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□□□子供じぶんの思い出話□□□   作:DH


■その6・・駄菓子のいろいろ
 
(A)ニッキ紙
 
 きょうは駄菓子の話にしよう。最初はアっと驚くニッキ紙。まさか知ってる人は居まいと思うが。これ以下はないほど粗悪な、半ば藁(わら)のような紙に砂糖とニッキで味付けしただけの代物。口の中でシガシガ噛んで甘味が無くなるとペっと吐き出す。これって、もしかすると、チューインガムの元祖じゃないかナ。

ニッキ水  


(B)アイスクリン

 アイスクリームと似ているのは名前だけ。試験管に赤とか黄とか色づけした砂糖水と串を入れてカキ氷で冷やしたもの。冷えて固まったところで試験管から取り出す。欠点は非常に溶けやすいので速く食べないといけない。伯父の家の壁際に「蠅のマラ」という、何ともチンケな名前のオッチャンが屋台を出していて、いつもロハで貰ってた。

アイスクリンに近いレシピでアイスクリームをつくる「ぜー六」
(中央区堺筋本町近く)

アイスクリン


アイスクリン 



(C)ラジオ焼き

 安物の「たこ焼き」である。勿論「たこ」なんて上等な物はなく、入ってるのは削り節の粉と紅ショウガぐらいのもの。それにしても、どこからこんな名がついたのだろう。

ラジオ焼き
 

●参考情報「ラジオ焼き」 Wikipedia から引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E7%84%BC%E3%81%8D

ラジオ焼き(ラヂヲ焼き)は、たこ焼きの元祖であり、スジ肉を具材として丸く焼いた粉もの料理である。球状にくぼんだ鉄板を使用して、小麦粉を主体とする生地と他の具材を入れて丸く焼き上げる。ちょぼ焼き板を使用してカンテキで焼く「ちょぼ焼き器」・「ちょぼ焼きコンロ」という調理器具も使用されていた。

子供のおやつの屋台を中心に、明治〜大正で流行していた。また、昭和8年ごろ、ちょぼ焼きにおでん種として用いられる醤油味の牛スジ肉を入れて売っていたともされ、当時まだ高価でハイカラの象徴だったラジオにあやかってラジオ焼きと呼ばれるようになった。
 後に明石焼きの具をまねてたこを入れたものがたこ焼きとなり、これが大阪で人気となったため、現在においてはたこ焼きの方がポピュラーとなっているが、関西圏のたこ焼き屋ではサブメニューとして供されている店舗が存在する。


たこ焼きの元祖は「会津屋」西成区玉出
ラジオ焼き 会津屋




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■その5・・手作りおもちゃの数々を
 

□竹トンボ

 まずは竹トンボ。長さ12~3センチ 幅2センチぐらいの薄い竹片が材料です。真ん中の2センチ程はそのままにして、右側は手前半分を、左側は外側半分を例の「肥後守」で薄く削り、真ん中には丸い穴をあけ、そこに同じく竹製の心棒を通して、ハイ、出来上がり。心棒を両手で擦って エイヤっと放すと竹トンボは青空高くとまでは行かずとも10メートルぐらいは飛びます。

しかし、これはふつうのトンボで足が付いたままです。「ふたまた」は前半の作業は同じですが、真ん中の穴が一つ目ではなく、サイコロの二の目のようにし、心棒も単なる丸棒ではなく、上の方を刺股状にする。これが一寸難しい。で刺股の先を二つの穴に差し込み、両手で擦る所までは同じだが、エイヤっで放さずに手の中で止めると、心棒は残って 羽根だけが飛んでゆくという、一風変わった トンボです。


材料の竹はどうするかって、そんなもの2~30分も歩いて山の方へ行けばその辺で幾らでも手に入りました。このあたりの山も今ではすっかり開けて住宅や道路になり、子供がうろつくような場所ではなくなりました。たかが竹トンボ。でもこれ、ヘリコプターのハシリではないでしょうか。


竹とんぼ 




□紙鉄砲とスギ鉄砲

 紙鉄砲の材料は片方に節を残した竹の筒で、口径は精々1センチぐらいまで。節から4~5センチの所で筒を輪切りにし、節の方にできるだけ太い心棒を差し込みます。筒の一方に濡れた新聞紙をくしゃくしゃに丸めた玉を詰め、もう一方の方にも同じ玉を詰めてこれを心棒で押し込んでゆくと筒の中の空気が次第に圧搾されて、ある限度に達するとポンと結構大きな音と共に前の紙玉が飛び出すという仕組みです。


スギ鉄砲もぐっとサイズが小さいだけで同じものです。玉は奉安殿(後日説明します)の周りにある直径1~2ミリのスギの実(本当の杉ではないがここではスギにしておきます)で音も小さいので教室内でも使えます。前の席の生徒に向けてポンとやっても撃たれた方も何か当たっ! たようなと感じて首筋に手をやる程度のものです。

紙てっぽう 



□パチンコ

 チンジャラのあれではありません。Y字型の木の枝を切ってきて両端にゴム紐を縛りつけ その反対側にはズボンのベルトから切り取った革を着けて出来上がりです。手ごろな小石などを弾に雀や野良猫などを撃つのですが滅多に当たりません。遊び道具にしてはいささか危険なものだったかもしれません。以上すべて小刀一本で作ったものです。


ぱちんこ






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■その4・・修学旅行
 
初回に書き洩らした修学旅行の行き先は伊勢神宮でした。わが町の お宮さんに比べ随分大きいなと思った以外、殆ど記憶がありません。 泊は二見ケ浦でした。何しろ初めて親許を離れて外泊する餓鬼ンちょ50余人が一つの大部屋に、となれば静かにという方が無理。ただで済む筈もなく、夕食後寝室に引き上げるなり枕の投げ合いです。ワアーワアー キャーキャーと奇声,喚声を張り上げ、自分たちの声でまた一層興奮し、ハイになり、止まる所を知らずです。それでも引率の先生の「ええ加減に静かにせエ」の一声と消灯で昼からの疲れもあって忽ち高鼾です。翌日、夫婦岩を見た後は買い物タイム。名物の生姜板はお土産用。自分用には一寸高いがハリコンデ(奮発して)「菊一文字」の小刀を買いました。誰でも鉛筆削り用として「肥後守」という安物の折り畳み式のナイフは持ってますが、「菊一文字」は鞘に入った上等品で、これを持っているという事だけで他人より一寸偉くなったような気になりました。小刀の使い方についてはいずれ後程。

安い肥後守
道明 




高価な菊一文字
道明 





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DHさんの思い出話は連載で紹介します
□□□子供じぶんの思い出話□□□   作:DH


■その2・・ 初めての勤労奉仕

  昭和12年7月7日 盧溝橋事変が発生 ついで上海事変へと飛び火して「廟行鎮の敵の陣・・江下 北川 作江たち・・」の「爆弾三勇士」となり 日本は まっしぐらに軍国主義に突入してゆきます。わが町からもぼちぼち出征兵士が出始めました。一家の働き頭を取られるので遺された家族は大変です。少しでも それを助けるための勤労奉仕が始まりました。当時の泉州地方は玉葱の主産地でしたから まずはその収穫の手伝いです。乱暴に引き抜くと葉っぱが千切れて玉葱が畠に残る事になり助けるより迷惑を掛ける結果になります。それに強烈な臭いの作物で作業の後 お風呂で幾ら洗っても手に臭いが残って往生しました。


余談ですがホンネとタテマエが違うのは よくある事ですが出征の時ほどその差の大きいケースは他にないでしょう。本人や家族は「名誉な事です」「お国のために頑張って来ます」と表向きは強がっていますが夫婦や親子の生き別れとなるかも知れず、腹の中は 泣きの涙ですし、周囲もメデタイ、メデタイ、万歳 万歳、と煽り立てますが、実態は ああ自分に当たらなくて良かったと、心中密かに安堵の胸を撫で下ろすと言った所でしょう。


出征兵士の見送り風景
道明作文 

■その3・・紀元二千六百年

 昭和15年は紀元2600年に当たります。この紀元(又は皇紀)は神武天皇の即位の年を元年とする日本だけの暦年です。当時は西暦は滅多に使われず、圧倒的に昭和、次いで紀元でした。これだと西暦より660年古くなるので、まだ西洋文明に対する劣等感の強かった当時にあって、歴史だけは西洋より古いんだぞと誇示する意味合いがあったように思います。日支間の戦争が泥沼化して一向に解決のメドがつかず、何となく重苦しくなってきた気分を一層する意味から、丁度キリのいい歳を迎え 国を挙げての祝賀ムードが盛り上げられました。「金鵄輝く日本の・・・紀元は二千六百年・・・」という歌も作られました。小学校でも二千六百年賞という賞が出来、私も成績優秀とあって算盤を賞にいただきました。


小学校の歴史で 王仁(わに)が百済から千字文を持って一二一二とやって来た(1212年)とか、源頼朝が鎌倉に幕府をいっぱいに開いた(1812年)とか教わった年度はこの紀元です。又、有名な零戦もこの年に使われ始めたためのネイミングで それ以前のものは九七式爆撃機と言った具合に使われてました。太平洋戦争の始まったのがその次の年ですから、開戦直後の零戦は出来たてのほやほやの最新鋭機であり、強かったのも当然とうなずけます。


零戦
道明作文 零戦







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DHさんの思い出話は連載で紹介します。

□□□子供じぶんの思い出話□□□   作:DH


■その1・・全国唯一!? 男子小学校

 私が小学校に入った昭和10年当時、私の町(泉南郡佐野町)には第一と第二の二つの小学校しかなく、第一は男子校、第二は女子校でした。ですから私は第一、姉と妹は第二と、姉弟でも別の小学校に通った訳です。今にして思えば非常に変則的な状態ですが、自分の町しか知らない井の中の蛙はこれが当たり前の事と思ってました。この後、旧制中学 旧制高校と進みますが、いずれも男子校のため、遂に共学の経験のないまま社会人になってしまいました。
 又、人口の急増期に当たったのでしょうか、一年の時は1クラス80名余りのクラスが三つという超過密状態で、流石にこれではと二年の時に約60名の4クラスに編成替えになり、一年の時のみ第2組、二年以降は第4組という形で卒業しました。

 私が近視であると分かったのは小学三年の図画の時間。教壇の上の花瓶を写生すべき所、何処にどんな花があるのか、どこが葉っぱかどこが花瓶か良く見えないので、まるで絵になってません。それを見た先生が「お前、近視とちゃうか」と言われて初めて近視である事が分り、眼鏡をかける羽目になるのですが、当時は小学生の近視なんか滅多になく、恐らく全校でも一二名しか居なかったので、みんなから「四ツ目」「四ツ目」とからかわれて、いささか悲しい思いもしました。

佐野町立第一尋常高等小学校卒 修学旅行は伊勢神宮
(註)尋常科6年を卒業後更に2年 高等科に進む事もできました。

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子供じぶんの思い出話
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■初めての家庭菜園     作:YM

 今となっては、昭和何年だったか定かではありませんが、おそらく昭和22年ころ、疎開から大阪の自宅へ帰ったころ、弟も妹もまだ学齢に達していなかったと思います。食べることが一番の課題だった時代です。 家の近くの防空壕跡の広場をご近所さんと小さく区切って、ささやかな畑としていました。ある時、父がトマトの苗を1本、もらって帰ってきました。父と私達子供3人で、毎日毎日お水を自宅から、えっちらおっちらと運んでいました。成長を始めたトマトは、葉をつけ、つるを父が建てた竹に巻き付け、大きくなりました。


私たちは、毎日が新鮮な楽しみで、着ていた服をすっかり濡らして、いそいそ水やりに励みました。おかげで、天候にも恵まれ、まず、やっと一つ実をつけたんです。そして、いよいよ、赤く、まぁるく育ったトマトを食べる時がやってきました。「食べよう!食べよう!」とねだる私たちに、少しでも大きくしたかったんだと思いますが、父は「もう少し、もう少し」と言って、「よし」と言いません。 でも、いよいよ、夕陽が斜めいっぱいに畑のトマトと私達4人を包んだ日、父は「明日取ろう」って、言ってくれました。私たち3人の子供は、飛び上がって喜んで、母に報告しようと走って帰りました。

 お察しの通り、つぎの日トマトを観に行った時、トマトはつるも葉も影も形もありませんでした。その時の父の言葉は記憶にないのですが、ひどい人がいるんだと初めて知りました。その時の心が受けたショックは、今でもよみがえります。 

出身校 大阪市立「玉出小学校」 修学旅行地は「伊勢」メインは伊勢神宮だったように思います。


トマト  


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子供じぶんの思い出話
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■虫追っかけ少年    作:TY

大阪市西成区千本小学校卒 修学旅行先は伊勢神宮  
 校歌のメロディはよく覚えているが、歌詞は頭だけ。「平和の国の元気なよい子」「いつもなんとかかんとか」と続く。戦後を象徴するような歌詞。びんぼうだったけれど、いい時代だった。


おけら
 小学生のころの朝の日課はおけらとり。近くの市営住宅(庭付き平屋一戸建)のまわりに排水溝がつけられていて、そこに土がたまり草が生えていた。その溝におけらが棲んでいた。夏の朝は毎日おけらとり。捕ったら土の入った箱に入れて、いばらく生態を眺めるのが楽しみ。おけらは表情にユーモアがあり、何となくクフフと笑えてくる。これでも直翅類(バッタの仲間)。やわらかな薄茶色の身体は水をよく弾いた。前脚はもぐらとそっくり。

たなかさん 虫 オケラ 

つゆむし
 津守の原っぱにゆくと、かまきりやこおろぎ、精霊ばったなどを捕まえることができた。わたしの好きなつゆむしもいて、二、三匹捕まえてきて、虫かごにイネ科の植物とともにいれ、霧吹き(口に水を含んで)で水をかけると、ジイージイーと鳴く。何となく風流な鳴き声で、キリギリスはいなかったので、つゆむしで満足していた。

ツユムシ 

まめこがね
 わたしの家は西成でも十三間堀川の工場地帯に近いところにあり、長屋が密集。落語の熊さん、八つさんのような人物がたくさんいた。樹がほとんどないので虫が少ない。虫取りのためには阿倍野神社あたりまで出かける必要があった。阿倍野神社にはメタセコイアの巨樹がそびえていて、そばにバラの生垣があった。初夏のころ、そのバラの蔓にまめこがねたちが何百とやってきて、葉をムシャクシャと食べていた。まめこがねは小さいが美しい甲虫。雌の背中に雄が乗り、ゆったりひなたぼっこをしていた。今なら、酒池肉林やんけ、といってしまいそう。

マメコガネ 

ラーホイ
 十三間堀川はどぶ川だが、そこへ流れ込む水路はすこしきれいだったので、夏から秋にかけて、ぎんやんまが飛んできた。胸から腹にかけての水色(雄)が美しいとんぼで、おにやんまがいないので、ぎんやんまが王者である。このぎんやんま、輪ゴムにおもりをつけ、木綿糸で空に飛ばすと、餌と間違えてか、食らいついてきて重りで落下してくる。「ラーホイ、ラーホイ」と叫びながら、この輪ゴムを飛ばすことが子供たちのあいだで大人気。わたしはヘタッピンであった。

ギンヤンマ 





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6月例会 ご案内

イラスト 梅本三郎
雲湧きて 瑞穂の国の 田植ゑかな (芝切志津子)   


6月例会イラスト   


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■童心にかえって動物園見学と「風月」お好み焼き

□5月17日(木) ~雨天の場合18日(金)~
□集合・・・午後2時30分
地下鉄御堂筋線 天王寺駅西改札口出て右手花屋の前
(動物園へは「天芝」を歩いて「天芝ゲート」から入ります)
□入園料500円 市内在住65歳~は無料(要証明)
4時~ごろ「風月」新世界店へ
□動物園見学のみの参加もOKです。 ~小西~

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■奈良女子大コンサートとランチ ~担当 山本~

□5月31日(木)11時15分 近鉄奈良駅東改札口集合
 雨天実行です。
□なつかしい木造校舎でクラシック音楽を楽しみます。
曲目 ブラームス 「雨の歌」
        ラフマニノフ「ヴォカリーズ」
        ヴァイオリン:アダム ミルステイン
         ピアノ:大西ミッシェル麻紗奈

入場無料:約30分の演奏のあと、学食でランチをどうぞ
以後は自由行動です。

コンサートのパンフ
6月例会パンフ 

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■6月 くちまめ例会

□6/14(木)太閤道 約8.6㎞

□集 合:JR高槻駅 9:30

□コース:駅~(バス)磐手橋~金龍寺跡~

馬の背曲がり坂~若山神社~阪急・水無瀬駅着

 *昼食持参のこと

 *7月・8月は休みます

    ~藤家~

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子供じぶんの思い出話
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■大阪大空襲の記憶   作:KY


 私が経験した大阪の大空襲を記憶している限り初めてですが書いてみました。1937年3月生まれの私は8歳で難波にある大阪市立精華小学校に通学していました。両脚にゲートル(脚絆)が上手く巻けず苦労したのを覚えています。


4月に2年生になれば兵庫県丹波周辺に学童疎開する予定で準備していたのですが、1945年(昭和20年)3月13日深夜に大阪大空襲が始まり疎開は中止となりました。B29・274機が大編隊で飛来し、焼夷弾が投下され美しい花火のように空中で分裂しながら落ちてきて壮大なショーが始まりました。父親が勤めていた南区日本橋一丁目3-2の吉田履物店(現在はビルとなっている)に親子3人と父の叔母その他職人数人で住んでいましたが、空襲やと言う声で起こされ、店先から電車通りの向い側の本屋に焼夷弾が落ちて紙が美しく焼けて舞い上がっているのが見えました。


履物店の裏側にある蔵も焼夷弾で火がつき、到底駄目だとのことで避難する事を決意しました。私は父がかねてより用意していた現金を入れたクラッチバッグを抱えて母と叔母と3人で精華小学校へ避難しましたが途中アシベ小劇場前(現在アムザ1000)で焼夷弾が直撃し、5メートル位のところで炎が吹き上り、パニックになり、この辺りで母と離れ離れになり、気が付けば叔母と2人で精華小学校迄必死に逃げて夜が明けるまで校庭で震えていました。余談ですが、焼夷弾は六角柱の鉛筆のような形をしており、8×50cm位の大きさで燃焼材としてナパーム(ゲル化ガソリン)が使用されていました。


3月14日の朝が明けて見ると、精華小学校と高島屋だけが焼け残り、周りの商店街は廃墟となって、独特の焦げ臭い匂いを放つ霧が立ち込め眼が痛かった事を覚えています。朝になって父や母共に再会することが出来て嬉しくて泣きました。その後のことは余り良く覚えていないのですが、南海電車が止まっていたので母の実家が泉佐野にありましたから徒歩で泉佐野に向かいました。道中 岸和田で親切な一家と知り合い一晩か二晩泊めてもらい無事避難することが出来ました。私が必死に守った現金により、一家は飢えることなく無事に暮らすことができました。
 以上が73年経過していて記憶が薄れていてハッキリしない所もありますが、大阪大空襲の私の記憶です。   


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子供じぶんの思い出話
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■母を想うと・・・       作:US

 あれは小学校三年か四年生の頃だったと記憶しております。大阪上本町に住んでおりましたが空襲で焼け出され、奈良県生駒郡のモミジで有名な竜田川の畔に疎開さきの家を見つけて家族六人で暮らしておりました。父は古物商のブローカーで毎日大阪の鶴橋に出かけていました。ある日、母が神妙なおももちで私を仏壇の前に座らせ、仏前に置いてある小さく折りたたまれた二つの紙切れをどちらかを選びなさいと言いました。その前に私は仏壇に置かれている二つの紙切れが気になり一人でコッソリ見たのです、だからためらいもなく一つを選び母に渡しました。そこには「生きる」と書いてありました。そうです、事前に見た私は三、四年ながら子供心にも「死」の文字はコワイと思っていました。片方の紙には「死ぬ」と書いてありました。母も日頃の生活はもちろん色々なことがあって悩みに悩んだ行動だったとおもいます。


この事は七十年ちかくたった今でも兄弟には言っていません。今、書きながら、なぜか泣けてきました。私も亡き母の歳に近づいてまいりました。あの当時はこんな話は世間ではゴロゴロしていたと思いますが、皆その日その日生きるのがせいっぱいでしだ。今より皆さんシブトサがありましたね。あの日、事前にあの紙をみていなかったら今の私は居なかったかもしれません。私の子供の頃の強烈な記憶でした。
 
奈良県生駒郡 斑鳩(いかるが)小学校卒業
修学旅行は 伊勢神宮 


梅本 思い出話イラスト



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●バラ咲く庭でバーベキュー

 雨で一日延期したら晴天微風の最高の行楽日和り。10人が参加してバーベキューを楽しみました。女性誌に紹介されてもいいような、絵になる美しい庭でグルメ三昧のひとときでした。オーナーMさんと早くから準備を手伝って下さったYさん、Tさんに感謝。(4月26日)

南さんバーベキュー



南 



南 



南 



南 おわり 







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●新しいデザインのトートバッグ販売

 一年まえに猫のイラストがあるトートバッグを案内しましたが、このたび写真のような楽しいイラストで二代目のバッグができました。値段は前回とおなじで800円です。購入希望の方は梅本さんへ申し込んで下さい。


猫のバッグ






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●5月例会 ご案内

 イラスト 梅本三郎
 青春81シリーズ  「宿につくまで 旅は道草」


4月例会


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■南さん宅でバーベキュー(日程は4月に繰り上げ)
                        
「バーベキューパーティー」 担当 山本、辻、南

 のらくろ会25周年も記念した標記行事が雨で中止でした。再度山本さん、
辻さんの協力を得て以下のように計画しました。今春は気温が例年より高く、つるバラなどの開花も早くなりそうなので時期を前倒しにしました。

日時:4月25日(水)雨天中止
場所:南宅庭
集合:山陽電車板宿駅改札口 12時30分
参考ダイヤ 阪神梅田発特急 11時40分  板宿着 12時29分             
定員:申し込み先着順10名 南まで
費用:材料費割り勘 2,000円程度?

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■くちまめ 5月例会
 5月10日(木) プランは追ってメールでお知らせします。

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■童心にかえって動物園見学・・と「風月」お好み焼き

□5月17日(木) ~雨天の場合18日(金)~
□集合・・・午後2時30分
地下鉄御堂筋線 天王寺駅西改札口出て右手花屋の前
(動物園へは「天芝」を歩いて「天芝ゲート」から入ります)
□入園料500円 市内在住65歳~は無料(要証明)
4時~ごろ「風月」新世界店へ
□動物園見学のみの参加もOKです。

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●4月例会 レポート 

□夙川~広田神社 お花見ウオーキング ~担当 南さん~

 夙川の桜並木は概ね葉桜でしたが、午後に訪ねた臨時公開の浄水場では八重桜などが満開でした。想定外の見ものは広田神社境内の「コバノミツバツツジ」ちょうど満開で、こんなにたくさんの群落を見るのははじめて。紫がかったピンクの花びらがなんともエレガントでゴージャス。みなさん大満足でした。環境の悪化で衰退が続いていたのを見て保存会が発足、丹精の結果、見事に蘇り、今後も植栽を続けるそうです。(4月4日)


貯水池から見た甲山(右手)池の向こうの森の大半は松下幸之助旧邸の敷地。
4月 


震災記念碑公園の犠牲者の銘板
4月


広田神社鳥居
4月


満開のコバノミツバツツジ
4月


4月



南さんのスケッチ
4月 




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●桜満開、人も満開 ~3月例会レポート~

 お花見日和としてはこれ以上がないと言える快晴、微風のなか、JR桜宮駅から大川端を散歩して大阪城へ。平日なのにえらい人出で驚いたのですが、人出の半分くらいはインバウンドみたい。特に大阪城は7割くらいが外国人だと思われました。昨年、大阪を訪れた外国人は1111万人。一日に3万人が来た勘定です。大阪城へも数千人は来るでせうから混雑は当然です。満開の桜を愛でることができ、よい思い出になったと思います。(3月30日)担当 小西


南さんのスケッチ「源八橋からの大川の眺め」
花見例会2018


クルーズ船も屋根をはずして観光
花見


藤田邸庭園にて
花見


大川端の桜のトンネル
花見


桃と桜を同時に愛でることができました。
花見  






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4月例会 ご案内
イラスト 梅本三郎

~青春81きっぷシリーズ~
小さな改札をくぐれば 大きな旅のはじまりだ
イラスト 4月号2018

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■桃見物 3月30日(金)~担当 小西~
JR桜宮駅西改札口 11時集合 弁当持参要

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■お花見ウオーク   ~担当 南さん~
 夙川駅から西宮北口駅へ  約5Km
  いくつかのお花見ポイントをめぐるウオーキングです
★ 日時:4月4日(水) 雨天中止
★ 集合:10時30分 阪急夙川駅南改札口 
★ コース:夙川駅~苦楽園口~二テコ池~震災記念碑公園(ランチ)
~越水浄水場~広田神社~新池~総合運動場~西宮北口駅
一部アップダウンありますがほぼ平坦路、疲れた方は広田神社前から
最寄鉄道駅までバスの便もあり
★要弁当持参

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■くちまめ例会 ~3月プランと同じです~
4月12日(木)とんちロード探し 約8.5KM
★集合:JR片町線 京田辺駅 9:30
★コース:駅~とんちロード~一休寺~花見山公園
~玉木橋~玉水駅着
★昼食持参のこと
*大学学内で一服できればいいんですが~

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●2月例会レポート

梅見物「日本民家集落博物館」 (2月28日)

 穏やかな晴天に恵まれ、まだ三分咲きの梅をめでながら散策しました。茅葺きの民家と梅の花という取り合わせは向井潤吉の世界、郷愁感満点の風景です。満開は10日ごろになりそう。しばしノスタルジーに浸りたい人はお運び下さい。(入館料500円・月曜日休み)


「敦賀の民家」では雛飾りも見られます。
梅 


梅


南さんのスケッチ
梅


お孫さん、璃奈 ちゃんが描いた飛騨白川の民家
梅 





犬町・猫町情報



●3月例会 ご案内
 
イラスト 梅本三郎


3月イラスト 

 
大阪のおばさんも 一人になればみなマジメ

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■くちまめ例会

3月8日(木)とんちロード探し 約8.5KM
集合:JR片町線 京田辺駅 9:30
コース:駅~とんちロード~一休寺~花見山公園
~玉木橋~玉水駅着

*昼食持参のこと
*大学学内で一服できればいいんですが~
*次回 4月12日予定

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■大阪城公園 桃園見物
 昨年は鶴見緑地公園へ「あんず」見物に出かけましたが、
同じ時期、今回は桃の花見物コースを企画しました。
■3月30日(金) 雨天中止
■集合・・・11:00分
JR環状線 桜宮駅 西改札口(天満・大阪駅寄り)集合
■コース・・桜宮駅~藤田邸庭園(昼食・T)~京橋わたって
大阪城公園~桃園~大阪城天守閣~ミライザ(コーヒータイム・希望者のみ)
当地で解散 徒歩4キロ アップダウン30m
■弁当・・・持参要(桜宮駅前にコンビニあり)
■その他・・藤田邸庭園にも少し桃があります。

大阪城桃園
3月イラスト

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■2月例会について一部変更のお知らせ
(1)昼食地の日本民家集落博物館敷地は火気禁止なので、
コーヒータイムは別の場所になります。水は現地調達できます。
(小さい空Pボトルあれば持参下さい)
(2)予定していた「緑化植物園」見学は取りやめます。

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★ナンキンハゼ植えませんか
 種をたくさん頂きました。種と土と植木鉢代わりの
ヨーグルト容器をさしあげますのでご希望の方は26日
までにお知らせ下さい。2月例会でお渡しします。
(郵送とかはできません)
(28日雨天の場合は3月2日に延期)   ~以上~

犬町・猫町情報


2月例会レポート
   ~大阪教育大学柏原キャンパス散歩~

 寒波がつづくなか、運良く穏やかな晴天に恵まれました。近鉄大阪線の「大阪教育大前」駅からキャンパス行きの専用歩道があり、急坂の部分三カ所はエスカレータのサービスがあるので楽に歩けます。敷地の奥の方に食堂などのサービス施設があって学生さんに混じって昼食をとりました。人気のバイキングは量り売りで、400~600円くらいで十分ボリュウムのある献立になります。


食後は敷地外の細道をたどって寺山方面への斜面を登り、大阪方面の展望を楽しみました。かえり道はエスカレータなし(上り専用です)。曲折の多い階段を下ること330段、下りの方がしんどいキャンパスロードでした。(駅前からバスの運行もあります) 過去に「大阪大学」「京都大学」「関西学院」「同志社大学」へ観光入学しているので、今回で五校目です。しかし、身についたのは「学歴」ではなく「楽歴」だけでした。(2月16日 担当 田中さん)


通学路にエスカレータは珍しい

教育大学



キャンパスへ入っても階段が多い
大学 



標準的な学食風景です。
大学 



バイキングスタイルのランチ これで400円くらい。
大学 



二上山をバックに記念写真
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●平昌五輪「獲得メダル数当てクイズ」ご案内

 政治利用やりまくり、何かと雑音の多い大会ですが、それはさておき、日本は何個のメダルを獲得するか、予想して下さい。前回、ソチ大会は8個でした。

■金、銀、銅メダルの総数を予想、応募して下さい。
 アタリの方に記念切手シートをプレゼントします。
■同点1位の場合、受信日付、時刻の早い人が勝ちです。
■正解がない場合、一番近い数を当選にします。
■送信後の答えの変更はできません。
■〆切りは2月15日夜です。

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■このメールの返信モードで応募して下さい。

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●展覧会 ご案内

 南さんが所属する「須磨 火曜スケッチの会」の作品展が催されます。会場は昨年と同じところです。お近くの方はどうぞ・・。
■2月15日(木)~20日(火)
■午前10時~午後6時(詳細は下のチラシをご覧下さい)
■会場・・こうべまちづくり会館(元町通り)


南さん作品展チラシ