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読書感想文

読書感想文
02 /26 2021
 

佐藤 優「人をつくる読書術」を読む
 本の広告コピーでは「現代の知の巨人」などと称されていて、じっさい、紛う方なきインテリといえば、まずこの人の顔が浮かぶ。年を重ねて最近の風貌はなんとなく西郷隆盛に似てきたような・・。南方系の血筋、人生半ばで挫折を体験している・・ことも似ている。(西郷隆盛は写真嫌い?で、肖像画しかないらしい(不詳)ま、どうでもいい話ですけど。

 なぜ作家になったのか・・生活費を稼ぐためである。外務官僚のときに北方領土問題で逮捕され、500日間、ムショ暮らしをした。とりあえず生活費を稼がねばならない。で、本を書いた。(ムショでの執筆は許される)これがスタートでした。幸い、高い評価を得て作家人生の礎になった。
 この人のすごい読書能力、執筆能力はご存じの方多いと思います。官僚時代からの延長で、執筆は毎日原稿用紙30~40枚分、読書は一日に10~20冊。これを必死のパッチで、ではなく、普通にこなしている。読書は最短で一冊5分、普通に速読で30分。むろん、半分くらいは書評や推薦依頼目当ての献本ではと思いますが、それにしても密度とスピードは常識外れです。

 読書のジャンルもめっぽう広い。政治、経済関係はもちろん、数学、哲学、宗教、歴史から古典文学、現代の小説、エッセイ、漫画まで、ほぼオールラウンドです。わずかの空き時間を見つけてはDVDで映画や芝居も楽しむ。ときには講演会も行う。

 「知の巨人」なるレッテルが出版社のイメージ戦略によるものだとしても単純な誇張やハッタリではありませんね。著者によれば、外務省の官僚、特に外交官は個人差はあれど、知識ぎゅうぎゅう詰め人間が普通で、それが年を重ねて洗練され「教養」として身につく。外国の大使や外交官は日本の外交官の印象を以て「日本国民」の何たるかをイメージするから責任重大です。外国の役人に歌舞伎やオペラの話題を振られてうろたえるようでは外交官失格です。

 著者自身の体験を顧みて、幼児から中学生くらいまでの読書のクオリティが生涯の人格、教養に影響するのではと述べている。佐藤氏の両親は本の押しつけなどはせず、しかし、本人が希望した本は大人向けの高価な本でも買ってくれたそうだ。金持ちではなかったけど、家庭環境には恵まれた子供時代だった。また、母親がキリスト教信者だったことから感化されて育ったが、高校、大学でマルクス「資本論」に出会い、相反する思想のどちらにも惹かれてずいぶん悩んだらしい。大学を同志社の神学部を選んだことで真剣に宗教を学び、悩みまくった末に洗礼を受けた。なんかイメージと合わないような気がするけど、佐藤氏はキリスト教信者である。(2019年 青春出版社発行)

佐藤優

似てません?
佐藤優 佐藤優 


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ウオーキング・観光

ウオーキング・観光
02 /25 2021
 
満開・・・大阪城公園梅林
 昨年と一昨年は夏の猛暑が災いして花が咲かず、見物客をがっかりさせましたが、今年はほぼ順調です。満開のピークは27~28日ごろと思われます。それに、数年ぶりに見物客がほぼ日本人オンリーの状態になりました。外国人は1割未満でせう。コロナのせい? コロナのお陰? う~ん・・。

 今年はメジロの数が多くて、なんだかメジロ撮影会みたいな光景があちこちで見られました。全然人間を怖がらないというか、最短50センチくらいで撮影でき、ガラケーの人は大喜びです。望遠レンズ持ってる人はカッコイイ写真がたくさんとれたと思います。(2月24日)


梅林2021  

梅林


梅林


梅林 


閑人帳

閑人帳
02 /23 2021
 

コニシ(株)元本社を見学
 かねてより内部を見学したいと思っていたビル街の木造建築。内装工事が終わってようやく見学可能になりました。近隣には緒方洪庵の「適塾」や大阪市立愛珠幼稚園など古い木造建築がありますが、コニシはほんの2年前までオフイスとして使っていたのがとてもユニークです。「番頭と丁稚」時代の雰囲気が残る建物でパソコン使うのだから、新入社員は慣れるのに苦労したでせう。

 創業は1870年(明治3年)近江出身の小西儀助が薬種商をはじめた。近隣には同業者がたくさんいて、近江屋(武田)長兵衛、田辺五兵衛、塩野義三郎などは後に日本のトップ製薬メーカーに成長する。小西も順調に業績を伸ばしたが、洋酒やビールの開発を目指した積極経営が裏目に出て借金まみれになった。その苦境を救ったのが奉公人だった北村伝次郎で、彼の努力でピンチを脱し、その功績で二代目の小西儀助となった。(婿養子になった)

 奉公人の一人に鳥井信次郎もいた。後に洋酒の開発に成功し、サントリーの初代社長になったことはご存じの通り。この縁は今も続いていて、サントリーにとってはコニシは先輩企業に当たり、お互い、礼を尽くした交流が続いてるという。この話は知りませんでした。

 コニシといえば木工用ボンドのメーカーとして知られているが、この商品だけの知名度が高すぎて困っているというのが実情らしい。自分もながらく中小企業だと思っていた。実際は年商1300億円の東証一部上場企業だった。
 
見学は下記のネット予約で可能。一回、10人未満しか受付ないので注意。
        http://www.bond.co.jp/konishishiryoukan/


場所は堺筋と道修町通りの交差点の角。
後ろの黒い高層マンションは元三越百貨店の敷地に建っている。

コニシ

二代目 小西儀助

コニシ 

昔の客間を復元した
コニシ


読書感想文

読書感想文
02 /19 2021
 

アンデシュ・ハンセン「スマホ脳」を読む
 著者はスエーデンの精神科医。スエーデンは生活水準でも国民の教育水準でも常に世界のトップレベルを保つ先進国で知られる。そんな国がスマホの急速な普及とともに国民に不幸をばらまいてるという。 現在、スエーデンでは大人の9人に一人が精神の不調で「抗うつ剤」を使用している。症状は「眠れない」といった軽いものから「孤独に苛まれる」という深刻な心の不調まで多様で、その原因のほとんどが「スマホ依存症」即ち、一日中スマホを手放せない中毒状態に陥ってることに起因する。(著者自身もヘヴィーユーザーみたいだ)

 なぜ、スマホの積極的利用が精神的不調を招くのか。著者の説明では、人間の脳は何千年、何万年もかけて少しずつ進化してきた。「環境に適応することで絶滅を免れる」。毎日、毎日、殺すか、殺されるかの生活。相手は猛獣だったり、人間だったり、天災だったり・・この試練の繰り返しである。半分くらいは10歳までに死に、長くても30歳くらいしか生きられない。この「環境に応じてゆっくり進化する」状態は現在も変わっていない。苦しい経験に学ぶことで少しずつ進歩してきた。おかげで、天災や感染症などの災厄に対しても時間をかけて対処する術を学んだ。

 しかし、近代~現代の科学的進歩はスピードが早すぎて人間の脳がついて行けない。機器がハイテク化しても、脳は原始人以来のDNAを引き継いでおり、変化に対処できないでいる。
 さらにマズイことに、ドーパミンという脳内の快楽誘導物質がスマホ中毒を促す。ほんの20~30分、スマホをオフにするだけでイライラしてくる。ドーパミンが「おい、おもろい情報入ってるぞ、見たいやろ、ONにせんかい」とそそのかす。で、四六時中開けていないと気が済まなくなる。その結果、不眠症や疲労感、食欲不振などが起きて体調を悪くする。

 スマホ中毒は子供にも広がりつつある。その弊害が指摘されてるにもかかわらず、日本では小中学生、一人に一台タブレットをもたせて教育に役立てるというカリキュラムを進めているらしい。マイナスよりプラス効果の方が大きいと判断しての採用だと思うが、本当に有益なのか。最近ではスマホの長時間使用による視力の低下も問題になっている。

 皮肉なことに、スマホなど最先端のツールやアプリを開発した人間が自身はそれらがドラッグとおなじ悪影響があると考えて使用をセーブしていることだ。スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツといったトップの開発者が自分の子供には使用させないという。ジョブスは家に帰ればアイパッドなんかそばに置きたくもないシロモノだと言っていた。ビル・ゲイツは子供が14歳になるまでスマホの使用を禁じていた。フェイスブックのあたらしいアプリを開発したJ・ローゼンステインはそのビジネス成果を認めつつ、悪影響の大きさにも気づいて自らは使用を制限した。案の定、SNSの普及は便利さとともに多くの人に不幸をばらまいた。

 自制心のない人間はスマホ中毒から脱却できず、最先端のテクノロジーを駆使して社会の下層階級を目指してるようなものだ。パチンコ中毒人間がようやく減少してきたと喜んだら次は「スマホ中毒」が大量発生した。パチンコと違い、子供から年寄りまで年齢制限がないぶん、悪影響の度合いが大きい。しかし、そんな問題知ったこっちゃないと、任天堂やカプコンといったゲームメーカーは次々と新しいソフトを開発して「愚者の楽園」づくりに力を注いでいる。批判に押されて自己規制をはじめたパチンコ業界より悪質なビジネスかもしれない。スマホ中毒人間はパチンコ中毒人の悪口を言う資格はない。(2020年 新潮社発行)


スマホ脳 


アートシーン 

アートシーン
02 /17 2021
 

原田慶太楼の「新世界」を聴く ~Eテレ・クラシック音楽館~
 カタブツN響にしては珍しい・・まだ実績のない若い指揮者を登用して「新世界」を演奏した。コンマスが「まろ」なので軽い扱いではないのだろうと判断した。ご本人は絶好のチャンスとものすごく意気込んだことでせう。ルックスも悪くない(政治家の石破茂氏に似ているという評判だけど、石破センセよりハンサムです)ので人気高まるかもと予想します。

 クラシック音楽ファンでなくても十分耳タコの名曲をどう振るか。演奏前のインタビューで「私のアイデア(解釈)であたらしい新世界をお聴かせします」と語っていたので、パソコン使いながら背中で聴いた。スローなところは丁寧すぎるくらいゆっくりと、フォルテはビシッと決めて、楽譜のオタマジャクシ、全部耳に届けますよ、という感じのメリハリのきいた演奏で好感がもてる。でも、それだけなら彼でなくてもできる表現だ。

 ??・・むむむ、これが新アイデアかい?と思ったのは、第一楽章と第二楽章のあいだ、休みナシで演奏したこと。(ふつうは10秒前後の空白をつくる)この「楽章間スキマナシ演奏」のアイデアを第三楽章と第四楽章の間でも用いた。休んだのは二~三楽章の間だけだった。これって、たしかに新案ですね。
 コーダ(終曲)をどうカッコよく表現するか、あれこれ考えて選んだのは「思いっきり、伸ばす」だった。彼にしたら「どない? こんなに丁寧に演奏しましたよ」のメッセージだったろう。(昔はフォルテで短く収める演奏が多かった)その効果ありで、音が消えてから拍手が起きるまでの無音時間、この曲の演奏では最長だったかもしれない。「まろ」さんの指導よろしく、オケは新米指揮者に本当に真摯につきあったこと、視聴者にも伝わりました。幸福感に満ちた演奏でした。

 話変わって、N響の男性奏者のネクタイがすべてシルバーだったのはなぜか。偶然でこんなことはあり得ない。かつ、シルバーであっても柄はバラバラだから楽団の支給物ではなく、メンバーの私物にちがいない。ならば、指揮者の要望で?かけ出しの指揮者がそんな厚かましい要求はできないはずですけどねえ。

 そこでdameo は想像した。指揮者、原田はコンマスの「まろ」にもみ手しながら「あ、あの、誠に勝手なお願いです。視覚的に統一感を出すために、ネクタイのデザインを揃えたいのですが、センセからお伝えいただけないでせうか、モジモジ」 「まろ」はぎょろりと目をむいて「お前、新米のくせにエラソーなこと言うやないか。ネクタイの色をそろえても演奏が上手くなるはずないやろ、アホちゃうか・・。そやけど、ま、今はN響もコロナでヒマこいてることやし、きいたるわ。おい、者ども、本番ではシルバーのネクタイするんやで。なぬ、もってへん?100均で売ってるがな」で落着。原田ファンクラブの皆様、真相を調べてくれませんか。

 先般の読書感想文で紹介した佐渡裕と同じ「アカデミックな音楽教育をうけていない指揮者」のニューフェイス登場であります。佐渡に追いつき、追い越せの情熱秘めて精進してくださいまし。(Eテレ 2月14日)


石破茂に似てるって?・・原田慶太楼(36歳)
原田慶太楼

閑人帳

閑人帳
02 /15 2021
 


結露  



じわり・・浸透するMMT(現代貨幣理論)
 数年前から主にネット世論で話題にされてきたMMT(Modern Monetary Theory)はほとんどの国民が知らない間に事実上経済政策に取り込まれているのではないか。世界に冠たる「借金大国」である日本が未だ財政破綻に至らないのはMMT理論の「意図せざる実践」のお陰?かもしれないと考えます。

 で、そのMMTって、何のこっちゃねん、でありますが、これを一言で説明するのはとても難しい。というか、そもそもdameo自身、ほとんど理解できていない(笑)。なのに、じわり浸透するMMTやなんて勝手に言って委員会?であります。

 MMTが国民に知れ渡らないのは、これに関してほとんどの政治家が語らないことと、マスコミもほとんどニュースにしないためですが、敢えて言うなら、政治家もマスコミも実はしっかり理解していないので公言しにくい。そういう側面もあります。いや、もっと大事なことを忘れてました。実は、経済界、経済学においても是と非が分かれていて、答えが出せないでいる。なのに、dameo がエラソーにMMTの是非を言えるわけがない。

 私たちが経済の常識としてわきまえてることは、たとえばこういうことです。「安定した生活を続けるには収入と支出のバランスがとれていることが大事」この発想で国家の経済を考えると、国家の経済も収入と支出のバランスがとれていることが大事」である・・となります。しかし、先日のニュースではこんな「国の借金」が報じられていました。(時事通信)

国民一人当たり983万円の借金
 国債と借入金、政府短期証券の残高を合計したいわゆる「国の借金」が2020年12月末時点で1212兆4680億円となり、初めて1200兆円を突破した。財務省が10日、発表した。同年8月1日時点の日本人の人口(1億2333万人)を基に単純計算すると、国民1人当たりの借金は約983万円に上る。(時事通信)
 
一時給付金、10万円は有り難いが・・
 素直に有り難いと受領した人も「国の税金で賄われたお金だから、いずれは消費税アップとか増税というかたちで返済を迫られる。そう思うと手放しで喜べない」

 この二つの記事と意見に「その通りや」と同感できる人はMMTをかじってみてはいかがでせうか。国家経済において収入と支出の良好なバランス(プライマリーバランス)にこだわる限り、1200兆円の借金の返済や10万円給付金の出処と負担をマジメに考えると、自分の今後の暮らし、日本国家の将来は絶望的でありませう。のんきにブログなんぞ書いてる場合ではありません。

 ここではwikipedia のみ紹介しておきますが、MTTで検索するとたくさんの情報が得られます。理解のキモになるフレーズは「自国通貨建てであれば政府債務がどれだけ増加しても、政府は通貨発行で当該債務の償還が可能なため債務不履行(デフォルト)には陥らない」でせう。そしてMMTの目下の仇敵は財務省です。

 この考えに同調する人と、反対する人、あまり目立たないけど、双方が侃々諤々言い争っているのが現状です。そして、この理論の壮大な実験を行っているのが現在の日本です。

 TVのワイドショーで取り上げればよいではないかと思いますが、キャスターほかスタッフがしっかり理解するには難しすぎるし、まず、視聴者にウケないこと確実です。NHKのEテレで解説したらどうか。これも賛否のバランスをとった解説はとても難しい。(自分が知らないだけで、テーマに取り上げた番組がすでにあったかもしれない)なんにせよ、国の財布の中身はどうなっているのか、借金1200兆円の日本って超貧乏国なのか・・MMTにちょっと触れてみませんか。

参考情報

読書感想文

読書感想文
02 /12 2021
 


やぶつばき 


校長先生のつくった「名言」
  ~山本紹之介「言葉の散歩道」第二集より~

 自家製「名言」つくりましてん、どない? と元神戸の中学校校長さんが自作名言集をつくって本にしています。こういう趣味もあるんですねえ。言うまでもなく、名言はえらい学者や政治家だけがつくるものでなし、誰でもつくれます。普通はせいぜい「迷言」しかつくれませんけど。ここでは dameo が選んだ先生の傑作(?)をいくつか紹介しませう。


かわいそうだ
と言いながら何もしない人は
かわいそうだと言うべきでない


貧困と貧困感とは違う
問題はむしろ
貧困感である


あなたともあろう人が
と言われてみたい


生が充実していればいるほど
瞬間処理ができるようになる


クソもいろいろ
クソタレ
アホクソ
ヤケクソ
ボロクソ
ハナクソ
ヘタクソ
は だめ
ナニクソ
は よい


型を否定する人は
型を否定するという
自分の型にとらわれている


元気で
病気
いたしております
大元気で
病気
いたしております


千円の本を
二回読めば一回あたり五百円に
十回読めば百円になり
知恵は十倍以上になる
本は安い


 一所懸命に考えてつくるというより、何かの拍子にふとひらめく、思いつく、といった発想が多いのではないでせうか。そういうことは誰でも経験するとして、そこでメモする、後にカタチを整える、という作業で「名言」または名言らしきものが生まれるのでせう。自称「名言」づくりは俳句や川柳の好きな人に向いてるかも知れません。

 巻末の著者略歴によると、1922年生まれ、高校卒業後三年間会社勤めをしたあと中学校教師になる。特に障害児教育、長欠、非行問題に取り組む。また、教育委員としては同和教育にも取り組んだ。最後に神戸市立魚崎中学校、湊川中学校校長を勤めて退職。以後も教育相談、指導、啓発活動を続けた。(1992年(株)JDC発行)

読書感想文

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02 /11 2021
 

佐渡 裕「僕はいかにして指揮者になったのか」

いっぺん、演奏会に来いひんか?
 ・・なんちゃって、若ぶってるけど、1961年生まれだから、もう還暦ではありませんか。「ボク」は昔のこと、今やオッサンのさなか、そして、あっという間にじいさんになりますぞ。でも、じいさんになっても「巨匠」のイメージは似合わないなあ・・。
 このタイトルで生真面目タイプの指揮者が著せばイヤミ、キザ満点の本になってブーイングものですが、佐渡さんが書けば許される、オモロイ、という本になります。余計な話ですが、小見出しの「演奏会に来いひんか」は京都弁(彼は右京区生まれ)です。大阪弁では「演奏会にけえへんか」神戸弁では「演奏会にこーへんか」となります。人の出入りの激しい大都市なのに、この「きいひん」「けえへん」「こーへん」の使い分けは今でもしっかり残ってるのがおもしろい。

 で、本書は音楽の本にしては珍しく関西弁で書かれている。(正しくは関西弁まじり)のみならず、指揮者にして佐渡の師匠、レナード・バーンスタインも関西弁でしゃべるのだ。最晩年になっても酒と煙草をやめられなかったバーンスタインは弟子の佐渡に言う。「オレが死んだら早すぎるよな。でも、煙草はやめられへんし、酒もやめられへん。でも、ユタカ、オレと今から禁煙せえへんか」(216頁)てな具合。

幸運七分に不運三分?
 指揮者に限らないが、アーティストの出世物語は努力の成果だけでなく、運の良さも大きく関わる。佐渡裕の出世物語は本書を読む限りではコツコツ努力の成果より運の良さが大きくプラスになってるように思える。その大半が幸運な人との出会いである。小澤征爾やバーンスタインとの出会いもどこかラッキーに恵まれている。出世途上において実力以上に評価されていたのではと勘ぐりたくなるくらいだ。そのベースに「人に好かれやすい」性格があると思う。アカデミックな教育を受けなかったぶん、エラソーな態度をする資質もつくれなかった。

 佐渡が指揮する演奏会にはオペラを含めて五、六回しか行ったことがないので批評めいたことは書けないけど、一番の功績は関西でオペラ公演を定着させたことでせう。オペラファンなんてかいもくいない関西で10日間の公演を企画、成功させたのは指揮者、佐渡裕ではなく、プロデューサー佐渡の腕前。こんな大胆な企画ができる人は他にいない。のみならず、初心者のためにホールでレクチャー講演までサービスする。その心意気はまさに「いっぺん、演奏会に来いひんか」であります。

 他に、佐渡の企画で素敵だと思ったのは、子供たちで編成する「スーパーキッズ オーケストラ」の演奏会だった。弦楽アンサンブルだけど、安物のバイオリンばかりなのに実に美しい音色とメリハリの効いた音づくりだった。小中学生でも、丁寧に、かつ厳しく訓練すればこんなに魅力的な演奏ができるのかと感心した。

 年末の名物行事になっている「一万人の第九」の指揮も長く務めている。アーティスト+ディレクター的センスが求められる催事だから、はまり役かもしれない。(平成22年 新潮社発行(文庫版)


佐渡


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読書感想文

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02 /07 2021
 

滝 一平「少年とバイオリン」を読む
 戦後数年経ってまだ日本中が貧しかったころに起きた感動物語。いや、物語ではなく実話だけど、著者は微妙に脚色して「物語」にした。さらに、原稿として紙に書かず、朗読録音テープとして残したために広まることはなく、そのまま忘れさられてしまった。

 主人公は二人、博多駅構内で靴磨きで日銭を稼ぐ貧しい少年と世界的に有名なバイオリニスト、ユーディ・メニューイン。少年はある日、楽器店のウインドウにメニューインのコンサート開催のポスターを目にする。絶対行きたいが、そんなお金は無い。それで仕事の時間を長くして必死に貯金をはじめる。チケット発売日までになんとか500円を貯めて購入できた。食うや食わずの靴みがき少年がバイオリンコンサートに行く、当時の世情からみれば、それだけでも事件に近い。

 演奏会は素晴らしかった。少年は家に戻って母親に感激ぶりをしゃべりまくった。母親は「よかったねえ」と相づちを打つしかない。そして夜が更けたころ、見知らぬ男性が訪ねてきた。少年に「明日の朝、博多駅のホームに来て下さい」と。用件を言わずに帰ってしまった。
 明くる朝、博多駅のホームへ行くと昨夜の男(実は通訳)が見つかり、そばに、あのメニューイン本人がいた。彼は演奏会後、少年のことを聞いてお礼と励ましの言葉を伝えるために少年に来てもらったのだった。のみならず、離日前にバイオリンを購入して少年にプレゼントした。

 とても分かりやすい実話にして感動物語です。少年とメニューインはその後、再会したことも分かっている。しかし、どういうわけか、ここで情報はプツンと途絶えてしまった。メニューインはずっと活動を続けたが、少年の消息はいくら調べてもわからない。著者、滝 一平はこの実話に少年と同じくらい感動し、なんとか世間に広めたいと思ったが、当人は信州の山村暮らしという環境もあって自分で著作者になれず、テープに吹き込むという表現で残した。近在の人はこの朗読作品を聴いてみんな涙を流したという。

 ようやく、この感動物語は遺す価値があるという篤志家があらわれ、本書の発行になった。ここまでに60年の歳月を要した。売れないのを承知で企画、編集された皆さんの情熱と努力に敬意を表します。何十年か前、大人気イラストレーターだった宇野亜喜良氏の挿絵も素晴らしい。

巻末にメニューインの素敵な言葉が載っている。

           昼間、町を掃除する人々が、
   夜には四重奏を演奏する世界にしたい
   

(2011年 ヤマハ ミュージックメディア 発行)

 
宇野亜喜良の挿絵
バイオリン 

バイオリン



バイオリン


閑人帳

閑人帳
02 /05 2021
 

◆ 白内障手術レポート (その3)

術前・術後 どう変わったか
 「視力はイマイチでも良いからメガネなしで暮らしたい」こんな勝手な望みを伝えての手術。直後の検査では視力が左右で逆転していました。手術前は左が乱視がきつくて0,3、右が乱視少なくて0,5でしたが、それが左が乱視減って0,4、右が乱視きつくなって0,3。新聞は左目の方が読みやすいと逆になりました。視力は向上せず、が現在の結果です。新聞文字読みでピントの合う距離は、以前は20cmくらいでしたが、40cmくらいになりました。(この先、多少の変化があるかも)

驚いたのは色の見え方。以前は、パソコンのスクリーンがなんとなく黄色っぽく見えていて、これは8年使ってるパソコンの経年劣化だと思っていました。それは間違いで「眼の劣化」のせいでした。 左目手術後は、左、右、両方の眼で見比べることができるから、このちがいは確認できます。LED電球の色は、より白っぽく見えます。青空の青さがやや濃くなったように見えます。近所の植物園で見ていたきれいな花々の色彩も今まではかなり「濁り」まじりの色でみていたわけです。それにしても「乱視を矯正せずに遠・近同じように見える」手術ってどんなワザをつかうのか・・想像できない。(注)すべての病院でこのような中途ハンパな手術をしてくれるかどうか、不明です。

一日に点眼32回・・術後のケアがたいへん
 手術後は一週間くらい目薬さして・・それで完結、と安易に想像していましたが、大ハズレでした。一回目の手術後、退院前に薬のケースを渡され、看護士さんは「この4種の目薬を、一日4回指して下さい。点眼は5分以上あけてして下さい。この○○という薬はよく振ってから指すこと」となにげに説明し、はいはいと生返事して帰ったのですが、なかなか面倒なことだと解りました。
 
 4種類の目薬を朝・昼・夕・就寝前 の4回さします。4種類の薬を続けてさすと混ざり合って効果がないので5分以上あけてさす。これが片目の場合で一日計16回。両眼の手術が終わると二倍の32回になります。なんか、一日中目薬さしてる感じです。「センセ、これ、いつまでやるんですか」「まあ、2ヶ月。まずい症状あれば3ヶ月」 あの手術時間の短さにくらべ、なんとヒマがかかるのか、とボヤキたくなります。

ケアをこんなに大層?にする一番の理由は細菌の感染を防ぐためだそうです。眼の働きが安定する前に細菌が入ると重篤な症状に至ることもあるらしい。点眼のときは手洗いはむろん、テーブルや薬の容器などもバイキンがつかないよう清潔に保ちます。(状態が安定するにつれ、薬の種類は順次減っていきます)

 以上がT病院で受けた白内障手術のあらましです。病院によって設備や技術が異なり、ケアの処方も一様ではないと思うので、あくまでT病院での手術例、参考情報として読んで下さい。白内障の治療は今でもどんどん新しい技術が開発されているらしく、さらに安全、快適な手術になると思います。20年前に手術した人の経験談はもう参考にならないかもしれません。無知な患者のレポートなので間違ったこと書いてるかもしれません。

質問等あれば画面下の【拍手ボタン】を押してコメント欄に書いて下さい。
内容は非公開です。返信要の場合はメールアドレスを書いて下さい

参考情報
http://www.f.kpu-m.ac.jp/k/jkpum/pdf/122/122-8/tanekinen08.pdf


4種類の目薬を、朝、昼、夕、就寝前 4回さします。
白内障

閑人帳

閑人帳
02 /04 2021
 


◆白内障手術レポート (その2)

手術はたったの10分で終了
 どんなマシンで手術するのか、興味ありましたが、ストレッチャーで手術室へ運び込まれるので天井しか見えない。定位置についたとき大型の顕微鏡みたいな機械がチラと眼に入ったが、すぐシートで顔面を覆われてしまい、わからずじまい。あとで看護士さんに尋ねると顔を覆うタイプの顕微鏡をのぞきながら作業するという。なるほど。

 麻酔は準備中に点眼で2~3回、手術中に注射で1~2回、チクリ感覚はあるけど痛いというほどでもない。一番驚いたのは、大型顕微鏡みたいな機械から発せられる強烈な光で、大目を開けて太陽を直視してるような感じです。わ、凄いな、と思ってると、閉じないようにクリップで強制的に開けられてる眼球にジョジョジョ~と殺菌、洗浄?の液体が注がれて、わ、目玉が溺れそう、とヘンな錯覚を起こしてしまう。麻酔は局部麻酔だから目玉以外は普通に感覚があり、話もできます。(しませんでしたけど)もし、麻酔効果が広範囲で長時間なら日帰り手術は難しいかもしれず、麻酔技術の進歩が白内障手術の普及に大きく貢献していると思われます。

 一回目は緊張して意識がワヤワヤでしたが、二回目の手術はやや落ち着いて受けたので音を聴きながら「これは古いレンズを粉砕して吸い出してる作業」とか「新しいレンズを挿入している作業」とか、感覚的にわかります。(パンフで手術の内容、順序を覚えておくと、時系列で現在の作業を推定できる)二回目は先生が「これで手術は終わりました」と告げたとき「ありがとうございました」と声を出す余裕がありました。・・と思っていたのに、看護士さんに「どうしたの、血圧180まで上がってるよ」と逆の状況を言われ、落ち着いてた、はウソでありました(汗)。

(注)直径10ミリのアクリル製人工レンズを角膜の3ミリの切り口からどうして入れることができるのか。不思議に思ってましたが、答えは「折りたたんで入れる」でした。中へ入れると樹脂の弾性で自動的にもとの形に復元するそうです。これらを秒単位ですばやく正確に作業するには経験の蓄積が大事です。眼科に限らないけど、手術実施件数が多い病院ほど高い評価を得ているのは、それだけ技術の蓄積があるからでせう。

 手術は、準備(60分)~手術(10~20分)~安静・ケアの説明・会計(40分)の合計で2時間程度で終わります。普通の白内障手術は「日帰り」が常識で、入院は重い疾患がある人に限られてるみたいです。手術費用は年齢と収入額によって大きな差があります。65歳以上の人で年金生活者なら、両眼で8千円~3万円程度です。術後のケアにかかる費用はかかりつけの医院での支払いになります。(1回500円~1000円ていど。のべ10回くらい?)

 気をつけたいことがあります。病院からの帰りは当然片目になります。視野が狭まり、遠近感が乏しくなって歩行には注意がいります。コケたら、失明とか大惨事になります。ゆえに、遠方の病院を選ぶと往来のリスクが大きい。足が弱ってる人は付き添いが必要です。また、手術した眼には看護士さんが美的配慮ナシで眼帯をテープでベチャリと貼り付けるため、そのまま電車にのると、みんな席をゆずってくれそうなくらいハデな顔面になります。気になる人は顔隠し用の帽子と大型のマスクを忘れないように。(つづく)


こんな感じの機器で手術する


白内障 


手術の順序
白内障 


 


閑人帳

閑人帳
02 /03 2021
 

◆白内障手術レポート (その1)

 老化による視力の低下は仕方ないとメガネで補正しますが、原因が白内障ならば手術で回復という方法もあります。dameo の場合、乱視が混ざった近視で視力は左が0,3右が0,5。おまけに一年くらい前から左目はモノが15度くらい右へ傾いて見えるという症状があらわれ、近所の医院でも、大学病院でも「治らない」と言われました。やむなく諦めましたが、時間がたつとあまり不便や不安を感じなくなりました。

 しかし、最近はブログの原稿を書くと、一行に一箇所は間違えるうえ、眼の疲労で長くても30分くらいしか作業できない。なので、近くの医院の医師に相談し、白内障手術を受けることにしました。以下はその体験記です。3回に分けて掲載しますので関心ある方はご覧下さい。

病院を選ぶ
(1)徒歩圏にある「手術のできる病院」を選ぶ。これがあれば最高です。手術も通院も徒歩で済む。時間、費用の節約効果も大きい。
(2)徒歩圏にある眼科医院で診察をうけ、手術は別の病院でうける。(3)知り合いや経験者に勧められて遠方の「手術のできる病院」で診察、手術を受ける。親切は有り難いけど、不便や負担も大きくなります。

dameo は(2)の例で、自宅近くのK医院で診察、検査を受け、紹介されたT病院で手術。術後のケアはK医院で行うので通院はラクです。この手術は術後のケアが大事なので「いつでも、かかりつけの医師に相談できる」環境をつくっておくことが大切だと思っています。T病院に限らず、紹介状のある客に比べて、一見客はやや不利な扱いを受けるのは病院の受け入れ態勢からして仕方ないかもしれません。(紹介状があると患者の基本情報が伝わるので、診察、検査が円滑に進みます)

レンズを選ぶ
 T病院では検査に二日、手術に二日を要します。手術は左右で二週間の間隔をおいてします。日帰り手術でも合計4日を要します。検査は視力検査を除いては初体験のものばかりで、何を調べてるのかよく解らないまま終了し、最後に希望のレンズを選びます。遠方中心のレンズ、近くが見えやすいレンズ、どちらかを選びます。メガネがいらない遠近すべてがシャープに見える多焦点レンズもありますが、費用の大半は自己負担なので両眼で70~100万円前後かかるという話です。(今後、一部保険の適用と業界の競争で費用はだんだん安くなると思われます)
 
 dameo の選択は、遠、近、ではありませんでした。死ぬまでメガネはかけたくない。視力アップより「メガネなし」で暮らせるレベルでよい、というものでした。(お金があれば多焦点レンズを選びます)
 このことはK医院の先生にも相談しました。わがまま言うな、と怒られるかと思ってましたが、「できんことないけどなあ・・」の返事です。一回目の手術当日、準備中に検査担当の看護士が来て「先生(手術する医師)と相談の結果、前例があるので、乱視の矯正はしないという条件で希望に沿う手術をする」との説明。なんのこっちゃねん?と思いましたが説明されてもどうせ理解できないし、ま、ええか、と納得?して手術室へ。(つづく)


閑人帳

閑人帳
02 /01 2021
 

節分「厄除け祈祷」もオンラインで・・嗚呼

 「厄除け観音」として大阪市内で一番集客力の大きい「あびこ観音」がコロナの災いのせいで参拝自粛を呼びかけています。こんなときこそ「厄除け観音」さんの地力発揮してコロナ禍を追い払うべきなのに、あっさり白旗挙げてしまってる感じです。で、お寺へは来ないで、祈祷もオンラインで申し込んで下さいと。なんだかなあ。
 
 ネットで祈祷を申し込むと、約一ヶ月後に「祈祷札」が郵送される。費用にはランクがあって高いのは1万円。こんな素っ気ないやりとりで有り難みを感じるだろうか。お寺まで歩いて行って線香の匂い、烟りの立ちこめる境内に参拝し、順番待って祈祷してもらう。これで祈りや感謝の気持ちが湧き、来年もまた来ようと元気をもらって帰る。・・というのが「お参り」です。厄除け観音さん、コロナ厄に完敗・・は今年きりにしてくださいよ、たのんます。(今年は交通規制もありません)


NK子さんから時節に合った素敵なイラストをいただきました。
節分鬼



読書感想文

読書感想文
01 /31 2021
 

万城目学・門井慶喜「ぼくらの近代建築デラックス!」
 人気作家二人が、京阪神、東京、横浜の近代建築を訪ねてウンチクを披露する読みもの。題名からしてクソまじめな本でないこと分かりますが、作家にもこういう趣味をもつ人がいると知るだけで楽しい。

 万城目氏は大阪生まれなので関西の建築に詳しい。そういえば、「プリンセス トヨトミ」という作品では大阪府庁を登場させていましたね。取り上げる建て物はメジャーなものばかりで、中央公会堂、大阪府庁、綿業会館、芝川ビル、難波橋、など。例外は堂島薬師堂で、この設計は誰なのか気になっていましたが「日建設計」でした。(個人名不詳)

 大正から昭和時代にかけて日本で一番活躍した建築家は辰野金吾と渡辺節(せつ)であるという見方は賛成です。この二人が近代建築設計におけるリーダーだった。辰野金吾は大阪の中央公会堂と東京駅の設計者であるといえば、そのデザインの共通性でハハンと納得する人おられるでせう。

 渡辺節はdameoの大好きな「ダイビル本館」の設計者で、オフイスビルという合理主義優先の建て物に、なにやらおどろおどろしい、エキゾチックな様式を加えて浪漫と風格を演出している。注文したオーナーは「なんどす?このけったいな飾りは」と困惑したのではと想像します。淀屋橋の「芝川ビル」も小さいけどかっこいいビルでお気に入りです。

 知らなかったのは、あの京都鉄道博物館のSL機関車庫の設計も渡辺でした。無装飾、合理性のみの建築でも無難にこなしてるのですね。紹介されてる京阪神のビルはほとんど知っているので、なつかしさもあって、すいすい読み終えてしまいました。

 余談ながら、中之島中央公会堂は現在建て物正面の東西方向の道路が車道から歩道への改造工事が行われており、完成すると公会堂正面のロングショットがかっこいい風景になるのではと期待しています。この道路工事が計画されたのは、昨年、道沿いに子供向き本の図書館「子供 本の森 中之島」が新築されていて、子供たちの通行の安全を保つためではないかと察しますが、その裏で図書館の設計者(寄贈者)安藤忠雄氏の働きかけがあったのではないか。これも想像ですが、ほぼ、間違いないでせう。(2012年 文藝春秋発行)


表紙 

読書感想文

読書感想文
01 /28 2021
 

南 清貴「行ってはいけない外食」を読む

 副題<飲食店の裏側を見抜く> ファミレスやファストフードの店で食べる料理がいかにええ加減なものかを告発する本。著者は一般社団法人 日本オーガニックレストラン協会代表理事。

 なにしろ、飲食業界は競争が厳しい。いかに安く仕入れて高く売るかで勝敗が決まる。いかに、安全で美味しい料理を提供するか、に注力する業者は生き残れない。そんな業態のウラ側を説明するのでありますが、本書を読めば、神経の細かい人は外食する気がなくなるでせう。

 たとえば、ファミレスや持ち帰り弁当などの白いご飯。品質の悪い米をごまかすために精米改良剤という薬品が使われる。見ても、食べても分からないから誰も疑わない。この薬品はプロピレングリコールという物質が主体で、食品添加物としては「乳化剤」として扱われる。同じものを工業製品として作る場合は「界面活性剤」と名付けられる。シャンプーや洗剤に使われる化学製品である。これを炊飯時に混ぜると、白く、つやつやの光沢あるご飯に仕上がる。しかし、味までよくすることはできないから、見た目はいいのに食感は「モソッとした」感じになるが、鈍感な人はだまされて「美味しい」と感じてしまう。ご飯のツヤは界面活性剤のせいだった・・。どないです?自分は知りませんでした。

 中華料理店を主として野菜類は洗わずに調理するのが常識になっている。手間を省くためでもあるけど、一番の理由は劣化を防ぐためだ。大量に消費するネギなどは洗いナシで機械で刻んでオワリ。雑菌はついたままで客に供される。少数の運の悪い人は病気になる。
 調理師の仕事ってほとんどハンドワークだと思いがちだけど、それは一握りのエリートのみ。一般のレストランではコストダウン、省力化、すなわち「生産性の向上」をはかるために、食材や調理方法はどんどん「工業製品化」されつつある。では、工業製品=美味しくないのか、といえば、そうではない。そこは一所懸命に努力して客に嫌われないように「美味しそう」にして提供している。界面活性剤入りのご飯と同じ発想で客を欺いている。化学薬品で「美味しさを演出する」時代である。

 ファミレスやビジネスホテルのレストランで供されるサラダバー。食べ放題だから「野菜もしっかりとらなくては」と皿に取り込むが、この野菜は栄養価がほとんどない。なぜか。野菜自体、上等なものはない上に、見た目の鮮度を保つために次亜塩素酸ソーダという薬品の液に漬けて消毒、殺菌し、このままでは匂いがきついので水でジャブジャブ洗って匂いを消す。この時点で野菜の栄養分はほとんど洗い流されてしまい、食物繊維くらいしか残っていない。でも、見た目はシャキッとしているので、客は「新鮮な野菜」と錯覚してしまう。この作業は工場で行い、店では包装を解いて盛りつけるだけ、素人のバイトでもできる。(次亜塩素酸って、コロナウイルスの消毒にも使われてるような・・)

サラダバーの食べ物で調理人が作る料理はひとつもない。全部、工場から搬入されたパック品である。食べ放題をうたってる料理にコストをかけていては大赤字になる。オール「工業製品」で賄ってこそ赤字を免れる。 「味の素」の発明?以来、化学調味料の研究、開発が進み、同時に人間の舌が化学調味料に慣れ(なじみ)天然もの本来の味や香りを忘れつつある。伝統を守る一流店で昔ながらの「天然の味」で料理を出すと化学調味料になじんだ二流の客は美味しくない、とか、物足りない、という反応を示す。ニセモノが本物を駆逐するのだ。さりとて、店も商売だから、そんな二流客を無視すると客がいなくなる。で、渋々、二流客の味覚レベルに合わす・・店の料理レベルが落ちる。悪循環がはじまる。

 というわけで、国民の大半は残念ながら味覚において二流レベルだから「一流の店」の維持はだんだん難しくなっている。本当に美味しいご飯、本当に美味しい刺身、本当に美味しい野菜・・を知らない人がどんどん増えて長年築き上げた食文化を壊しているのが現状だ。ふだん、私たちが巷のレストランや回転寿司店で食する料理の大半は「工業製品」であることを認識しておこう。「安い」のは事実だとしても「旨い」のが事実かどうか、いささか怪しい。(2016年 三笠書房発行)

外食 


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閑人帳

閑人帳
01 /27 2021
 

コロナ禍・・dameo の一年前の無責任予想が当たる

 昨年3月29日に掲載した「閑人帳」記事の最後に、dameo の大胆無責任予想として「世界規模でいえば、年末に感染者数1億人、死者300万人」と書きました。東京、大阪の感染者数が一日に50~100人で推移していた、今から思えばずいぶんのどかな時分でした。
 その時点で年末に世界で1億人って数字は口から出任せの無責任な数字でした。しかし、その後は現実がデタラメ数字に追いついてきました。昨日の報道では感染者は1億人に達した。死者も200万人を超えた。約一ヶ月のズレはありますが、当たらずとも遠からず、であります。


 以下は昨年の予想記事の原文です(略)「4月末時点で東京都の感染者数が5000人超(一日平均160人)となれば、おそらく医療の対応が困難になる。感染経路が不明な患者が常に5割を超えるともう「爆発」は防げない。出来たて「特措法」発動です。
  この際、駄目男の大胆無責任予想。世界規模でいえば、今年末までに感染者数1億人、死者数300万人、と勝手に予想します。これが楽観的予想なのか、悲観的予想なのか、どちらとも言いにくい。これくらい大きな犠牲を払ってようやくワクチンが登場する・・う~ん、厳しい」(2020年3月29日掲載)


読書感想文

読書感想文
01 /25 2021
 

小谷野敦「文豪の女遍歴」を読む

 正月早々、楽しい本に出会いました。明治以後、昭和時代はじめまでに生まれた作家約60人の女性遍歴をセキララに書いている。森鴎外、島崎藤村、芥川龍之介、太宰治・・そうそうたるメンバーが女性問題をどう切り抜けたか。メンバー表を見ると、一流作家の7~8割くらいは問題を起こしていて、トラブルなしなのは少数にとどまる。夏目漱石もいろんな人が調査したが、まあ、問題ナシとされた。(さりとて、鏡子夫人との仲が円満だったとはいえない、とかなり疑われている)


 一般人と違って問題が取りざたされやすいのは、作家はスキャンダルでさえ作品創作の糧にできることで、スキャンダル=悪、と評価しにくい面がある。谷崎潤一郎なんか実生活の女性問題を次々小説のネタに取り入れる名人?で「細雪」「鍵」「瘋癲老人日記」「春琴抄」などの名作をものにした。自分の醜聞を文学作品に「変換」する名人だったと言えます。じっさい、女性問題で谷崎をマイナス評価する人は少ない。


 その点、太宰治は女たらしを糧にしつつ、処理の仕方がヘタクソだった。自殺や心中の失敗を重ね、恥をさらした。だからといって、世間全てが太宰治大嫌いというものでもない。どうしようもない駄目男と認めつつ、作品は好きというファンが多い。醜聞とは関係の無い優れた短編をたくさん作ったことが「女たらし」のイメージを割引きしている。
 

 川端康成は失恋の傷を抱え、やけっぱち気分で田舎の芸者をモノにした。それが「雪国」のヒロイン、駒子に仕立てられ、揺るぎなき名作と評価されて後にノーベル文学賞受賞に至るのだから「才能」というしかない。湯沢温泉のB級芸者、小高キクさんにしたら、さりとて妻にしてもらえたわけでもなく、小説の素材でしかなかった。本書によれば、川端康成は合計10人くらいの女を愛人にしたらしい。ほとんどが水商売の人だが、むろん、正妻もいた。いちいち嫉妬なんかしてられなかったにちがいない。川端自身は誰にも看取られない自死を選んで旅立った。


 読み終わって、60人のなかで一番のワルは誰かと考えたら、島崎藤村ではないか。本人も性悪は「血筋」と認めていたふしがある。ドジな太宰治や谷崎潤一郎のように「笑って許す」気にはならない。血族間の人間関係の醜さ、陰湿さは耐えがたいものだったと思われるが、藤村自身も被害者ではなく加害者側だったことで救いがない。女性に対しては卑怯、無責任な態度を通したことも印象を悪くさせる。しかし、歴史に残る「文豪」であることも変わらない。優れた文学作品のウラにどれだけ醜悪、悲惨、滑稽なドラマがあったかを知る意地悪な本でもありました。(2017年 幻冬舎発行)

表紙 文豪の 



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プチ・ケチの研究

プチ・ケチの研究
01 /23 2021
 

食器用洗剤節約の記録更新したのに・・・

洗剤使用量は前年の半分に
 食器用洗剤を一日どれくらい使ってるか、なんて、みなさん興味はないでせうが、プチ・ケチ研究者dameoはこんなしょーもないことも調べるのであります。方法は簡単、ボトル(商品名 キュキュット)に使用開始日を書いておき、空っぽになった日までの日数を数えるだけです。ひとり暮らしのデータですが、前回に比べ、大巾に節約できました。


 770cc入りのボトル、前回は7ヶ月で消費しました。一ヶ月で110ml、一日では3,7mlでした。同じボトルで今回は13ヶ月使えました。一ヶ月では59ml、一日では2cc、実に5割近くの節約になります。


前回に比べ、こんなに節約できたのは
・前回より節約を意識した。
・健康上の理由からフライパンを使う料理を減らした。
・洗い桶でのつけおき洗いをやめた。


しかし・・自慢できる節約ぶりではなかった
 主にこの三点が節約効果を高めたと思います。「スポンジのサイズを小さくする」という節約方法は前回も実施していました。一日の消費わずか2ml、これは自慢できる節約成果だと思いました。それで、参考のために、日本の都道府県別の食器用洗剤使用量を調べたところ、あちゃちゃ・・、意外と少ないではありませんか。ガッカリです。


・dameo 宅の年間使用量・・・720ml
・全国平均・・・・・・・・・1760ml

2倍以上の差がありますが、全国平均は世帯人員が平均2,2人くらいなので、一人当たりの消費量で見るとほとんど変わりません。(1760÷2,2=800ml)


因みに、全国で一番消費の多いのは神奈川県で2200ml。一番少ないのは鳥取県で1403ml。えらい差があります。大阪府はどうかというと1513ml。順位は42番目、大阪のおばちゃんはdameoと同じくらいのけちん坊でした。洗剤の値段はml入りで278円、これを一年間で消費すれば、一日あたり1円弱になります。


 この数字の差は、食事ごとの洗剤の使用量の多少だけでなく、料理の内容や外食機会の多い、少ない、なども影響していると思われ、無駄遣い、ケチの判断は難しい。使用量最少の鳥取県の人がケチで粗食で外食好きなんてこと、まあないだろうと思ってます。


 ・・というわけで、せっかく一年間ケチを続けてきたのに自慢できる成果はあげられませんでした。しかし、言うまでもなく、環境への負荷を考えると日本中で消費をケチって総量を減らすのが正しい考え方です。洗剤の洗浄力がぐんと高まっているのに、それに気づかず、20年昔の感覚でブチュ~~と放出するのはまちがい、ほんの少しの気遣いで2~3割の節約ができます。

参考情報
https://region-case.com/rank-h29-washing-up-detergent/


洗剤の単純な節約方法はスポンジを小さくすることです。水の量も減らせます。(標準サイズを買ってハサミで半分に切ります)
洗剤ケチ 

アートシーン

アートシーン
01 /22 2021
 

おっさんデザイナーの眼


コレはなにですか?


アートシーン



碁石ですよね!

大人の 99.9%は そう答える

イイエ! 違うんです

孫が 遊びに来て 

碁石を 出せと言う

オオッ! イイね!

先日教えた 五目並べ する?

ジイチャン ジャマ

なにか おとなしく 遊びだした

出来たのが コレ!

01碁石の絵 (2)



小学1年生の 孫娘作

雪だるま

碁石で 囲碁や 五目並べ

先入観など マッタクない

白色と 黒色の 「丸いもの」

何に使うか 自由

白と黒の 画材です

5歳の 孫娘は おもちゃ茶碗に

白色を 入れて はい! ごはん

『子供は 誰でも芸術家だ

問題は 大人になっても

芸術家で いられるかどうかだ』

パブロ・ピカソ

『子供は 誰でも発明家だ

問題は 大人になっても

発明家で いられるかどうかだ』

おっさんデザイナー?

セミナーで エラそうに

「先入観持つな!」と 言い続けているが

孫に いつも 教えられる

老いては 孫に・・・

イヤー! 知識・経験 

ジャマ しますな

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おっさんデザイナーの眼
kuniharuichi.blogspot.com
************

知識や経験が<dame人間>をつくる
 上の記事はデザイナーIさんのブログを許可を得て引用したものです。小学一年生の孫娘さんのつくった「雪だるま」作品。このアイデアを羨ましく思わない大人はいないでせう。学習で培った知識や経験が自由な発想を妨げている。大人は、より「無能」になるために努力、精進している。

読書感想文

読書感想文
01 /21 2021



嵐山光三郎「不良定年」を読む

 著者は若いじぶんから作家稼業専門だと思っていたら間違いで、40歳近くまで平凡社に勤めて雑誌「太陽」などの編集をしていた。だから「不良定年」という書名で本が書ける。脱サラ後になんとか文筆でメシが食えたのは本人の才能もあっただろうが、一番役立ったのは豊富な人脈ではないかと思う。不良定年なんてアンチな本を書きながら、腰を低くして付き合いを増やす。この才能、努力は欠かせない。まあ、不良ぶってるトコもあるわけです。


 発行は2005年、今から15年前になるけど、やはり時代感覚の差は感じます。当時は60歳定年がきまりだったというだけなのに今とちがうなあと感じてしまう。会社の定年人物の扱い方はだんだん厳しくなって50代から給与カットや役職停止など、イジメが続く。60歳で、軽くても役職つきで定年になれば幸せというものです。


 著者は40歳直前に希望退職した。しばらくぶらぶらしたあと、仲間を募って出版会社を立ち上げた。総勢7人だからみんな役職つきになれる。著者は常務を選んだ。脱サラしながら、結構、役職つきにこだわってます。こういう選択ができたのは、やはり人脈があったからでせう。男子たるもの、退職したらみんな不良定年になるべし、なんてかっこいいこと言えるのは自信のあらわれです。ちなみに、著者推薦の不良定年の模範(あこがれの不良ジジイ)は永井荷風と谷崎潤一郎だそう。これに共感覚える人、多いと思います。


 話変わって、今朝の新聞の人生相談欄にこんな投稿がありました。「69歳男性。都会から田舎に引っ越したけど、文化施設皆無の町で、友だちもできず、妻と二人きりの生活。長いサラリーマン時代にこれという趣味もなかったので、この先どう暮らせばいいのか。最近、ウツ気味です」という相談。(過去にガンを患ったが、克服し、今は健康)


 いまどき、趣味がない人なんて日本中に3人くらいしかいないだろうと思っていたが・・、おられるのですね。これ自体、感動ものです。さりとて、仕事が趣味だったとも思えないから、不良定年どころか「純粋退屈男」として生きてきたのでせう。気晴らしのネタがゼロの田舎町に来て「退屈」が際立ってきた。それにしても、69歳になるまで「楽しく暮らす術」を考えなかったという生き方、それに同調してきた妻って、いったい・・・(と、また感動する)


 15年前、著者は「不良定年になろうぜ」と呼びかけたが、世間の情勢は逆に「善良定年」になる人が増えているように思う。その理由は退職金の減少や年金生活への不安などの経済情勢のせい。著者の唱える不良定年に必須な「無頼生活に要する遊び資金」の乏しさでありませう。

 
 嵐山センセが不良定年を実践できるのは甲斐性があるからです。ほとんどの男は善良定年しかなれない。いま、この本を再版してもぜんぜん売れないと思いますよ。(2005年 新講社発行)


追記
 本書を読み終えた明くる日、半藤一利氏の訃報が伝えられた。出版界では標準的なカタブツと思っていたが、本書の表紙絵(下の写真)が半藤氏の作品と知って驚いた。こんな楽しい裏ワザをもっていたなんて・・。著者と半藤氏が昵懇の間柄であることを知るとともに、頼まれた半藤氏としてはこの裸婦絵が精一杯の「不良」ぶりの表現だったのでは、と想像したものです。半藤氏の奥さんが夏目漱石のお孫さんであることは知ってました。


不良 


半藤氏死去


読書感想文

読書感想文
01 /18 2021




酒井順子「泡沫日記」を読む

 前回感想文に続いて酒井順子の登場です。「金閣寺の燃やし方」とはぜんぜん趣の違う酒井流本来のエッセイ。同氏のエッセイはすでに数冊読んでいるけど、今回は「何が魅力で酒井順子の作品を何冊も読むのか」検証してみようという下世話な興味があって読んだ。


 文壇の有名作家ではない。ヒット作メーカーでもない。有名な「賞」を受けたわけでもない。TVなどのメディアで露出するタレント性もない・・日常生活の断片を切り取って原稿用紙4~5枚ぶんの文にまとめているだけの、イージーライターに思えるのですが、こんな地味な作品をコンスタントに発行してメシを食っておられるのであります。野球でいえばバントヒットだけで打率を稼いでるような作家であります。


 本作「泡沫日記」のテーマは、自分はいつのまにか四十女になってしまった。しかし、このトシになっても「人生初体験」になるものはたくさんあって「世間ってこんなものなのか」と学ぶ機会になると。小さな初体験を悲喜こもごもを綴るのであります。
 「ガードル」「引っ越し」「白髪」「介護」「オペラ」「コメダ」(珈琲店)・・等々について淡々と、しかし、退屈させない文章で読者を惹きつけておく。刺激はないけど飽きもしない・・ これです、酒井流「薄味の魅力」は。なんのことはない、エッセイの基本をしっかりわきまえての個性であります。他のエッセイストとのちがいは、さりげなく酒井流ユーモアを散りばめるセンスでせうか。


 であれば、前回紹介した「金閣寺の燃やし方」はいつになく重いテーマに真剣に取り組んだ作品だったと言えます。資料調査や現地調査に多大の時間をかけ、いつものエッセイストではなく、ドキュメンタリー作家として取り組んだ。dameo はその意気込みをヨシとするのでありますが、内容が深刻すぎて酒井ファンにはあまり評価されなかったのではないか。ホームラン狙ったのにファウルになってしまった?。あと20~30年は書けそうだからバントヒットの合間に二塁打くらいは打てると思います。(2013年 集英社発行)

泡沫日記


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読書感想文

読書感想文
01 /16 2021


酒井順子「金閣寺の燃やし方」を読む

 ものすごく深刻で悲しい話なのに、なんですか「金閣寺の燃やし方」なんてふざけたタイトルは。センセ、酒井順子のイチビリを懲らしめとくなはれ。センセとは三島由紀夫と水上勉のことであります。

 昨年暮れ、図書館へいくと「三島由紀夫没後五十年」で作品の特集展示をやっていて本書が展示されていた。こんな本があるとは知らなかったので、わ、ラッキーとニンマリして借り出した。何がうれしいのかといえば、三島由紀夫の「金閣寺」と水上勉「金閣炎上」の二冊を読んだことがあり、この本は両書の成立、解説をした作品だから。

 ふざけたタイトルはいかにも酒井さんらしいセンスで、他の作家なら絶対こんな題名にはしません。著者は三島由紀夫ファンだと言ってるので作品の評価は三島寄りになるのかと思いきゃ、本書では水上応援団になっている。自分自身の読後感、感銘度でも圧倒的に水上ヨイショ側なので、さらに酒井ファンになってしまった。

 金閣寺放火事件は昭和25年7月に起きた。犯人は寺の徒弟であった林養賢。放火の動機は、表向き厳しい戒律のもとに維持されている禅宗寺院が実際は高僧まで堕落した生活に明け暮れていることへの反感だったといわれる。さらに林は生来吃音であることや病弱な身体から人生の将来に絶望していた、とされた。当人は放火後、自殺するつもりだったが大文字山の山中で逮捕された。

 この大事件を二人の作家がそれぞれのイメージで描いた。三島は放火の動機を「美への嫉妬」などとして小説に、水上はドキュメントとして犯人の不遇な生い立ちに肩入れして執筆した。表向きの印象をいうと、文章は三島のほうがずっと上手でなめらか、対して、水上の文はのつこつして、つっかえるという感じ。車にたとえたら、三島はベンツ、水上はエンストを起こしそうなおんぼろ軽トラックという感じだ。

 しかし、読後の感銘度では水上「金閣炎上」が断然勝る。水上と犯人が同郷(若狭の寒村)だということが強い共感を呼ぶ。犯人の出生地である成生という集落の細々した描写を読み、地形図を購入して犯人の育ったお寺の位置や自然環境を確かめたくらいである。酒井さんもこのあたりの現場調査に力を入れていて、水上と犯人が一度だけ峠道で偶然に出会ったシーンを自分が目撃したみたいに丁寧に描いている。

 犯人、林養賢は収監後、結核が悪化し、統合失調症も発症して衰弱し、27歳で亡くなった。唯一の肉親だった母親は事件直後、警察に呼び出されて事情聴取された。そのときの衝撃が大きく、帰宅するべく乗った山陰線の列車が保津峡を通過時にデッキから飛び降りて自殺した。
 金閣寺と保津峡トロッコ列車・・観光客で賑わう有名観光地が薄幸の母子の悲劇の現場であったことを知る人はもうほとんどいないのではないか。もう70年昔の事件ですからね。

三島由紀夫と水上勉、いずれもファンの多い作家だけど、両方とも好きという人は少ないような気がします。この本との出会いをきっかけに「金閣寺」と「金閣炎上」読み比べてみてはいかがでしょうか。同じテーマを扱いながら、作家の個性の違いがくっきりとあらわれている作品です。

参考
三島由紀夫 「金閣寺」    1956年発行
水上 勉     「金閣炎上」 1979年発行

金閣寺


ウオーキング・観光

ウオーキング・観光
01 /14 2021


沢木耕太郎が語る<旅の魅力>論を紹介

 コロナ禍のせいで日本全国旅行禁止みたいな風潮になってしまいました。当面、リアルな旅はしにくいなか、ネットで出会った新潮社のPR記事を紹介します。沢木耕太郎の「旅のつばくろ」刊行に際してのインタビューです。
引用元 https://www.shinchosha.co.jp/book/327521/
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 つばめのように軽やかに。人生も旅も――。沢木耕太郎、初の国内旅エッセイ

編集者―この作品は、日本国内の、とりわけ北の地方を歩いて書いたエッセイ集ですが、沢木さんの「はじめての旅」をなぞるようなところがあるのが印象的です。十六歳、高校一年生の春休み、国鉄の東北均一周遊券と三千円ほどのお金を持って出かけた旅でした。

沢木 当時ちょっとしたアルバイトをしていて少しお金が貯まっていたんです。それを使って、ザックに毛布を詰めて上野駅から奥羽本線に乗り込みました。でも、長い年月のあいだに、どこをどう歩いたのか、記憶が曖昧になっていたんです。いつかその旅を「再構築」してみたいという気持ちはずっと持っていたんですが、折よくJR東日本の「トランヴェール」という車内誌が、旅のエッセイを書いてくれないかと声をかけてくれました。はじめての旅から五十年以上がたった今、新たに北の土地を歩いてエッセイを書くことで、はじめての旅を再構築できるかもしれないと思いました。十六歳のときの旅が蘇るかもしれない。あるいは全然蘇らないということがわかるかもしれない。はじめての旅の記憶がひとつの層としてあり、そこに新しい旅をして生まれる層を重ねて書いたら面白いんじゃないかと思ったんですね。

司馬遼太郎の旅
――旅を重層的に書くということですか?

沢木 司馬遼太郎さんが『街道をゆく』という一連の作品を書いていますよね。司馬さんの旅というのは、出版社が何もかもお膳立てして、記者や編集者、挿絵画家、その土地に詳しい人なんかがマイクロバスに乗って大勢同行するというものです。それじゃあ旅というよりは「大名行列」じゃないかなんて、ちょっと冷ややかに見ていた(笑)。

 だけどある機会があって、青森を歩いて書かれた『北のまほろば』を読み返してみて、印象が変わったんです。そんな単純な話ではないぞと思って。この作品の一番の表層は、もちろんその大勢の同行者たちと土地を歩いて取材していくというものですが、そのすぐ下に司馬さんが産経新聞の記者だった頃に取材をしたり、会った人々の記憶の層が加わる。青森出身の棟方志功と一度だけ会った時の印象なんかが語られるわけです。さらに作家として生きてきた時間の中で交わった、作家や文化人とのかかわりから生まれてきた記憶の層がある。
 たとえば直木賞の選考委員だった今日出海やその長兄の今東光。二人も青森に縁の深い人で、素敵なお母さんの話が出てくる。そして司馬さんが小説を書くために取材をし、勉強もした、戦国時代から幕末、明治に至る歴史の層がある。最後に「仮説の証明」という層も加わってくる。縄文時代に青森を中心とする北の国に豊かさや美しさがあったという司馬さんの仮説がいろいろな形で明らかになっていく。あるいは自分自身で深く納得していく……。

 『北のまほろば』という作品はこうした五つの層が豊かさを生んでいるんです。それに比べると、僕のこのエッセイ集は、たったの二層にしか過ぎません(笑)。まあ、僕が大学を卒業して、フリーランスのライターとして取材をし、人と出会い、触れ合ったり、付き合ったりしたという層が加わって、かろうじて三層ぐらいになっているかもしれませんが。

――就職した会社を一日で辞めて、フリーランスのライターになり、しかし先が見えないという時期のことも書かれています。永六輔さんや小澤征爾さんに取材したときのエピソードも印象深いですね。沢木さんにもこういう時代があったんだな、と。

沢木 でも、重層性ということでは司馬さんの足元にも及ばない。だから司馬さんには、心の中で密かに「生意気なことを思っていて、申し訳ありませんでした」と謝りました(笑)。

「旅の性善説」

――十六歳のとき、はじめての旅の行き先に東北を選んだのはどうしてだったんですか?

沢木 それはごく単純な話で、東北には長い夜行列車の路線があったから。それに乗ることで宿泊代を浮かせることができるわけです。少年の僕には、一人でどこまで長く旅を続けられるかが大事でしたからね。その旅の前年、つまり中学三年生の時、船に乗って大島まで行って、三原山に登ったんです。途中で親切なお兄さんに出会って、「このテントに一緒に泊まってもいいよ」と言われたんだけど、急に不安になってしまいましてね。どこかで罪を犯した逃亡者じゃないかと下らない妄想をしてしまって、三原山から下りたあと、まっすぐ波止場に戻って船に乗りこんで帰ってきちゃったということがあったんです。「あら、一週間は帰ってこないんじゃなかったの?」なんて、姉たちにからかわれました。よし、今度はちゃんと行くぞと思ったんでしょうね。いま思うと、よく親が出してくれたなと思うけど。

――宿を予約しているでもなく。

沢木 そう、まったく。車中泊と駅のベンチが大半で宿には二泊だけでした。なのに、帰ってきても「ああ、お帰り」というぐらいだった。でもそれが僕にとってはよかったんだろうと思います。あらゆることを任せてくれたということが……。いま思い出すと、僕は特別に早熟な子どもではなかったと思います。平凡な、ごく普通の高校生だった。ただ、一人で何でも決めて、一人で何でもやるということが、ほかの人よりほんの少しだけ早かったかもしれない。一人で何かをするという経験は、その後の僕にとって決定的に重要だったような気がします。

――旅ではいやな思いはしなかったんですか。

沢木 それが全然なかったんです。上野から奥羽本線に乗って、まず最初に秋田県の寒風山に行きました。そのときの僕の旅の基本的な方針は、かっこいい名前のところに行くという、ただそれだけだったもんだから(笑)。寒風山って、かっこいいじゃないですか。それで山から下りて道を歩いていると、トラックが止まって、「あんちゃん、乗んな」って言って乗せてくれた。運転席の前にリンゴが置いてあって、運転手さんが「そのリンゴ、一個持っていきな」と言ってくれました。

 今はみんな、旅をするときにミネラルウォーターをザックに入れて歩くでしょう。昔はミネラルウォーターって高かったので、その代わりに僕はいつでもリンゴを一個用意していました。水分補給できるし、何かあったときにはお腹の足しにもなる。今でも旅していると、ホテルの朝食のュッフェで必ずリンゴを一個失敬して、ザックに入れておきますが、あの旅のあの経験が原点だったんだなあと思います。寒風山のトラックの運転手さんにリンゴをもらう。あるいは北上の駅でベンチで寝ていたら、ホームレス風のおじさんが滑り落ちた毛布を掛け直してくれる。

 僕は「旅における性善説」の信奉者ですが、その十二日間の旅は、そういう親切に満ち満ちていたんです。まさに、旅の神様の「恩寵」に満ちていた。そもそも、最初の、上野からの奥羽本線でも、向かいに座った人にヤクザみたいなおじさんがいて、東京の裁判所から召喚状が来たから行ってきたんだとか意気がっていたんだけれど、僕が何も食べ物を持ってきてないということを知ると、バッグからあんパンを取り出して、「食べな」と言ってくれたりしてね。

長く旅を続ける方法

――そもそも(笑)、少し楽観的でないと、旅って楽しめないのかもしれませんね。

沢木 どちらかと言えば僕は楽天的な人間だと思う。文章を書く人間には向いてないのかもしれないんだけど(笑)。僕だってもちろん過去を回想して文章を書いたりします。けれど、行動においては、過去のことに拘泥するということはあまりないんですね。たとえ、うまくいかないことが起きたとしても、それを面白がるということが、とりわけ旅を続ける上では大事だと思います。家族の者には「一晩眠ると、みんな忘れちゃうだけでしょ」なんて言われるけど(笑)。実は、そうなんです(笑)。旅をしていく中で、それが強化されていったということはあるかもしれません。過ぎたことに拘泥すると前に進めなくなりますからね。旅を続けていくにはフットワークを軽くしたい。だから可能なかぎり荷物を少なくする。それと同じように、生活もできるだけ簡素にしておくと、動きやすくなる。生活を大きくしなければ、無理にお金を稼がなくても済むし、借金もせず、贅沢もせず、軽やかに生きていくことができる。旅も人生も、きっと同じなんでしょうね。

――いつでも旅に出ることができるというのは素敵なことですよね。

沢木 僕はできるだけ予定を入れないで済む人生を歩みたいと思ってこれまで生きてきました。締め切りなんていうものをなるべく抱えないでね(笑)。もちろんたまには雑誌の連載を引き受けたりもするわけだけど、そんなものはその気になれば、全部書いて、編集者に渡しておくことだって可能なわけで、さほど行動を制約されるものでもない。手帳に先の予定が埋まっていないと心配だという人がいるけど、僕はどれだけ手帳を空白にしていられるかということに、人生を懸けてきたようなところがあります。

――長い空白があるとホッとする。

沢木 そう。今年なんか、本当の意味での約束なんて、二つぐらいしかないんじゃないかなぁ。それを除けば手帳は真っ白という感じですね。そういう人生を生きたいと思ってきました。そして、ほぼ、そういう人生を送ることができてきたと思います。

好きなものが一つあれば人生はOK

――若い人たちが旅に出ない、内向的になっていることを嘆く向きがありますが……。

沢木 よくそういうことについて意見を述べよと求められるんだけど、基本的には何も言わないで来ました。これからもたぶん言わないでしょう。誰かに何か偉そうなことを言われるの、やっぱりいやだなと僕は思うから。でも、単純に何かに興味を持てば人は動き出すというところがありますよね。人生にとって一番大事なことって、好きなものを一つ持つということだと思うんですよね。

――そうですね。

沢木 どんなことでもいいから、好きなことを一つ持っていればいい。それは何でもよくて、趣味であったり、あるいは好きな人であったり、ペットだったり、とにかく好きだというものが一つでもあれば、人生は一生、楽しく生きていけると思う。それはきっと巡り巡って、例えば外国に出かけるといったことに結びつく契機になるかもしれない。とにかく好きなものを一つ持てば、人生はそれでOKだと僕は思っています。

――内向的になって、外に向く目が弱くなるということは、好きになる気持ちが弱くなることなのかもしれません。

沢木 外に向かう感情、他者に向かう感情の架け橋がなくなっていくのはあまりよくないことですよね。好きになるということは、関心を持つということで、関心を持つということは、ほとんどもう好きであるということと同じことのはずですから。何かに関心を持ち、何かを好きになるという感情が痩せてしまうと、ちょっと困ったことになるとは思います。

(さわき・こうたろう ライター) 「波」2020年5月号より

                                            ~引用おわり~

sawaki

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読書感想文

読書感想文
01 /11 2021
 
田辺聖子「私本・源氏物語」を読む
 日本の文化遺産といってよい「源氏物語」をコケにした、おふざけ源氏物語。もともと読む気なんかなかった「源氏物語」ではありますが、本書を読んで200%原作を読む気がなくなりました。田辺センセもけったいな本を書きはります。こんな本、誰が読むねん、と思って奥付を見たら、あちゃ~、85年から91年までに14刷とある。もしや10万冊くらい売れたのかも知れません。誰が買うてん、こんな本。

 田辺聖子は源氏物語の現代語訳本として、与謝野晶子や、谷崎潤一郎や円地文子とならぶ立派な「新源氏物語」を書いている。それで十分ではないかと思うのですが、このイチビリすぎる「私本・源氏物語」もぜったい書きたかった、と本人が述べている。まあ、そういう発想も田辺聖子らしいけれど。

 本物の雅の世界ではなく、思いっきり俗物源氏物語を書きたかった。よって、本書に登場する人物は光源氏をはじめ、全員が今ふう大阪弁を語るのであります。えらいこっちゃ。

 たとえば、こんな場面。夜ごと美女のもとへかよう光源氏、若い美人に飽きてしまい、ある夜、付き人の中年男(おっさん)に、婆さんもええもんやで、とのたまう。「私も若い女は飽いたよってに、ここらでひとつ、年かさのオナゴに当たって経験ふやそ、思うてな、典侍(ないしのすけ)をくどいた」 おっさんはおどろいた「年かさはよいが、五十七、八とは・・。程度(ほど)ちゅうものがおますがな、もうちょっと頃合いの年かさのご婦人、おられませんのか」「いや、三条のが四つ上、六条のが八つ上や」

 全編、こんな会話が繰り返されて話が進む。田辺センセ、書いてて楽しいけど、どっかで打ち切らんとズルズル続いて果てがない。・・ので、明石の汐汲み女がでるところで打ち止めとなる。その「明石の汐汲み女」が筋肉隆々、アスリートみたいな大女で、なよなよ男、光源氏はさすがに持てあましてしまい・・てなところでエンドになる。

 こんな、おもろいけどゲスな「源氏物語」で田辺センセは何を伝えたかったのか。ゲスの勘ぐりをいえば、千年昔、平安時代に創作された最高の文学作品とゆうたかて、よう考えたら「雅なポルノグラフィー」とちゃいますか。しかし、今さら「源氏物語」を王朝ワイセツ文学というわけにもいかず、ほんなら、ホンマはこういう本なんやで、とシモジモにもわかるように脚色したのが「私本・源氏物語」である。さらにソフトに表現するために大阪弁でごまかした。

 もう一つの勘ぐり。田辺センセは新・源氏物語を書くために平安時代の生活、風俗の細部まで猛勉強したにちがいない。しかし、その大量に仕入れた知識すべてが源氏物語に取り入れられるものでもない。それらがデッドストックになるのはもったいない。だったら、パロディを作ってそこで書いたろ。で、「私本・源氏物語」を書いた。

 たとえば、当時の貴族はどんなトイレを使ったのか、についてウンチクを述べている。大のほうは漆塗りの四角い箱で・・専任の処理係がいて、云々と「見てきたように」詳しく書いてある。そもそもあの大層な衣装(装束)を着てのトイレだから、一回毎に難作業となる。「厠」という設備がなかった時代に十二単を召した姫君が一人でトイレを済ませるなんて不可能なこと、誰でもわかる。

 食事のこともえらく詳しく書いてある。しかし、サイド情報なので本編に書く必要はほぼ無い。もったいない・・で、パロディ版に書いた。 この本読んだ人は本物「源氏物語」は読まない(読めない)。「源氏物語」読んだ人はこんなアホくさい本読まない。そやけど、どっちにアクセスするかはあんたの自由でっせ。好きなほう読んだらよろし。これが田辺センセのメッセージではないかと勝手に判断したのであります。(1985年 文藝春秋発行)
 

本 源氏物語 






閑人帳

閑人帳
01 /09 2021
 

詠み人知らず・・コロナ禍を恋歌に「変異」させた才能に感心

 NKさんからお洒落なコロナ情報が届きました。こんな楽しい変異種なら世間で感染流行大賛成です。LINEで拡散中とのことですが、どなたが創作されたのでせうか。えらい!

    しばらくは 離れて暮らす コとロとナ
             次ぎ会うときは 君と言う字に

下のNKさんのイラスト書を見ると子供でもわかります。日本語でしかつくれない落首(ざれ歌)です。これを読んで思いだしたのは江戸時代末の「泰平の眠りを覚ます上喜撰  たつた四杯で夜も眠れず」という有名なざれ歌。コロナも蒸気船も日本中を怖がらせた災厄ですが、ビビルだけでなく、ユーモアでいなすセンスも健在です。


コロナの替え歌




 dameo

■10年続けた<快道ウオーキング>を改題しました。
■《手づくり本》の研究は、大事なことは紙に記録しようという、アナログ爺のレジスタンスです。お問い合わせは【拍手ボタン】押してコメント欄からどうぞ。内容は非公開です。
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■ニックネームはdameo(丸出駄目男)です。
■1939年大阪生まれ