読書と音楽の愉しみ



●ホームレス川柳「路上のうた」を読む

 「ビッグイシュー」という英国の雑誌の日本語版を路上で売る人を見かけたことがあるでせう。彼らの多くがホームレス経験者です。この本はビッグイシュー日本語版の編集者が集めたホームレス川柳。おなじみ、サラリーマン川柳ほどのひねりはないけど、生活実感がこもってると言う点ではひけをとりません。地べたから空を見上げる、地べたで風に吹かれる・・厳しい暮らしのなかでもユーモアを失わない人がいる。薄い文庫本に掲載された約300句の中から駄目男の「お気に入り」を紹介します。(2010年 ビッグイシュー日本発行)


花びらの 押し花つくる 段ボール


盆が来る 俺は実家で 仏様


お正月 餅もらえども コンロなし


初詣 さい銭なくて 投げたふり


並び食い カレーを箸と 紙皿で


夜に雨 深い眠りの 頬濡らす


さあ寝よう 夢の中では 一般人


百均も わが暮らしには 高級品


アルミ缶 昔は捨てた 今拾う


嫌だなあ 炊き出し来る人 みなわかる


久しぶり 漢字書く手の もどかしさ


身内より 世話になります 他人様



ホームレス







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読書と音楽の愉しみ



●高樹のぶ子著「ショパン 奇蹟の一瞬」を読む

 小説家がショパンについての思い入れを書けば、それは伝記ではなく、フィクション味濃厚になること承知で読む本。テーマごとに関わりのあるピアノ曲を付録 CDにしているのは気の利いたサービスでありますが、文章のイメージと合わないこともある。


本書を著すために著者はプロのカメラマンとパリや南部のノアンを旅した。これもサービス精神のあらわれでせう。おかげで、読者はショパンの生活環境をも知ることができる。尤も、著者が一番書きたかったことは、ショパンの人生を支えた愛人、ジョルジュ・サンドとの濃密で複雑微妙な「愛の暮らし」だった。そこは小説家、まるで二人を間近で見ていたような表現で心の中まで描いている。


もっとも良く知られている曲のひとつ、ポロネーズ第6番「英雄」が生まれたときの場面を小説家はこう書く。(61頁)
 
「やがてうねり波打っていた地の底から、屈強の王が立ち現れる。絶対的で正しい、見上げるばかりの尊厳に満ちた王。ショパンはその王があまたの臣下を引き連れて動き出すのを指で追った。王を記述するショパンの指が、王の強さゆえに震える。いまこうやって、王を讃えることができる自分はなんと幸福な男だろう。(略)ショパンの中に湧き起こった激情を王はすべて受け止め、その容姿と行動で彼の気持ちをさらに強く確かなものにしてゆく。ショパンは王にひれ伏すように鍵盤を叩きつけ、王の声を確認すると素早く譜面に定着していった」(引用終わり)


この文を読むと、王とは祖国の救世主のように想像してしまうけど、さにあらず、王とはショパンの亡き親友、ヤン・マトウシンスキのことだった。ショパン自身、自分は長生きできないと覚悟しているのに、ショパンの一番の理解者、応援者が先に死んでしまった。異国の地で、祖国ポーランドへの夢を語り合った唯一の友はショパンにとって英雄(王)に値した。


本書は、主にショパンと愛人、庇護者であるジョルジュ・サンドとの関係をテーマにした読み物ですが、他の切り口で描いたショパン像もあるので、その本があれば読んで見たいと思います。ポーランド国民にとって最大の英雄はショパン。異国で活躍し、生涯、祖国へ戻らなかったのになぜ英雄なのか。芸術だけではなく、地政学的興味もあります。(2010年 PHP研究所発行)

ショパン







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●久松達央著「キレイゴトぬきの農業論」を読む

 繊維メーカー「帝人」で営業マンだった著者が、知識も経験もないのに農業に首を突っ込み・・といえば、なんだか異事業参入の苦労話を想像しますが、そうではなく、至って醒めた感覚で農業を語っている本です。農業にロマンを抱く人には冷や水を浴びせるような物言いもある。


著者は基本的に有機農法、無農薬栽培で野菜をつくり、個人契約者と料理店を対象に約50種類の野菜を販売している。農地は3ヘクタール、スタッフは6人という小規模経営です。農業のプロだった人は一人もいないという素人農家ですが、アタマを使えば素人でもなんとかなる、の見本でせう。逆に、情熱だけで農業を起業してもほとんどは失敗します。


自ら有機農法を取り入れながら、こう書く。
・有機だから安全・・は間違い
・有機だから美味しい・・も間違い
・有機だから環境にいい・・も間違い

と、いささか薄情な言い方ですが、説明を読めば納得できます。有機農法は正しいなんてキレイゴトに乗せられてはいけない。実際、この「神話」を信じて有機農法に取り組み、あえなく廃業した例はいっぱいある。


著者の経営方針は「野菜の美味しさのわかる少数の人に、値段は高いが最高の品質の野菜を買ってもらう」こと。つまり、お客さん全員が常連さん、顔見知りです。ええ加減な商品を届けたら「もういらん」となる。農業におけるスキマビジネスと言えます。経営の安定という点ではメリットがあるけど、これでは規模的に成長できない。その打開策として、インターネットによる販売もはじめた。将来のビジョンについては模索が続くが、仕事自体は面白くてやる気満々のようであります。


著者のような農業への新規参入者に対する政府の施策についても、なるほどと思う意見をたくさん述べている。既存の農家への手厚い保護には批判的で、農家自身も意識改革が必要だと説く。いちいち納得できる話で、著者は将来農業ジャーナリストとして活躍できるのではと思うくらいです。(2013年 新潮社発行)


ついでに駄目男のアイデアを一つ。以前に書いたような気もするが、農業人口が減るなか、対策の一つとして、全国の受刑者を農業に従事させてはどうか、という案です。現在の刑務所は都市部に集中しているが、一部を地方に移す。耕作放棄が進む農村に「農園のある刑務所」をつくる。フェンスで囲った50㏊くらいの土地にムショと農園をつくり、まずはムショでの自給自足を実現し、漸次、生産量を上げて外部への販売も行う。利益が出たら、受刑者個人へ還元して出所後の生活資金とする。


ムショの作業場で内職的な仕事をするより、畑や果樹園で野菜や果物を育てるほうがずっとモチベーションが高まると思いますよ。刑を終えた出所時に技術をマスターしていたら指導員として就職もできる。これは再犯防止に役立ちます。近隣に民間で農園を起業して彼らを受け入れることもできる。仮に、全国で1000人くらいの適格者がいたら、農業生産額のコンマ何パーセントかは請け負うことができるかもしれない。


と、絵に描いた餅を述べましたが、人口減少、人手不足の時代に、ムショのおじさん、にいさんに活躍の場をつくることで農業の担い手になってもらう。しかし・・であります。この明るいムショ暮らしをしたくて罪を犯す輩が必ずでてくる。捕まったとたんに「あの~、〇〇県のムショに行きたいのですが」と。


キレイゴト 






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●齋藤孝著「くすぶる力」を読む

 多彩な著作、TVなどメディアでの露出の多さで有名人である著者が、若いころはどうしょうもないくらいの「くすぶり人間」だったと述べている。夢や希望を持ちながら、処世術に欠け、世間で認められない鬱屈した状態を「くすぶる」と表現する。若者のくすぶる生活は、ヘタすると引きこもりに落ちてしまうことがある。


本書では、主に、将来の展望をもちやすい若者を対象に「くすぶる力」の大事さや処世術を述べているけど、中高年でくすぶってる人も多い。サラリーマンの場合、会社の仕事を無難にこなして恙なく定年を迎えた人が、定年後にくすぶってしまい、家庭で粗大ゴミになってしまうケースと、在職中は出世もせず、会社では地味にくすぶったまま定年を迎えた人が、退職後に人が変わったように「脱くすぶり」人間に変身、第二の人生を楽しく過ごすケースがある。二つのケース、どちらが多いかといえば、定年後にくすぶる人のほうが多いでせう。


くすぶることは悪いことではない。くすぶってる間は将来の飛躍への助走、仕込みの時間だと考える。具体的には、やりたいことをイメージするだけでなく、情報を集め、ノートに書き付ける。アタマで「思う」だけでは駄目なのであります。うだつの上がらないサラリーマンが定年後に大変身、生き生きした第二の人生を送る例はたくさんあるけど、そういう人は現役の「くすぶる」時代から着々と夢の実現に向かって準備している。つまり、くすぶる=準備するチャンスと思えば全然苦にならない。


実際には、脱くすぶりで夢や希望がかっこよく実現するわけではない。みみっちい自己満足に終わってしまうこともある。これを避けるには円満な人間関係が必要だし、何よりも、思いを伝える表現能力が必要であります。幸い、今はいろんなメディアを使える時代だから、少しのトレーニングで表現力を高めることができる。


先日発表された第158回芥川賞を見事射止めたのは63歳のおばさんだった。天晴れというしかありません。インタビューでは、子供のころから小説を書くのが夢だったと語っている。ということは、うがった見方すれば、おばさんは半世紀くらいも「くすぶっていた」と。これぞ最高の「くすぶり人生」ではありませんか。(2013年 幻冬舎発行)

■若竹千佐子(63歳)岩手県出身「おらおらでひとりいぐも」で受賞。


くすぶる 







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●まんがで読破 アダム・スミス著「国富論」

 取っつきにくい名著も漫画化すれば手に取りやすいだろうと企画されたシリーズ作品。この「国富論」なんか一番漫画化しにくいテーマだと察しますが、よくこなしていると思います。この企画、10年続けて、延べ350万冊に達したというから、漫画だと侮ってはいけません。


スミスがこの本を著したのは約250年前、日本は江戸時代のさなかに資本主義の原形について考察をした。物事を体系的に考えるのが得意な英国人とはいえ、社会構造の分析から将来像まで言及して、それが概ね合っていた。「経済の発展は社会の自然な流れに任せておく方が良く、国家があれこれ規制するのはまちがい」といった見方は現在でも通用する。失敗と修正を繰り返しているうちに自ずからより良き選択をすると。


当時の英国社会は産業革命の勃興期、貴族と農民と少数の商人しかいなかった社会に「製造業」というジャンルが加わり、資本家と労働者が生まれて、発展とともに対立も起きた。新興産業による格差社会が生まれた時期であります。子供の頃読んだ「オリバー・ツイスト」という小説は、この時代に生きた少年の苦難物語だったと思います。


漫画で描いても「国富論」は難しい。経済論と同じくらいに道徳論の本でもあり、ヘタに説明するとピント外れになりそうなので、巻末のキモといえるところだけ紹介しておきます。産業が発達して資本家が富を築き、労働者もそこそこ潤う社会が成立したとき、国が為すべき政策はなにか。・国防・司法・公共事業・教育 を挙げています。国のあるべき姿の基本のキになるこれらは国家が主体になって遂行するべき施策であり、民間に任せてはいけない。基本的に利潤追求を旨とする産業界にはなじまないからです。こんな事、今の私たちには常識ですが、250年前に論じるにはすごい学習と先見性が必要だった。アダム・スミスが経済学の祖と言われる由縁です。


誤植を発見:80頁右下 1942年にコロンブスによって発見された・・・は間違いで、1492年が正しい。
スミス




スミス 







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新春の演奏会から・・・



シンフォニーホールイルミ 
ザ・シンフォニーホール 玄関前風景

●大阪交響楽団定演「マーラー 交響曲第一番」

  Fさんの招待で寺岡清高が振る大阪交響楽団、第215回定期演奏会を聴く。<青春>という言葉に最もふさわしいイメージの曲は何か、と問われたらこの曲を挙げます。元気ハツラツとメランコリー、希望と不安など、青春ならではの心のゆれや未熟な感情も含めて一式全部詰まっています。音楽による青春の表現ではこの曲の右に出るものはない・・といえば、異議あり、の声が出そうですが。


今回は「花の章」を含めて全5楽章が演奏されたけど、世評通り、この章はなくてもいいか、というのが正直な感想。出来栄え云々より、今まで4楽章で聞き慣れてしまっているので、単純に違和感を覚えるのかもしれない。自称マーラーファンに尋ねても「花の章」不要論が多いのではと察します。


それはさておき、ブラームスが活躍した時代とあまり代わらない時分、今から120年前にこれだけ斬新な曲想、魅力的な旋律を創造した才能はすごい。空間の遠近感を出すために一部の管楽器を楽屋裏で鳴らすという楽しい仕掛けも、当時はびっくりものの新鮮さだったと思う。(コンサートホールの構造によっては出来ないことがある)


マーラーの交響曲で好きな順に3曲を挙げよ、といわれたら、1・「復活」2・大地の歌 3・この1番「巨人」をあげます。次が「9番」かな。熱心なマーラーファンからみれば「俗っぽいな」と言われそう。オケは十分に熱演でしたが、前から3列目の席だったので直接音しか聞こえないのが残念。終楽章の結尾でコンマスさんが最後の一拍を間違えた。こういうこともあるんですねえ。(1月12日 ザ・シンフォニーホール)


●京都大学交響楽団 第202回定期演奏会

 いつもチケットの申込みを忘れてしまい、あと3日、なんてときに気づいて慌てて購入する始末。今回も同じで、与えられた席は3階の前方、RRA7席でステージが7割がた見えない。新鮮な発見をしました。曲目は、J・シュトラウス「美しく青きドナウ」エルガー「南国にて」と、サン-サーンス「交響曲第三番ハ短調 オルガン付き」


サンサーンスの交響曲の鑑賞は、ステージの見えない席でずいぶん得をしました。なぜなら、ステージは見えないけど、オルガンは斜め後から間近に見下ろすことができる特等席です。すぐそこにある、ぶっといパイプから出る30ヘルツくらいの超低音は、音というより、空気の振動が直に伝わります。ンルルルルルル・・という感じ。オルガニストはうら若き岩佐智子さん。ついでに、この席はチューバの音もブアーブリブリ・・とでっかく響きます。客演指揮は藤岡幸夫。指導が上手かったのか、今回の演奏は今まで聴いたなかで一番の出来栄えではと思いました。


オケの人材は女性の進出が止まらず、もう半分~6割方を占めている。ホルンやトランペットも半分はオネエサンたち、そして、ティンパニーも女性がとった。この曲をハデに締めくくるのはティンパニーで、カッコイイ。


考えてみれば、フランス人がつくった交響曲の有名作品は極めて少ない。人気順でいえば、ベルリオーズの「幻想交響曲」、このサンサーンスの「オルガン付き」そして、フランクの「ニ短調」。あとはビゼーくらいか。交響曲というスタイルがフランス人に合わない・・なんで?ラベルやドビッシーという大家がいたのに交響曲はつくらなかった。民族的な資質の違いかもしれない。(1月15日 ザ・シンフォニーホール)



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●梨木香歩著「西の魔女が死んだ」を読む

 作家が小説の構想を練るときは「どんな読者に読んでもらいたいか」が重要な要素になりますが、本書においては40歳以上の、とりわけ男性はまったく視野にないでせう。そこんところ、オジンが少しの義理あって読んだのであります。内容は若い女性向きのファンタジー。日本なのに魔女がでてくる設定がユニークです。


主人公はまいという少女。中学で不登校になって田舎に住むばあさんの家に居候する。婆さんが魔女です。まいの母がハーフだからばあさんは異国の人(英国人?)二人が同居するなかで少しずつ「魔女になるためのトレーニング」を受けます。むろん、魔女イコール悪女ではありません。本書ではむしろ修道女のイメージで描かれ、まずは精神修養の大事さを教えます。魔女は教養人でなければならぬと。


以下、略・・でかまわないのですが、魔女の話にかこつけて不思議なできごとを一つ。本書を読んでる最中の6日、テレビが動作しなくなりました。スイッチ・オンにすると画面に「地上波・BSとも受信出来ません」の表示。これはアンテナコードの接続不具合かと思って点検しましたが、問題はありません。購入後6年目なので故障が起きても仕方ないかと思うも、なんだか腑に落ちない。翌日、翌々日もときどきスイッチ・オンをくり返したけど治らない。


本を読み終えた三日目、外出からの帰りみちに、購入した電器店の前を通るので、修理を頼もうと店に入りかけたが、どうも気が進まない。で、そのまま帰宅すると、玄関ドアに関西電力のチラシが入っていて、「お客様の電力メーターをスマートメーターに取り替えました」とある。今まで係員が一戸ごとにメーターの数字をチェックしていた作業を通信回線で計測する新しいシステムです。しばらくして、昨日と同じようにテレビをスイッチ・オンすると・・あらら・・ちゃんと映るではありませんか。なんで?


テレビが勝手に故障して、三日かけて自分で修理したのか。そんなアホな。それで気づいたのが関電のチラシ、通信回線で使用電力を測る・・この工事を三日前からすすめていたのではと疑いました。しかし、テレビの受信とは関係ないしなあ、と理解しつつ、ほかに故障→自動修理の理由が思いつかない。恥かき覚悟で関西電力に電話した。「あのう・・かくかくしかじか」答えは「そんなこと、あり得ませんよ、ハハハ」予想通り恥をかいてオワリです。


もし、電器店で修理を頼み、すぐにおじさんが来宅してスイッチを入れたら、当然ちゃんと映ります。「なんも故障なんかしてませんで」。恥をかいたうえに出張料金を取られたでせう。助かったなあ。ひやひや。しかし、故障→勝手に復帰の謎は解けない。ま、そういうこともあるかと思いつつ、この本を読んだ行きがかりで魔女のいたずらのせいにしました。(平成13年 新潮文庫発行)

魔女が死んだ






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●室井摩耶子著「わがままだって、いいじゃない」
     
  ~92歳のピアニスト「今日」を生きる~

著者のお名前は知らなかったけど、92歳で現役ピアニストというのには驚きます。巷では佐藤愛子の「90歳 何がめでたい」と言う本が売れたけど、人間、90歳を超えたら堂々と開き直りができる。今さら恥や外聞を気にすることもない。これがプラス思考になってますます死を遠ざけてしまうらしい。世間で何を言われても「ほっといてんか」であります。


92歳だから、青春時代の思い出話といえば、戦中~戦後間なしのことになります。それを読んで当時の世相をイメージできる読者は後期高齢者以上の人に限られるでせう。例えば、こんな話・・・。

・東京でも空襲がはじまったので、大事なピアノを山梨に疎開させることになった。ピアノは「牛車」に載せて成城から新宿駅まで運んだ。

・昭和18年に音楽学校を卒業したが、戦時動員で工場に派遣され、旋盤工として働いた。決してイヤイヤ仕事したのではなく、慣れると腕前に自信がついたくらい。工場の昼飯はご飯に梅干しが一つの「日の丸弁当」おかずはタクアンを炒めたものが二きれ、これが結構美味しかった。(タクアンを炒めるというのはユニークなアイデア)

・実は、戦時下でもクラシックの演奏会はあった。徴用された学生たちの情操教育のためである。昭和20年、著者は現在のNHK交響楽団との協演でバッハの曲を弾いた。会場は日比谷公会堂。公演が無事終わったその日の夜に都心に空襲があった。翌日、日比谷公会堂は遺体安置所になっていた。

・戦後、黒沢明監督の要請で、原節子主演「わが青春に悔いなし」という作品のなかで原節子のふき替え役をやった。(手だけの出演)

・昭和30年には今井正監督の「ここに泉あり」という作品で、主演のピアニスト役、岸惠子のライバル役として出演した。


いやはや、なんともクラシックな思い出話であります。それにしても、この元気ハツラツの「素」は何なのか。ご当人曰く「くよくよしない」「好奇心旺盛」「しっかり肉食」。この歳で週に6日は肉を食べるそうだ。肉を食べたら、疲労が回復し、元気が出る、はもう信仰になってるみたい。駄目男の知り合いの80歳代婆さんも肉好きで、会食のときはランチでも「ステーキ食べたい」と言い、多数決で否決されると不満顔します。ベジタリアンなんぞバカ呼ばわりしている。ま、駄目男の経験では、肉、魚を敬遠しがちな人は、存在感として「影が薄い」という印象がありますね。(2013年 小学館発行)


 
92歳ピアニスト






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●大下英治著「日本共産党の深層」を読む

 看板に偽りあり・・題名から想像した内容は、日本共産党の内幕や裏事情を独自取材でレポートしたものだろうと期待しましたが、見事にハズレました。読めば、全編、共産党を応援する文しかないので、タイトルは「日本共産党入党のすすめ」とするべきです。深層どころか、政治に関心ある者ならだれでも知ってるような「浅層」の記事ばかり。なんでこんなにトンチンカンなタイトルにしてしまったのか。それこそ本書出版事情の「深層」を知りたい。


著者に代わって駄目男が書いてあげますね。現実の共産党は、本書の礼賛記事とは真逆で、あれこれ問題点が多くて幹部は悩んでるのが実情であります。まず、肝心の党員が順調に減っている。百万人くらいいるのかと思ったら、たったの三十万人だという(2017年)。しかも、この一年間に5千人減っている。さらに党員の高齢化がすすんでいる。街頭演説でビラ配りしてるのはじいさん、ばあさんばかりです。


党の重要な財源である「しんぶん赤旗」も部数が減っている。なので、最近は地方議会の共産党議員が役所の職員に「赤旗」の購読を押しつけ、これが議員の越権行為ではないかと問題になっている。ちなみに、「赤旗」の月極価格は3400円で、内容や記事量を考えたら、読売や朝日に比べて安くはない。そもそも、家計にゆとりある世帯は共産党なんかに興味はないので拡販は難しい。


共産党は、唯一、政党助成金の受け取りを拒否している政党です。その意気やよし、でありますが、財政は苦しい。だからといって、今さら「やっぱ、政党助成金下さい」なんてブサイクなことも言えない。頼みとする若者の支持は伸びず、彼らはむしろ保守党支持の傾向が強い・・・というような、ネガティブな情報は本書では皆無です。ついでにもう一つ、共産党のダメなところは、選挙で大きく議席を減らしても、幹部の誰もが責任をとらないことです。与党への「責任を取れ、辞職せよ」のおきまりの文句、身内に対しては言ってはいけないと禁句にしているらしい。


著者が共産党のシンパならヨイショするだけの内容になっても仕方ないが、それなら、こんな思わせぶりなタイトルにせず、はっきりと共産党礼賛本であることをうたってほしかった。(2014年 イースト・プレス発行)


共産党の深層


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●アンデルセン著「影」を読む

 洒落た挿絵に惹かれて手にとったけど、これは童話ではなく大人向けの短編。自分の影が離れてしまって悪さをするという話はどこかで読んだような気がするけど、作家にとっては興味あるテーマなのかもしれません。主人に絶対服従するはずの影が主に背いてプイと出かけてしまい、なんの恨みか主人に復讐したりして・・。本書もそんな感じの内容ですが、どうも筋書きが良くわからない。何を言いたいのか分からない本ってたまに出会いますが、本書もその一つです。短編なのに、二度読み直す気にならなかった。自分のバカさを棚に上げて「アンデルセンだってたまには駄作を書く」と責任転嫁(笑)。もし、傑作ならもっと多くの人に読まれてるはずです。


イラストのジョン・シェリーは英国人。現在、日本で暮らして企業の広告作品などで活躍中。このわかりにくい物語のイラストを描くのは大変難儀だったと思います。もし、この楽しい絵が無ければ皆目売れなかったに違いなく、シェリーの功績は大きい。(2004年 評論社発行)



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●波多野聖著「本屋稼業」を読む

 2017年最後の読書は紀伊國屋書店の誕生、発展物語で主人公は田辺茂一。創業社長にして有名文化人だったので知る人は多いはず。文化人といえば聞こえがよいが、酒飲みで女たらし、数字にからきし弱い社長だった。こんな駄目社長を支えたのが東大出身で陸軍軍人あがりという松原治。、田辺とは正反対の数字に強い男で後に社長になった。社長にして粋人というタイプはおそらく田辺あたりが最後で、何よりも効率や生産性を求められる現在、こんな人物はさっさと排除されてしまう。


父親は薪炭商。小学生のとき、父に連れられて入った「丸善」のえも言えぬ文化的な雰囲気が大好きになり、将来は本屋になると決める。二十歳すぎに小さな本屋を開業するが、成長するまえに戦時色が強まり、東京大空襲ですべて灰燼に帰した。しかし、終戦後まもなくにバラック小屋のような店をつくるとものすごく繁盛し、雑誌「文芸春秋」発売の日は長蛇の列が出来た。みんな貧しくても活字情報に飢えていた。当時は出版社から書店への配送は自転車や荷車が主で、荷台に本を満載してピストン輸送した。後年、大出版社になった角川書店も角川社長自ら自転車を漕いで本を届けた。入荷する尻から本も雑誌も売れる・・夢のような繁盛を経験し、この時代の大もうけが発展のもととなる。


本屋の標準サイズは25坪と言われた時代に、新宿でどでかい本店をつくり、ビル内に紀伊國屋ホールという劇場までつくった。酒飲み女たらしは休まないでの大文化事業。そして、国内二店目は大阪梅田の阪急梅田駅再開発にともなう出店で面積は700坪、若き駄目男もドヒャーと驚いたバカでかい書店でした。しかも、設計は当時、丹下健三と並んで人気トップの前川国男。これは今まで知りませんでした。(新宿本店も前川の設計)開店は昭和44年12月。大阪万博開催の4ヶ月まえだった。


1981年、田辺社長は76歳で亡くなる。本屋が一番景気の良かった時代だった。仕事と遊びの境目が分からないという人生は最高に幸せだったといえる。読書離れ、出版不況に悩む現在の業界では想像もつかないハピーな時代だった。年商1000億に達した紀伊國屋だけど、この先も順風満帆の保証はない。ちなみに、紀伊國屋というブランドは紀伊國屋文左衛門とはなんの関係も無いという。(2016年 角川春樹事務所発行)


今年は40冊
 大晦日に40冊目駆け込みです。今年もいろんな本を読みましたが、印象の強い作品をあげれば「日の名残」「蜜蜂と遠雷」「泥の河」くらいでせうか。読むのに苦労したのは「村上海賊の娘」。長すぎます。ジャンルは、間口広く何でも読んでるように思われそうですが、好き嫌いははっきりしていて,例えば佐伯泰英のシリーズ本なんかタダでもらっても読まない。単に好き嫌いの問題です。

本屋


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●遠藤周作著「海と毒薬」を読む

 今年読んだ本の中では一番深刻で陰気な作品。遠藤作品で一冊くらいはシリアスなものを読んでおこうという殊勝な心がけ?で手にした本がこれです。途中でやめようかなと思ったくらい陰々滅々の内容ですが、読み終わって世間を顧みれば、この本以上の残酷物語が現実に起きている。


戦争末期の1945年、福岡で米軍捕虜の生体解剖実験が行われた。このおぞましい事件を小説で描いたもので、実験場になった大學病院の教授の出世争いをからませて、命を救うのが使命の医者たちが、かくも冷淡、非情、無責任な人間になれるのかを描く。メスを持った殺人者とその手下たちたちは、自分のポジションを守るためには良心も正義感も捨ててしまい、結果の恐ろしさにもがき苦しむこともない。それでも「やる前」は相当に良心の呵責があったのに「やった後」は精一杯、責任転嫁を考えたりする。しかし、心の傷は癒えない。絶対、他人には口外できない事件ゆえに、一人悶々と苦しむしかない。


著者はどうして勉強したのか、病室や手術室の描写が細かくて、麻酔の施術なんか「見てきたような」リアルさで書く。教授やスタッフの人間像の描き方も上手くて、簡潔な文章で個々の人物を描き分けた。人間は本質的にワルであり、教養や倫理もしょせん付け焼き刃に過ぎない。地味に、清く正しく暮らしてる人だっていつ悪魔に変身するかもしれない。あのアウシュビッツの残酷物語の超ミニスケール版ともいえるけど、あれを考えるとママゴトみたいな事件でしかなかった。


何の恨みもない他人を趣味嗜好で殺す・・。無抵抗な我が子をいじめ殺す。精神病の娘を座敷牢に閉じ込めて衰退死させる。最近起きた事件でもし自分が裁判員に選ばれたら、加害者は全部「死刑にせよ」と言うかもしれない。神サマが見たら、そんな人間も悪魔でありませう。ともあれ、人間の原罪を問うという重いテーマは浅学駄目男には荷が重い。
 地味な作品なのに、文庫本で約50年のあいだに100刷というのは大変なロングセラーといえます。遠藤作品は「狐狸庵」ものしか読まなかった自分が恥ずかしい。(昭和35年 新潮文庫発行)

海と毒薬






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●映画「ダンシング ベートーベン」鑑賞

 天才振付師、モーリス・ベジャール(故人)は「春の祭典」や「ボレロ」のほかに、ベートーベンの「第九」も作品にしていた。しかし、曲自体が大曲であり、舞踊も大規模で長時間を要する作品なので公演にはたいへんな準備が要り、コストも高くつく。で、おいそれと実現できない。


映画は、モーリス・ベジャールのグループと東京バレエ団との合同公演を記録したもの。いわば「観る第九」であります。演奏はイスラエル・フィル、指揮はズビン・メータと最高の組み合わせです。第九ファン必見、といいたいが、小さな小屋での短期間の上映なのでほとんどの人は、こんな映画があることを知らない。駄目男もBS放送のCM?でチラ、と見つけてあたふたと出かけた次第。予想通り観客は30人くらいでした。


ベジャールの芸術観をなぞりながら、映像のほとんどはレッスン風景で構成している。完成された本舞台を映すより、このほうが楽しいというか、親しみがもてる。高難度の舞踊を見ては「キミタチ、何の因果でこんなしんどい職業を選んでしまったのか」と低級な感心もする。なんにせよ「白鳥の湖」なんかとは全く違う表現の舞台です。それでは「春の祭典」や「ボレロ」より、この「第九」のほうが芸術的に優れているか、といえば、?・・であります。完成度では二作に勝てないと思う。何より上演時間の長さがダンサーにものすごい負担になる。こんなの、毎日公演したら「ブラック企業」ならぬ「ブラックバレエ団」と陰口されそう。


モーリス 



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●井伏鱒二著「ジョン万次郎漂流記」を読む

 久しぶりに「読み出したら止められない」本に出会いました。止められない理由は内容自体の面白さに加え、文章の上手さゆえです。著者はこの作品を「記録文学」というジャンルで書いたので、勝手な想像によるフィクションに仕立ててはいけない・・ハズですが、読めば「講釈師 見てきたようなウソを言い」場面が多々で、これに惹きつけられてすらすら読んでしまう。しかも、自分で資料探しをしたのではなく、他人に借りた資料をネタにして書いているのだから、さすがプロやなあと感心します。


冒頭、万次郎が仲間とともに土佐の浜から漁にでたところ、大嵐で遭難してしまい、何日も漂流したあげく、絶海の孤島(鳥島)に漂着するまでの描写なんぞ、記録資料には細部まで書かれていないはずなのにすごい現実感があって、まるで著者も一緒に遭難したかのよう。読みながら、ニュースで知った、日本海で嵐に遭った北朝鮮のボロ漁船と乗組員の難儀ぶりを想像してしまいました。ようやく流れ着いた孤島の断崖への着岸のスリルや食料も水もない島での絶望的な日々の描写も「見てきたような・・」名文で読者はやすやすとのせられてしまいます。この文章力が評価されたのか、昭和13年の直木賞を受賞したことも納得です。


それにしても、ジョン万次郎の波瀾万丈の人生はそれこそフィクションとちゃうか、と疑いたくなるくらいです。貧乏で読み書きの素養ゼロの小僧が遭難で九死に一生の体験をしてからは、ハワイに渡り、米国本土に行き、捕鯨船の乗組員として世界一周の航海まで経験する。その間に英語を覚え、捕鯨の技術をマスターし、アメリカ西部ではゴールドラッシュに乗じて砂金堀りをして金を稼ぎ・・日本へ戻ったのは12年後だった。当時、こんな破天荒な体験をした日本人は彼ひとりではないか。


帰国当時の日本はアメリカに開国を迫られて大騒ぎのさなかだった。そこで万次郎の英語が生きる。なにしろ本場仕込みだから並みの通訳よりずっとすぐれものであちこちから引っ張りだことなる。そのうち、身分も上がって最後は江戸幕府直参の旗本に出世するのだからコミックみたいな実話であります。更に、語学力+航海術を買われて「咸臨丸」でアメリカへ向かう使節団の世話役になった。福沢諭吉や勝海舟のお供をしたが、船長たる勝海舟は航海中ずっと船酔いでへろへろだったため、万次郎が実質、船長を勤めた。


本書を読む限り、万次郎が過酷な運命に翻弄されながら、異人にも同胞にも好かれたのは、天性の明るい性格と勉強熱心で、物事に積極的に取り組む姿勢が好まれたためでせう。出自が無学文盲ゆえに色眼鏡(教育・教養)で世間を見ることがなかった。大出世してもおごらず、晩年までもう一度捕鯨の仕事がしたいと地味な願いを抱いていた。明治31年死去。享年72歳。墓は谷中の仏心寺にあるそうだ。(昭和61年 新潮社発行)


この万次郎の生涯、大河ドラマに向いてるのではと、ドラマを一切見ない駄目男が思いついた(笑)。ハズレの少ない幕末ものとして受けそうな気がします。難点は女性が全く出て来ないことか。映画や単発ドラマではすでに作品化されてるとおもうけど、退屈しないこと、請け合いです。

万次郎




読書と音楽の愉しみ


●山田ルイ53世著「ヒキコモリ漂流記」を読む

 著者は芸能人らしいけど初耳の人。しょーもないことが原因で、中学生から20歳くらいまではヒキコモリ、すなわち、世間と断絶した生活を送った。その顛末を書いたエッセイですが、文章がよくこなれていて面白い。40歳を迎えて自分の情けない半生をセキララに書いています。本来は恥、屈辱である体験を書いて、出版して名前を売る、少しは収入も得る。こういう世渡りの方法もあるのですね。


著者は、人生の、社会の敗北者であること、過剰なくらい自覚しており、ふつうは陰険な話になるところ、自分をとことんバカ扱いすることでオモロイ本になった。三人兄弟の次男で親はガチガチの公務員。貧乏なのに私立の「六甲学院中学」へ入学した。阪急六甲駅から徒歩で20分かかる坂の上の学校。成績は良かったけど、ある年、夏休みの宿題を100%さぼったことからヒキコモリが始まる。


ヒキコモリにもグレード?があって、自宅から一歩も出ない、パーフェクト型から、たまには外出もするゆるいタイプもあり、著者はゆるいタイプだった。ヒキコモリつつ、自分で金を稼ぐ努力もした。コンビニに勤めたときは賞味期限切れの弁当を店長の許可を得て食べたりした。しかし、二十歳を前にどん底の暮らし、家人からは「出て行け」と矢の催促。


結局、家出して家族とプッツン状態になる。あちこち転々とするうち、ついに東京でホームレス状態に。さすがにこれはイカンと肉体労働して自活を目指し、サイテーのアパートへ入居した。池袋の近くで、四畳半、1万5千円也。東京ではありえないような物件だ。なのに、この家賃が払えない。とうとうサラ金に手を出し、たちまち借金がふくれあがる。最後は「三畳で8千円」という、究極の安アパートに移り、住民の出すゴミ袋をあけて食べ物をさがすというありさまに。この辺の生活を描いた文が一番切実で読み甲斐がある。純粋ホームレスに落ちないための、唯一の支えは一片の自尊心だったのか。ウツに落ちなかったのも幸いした。


本を書いてる時点で、両親には20年会っていないという。それでも寂しくないと思うところが悲しいけど、だからといって絶縁したのでもない。顔を合わせるきっかけが作れないだけかもしれない。結婚して、娘が生まれて、あるとき、妻の機転で?母娘で親に会いに出かけた。親はモロ大喜びだった。もう怨恨はなかった。年に一度会ってケンカするより、20年間疎遠だったほうが良かったのかもしれない。(2015年 マガジンハウス発行)


表紙 





読書と音楽の愉しみ



●前野ウルド浩太郎著
「バッタを倒しにアフリカへ」を読む

 虫の研究をする人には個性的な人=変人が多いけど、この著者、前野氏もそう。子供の頃からバッタが好きで、夢は「バッタに食べられちゃう」ことだった。神戸大学大学院を出てもバッタ研究の夢は覚めず、しかし、それではメシが食えないことも分かっているから、なかなかしんどい。ムシか、メシか、悩みつつ、メシの獲得にも必死のパッチで努力して、なんとかムシでメシを食う算段が出来た。その奮闘記であります。


書名から察すると、著者が勇躍アフリカへ出かけて、寄せ来るバッタの大群をバッタバッタと退治する話かと思うけど、それはいろいろワケありで一部しか語られない。話の大半は地味な予備調査やメシをくうための、要するに就職活動の苦労話に費やされる。


しかし、こちらの興味は「恐ろしいバッタの襲撃」にあるので、テキトーに調べてみた。 一番被害が大きいのは本書でも主役の「サバクトビバッタ」で、アフリカではこれに襲撃されて国家的飢饉に陥ったことが何度もある。人間の食料を全部バッタが食い尽くしてしまう。2003~2005年の大発生では農作物の被害が25億ドル(2800億円)に達した。被害の歴史は古く、聖書にも記載がある。(被害を「神の罰」というらしい)


なにしろ、大群が襲来すると空が暗くなるくらいだ。資料によると、1平方キロ当たり、4000万~8000万匹という密度になる。(地面から百m以上の上空に群れる)一日で100キロくらい移動し、通過した後は一木一草も残らない。発生、移動地域も広く、アフリカや中東の砂漠地の大半で被害が起きる。


この科学の進歩した時代、画期的な駆除方法があるのではと想像するけど、残念ながら「殺虫剤」しかないらしい。これでは大発生してからでは到底太刀打ちできないので、発生の初期に退治する必要がある。本書の著者はモーリタニアの砂漠にある研究施設に単身乗り込んで研究するのですが、肝心のバッタが見つからなくて大弱りという苦い経験もする。いつ、どこで発生するか、予想するのは難しい。 しかし、殺虫剤をポンプで散布という方法しかないというのは心許ない。前野さん、バッタ大好きなのにバッタの退治を目指すのは矛盾しているが、画期的技術の開発でアフリカ諸国に貢献して下され。草場の影で祈っておりますぞ。(2017年5月 光文社発行)


こんな状態になる前に退治しなければならない。
バッタ


食べて敵討ち? バッタの素揚げ
バッタ


バッタ 






読書と音楽の愉しみ



●恩田陸著「蜜蜂と遠雷」を読む

 本の入手には「買う」と「借りる」のほかに「もらう」というありがたい方法があって、本書はMさんからのプレゼント。どて~んと、500頁、二段組のボリュウムにたじろぎましたが、読んでみれば、音楽好きには楽しい本でした。謝々。 本年度の直木賞と本屋大賞をダブル受賞した人気作。天才がひしめく国際ピアノコンクールを舞台にしたドラマで、クラシック音楽に興味がないと取りつく島がないという感じで、熱烈恩田ファンでなければ、途中で降りてしまう読者もいるかもしれない。直木賞受賞は理解できるけど、本屋大賞に選ばれた理由が奈辺にあるのかイマイチ分からない。しかし、昨年の本屋大賞が宮下奈都さんの「羊と鋼の森」で、奇しくも二年連続でピアノが題材になった作品が選ばれた。もしや、書店員さんにはクラシック音楽ファンが多いのか。いや、う~ん、それはないだろう。偶然でせうね。


本の帯に「著者渾身、文句なしの傑作」とあるけど、傑作の評価には二つのタイプがあると思う。一つは一般的な小説ファンが登場人物の描写の巧みさに魅了された。もう一つは音楽ファンが、音楽を言葉で描写するワザの巧みさに感心した。駄目男の評価は後者になります。いやまあ、そこまで勝手に想像しまっか、と小説家ならではのイメージの豊かさに感心するわけです。


例えば、登場人物の一人、マサルが、自ら選んだリストのロ短調ソナタを練習するときは、ある架空のドラマをイメージする。北国の荒涼たる風景のなか、そこに何代も暮らし続けたある一族の骨肉の争いを思い浮かべる。ポーの「アッシャー家の崩壊」みたいな話?。これが延々10頁にわたって描かれるのだから500頁も要りますよ。さらに、ピアノのおさらいを立派な屋敷のお掃除になぞらえて、床拭きからガラス磨きとチマチマ段取りが述べられるのであります。こんな文章、小説だから書けるのであって、音楽の解説書や評論では書けない。その道の専門家は勝手に話をつくったり、盛ったりできないのです。


登場人物の設定、描写では、登場者全員が天才なんてふつうに事実だから、それを並べても話にならない。そこで、風間塵という少年を狂言回しに登場させた。養蜂家の子供で、父に連れられて各地を転々とするので義務教育も受けていない、どころか、家にピアノもない。とうぜん、練習もできないのに、あるピアノの大家に目を付けられ、強引にコンクールに登場させた。もう一人、優秀ではあるが、限りなく普通人に近い所帯持ちのサラリーマンも登場させる。これらの天才、奇人、フツーの人がナンバーワンを争うことで、筋書きにメリハリをつける、という案配です。


数十頁読み進んだところで、もしやこの本は「浜松国際ピアノコンクール」をモデルに書いたのではないかと推察した。但し、駄目男は浜松に行ったことがない。けれど、ホールの構成や海に近いという環境から浜松がクサイ。読み終わってからネットでぐぐるとアタリでした。著者は4回、このコンクールにべったり張り付いて現場を詳しく掌握している。


コンクールの動画があったので見てみると、わわわ、本書に描かれたシーンがそっくり出てくるではありませんか。まる写しです。
 185ページ、第一次予選通過者が発表されるシーンです。「にわかにどよめきが起こり、歓声が上がった。二階から審査員たちがゆっくり階段を下りてくる。(略)国籍豊かな十数人もの審査員がぞろぞろとやってくるようすは圧巻である。(略)最前列に立っているのは審査委員長のオリガ・スルツカヤだ」オリガさんは小説での人物。実際の人物は大御所、海老彰子さんです。海老さんが、小説ではオリガさんになってる。そうだったのかと納得。

浜松国際ピアノコンクールのPR動画(階段の場面は5分30あたり)
https://www.youtube.com/watch?v=laaKojqTKfs

ピアノを知らない人はいないけど、ピアノの美しい音色を知っている人は少ない。中には、人間が弾いても、猫が踏んでも同じ音ではないかと思ってる人もいる。いへいへさうではありませぬ。本当に美しい音色を聴こうと思えば、ちゃんとしたホールで、名人の奏でる音を聴くに限ります。しかし、そんな面倒なことに時間とお金を費やす人は少数です。残念ながら。(2016年9月 幻冬舎発行)


著者が選んだ本選用協奏曲の一覧。常識的な選曲と思われます。
このうち知ってる(主旋律を覚えてる)のは13曲のみ。
蜜蜂 


蜜蜂








読書と音楽の愉しみ



●羽田圭介著「スクラップ・アンド・ビルド」を読む

 2015年、又吉直樹の「火花」と一緒に芥川賞をとった作品。残念ながら、売れ行きは「火花」の十分の一くらいかもしれないが、読めば、こちらの方が面白いという人もいるはず。特に、老人を抱えた家庭にとっては他人事でない、リアルな話であります。


「もう、じいちゃんなんか、はよ死んだほうがよか」が口癖の87歳の老人と、失業中だから在宅介護ができる28歳の孫との葛藤が話の芯です。はじめ、老人のあの行き願望を真に受けていた孫は、イジメや虐待で死なせたら犯罪になるから、逆のことを考えた。すなわち、とことん介護して、過剰な介護で死に至らしめる。これなら殺人を疑われることはない。たとえば、歩けるのに、無理に車椅子を使わせて体力を衰えさせるとか、であります。


そのために、孫は筋トレまでして「介護しすぎ」に励むのですが、ささいな事から老人のホンネを知った。しょっちゅう死にたいと言ってるのはウソで実はこの世に十分未練があるのだ。本当は死にたくないのだ。これと同じ話は普通にあるでせう。「十分に生きた。はよお迎えが来てほしい」という人はゴマンといるけれど、じゃ、明日死んで頂きますネ、といわれたら「ままま、まちなはれ、なんちゅう酷いことを」とみんな反対するのであります。はよ、お迎えを、は世話になってる家族や介護職員に対する忖度というか、気配りというか・・。少なくとも「百まで生きたるねん、ガハハ」というよりは美徳に思える。でも、ホンネではありません。


なんせ芥川賞作品でありますから、内容は文学ふうに描かれるのでありますが、ま、ハッピーエンドになるはずがなく、老人は、最後は純粋邪魔者になって、東京から遠い長崎の施設に送り込まれた。孫があれこれ作戦を立てるまでもなかった。就職活動で必死の孫の記憶から消え去る先に、誰も悲しまない孤独な死が待っている。(2015年 文藝春秋社発行)

スクラップアンドビルド 






読書と音楽の愉しみ



●荻原浩著「海の見える理髪店」を読む

 昨年上期、第155回直木賞受賞作。短編が6編編集されて受賞。一番すぐれていると思ったのは表題の「海の見える理髪店」で、駄目男好みの短編の見本になってもいいような読み物であります。田舎町のしょぼい理髪店を初めて訪れた客と老いた理髪師の会話劇だけど、大方は理髪師のモノローグで進む。その語りが上手いから、読者は自分が客になって理髪椅子に座ってるような気分になる。鏡には海が映っていて時間とともに海の色の変わりゆくさまが魅力的だ。


老理髪師は聴かれもしないのに自分の生い立ちや苦難の人生を語る。銀座に店を構えたこともある有名店だったのに、なんやかんやでトラブルまみれになり、破綻した。逃げるようにこの辺鄙な町へきて開業した。丁寧に髪を整え、髭剃りに移る。剃刀を喉に当てたとき「実は私、人を殺めたことがあるんです」と。ゾゾゾ~~であります。


短編の難しいところはネタ探しかも知れない。これ、という小ネタが見つかったら、あとは文章力でかっこつけられる。そのネタがもう漁りつくされつつあるのではないでせうか。歌謡曲の歌詞が在庫払底になってるように、物語のネタも新開発が難しい。本書でも「成人式」という作品では愛娘を事故で亡くした中年の夫婦が、生きていたら二十歳という娘の成人式に、二十歳に扮装して式に出かけるという筋書きだけど、無理に話をつくりすぎて、読む方がしらけてしまう。もしや、著者もしらけていたのでは?。作家稼業もたいへんであります。(2016年 集英社発行)

表紙







読書と音楽の愉しみ



●「半畳雑木林」本 図書館デビュー

 ブログで数年間アップしてきた「半畳雑木林」情報を思いっきり圧縮して本のような体裁に再編集しました。36ページ、全部で5冊しかつくらない手作り本です。アナログ人間は紙情報に執着したがります(笑)。一冊を「まちライブラリー@もりのみや」に寄贈しました。目立つところに置いてくれたおかげで閲覧者が多く、読者がマネしてタネを拾い、木を育ててくれたら目論見は成功です。


こんなイチビリな本? 公立の図書館ではおそらく玄関払いになると思いますが、私設の図書館なら「こういう表現方法もあるのか」と寛容に受け入れてくれます。むろん、何でもOKではなく、常識、マナーにおいて、許容の線引きはあります。この本の狙いは、半畳雑木林オーナーを増やすことと、もう一つ、自己表現の方法の一つとして「手作り本」のサンプルになることです。小型のクリアファイルを使う点がミソで、クリアファイル=事務用品のイメージをこわすところがスタートです。


本イコール印刷物という鉄板概念をなくせば、誰でも気楽に超マイナーな本をつくることができる。なんでもデジタルの時代に逆らう楽しさもあります。


一見、本のように見える「半畳雑木林」
まちら デビュー 


読者の感想文書き込みカード
まちら。デビュー


カフェを兼ねた、まちライブラリー@もりのみや 
http://machi-library.org/where/detail/563/


まちら デビュー