少ない。


 その点、太宰治は女たらしを糧にしつつ、処理の仕方がヘタクソだった。自殺や心中の失敗を重ね、恥をさらした。だからといって、世間全てが太宰治大嫌いというものでもない。どうしようもない駄目男と認めつつ、作品は好きというファンが多い。醜聞とは関係の無い優れた短編をたくさん作ったことが「女たらし」のイメージを割引きしている。
 

 川端康成は失恋の傷を抱え、やけっぱち気分で田舎の芸者をモノにした。それが「雪国」のヒロイン、駒子に仕立てられ、揺るぎなき名作と評価されて後にノーベル文学賞受賞に至るのだから「才能」というしかない。湯沢温泉のB級芸者、小高キクさんにしたら、さりとて妻にしてもらえたわけでもなく、小説の素材でしかなかった。本書によれば、川端康成は合計10人くらいの女を愛人にしたらしい。ほとんどが水商売の人だが、むろん、正妻もいた。いちいち嫉妬なんかしてられなかったにちがいない。川端自身は誰にも看取られない自死を選んで旅立った。


 読み終わって、60人のなかで一番のワルは誰かと考えたら、島崎藤村ではないか。本人も性悪は「血筋」と認めていたふしがある。ドジな太宰治や谷崎潤一郎のように「笑って許す」気にはならない。血族間の人間関係の醜さ、陰湿さは耐えがたいものだったと思われるが、藤村自身も被害者ではなく加害者側だったことで救いがない。女性に対しては卑怯、無責任な態度を通したことも印象を悪くさせる。しかし、歴史に残る「文豪」であることも変わらない。優れた文学作品のウラにどれだけ醜悪、悲惨、滑稽なドラマがあったかを知る意地悪な本でもありました。(2017年 幻冬舎発行)

表紙 文豪の 



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01 /21 2021



嵐山光三郎「不良定年」を読む

 著者は若いじぶんから作家稼業専門だと思っていたら間違いで、40歳近くまで平凡社に勤めて雑誌「太陽」などの編集をしていた。だから「不良定年」という書名で本が書ける。脱サラ後になんとか文筆でメシが食えたのは本人の才能もあっただろうが、一番役立ったのは豊富な人脈ではないかと思う。不良定年なんてアンチな本を書きながら、腰を低くして付き合いを増やす。この才能、努力は欠かせない。まあ、不良ぶってるトコもあるわけです。


 発行は2005年、今から15年前になるけど、やはり時代感覚の差は感じます。当時は60歳定年がきまりだったというだけなのに今とちがうなあと感じてしまう。会社の定年人物の扱い方はだんだん厳しくなって50代から給与カットや役職停止など、イジメが続く。60歳で、軽くても役職つきで定年になれば幸せというものです。


 著者は40歳直前に希望退職した。しばらくぶらぶらしたあと、仲間を募って出版会社を立ち上げた。総勢7人だからみんな役職つきになれる。著者は常務を選んだ。脱サラしながら、結構、役職つきにこだわってます。こういう選択ができたのは、やはり人脈があったからでせう。男子たるもの、退職したらみんな不良定年になるべし、なんてかっこいいこと言えるのは自信のあらわれです。ちなみに、著者推薦の不良定年の模範(あこがれの不良ジジイ)は永井荷風と谷崎潤一郎だそう。これに共感覚える人、多いと思います。


 話変わって、今朝の新聞の人生相談欄にこんな投稿がありました。「69歳男性。都会から田舎に引っ越したけど、文化施設皆無の町で、友だちもできず、妻と二人きりの生活。長いサラリーマン時代にこれという趣味もなかったので、この先どう暮らせばいいのか。最近、ウツ気味です」という相談。(過去にガンを患ったが、克服し、今は健康)


 いまどき、趣味がない人なんて日本中に3人くらいしかいないだろうと思っていたが・・、おられるのですね。これ自体、感動ものです。さりとて、仕事が趣味だったとも思えないから、不良定年どころか「純粋退屈男」として生きてきたのでせう。気晴らしのネタがゼロの田舎町に来て「退屈」が際立ってきた。それにしても、69歳になるまで「楽しく暮らす術」を考えなかったという生き方、それに同調してきた妻って、いったい・・・(と、また感動する)


 15年前、著者は「不良定年になろうぜ」と呼びかけたが、世間の情勢は逆に「善良定年」になる人が増えているように思う。その理由は退職金の減少や年金生活への不安などの経済情勢のせい。著者の唱える不良定年に必須な「無頼生活に要する遊び資金」の乏しさでありませう。

 
 嵐山センセが不良定年を実践できるのは甲斐性があるからです。ほとんどの男は善良定年しかなれない。いま、この本を再版してもぜんぜん売れないと思いますよ。(2005年 新講社発行)


追記
 本書を読み終えた明くる日、半藤一利氏の訃報が伝えられた。出版界では標準的なカタブツと思っていたが、本書の表紙絵(下の写真)が半藤氏の作品と知って驚いた。こんな楽しい裏ワザをもっていたなんて・・。著者と半藤氏が昵懇の間柄であることを知るとともに、頼まれた半藤氏としてはこの裸婦絵が精一杯の「不良」ぶりの表現だったのでは、と想像したものです。半藤氏の奥さんが夏目漱石のお孫さんであることは知ってました。


不良 


半藤氏死去


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01 /18 2021




酒井順子「泡沫日記」を読む

 前回感想文に続いて酒井順子の登場です。「金閣寺の燃やし方」とはぜんぜん趣の違う酒井流本来のエッセイ。同氏のエッセイはすでに数冊読んでいるけど、今回は「何が魅力で酒井順子の作品を何冊も読むのか」検証してみようという下世話な興味があって読んだ。


 文壇の有名作家ではない。ヒット作メーカーでもない。有名な「賞」を受けたわけでもない。TVなどのメディアで露出するタレント性もない・・日常生活の断片を切り取って原稿用紙4~5枚ぶんの文にまとめているだけの、イージーライターに思えるのですが、こんな地味な作品をコンスタントに発行してメシを食っておられるのであります。野球でいえばバントヒットだけで打率を稼いでるような作家であります。


 本作「泡沫日記」のテーマは、自分はいつのまにか四十女になってしまった。しかし、このトシになっても「人生初体験」になるものはたくさんあって「世間ってこんなものなのか」と学ぶ機会になると。小さな初体験を悲喜こもごもを綴るのであります。
 「ガードル」「引っ越し」「白髪」「介護」「オペラ」「コメダ」(珈琲店)・・等々について淡々と、しかし、退屈させない文章で読者を惹きつけておく。刺激はないけど飽きもしない・・ これです、酒井流「薄味の魅力」は。なんのことはない、エッセイの基本をしっかりわきまえての個性であります。他のエッセイストとのちがいは、さりげなく酒井流ユーモアを散りばめるセンスでせうか。


 であれば、前回紹介した「金閣寺の燃やし方」はいつになく重いテーマに真剣に取り組んだ作品だったと言えます。資料調査や現地調査に多大の時間をかけ、いつものエッセイストではなく、ドキュメンタリー作家として取り組んだ。dameo はその意気込みをヨシとするのでありますが、内容が深刻すぎて酒井ファンにはあまり評価されなかったのではないか。ホームラン狙ったのにファウルになってしまった?。あと20~30年は書けそうだからバントヒットの合間に二塁打くらいは打てると思います。(2013年 集英社発行)

泡沫日記


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01 /16 2021


酒井順子「金閣寺の燃やし方」を読む

 ものすごく深刻で悲しい話なのに、なんですか「金閣寺の燃やし方」なんてふざけたタイトルは。センセ、酒井順子のイチビリを懲らしめとくなはれ。センセとは三島由紀夫と水上勉のことであります。

 昨年暮れ、図書館へいくと「三島由紀夫没後五十年」で作品の特集展示をやっていて本書が展示されていた。こんな本があるとは知らなかったので、わ、ラッキーとニンマリして借り出した。何がうれしいのかといえば、三島由紀夫の「金閣寺」と水上勉「金閣炎上」の二冊を読んだことがあり、この本は両書の成立、解説をした作品だから。

 ふざけたタイトルはいかにも酒井さんらしいセンスで、他の作家なら絶対こんな題名にはしません。著者は三島由紀夫ファンだと言ってるので作品の評価は三島寄りになるのかと思いきゃ、本書では水上応援団になっている。自分自身の読後感、感銘度でも圧倒的に水上ヨイショ側なので、さらに酒井ファンになってしまった。

 金閣寺放火事件は昭和25年7月に起きた。犯人は寺の徒弟であった林養賢。放火の動機は、表向き厳しい戒律のもとに維持されている禅宗寺院が実際は高僧まで堕落した生活に明け暮れていることへの反感だったといわれる。さらに林は生来吃音であることや病弱な身体から人生の将来に絶望していた、とされた。当人は放火後、自殺するつもりだったが大文字山の山中で逮捕された。

 この大事件を二人の作家がそれぞれのイメージで描いた。三島は放火の動機を「美への嫉妬」などとして小説に、水上はドキュメントとして犯人の不遇な生い立ちに肩入れして執筆した。表向きの印象をいうと、文章は三島のほうがずっと上手でなめらか、対して、水上の文はのつこつして、つっかえるという感じ。車にたとえたら、三島はベンツ、水上はエンストを起こしそうなおんぼろ軽トラックという感じだ。

 しかし、読後の感銘度では水上「金閣炎上」が断然勝る。水上と犯人が同郷(若狭の寒村)だということが強い共感を呼ぶ。犯人の出生地である成生という集落の細々した描写を読み、地形図を購入して犯人の育ったお寺の位置や自然環境を確かめたくらいである。酒井さんもこのあたりの現場調査に力を入れていて、水上と犯人が一度だけ峠道で偶然に出会ったシーンを自分が目撃したみたいに丁寧に描いている。

 犯人、林養賢は収監後、結核が悪化し、統合失調症も発症して衰弱し、27歳で亡くなった。唯一の肉親だった母親は事件直後、警察に呼び出されて事情聴取された。そのときの衝撃が大きく、帰宅するべく乗った山陰線の列車が保津峡を通過時にデッキから飛び降りて自殺した。
 金閣寺と保津峡トロッコ列車・・観光客で賑わう有名観光地が薄幸の母子の悲劇の現場であったことを知る人はもうほとんどいないのではないか。もう70年昔の事件ですからね。

三島由紀夫と水上勉、いずれもファンの多い作家だけど、両方とも好きという人は少ないような気がします。この本との出会いをきっかけに「金閣寺」と「金閣炎上」読み比べてみてはいかがでしょうか。同じテーマを扱いながら、作家の個性の違いがくっきりとあらわれている作品です。

参考
三島由紀夫 「金閣寺」    1956年発行
水上 勉     「金閣炎上」 1979年発行

金閣寺


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01 /11 2021
 
田辺聖子「私本・源氏物語」を読む
 日本の文化遺産といってよい「源氏物語」をコケにした、おふざけ源氏物語。もともと読む気なんかなかった「源氏物語」ではありますが、本書を読んで200%原作を読む気がなくなりました。田辺センセもけったいな本を書きはります。こんな本、誰が読むねん、と思って奥付を見たら、あちゃ~、85年から91年までに14刷とある。もしや10万冊くらい売れたのかも知れません。誰が買うてん、こんな本。

 田辺聖子は源氏物語の現代語訳本として、与謝野晶子や、谷崎潤一郎や円地文子とならぶ立派な「新源氏物語」を書いている。それで十分ではないかと思うのですが、このイチビリすぎる「私本・源氏物語」もぜったい書きたかった、と本人が述べている。まあ、そういう発想も田辺聖子らしいけれど。

 本物の雅の世界ではなく、思いっきり俗物源氏物語を書きたかった。よって、本書に登場する人物は光源氏をはじめ、全員が今ふう大阪弁を語るのであります。えらいこっちゃ。

 たとえば、こんな場面。夜ごと美女のもとへかよう光源氏、若い美人に飽きてしまい、ある夜、付き人の中年男(おっさん)に、婆さんもええもんやで、とのたまう。「私も若い女は飽いたよってに、ここらでひとつ、年かさのオナゴに当たって経験ふやそ、思うてな、典侍(ないしのすけ)をくどいた」 おっさんはおどろいた「年かさはよいが、五十七、八とは・・。程度(ほど)ちゅうものがおますがな、もうちょっと頃合いの年かさのご婦人、おられませんのか」「いや、三条のが四つ上、六条のが八つ上や」

 全編、こんな会話が繰り返されて話が進む。田辺センセ、書いてて楽しいけど、どっかで打ち切らんとズルズル続いて果てがない。・・ので、明石の汐汲み女がでるところで打ち止めとなる。その「明石の汐汲み女」が筋肉隆々、アスリートみたいな大女で、なよなよ男、光源氏はさすがに持てあましてしまい・・てなところでエンドになる。

 こんな、おもろいけどゲスな「源氏物語」で田辺センセは何を伝えたかったのか。ゲスの勘ぐりをいえば、千年昔、平安時代に創作された最高の文学作品とゆうたかて、よう考えたら「雅なポルノグラフィー」とちゃいますか。しかし、今さら「源氏物語」を王朝ワイセツ文学というわけにもいかず、ほんなら、ホンマはこういう本なんやで、とシモジモにもわかるように脚色したのが「私本・源氏物語」である。さらにソフトに表現するために大阪弁でごまかした。

 もう一つの勘ぐり。田辺センセは新・源氏物語を書くために平安時代の生活、風俗の細部まで猛勉強したにちがいない。しかし、その大量に仕入れた知識すべてが源氏物語に取り入れられるものでもない。それらがデッドストックになるのはもったいない。だったら、パロディを作ってそこで書いたろ。で、「私本・源氏物語」を書いた。

 たとえば、当時の貴族はどんなトイレを使ったのか、についてウンチクを述べている。大のほうは漆塗りの四角い箱で・・専任の処理係がいて、云々と「見てきたように」詳しく書いてある。そもそもあの大層な衣装(装束)を着てのトイレだから、一回毎に難作業となる。「厠」という設備がなかった時代に十二単を召した姫君が一人でトイレを済ませるなんて不可能なこと、誰でもわかる。

 食事のこともえらく詳しく書いてある。しかし、サイド情報なので本編に書く必要はほぼ無い。もったいない・・で、パロディ版に書いた。 この本読んだ人は本物「源氏物語」は読まない(読めない)。「源氏物語」読んだ人はこんなアホくさい本読まない。そやけど、どっちにアクセスするかはあんたの自由でっせ。好きなほう読んだらよろし。これが田辺センセのメッセージではないかと勝手に判断したのであります。(1985年 文藝春秋発行)
 

本 源氏物語 






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12 /24 2020
 

デービッド・アトキンソン
「イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る」を読む

 この著者の名前、なんか聞いたことあるな、と言う人、かなり多いのではないか。実は菅内閣がつくった「成長戦略会議」のメンバーに選ばれています。欧米人が日本の政策立案に関わるのは珍しいけど、だれかが強力に推薦したのかもしれません。プロフィールは英国生まれ、オックスフォード大学卒で、金融機関のアナリスト。最後の職歴はゴールドマン・サックス社で日本企業の分析に携わり、これが評価されて幹部に抜擢された。

 面白いのはそのあとで、もともと日本文化に惚れていたが、茶道が趣味で裏千家に入門、「宗真」という茶名をもらうまでに精進した。のみならず、縁あって文化財の修復を担う「小西美術工藝社」の社長兼会長におさまっている。だからといって精神まで日本人に染まってるわけではなく、基本は欧米人らしい合理主義者である。現在56歳。

 合理主義思考でホンネをズケズケ語るオジサンが日本政府の中枢で活躍できるだろうか。もちろん活躍を期待するけど、結果を占うと・・・

・斬新な企画、制作がが評価されて好感をもたれ、さらに有名人になる。
・周辺への忖度などしない物言いが嫌われて干される。

ま、このどちらかになるでせう。日本人のエライ方々に嫌われるのは十分経験しているから干されても地位に恋々としないと思います。

 本書はインバウンドによる日本観光ブームが起きる直前の発行なので、持論の「日本観光立国論」が少々ズレた感じがするけど、考え方は納得できる。観光関係業者への厳しい意見は日本人が言うよりずっと説得力があります。悪口をズケズケ言っても嫌われていないのは明るい性分のせいでせう。日本文化の評価を精神論でなく、説得、納得、で理解させる啓蒙手法は学ぶ点が多い。(2014年 講談社発行)


 アトキンソン 


 dameo

■10年続けた<快道ウオーキング>を改題しました。
■《手づくり本》の研究は、大事なことは紙に記録しようという、アナログ爺のレジスタンスです。お問い合わせは【拍手ボタン】押してコメント欄からどうぞ。内容は非公開です。
■下記のカテゴリーが趣味をあらわしています。
■ニックネームはdameo(丸出駄目男)です。
■1939年大阪生まれ