小学生時代の思い出 作:DH
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(76)へっつい(竃)さん、ご飯炊き、薪。
へっついさん、竈(かまど)の事である。昔の絵では随分背が高く、薪は直接地面の上で焚かれているように書かれて居り、あれでは火とお釜の間が遠くなって効率も悪いし、炊きにくかったろうと思う。わが家の竈は下が薪の置き場になっていて薪の炎が直接お釜の底に当たる程だった。焚き口が二つあって、どちらを使ってもいいようなものだが、何故かご飯を炊くのは右と決まってた。竈の奥からの煙突は上がT字型になっていて雨が煙突から竈に入らないようになっていた。
燃料の薪は一寸田舎へ出れば農家の壁際に殆ど軒の高さまで積み上げられている、あの薪である。買った薪はさほど太くはないものの長さの揃った丸太で、これを小さく割るのはこちらの仕事になる。かなり太い丸太を輪切りにしたものが台で、その上に買った細い丸太を立て「よき」という小さい斧を木の真ん中目掛けて振り下ろす。うまく軸に当たるとスパーンと小気味よく割れるが、一寸でも軸から外れると木に食い込むだけで割れないばかりか、食い込んだ「よき」を抜くのにもかなり力がいる。大体 一本の木を4から6本に、時に太いものは8本に割っていた。本来は父の仕事だが、私も少し大きくなってからは手伝うようになった。最初の中はなかなか軸に当たらず、手こずったが何でも慣れでやっている中にだんだんうまくなった。
薪に火をつけるには鉋屑があれば最適だが、そういつもあるものではないので、結局新聞紙のお世話になる。ちょっとでも火がつけば今度は火吹き竹の番で、ふうふう吹いていれば、その中に火が広がる。薪の2,3本も燃え上がれば後はご飯が炊けるのを待つばかりで、火守りの仕事は一寸一服だ。ご飯の方は「始めチョロチョロ 中パッパ 赤子泣くとも蓋取るな」とご承知の通り。火守りの辛い事と言えば薪の中に生乾きの木が混じっていると、それが燻り出して竈の外まで煙の出る事があり、そうなれば煙に噎せて咳も出れば涙も出る、。もう一つ怖いのは風の強い日。風は気まぐれで時に煙突から竈へ吹き込む事がある。大変だ。思いもよらぬ時に竈から火が吹きだす。ぼやぼやしていると眉毛ぐらいは焦がす事になりかねない。風の日はくれぐれも要注意である。
さあ、ご飯が吹きこぼれてきた。炊き上がったのだ。「火を引け、火を引け」と母から言われたが、ここの所の記憶がやや曖昧で、多分燃えている薪を引き出して水で消したのだろう。その薪をどうしたかが思い出せない。熾火は火消し壺に入れて「カラケシ」にする。
炊き上がったご飯は大きな杓文字でかき混ぜながらお櫃に移す。ここで可なりの水分が飛ばされる。お櫃自身も若干ながら水分を吸収し、かくしてカーワリとしたおいしいご飯となる。今の炊飯器ではなかなかうまく行かないように思う。外食のご飯も殆どがベチャ飯だ。水分の多い方が嵩が増えるから当然と言えば当然だろうが。米食に関してはコンビニのおにぎりが最高で本当に良くできている。
お釜でご飯を炊くとどうしてもお焦げができる。どうするかと言うと、お釜に少しお湯を注ぎ、お焦げをコソげ落し、お茶碗に移して少し塩を加え「お焦げ粥」にする。香ばしくて一寸乙な味がする。お米は一粒と言えども無駄にしない「勿体ない」精神そのものだ。
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駄目男の蛇足・・お米は日本人の命の糧。ゆえに、他の食材とは違った、別格の扱い、呼ばれ方をしています。たとえば・・・
・米は洗うのではなく「研ぐ」
・炊けたご飯を混ぜるのではなく「切る」
・お茶碗に入れるのではなく「装う」
など。米を大切にすることや、美味しさの追求を重ねているうちに、こんな尊敬の念が含まれた言葉が自然に生まれたのでは、と思います。
子どものご飯炊き体験