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お知らせ・ニュース


●ブログ<快道ウオーキング>・・なんとか、5年続きました

 「せめてなりたや、ヒマつぶしの達人」とうたって2007年にスタート。未だ達人にはほど遠いものの、店じまいせずに済んだのは、皆様方の訪問あればこそ、厚く御礼申し上げます。


どなたが発明したのか存じませんが、ブログは、気軽に取り組め、お金もかからない、とても優れた表現ツールだと、今さらながら思います。天下国家を思う志の高い人から、自分のように「オジンのおもちゃ」感覚で使う者まで、玉石混淆が許されるのも助かります。


あと何年続けられるか分かりませんが、そこそこ健康で、かつ、飽きなければ、駄文を書き続ける所存です。この5周年を機に、支離滅裂な内容を整理、再構成することも考えました。しかし、ひょっとしたら、もう読者のほうで慣れてしまってるかも(おい、コラ!)と、勝手に決めて取りやめました。
 昨日も今日も、役に立たない情報ばかりですが、皆様のヒマつぶしの一助になれば幸いです。 なお、今日から背景のデザインを変えました。

              管理人・・快道メーカー or  丸出駄目男

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あじさい 

あとりえじじさんの部屋


お待たせ・・・あとりえじじさんの

  「熊野古道」ツアーレポート、一挙掲載します


旧掲示板で紹介した<あとりえじじ>さんの熊野古道レポートは、好評をいただきながら第2編で中断していましたが、その後、猛暑のなかローコツに鞭打って続編を書いていただき、ようやく完結しましたので、全編一挙公開します。(7編+あとがき)
牛に引かれて善光寺詣り、ならぬ、女房に引かれて熊野詣り。首尾良く完歩できたのでしょうか?


●通常の投稿順掲載と違って、このレポートのみ「過去順」に掲載しますので、上からすいすい読めます。
●最後の「あとがき」ページのコメント欄をオープンにしておきますので、感想など書き込んで下さい。「快道お休み処」への投稿でもけっこうです。

●このページはカテゴリー「あとりえじじさんの部屋」に収納します。

あとりえじじさんの部屋


熊野古道(中辺路)を歩く                   あとりえじじ
                    
参考・・熊野古道中辺路コースの全行程
第1回 9月25日 梅の南部から紀伊田辺(歩行11.9キロ日帰り)
第2回 10月25日 紀伊田辺から稲葉根王子(歩行12キロ 不参加)
第3回 11月29日 稲葉根王子から滝尻王子(歩行12.3キロ日帰り)
第4回 12月20日 滝尻王子から高原霧の里(歩行4キロ日帰り)
第5回 1月24日 高原霧の里から牛馬童子口(歩行8キロ日帰り)
第6回 2月21日 牛馬童子口から小広王子(歩行8.5キロ日帰り)
第7回 3月26日 小広王子から発心門王子(歩行11キロ勝浦温泉                                 泊)     
       27日 熊野那智大社 那智の滝 熊野速玉大社に参拝後 
           発心門王子から熊野本宮大社(歩行7キロ)


熊野古道(中辺路)を歩く ツアーメモNo,1
 

●全く予備知識無しで ツアーバスに乗り込む・・ 
2006年9月25日 夫婦で第1回熊野古道ウォークバスツアーに参加しました
「梅の南部から紀伊田辺 11.9キロ 日帰り」という行程です 
午前7時30分 枚方バスターミナルに集合・・今からどこへ向かうのか?あらかじめ家内から行程説明を聞かないまま 全く予備知識なくバスに乗り込みました
 
車内は 既に中高年のご婦人方が多数着席されていて 男性はちらほら・・・・一瞬たじろぎながら指定の席へ 窓側を家内にして座りこみました   
私自身とうに還暦を過ぎて結構な年齢になっているのですが かくも多くの高齢同輩の方々の中に入るとなぜか違和感があって自分は別モノのように感じてしまいます 
家内はこういうツアーに何度も参加しているから泰然と落ち着いたものであります


世界遺産や熊野古道はマスコミで何かと話題になっていますが 今迄私は特に興味を持つことも その重要性も感じておりませんでした 
ところが最近事情が変わってきたのです
 
退職後2年 顔突き合せて過ごす日々が増えている家内とうまくやっていくためには 「共通の話題づくりの努力が必須条項かも?・・」と考えていた矢先 声をかけてきた彼女のウォーキング趣味に付き合ってみたというわけです
 
同乗の方々は 家内も含めて「ウォーキングの通」といった雰囲気で ファッションもそれぞれ確り出来ております 不謹慎にも私は着古しのゴルフウェア姿で添乗員から手渡されたパンフレットを見て「そうか・・熊野古道は世界遺産やったんやな――」と改めて思いながら 初めて本日のコース説明を読んでいました
 
もともと地理には暗いので 行程地図や地名を見てもぴんと来ません 
「芳養王子?出立王子?王子って誰のことや??」地名が人名のように感じてしまって戸惑います 道中のいわば休憩所ともなった「社」のことを「王子」と呼ぶようですが直ぐには納得できず 王子の呼び名になれるまでにしばらく時間がかかりました

●語り部さんの話は上の空で のんびり歩く 
熊野古道の何たるか?を良く理解しないまま歩き出したこの日は 天高き秋日和!
総勢20人余の一行は 大小の車が走り抜ける国道脇の小道をぞろぞろスタスタと結構早足で進んでいきました 程なく鹿島神社というところに到着しました 
語り部さんは細面の女性で声が小さいために 一行の後方にいると説明が良く聞こえません 「ま いいか」と周囲をきょろきょろ・・・小奇麗によく整備されたお社です 
神馬のブロンズ像が凛々しく印象的でした


さらに海岸沿いを歩いて どこやら堤防横にある体育館グランド前の広場でランチタイムとなりました
「高菜のメハリ寿司 鮎の塩焼き 蜜柑 お茶ペットボトル」のセット 簡素でしたが晴天下 潮の微風を受けて食べてみると 結構うまかったです 持参した缶ビールは家内が顔をしかめるので 遠慮がちにこっそり飲みました「カンロカンロ♪」
同行のみなさんが ここで誰も飲まれていないのが不思議です
昼食後 海岸沿いをさらに行くと有名な天神崎のパノラマ風景が広がってきました
 
環境保護に詳しくない私には特に感動はありません 
この日は もっぱら国道沿いの舗装された小道ウォークが多く楽々の行程・・・・私が特に興味をひく風景に出くわすこともなく 家内に話を仕掛けてみてもいまいち盛り上がらず 同行のみなさんは飲まない方ばかりだし・・・ま しょうがない・・・一人ひそかに缶ビールを飲みながら歩いていました


ゴールの高山寺に到着する頃には早や暮色が濃くなり 周囲の山々は頂上辺が夕日に赤く照り映えとても明るくなっているのに山裾から川や街道の家々は暗く沈みこみ
すっかり夜の世界に―――その対比が異様で面白い光景でしたが ゆっくり眺めてる時間のゆとりはありません あわてて帰阪バスに乗り込むとたちまち心地よい疲れで眠ってしまいました

写真説明  天神崎の海を眺める一行

辻谷1

あとりえじじさんの部屋


熊野古道(中辺路)を歩く 
ツアーメモNo,2


●熊野古道 その成り立ちを知る
(第2回は不参加=国道沿いコースがまだまだ続きそうだし 身辺多忙なので横着勝手ながらパスしました)
 
第3回熊野古道ウォークバスツアーは 稲葉根王子から滝尻王子12.3キロ日帰りの行程です 2006年11月29日7時30分 夫婦でバスに乗り込みました 


「私は歩かせの名人といわれてますから今日は安心して歩いてください」と言う語り部さん(道上洋三さんのような感じ)に従って出発!――富田川に沿った国道脇の歩道をすたすた歩き始めました 
その昔 この周辺の村々田畑・森の社までが大洪水に流され現在の地形は 当時と全く変わってしまっているそうです その話が本当とはとても思えないような 悠々と大きく蛇行する清流 白く光る川原 穏やかな大景観が橋を渡るたびに右に左に展開します 爽やかな眺めが続いたので暗い古道イメージを忘れていましたがやがて山道へかかり 急な凸凹の登り道をたどります 

ひとやま越える頂きで小休止―そして急な下り坂に ひんやり薄暗い森の底のような細道をぞろぞろ落ち葉を踏みしめ 石ころをよけ滑らないように気配りして 歩き続けました 
次第に「これぞ熊野古道」といった感じになってきました


語り部さんが所々で立ち止まり まめに碑や植物の解説をしてくれます 王子社の曰く来歴なども難しい漢字言葉でたどたどしく述べてくれましたが 誰もが聞き流してる様子で 私もさっぱりわからへん???質問すらできません でも 熊野古道の始まりやその歴史は いま最も知りたいことです もう少し調べて来れば良かったと悔やまれました


後日 たまたま読んだ文庫本でそれが判りました!
池宮彰一朗著 小説「平家(一)角川文庫刊」に熊野古道と王子社の成り立ちが 品格ある文章で判りやすく説明されていたのです 



以下にその一部をご紹介します
(作者・出版社にお断りなしで掲載 お許し下さい ここからの引用は厳禁します)
 
池宮彰一郎著「平家(一)」角川文庫刊」より抜粋


「―紀伊半島は、わが国最大の半島である。その基底部の大和平野を除外すると過半が重畳たる山岳が聳立し、鬱蒼たる森林に覆れ、人煙稀な地であった。
半島の南半のほぼ中央に熊野三山という社寺がある。熊野本宮大社、熊野速玉大社、それに那智の大滝で知られる熊野那智大社である。その縁起は遥かに遠く、神代に遡る。」(以下中略)


「―熊野信仰が天皇家と結びつき、決定的な信仰を得るようになったのは、平安朝前期の宇多法皇が自ら熊野詣でを行ったことに始まる。 当時藤原氏の専横に苦しめられた法皇は先祖の霊験によって打開しようと、ゆかりの熊野に詣でられた。その苦行は想像に余りある。それより約百年を経て花山法皇も一度、熊野に御幸された。
更に約百年の後、朝廷政治の刷新を志した白河上皇は、生涯に十二度、熊野御幸を成し遂げられた。 続いて鳥羽上皇は二十三度、崇徳上皇は一度、後白河上皇にいたっては、実に二十三度(二十七度との説もあり)という、歴代天皇家の中で最多の御幸を挙行している。」
(以下中略)


「―熊野三山では、参詣者の便宜のため、熊野街道に末社を創建した。熊野権現の御子神を祀る神社はその数九十九、熊野九十九王子と呼ばれる。
 因みに、九十九は多数の意味で実際の数ではないという。更に、その百社目は現在京都市左京区に在る若王子神社で、熊野信仰に篤い後白河上皇が、熊野三所権現(熊野三山)を勧請した際、那智の分社として建立したもの、」(以下中略)


「―熊野街道は、窪津王子社が最初の社である。王子社はそれぞれに簡易な宿泊施設を持った。但しそれは後年の旅籠と同様、飲食を供さない。人や馬の飲食はすべて自弁である。 宇多天皇の頃から熊野御幸が始まると、京の貴顕は争って熊野詣でを行うようになった。 そうなると、参詣者は個人ではなくなり,供揃えを調えて旅をする。飲食自弁であるから食料や飼葉、嗜好品から食器まで持参しなければならない。その荷運びもたいへんなものであった。
 当然、小規模な末社(王子社)の簡易宿泊施設では、用に足りない。そこで九十九王子社のうち、要所にある王子社の社格を上げ、多人数の用にたる宿泊施設を設けた。これらの王子社(藤白=藤代、切目=切部、稲葉根、滝尻、発心門 ) 五社を、特に五体王子と呼称した。」 (以下略)


小説家というのは 何でも丹念に良く調べぬきイメージを大きく膨らませ 臨場感豊かなドラマを実に多彩に見事に展開されるものだと感心します 
なんと脚本家から67歳で小説家を志し 斬新な歴史認識で人気作家として活躍された 池宮彰一郎さんは 平成19年5月6日 誠に残念なことに肺がんでご逝去されました (享年83歳)ご冥福をお祈り致します


私は 悲しく哀れな軟弱平氏の物語はあまり好きではないのですが この文庫本は次男のプレゼントなので 折角だから読んでみたのです ところが読み進むうちに 平相国清盛や後白河法皇の悪いイメージが随分変わってしまいました 
また 私がよく知らない藤原氏の貴族文化や平安末期から鎌倉期へ移行時代の複雑な歴史に少し興味が湧いてきたのです 池宮文学の魅力に圧倒された所為だと思います
 
 熊野古道に話を戻しましょう―道も宿所も整備されていない時代に 白河上皇12回 鳥羽上皇23回 後白河上皇23(27回)京の都から難波の地を抜けて遥々熊野路ヘ参詣されたとか!! 敬虔な信仰心からとはいえ いにしえの貴人達はよくもまあこんな山坂で重い輿を担がせ 大行列を仕立てて何日もかけ 参詣したものだと驚きあきれ 正直のところ信じられない気持ちがいつまでも拭えません 
私が歩く古道は 古人達の何十分の一・・・本当に罰当たりなことです


この日は 五体王子のひとつ稲葉根王子社に始まり“歩かせ名人”から「次はもっとお楽しみ・・」と上手く誘導されて 次々解説を聞きながら 一ノ瀬王子、鮎川王子、住吉神社、のごし橋、清姫の墓を経て滝尻王子社に到着しました 
言葉通りの見事な先導で予定時刻より早くゴールし 帰路のバスに・・・・早や眠っておりました 熊野古道ムードにたっぷり浸った一日でした  


写真説明  聳え立つ大樹の下で説明を聞く(住吉神社 鮎川王子第三社殿)
 
辻谷2

あとりえじじさんの部屋


熊野古道(中辺路)を歩く ツアーメモNo,3
  


● 押印帳に導かれ いよいよ神域の古道に
第4回熊野古道ウォークバスツアーは 滝尻王子から高原霧の里へ 約4キロ日帰りの行程です 2006年12月20日7時30分 先乗者と会釈を交わしバスに乗りこみました
我れら夫婦は並んで座ってからも無言ですが 車中のご婦人方は発車前からずっと会話がとどまる事無く(お喋り内容はしかと聞き取れませんが)道中は大変賑やかであります
  
出発地点までの距離がだんだん遠くなってきました 枚方から4時間余りバスに乗り続け熊野古道館で降りて 先ずは昼食――初回のメニューはシンプル「わっぱ寿司」でしたが 第3回目から箱入り弁当味噌汁付となりました おかずにローカル色があり味も上々です
 
食後まもなく出発――今日の語り部さんは笑福亭松鶴師匠のようなイカツイおっちゃん風のユーモラスな方で 地元色濃い物言いで 古道ウォークのいろいろな話をしてくれます 
「熊野古道押印帳」を使い 滝尻王子から本宮までの記念押印をするよう勧められました 
なるほどこれはうまく考えられた仕掛けです “押印帳 一部100円”という安価なのも 心にくいですが 王子社ごとに備えられたスタンプを押して行くと次第に目的地に近づく達成感が味わえ 歩き続ける励みになります いよいよここから本格的「熊野権現さんの神域に入って行くのだ 熊野古道の本番が始まるのだ」と一寸緊張?させてくれます 


「今日はえらい歩行距離が短いねんな?」と不審に思いながら歩き始めて 直ぐその訳が判りました コースがいきなり胸突き八丁のような坂道になりゴロゴロ石の荒れた崖道を登り続けます 距離が短くても他日のコースと比べて 相当しんどいのです

語り部さんが度々立ち止まり休憩を取ってくれるので 私はきつく感じませんが 年配で太り気味の方はかなりしんどそう・・・途中にある「胎内くぐり」は 衣服が汚れるのでと 時間の関係もあるのか敬遠――-「乳岩」秀ひら伝説を聞き「不寝王子跡」を過ぎ 500mごとの道標を確かめながら ひたすら登る登る登る・・・これはきつい! 
出発した休憩所で 無償の竹杖をなんとなく借りてきたのが大変重宝しました 


● ウォーキング杖の威力
「杖が欲しい」とかねがね家内が言ってましたが 私は「そんな年令でもないしまだまだいらんやろ…」と高をくくっていたのです しかしこの時ばかりは登りが平気でも 下りの段差ショックにたちまち膝がいかれてしまうところを 竹杖で本当に助かりました 

何人かの方々は自分専用の携帯杖を持って歩いておられます L型グリップが多いですがチエックのグリーンシャツを着た背の高い方はウォーキング用I型グリップの杖をついて 先へ先へと登っています ちょっとヘンリーフォンダに似たおしゃれなじいさんで 彼の持つカメラは堂々たるデジタル一眼! 被写体はお連れの方よりもっぱら風景や石碑などに興味を示しボディを確り構えて撮影していました ウォーキングもベテランのようです
 
黙々と登り続けていましたが しばらくすると行列の間隔がまばらになってきました 
立ち止まった語り部さんが遅れている方々に声をかけてます 
「ろっこんしょうじょう!もうちょっとですよー」


私は登り坂があまり苦にならないのでどんどん先に進みました フォンダ氏もぐんぐんと先に行ってます 高い樹木で薄暗く覆われていた雑木林の木々がまばらになり見晴らしがよくなってきました 頂上の展望台に着き一寸休憩――ビールが欲しい・・けど 2~3缶携行すると結構重いし 同行者は誰も飲まれないので 今日は遠慮して持参していません 


●高原の心地よい風とともに歩く
次は下りの山道 膝の弱い私は 竹杖をつっかえ棒にしながら不揃いな石段も楽に下れました 景観が開けた「ヤッホーポイント」を過ぎ 眼病にご利益がある「針地蔵尊」を経て 「テレビ塔下」でしばし休憩――

次に尾根道を行く途中で語り部さんが立ち止まり「あの大きな家がありますやろ・・今 朝ドラの“芋たこなんきん”に出てはる外人さん
E・ハンソンのお宅です“あんまり言わんといてくれ”と言われてますが・・」と 向側の山の中腹を指差しました 言ってはいけないと言いながらも 得意げに何度か繰り返していました 私も先日テレビでその人が「幼い頃暮らしたインドと この紀伊の山地風景が良く似ているのでここに居を定めた」と語っているのを見ましたので親しみが湧きます


 高い木々が途切れて山中の人里らしい風景になってきました 家がちらほら並ぶ舗装道を歩いていくと楠の巨樹が茂る「高原熊野神社」に到着しました 
周辺に巨木が林立するなだらかな石畳の参道から境内に入ると 中辺路最古の建物といわれる春日造り社殿が寂静泰然とおわします 先ずはおもむろに参拝をしてから みなさんの列に並んで この日3つ目のスタンプを押しました 更に少し歩いて この日のゴール棚田の眺めと果無の山並みが展望できる「高原霧の里休憩所」に到着しました
  
暮色の国道を走る帰路のバスで 缶ビールの代わりにリュックの底に忍ばせてきたポケットウイスキーを早速一口・・・Oh!カンロカンロ!格別のうまさ!酔いがマワルのも早い!枚方までぐっすり眠り込みました 


写真説明  「ろっこんしょうじょう!もうちょっとですよ!」
後続の一行に声をかける語り部さん

辻谷3

あとりえじじさんの部屋


熊野古道(中辺路)を歩く ツアーメモNo,4


●健康講義を受けながらスタート地点へ
第5回 熊野古道ウォークバスツアーは、高原霧の里から牛馬童子口までの約8キロ、日帰りの行程です。2007年1月24日(水)7時40分、夫婦でバスに乗りこみました。


今回の添乗員は、元お医者さんだったそうで、とてもユニークな方です。
阪大病院で長年勤務していたけれども、外来診断はやらない裏方的病理学?専門医だったので、開業医への転進をあきらめたとか・・・「私のバスに乗ったら、車中で眠らせません。私の健康講義を聞いていただきます――」ではじまった健康講義は、実にわかりやすくて血液の循環と身体の仕組み・ウォーキングと節制生活の大切さを見事な語り口で、解き明かしてくれます。最初は半信半疑で聞いていましたが、次第に納得…健康づくりに正しく歩くことの大切さが理解できて ついには“歩く信仰心”のような心持が湧いてきました。


講義の要旨――人間の血液は心臓のポンプ活動で身体中をくまなくめぐり、全身の細胞を活発に働かせている。血液の循環が停滞するとたちまち健康が損なわれる。血液を全身に行き渡らせる為に、最も有効なことは歩くことだ。姿勢を正しくして足を確り踏みしめ両手を振って歩くことで、手足の先端の毛細血管まで新鮮な血液がめぐり渡り、スムースに循環・精製されて、全身の細胞が活性化する。私は、長年にわたり病理学の医者として“歩く健康法”に着目してきた。ウォーキング添乗員となっているのもその研究のためだ。

私自身の健康増進にも役立てながら、多種多様な健脚ウォーカーのデーターを採り、長寿健康法の解明をし、その研究成果を論文発表していきたいと考えている。―――
「え~では、朝の講義はこれ位にして、また帰路の後編をお楽しみに…」と締めくくると 車中は拍手喝采!・・・本当にいいお話を聞くことができました。
 
程なくバスは、本日の出発地点「高原霧の里休憩所」に到着。バスを降りると素晴らしい眺望が開けています。早速、昼食タイムとなりました。 
和歌山の魚野菜をあしらった弁当に、温かい味噌汁も付いて、絶景の山並みと村々を見渡しながら食べる気分は格別であります。(講義の影響か、ビールは欲しくなりませんでした) 
  
●お喋りウォーカーと黙々ウォーカー
昼食後、頂上休憩所の爽快な風景を後に、大門王子へと歩き始めました。
本日の語り部さんは、際立った特長が感じられないといっては失礼なのですが、フツー的中肉中背の熟年男性で、ハンサムな顔立ちの方です。各ポイントで几帳面に淡々と解説があり、大門王子から十丈王子,上多和茶屋跡,大坂本王子・・・と歩き続けました。
先日購入した伸縮杖を夫婦共に使いながら、登り下りの段差もらくらくと極めて快調です。各王子社で「熊野古道押印帳」に赤い判子を押しました。この行為は、単調に歩く道中にメリハリをつけ、記憶をつなぐ意味で役立ちます。


「このウォーキングツアーの中でも、特に眺めが良いコースは、次回とその次ぎやな」と前回の語り部さんから教えられていました・・・が、期待にたがわずきれいな古道風景を確かに見ながら歩いたと思うのですが、あいにくスナップ写真もこの日は数が乏しく、申し訳のないことですが・・・どうも行程のイメージが希薄で思い出せないのです。

私よりは、細かい記憶が確かな筈の家内にも確かめてみたところ、やはりこの日の印象は弱いようでした。私は、次々展開する爽やかな風景と流暢な解説に慣れてしまって、感性が働かなくなり、ただ黙々と歩きなんとなく眺め、語り部さんの話を聞き流してしまっていたようです。
女性連は、解説を良く聴き、良く笑いながらお喋りウォーキングしていますが、男性達は、時々質問はしても静かに歩く黙々ウォークです。殊に私は“人見知りする方で無口なひと”ですから、こういうところではなかなか打ち解けることができません。

バス後部席の小母さん達は、着席してからず~っと会話の途切れることが無く、ウォークの間も息切れ無く喋りっぱなし、歩くことよりお喋りが楽しいのでしょうが「よくまあー話題が続くもんやな…」と感心したので、改めて車中グループの方々を観察してみました。

総勢24名程の一行で、男は60代以上がちらほら、40代後半~60代の元気な小母さん連が殆ど、夫婦連れは2~3組――なかでも私の興味を引いたのは、夫婦と娘の3人連れです。ご主人が関西財界の大物に一寸似た顔立ちで、マメに写真を撮ったり、家族と接する様子が屈託無くて面白く感じていました。ところが後日、家内にこの話をして驚かされました。家内は、私より聴覚が弱い筈なのに,後部席の会話が良く聴こえていたようで、親娘3人連れは「いやーあれは娘さんと違う、奥さんの友達やわ」と自信に満ちた判断!「ご主人は、俳優の“K.Y”に似てはった」と明快!そういえば、財界の大物より正に俳優“K.Y”の若い顔に良く似ておられました。

さらに「私らの前を歩いてた人たち、ほら、何か変やったでしょ。服はお揃いで、いつも手をつないでた」「え?…そんな人、おったかいな?」…そういえば縞々柄の二人組みがいたような…と私の記憶は極めて曖昧、4回目にもなると同行者の服装や会話などには、興味もなく全く覚えていません。

羊歯の群生する山道で「お正月前やったら、一寸採って帰れたのにね」というような不埒な会話を小耳に挟んだことなど、つまらないことはよく覚えています。(もっと若い娘たちなら、もう少し覚えていたかも…)
男と女の感性の違いを再認識し、また、誠に緊張感に欠けるウォーキングをしていたことを悔やんでおります。


●安価で美味しい純国産ピーナッツを!
陽がかげり始める頃、ゴールの牛馬童子口に到着、道の駅からバスへ乗りこみました。途中まで帰路便乗した“地味な語り部さん”から「私は添乗員をして貯めたお金で、海外旅行に行ってます。東南アジアの遺跡をまわり、貴重な文化遺産の継承努力や観光マナーについて考えております」といった話を聴き、うらやましい気持ちがしたものです。


帰路のトイレ休憩点“熊野古道館”で語り部さんとはお別れ……私はここでしか売っていない渋皮つき生ピーナッツの大袋を2個買い込みました。近頃のピーナツは、中国産に席巻されて、安価で美味しい国産がありません。この豆は、家内が見つけてくれた近頃ののヒット食品です。オーブントースターで250W加熱すると、上手く煎りあがり状態になり、実に美味い!誰にも食べさせたくないくらいのお気に入りであります。
透明中袋にざくっと入れただけでラベル無し、1袋2000円 地元産であると信じています。ちなみに同じ店で売っている土産菓子包装のピーナツは、全て中国産でした。(巷の店頭で見る国産品は、中国産の3~4倍も高価で味はそこそこ……寂しいことです。)


さて、帰路の車中では朝に続いて、健康講義の後編が始まりました。
歩き疲れてるのに眠くならず聴講、本当に面白く退屈しませんでしたが、残念な事にメモを取らなかったので内容は忘れてしまいました。
「こんなドクター添乗員がいることを憶えておいてください。またお会いしましょう。」という締めで名講義は終了、しばらくうとうとしていたら枚方に到着しました。             

写真説明  十丈王子から上多和茶屋跡?途上の眺望 

辻谷4

あとりえじじさんの部屋


熊野古道(中辺路)を歩く ツアーメモNo,5
                  


●多弁、敏捷な語り部さんに導かれて
第6回 熊野古道ウォークバスツアーは、牛馬童子口から小広王子までの約8.5キロ、日帰りの行程です。2007年2月21日(水) バスは枚方を定刻前7時45分に出発しました。


正午前スタート地点に到着。牛馬童子口・道の駅で昼食、熊野色一杯のお弁当と味噌汁、毎回同じようでも、少しずつ御菜の趣向が変えられているので満足します。
今回の語り部さんは、スマートな小母さんでとっても賑やかな方、自己紹介とウォーキング準備体操が済むと、それからあれこれ喋りまくり!――私は人から話を聞いている時はいちいち頷くように癖づいているので、この解説大サービスには、申し訳ないのだけれどいささか疲れました。其処此処で立ち止まり、土地、石碑、道標の事柄、樹木や野草類の名前、村の暮らしぶり、畑の作物のこと、などなど……次から次へ話題がひろがります。


昔、花山法皇が昼食をとった際に萱を二つに折って箸にされたので“箸折峠”と名づけられたところで休憩。花山法皇を模した姿という牛馬童子像は、高さ50cmくらいの明治時代の石像で、中辺路のマスコットシンボルらしい愛くるしさがあります。なぜ童子が牛と馬の背に跨っているのかというと、熊野詣での険しい山道は牛を使い、里道は馬で歩いたことを表しているのだそうです。


参考にさせていただいたホームページ:
http://homepage2.nifty.com/~matumoto/

「老若男女のハイキング・山紀行」兵庫県山岳連盟所属団体・播磨新ハイキング山の会編山紀行の様々な記事が掲載されていて“中辺路の記録”も写真豊富に、臨場感たっぷりでまとめられています。私は記憶の定かでない所などを思い出す為、本当に助かりました。


さらに歩いて、美しい山の里“近露”に入りました。此処の地名は、花山法皇が萱を折った時に中から赤い汁が出たので、「これは、血か?露か?」と尋ねられたことが由来なのだそうで、駄洒落っぽいけれど、きれいなネーミングだと思います。昔は熊野詣での中継点として宿も多く栄えていたというこの地は、なんとも風景が長閑で、爽やか「こんな里でしばらく暮らしてみたいなあ」と思わせる童話的な魅力に満ちています。


近露のはずれには、南北朝時代この地で活躍したという野長瀬一族の墓石群がありました。
詳しい歴史はわからないけれど“野長瀬”という名前は、これまた私には魅力的で、一度聞いただけで確り憶えました。
再び木立の古道へ入り、少し厳しい山腹を進みました。語り部さんが、細い山道の端っこを、ひょいひょい牛若丸のように走り抜けながら、一行の先頭に行ったり後方に戻ったりして要所要所の植物、碑、その他いろいろ…こまめに説明してくれます。
道の片側は、垂直にそそり立つ杉や檜の木々で昼なお暗き千丈の谷――もう一方は、野草や木立、笹ぼうぼうで樹木が茂り立っています。陽光もさえぎられた暗く細い道を黙々と行くと、所々に村の境界を示した石碑があり、まれに蜂蜜を採取する四角い大きな木箱が置いてあります。この日の行程は、深い森の道が多いのですが比較的歩きやすく、快適な古道ウォーキングが楽しめました。


●もったいない間伐材放置
ひんやりとした窪地で一寸一服……「あの上の方に少し石積みが見えているでしょ、あそこが昔の古道だったところなんですよ」と語り部さんが指差すところ、コケの付いた石垣らしきものがひそかに見えています。 紀伊の山々では、近代になって樹木が大量伐採され、その運搬の便のため、都度古道の位置が変えられて、現在の熊野古道は、昔のものと随分変わっているところが多いようです。
国産材がどんどん売れた時代は遠く過ぎ去り、構造的木材不況が続く今、木を切り出しても全く採算が合いません…とはいえ山を放置しておけず、木の成長の為には、間伐作業が欠かせません。切り倒された間伐材は、そのまま山に放置され、腐るに任せる……本当にもったいない風景に出くわしました。
この膨大な放置材を、もっとうまく採算の合うように活かしきる工夫がなんとかできないものでしょうか?・・・・人間の愚かさに憤りを感じます。
日本の生産コストに見合う国産材の活用・高付加価値創りに国を挙げて取り組むべきです。


比曽原王子を過ぎ、継桜王子の一方杉を見上げ休憩、更に歩いて“とがの木茶屋”というとても眺めの良いところに来ました。道に面して広い縁側のある茶店があり、店番の方は居られません。一行は、誰も飲み食いせず座り込み、素晴らしい眺望を楽しみました。
「ここで泊まって日の出から夕暮れまで見て居たい」と思い、念のため訊いてみると、熊野詣での方々の為でしょうか、宿があるとのことでした。(但し少々汚なめとか…?)
名水百選の“野中の清水”を一口、”秀ひら桜“の逸話を聞き、中ノ河王子を経て、ゴールの小広王子へ到着。小広王子口休憩所から帰路のバスに乗車、早や山間は夕闇につつまれていました。帰りの古道館トイレ休憩が無かったので美味いピーナツは買えませんでした。

写真説明   山々に囲まれた“近露”の長閑な眺め

辻谷5-2


あとりえじじさんの部屋

熊野古道(中辺路)を歩く ツアーメモNo,6           


●いよいよ最終、一泊二日のウォーキング
第7回 熊野古道ウォークバスツアーは、小広王子から発心門王子、熊野本宮大社へ
2007年3月26日(月)約11キロ、翌27日(火)約7キロの行程です
バスは枚方を定刻7時55分に発車しました。
前回までは、いつも進行方向左側の座席でしたが、今回は右側、海のよく見える座席です。
近畿道→阪和自動車道→海南南部道路→県道5→R311と、いつものコースを走っているのですが、同じ道でも左右が違うので窓からの景色がとても新鮮に感じました。


11時、熊野古道館でトイレ休憩、私は、急ぎ袋入り渋皮付生ピーナッツを購入しました。更にバスに乗り、近露王子公園で昼食、いつもの熊野色豊かな弁当を食べて、バスに乗車小広王子休憩所へ――今日のスタートはここからです。


最終回の語り部さんは、いかにも“熊野の人“といった朴とつな感じのおじさんです。
コースは、林道から橋を渡り、山道へ。昔、旅人が樹上から降ってくる山ビルに恐れおののいたという鬱蒼たる木立が続き、小さな地蔵さまが印象的な熊瀬川王子を過ぎ、両側に杉や檜が屹立する険しい細道を下ります。


「ここが女坂、次の登りが男坂、昔は、丁度下って橋の在る中間の地点に仲人茶屋という茶店がありました」という上手いネーミングの解説を聞きながら小休止、更に急峻な山道をえんえんと登ります。行けども行けどもさらに鬱蒼とした樹林ばかり……古人たちは、今よりも道が整備されていなかった頃に「よくもまあ、単独で歩きとおしたもんやな……」そのエネルギーを生んだ精神の根源は「何やろか?信仰心でそこまでやれるもんかな…」「到底理解でけへんすごい境地や」と柔弱罰当たりな事を考えながらひたすら進みました。

やっと“岩神王子”に着き休憩。現皇太子もこの道を歩きとおし、ここで一息いれられたとか。ちなみに皇族が熊野詣でをされたのは、近代では二人目?……もうひと方がどなたかはわかりませんが、今の皇太子さんは、ええ根性してはると思いました。(現代では輿に乗る筈も無いでしょうし、詳しいことは、なんかよく判らんですが……)


● 暗い杉木立ちは、かって栄えた集落跡
おぎん地蔵、蛇形地蔵の祠を過ぎ、湯川王子社で小休止、今日三つ目の朱印を押印帳に押しました。「昭和30年代までは、ここに湯川という村がありました。古くは湯川一族が拓いて居住して、江戸時代には宿場として非常に栄えていたところです。」と語り部さんが指し示す一帯は、中太り?の杉の木々がびっしり屹立している深い森です。

昭和30年代といえば、私は中学・高校生の頃……この湯川村一帯では、住み慣れた故郷を捨てる悲しいドラマがあちこちであったのではないでしょうか。その後に植えられた苗木が50年程でこんなに成長するものか…幹周りは、コンクリート電柱をひと回り太くした位ですが、その先端は下から見通せない程高く、幹はそよ風にゆら~っと揺れ動いています。
「此処で地震が起きたらどうなるやろ、電柱はこの木々より、もろいかもしれへんな…」この杉の木達は、「今切り出しても採算がとれへんから、やっぱり放置材になるんやろか…もったいないことやな――」と考えながら、黙々と歩き続けました。


急に明るい林道に出て“三越峠”で休憩の後、再び山の中へ。鬱蒼と暗い細道を下って行くと左手に廃屋が現れました。「このあたりの山には、あちこちに無人の廃屋があります。独りで通りがかった時、家の中から女の人が出てきたとか、人影を見たとか…そんな噂を聞きますから、私らでも日暮れは通りませんわ。」と語り部さん――家を捨てた人々の未練が朽ちかけた壁から化けて出る、そんな幻覚に怯える光景です。

私は中学時代、人嫌い孤独好きで、暇さえあれば生駒山から信貴山に向かって道無き山中を探検気分で彷徨したものですが、山奥で迷った際など、蛇や蜂よりも人間に出会う事が気味悪く怖かったことを思い出しました。そういえば、歩き始めてから我々一行以外の人には、全くお目にかからず、一里塚は見かけても人の気配は感じられませんでした。こんな山の廃屋で突然人に出会うことを想像するだけで背筋が寒くなります。


赤木越え分岐点の鉄橋を渡り、熊野本宮大社の奥の院にあたる船玉神社、猪鼻王子を過ぎたっくん坂を登って、本日のゴール“発心門王子”に到着。早速バスに乗り、渋滞の新宮を経て、18時30分、勝浦温泉「かつうら御苑」に着きました。辺りはすっかり暗くなって今夜の宿の外観や周囲の状況が判然としないまま、お部屋にご案内となりました。


●“高僧”に独歩貫徹の話を聞く
男女別々の部屋割りなので、家内とはお別れ。大急ぎで入湯し、夕食となりました。
家内は、早やくも同室のお方と意気投合したようで夕食の膳を共に座り、溜まりに溜まったお喋りを発散しているようです。私の隣の膳には、77~8歳とおぼしきかくしゃくとした方が座りました。どことなく高僧古老の風格があるこの方は、第1回から見知っていたのですが、話をするのはこの時が初めてです。

「四国遍路を単独で2週間あまりかけ、完歩してきました。」とおっしゃる。やはり大したお方でした。元は大企業で産業機器分野の営業幹部だったそうで、綿密周到な計画のもと淀川堤で歩行時間を計りトレーニングを十分重ねて旅立ったとか。ビールを飲まれない方なので長くお話が聞けなくて一寸残念でした。

「お遍路か…一度行ってみようか…けどあの白い装束は恥ずかしいな……しかし、行ってみたら案外あの格好がさまになって、いいのかも…」などと、もやもや取り留めなく考えながら、温泉に浸かり直し、明日に備えて速やかに眠りました。
                 

写真説明  皇太子殿下行幸記念碑がある湯川王子社

辻谷6

あとりえじじさんの部屋


熊野古道(中辺路)を歩く ツアーメモ No,7
                     

● 感動!那智の神域景観
3月27日(火)6時15分起床、入浴、朝食、ホテル玄関で、朝初めて家内と顔を合わせバスに乗車。本日最初の行程は、海産物店の買い物です。家内は孫の好物“生マグロ”を物色していましたが、いまいち手頃な品がない様子、私は友人へ程々でかさ張らない品を見繕い購入しました。次の行程は“熊野那智大社参詣”バスは青岸渡寺前に直行しました。


那智大滝を眺望したときには、思わず「おおっ!」と感嘆の声を漏らしていました。
石段参道の左右に聳え林立する巨樹とパノラマで広がる岩肌樹林の中に一条の白い光流、この神域空間の演出は実に素晴らしい!――23歳の頃、当時のグラフィックデザイナーの登竜門「日宣美展」で特選になっていた作品が鮮明に思い出されました。
それは、省略されたイラストレーションと爽やかなレイアウトセンスで、正にこの眼前のイメージを見事に表現した観光ポスターで、作者は松本卯吉さん、50歳近い方でした。
55歳定年の時代ですから、デザイナーの卵だった私には、その猛烈なガンバリ根性とフレキシブルな感覚に驚かされ、非常に刺激されまくった大事件でした。あれから46年余り…いま、那智大滝を始めて観た瞬間、改めてひたむきだった遠い日々の気概や志も想起され、
「ま これからも」今の自分なりに反映していきたい…と考えていました。


次に“熊野速玉大社”へ参詣。今日の行程は、石段が集中的に多いので、昨日来の疲労が少しずつ脚にきています。この頃から空模様が怪しくなり、ポツポツ降りはじめました。
境内で神官さんがいろいろ解説されてますが、私は余り耳に入らず周囲のけばけばしいというか鮮やかと言うべきか…朱赤のお社に目を奪われていました。「…今日ご参詣になって丁度雨に降られるのは非常に幸運な方々なんです。…」とかなんとか、神官さんの面白い話にみんな笑っていましたが、雨降りが何で幸運なのか?聞き漏らしました。


かなりの石段を歩いた為、一行のみなさんから、足が痛いという声がちらほらと聞かれます。家内も「あ いたた…」と言いながら下っています。私もついに堪らず斜め降りで石段を下りていました。
再びバスに乗り、本日のウォーキング出発地点“発心門王子”へ戻り、小雨降る休憩所でお弁当を食べました。

●最終ウォーキングは、雨天のスタート
前回まで雨に降られたことが全く無かったのと、荷物になるのがわずらわしくて、私は生憎、雨合羽や傘を持たずに来ました。どこかコンビ二で傘を売っていないか……と探しましたが、熊野古道の側でコンビ二を見つけられる筈がありません。
幸い家内が予備に持参していた真っ赤の雨合羽を出してくれたので、雨対策はこれで安心。「毎回晴天に恵まれほんまに幸運やった。ま 最後は雨もまた良し…」もうすぐ本宮…と
考えると心楽しく、脚の疲れも軽くなり、真っ赤の合羽をかぶって揚揚と歩き始めました。


● 提灯で通学した子供達
“発心門王子”には「熊野参詣道中辺路」の立派な石碑があり、いよいよ本宮近し、の雰囲気を感じさせます。その横で押印を済ませ、舗装された村の道を進みました。
散在する民家や畑、道端の面白い操り木人形が水力でカタンと腕を動かして我々を歓迎してくれます。木彫り人形の無人店を見かけましたが、ゆっくり見る余裕は無く先を急いで、“水呑王子”に到着しました。ここで押印は15個目です。


廃校の建物前で小休止。「ここは三越小学校(分校)といいました。今、歩いてこられた道のはるか向こうの山の村から此処まで、毎日子供達が通学していたのです。夜明け前の暗い山道を提灯のあかりで歩き始めて、途中日が出て明るくなると道端に提灯を置いておき、帰りの夜道にまたその提灯を灯して家に帰りました。」と言う語り部さんの話を聞きながら、雰囲気を残す校舎や校庭グランドを見ていると、此処に居られた先生と生徒達にはどんなドラマがあったのか、遠い道のりを通いとおした忍耐強い子供達は、この学校からどこへ巣立っていったのか……興味はつきません。しかし、その後の事まであれこれ聞く時間は無く、雨が強くなるので先を急ぎました。


●百聞は一見にしかず、勝手な期待は禁物
更に道を行くと、石畳の古道が深い杉木立の奥へ続き、いよいよ本宮に近い感じです。その山林を抜けると、ぱっと明るい村落が開け“伏拝王子”に到着しました。
古人達が遥々歩き続け、初めて本宮大社が見えるこの地に立ち、喜びの余り伏し拝んだのがその名の由来とか……でもこの辺り、昔は、深山に囲まれてもっと厳かな景色だったのではないでしょうか?罰当たりな感想でお許し願いたいのですが、私の印象では、周囲の景色が観光地っぽい小さな山の街と映り、期待していた神域の厳粛さが感じられません。           

霧が懸かる遥か彼方の山々と本宮社の景観は絵葉書のように見事ですが、私が勝手に想像期待していた深山幽谷、夢幻峡のイメージではなかったのです。
              
雨がかなり強く降ってきました。和泉式部の供養塔や朝ドラ「ほんまもん」のロケ地の家を過ぎ、三軒茶屋跡地で一服。また石畳の深い樹林の山道へと進みます。
私が勝手に期待していたことですが、……霧の中ですれ違った旅人を「あ 亡き父か母か、」と感じる幻想体験が生まれそうな神秘の古道ウォーク……とは程遠く、ついに雨は本降りになり足元はぐちょぐちょ、語り部さんも少し早足になったので、最早幻想もへったくれも無い気分で、ひたすら遅れないようについて行きました。
“祓戸王子”に近くなった路傍で、小さな無人店に並べられた草もちとかきもち霰を見かけたとたん、思わず買っていました。これは美味かったです。
 
17個目の押印をした“祓戸王子“は、長い旅の汚れを清める社だそうですが、我々は雨に打たれて全身お清め済み、更に歩いて、漸く熊野本宮大社裏門の大鳥居前に着きました。
本宮参拝の前に、語り部さんから押印帳の完歩証明について説明がありました。
「本宮大社で18個目の押印を済まされたら、各自ご署名入りの押印帳をお預かりします。みなさんがお参り見学をされている間に、私は協会へ押印帳を持って行き全員の完歩証明をもらってきます。」というわけで、雨降る狭い参道で押印帳を語り部さんに預けました。


本宮はさすがに風格のある建築空間で、独特の雰囲気が感じられます。しかし、時間が限られ、雨が激しい為に、じっくり説明を聞くことも、詳細を観察して写真を撮ることも、神域の荘厳なムードを十分体感することも、残念ながら叶いませんでした。お土産に本宮と速玉大社参道でしか販売していないという饅頭を購入、誠に慌ただしい雨中のご参拝を済まし、バスに乗り込みました。


車中で「絵馬板の完歩証明、熊野古道=花の写真集」と押印帳が渡されました。
花の写真集は、A6判に美しい撮影作品がまとめられています。
雨中の県道を大阪に向かってひた走り、途中牛馬童子口道の駅でトイレ休憩、土産物陳列をくまなく物色しましたが、袋入りの渋皮付き生ピーナッツはありませんでした。
缶ビールと秋刀魚寿司を買いこみ、家内と飲んで食べて、居眠り……21時50分枚方に到着。
こちらの夜空は晴れ、家内と私の熊野古道(中辺路)ウォーキングツアーが終わりました。


「熊野古道(中辺路)を歩く」終 

写真説明 那智大滝の眺望

辻谷7-1

●あとがき もご覧ください

あとりえじじさんの部屋


熊野古道(中辺路)を歩く

<あとがき>


思えば…この中辺路ウォークは、貴重な時間と費用をかけながら、語り部さんの説明も、ろく様聞かず、聞いてもメモを取らず、参考資料にも興味を持たず、写真も殆ど撮らず、殆どの行程はきれいに忘れて、誠に浪費を重ねたものだと一寸反省しています。

そもそも、ことの発端が家内の趣味に付き合おうという心根にいい加減さが生まれる要因があり、家内と行動を共にするとどうにもテレが出て、変に気疲れし気楽に喋りにくくなりがち、そんなこんなで、我が知財を貯め込む絶好の体験を無為にしてしまったようです。
しかしウォーキング中は、仕事の束縛感から逃れて随分リラックスしていたともいえます。


もともと良くない記憶力の老化・退化は、このところますます著しく、隙だらけだから、折角の機会を無神経に浪費してしまい、悔やまれることが多くなっています。
生活万事仕事の範疇と考えていつも真剣に取り組むべし、と思うのですがそうは成らず、今更しょうがないと……近頃あきらめるのも早くなりました。よく言えばこだわらない、別の見方では万事に粘りが無くなり、ほんまに困ったもんやな―――とはいえ、この雑文寄稿をさせて頂くことで悪戦苦闘するうちに、これからの自己実現のあり方をよく考える端緒が見つかったように思えます。ともかくおかげさまで一件落着!あ~開放感一杯です。

最後までお読みいただいた方が居られましたら、篤く篤く御礼、本当に有難うございます!


2007.9.2  あとりえじじ

写真は完歩記念にもらった絵馬形の完歩証などのグッズ

辻谷 完歩証