アートシーン
アートシーン
●四代 田辺竹雲斎作品展 ~利晶の杜~
めずらしく、病院~図書館~ミュージアム巡りに半日を費やす。堺市の「利晶の杜」で上記の展示を拝見。正直なところ、堺市にこのようなアーティストがいることを知らなかった。四代目になって、それまでの竹細工職人からモダン感覚のアーティストへ飛躍した、その最新作の展覧会。造形の面白さもさることながら、竹細工のハイテクぶりに感心する。ガラスケースに収められた「方船」なんか、ここまでやるか、と溜息のでる微少細工作品。加工された竹も「ここまでやられるか」と自分の変身ぶりに感心したりして。
廊下や壁面に設けられたインスタレーション(仮設構造作品)は、おおらかというか、ずいぶんのびのびとしたデザインで、これをつくってるときは楽しそう、と勝手に想像してしまう。小物から大物までの造形が自由にできる竹の可能性がわかって楽しい。
竹は「虎竹」というごく希少な種類のみ使うそうで、今では高知県でわずかに産するだけの貴重品だという。インスタレーションで使われてるのは巾が7~8ミリ、厚さは0,3ミリほどの薄さ、このデリケートな素材はすべて手作業でつくる。おそらく、使う場所によって、0,3~0,5ミリと微妙に作りわけもしてるみたいだ。なのに、現場での制作作業は勘やひらめきでデザインが変わるだろうから、それを見越した材料の調達が必要になる。ま、天才の領域の人でないと、こんなのできませんね。
大きなインスタレーション作品は展示終了後はどうなるんですか、と係員にたずねたら「一本ずつ、そろりと引き抜いて保存する」とのことでした。だからといって、同じカタチの作品は二度と作れない。発想も制作もアナログでないとできない作品です。 (同展は11月23日まで)
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超絶技巧による「方舟」 長さ約50cm
竹ひごのほぼ実物大
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一階の南蛮関連資料室に展示してある16世紀の日本周辺図。当時、北海道は認知
されていなかった。朝鮮半島がニンジンのように細長い。
●<子供 本の森 中之島>見学
コロナ禍で開館が半年遅れた。オープンしても「3密」を避けるため、入場制限していて訪問は予約しなければならない。ご存じのように、この図書館は建築家、安藤忠雄氏が自ら設計した建物を大阪市に寄贈する今どき珍しい開設方法になる。(近くの府立中之島図書館も住友家による寄贈だった)土地は大阪市が提供した。本は1万8000冊あるらしいが、ほとんどは出版社や個人からの寄贈による。建て物が個人からの寄贈といっても運営費の電気代や水道代などは大阪市の負担になるのではないか。(不詳)維新の会や市長に言わせれば、「二重行政のうえに民間人が図書館つくったら三重行政やないか。余計なことするな」がホンネでありませう。
図書館での読書といえば当然、椅子、テーブルでが常識だけど当館にはそれは少ない。階段で読んでもいいし、工事中の館前の公園ができたら外で読んでもかまわない。むしろ、それを薦めるみたいだ。但し、貸し出しはしない。ここが一般の図書館と大きく異なる。
蔵書は子供向けの本ばかりでなく、大人しか読まないような本もたくさんある。充実してるのは絵本で、内容、装幀、とも贅沢すぎるくらいのクオリティをもつ本が並んでいる。自分の子供時代(昭和20年代)は世間全体が文化砂漠状態だったから、絵本などかいもくなく、読みものならなんでもええか、みたい感じで大人向けの「講談倶楽部」の銭形平次捕物帖なんか読んだ覚えがある。小6くらいになると漢字がかなり読めるので不便はなかったように思う。今の恵まれた子供たちが羨ましい。(10月23日)
●「mt展」 ~マスキングテープでつくるアート展~
文房具店や100均店で売っているマスキングテープ。色柄が何百種類もあって、みなさん、これを何に使ってるのかと訝っていましたが、まさか、アート作品の材料になっているとは・・驚きました。素人の趣味どころではない、ゲージツ作品に使われているのです。
その小さな展覧会が中之島中央公会堂で開かれているので拝見。テープのメーカーが宣伝を兼ねての開催です。下の写真でもお分かりのように、テープを貼りまくった作品とは思えない細密な仕事ぶりが分かります。もし、小中学校の図工の時間に教材として使われたら大量の消費が見込めます。アートでなくても、いろいろ装飾に使えるので当分の間は流行り物になるのではと思います。(8月21日まで・地下会議室)
●素朴派と高踏派 ~サンケイ 朝の詩から~
5月28日に掲載された中島さんの作品「ひとり暮らし」は高齢の読者の誰しもがジッカ~ンと共鳴するへ平易さがよい。中島さんとはひょんなことからご縁ができて・・といってもお会いしたことはないのですが、まあ、日々を楽しく暮らすハウツーの達人です。ほんの身近なできごとを普段着の言葉で詩に仕立てるワザ、センスは生まれつきではと思っています。
5月30日に掲載された中村さんの作品。新世界、ジャンジャン町という庶民の町のそぞろ歩きから生まれた作品なのに「?」であります。4行目「シーシュポスが脳裏に浮かぶ」って何のこっちゃねん。ネットでぐぐってみたら「シジフォス(シシュポス)ともいう」説明で、これならきいたことがある。ギリシャ神話に出て来る気の毒な神様の名前です。その神様がなんで大阪の新世界の散歩で脳裏に浮かんだのか。1行目「寺を出てなだらかな坂を下ると」という語の寺は一心寺と思われるので、一心寺の思想とシジフォスの運命がリンクしたのかな。中島さんの平易な作品とは対照的で自分からみれば「高踏派」作品であります。シジフォスと新世界、この二つの語句のイメージがパッと浮かばなければ鑑賞できないからです。後から三行目、濁音はあたたかい、という言葉も詩心がなければ浮かばないでせう。もしや、選者が素朴派作品に倦んで意図的に選んだのでは・・と想像したものです。
参考情報
『シーシュポスの神話』(フランス語: Le Mythe de Sisyphe)は、アルベール・カミュの随筆。出版社によっては『シシュポスの神話』とも表記される。
神を欺いたことで、シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けた。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのだった。カミュはここで、人は皆いずれは死んで全ては水泡に帰す事を承知しているにも拘わらず、それでも生き続ける人間の姿を、そして人類全体の運命を描き出した。
●お見事!・・オケのテレワーク
音楽家もコロナ問題のとばっちりを受けて演奏会ができない。・・どころか、練習場に集まっての練習すらできない。そこで知恵者が考えた。いま流行の「テレワーク」ちゅうのはどないや。各人は家で演奏し、それを60人でやったらテレワーク演奏会。ホール抜き、家から家へ届ける新型コンサートになるはずや。そんなアホなこと、と思いましたが、さすがはプロ、できるんですねえ。感心しました。
5月8日のEテレ「らららクラシック」で紹介されたのは新日本フィルの面々。総勢60人が各自の家でカメラに向かって演奏した。最初のアインザッツ(曲のスタートの合図)が難しそうだけど、呼吸を合わせるのは慣れたもの、ロッシーニのオペラ「ウイリアム・テル」序曲を見事に演奏しました。(本当のところ、何度も何度も練習してアンサンブルを整えたのでは、と想像します。)
自宅発、視聴者宅行きテレワークコンサート。トロンボーン奏者が思いついたそう。
●映画「Fukushima50」鑑賞
久しぶりにアポロシネマへ出かけたら料金がアップしてしていた。シニアで1200円(100円アップ)しかし、当館の会員になると年齢に関係なく1200円なのでシニアの有り難みは無くなってしまった。定価(1900円)で見る人なんか皆目いない。
さて、この映画の原作、門田隆将の「死の淵を見た男」を読んだばかりだから映画ではどう描かれているかが気になって鑑賞。平日の午後、客入りは50人くらいでガラ空き、コロナウイルスが売上げの邪魔をしています。不人気作品は観客ゼロに近いかもしれない。
原作者の意向で、映画だからといって作り話は取り入れないという約束があったのかもしれないが、ほぼ原作通りの内容でした。映画ならではの良さという点では、良く出来たCG映像と主役である原発作業員のテンションの高い演技。ヘタすれば「日本滅亡」という大ピンチの連続のなか、主役の吉田所長(渡辺謙)たちはメルトダウンした原子炉だけでなく、東電本社と政府トップという三つの敵との戦いを強いられる。所長は現場責任者とはいえ、東電社長や総理大臣と対等に渡り合えるはずもなく、命令を無視するわけにはいかない。ここんところの葛藤、せめぎ合いが見せ場です。で、当時の総理大臣は菅直人さんでしたが、なぜか映画に名前は出て来ない。著者の配慮?又は誰かの横槍?
総理の現場視察に同感した者は一人もいなかった。訪問自体がはた迷惑だった。それでも強行したのは総理にハンパな原子炉の知識があったからです。(東京工大出身)オレは原発のことわかってるとアピールしたかったのだろう。しかし、本当に何の役にもたたない視察でしかなかった。著者は民主党(当時)大嫌いだから印象良く描くはずがない。元総理がこの映画を見たらさぞご立腹でありませう。演じているのは佐野史郎。「イラ管」とあだ名された総理の人柄をよく表現している。
全編のなかで二、三回、吉田所長が大阪弁を使うことがある。調べてみたら大阪府出身だった。小学校は空堀近くの金甌(きんおう)小学校、中学、高校は教育大付属天王寺中学・高校卒。大学は東京工大だから菅総理の後輩。普通にエリートコースを歩んだことになる。
大げさでなく国家存亡のピンチにあって所長にはものすごいストレスがのしかかる。部下の生死を預かる立場で次から次へと指示を出さなければならない。ラストちかく、ほとんどの所員が退去するなかで最後まで原発の暴走を食い止める作業をする数十人のメンバーを選ばなければならない。所長と伊沢(佐藤浩市)以外に誰が自発的に手を挙げるか。みんな死にたくないから静まりかえってしまう。しかし、ほどなく「残ります」と次々名乗り出た。所長は若者の申し出を断り、中年のメンバーを主に数十人を指名した。この男たちが「Fukushima50」である。
原作の感想文にも書いたが、この場面で朝日新聞は真逆のことを書いて報道した「所長の命令に反して9割の所員が撤退した」と。全く取材無しで百パーセントの捏造記事を書き、外国にも発信した。これに抗議した著者に対して朝日は謝罪を要求し、法的手段も辞さないと恫喝した。インチキ記事はすぐにバレて朝日新聞社長は辞任に追い込まれた。
そこでアイデアが浮かびました。朝日新聞記事通りのシナリオで「朝日新聞バージョン」の作品をつくったらどうか。 所長の命令に反して所員の9割は現場から逃げ出し、原発は一挙に暴走して崩壊、ものすごい量の放射能をまき散らし、関東、東北は人が住めなくなる・・日本滅亡です。日本が大嫌いな朝日新聞には最高のハッピーエンドになります。まあ、作品の世評は知らないけれど、事故から9年たってそろそろ記憶が薄れていくなか、あんな大事故があったのだということをもう一度脳に刷り込んでおくには良い情報になると思います。
● お知らせ・・当展覧会はコロナウイルス感染予防のため中止になりました
●須田剋太展鑑賞 ~東大阪美術センター~
恥ずかしながら、東大阪市に美術館があるのを知らなかった。で、今回が初訪問。場所は近鉄東花園駅から徒歩10分足らず、新しくなったラグビー場の隣にあります。入館料は500円ですが、65歳以上の人は無料(要証明・市外の人もOK)
須田剋太の作風は具象と抽象のあいだを行ったり来たり・・というか、あんまり気にしないタイプの人らしい。しかし、世間に広く知られたのは司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの挿絵を担当したのがきっかけで、司馬ファンなら全員が知ってる画家です。駄目男が「さざなみ快道」ガイドをつくる動機のひとつになったのも「街道をゆく」第1回「湖西のみち」を読んだからでした。当展ではその「街道をゆく」シリーズの挿絵が30点ほど展示されていて懐かしい図柄に出会えます。国内だけでなく、中国の辺境やアイルランドなどにまで同行して司馬流紀行文に彩りを添えた。ほとんどの絵は10分くらいでささっと描いたような感じですが、それを何枚も描き、選んだのではないかと思います。(3月15日まで 月曜日休館)
美術館外観
一階ロビー
寒山拾得図 フンドシ姿の寒山拾得をはじめて見た
街道をゆく から「赤坂風景」
同司馬遼太郎の故郷 竹ノ内村の風景
同 「湖西のみち」の司馬遼太郎
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お知らせ・・当展も3月1日より休館になりました
実は大阪市西区阿波座の「江之子島文化芸術創造センター」という施設でも須田剋太展が開催されています(3月15日迄・月曜日休館)展示は抽象作品と「街道をゆく」の原画。これらは大阪府の所蔵作品らしい。こちらも無料で鑑賞できます。地下には小さい古本店とゆったりスペースのカフェがあります。場所は地下鉄阿波座駅の8番出口出て西へ3分ほど。
●宮崎の神楽鑑賞会 ~国立文楽劇場~
神楽をライブで見るのは初めて。宮崎県の肝いりで貴重な郷土芸能を多くの人に知ってもらおうとチームを組んでやってきた。挨拶には宮崎県知事が立つという力の入れようです。今回の出演は椎葉村のみなさん13名で「不土野神楽」を演じました。
もとより商業演劇ではなく、自分たちが神様との交流を祈り、楽しむためのイベントなので、外部の者には異次元世界で予備知識なしで見るとわかりにくい。演技者と観客のあいだには乖離があるのは仕方ない。全部で七つの演目があったけど、いずれも同じ所作の繰り返しが多く、鳴り物も太鼓だけなので退屈してしまう。延べ3時間くらいかかり、途中の休憩時間で一割くらいの客が帰ってしまった。貴重な文化財ではあるけれど、商業的興行は難しい、というのが感想です。さりとて、端折ってダイジェスト版なんかにすると本来の価値が薄れてしまう。
娯楽がぜんぜん無い山奥の集落で住民が演技者兼見物人として楽しむイベントで、これを都会人に見せて共感を求めるのはかなり無理がある。能公演のなかに狂言をはさむように、なにか工夫が要ります。しかし、文化財という縛りがあるから安易なチェンジは許されないし・・・出演者や関係機関の苦労を察しつつ、伝統文化維持のしんどさを感じました。(2月15日)
●東京大学管弦楽団 関西演奏会
東大オケの演奏会は初体験。情報知るのが遅くてチケット買おうとHPをあけたら残り2席しかないというきわどいタイミングでした。メインのダシモノはマーラーの1番。昔は学生オケがこんな難儀な大曲をやるのは大バクチみたいなもので、聞く方もはらはらしたものですが、イヤハヤ、もうほとんどプロに近い出来栄えで感心しました。
アマ・オケの駄目なところはテンポの乱れを気にするあまり、指揮者がインテンポ(テンポを動かさない)の無難なワザを選び、それが聴く側には退屈で眠気を催す演奏になることでした。しかし、そんなのもう杞憂、しっかりメリハリつけて元気ハツラツのパワフルな演奏、特に最終楽章の打楽器群の見事なアンサンブルにはほれぼれしました。一番アラが目立ちやすいホルンも臆せず咆哮し、難なくこなした。
学生オケでは京大と阪大を良く聴くが、演奏技術の完成度では東大のほうが一枚上ですね。それに、毎回、指揮者が変わる京大とちがい、東大は三石精一氏が終身正指揮者であることがプラスになってるかもしれない。大学では珍しいケースです。(1月26日 兵庫芸セン大ホール)
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●樹(いつき) フィルハーモニー管弦楽団 第6回定期演奏会
上記東大オケの演奏会会場でもらったチラシにこの楽団の案内があり、見ると、プログラムのメインは東大と同じマーラーの1番、会場はフェニーチェ堺とあってこれは行かずばなるまい。しかし、こんな楽団聞いたことがないなあ・・第6回というから出来たて、ほやほやのオケです。(東大は105回目だった) フェニーチェ堺は昨年11月に「バブリーダンス」公演に行く予定だったが入院・手術とかちあってしまい、今回が初見参となります。それにしても、東大オケの名演奏を聴いた半月後に同じ曲を無名アマの楽団がやる。偶然とはいえ、出来栄えは天地の差があるだろうと聴く前から同情していました。
当日券1000円、全席自由席というアバウトな企画で客の入りは五割くらいでせうか。一階のやや後目の席で聴く。ベートーベンのS2番に続いてマーラーの1番。指揮は大森悠氏。氏は大フィルのオーボエ奏者なので指揮はアルバイト?ですか。
さて、マーラーの出来栄えはどうだったのか。ヘタクソの予想は大ハズレで立派な演奏でした。東大オケよりは劣るものの、学生、社会人寄せ集めの楽団にしては最高の出来栄えだと思います。個人の技量が高く、微妙なアンサンブルやテンポの揺れにもついていけたし、独奏部分もまずまず無難にこなした。公演6回目のオケにこれ以上何を望もうか、というのが正直な感想です。聴衆の大半は関係者ですが、みなさん感動の大拍手、ホールが一体感に包まれた演奏でした。
思うに、今やクラシック音楽界は「奏高聴低」演奏者のレベルが高く、聴衆のレベルが低い時代になっている。演奏者のハイレベルに聴衆がついていけない・・聴く人の素養の低さが問題です。さりとてこれを良くする方法がない。経済的な言い方をすれば、供給過剰、需要衰退のまま、ということです。
さて、実演初体験のフェニーチェ堺大ホール。最初に感じたのが舞台の狭さです。80人のオケをのせたらぎゅうぎゅう満員状態。音響面では実測での残響が1,6秒で、音圧は十分だが余韻を感じる心地よさはない。当日は寒くてお客さんはみんなダウンジャケットやコートを客席に持ち込んだから残響にはマイナス効果があったはずです。しかし、歌謡ショーや吉本喜劇の公演もやる万能ホールだから高望みは許されません。オーケストラピットがあるのにクロークがないという設計が一流のホールたり得ないことを露呈しています。(2月9日)
●アートシーン
■カラヴァッジョ展 鑑賞 ~ハルカス美術館~
カラヴァッジョの作品と人物像については一年くらい前、7chの「美の巨人」で見たことがあり、また画集でも知っていた。展覧会に出かけようかなと思案していたところ、Tさんからチケットを頂戴する幸運に恵まれ、ロハで傑作を鑑賞出来ました。
いろいろワケありで当人の作品は10点くらいしか展示されておらず、他は画家の友人や弟子など同時代画家の作品が多い。ぼんやり見ていたら違いはわかりにくいが、着想のユニークさや描画技術では大きな差がある。天才と天才未満との違いを学べます。もっとも、当時の芸術感覚では創造性より美しく描くことに重点があったかも知れず、写真が発明される前だから本物(原作)そっくりのコピー画も名作の類いだった。
リアル、という点で一番印象に残ったのは「リュート弾き」という作品。カストラート(去勢された男性歌手)を「らしく」描く難しさを想像するに、画家は自信満々で取り組み、かつ、カストラートという題名を避けた。400年後のいま、誰が見てもカストラートでありますが、顔つきにはなんとなく画家の作為が感じられる。彼の作品に登場する男性はなぜか画家(の肖像)に似ているような気がする。
画家や作曲家には内向的な性格の人が多いが、カラヴァッジョは違ったらしい。遊び好き、ハデ好きでけんかっ早い性分は何ゆえか。今ならADHDと診断されるかもしれない。ささいなことで殺人犯になり、逃亡生活を続けたが38歳で病死した。まじめに画家生活を送っていたら、富も名声もたっぷり享受できたであろうに・・神サマは賞より罰を与えてさらなる傑作の誕生を阻んだ。
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■吉田利次作品展
力量は十分なのになぜか知名度が低い画家、吉田利次(故人)の作品を展示しているギャラリー「ガレリア・リバリア」を久しぶりに訪ねました。オーナーの川島恵美子さんは吉田画伯のお弟子さんです。欲がないというか、名を高めたい願望など生涯もたなかったために無名に近い存在ですが、一度作品を見たら大方の人は惚れ込むと思います。描かれている人間が庶民、労働者が多いので親近感も湧く。ただ、汗まみれで働く労働者の姿が今の時代感覚と合わないので若い人は共感しにくいかもしれない。 それはともかく、力強いデッサン画集を見るだけでも元気がもらえる。吉田氏にとって絵を描くことは「生業」なんかでなく、肉体労働に等しい「業」だったにちがいない。
□現在の展示は2月末まで。毎週、金、土、日の12時~18時のみ開催。場所は地下鉄中央線朝潮橋駅歩3分。電話06-7502-4188
●笛田博昭テノールリサイタル ~いずみホール~
声楽会の情報には疎いので「日本の三大テノール」といっても福井敬の名前しか浮かばないが、今はこの人が選ばれていて大人気だそう。もう一人は村上敏明。従来の和製テノールにはなかった体育会系堂々たる体躯で、これだけでもモテるのに、その声たるやすごいパワーであります。いずみホールのシャンデリヤが揺れるのではないかと思うくらい。演目がほとんどイタリアオペラなのが納得できる。ヴェルディ「リゴレット」のアリア「女心の歌」が十八番らしく、聴衆の9割を占めたおばさんたちの「女心」しっかり掴んでやんやの喝采。これだけで5千円の投資をした甲斐があるかもしれない。とにかく、今まで聴いたことのない1000馬力「女心の歌」だった。
第二部ではジャケット姿で登場。このジャケットをデザインしたのがコシノヒロコさんで、ご本人も特等席で鑑賞、彼に名指されて喝采を浴びていました。そうか、コシノブランドであこがれの歌手にアプローチするという手もあったのだ。
クラシック音楽ファンが歌謡曲やミュージカルの歌手を見下げるのは、ジャンルの違いだけでなく「歌唱力」において余りに差が大きいからでもあります。歌謡曲歌手がいくら上手に歌っても、それは素人のワザの延長上にある上手さでしかない。プロと素人の差がいささか小さい。のど自慢大会出演の素人でもプロなみの歌唱力を有する者がいる。
クラシックの声楽では、そんなことは絶対あり得ない。プロと素人では天地の差がある。そこに価値を認めて聴きにいくわけであります。ジャンルの違うことを棚にあげて比較しても意味ないけど、そこは「趣味の違い」であります。ミュージカルの演出はオペラに似ていると思う人もいるが、マイクを使うという一点で鑑賞価値はゼロになります。(10月26日)
●桂三金さん急逝
新世界に「動楽亭」ができたころ、よく足を運んだけど、その時の常連出演者のなかに三金さんがいた。まるまる太り過ぎた身体を座布団にうまくおさめるのに苦労し、自分は彼の下敷きになる座布団に同情したものだ。当時は動楽亭の知名度が低く、出演者5人に客が十数人という場面が普通にあった。それで油断するのか、ネタを練らずに上がり、ワヤワヤとごまかす場面もあり、そのドジぶりが笑いをとったりした。但し、席亭のざこばが出るときは大入りだった。 印象をいえば、三金さんはどちらかといえば、マクラで笑いをとるタイプで、そのネタがユニークだったと思う。むろん、太ってることも精一杯ネタにした。本題では師匠の文枝作「動物園」を聴いたような気がするけど記憶あいまい。
急死の原因は脳幹出血だそう。高血圧の人に多い病気で発症したら助からない場合が多いらしい。ふだんでも高血圧なのに、あわてるとかイライラするとさらに発症しやすくなる。良い方に考えれば「ぴんぴんころり」的死に方ともいえるけど、それにしても48歳は若すぎる。合掌
三金さんのブログ
最後の記事は死の当日に書かれた
https://ameblo.jp/katsurasankin/
●本町通りに「日本のガウディ」の作品が・・
ガウディの作品を日本に紹介したことで知られる建築家、今井兼次(1987年没)の作品がビジネス街のど真ん中にあるなんて知りませんでした。知人に教えられて本町通りの堺筋交差点に行くと、そのすぐ西隣にありました。「糸車の幻想」という大きなオブジェはガウディのセンスをコピーしたようなデザインです。実はこれは原作のコピーなのですが、とことん原作に忠実につくろうとものすごく苦労したらしい。要するに100%手作業でなければ作れない難儀な作品でした。
終戦後の復興期、ここには東洋紡のビルがあり、ビル建設と同時に何か東洋紡らしいモニュメントをつくろうという企画があって今井氏に制作を依頼、作品はビルの屋上に設置されました。ということは社員しか鑑賞できなかったわけです。年月経て東洋紡は別の場所に移転し、商工信用金庫がオーナーになりましたが、新ビルを建てるに際し、誰でも作品を鑑賞できるようにと、2017年、二階の公開スペースに移したのが現在の姿です。ビルの設計は安藤忠雄事務所。
今井兼次の建築センスは安藤忠雄とは対照的な非モダニズムタイプで、私たちに一番なじみ深い建物は長野県穂高町にある「碌山美術館」かもしれない。レンガ造りの古風な建物です。
本町通りにある「糸車の幻想」
●東大阪市文化創造館 オープン
6月に堺の「フェニーチェ堺」(10月1日オープン予定)の見学記、感想文を紹介しましたが、これより一月早く、9月1日に東大阪市の「文化創造館」がオープンしました。施設全体のサイズは同じくらいですが、大ホールは堺の2000人に対して東大阪は1500人と一回り小さめ、人口の差を考えたら妥当な大きさでせう。
外観のデザインについて、フェニーチェ堺は正面玄関前が駐車場になっていてブサイク、と悪口を書いたので、東大阪はどうするのか、興味ありましたが、こちらは素直に?芝生の広場になっていました。下の写真で見比べて下さい。堺の玄関前駐車場風景はどうにも無粋、ブサイクだということ、お分かり頂けると思います。設計施工業者のブランドでは堺のほうが一流だったにもかかわらず、お粗末な設計になったこと、悔やまれます。しかし、駄目男のように、堺と東大阪の両方を訪ねて比べるなんてヒマジンは稀だから、堺の人が気分を害することはない。ホールの玄関つてこんなもんか、と思えば、それで済んでしまいます。
唯物的にはなんの不利益はないにしても、これから音楽を聴きにいく、芝居を見に行くと期待に胸はずませてホールへ向かう道が駐車場まえの道か、芝生広場の道か、どちらが気分がよいか言うまでもない。このビジターの感性を無視したのが残念であります。(注)東大阪文化創造館の駐車場はホールの背後にあり、表からは見えない。
新しいホールができるとホールにマッチした新しいピアノが購入されます。ホールのグレードが高いほどピアノの選定も慎重になり、お金もかかります。東大阪文化創造館では3台のピアノを購入し、そのテスト弾きが公開されたので聴きにいきました。予定では小ホールを使うことになっていましたが、希望者が増えて急遽、大ホールでのテストに変更されました。調律師さんはえらい苦労したのではと察します。
ピアノの選定とテスト演奏は久元祐子さん。なんか聴いたことのある名前やなあ、と思っていたら、神戸市長、久元喜造さんの奥さんでした。試し弾きは誰でも知ってる「トルコ行進曲」など数曲と、モーツアルト「ピアノ協奏曲20番」オケの代わりにピアノが編曲版を演奏します。
見た目にはぜんぜん変わらない三台のピアノが、弾いて見ると、音量や音色でえらい違いがある。ピアノコンクールでスタインウエイがもっともよく選ばれるということがなんとなく納得できるシーンでした。もっとも、ご本人はベーゼンドルファーの愛好家である由。
大ホールへ入ったとたん、わ、そっくりやんかと驚いた。ステージ回りのデザインが西宮の「兵庫県立芸セン」とそっくりさんでした。
新規購入の3台のピアノ。左2台がスタインウエイ(中央が大ホール用のD-274)右がヤマハ。値段は3台で約6000万円。
2階のサイド席はとてもゆったりした空間。しかし、ステージ手前が見えないかも。(当日は立ち入り禁止で確かめられず)
●ここにも「まちライブラリー」ができた
まちライブラリーの発明者?礒井氏の奮闘であちこちに新しいライブラリーができていて、この文化創造館でも蔵書数は少ないながら、9月1日にオープンしました。市民からの寄贈本だけで運営するので、新規開業では本が集まらず、もりのみやライブラリーから1000冊以上がここへ引越しました。駄目男がぜひ陳列してほしいとお願いした「絶対ゆるまないネジ」も早速、棚で見つけました。(著者の経営するハードロック工業が東大阪市にあるからです)
しかし、この「絶対もうからないライブラリー」のシステム、どんな運営方法で維持しているのか、よそもんながら気になります。
なお、東大阪市文化創造館は近鉄八戸ノ里駅から北へ250m。