熊野古道(中辺路)を歩く ツアーメモNo,2
●熊野古道 その成り立ちを知る (第2回は不参加=国道沿いコースがまだまだ続きそうだし 身辺多忙なので横着勝手ながらパスしました) 第3回熊野古道ウォークバスツアーは 稲葉根王子から滝尻王子12.3キロ日帰りの行程です 2006年11月29日7時30分 夫婦でバスに乗り込みました
「私は歩かせの名人といわれてますから今日は安心して歩いてください」と言う語り部さん(道上洋三さんのような感じ)に従って出発!――富田川に沿った国道脇の歩道をすたすた歩き始めました その昔 この周辺の村々田畑・森の社までが大洪水に流され現在の地形は 当時と全く変わってしまっているそうです その話が本当とはとても思えないような 悠々と大きく蛇行する清流 白く光る川原 穏やかな大景観が橋を渡るたびに右に左に展開します 爽やかな眺めが続いたので暗い古道イメージを忘れていましたがやがて山道へかかり 急な凸凹の登り道をたどります
ひとやま越える頂きで小休止―そして急な下り坂に ひんやり薄暗い森の底のような細道をぞろぞろ落ち葉を踏みしめ 石ころをよけ滑らないように気配りして 歩き続けました 次第に「これぞ熊野古道」といった感じになってきました
語り部さんが所々で立ち止まり まめに碑や植物の解説をしてくれます 王子社の曰く来歴なども難しい漢字言葉でたどたどしく述べてくれましたが 誰もが聞き流してる様子で 私もさっぱりわからへん???質問すらできません でも 熊野古道の始まりやその歴史は いま最も知りたいことです もう少し調べて来れば良かったと悔やまれました
後日 たまたま読んだ文庫本でそれが判りました! 池宮彰一朗著 小説「平家(一)角川文庫刊」に熊野古道と王子社の成り立ちが 品格ある文章で判りやすく説明されていたのです
以下にその一部をご紹介します (作者・出版社にお断りなしで掲載 お許し下さい ここからの引用は厳禁します) 池宮彰一郎著「平家(一)」角川文庫刊」より抜粋
「―紀伊半島は、わが国最大の半島である。その基底部の大和平野を除外すると過半が重畳たる山岳が聳立し、鬱蒼たる森林に覆れ、人煙稀な地であった。 半島の南半のほぼ中央に熊野三山という社寺がある。熊野本宮大社、熊野速玉大社、それに那智の大滝で知られる熊野那智大社である。その縁起は遥かに遠く、神代に遡る。」(以下中略)
「―熊野信仰が天皇家と結びつき、決定的な信仰を得るようになったのは、平安朝前期の宇多法皇が自ら熊野詣でを行ったことに始まる。 当時藤原氏の専横に苦しめられた法皇は先祖の霊験によって打開しようと、ゆかりの熊野に詣でられた。その苦行は想像に余りある。それより約百年を経て花山法皇も一度、熊野に御幸された。 更に約百年の後、朝廷政治の刷新を志した白河上皇は、生涯に十二度、熊野御幸を成し遂げられた。 続いて鳥羽上皇は二十三度、崇徳上皇は一度、後白河上皇にいたっては、実に二十三度(二十七度との説もあり)という、歴代天皇家の中で最多の御幸を挙行している。」 (以下中略)
「―熊野三山では、参詣者の便宜のため、熊野街道に末社を創建した。熊野権現の御子神を祀る神社はその数九十九、熊野九十九王子と呼ばれる。 因みに、九十九は多数の意味で実際の数ではないという。更に、その百社目は現在京都市左京区に在る若王子神社で、熊野信仰に篤い後白河上皇が、熊野三所権現(熊野三山)を勧請した際、那智の分社として建立したもの、」(以下中略)
「―熊野街道は、窪津王子社が最初の社である。王子社はそれぞれに簡易な宿泊施設を持った。但しそれは後年の旅籠と同様、飲食を供さない。人や馬の飲食はすべて自弁である。 宇多天皇の頃から熊野御幸が始まると、京の貴顕は争って熊野詣でを行うようになった。 そうなると、参詣者は個人ではなくなり,供揃えを調えて旅をする。飲食自弁であるから食料や飼葉、嗜好品から食器まで持参しなければならない。その荷運びもたいへんなものであった。 当然、小規模な末社(王子社)の簡易宿泊施設では、用に足りない。そこで九十九王子社のうち、要所にある王子社の社格を上げ、多人数の用にたる宿泊施設を設けた。これらの王子社(藤白=藤代、切目=切部、稲葉根、滝尻、発心門 ) 五社を、特に五体王子と呼称した。」 (以下略)
小説家というのは 何でも丹念に良く調べぬきイメージを大きく膨らませ 臨場感豊かなドラマを実に多彩に見事に展開されるものだと感心します なんと脚本家から67歳で小説家を志し 斬新な歴史認識で人気作家として活躍された 池宮彰一郎さんは 平成19年5月6日 誠に残念なことに肺がんでご逝去されました (享年83歳)ご冥福をお祈り致します
私は 悲しく哀れな軟弱平氏の物語はあまり好きではないのですが この文庫本は次男のプレゼントなので 折角だから読んでみたのです ところが読み進むうちに 平相国清盛や後白河法皇の悪いイメージが随分変わってしまいました また 私がよく知らない藤原氏の貴族文化や平安末期から鎌倉期へ移行時代の複雑な歴史に少し興味が湧いてきたのです 池宮文学の魅力に圧倒された所為だと思います 熊野古道に話を戻しましょう―道も宿所も整備されていない時代に 白河上皇12回 鳥羽上皇23回 後白河上皇23(27回)京の都から難波の地を抜けて遥々熊野路ヘ参詣されたとか!! 敬虔な信仰心からとはいえ いにしえの貴人達はよくもまあこんな山坂で重い輿を担がせ 大行列を仕立てて何日もかけ 参詣したものだと驚きあきれ 正直のところ信じられない気持ちがいつまでも拭えません 私が歩く古道は 古人達の何十分の一・・・本当に罰当たりなことです
この日は 五体王子のひとつ稲葉根王子社に始まり“歩かせ名人”から「次はもっとお楽しみ・・」と上手く誘導されて 次々解説を聞きながら 一ノ瀬王子、鮎川王子、住吉神社、のごし橋、清姫の墓を経て滝尻王子社に到着しました 言葉通りの見事な先導で予定時刻より早くゴールし 帰路のバスに・・・・早や眠っておりました 熊野古道ムードにたっぷり浸った一日でした
写真説明 聳え立つ大樹の下で説明を聞く(住吉神社 鮎川王子第三社殿)

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