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閑人帳

●NHKって「日本犯罪協会」のことなのか
 前回は日曜日のEテレのお気に入り番組を紹介しました。今回は一転、NHKの悪口を書く。NHK=日本放送協会 でありますが、実態は日本犯罪協会と言ってもよいくらいタチの悪い公共団体である・・と世間の一部に認識されている。試みに、NHK、犯罪、不祥事、のワードで検索すると、どどどど~んと犯罪情報が溢れ出て驚きます。その犯罪の質量があまりに大なので、ウオッチャーのなかには「〇〇年のNHK犯罪一覧」みたいな「まとめ」記事を提供する人がいるくらいです。同じ規模の民間大企業でこんな事態になれば社長は間違いなくクビでせう。株主が許さない。とにかく、私たち視聴者はNHKに料金を納めながら、彼らの悪事には物凄く寛容である、ということを自覚するべきです。

 一体、どんな悪事を働いているのか。情報を読むと、もう犯罪万華鏡の趣がある。殺人、暴行、強制猥褻、痴漢、窃盗、横領、着服、インサイダー取引・・と、まあ、犯罪のすべてのジャンルを網羅していると言っても過言ではない。これが「皆様のNHK」のリアルな姿です。なかには、M・元アナウンサーのように、毎日ニュース番組に出演している人気アナが電車内痴漢容疑で逮捕、という、びっくりニュースもある。億単位の金を横領したワルもおれば、おにぎり一個万引きして逮捕された職員もいる。

 なぜ、こんなに犯罪が多いのか。給料が安くて生活苦の挙げ句に罪を犯す・・はあり得ない。民放に比べたら低いが職員の平均年収は800~1000万円くらいある。カネのせいでなければモラルの問題か。おそらくコレでありませう。そもそもNHK職員や幹部には「一所懸命仕事しなければ経営が立ちゆかなくなる」という緊張感がない。なんの営業努力をしなくても毎月、毎年、潤沢な視聴料金収入がある。徴収に苦労しているとしても、それは外部の委託会社の仕事であるという脳天気ビジネスである。視聴者になんの説明もせずに民放会社なみにたくさん子会社をつくり、ピンはねや裏金作りに精をだす。制作現場でも,少ない予算で良い番組作りを、の苦労など民放に比べたら無いに等しいだろう。

 これだけたくさんの犯罪者を出しながら、経営者(会長)が引責辞任したという話を聞いたことがない。企業の株主のように責任を追及するシステムがない。銭を払って支えてる国民を無視している。ナメているから容易に犯罪に手を染める。いへいへさうではありませぬ、と言うなら、なぜこんなに犯罪が多いのかNHK自ら検証するべきだけど、そんな気もありませんね。いっそうのこと「NHKスペシャル」というドキュメント番組で「NHK犯罪史」って作品をつくってはどうか。一回で収まらず、シリーズものになりますよ。

参考情報の一部
http://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1530048985/
2017年のNHK職員による犯罪の事例(子会社も含む)
■栗原貴幸(41)、石川泰之(46) 子会社NHKアイテック社員 架空発注を繰り返し2億円以上を着服
■ 男性職員(40代)NHK横浜放送局職員 受信料の払い戻しを装 い51万円を着服
■男性記者(20代)NHK福島放送局職員 タクシー券の不正使用、 勤務手当の不正受給で24万円の着服
■荒井良雄(52) NHK大津放送局技術部職員 弁護士事務所に脅迫の電話
■弦本康孝(28) NHK山形放送局酒田支局報道室の記者 女性を脅迫し性的暴行を加え、全治2週間のけがをさせる、他2件の強姦事件ともDNAが一致
■吉田隆裕(25)株式会社エヌリンクス所属、委託社員 受信料徴収の訪問先で女性に無理矢理キス
■NHKの報道番組キャスター 女性への痴漢行為
■梶原登城(47)NHK制作局ディレクター タクシー運転手に暴行、 骨盤骨折で全治3ヶ月の重症を負わせる
■男性職員(40代)NHK松山放送局職員 車で走行中に違法モデルガンを発砲、騒ぎを起こす
■神鳥弘了(55) 業務委託事業者 受信料集金の訪問相手の手をボールペンで刺し負傷させる
■志田光(30)NHK沖縄放送局技術部職員 女子シャワー室にカメラを設置し盗撮
■古都茂樹(52) NHK広島放送局技術部専任部長 他人の車のドアミラーを蹴り破壊
■男性職員(37) NHK名古屋放送局中央営業センター職員 受信料から58万円の着服 ・・・以下略

http://www.geocities.jp/kutabarenhk1/NHK/akuji.html
http://www.nhk.or.jp/faq-corner/1nhk/03/01-03-07.html
https://www.nenshuu.net/shoku/any/nhk.php
http://nishikaranoborutsuki.hatenablog.com/entry/2016/05/18/205622

NHKアナ 痴漢

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DHさんの「昔の思い出話」

(97)姉の死と万年筆
 私が小学校五年生の時、姉が亡くなった。「はじめ~っ。はよう、お父ちゃん呼んできて!」という、ただならぬ母の声を聞いて、私はあっと思い、父の居る精米所へすっ飛んで行った。やはり そうだった。丁度お昼時だったのに「お母ちゃん、暗なったナ~」と言ったのが最期の言葉だったらしい。そう言えばドイツの文豪ゲーテのそれは「もっと光を」で似たようなものだし、芝居なんかでも役者が「もう目が見えぬ」と言えば死ぬ時と相場が決まっている。どうやら人は死ぬ時には目が暗くなるものらしい。その何日か前に、付き添っていた母に姉が「お母ちゃん、わたい死ぬんやろか」と言いだし、母は必死に打ち消したものの、ドキッとするとともに、ある程度覚悟したようだ。数え年の19歳で女の厄年だった。原因は、当時死病と言われていた肺結核で、もう一年以上も寝たきり状態だった。私と同い年のいとこもやはり19で亡くなった。とにかく姉妹、従姉妹合わせて10名の内、2名となると大変な高率であり、やはり厄年は厄年である。

 ともあれ、中学生にならないと使えないと思っていた万年筆が図らずも姉の遺品として私に廻って来たが、事情が事情だけに無条件に喜ぶ訳には行かなかった。勿論、女学生の物だから女物だし、極細の金ペンだった。確かセーラー・ペンだったように思う。その極細のペンを更に裏返して使った。その方が更に細い字が書け、相撲の幕内力士の番付表など作るのに使った。玉錦,武蔵山、男女川(みなのがわ)、双葉山と四横綱の時代で、笠置山が初の大卒力士と騒がれた頃だった。ペンにも寿命があるように思う。最初の中は手に馴染まず何となくぎごちないのが、そのうちに段々慣れてきて自在に書けるようになる。こんな状態が何年続くかは人様々だろうが、やがてペン先も草臥れてきて、滑らかでなくなり、書く字も荒れてくる。そうなったら寿命が来たのであり 修繕しても元のようには直らない。

 万年筆は筆圧が柔らかくて手に優しいのが長所だが一般生活からは段々遠のいているように思う。ボールペンは固すぎて一寸使うとすぐに肩が凝る。パソコンは打ち慣れると速いし、訂正が楽だし、良い事尽くめに見えるが変換ミスという落とし穴があるから校正をしっかりしないと。読む方も心得ていて、そんなのを見つけると、あ、やったなと思わずニヤリとしてしまう。
 当時のインクはアテナ・インクで万年筆の首を外し、スポイドで壜から吸い上げたインクを胴体に入れ、首を締める式であった。やがて胴体にペン直結のチューブが入るようになって、スポイドは使われなくなった。更にインクがカセット式になって壜も大勢としては不要になり、何年か前、筋向いの文房具屋に行ったところ、すかさず「お取り寄せですナ」と言われた。需要がないから平素は店に置かず、注文のあった時だけ問屋から取り寄せる事にしているらしい。

 姉との姉弟仲は良くなかった。問題は六つという年齢差とその間に他の兄弟が居なかった事にある。私が生まれるまでは姉は一人娘として可愛がられて育った筈だ。私が生まれた事でその事情が変わる。何しろ「家」の存続が第一義で、しかも長子相続の時代である。そこへ私が「跡取り息子」として生まれてきた。それで姉が疎まれた訳ではないが、それまで10だったものが8:2か7:3で私の方にかまけるようになったのは当然の流れで致し方のない所である。何しろ赤ん坊の私を放って置く訳にはゆかないのだから。私が少し大きくなって遊べるようになるとまた別の問題が起こる。姉としては同じ年頃の女同士で遊びたい。私の方は遊び仲間に入れて欲しい。姉にとっては邪魔っけで 足手纏い以外の何物でもない!。

  そんなこんなで姉とは喧嘩しては泣かされの毎日で、また私が泣くと「大きな癖に、又小さい子を泣かせて」と姉が母から叱られ、それがまた私に跳ね返るの悪循環の繰り返しで、その度に心の中で今に見て居れ大きくなったら必ず仕返ししてやるからと思っていたのに、その機会もないままにあの世に行かれてしまった。こんな事も大きくなった今だから分かる事で、あの頃はただただ姉憎しとしか思わなかったが、死なれてしまうとまた話は別だ。幸か不幸か幼い私には「死」というものが現実のものとしてよく理解できぬ年頃だったので、さほどのショックは無かった。写真は、1925~41年ごろに生産されたセーラー万年筆の一部      

セーラー万年筆

閑人帳

●日曜夜のEテレ番組
 スポーツ中継を除いて1時間以上テレビを見続けることは少ないが、
例外が表題のEテレ番組。8時からの「日曜美術館」9時からの「クラシック音楽館」11時からの「美の壺」そして11時30分からの「サイエンスゼロ」全部見たら4時間かかります。さすがに、全部ぶっ通しで見るのは年に2,3回あるかどうか。いや、一度もなかったかもしれない。

 昨夜のダシモノは日曜美術館が「奇想の系譜」というテーマで、江戸時代後半に狩野派や円山派の主流にアンチをとなえて自由な作風を生んだ伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、岩佐又兵衛等を、発掘者である辻唯雄氏と山下祐二氏の解説で紹介。辻氏は美術史に残る優れた仕事を残した。山下氏が辻氏の弟子であること、迂闊にも知らなかった。

 クラシック音楽館は後半のブルックナー8番を聴く。ロブロ・フォン・マタチッチがN響を振ったこの演奏は歴史的名演奏と言う評価があるので、視聴率1%とすれば、全国で100万人くらいが視聴したことになるけど、そんなにいないか。TVの貧弱な音でも名演奏であることが察せられる。第三楽章なんか音符で叙情詩を書いたような趣がある。惜しむらくは会場がNHKホールであることで、終楽章、演奏が終わった途端に拍手喝采となるのはホールの響きの悪さを示す。残念。(1984年録画)

ブルックナー 交響曲第8番(音のみ)約80分
https://www.youtube.com/watch?v=7l2-xaF8h64


ロブロ・フォン・マタチッチ 

Eテレ
 

今回の「美の壺」は「日本の教会」。丹下健三設計の東京カテドラルマリア大聖堂のパイプオルガンの音を初めて聴いた。あの建物の奇妙なデザインにはオルガンの音をいかにカッコ良く響かせるかという設計思想があった。専属の演奏者がいるということは演奏技術の難しさを示しているのか。一度ナマで聴いてみたいものだ。
 大阪市・淀屋橋近くの懐かしい「浪花教会」も紹介された。月例演奏会で数年間通った、アットホームな雰囲気の小さな教会。リフォームしたのか、垢抜けした内装になっていました。この番組、絵づくりが丁寧で民放TVではマネのできない、リッチで落ち着いた画面が魅力。それとバックに流れるジャズの選曲がとてもハイセンスで絵にぴったり。


浪花教会

Eテレ

 

「サイエンスゼロ」は難解なテーマが多いが、今回も「極限の正確な時計」を日本人が開発したという話で、どうしてこんな複雑怪奇な時間の測り方のアイデアがうまれたのか、庶民には別世界の話であります。
 1秒の長さは何を基準にしているか。1956年までは地球の自転を基準にしていた。これでは誤差が大きいので1967年までは地球の公転即を基準にした。これでも甘い。その後はセシウム原子つかって3億年に1秒の誤差・・という気の遠くなるような精密測定ができるようになった。これが極限、と思いきゃ、ストロンチウム原子をつかって、誤差がなんと300億光年に1秒という気絶モノの技術が開発された。「光格子時計」という。そんなもん、わてらの生活に関係あらへんわ、と思いたいが、このハイテクがGPSの精度の向上に役立ってるというから関係アリでございます。
 

DHさんの「昔の思い出話」

(96)算盤学校
 ついご近所にそろばん塾があった。看板は「田中算盤塾」とあったが誰一人・・塾とは言わず、みんな・・学校と言っていた。当今は耳に胼胝ができる程、塾、塾とうるさいが、昔は塾なんて難しい語は使い言葉の中には無かった。小学校の五、六年ごろ一、二年通った。三人ぐらい並んで座れる長い机が二つ横に並んだものが縦に三~四列並んだのが教室で、先生は眼でも悪いのかいつも茶色のサングラスで、そんなものに見慣れない子供たちには異様な感じに映った。


 習ったのは加減乗除と暗算だが、八割かたが読み上げ算だった。余計な事は一言も言わない先生で生徒一同が席に着くのを待っていたかのように、いきなり「願いましては何百何十何円何十何銭也。・・・」が十回ぐらい続いて「・・・では」で終る。できた者は手を挙げて答えを言い、できなかった者は黙ってうつむいている。できたつもりで手を挙げた者の中にも答えの違っている者もあり、すべて成績となって記録される。成績に従って毎週席の入れ替えがあり、成績の良かった者は前の席に移り悪かったものは後ろの席に下がらねばならない。読み上げる数字は何万何千・・・ではなく、何百何十・円・銭也と必ず円、銭、也を使う所が実戦的と言えば言える。割り算には二一天作の五と言った独特の九九があったが私達は習わなかった。暗算は頭の中で算盤を弾くのだ。私は特に上達する必要もなかったので そこそこの所で止めてしまった。


 使った算盤は四つ珠の17桁という最新の物だった。それまでは27桁の五つ珠が一般的だった。考えて見れば五つ珠の一番下の五つ目の球は使う事がないのだから四つ珠の方が合理的なはずだが なぜかあまり普及せず 結局今も元の五つ珠が使われている。
 後年、私の課に珠算2段の女子社員が入って来た。これは凄かった。三桁の数字だと何十あってもサーッと眼を通すだけで答えが出て、それが間違っていない。これは速い。まだ電卓もない時代ではあったが、よしんばあったとしてもこれには到底及ばない。手で数字を押すのに時間がかかるが こちらは眼で追うだけである。余程大きな数字になればともかく、実用程度の計算ならこれ以上の速さは考えられない。あらためて算盤の凄さを再認識した。

そろばん学校

閑人帳

●図書館が「子供じぶんの思い出話」を募集
 大阪市立中央図書館が市民の子供じぶんの記憶を集め、記録して図書館で保存するプロジェクトを行っています。当人にとっては何でもない暮らしの一場面であっても、その記憶(記録)が失われてしまえば取り戻す術がありません。そういう、個人のほんの小さな記憶(記録)の蓄積がその町の歴史を彩ります。いま、私達が江戸時代の暮らしのあれこれを詳しく知ることができるのも、誰かが書き残し、絵に表し、語り継いできたからです。図書館では「思い出書き込み用紙」なるA4紙を用意しており、誰でも100~300字程度の文で参加できます。記憶が事実かどうか、あいまいでも構わないそうです。駄目男は、昨年つくった「1945 大阪大空襲」を寄贈する予定です。

●DHさんの「子供じぶんの思い出」の手作り本完成
 上記の「思い出を記録する」の趣旨にぴったりの内容です。投稿文を読んで、これは将来、DH家のファミリーヒストリーの資料になるとの思いから、頼まれたのではなく、自分の考えで紙情報にしました。耐久性では100年くらいは持ちそうなので、2100年ごろの子孫がこれを読んでどう思うか、興味津々です。これだけ情報が溢れる世の中なのに、親が子や孫に文字でメッセージを残すことはほとんどありません。遺言書に子供じぶんの思い出話を書く人はいませんし。だから、こういう欲得抜きの生活感のある文章に価値があります。ひっそり死んですぐ忘れられてしまう、というのも悪くはないけど、昔のちょっとした経験を書き残しておけば、後々遺影が在りし日々を語りかけてくる・・かもしれない。

DHさんの投稿ブログを手作りの本にしたもの(58頁)

道明本表紙

DHさんの「昔の思い出話」

(95) 盆踊り 
 盆踊りは誰でも参加できるとはいうものの折から農閑期でもあり、やはり農家が主役との感が強い。神社の境内とか学校の校庭とか一寸した広場に組んだ櫓を中心にして周囲を廻る。越中をはらの「風の盆」とは言わぬまでも結構緩いテンポで「佐野くどき」という。櫓の上は歌い手と太鼓叩きだが、こちらの太鼓は水平に置いて上から叩くもので歌の切れ目、切れ目にポン、ポンと合いの手として入る。歌はいろいろあるが前口上は大体決まっていて「先のご先生(せんせ)の後貰(もろ)て、後のご先生の先貰(もろ)た。もろたもろたは良けれども もろた私にゃ声が無い。そのまた無い声張り上げて なんど(何か)一言(ひとこと)しゃべりましょ。しゃべる文句は 何をなら「浪子と武雄」に致しましょ」から本題にはいる。

 踊りが佳境に入るのはやはり真夜中を過ぎてからで、宵の口は会場全体がざわざわと何となくざわめくばかりで落ち着きがない。踊り子にしてもやたらと手足を振り回すだけという連中が多い。夜中を過ぎると そういった邪魔な連中が段々姿を消し、見物も殆ど居なくなって純粋に踊りを楽しむ者のみが残り、踊りもしっとりと落ち着いてくる。
 踊り子は浴衣姿が一般的だが男性が女装し、女性が男装するのも結構多い。上手な踊り子には審査員から「よい踊り子」と書いた団扇を腰の後ろにさして貰える。確かにこの団扇の持主は差す手引く手も滑らかで美しい。そしてここぞと言う時には踊り子総勢で「イヤーソイチャエーエエ ソイチャエ」とか「ササーノーサーア ドッコイショー」とかの合いの手を入れる。

 踊りにはある種の魔力があって一定の限度を超えると手足が勝手に動いて止まらなくなる。こうして三晩目ともなれば体は相当疲れている筈なのに「朝まで、朝まで」の声に煽られていつの間にか徹夜になってしまう。明けて翌日になると落し損ねた白粉を耳の後ろに残したまま歩いている姿を見るのもおかしい。踊り子はみんな素面だが、女性は一寸手拭いで頬被りするだけでぐっと艶っぽさが増す。日本の盆踊りの双璧は「動」の「阿波踊り」と「静」の「風の盆」だと思うが両者とも「鳥追い」姿である。「鳥追い」がまたすぐれもので これを被ると誰も彼も美人に見えるから妙だ。

 深夜にふと目覚めて遠くから聞こえる微かな太鼓の音を聞くのも一寸風流なもので、こんな時は佐野も満更捨てた物でもないと思う。この盆踊りも終戦直後をピークに衰微の一途を辿り、今では踊る人も無い。「保存会」でも作って次の世代に伝えないと このまま消えてしまうのでは何だかご先祖様に申し訳ないような気がする。

佐野踊り


読書感想文

●高橋史朗著「日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと」を読む

 著者が言いたいことのキモは、戦後、米国の占領政策によって当時の日本人はみんな義眼を嵌められた状態になり、物事の真偽が見えなくなってしまった。逆に米国からみれば占領政策は大成功だったといえる。
 年月を経て、日本人めいめいが学習しなおして自分で義眼を取り外せば良いのだが、そうはいかなかった。一部の人は義眼で見る世界が正しいと思い込んでしまっている。義眼をはめたままの人は未だに「戦前の全否定」がまっとうな考えだと信じている。そもそも占領者、米国自身が戦前の全否定を日本に押しつけたわけでもないのに、である。あの「教育勅語」でさえ、その内容をGHQは全否定しなかった。日本人は今一度、自分の世間を見る目は義眼か真眼か問うてみてはどうか。

 米国人は日本人をどんな民族だと思っていたのか、それを知るために著者は米国に留学し、各地の図書館で気の遠くなるような膨大な資料にあたって真相を探る。そして、戦前も戦後も米国人は日本人を多くの点で誤解し、偏見をもっていたと断じる。先日亡くなったドナルド・キーンさんをそっくり裏返したような無理解、誤解だらけの日本人観をもっていた。そんな米国人が日本国の憲法草案をこしらえた。その中身が完全であるはずがない。草案づくりに関わった米国人の多くは、憲法はいずれ日本国民によって修正や変更がなされると軽く考えていた。なのに、そんな憲法を1ミリたりとも動かしてはならないと言い張る,情けない人がいる。メディアや教師に洗脳され、義眼でしか世間を見てこなかった人たちである。(3月7日 産経新聞朝刊5面にこれに関する解説記事がある)

 中身が濃いので、要約するのも大変でありますが、義眼づくりのモトになったWGIPの内容については読者が既に知っているものと仮定して?書かれているので本書では説明がない。これは不親切だと思います。
 後半は戦後の道徳心の荒廃について持論を述べている。道徳教育をないがしろにした結果が現在のいじめや引き籠もり、虐待を生んでいると。
日本人は親も学校も先生も甘い。問題児のカウンセリングでは不登校に対して「長い目で見守れ」「頑張らなくてもいい」「学校に行かないのも権利」なんちゃって、ひたすら甘やかす。 

 では、外国はどうか。アメリカでは子供不登校は親の怠慢のせいという概念ができている。ネグレクトという言葉があり、育児放棄とみなされる。ある町では子供が学校を休むと親に一日3000円の罰金が課せられる。イギリスはもっときつい。子育て命令法というのがあって、違反した場合は25万円の罰金、滞納すれば禁固刑というからえげつない。
 いや、フランスはもっとえぐい。親が教育義務を放棄したら2年の禁固刑、又は360万円の罰金を科す。子供が月に4回以上欠席しただけで9万円を徴収される。日本とこれらの国とでは「義務教育」の概念が違っている。日本では「学校に行かせる」ことが義務とされるが、米英仏では広義に「親が教育する」ことが義務とされる。なにかあれば「学校の責任」にしたがる日本の親は甘やかされている。(平成26年 致知出版社発行)

アメリカが二度と・・本

 

ウオーキング・観光

●はや満開! 
 今年の桜開花は早めと予想されていますが、昨日、長居公園へ行ったら、早咲きの桜がもう満開になっていました。植物園ではチューリップも満開でしたが、これは早咲きの品種なのかな。昨年の21号台風で樹木の被害が大きかった公園・植物園もようやく整理が進んで花見の頃には大勢の客を楽しませてくれるでせう。

早咲き桜


早咲き


ヘイ咲き


ウオーキング・観光

●大阪城梅林に「ひと目千本」展望所ができました

 梅林の南西隅、石垣上部の低木剪定と数本の立木を伐採することで「ひと目千本」の観賞スポットができました。30人くらい利用できます。大阪城梅林へ行く方はぜひお立ち寄り下さい。満開は3月10日ごろになるのではと思います。但し、残念なことに今年の梅林は昨年夏の酷暑と秋の台風のせいで花の数が少なく、例年のような華やかさはありません。

 この件は2014年に大阪市へ提案したことがありますが、当然の事ながら玄関払いされました。今回は大阪城公園が民営化されたことを受け、昨年8月に大阪城パークセンターというオフイスに提案したところ、社内の稟議でOKとなり、実現したものです。全く同じ提案なのに、役所と民間業者でこんなに違う。


駄目男の提案は、この立木の伐採とともに、梅林南東隅にある昔の石段を復旧して梅林から直接石垣上へ上がれるようにし、梅林~展望所の回遊コースをつくる、というものです。これが実現すれば大阪城梅林自体の観光価値が高まり、集客力が増します。都市部の梅林で「ひと目千本」を楽しめるのは,全国で大阪城梅林だけです。(現在、梅の木は1200本あるので誇大宣伝ではありません)桜は吉野山、梅は大阪城の「ひと目千本」を謳って宣伝するのも一興です。

 他に、梅林内の季節営業売店(ローソン)の石垣上への移転と通年営業化(雷雨時の避難場所も兼ねる)も提案しています。この提案は、豊国神社前で営業していた強欲・脱税ばあさんの売店が廃業したことと関連します。見慣れた公園も「考える散歩人」になって見直すとアイデアが浮かぶものです。ちなみに、HPによると、大阪城パークセンターを構成する企業は、電通、大和ハウス、大和リース、よみうりテレビ、NTTファシリティーズ、の五社です。

ひと目千本


DHさんの「昔の思い出話」

(94)夏祭り
夏祭りは専ら漁師の祭りである。野出(ので)、新町(しんまち)、円田(えんだ)という三つの漁師町がそれぞれ太鼓台を持っていて町内の若い衆がそれを担いでシコリマクル(暴れ廻るの方言)もので、昔はみんな元気だったから道筋にあたる商店は祭りの間中は雨戸を閉め、それでも不安な家では戸の前に丸太の二、三本も立てて台を当てられないように用心したそうだ。 

 格子に組んだ丸太の上に一寸した席をしつらえ、太鼓と化粧して派手な衣装を身に纏った稚児さんが乗る。稚児さんは長―い、長―い紫の鉢巻を締め、その裾を台の外まで垂らし、それが一段と眼に映える。更に台の上に真っ赤な布団が三枚、それも上になる程大きくなるのを重ねるので実際以上に大きく見える。

 こうして三台の太鼓台がドーン、ドーン、ドンドンドンと叩く太鼓と「牡丹に唐獅子、竹に虎。虎追(お)うて走るは和藤内。わとないお方に智慧貸そか。智慧の中山せんがん寺。せが寺の和尚さん坊(ぼん)さんで。ぼんさん蛸さんじゅうろべ(十郎兵衛)さん。ベーラホーのベラショッショ。(なんのこっちゃ)」とか「石山の秋の月。月に叢雲 花に風。風の便りに田舎から。五郎十郎様のこと。・・・」と言った囃子とともに町の大通りを行きつ戻りつ練り歩く。楽しみの少なかった時代の事とて酒は飲み放題。その上騒げ、騒げだから若い者にとっては平素のもやもやを晴らす恰好の場だったろう。

 しかし、時移り今の若い者は遊びの種に事欠かぬし、シンドい事は御免というようになった。それに丸太は意外と重いのだ。水に浮くから一見軽そうに見えるがとんでもない。勤労動員の時、丸太を運ばされて往生した。息も絶え絶えの私を見かねてか同級生が肩を貸してくれて助かった。あの時の有難さは今もって忘れない。祭は変わらずにあるが太鼓台の方は今や気息奄々、一寸担いでは休み、一寸進んでは止まりで元気のない事夥しく、その上翌朝は道路一面ゴミの山である。ああ。

夏祭り

閑人帳

●貼っても貼っても まだ貼り足らず・・
 大事な用件を忘れたらアカンとカレンダーに印をつける、というのは誰でもしてるかもしれないが、印だけではなんの用事か分からないので、その情報のメモやチラシも貼り付ける。それがだんだん多くなってきて、昔の駅の伝言板(懐かしい名前!)みたいになってきた。買い物に行くときは、品物をメモして出かけるが、そのメモをテーブルに置いたまま出かけてしまうこともしばしば。これだけ気配りしても忘れるのであります。以前に書いたが、財布を持たずにスーパーへ出かけ、レジで財布を忘れたことに気づいたときの屈辱感、自己嫌悪なんか、ものすごい良いクスリになったはずなのに繰り返してしまう。(最近の半年ほどはありませんけどね)

 先日は、わざわざ梅田の書店まで出かけたのに、店についたら書名を思い出せない。ベストセラー本でないから陳列台を見回してもまあ見つからない。そして未だに思い出せないまま。もしや、この世にない本の題名を妄想して実在する本だと錯覚したのだろうか。あり得ない?・・自分ならあり得るかもなあ。


張り出し紙




private のらくろ会情報

3月のプラン ご案内

イラスト 梅本三郎     

進化論は温泉から(サルのこしかけ)

3月イラスト 2019

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●くちまめ 3月例会案内

3/14(木)宇治川上流へ 2回目
集 合:京阪 中書島駅 10:00
*昼食持参のこと
*前回はウオーキング日和で約9KM
 ゆっくり楽しみました。 ~担当 藤家~

********************

●恒例「豚汁の会」
 今回はたなかさんの企画で関屋あたりを少し歩いて、たなかさんも保全に関わる古い民家の庭で行います。鍋や道具類は不要、食材のみ持参して下さい。(事前申込みは不要です)

■3月21日(祝)
■午前10時 近鉄大阪線 関屋駅改札口集合
参考ダイヤ・・鶴橋駅 9:33発 急行・五十鈴川行き乗車
       河内国分駅で区間準急に乗り換え 9:56分
       関屋駅着 料金400円
■徒歩3~4キロ 高低差ほとんどなし
■雨天対応・・当日の奈良県北部の雨の予報が「午前中60%」なら
              中止、50%なら実施します。TV、ネットで確かめて下さい。

旗尾池から二上山を望む

旗尾池



読書感想文

●梶井基次郎著「檸檬」を読む

 恥ずかしながら未読の名著を読む・・三つ目がこれ。文庫本でたった8頁の小品ながら著者の代表作として多くの人に読み継がれているという。昭和6年の発行だから80年以上前の作品なのに、若い人が読んでも不思議に古くささを感じさせないらしい。著者の心の躁鬱状態を地味に書いているわりには深刻さや陰気さをあまり覚えないのはなぜか。それは一個の檸檬のおかげであります。暗から明へ、心のビミョーな移ろいを演出するに、なんと見事にハマった果物であるか。リンゴや柿や葡萄ではこの名作は生まれなかったハズ。一個の檸檬が梶井基次郎を文学者に仕立てた、といってもいいくらいであります。

   著者(私)は檸檬を一個買って京都の丸善書店へ行く。棚から画集をたくさん引き抜いて積み上げる、片付ける、をくり返して最後にその上に檸檬を一個乗せ・・何食わぬ顔して店を出る。あの檸檬が実は時限爆弾で丸善書店が木っ端みじんになる場面を想像する。この物騒な想像のワケには、檸檬の寸詰まりな紡錘型の形が手榴弾の形に似ていることが関係しているかもしれない。話はこれでおしまいです。店に檸檬を一個置いて帰るというだけでも本人には大事件だった。いまのバイトテロに比べたらなんとカワユイいたずらでありませう。

 しかし、なんでこの作品が人気を保ち続けているのか、オジンには理解できない。勝手に想像するところ、檸檬をモチーフにした表紙のデザイン(装幀)の魅力もあるのでは。実際、ネットでぐぐってみると、いろんなデザインがわっと出て来て驚く。そしてみんなお洒落であります。さらに、丸善書店では本書の陳列に本物の檸檬をディスプレイとして使う。さらに、さらに、丸善のカフェでは檸檬をネタにしたスイーツも提供しているらしい。あの世の梶井サンも「ええかげんにしいや」とぼやいてるかもしれない。因みに、梶井さんは大阪・土佐堀生まれであります。(2011年 角川春樹事務所発行)


いろんな装幀の「檸檬」がある。今回読んだのはこの本。

檸檬


檸檬


檸檬


檸檬


本物の檸檬をさりげなく置く

檸檬


カフェのメニューにも檸檬をモチーフにしたものが

檸檬





DHさんの「昔の思い出話」

(93)籠池 ほか
 泉州は讃岐と並んでため池の多い地方だ。というのも、これという川がなく灌漑用水に事欠くため、やむなくため池を作る必要があった。籠池もその一つで市街地と一寸南の市場(いちば)という農家部落との間にあった。伝説があって、この池を造った時、なんどやっても水が漏って溜まらない。これは人柱を立てねばならないのではと言いだす者が居て人選をしたところ結局いい出しべえに当たってしまった。この人柱になった人の霊を慰めるべく以後籠池を加護池という事にしたと。これは岸和田市の西出書店出版の「伝説の和泉」にある話である。しかし宅地化が進んで水田がどんどん減るとため池も必要がなくなり、今では往時の半分も無いのではなかろうか。かご池も埋められて最初は市立病院が建ったが それが りんくうタウンに移って今ではコープとかご池公園になっている。春には街路樹の木蓮の花がうつくしい。昔の籠池の北西の隅に一本の松があって その枝ぶりが首吊りに丁度いいとあって「首吊りの松」と言われていたが この松だけは今も昔に変らぬ姿で残っている。

野野池:唐池
 これは双子で くっついた池だった。ここも一部を残して大半が埋められ、市役所、図書館、公民館、歴史資料館などになっている。残った池の両岸および土手下の道路の両側には桜が植えられ 春には見事な四列の桜並木になるが花見客はさほど多くない。というのも茣蓙を敷いてドンチャカ騒ぐ余地が少ないからで騒ぎたい連中は近くの公園墓地の方に集まる。野野池は子供の頃、伯父(母の兄)の引っ張る車に乗せて貰って行った所で道が池の土手に登った右側に一本だけ桜の木があった。


大細利(おぼそり)池  上記とは道を隔ててすぐ近くにある。これは埋められる事なく現存のものとしては最大級ではないか。いつ頃だったか家鴨が三羽紛れこみ、パンの耳などやっているうちにすっかり馴れて私の姿を見ると急いで寄ってくるようになった事もあった。ここの土手には土筆がよく生える。定年後最初のうちは散歩のコースにしていたが今ではとてもここまで歩けない。


笠松池は紀州街道沿いの商店街の西端にある小さい池だが、紀州街道は池の縁に沿って一旦90度南に折れ、池の南端で再び90度西に曲って元に戻る。私の子供の頃にはまだ蛍が居た。その後ご多分に洩れず一部が埋められて保育所が出来ていたが 現在はどうなっているやら、恐らく残ってはいまい。


蟻通神社、末広公園 いずれも四ツ池や末広池の跡地である。尤もこれらは戦時中、飛行場を造るために埋められたもので 最近この辺りに航空神社なるものが出来ているのを知った。飛行場の跡地だからとでも言う事だろうか。それにしても航空神社とはね。


現在の籠池公園

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西除川ウオーキングガイド

●西除川ウオークにグッドニュース

 何ヶ月ぶりかで西除川末端の堺市常磐町を歩いていたら、工事案内看板に遊歩道工事のことが書いてあり、今年8月末に完成予定とのこと。現在は高速道路トンネル天井部の埋め戻しが終わって整地している東側部分と、旧河川を残して遊歩道をつくる西側部分、両方で工事が進んでおり、殺風景な景観が大きく変わりそうです。
 この遊歩道が完成すると、筆者が提案している西除川ウオーキングコースの安全と景観向上に寄与し、宣伝しやすくなります。浅香山駅から天野山金剛寺まで32キロのうち、3キロくらいが「不快道」ですが、市街地が多いなかでは、なんとか合格ライン?という感じです。


この風景があと半年ほどで遊歩道・公園に変わります。

西除け川



西除け川



西除け川




DHさんの「昔の思い出話」

(92) 社会見学。
 社会見学と称する課外授業があった。その日は通常の授業がなく、一日中町の工場を見学し、鉛筆の一本でも手土産に貰って帰ろうというのだから生徒たちにとってはこんな結構な話はなく、どうか何度でもあって欲しいと願ってもそうは問屋が卸さず、たった2回あったきりだった。
 最初に行ったのは「星スポーク・・会社」。我が家から行けば紀州街道を東へ十丁ほど行くと道は北に向きを変え大きく曲がりながらの下り坂となる。この辺りだけは道幅も広くなり自転車ですっ飛ばすと誠に快適な所だが、その坂の中腹あたりの東側にあった。ここで造っているスポークという鉄線は自転車の車軸と外輪を繋いで外輪がポシャらぬように支える細い鉄線で、簡単に言えば自転車の部品だ。

  次が「・・シャットル・・会社」。ここでは木製の小さなボートのようなものを作っていた。シャットルとは聞きなれない言葉で何の事か分らぬが日本語にすると梭(ひ)であり織機にセットされた経糸(たていと)に横糸を通す器具の事である。どういう仕組みかよく分からぬが これに横糸をつけて経糸の間をガチャンガチャンと往復させると横糸が通り織物になってゆく。機械にやらせるからいいようなものの、これを手仕事でするとなると大変な手間だ。しかし機械になるまでは手でやるしか方法がなく、機(はた)織りは女の大きな仕事だった。一度だけ手機(てばた)の現場を見た事がある。登校の通り道に手機を織っている家があり、ある日、窓が開いていて中で(はた)を織っている姿をチラと見る事ができた。年端もゆかぬガキどもに工場を見せたって、と思うが卒業生の中にはここの職工になる者もあるかも知れず、今風に言えばPR(当時はまだこんな言葉もなかった)を兼ねての会社説明会的意味もあったかも知れない。


手前右の細長いものがシャトル

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読書感想文

●ケント・ギルバート著
 「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」を読む

これと同じ趣向の本はすでに何冊も刊行されているのに、アメリカ人が書いたということに新鮮さ?を覚えるのか、よく売れています。(2ヶ月で7刷)読んでみればタイトルの通りでほとんどがすでに知ってることですが、なかには「そうだったのか」と新鮮な知識を得た思いの読者もいるでせう。とても分かりやすい文章なのも好感がもてます。

  悪しき儒教と日本はどう付き合ってきたか。本書の前半はこれを学べばヨシとします。本当に役立つのは後半「第4章 日本は儒教国家ではない」の、いろんな実例をあげての「真の日本人像」の説明です。たくさんの資料を漁って現代史に無知な人に知識を授けるという感じで、なんでアメリカ人に説教されなあかんねん、と、訝りつつ、納得する人が多いのではないか。ここに挙げられたような話は,本来、小中学校の教科書で取り上げるべきだと思います。


平行して、潮匡人著「そして誰もマスコミを信じなくなった」も読む。保守の論者なので、共産党や左翼の思想、行動をボロクソに貶している。共産党の政治活動がどんなにソフトになっても、その本質は暴力革命による独裁政権樹立を目指すことに変わりはないと。これを外してしまったら共産党ではなくなってしまうからです。


・・と、著者は共産党は脅威であると警告するのでありますが、駄目男の見るところ、党はジリ貧を続けて、革命どころか、早晩、今日のメシ代にも困るようなミジメ党に落ちぶれるのでは、と予想します。肝心の若い世代の支持が全くない。唯一の資金源といえる機関誌「赤旗」の読者が減って運営に四苦八苦・・。だから、本当は政党助成金が喉から手が出るくらい欲しいけど、いまさら下さいとは言いにくい・・。政治思想云々より、まず、金がない。この現実の厳しさを幹部は分かってるはずですが、責任をとるのが大嫌いな面々は知らん顔です。


今日、マスコミが信用されなくなった大きな理由は、言うまでも無く偏向報道のせいです。朝日新聞を頭に、朝日の太鼓持ちみたいに同じような論説を書く毎日新聞。そして、TVではTBSの偏向ぶりが一番ひどいと著者はいう。TBSの主犯は岸井成格で、放送法で決められている内容の公平性なんか全く無視して言いたい放題。(彼は毎日新聞の思想的リーダーでもあった)これに天罰が下ったのか、昨年、73歳で亡くなった。但し、TBSにハンセーの気はまるでなし、だそうです。(2016年 飛鳥新社発行)


ケントぎるばーと6


マスコミを・・・

閑人帳

●1人当たりの米消費量、ピークの3分の1に

 DHさんの前回掲載文に、戦前は男性大人は米を一年に一石(150kg)食べていたという記述があります。余りに多いのでホンマか?と調べたところ、ホンマでした。年に150kgの消費です。下のグラフによると、現在は年に50kgくらいだから、実に3分の1に減ってしまいました。ちなみに、駄目男の消費量は年間30~35kgです(外食分は含まず)5kg入りの袋を買えば約2ヶ月使えます。1食あたり0,4合(1,5合を4回に分けて食べる)のだから米屋さんの敵みたいなものですが、そんな人は多いと思います。さりとてご飯が嫌いなわけではない。逆に、三食ともパンや麺類なんて我慢できないタチです。しかし、別の調査によると、一日に一回はご飯が食べたいという人は少しずつ減っていて、5割台になってしまった。若者ほどご飯に魅力を感じない人が多いということでせう。


1人当たりの米消費量の変化。パン食が普及してきた昭和30年代に118kgだから、戦前は120~150kgの消費はあったと推定。


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犬町・猫町情報



小学生時代の思い出    作:DH
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(86)雑誌「少年倶楽部」 ~その1~

 少年時代の思い出となれば少年倶楽部(少ク)は絶対欠かせない。雑誌と言えばそれしか知らなかった。定価1円。当時としては結構高価なものだったらしく、新本では買って貰えなかった。一か月待つと「月遅れ」と称する新本同様の古本が50銭で手にはいる。しかし、当然ながらこちらには付録がない。どうしても付録が欲しくて、ねだりにねだって新本を買って貰ったのは、多分昭和13年の正月号だったと思う。欲しかった付録というのは「渡洋爆撃機」の模型だった。ボール紙を図面通りに切り取り、折線の所は折り、のりしろには糊を着けて組み立てて行く。素材は違うが、これこそプラモの原型だろう。「渡洋爆撃機」についても説明が要りそうだ。九州の基地から東シナ海を越えて、上海辺りを爆撃して帰ってくる、当時としては最も長距離を飛べる飛行機の事で、完成した模型は天井から吊り下げて得意になっていた。


いつごろからいつごろまで「少ク」を読んだかはっきりしないが、兎に角「少ク」と言えば「のらくろ」。「のらくろ」と言えば「少ク」と言う程「のらくろ」の人気は抜群で「少ク」を手にしたら真っ先に読むのが「のらくろ」だった。その「のらくろ」も「国家非常時の折から、マンガ如きフザケたものに貴重な紙を廻せるか」との軍部からの圧力で昭和16年10月号で無理矢理やめさせられてしまった。著者の田河水泡氏にとってはさぞかし断腸の思いだった事と思う。勿論こんな真相が分ったのは戦後の事で、当時はすべて闇の中だった。今はマンガの専門誌まで出て、その発売日には書店だけでなく、駅の売店までその新刊で山ができる程マンガの氾濫する時代だが、当時のマンガは非常に希少な存在で、それだけに少年たちの楽しみのタネだった。その僅かの楽しみさえ許さないのだから、軍部とは本当に視野の狭い所だ。


余談だが、戦後マンガの超ロングセラーとなった「サザエさん」の著者の長谷川町子さんは田河氏のお弟子さんである。以下私が「少ク」で読んだ諸氏とその作品について述べて見たい。
 まず吉川英治氏の「天兵童子」。これは筏に縛りつけられた「天兵童子」が青海島に流れ着く冒頭の部分だけが鮮明で、あとはゴチャゴチャとしてはっきり覚えていない。後年、吉川氏が自らの生涯を省みて、結局「宮本武蔵」と「神州天馬峡」かと語ったと聞いて、早速 図書館から「神州天馬峡」を借りてきたが、これは寧ろ国枝史郎氏の作品と見紛うような波乱万丈の伝奇小説だった。


次いで佐々木邦氏の「トム君、サム君」。お茶目な双子が活躍する内容はともかくとして、ここに出てくる久米鵬という書生の「鵬」という名の説明が凄い。「鵬」も今では「大鵬」「白鵬」という二人の大横綱のお蔭で珍しくもないが、当時は滅多に見ない字だった。で「北溟に魚あり、その名を鯤となす・・・化して鵬となる。その翼 三千里・・・」と[荘子]から引用されると少年としてはただただ呆れるばかりである。


同氏については逸話がある。彼は大のヘヴィスモーカーで、当時、日本の植民地だった釜山から岡山の第六高等学校の教授に転任してきた所、それまで安く手に入っていた洋モクの値段がベラボウに高くなって家計が赤字になった。そこで家計を補うべく内職に洋書の翻訳を始めたところ、それが軍人上がりの校長の忌諱に触れ「苟も官立校の教授ともあろう者が内職をするとは何事か」と大目玉。しかし、氏はそれで恐れ入るような玉ではなく「じゃ官立でなければいいのでしょう」とさっさと東京の私大に転職してしまったという話だ。佐々木氏はわが国では殆どただ一人のユーモア小説作家でその意味でも特異な存在と言えよう。


少年倶楽部の人気漫画「のらくろ」から「のらくら出世物語」
少年倶楽部 



渡洋爆撃機 形式不詳
少年倶楽部





お知らせ・ニュース



●ブログ再開・・ぼちぼち始めます

 約3週間ぶりの更新です。心配をかけてすみませんでした。入院中、ブログを継続するか、廃止するか、考えましたが、大巾に縮小して継続することにしました。不人気でも、履歴だけは「老舗」で、記事の数は約3800(下書き・非公開も含む)写真の数はおそらく1万点くらいあり、いちいち取捨選択するのは大変なので、一部のカテゴリーを除いては「継続する」「廃止する」のどちらかにします。名前を変えたり、新設するカテゴリーもあります。タイトルは未定です。再編集が終わるまで、一ヶ月くらいかかると思います。
 もし、病気をしなかったら、今までの調子でズルズル続けたと思うので、リニューアルの良い機会になりました。病気に感謝?!?!。


二回目の入院で泊まった部屋からの眺め。病院のアドレスが想定できます。自分が患った病名は「総胆管結石・急性膵炎」高齢者に増えているそうです。ご用心。
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同じフロアの西側、談話室からの眺め。川は尻無川です。
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