読書と音楽の愉しみ



●「値段の風俗史」を読む  ~その2~

■焼酎(鹿児島産芋焼酎 1,8リットル)
昭和元年・・・81銭
昭和20年・・8円
昭和54年・・850円
 半世紀で1000倍になっている。しかし、昭和54年から現在までは2倍程度にしか値上がりしておらず、1500円程度で購入できる。(注)戦前の焼酎は度数が40度で生産されていた。現在は25度が標準。


■東京大学の授業料(年額)
明治12年・・12円
明治43年・・50円
昭和20年・・150円
昭和45年・・1万2000円
昭和55年・・18万円
(注)現在は81万7800円(入学料+授業料)


■鶏卵(1キロ当たり)
明治12年・・10銭
昭和6年・・・20銭
昭和20年・・1円50銭
昭和21年・・15円20銭
昭和31年・・95円
昭和41年・・223円
昭和45年・・190円
昭和50年・・367円
昭和54年・・314円
(注)現在は300円程度。卵が物価の優等生といわれるようになったのは、昭和50年(1975年)あたりから現在まで横ばいに近い安定した価格を維持しているから。終戦時は1年で10倍値上がりした。


■公務員の初任給(大学卒)
明治27年・・50円
明治40年・・50円
昭和12年・・75円
昭和21年・・540円
昭和26年・・5500円
昭和44年・・3万1000円
昭和54年・・9万7500円
(注)平成28年の初任給は、大卒・総合職で18万2700円


■航空旅客運賃(東京~大阪間)
昭和3年・・・35円(毎週3往復)
昭和13年・・30円(一日二往復)
昭和26年・・6000円(プロペラ機)
昭和40年・・6800円(ジェット機)
昭和55年・・1万4100円(ジェット機)
(注)現在は、LCCなら4000円くらいからある。JALで1万4000円くらい。


■劇場の観覧料金(帝国劇場の最高~最低料金)
明治44年・・5円~20銭(この年に開業)
昭和元年・・・8円~50銭
昭和20年・・15円~1円50銭
昭和29年・・1500円~120円
昭和55年・・7000円~2000円


各項目、終戦後のひどいインフレがわかるように編集して載せました。1年で物価が10倍なんて信じられないけれど、みんなこれを経験して今の暮らしがあります。現在の政府がインフレ誘導のために「3%の物価上昇」を目標にして四苦八苦しているのをみると隔世の感、ひとしおです。


私たちはなんとなく、デフレ=善、インフレ=悪のイメージにとらわれがちですが、資本主義社会でデフレが続けば、まちがいなく国家破綻です。(ひどいインフレも国家破綻を招きます)それにしても、戦後、百倍以上値上がりしたものがたくさんある一方、焼酎や航空運賃など、30年前と変わらない、あるいは、逆に値下がりしているものもあります。前回紹介した「たい焼き」の値段が、30年間、ほとんど変わらないのはなぜか? 研究すると面白いかも知れません。(昭和56年 朝日新聞社発行)

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●「値段の風俗史」を読む ~その1~

 いろんな物価の今昔比較に有名人のエッセイを加えた楽しい本。但し、発行が昭和56年なので「今」の値段は昭和56年=1981年止まりとなります。明治はじめから約100年間の変動を知ることができます。 面白いのは、値段の変化だけでなく、モノ自体の盛衰がわかることです。昭和56年には実在したモノが、平成の今では消えてしまって、それが妙に懐かしい。


例えば・・赤帽の料金、駅売りのお茶、マッチ、炭、蚊帳、花嫁ふとん、和文タイプライター、などです。みんな昭和時代の終焉とともに姿を消してしまいました。平成生まれの若者は「赤帽」の意味が分からないのではないでせうか。それでは物価の今昔の比較例を紹介しませう。


■国鉄山手線の初乗り運賃
明治42年・・5銭(この年に開通した)
昭和21年・・20銭(終戦の翌年)
昭和24年・・10円
昭和54年・・100円(1979年)
(注)現在は140円


山手線開通時の車両 ホデ6100型
物価


■小学校教員の初任給(基本給)
明治19年・・5円
明治33年・・10~13円
昭和23年・・2000円
昭和45年・・3万1900円(万博の年)
昭和55年・・10万2000円


■背広のオーダーメード
明治7年・・・25円
明治34年・・15円
昭和22年・・4000円
昭和55年・・12万円
(注)小学校教員の初任給と比べると、いつの時代でも背広のほうが高かったことがわかる。現在は初任給以下の値段で誂えることができる。


■鉛筆(学童用一般品一本の値段)
明治20年・・1厘
昭和5年・・・1銭
昭和20年・・20銭
昭和22年・・2円
昭和25年・・10円
昭和54年・・30円


■鯛焼き
明治42年・・1銭
大正10年・・1銭
昭和7年・・・2銭
昭和13年・・5銭
(昭和16年から22年まで、戦時統制のため、製造禁止)
昭和23年・・5円
昭和45年・・25円(万博の年)
昭和55年・・80円              ~次回に続く~


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●山下澄人著「しんせかい」を読む

 第156回芥川賞受賞作品。例によって、月刊「文芸春秋」を買って作品部分をナイフで切り取って読む。単行本で買うと1728円もする。 毎回、今度こそは読み応えある作品を、と期待するのですが、残念ながら今回もアウトでした。話は、倉本聰氏が主宰する演劇塾に参加した青年(著者)の経験をもとにフィクションに仕立てたものですが、毎度のことながら、身辺10m内のことしか書けない。そもそも「しんせかい」というタイトルからして、脱力感しか感じられない。


もしや、自分に鑑賞眼がないだけかもしれませんが。これが傑作でないことは審査した各氏の論評でもわかります。何人かが「なんでこの作品が選ばれたのか」と他人事のように無責任な発言をしている。だったら、今回は受賞作品ナシ、という結論でもよいではないか。(受賞作ナシの回もかなりある)あるいは、選考を現在の年二回から一回に減らしてはどうでせうか。少なくとも現在よりはレベルが上がると思います。


芥川賞を受賞して、その後も作家として活躍している人は意外に少ない。みなさん、なんでメシを食ってるのかと心配するくらいです。過去10年間の受賞者を調べてみると、青山七恵・諏訪哲史・楊逸・磯崎憲一郎・赤染晶子・朝吹真理子・鹿島田真希・黒田夏子・田中慎弥・藤野可織
・小山田浩子・小野正嗣・滝口悠生・・・の各氏は、はやばやと有名作家から無名作家になってしまった。しょせんは「一発屋」でしかなかった。「火花」で億単位の稼ぎをした又吉直樹氏だって、名前は知られてるけど、評価された作品はこれ一作きり。なので、これの焼き直し(文庫本化とか)とテレビへの露出でなんとか世間に顔つなぎしている。


芥川賞に比べたら、直木賞作家のほうがずっと存在感が大きいような気がします。知名度、収入、において芥川賞作家より上ではないか。分かりやすい話ゆえに、TVドラマ化、映画化がしやすいのも有利です。むろん、直木賞作家にもピンとキリの落差は大きいでせうが。直木賞作家、朝井まかてさんは講演会で「芥川賞や直木賞を受賞した作家でも、年収200万とかの人が普通にいる」と業界裏話をしていましたが、誇張ではないと思います。・・と、芥川賞作品に文句言いながら、半年後、新作品が発表されると、つい「文藝春秋」を買ってしまう駄目男であります。 

しんせかい 






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●新之介著「大阪高低差地形散歩」を読む

 著者の新之介氏は「十三のいま昔を歩こう」という人気ブログの管理人さんです。長年、大阪の街歩きを続けているあいだに、大阪を「地形」で見直すことの面白さにはまり、独学を続けたあげく、とうとうこのような本を出版するまでになりました。ただいま、大阪の歴史や文化を地形という視点から語れる第一人者でありませう。
 ご自身は十三界隈で生まれ育ったことから、大阪はずっと平坦な街だと思い込んでいた。しかし、あるとき、中沢新一著「アースダイバー」を読んで地形の歴史的変遷に興味をもち、坂の多い上町台地を歩いて地形探索に開眼したと述べています。


新之介氏でなくても、大阪は平坦で坂道が少ない街だと思い込んでる人は多いはずです。なぜなら、坂道や崖(急斜面)が多いのは、中央区、天王寺区、阿倍野区の三区、上町台地にある区に限られているからです。淀川区とか、西区とか、生野区といった街に住んでる人には「坂道の多い街」のイメージはしにくいはずです。


新之介氏に比べたら、関心度は百分の一くらいですが、駄目男も街の風景にアクセントをつける坂道や迷路(ラビリンス)を面白がるタチなので、本書はとても参考になります。ただいま平坦な街に暮らしてる人も坂の街に興味をもつきっかけになる本だと思います。
 この、大阪の地形問題、昨年秋はNHK「ブラタモリ」の企画にもなって著者が出演されました。また、本書は梅田の紀伊國屋書店一店だけで1000冊も売れたとのことで、こんなマニアックな本が?と訝りつつ、ニンマリしてしまいます。同好の士がどんどん増えてほしい。(2016年 洋泉社発行)

ブログ:十三のいま昔を歩こう
(ブラタモリのロケのレポートがあります)
http://atamatote.blog119.fc2.com/

下の写真は、本書でも紹介されている阿倍野区西端の崖と坂道風景、そして周辺のラビリンスふう町並みのワンシーンです。(阿倍野墓地の西側、南側になります)


大阪市内でこういう風景は珍しい

地形


地形

古墳の跡にマンションが建つ
地形 


大谷学園の通学路
地形 


古い民家の向こうにハルカスが見える
地形 


偶然、アトリエ コーナスを見つけた。アーティストを目指す知的障害者のアトリエ。
地形 



地形散歩





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●数学オンチだった?・・三浦朱門氏死去

 曾野綾子さんの評論集は数冊読んだ記憶があるけど、夫の三浦朱門氏の作品で読んだ記憶があるのは「第四次元の小説」一冊きり。しかも、これは翻訳書だから、作品と言ってよいのかどうか。
 前書きか後書きの文で三浦氏が言うに「私は数学が大の苦手である。なのに、こんな数学的テーマの本の翻訳を手がけてしまった。そもそも、「四次元」とかいう面妖なテーマに興味を持つのは、自分と同じような、数学大苦手な人間ではないか」という趣旨の文を書いていた。


これに妙な安堵感を得て買ってしまったような気がする。読んだのは1970年ごろで、もう半世紀昔のことであります。名もなく貧しく、三次元世界でしみじみ生きてる者にはなかなか楽しい内容でした。今ではだれでも知っている「メビウスの環」や「クラインの壺」の概念にはじめて出会った本です。なかでも面白かったのは「メビウス」理論をつかった話で、ロンドン(?)の地下鉄がすごく発達して地下を網の目のごとく多種類の路線が交錯した挙げ句、ある日、一編成の車両が乗客を乗せたまま消えてしまう。当局は必死になって捜索するが見つからない。ところが、何日目かにその車両は何事もなかったように現れ、予定の駅に着き、乗客も無事だった・・。こんな話だったと思います。


三次元世界があまりに複雑になると四次元の罠に吸い込まれてしまうという楽しい?物語ですが、アタマの悪い人は三次元の解析より、さっさと四次元という仮想世界に逃げ込んで解決したフリをするわけです。当時の四次元世界の表現はかくも素朴でありました。
 いま、映像世界では仮想四次元が大流行で、SF映画やアニメでは、タイムトリップとか「四次元もどき」の表現が普通に見られます。「もどき」であるのが残念ですが。



4次元の小説






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●音楽喫茶「あんさんぶる」

 西成のココルームさんに教えられて初訪問。地下鉄今里筋線の関目成育駅または京阪関目駅の駅前にある外観は至って地味な店です。今どき、クラシック音楽を聴かせる喫茶店があるだけで珍重するべきでせう。 コーヒー550円というのは高いけど、設備投資の一部負担で納得します。この店のウリはタンノイのGRFーメモリーというSPシステム。もう骨董に近いオールドスタイルで、とっくに生産は中止している。メンテナンスはタンノイの代理店であるティアックがやってるらしい。


店主が言う「聴き疲れしない音」であることがタンノイ定評で、営業時間中、ずっと稼働するのなら、それが第一条件になるのは仕方ない。 それはともかく、いつかこのシステムでバッハの無伴奏パルティータやチェロ組曲を聴いてみたいと思いました。


午後の陽射しが差し込む店内
アンサンブル 


タンノイGRFメモリー
アンサンブル





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●わぐりたかし著「地団駄は島根で踏め」を読む

 ふだん何気なく使ってる言葉の語源はこれだ!・・と日本中を旅して23の言葉のモトを突き止めた楽しいレポート。例えば、書名の「地団駄を踏む」は島根県生まれの言葉ですが、現地へ行くと本当に「地団駄」なるモノがあって踏むことができる。ぜんぜん知りませんでした。


取り上げられた23の言葉のうち、自分がすでに語源を知っていたのはどれほどあるか、チェックすると、京都の「あとの祭り」三重県の「関の山」同じく三重県の「あこぎ」徳島県の「うだつ」と、四つしかありません。大方は言葉の由緒を知らずに使ってました。ま、たいていの人はそんなもんかも知れない。「あこぎ」を知っていたのは、昔、能楽堂へよく通ったからです。(阿漕という謡曲がある)


「つつがなく」という言葉の源が重い病を引き起こす害虫「ツツガムシ」だなんてビックリです。その語源を探ったのが 山形県は出羽三山の一つ、修験道の山として知られる羽黒山です。ここに藁でつくった巨大なツツガムシの模型をまつって祭礼に使う。それくらい恐れられていた虫ですが、虫自体はダニの仲間でサイズは1ミリ以下というミニサイズ。昔はこれに咬まれると有効な治療法がなかったために命を失う人が多かった。ツツガムシのツツはツチ(土)でガは咬む、土から出て来て人を咬むから「ツツガムシ」です。


この虫の名前と言葉の用法は聖徳太子の時代にすでにあったというから、千年以上の昔から恐れられてきた。ツツガムシに刺されないよう、つつがなく暮らせますようにという願い、祈りが広まって現代でも使われている。いま、この言葉を聞いてダニを連想する人なんかいないけど、歴史を遡れば「ダニに刺されませんように」が本来の意味でした。まあ、勉強になりましたよ。これは一生覚えているかもしれない・・といっても、あとちょっとの間ですけど。


著者が語源探しに出張した旅先にはとても魅力的なところが多い。羽黒山もそうだし「うやむや」の発祥地である鳥海山山麓、象潟近くの三崎峠なんか昔の険しい峠道が荒れた状態で残っていて歩いてみたくなります。「ひとり相撲」の語源地、愛媛県の大三島、「うんともすんとも」語源地、熊本県人吉も訪ねてみたい。語源の話だけでなく、当地の宿やうまいもんの紹介もあるから、余計、そそられます。


悔しい・・と思ったのは「縁の下の力持ち」の語源が、大阪四天王寺の境内で舞われる舞楽に関わることだった。四天王寺のすぐ近くで生まれ育って、境内を遊び場にしていた、というくらい身近なところだったのに知らなかった。残念であります。(2009年 光文社発行)

わぐりたかし





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●マーラー「復活」を聴く ~京都大学交響楽団定演~

 創立100周年、第200回定期演奏会という節目のイベントに出会えてラッキーでした。ネットで情報を見つけてチケットを買おうとしたら、あと2枚しか残っていなかった。冷や汗ものです。この学生オケは、1917年に第一回定期演奏会を催してから、戦時中も、終戦の年も、そして阪神大震災のときも演奏会を中止しなかった。しぶとさは抜群です。


何年か前にこの曲を聴いたときは「人生最後の<復活>」と覚悟したのですが、早とちりでした。今回こそ人生最後になりそうですが・・・。
 今回の演奏では、オケと合唱団の両方をステージに載せたので、もう満員ぎゅうぎゅう詰め、200人以上いたかもしれません。なにしろ、オケはトランペットが7本、ホルンは9本という大編成、ハープも2台用意されました。指揮は十束尚宏。


全体の印象はパワフルな熱演でしたが、アマ・オケの常で出だしがもたつく。演奏者も指揮者も、慎重に、間違えないようにと神経を使うあまり音楽が流れない。プロと同じレベルを要求するのはあつかましいが。合唱も京大の学生、OBたちでそろえたのか(不詳)技量は上出来だったと思います。アルトとソプラノはプロ。


年末の巷にあふれる「第九」が飽きられたら、次はこの「復活」が主役になると思っていたけど、残念ながら、それはなさそうだ。単純に言って、演奏コストが高く付きすぎることと、会場の制約がネックになる。「第九」は、オケ50人、合唱50人でも十分演奏できるけど「復活」はその二倍のスケールと高度な演奏技術が要る。それ以前に、アマ・オケでは引き受ける指揮者がいない。(ギャラ的にもしんどい)


それでも、第九に変わってこれを年末にとり上げようというプロのオケが出てくるかも知れない。これはちょっとした革命?です。
 帰り道にふと思いついたのは、この曲の合唱部分だけ切り離して演奏できないか、という珍案です。全曲演奏は85分くらいかかるけど、ソロを含めた合唱だけの演奏なら35~40分。オケの演奏は編曲してカラオケでやる。冗談?・・誰か本気で考えてくれませんか。


第五楽章の歌詞の一部を紹介すると・・・

(略)
おお 信ぜよ
お前が誕生したことが無益でなかったことを
お前の人生と生の苦しみが無益でなかったことを

生まれたものは滅びてゆく運命にある
滅びたものは ふたたび蘇るのだ
震えおののくのを止めよ
生きるための支度をするのだ
(略)
死んでいこう 生命を亭けるために
蘇るであろう まさにお前は蘇るであろう
わが心よ たちまちのうちに
お前の倒したものが
お前を連れていくだろう 神の御許に


「より良く生きるために 私は死ぬ」というのがテーマ。「第九」が民族や宗教の垣根を越えて人々を感動させるように、この「復活」も同じようなチカラを与えてくれる。明日、死のうと思っていた人がこれを聴けば「ん?」と思い直すかもしれない。(1月17日 ザ・シンフォニーホール)


マリス・ヤンソンス指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団
さわりだけ聴きたい人は、1時間15分あたりからが聴き所
https://www.youtube.com/watch?v=sHsFIv8VA7w



当日のザ・シンフォニーホール
シンフォニー





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●お手軽政治本2冊

■田崎史郎著「安倍政権の正体」を読む

 題名を見ると反安倍派の書いた本みたいに思えるけど、中身は逆、むしろ安倍政治を評価していると思える本であります。35年に及ぶ政治取材実績から新聞やテレビでは報道されない裏情報もある。記者は人と会うのが仕事とはいえ、それを克明に記録するのは大変なはず、本書でも、何年何月何日、自民党の何某はこんなことを語った、という場面がたくさんあり、実際、どんな方法で記録、整理しているのか知りたくなってしまう。


大事な政策は、いつ、誰が決めるのだろうか。たいていの人は国会での議論や毎日開かれる閣議の場面を思い浮かべるはず。それが実際は・・ごく少数のメンバー「正副長官会議」で発案、判断される。総理と官房長官、副長官、秘書官、このメンバーが随時に開く会議で決まる。要するに、大臣よりエライ人たち・・と言ったらなんですが、そうらしい。
 現在の安倍総理~菅官房長官体制はうまくいってるので、当分は大臣も官僚もこれにイチャモンをつけるなんて不可能に近い。逆に言えば、その分、彼らの責任は非常に重いといえます。日本の未来がこの数人の智恵と決断にかかってるわけです。


本書がこのことを繰り返し書いてるのは、総理~官邸におけるコミュニケーションがうまくいかず、ゴタゴタした前例がいっぱいあるから。総理のアタマがいくら良くても、人を上手に使う才能がなければ政治はできない。その点で、あの田中角栄は一流だった。
 逆にサイテーだったのは2009年からの民主党政権で、鳩山由紀夫と菅直人は政治家として余りにもレベルが低かった。政治思想云々以前に人間としての資質が問われた。今や、民進党にとっても二人はお荷物でしかない。


本書の後半では菅官房長官のことに多くの頁を費やしている。普通はエリートコースを歩んだ人が選ばれるポジションだけど、菅サンは田舎出の苦労人、そのぶん、人を見る目が肥え、言動も慎重である。他の歴代官房長官に比べ失言が少ない。(余計なことは言わない)どこまで事実か分からないが、秋田の田舎町の高校を出て、東京では段ボール工場の工員、ガードマン、カレー店の店員、築地市場の台車運びなど、食うためになんでもやったという。現在の仕事ぶりは、庶民からみれば、真面目すぎて面白くないオジサンではありますが。安部総理のトップ下で十分実績を積んだ。信頼も篤い。で、この先どうするのか。ポスト安倍は石破さんといわれてるけど・・。(2014年 講談社発行)


本

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■小池百合子著「女子の本懐」を読む

 駄目男が小池氏に好感を持てないのは、昔の「政界渡り鳥」のイメージが強いからであります。しかし、先の知事選挙で、もし、マスダさんやトリゴエさんが当選していたら、を想像すると、小池サンで良かったと思わざるをえない。都民の多くも、ベターな選択だったと安堵しているのではありませんか。ま、前任のマスゾエさんがあまりにアホすぎたために小池サンが良く見えるのかも知れませんが。


本書は、10年前、たった55日間だけど防衛大臣をつとめた時の回顧録。本人の日記をベースに書いているけど、この仕事柄、本に書けないことが多いから、全体に当たり障りのないことばかりであります。 はじめの文に、ニヤリとする場面が書いてある。大臣になると宮中で認証式が行われる。天皇陛下直々に賜るのですが、書状を受け取ると、陛下に失礼にならないよう、書状を頭上に捧げ、前を向いたまま後に3歩か4歩後へ下がる。彼女はハイヒールを履き、床に届くロングドレスを着ていたので、一瞬、下がるときにドレスを踏んでドテッとコケる場面がひらめき、大緊張したと。横には報道陣がカメラを並べているから、もしも・・。まあ、100年間は歴史ニュースで報じられるでせうね。ヨカッタ。


国会のセンセイ方はみんな大臣になりたがる。しかし、なってみれば実にしんどい。たまたま防衛大臣だけが忙しいのかもしれないけど、早朝から深夜まで東奔西走は日常です。特に大きな災害があり、そのときに外国高官との会議が重なったりすると、一分きざみのスケジュールで動かなければならない。大きな災害が重なると、早朝から東北へ行って、午後には九州へ飛び、夕方に東京で外国高官との重要会議、なんてことが普通に計画される。疲れた顔は見せられず、ちゃんとドレスアップしなければならない。男に比べ、このへんは女性は辛いでせう。ヘリは軍事用だから、乗り心地快適であるはずがないし。


この本は日記を元に書かれたが、むろん、国家機密の事案もあるから本に書けない。せいぜい誰と会談したかくらいまでで、中身はナシ。当時、大きな騒ぎになった守屋次官と人事軋轢なんかもさらりとかわしてる。そういう不満はあるけど、今の稲田朋美大臣と比べると、小池サンの「強者」ぶりはなかなかのものであること分かります。将来、東京都知事をやめたら、たぶん回顧録をかくでせう。それを楽しみに・・いや、自分はあの世へ行ったあとかもしれません。(2007年 文藝春秋社)


本






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●岡江晃著「詫間守 精神鑑定書」を読む

 2001年6月、池田市の附属小学校で起きた大量殺人、傷害事件の犯人、詫間守の精神鑑定書。犯人は精神異常者だったのか、否かを精神科医の立場で判定した、調査、判断資料でありますが、著者は「精神異常者ではなかった」と述べている。狂気の挙げ句の犯行ではなく、正常人に近い精神状態で、8人の子供を包丁で刺し殺し、15人に傷を負わせた。


生まれながらのワルだった
 統合失調症などの精神疾患ではないが、相当な「情性欠如者」だった。他人の気持ちを推し量る、他人に協調するという、ごく普通の感覚が欠けていた。親のしつけ、教育の失敗であるが、しつけ以前に親は彼を放置していた。育て方の失敗に育ち方の失敗が重なった。 三歳のころ、三輪車で遊んでいて、何気に車道のまん中へ出て行き、車の渋滞を起こした。また、幼児は親とはぐれると、恐怖で泣きじゃくるものだが、彼はけろっとしていて、警察に保護されて帰宅すると、パトカーに乗れて良かった、などと平然としていた。小学生になると、級友を押さえつけて小便をかけたりした。十代で強姦事件を起こした・・・。それでも両親は真摯に彼と向き合わなかった。


ジキル博士とハイド氏?
 警察沙汰になる事件だけで十数回、それ以下の小さなトラブルを含めると、恐らく数百人の被害者がいたかもしれない。通行人にいきなり殴りかかる。ツバをかける、罵声を浴びせる・・。バスの運転手をしていたとき、乗客の態度が気に入らないといって車内で客に暴言を吐いたこともある。と、こう書けば、やはり狂ってると思うのが普通だが、そうでない、ふつうの姿も見せるからややこしい。小説の「ジキル博士とハイド氏」みたいな二重人格的な面がある。


仕事はどこへ勤めても長続きしない。せっかく採用されても、入社日に出勤しない。そんなだらしない生活なのに4回結婚した。何十回も転職した、4回も結婚したということは、少なくとも交際中はふつうの人に見えた。就職先の採用者の印象では、おとなしくて、真面目そうな男だった。結婚、離婚をくり返し、普通は男が慰謝料を払う側になるが、彼は元妻に難癖をつけ、あるいは脅迫して、20万、30万とたびたび金をせびった。


こんな「普通の男に見える」ことと、凶悪大量殺人者のイメージとの乖離が大きすぎて著者は診断に逡巡する。400頁にわたる著述のほとんどは、正常な人間か、狂気(精神病)の男か、なかなか結論をだせない、判断の「ゆらぎ」に費やされている。むろん、MRIなどの検査もくり返し行って脳科学の面でも慎重な診断が行われた。医師(著者)との問診では、普通、凶悪犯なら、反抗の態度をみせるか、無視など、非協力的な者が多いのに、彼の場合はそんな反抗はなく、協力的であり、しばしば饒舌でさえあった。これがまた著者を悩ませる。問診で詫間自身はこの事件のことを「ブスブス事件」と呼び、他人事のように話した。


反省、謝罪の言葉、一度も語らず
 この精神鑑定書が判決にいかほどの影響を与えたのか、読者は判断できない。しかし、巻末の判決文を読むと、被告、詫間の生い立ちや社会生活に関しては同情や斟酌の言葉は一切出て来ない。スパッと「死刑しかない」と断罪している。むしろ、殺された子供たちの恐怖や、救えなかった親、教師の、生涯消えない深い心の傷をおもんばかって、同情の言葉を述べている。
 普通の人間=少しは常識のある人間 なら、自分の犯した罪の大きさにおののき、悔悟の気持ちも湧くものだが、彼は全く平然とした態度を貫いた。そもそも、大量殺人の動機さえあいまいで、単なる鬱憤晴らしのレベルで二十数人もの人を殺傷した。社会人としての己の無能ぶりに愛想を尽かした挙げ句の大量殺人である。被害者にはなんの恨みもなかった。身長180センチの彼は、恐怖に立ちすくむ7才、8才の子供を一撃で致命傷になるほど包丁で深く突き刺した。5人、10人、15人・・殺人という作業をクールに繰り返した似すぎない。さすがに疲労を覚えて「あ~しんど、もう終わりや」の場面で取り押さえられた。(問診でその時の気持ちを述べている)


詫間本人も、父親も、被害者へのお詫びの言葉は一切述べなかった、と言う点でも珍しい。彼にとって、殺人は単なる作業でしかなかった。大根を切るように人を切り裂いたにすぎない。反省の言葉など、どうして出すことができよう。むしろ、鬱憤を晴らしたという達成感のほうが強かった。死刑判決後、彼は早く死刑執行するように求めた。執行しなければ裁判で訴えるとまで言った。その意を受けてか、判決後1年目に執行された。(普通は判決後、5~10年で執行される)
 遺体の引き取りは親族の全てが拒否した。仕方なく、なんの関係も無い某キリスト教会が引き取り、かたちばかりの葬儀を行った。(2013年6月 亜紀書房発行)


死刑制度廃止論者の考えを聞きたい
 世論調査によると、日本では、死刑制度を存続するべきという意見が8割、廃止すべきが1割で、この比率はあまり変化がない。それでも、10人に一人の割合で廃止論者がいる。駄目男はむろん存続論者でありますが、廃止論者の意見はどのようなものか、聞いてみたい。死刑に関しては過去に参考になる本を読んでいるので、廃止論の大方は見当がつく。「加害者にも人権、生存権がある」「死刑は国家による殺人」「冤罪の可能性」「廃止は世界の趨勢」など聞き飽きた意見のほかに、説得力のある廃止論があるのだろうか。ろくに学習もしないで廃止論を唱える人は単に「ええかっこしい」ではないのか、というのが意地悪駄目男の考えであります。加害者にも人権がある、というなら、生きる権利を一方的に奪われた被害者の人権と加害者の人権を対等に考える根拠を示してほしい。当然のことながら、死刑廃止論者は自分の言葉で被害者遺族に対して「だから、死刑は廃止するべきだ」と説得できなければならない。


死刑廃止国の多くがキリスト教信仰の国であることを考えれば、倫理感に神の教えが影響していることは避けられない。そんな国々が死刑制度を無くしてるからと、なぜ日本が同調しなければならないのか。死刑制度廃止が世界の趨勢だとして、廃止国の多くがキリスト教信仰国であるなら「世界の趨勢」になにほどの客観性があるのか。信仰そのものは否定はしないが、日本ではあくまで人間社会の倫理で議論するべきである。


現場で死刑、という現実を見よ
 世界の趨勢は死刑廃止であり、先進国で死刑制度を存続させている日本は、むしろ特異な国である・・と廃止論者は訴える。まるで日本は人権無視の非人道国みたいな言い方である。では、死刑制度廃止国は日本以上に人権意識の高い国なのか、といえば、それはない。
 アメリカは多くの州で死刑制度が廃止になっている。フィリピンも死刑制度は廃止された。しかし、現実はどうか。アメリカで銃乱射事件が起きた場合、警官隊はほとんどの場合、犯人を現場で射殺している。問答無用だ。フィリピンでは麻薬犯罪容疑者は、逮捕時に抵抗したり、逃亡を企んだ者は容赦なく射殺している。ドウテルテ大統領が地方都市の市長時代から射殺した容疑者は1800人にもなる。フランスなどもテロ犯罪容疑者は「容疑」だけで射殺される。(注)12月13日の情報では5900人が殺害された。


死刑制度は廃止した。しかし、現実は犯罪現場で、罪状確認もせずに殺されている。だったら裁判ナシの死刑と同じではないか。これらの国の人権意識が日本より高いとどうして言えるのか。現場で銃殺は絞首刑より人道的な措置だと言いたいのか。死刑制度廃止を訴える日本人は、この死刑廃止国における「現場で死刑」の現実をどう考えるのか。・・というわけで、死刑制度存続を是とする私見を書いてみました。被害者遺族の無念や怒りを察すると、死刑制度の存続論の概念は、えらく古めかしい言葉だけど、裁判を経た上での「国家による仇討ち」が腑に落ちる。死刑制度廃止国の大矛盾「現場で死刑」よりはマシな発想だと思うのであります。


ケチンボ精神でみても終身刑は納得できない
 もし、日本で死刑制度が廃止され、終身刑が最高の罰となれば、凶悪犯、詫間守は生涯を独房で過ごすことになる。彼の生活を支える費用は年間300万円、70歳代まで生きるとして、30年間の経費は物価変動を無視しても1億円に達する。むろん、費用は国費で賄われる。年収300万そこそこで地味に暮らしてる人はこれを看過できるでせうか。何人もの命を奪ったものが生涯「三食昼寝つき」で暮らす。詫間の場合、自ら早々の死刑執行を懇願した。なのに、何十年も生きなければならない。死刑廃止論者は、これが人権擁護の精神にもとる正しい措置だという。廃止論者の言う「守るべき加害者の人権」とは何なのか。


日弁連「死刑廃止宣言」のうさんくささ
 10月7日、福井市で開かれた「人権擁護大会」において、日弁連は2020年までに死刑制度を廃止する旨の「死刑廃止宣言」を採択した。こう書けば、日本の弁護士の大多数が死刑廃止に賛成しているように思われるが、そうではない。全国の3万7千人の弁護士のうち、この大会に参加したのはわずか700人、この会場で多数決をとり「死刑制度廃止」を宣言した。これが日弁連の意志と言えるのか。(多くの国民は日弁連の全体の意志だとカン違いしてしまう)


今までたくさんの読書感想文を書いてきましたが、精神鑑定書を読むなんて初めてだし、この上なく暗い内容だから(当たり前や!)気分が滅入ってなかなか読み進めず、読後も感想文を書く気にならなかった。しかし、ほどなく日弁連の「死刑廃止宣言大会」があり、これに同調する朝日新聞は社説でこの宣言を高く評価した。これで感想文を書く気になりました。朝日新聞さんに感謝。(2013年 亜紀書房発行)

参考情報
http://www.sankei.com/affairs/news/150124/afr1501240022-n1.html



<追記>詭弁を弄する朝日新聞社説
 10月9日の社説では「OECD加盟35カ国の中で死刑制度があるのは日本だけだ」と述べているが、日本以外の加盟國はすべてキリスト教を主たる信仰にしている国である。加盟国である韓国もキリスト教信者が一番多い。そもそも、死刑制度の存廃を論ずるのになぜ経済協力開発機構(OECD)の組織を持ち出すのか。朝日らしい、見え見えの詭弁であります。


精神鑑定 





読書と音楽の愉しみ



●寺山修司著「家出のすすめ」
 同「書を捨てよ 街へ出よう」を読む

 文庫本扉の寺山修司の写真を見て、この人、誰かに似てるなあ・・と思いつつ読んでるうちに、ん、矢沢永吉に似てるんではと気づきました。どないです? 但し、TVのCMでしか見たことがありませんけど。

寺山修司
寺山


矢沢永吉
矢沢


寺山さんが人気ライターであったわけの第一は青森県の田舎町出身だからでせう。故郷を捨てて(家出して)魑魅魍魎の東京で一人暮らしをはじめる。「家出」を正当化するためには挫折なんかしてられない。さりとて、大学で一所懸命に学問するわけでもない。そんなちゃらんぽらんな生活でも飢え死にはしない。


なんとかメシが食えるようになると「家出せよ」「親を捨てよ」と若者を煽るようになる。だからといって、故郷、青森が大嫌いなわけではない。そのような葛藤は都会で生まれ育った人には理解しにくい。ただ、無頼な生活をしているように思わせて、実はしっかり勉強もした。何気に出て来る書名がそれをうかがわせるが、そのへんの文章が70~80年っぽくて懐かしい。キザ寸前、と思うところもある。懐かしいと感じるのは、著者が駄目男とほぼ同世代だからで、いま30~40代の人が読めばどう感じるだろう。


「書を捨てよ・・」は半分くらいが競馬の話で競馬ファンでなくても楽しい文だけど、その中に、歌人の塚本邦雄を誘って競馬場へ行く話がある。カタブツ塚本は競馬のケも知らないから誘われて大迷惑の体だった。水と油くらい性格の違う二人がなんで競馬場へ?と思うけど、前衛短歌の研究実践者としては同志だったという。これは知りませんでした。


詩人、エッセイスト、評論家、演劇団体「天井桟敷の人々」主宰・・多方面に活躍したのに47才で亡くなった。読んだ文庫本は十年間で10刷しているから、今でもたくさんファンがいる。でも「懐かしさ」が動機で読んだ人=オジンはごく少数でせう。懐かしさの中身は、共に「アナログ世代」だからです。(唱和47年初版発行 角川書店)


terayama



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●じっか~~ん「毛髪川柳」

 11月13日に「じっか~~ん シルバー川柳」を紹介してしばらく後に「ココルーム」へ行くとこの本が目にとまりました。こんなしょーもない本、誰が買うねん、という思いで開けてみると、こちらもケッサク揃いです。いや、川柳って楽しいですねえ。作者はみんな素人なのに、いちびり、哀感、ヤケクソ、開き直り・・毛髪の有無多少だけでこんなにたくさんの面白い作品ができるのかと感心しました。かく言う駄目男の頭もとっくに「在庫僅少」ですが、もう嘆きやコンプレックスはとっくに卒業して、晴れて、いや、ハゲて、安穏の日々を送っているのであります。以下は駄目男選の秀作です。(2006年 文芸社発行)


ハゲ川柳 



ハゲ 



ハゲ 



ハゲ 



ハゲ 



ハゲ 




読書と音楽の愉しみ




●「一箱古本市 」に参加しませんか

 本の借り出しでお世話になっている「まちライブラリー@もりのみやキューズモール」では、個人が自宅の古本を持ち込んで売り出す「一箱古本市」を企画しています。フリーマーケットの古本専門版という感じです。 実施は来年のゴールデンウイーク、まだ先のはなしですが、蔵書をなんとか有効に処分したいと考えてる人には興味あるイベントです。(募集はすでにはじめています)

詳しいことはこちらで・・・
http://machi-library.org/event/detail/2628/



もりのみや



読書と音楽の愉しみ



●じっか~~ん!・・シルバー川柳

 社団法人「日本有料老人ホーム協会」というマジメそうな団体が毎年募集している川柳の中から秀作をあつめた本を出版しています。これを読んで笑わなかったジジババはお医者さんに行くことをおすすめします・・といいたいくらいのスグレモノが88首。その中から駄目男が10首選んで紹介します。応募数から察すると、入選率は500~1000分の1という狭き門です。日本中で今日も何十万人もの「笑わせ隊」じいさん、ばあさんがケッサクめざして頑張っています。期待してまっせ。(編集 日本有料老人ホーム協会 2012年 ポプラ社発行)


選者が表紙に載せた88作中の最高ケッサクは・・

 「誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ」です。



川柳 


川柳 




川柳 




川柳 




川柳 




sennryuu 





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●阪大講堂で聴くモーツアルト

 先月の今ごろ、阪大の豊中キャンパスの講堂でワンコインコンサートがあり、ダシモノがモーツアルトのピアノ協奏曲20番と23番、いずれも好きな曲なので出かけました。ワンコインが効いたのか、満員御礼の盛況です。ソリストもオケも阪大の関係メンバー、ピアノは1920年代制作のベーゼンドルファーという、超年代もの。それはいいけど、講堂の音響が極端にデッドでプレイヤーが気の毒なくらいでした。


今回感じたのは、23番の素晴らしさです。前後の22番、24番にくらべたら、うんと上出来、あらためて惚れ直したという思いです。今まで、自分の好きな協奏曲ベスト3は、20番、21番、27番の順でしたが、これから23番も加えたい・・そこで、19番から27番まで9曲を、約5時間かけて聴き直してみました。ヒマジンやなあ。(営業面への配慮から、コンサートでは、たいていこの9曲から選ばれる)


23番のどこが魅力なのか、文字で説明するにはあまりに非力なので、動画で全曲を聴いて頂きませう。
https://www.youtube.com/watch?v=-s68kHOnpiE


なお、モーツアルトのピアノ協奏曲の魅力について、作曲家の吉松隆氏が興味深い考察を述べておられるので、モーツアルトファンには一読をおすすめします。無茶長い文章なのですが、後半から最後に、モーツアルトは明るくて軽い音楽ばかり書き続けていたが、あるときから短調の楽章を取り入れる。それは彼の芸術的成熟をあらわす成果だったが、当時の聴衆の好みではなかった。つまり、世間にウケなかった。そして人生の最終章では「明るい長調で書いているのに、不思議なほど透明な「無常感」のある音楽に到達する」と吉松氏は書いている。それを表現したのが「アヴェ・ヴェルム・コルプス」やピアノ協奏曲27番など。


そうだったのか。駄目男がヴォーカルの最高峰だと思っている「アヴェ・・・」を聴いて、これは長調なのか、短調なのか聞き分けられない不思議な音だと思っていたけど、吉松氏によれば、長調を思いっきりハイテク加工した調子だそう。そして、以後、これを追随できる有能な作曲家は現れなかった。ベートーベンもブラームスも到達できなかった。


モーツアルトファン必読・・・
http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2010/02/post-ccd4.html



大阪大学豊中キャンパス講堂
阪大講堂 




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●魔夜峰央著「翔んで埼玉」を読む

 西成の酒場「ココルーム」で借りたマンガ。1980年代に発行された作品をなぜか昨年再発行したところ、予想外のバカ売れで、現在は60万冊を越えているらしい。定価700円なので60万冊なら4億2千万円!ボロ儲けやおまへんか。再発行だから原稿料はいらんわけだし・・。


読んでビックリしましたね。こんなひどい内容で問題にならないのかと。著者はイチビリ精神全開で埼玉県や県民をとことん貶してる。もしや、「ダサイ玉」という言葉はこの頃に流行ったのだろうか。本書の帯では「埼玉ディス(叩き)」という言葉で宣伝しているけど・・。


たとえば、こんな言葉がある・・

□埼玉では、つい10年ほど前までランプといろりで生活していたほどで、最近やっと電気が通うようになりましたが、まだテレビは珍しく・・

□県知事閣下は未だに県民から年貢を取り立てている。

□埼玉県から東京へ行くときは通行手形が必要だ。

□老人は死に際に「一度山手線に乗ってみたかった」とつぶやく。

□東京と埼玉の関係は、さしずめ貴族と平民、武士と農民のようなもの でありませう。

□東京の食堂では都民用のメニューと埼玉人用のメニューがある。

 てな具合で、思いっきり埼玉県人をバカにしているのであります。本書のキモは著者が埼玉県所沢市に住んでいるときに自虐のつもりで書いた。(しかし、出身は新潟市である)。ま、自分の住んでる町を貶してもええじゃないかと。大阪弁でいうイチビリ精神で考えると、自分で自分をけなすのに何ほどの抵抗もないから「ガハハ、アホやねん、うちら」で済んでしまうけど、埼玉県人のイチビリ許容度はいかほどでありませうか。


実は、意外なことに、60万冊も売れたのに、埼玉県民から怒りの声がでない。県民がムシロ旗をおったてて出版社に抗議したという話は聞かない。皆さん、鷹揚で懐が深い。騒ぐほうがカッコ悪いとクールに受け止めているのかもしれない。ま、無視しているのでせうね。
 もし、沖縄県民をバカにした内容だったらどうか。エライことになります。著者はテロの対象になるかもしれない。マスコミもどかどか記事にするでせう。機動隊員の「土人」発言だけであんなに騒ぐのだから。


埼玉県民は沖縄県民の百倍は鷹揚で包容力がある、と埼玉を持ち上げるほうがかえって埼玉人を傷つける。実相としては、奈良市民の多くが大阪市民感覚で暮らしてるように、720万埼玉県民の多くは、住所は埼玉だけど、キモチは東京都民だから、こんなディス本なんか気にしない。実際、三代前から埼玉県人なんてごく一部でせう。そんなピュアな埼玉県人でも腹が立たないのか。そこはやはり、う~ん・・。


著者の弁明?を読めば、読者が怒るのは大人げないという思いになるが、そんな無視するに値する本がなんでこんなに売れた? そこは宝島社の商売上手、買った人がアホやねん、で落着しますか。
 本書には、埼玉同様、茨城県をバカにした作品もあって「納豆以外、なにもない県」みたいにこき下ろされている。それなら、これをヒントにして、鳥取県や島根県や佐賀県で県庁が自ら自虐マンガ本を出したらいかがでせうか。作者は県民に限ります。出版して地元県民から猛反発が起きれば、それこそ日本一の田舎県と認定される。二番煎じはあかん?(2015年12月 宝島社発行・初版は1982年発行)


宝島社は本書を上田埼玉県知事に献呈したそうだ。

とんで埼玉



とんで 





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●アストロリコ タンゴコンサート

 会場は北御堂津村ホール。ロビーへ行くと僧衣に袈裟懸けのお坊さんがモギリ役をやっていて、どう見てもタンゴのイメージにあわないが、このスタイルで24回目(24年目)になるというから、いまや伝統であります。おまけに、プログラム最初の曲が「真宗宗歌 恩徳賛」これをタンゴのリズムで演奏するので、自分のような異教徒は、な、なんですか、コレハ、と驚きですが、 でも、主催が「本願寺津村別院仏教壮年会」とあらば当然でありませう。休憩時間には「法話」もあるとプログラムに載っている。(実際には説教はなかった)


前回、ここで聴いたときはフル編成のバンドの演奏で、編曲の凡庸さが少し気になったけど、今回は四重奏で、このほうが新鮮で良かった。お隣の相愛大学出身のカズマさんのヴォーカルと、亮&葉月ペアのダンスもあり、かのエロティックなダンスと「真宗奉賛行事」のミスマッチぶりに脳内は錯乱しそうでありますが、皆さん熱演で十分楽しむことができました。演奏技術では何の不満もないほど良くこなれており、さらに、リーダーでバンドネオン奏者の門奈紀生(もんなとしお)の哲学者的風貌がこのバンドの「格」を高めている。彼がいなくなれば、アストロリコは崩壊?と心配するのは駄目男だけではありますまい。
 音響ミキシングでは低音をブーストし過ぎ?という気もしたけど、タンゴファンの多くがLPレコードで育ったことを考えれば、これでいいのだ、と納得したのであります。

曲は、おなじみの「淡き光りに」「カミニート」「リベルタンゴ」などのほかに、「タンガータ」「フラカナバ」といった耳慣れない曲も数曲。(10月21日 北御堂津村別院ホール)


◆アストロリコのコンサート案内・・「魅惑のTANGO」
12月10日(土) 14時30分~
富田林すばるホール 前売り3000円 当日3500円


津村ホールロビー
津村ホール





読書と音楽の愉しみ



●小林嬌一著「街は面白さの宝島」を読む

時代差を知るのが楽しい
 数ヶ月前にここで紹介した「路上観察学」のポピュラー版といえる街歩きガイド。取材は東京に限られているけど、興味深いのは本書が1989年の発行であること。今から27年昔のガイドで、現在との時代差を読むのが楽しい。89年といえば、バブル景気のピーク直後でした。


観察対象は60余あり、それぞれにウンチクを傾けていますが、そうだったのか、と初めて知る知識もあります。例えば、エスカレーター。この名称はオーチスというメーカーの商標をそのまま使っている・・知ってました? エレベーターとエスカレード(梯子で登る)の合成語だそうです。日本語では「自動階段」という。なんか笑ってしまいそう。
 日本では運転速度が毎分30m以下、と決められているが、例外に40mを認めているところもある(ビジネス街の駅など)。英国では44m、ロシアでは60mが認められている。60mって、年寄りは恐怖感を覚える早さです。ロシア人はイラチなんでせうか。


もう一つ「キヨスク」の豆知識。これの語源はトルコ語でキオスク「あずまや」の意味。あずまやを漢字で書くと「四阿」。この漢字はほとんどの人が読めなくなり、観光ガイド本には「東屋」なんて当て字を使ってることもある。トルコ語も日本語も分からないまま平気で使ってます。
キオスクをキヨスクにしたのは単に言いやすいから、だそうです。
 著者はこのキヨスクを「国鉄が民営化したことを象徴するサービス施設」と持ち上げているのですが、現在は絶滅状態。代わってコンビニ業界が内容、サービスを刷新して稼いでいます。


はじめに「時代差を読むのが楽しい」と書きましたが、例えば、こんな物件です。「路面電車」「ネオンサイン」「伝言板」「電話ボックス」「靴みがき」「ユースホステル」など。1980年代は普通に街歩きの観察対象になっていたのに、いまや絶滅危惧種になっている。伝言板なんて懐かしいですねえ。駅構内の黒板に誰でも書くことができて「三〇分待った、先に行く」とか、短文にいろんな感情を込めて書いた。
 ユースホステルは当時すでに廃れていて、東京都区部に2カ所、大阪市内に1カ所しかないと嘆いている。最盛期の昭和47年には63万人もの会員がいたというから嘆く気持ちは分かります。貧乏旅では必須の「青春18きっぷ」も遠からず消えるかもしれない。


「君の名は。」も賞味期限は短い?
 話は変わりますが、時代差や賞味期限という観点で考えると、先日観たアニメ「君の名は。」も鑑賞してる最中に「大丈夫?」と懸念したことがある。画面に普通に出て来る小道具「スマホ」のこと。描かれるのは現在の商品で何の違和感もないけど、もし、10年、20年後にこの作品を観たらどんな印象になるだろう。思いっきりファンタジックな物語に、現在発売されているリアルなスマホ。これって、ヤバイのでは?とスマホを持たないオジンが余計な心配をしたのでした。ジブリ作品やディズニーの「雪アナ」には、この賞味期限の心配が少ないと思います。(1989年11月 日本経済新聞社発行)


matigaido 




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日教組 


●「週刊新潮」拾い読み 
(10月20日号)

日教組委員長のお好きな池袋のラブホテル

 国会議員から芸能人まで「文春砲」で一発撃沈された有名人は多い。「新潮」はこの砲撃力で文春に一歩遅れをとってきたが、今回、日教組委員長、岡本泰良氏(56)に狙いを定め、見事に撃沈、というスキャンダル記事であります。まあ、ずいぶん手間と金のかかる取材だったと思えるけど、委員長と愛人にトコトン密着して行状を調べた。


某日、日教組のビルを出、タクシーを拾って池袋のホルモン屋で40代と思しき彼女と落ち合い、店を出てホテルへ。ずっと張り込みするだけでなく、二人が出たあと、泊まった部屋へ入って何をしたか確認するのだから、恐ろしい。むろん、尾行は一回ではなく、何日も繰り返して証拠を積み上げる。バレて本人が否定しても無駄、という100%の事実確認をする。むろん、今回もご本人はしどろもどろで否定したがシロになるはずがない。岡本日教組委員長の人生、終了であります。


委員長と愛人、それぞれが家庭のある身だから、本人だけでなく、二つの家庭も崩壊でありませう。いや、日教組自体もホーカイの危機に至るのではないか。なぜなら、彼を支えた取り巻きの幹部もみんなワルばかりだから。先生たちがつくる組織が最もアンモラルな人間に牛耳られていたとあっては、どんな言い訳も無効です。


日教組に加入すると、先生たちは月額5千円~1万円の組合費を払う。決して少ない金額ではない。そして集めた金を委員長や幹部がネオン街で浪費する。行きつけの店があって、一軒で月に100万円使うのはざら、銀座の高級クラブだと一回で数十万円は使う。委員長一人が行くのではなく、お気に入りの幹部数人を連れての豪遊である。帰りはタクシー。これらの金、全部、先生たちが納めた組合費である。幹部の年収は1000万くらいだが、なぜか政治家の政務活動費みたいな金が500万くらいつく。それを政務でなく、性務活動費に使う。


近年、教師が起こす猥褻事件の多さが顰蹙をかっているけど、先生たちのトップが悪しき模範を示しているのだから、事件が増えるのは当たり前だ。いまや教師を「聖職」視する人などいないのではないか。こんなだらしない幹部が支配する日教組は加入率が25%くらいしかない。しっかり仕事したい先生はこんなワルの組織に加わらない。で、日教組は左翼かぶれと遊び人しかいなくなる。今回のスキャンダル発覚で日教組への信頼はさらにガタ落ちになる。


当記事の惹句はこう書いてある。(22頁)「聖職が性職に成り下がった。教師がわいせつ事件を起こすたびにそう揶揄されるが、教師を束ねる日本教職員組合の親玉が、夜な夜な豪遊し、ダブル不倫の相手とホテルにしけ込んでるとしたら、言葉もない。まさか、日教組お得意の性教育の模範のおつもりか」


こんな楽しい遊びも新潮砲一発でオシャカ。中央岡本氏、右が愛人のA子。
日教組






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●齋藤孝著「読書力」を読む

 読書は自己形成の最良の方法である、と論じる齋藤センセは、近ごろの若者が読書を軽視していることに怒り、危機感をもっている。じっさい「本は読まなくてもいい」と言う風潮がある。読書なんてしなくてもネットで十分知識が仕入れられると思ってる人が増えてきた。


齋藤センセは言う。読書力は国民の知的インフラである。読書力の高さが日本の文明、文化を支えてきたという。領土は小さく、資源もない日本がアジアにおける先進国になり得たのは、国民の知的レベル(読書力)が高かったからである。この「読書は自己形成の方法」と「読書力は知的インフラ」論にはもろ手をあげて賛成します。しかし、読書必要論はなんだか劣勢になっているのが実情でせう。数量的にも出版文化は衰退傾向が顕著だ。


読書のクオリティについてはどうか。齋藤センセの見立てはこうだ。読書好き=読書力がある、ではない。西村京太郎のミステリーを100冊読んだ人は読書好きに違いないが、読書力がある人とはいえない。娯楽の一つとしての読書にすぎない。本当の読書力は精神の緊張を伴う内容の本を読んで培われる。精神の糧、自己形成の糧になる本を読んでこその読書力である。


では、マンガを含めた娯楽としての読書と、自己形成に与する教養としての読書、その境目はどのへんにありんすか。齋藤センセは「司馬遼太郎あたりが境界線」という。なるほど、これは分かりやすい。多くの読書ファンが納得できる例えだと思います。逆に言えば、このポジションであるゆえに多くの読者をつかみ、幅広い人気を保っている。娯楽書ファンと教養書ファン、どちらにも受け入れられる作家だと言えます。


世間には、若いときからほとんど読書をしなかった。しかし、日々の生活や人間関係で困ることはなかったと考える人もいる。そういうライフスタイルも是でありますが、著者は、読まない人が増えると国民の知的レベルが下がることを懸念する。読書しない人が増えて国民の知性や道徳心がアップすることはあり得ないと。
 著者は教育者目線で読書の大切さを説いている。しかし、子供時分から読書経験の乏しい人が、読書人に劣等感をもっているわけではない。大人になって、もっと本を読んでおけば良かったと後悔する人なんて極めて少ない。そんな人に「読書で自己形成を」なんて、余計なお世話でありませう。この本自体が「余計なお世話本」といえなくもない。


実際、年に数冊の本も読まないでのほほんと暮らしてる人を見ると、少し羨ましい思いがする。一方、周囲の人がみんな「読まない人」ばかりだと、ちょっと寂しい思いをするかも知れないと想像する。質、量ともB級のチュートハンパな読書ファンは、世間を見る目も中途半端であります。

 本書は久しぶりに大活字本で読みました。B5サイズで18ポイント
のゴシック体、すいすいスラスラ快速読書ができて、250ページを2時間余りで読めました。視力正常の人にもおすすめします。(図書館で借用・大活字本は2012年発行)



週刊誌と同じB5サイズ、2分冊
読書力