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DHさんの「昔の思い出話」


(110)中学校学科<数学>

(A)代数
 本田先生。綽名は機関銃。まるで機関銃のように歯切れの良い言葉が次から次と止めども無く飛び出してくるのでこの綽名となった。一度でも先生の講義を聞けば誰しも間違いなく納得する筈である。特徴的なのは2+2=4の=マークをイコールではなく最初のイーにアクセントのあるイーコールと発音される事と「学校へ行って何して来た。何、弁当食って来た。これではいけないのであって・・」としょっちゅう口にされる事だった。代数も小学校の算術には無かった言葉で、やたらとxやyが出てくる上に、最大公約数とか、最小公倍数とか、因数分解とか、始めて耳にする言葉がバンバン出てくる。そう言えば円周率とか平方根などもあった。あのルート2とかルート3とかを我々日本人は「一夜一夜に花見頃で1・414287356」、「人並みに奢れやで1・7320508」 或は「富士山麓鸚鵡鳴くで2・2360679」(これはルート5)などといとも簡単に言うが、これを外人の前で披露すると彼らは吃驚仰天、どうしてそんなにスラスラ言えるのかと、お目目パチクリ間違いなし。日本語でなくてはできない芸当である。計算尺なるものが出てきたのもこの辺かな。使いようによっては結構便利な時もある。


(B)幾何
山田先生。綽名。辰っあん。その由来は分らない。将棋の大山名人のような度の強い眼鏡をかけた先生で「お前らは 泉南大学とかゆうて偉そうにしてるが 鳥無き里の蝙蝠じゃあ」と言われた言葉が印象的だった。ピタゴラスの定理とか何とか結構な事だが、それを証明せよとなると全く別の話で何でこんな難しい事やらなあかんねんというのが本音で 実際、証明問題には四苦八苦した。と書いては来たが本当に山田先生に幾何を習ったのかとなると記憶がおぼろげである。ただほかに該当する先生が居ないから一応山田先生という事にした訳で、人間の記憶なんてつくづく頼りないものだと思う。分度器とコンパスは幾何には必要不可欠な小道具だが、英語でコンパスと言うと羅針盤の事で、私達がコンパスと言っている物は英語ではディバイダーと言う事をつい最近知ったばかりだ。


(C)その他
 その他というのはおかしいけれど、何と言っていいのか分からないので取敢えずその他としておく。福武先生と言って物理学校を出たばかりの本当に若々しい先生で、その上バリバリの江戸っ子弁だったから「坊ちゃん」の綽名がピッタリだった。この先生からはサイン、コサイン、タンジェントを習った。よく分からぬが微積分の入口ぐらいの所だったかも知れない。これが数学の最後の授業となって三年生の半ば頃から卒業まで完全な勤労動員に入り、生徒も各地の動員先に散らばってしまった。先生は帽子は戦闘帽だし、足には脚絆を履いて半ば軍人のような勇ましいスタイルで教室に来られたが、程なく応召されたやに聞いている。


(D)西ノ内先生(兄)
 綽名はサム。額の生え際が大きく切れ込んでいる所がサムライを思わせるという所が語源らしい。小柄で胃の具合でも悪いのか いつも顰めっ面をしている先生だった。数学の先生には違いないが教わったわけではない。私が石橋君と親友になったのは勤労動員先での事で、それまでは同じクラスになった事もないし趣味もまるっきり違うので接点がなかった。どういうきっかけで親しくなったのか覚えていないが、とにかくそこではいつも一緒に弁当をに食べていた。そこへ視察だか監督だかの為に来られた先生が私達の傍へ来て何を思ったか「君たちはいつも一緒で仲がいいな。羨ましいな」と言われた。先生との接点はこれ一つである。

西ノ内先生(弟)
 兄の先生はかなり前から岸中に居られたようだが私達が四年生の時に弟さんが赴任して来られ、兄さんがサムなのでコサムという綽名になった。兄さんと同じ数学の先生という事だったが数学を習う機会のないままに卒業してしまった。この年クラスの編成替えがあって一組は陸士、海兵など軍関係に進む者、二組は上級学校への進学を希望する者、三~六組は中学卒で終わる者と組み換えられた。そしてあろう事か西ノ内先生(弟)が二組の担任となった。新任の先生にそんな大事な役を任せて大丈夫かとの声が出そうな所だが、もうその頃は進学なんかどうでもよい時代になっていたのだろう。
 ある時この先生が「・・・に対する、お前たちの我関せず焉という態度は何事だ」と声を大にして怒られた事があった。ところが肝心の・・・が不明なので先生が何に対して怒ってられるのかよく分からず何だか狐に抓まれたような感じだった。


戦前の数学教科書 復刻版
戦前の教科書


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読書感想文


●武田邦彦著「偽善エコロジー」を読む

プラゴミは燃やしても良い・・に転換

 一週間前の報道で、地味だが自分には興味深い記事がありました。ゴミ問題について環境省の対応を伝えており、廃プラの処理(分別・再生)が困難な状況になったので焼却処理をしてほしいと全国の自治体に要請した、というものです。 ゴミの分別とその有効性について日ごろ疑問を感じていましたが、今回の報道で分別、処理のシステムに破綻が起きたことが分かりました。プラスチックゴミ・・大阪市の分別基準でいえば「資源ゴミ」のなかのペットボトルと「容器・包装プラスチック」が対象になります。これらは今まで焼却場で燃やさずに、リサイクル、再利用のための原料として扱ってきました。それでも処理できない分は中国などへ年間100万トンも輸出していたのです。しかし、中国などでは技術が進んで自ら樹脂製品を生産できるようになり、2年前に輸入を中止した。これがモロにこたえて日本の産廃業者は行き場のないゴミを抱えて大弱りの状態になった。焼却するのは自治体の仕事ですが、リサイクルは民間業者の仕事です。・・ということで、役所も市民もリサイクルについては知らん顔してきたのです。

 2,3年前、平野の焼却場を見学したとき、係員に「回収したプラスチックゴミはどうしているのか」と尋ねると「産廃業者のトラックに積み替えて姫路の処理場まで運んでる」とのことでした。大阪から100キロも離れた業者へ運んでいたのです。そこでゴミをベルトコンベアに流して作業員が手作業で「使える」「使えない」を選別する。家庭で「普通ゴミ」に仕分けるべきマヨネーズの容器や納豆のトレー、おかずがこびりついた総菜トレーなどが混じってるので、ひどい悪臭、悪汁のなかの作業になります。そこで働く人のほとんどが外国人というブラックな職場です。そして、悪質な業者は残ったゴミを山林に不法投棄する・・よく聞く話です。私たちは役所が回収するのだから役所が責任をもって処分するハズとカン違いしている。そして、役所と業者の間には利権が生まれ・・の構図が全国でできている。

プラスチックの再利用は有名無実
 ところで、回収したペットボトルはどれくらいリサイクルされているのだろうか。下の表は本書から引用したものですが、消費量の10%、回収量の20%くらいしかありません。大半は再利用されずに焼却や埋め立て処分されています。この表は武田氏がつくったもので、不思議なことに、業界団体がつくったグラフには消費量と回収量の表示はあってもリサイクルされた量のデータがない。(一部のデータしか見ていないので見落としがあるかもしれない)私たちはペットボトルは有効に再利用されてると思っているゆえに、水洗いしたり、ラベルをはがしたりと手間をかけて出しているのに、そんなの無意味らしい。 アホクサ!であります。

 プラスチックゴミは焼却処分する、となれば、今のように、本体と、キャップとラベルを別々に出すという手間は不要です。このあたり、役所は市民にどのように説明するのでしょうか。分別を細かく指示してきた役所ほど慎重にしないと市民に批判される恐れがあります。
 市民の一部には、急に大量のプラゴミを焼却することになれば焼却炉の負担が大きくなって不完全燃焼とか、マイナス面が出るのでは、と心配する人がいるかも知れない。しかし、そんな心配は要りません。よほど非力な自治体はともかく、大方の市町では焼却能力に余裕があり、無理なく燃やせます。大阪市の場合、むしろ、燃やすゴミが足りなくて近隣市のゴミまで引き受けています。この余裕綽々の原因は市内のゴミ排出量が想定以上に激減したからです。(ピーク時の半分になっている)

 石油が原料のプラゴミは良く燃えるので、生ゴミ等を燃やすときの助燃剤になり、そのぶん重油を節約できる。また稼働率が上がれば発電量も上がり、これは電力会社が購入してくれるから維持経費の改善に役立ちます。ダイオキシンが増えて健康に悪影響?・・が心配な人は本書を読んで下さい。答えが書いてあります。


レジ袋削減運動も無意味

 スーパーなどが「レジ袋削減キャンペーン」をすると、いっときマイバッグ持参の客が増えます。では、その人はゴミをどのように保存するのでせうか。生ゴミをいきなり45リットルの大袋に入れるのか。それともダイレクトにペール容器に入れるのか。そんなこと生まれてこの方したことありません。レジ袋を断れば別の同じような袋を買うしかない。これでは削減効果ゼロです。買うよりもらう。もらった袋は大事に使う。
「タダでもらう」というのは間違いで、店はレジ袋費用を販売コストに計上しているからタダではありません。こんな単純な仕組みを知らず?にレジ袋を減らす運動(マイバッグ愛用とか)に情熱を傾けている人がいるのだから笑ってしまいます。そのマイバッグが石油系原料でつくられていたら・・馬鹿丸出しです。

 著者が薦めるゴミの分別は単純です。「金属類とその他」これで十分だと言います。金属類は再生できる。特にアルミ缶はリサイクル材としてスグレモノだそうです。一挙にここまで単純化は無理としても、大巾に改善はできます。駄目男がイメージする一番悪質な自治体は、チマチマと細かく分別を指定し、かつ、指定のゴミ袋を強制的に買わせる町です。無能と悪意てんこもり、そんな町、本当にあるとは思ってませんが。(2008年 幻冬舎発行)

ペットボトルの消費量、回収量、リサイクル量のグラフ
1偽善


駄目男宅の生ゴミ容器
 直径20センチ、高さ22センチの樹脂容器に標準的な35×35センチのレジ袋に入れ、それより小さめのレジ袋または他のポリ袋を底に敷く(漏れを防ぐために底を二重にする)このサイズで約3日分。過去10年くらい、消費量ともらう量がほぼ同じで過不足がない。45リットルの大きなゴミ袋は紙ゴミなども入れて、月に2~3枚程度使う。プラゴミは大きいレジ袋に入れる。

ゴミペール


偽善 



参考資料 
https://mainichi.jp/articles/20190516/k00/00m/010/010000c

廃プラ、産廃も焼却要請へ ~環境省、市区町村に~ 
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毎日新聞2019年5月16日 03時00分

 国内で処理が追いつかなくなっているプラスチックごみ(廃プラ)について、環境省は、焼却炉などで家庭ごみの処理を担う市区町村に対し、企業など事業者が出す産業廃棄物の廃プラも受け入れるよう要請する方針を固めた。関係者への取材で判明した。緊急措置として一定期間の受け入れを求め、応じた自治体への財政支援などを検討する。都道府県や政令市に近く通知を出す。
 全国で排出される廃プラは年間約900万トン。うち産業廃棄物として扱われるものは約700万トンと8割近くを占める。国内の態勢が整わない中、輸出されていた分などのうち一定量の廃プラがリサイクルされず焼却されることになる。

 リサイクル資源として日本が輸出する廃プラの大半を受け入れていた中国が2017年末に輸入を原則禁じて以降、日本国内での廃プラの処理が追いつかず、中間処理業者の敷地内に山積みになるなど問題化していた。さらに、廃棄物の国際的な移動を規制するバーゼル条約の締約国会議が今月10日、汚れた廃プラを21年から対象とすると決めた。日本が現在輸出している年間約100万トンも規制対象になる可能性があり、国内での処理がますます難しくなる懸念が出ていた。

 関係者によると、家庭ごみの分別が徹底されてきたことで、自治体が所有する焼却炉は稼働率が低水準のものも多く、事業ごみの廃プラを焼却する余力があるという。このため環境省は、緊急避難的に廃プラの処理を市区町村に要請することとした。受け入れた自治体には財政支援をするほか、処理費用の徴収なども認める。

 ただ、自治体の所有する焼却施設は「迷惑施設」のイメージもあり、周辺住民の反対なども予想され、自治体によって対応が分かれる可能性がある。廃棄物処理法は、市区町村は原則として家庭から出る一般廃棄物を処理するとしているが、自治体が認めた場合に限り、事業者が出す産業廃棄物を処理することもできる。【鈴木理之】

バーゼル条約
 有害物質を含む廃棄物について、主に貿易などで国境を越える移動を規制する国際的な枠組み。1992年に発効し、日本は93年に締結。186カ国・地域と欧州連合(EU)が加盟している。締約国会議で今月、汚れたプラスチックごみを輸出入の規制対象に加える条約改正案が採択された。条約改正の発効は2021




private のらくろ会情報



●6月例会 ご案内

イラスト 梅本三郎
おしゃべりと 線路は続くよ どこまでも

6がつ例会イラスト


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●馬見丘陵公園 ~菖蒲が見頃?~ 担当・小西
 4年前の6月に歩いたコースです。
■6月5日(水) 雨天の場合は7日(金)
■集 合・・10時30分 JR大和路線 王寺駅改札口集合
 参考ダイヤ JR難波9:58(快速)~新今宮10:02
 ~天王寺10:05~王寺10:23着 ~乗り換え~
 ※近鉄田原本線 10:35発に乗ります。
■コース・・近鉄箸尾駅~公園裏口~ナガレヤマ古墳
 (昼食・T)~菖蒲園~花笑橋~公園北口~近鉄池部駅
    徒歩5,5キロ 平坦路 弁当持参要
■コーヒータイムはありません(園内にカフェあります)

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くちまめ例会 ご案内 ~担当 藤家さん~
6/13(木)六甲縦走路 約8KM
須磨から登ったのは何年前かしら、完歩して
いないので再挑戦です。

集 合:阪急宝塚駅 9:00
コース:駅~登山道~大谷乗越~エデンの園
バス停――逆瀬川駅着
*昼食・杖持参のこと 
*次回は9月12日予定してます


DHさんの「昔の思い出話」



(109)中学校学科<音楽>ほか

 音楽については殆ど書く事が無い。細面のいかにも音楽家といった感じの先生だった。覚えているのはチェルロと書いてチェロと読むと言われた事ぐらいなものだ。弱ったのは和音というしろもので、先生が三つのピアノの音を同時に叩いて今のは何の音だったかと聞かれるのだが、私にはどれもこれもボーンとしか聞こえないのにハホトとか何とか聞き分ける生徒が居たのにびっくりした。それまでは人間の耳なんてものは誰でも同じで、みんな同じように聞こえているものと思い込んでいた。始めて聴覚というものが人によって違うものと知って驚くとともに、私のように微妙な音の差を聞き分けられない者を「音痴」という事も知った。余り有難い事ではない。

 そう言えばいろいろ思い当たる事があって、これは音痴とは違うが「爆弾三勇士」という軍歌の「・・・鬨の声(ときのこえ)」の所が何度きいても「タケノコエ」としか聞こえず、なんでこんな所に筍が出てくるのかと不思議に思った事や、ラジオの野球放送で「スリーアウト、チェンジ」がこれまたケンジとしか聞こえなかった事などが思い出される。当然、現在でも同様で、お笑い番組なんかでも何を言っているのか聞き取れない事があって、みんなが笑っているのに一緒に笑えずに情けない思いをする事も屡である。これは音痴とはちょっと違って単に耳が悪いという事だろう。

 音楽の時間に海軍航空隊のハワイ攻撃を称えた「・・・巨艦裂けたり 沈みたり」という歌を歌った時の事、[巨艦]の部分だけ生徒一同が一段と声を張り上げて「キョーカン」と大声で歌った事があった。生徒としては「キョーカン」は教練の「教官」であり、これで暗に教練は嫌いだと声を大にして言っているつもりだった。
 余談になるがハワイの真珠湾は世紀の大誤訳で真珠港でなければならない。パール・ハーバーであってパール・ベイではないからだ。横浜港はあっても横浜湾がないようなものだ。湾と言いだしたのはマスコミで海軍の方はそうは言ってなかったが、マスコミが真珠湾、真珠湾と言っている中に真珠湾になってしまった。

 絵画の時間というのもある事はあった。大岩先生という名とは全然逆の非常に小柄な先生で教壇に上がると前の高い机の陰に隠れて顔の上半分ぐらいしか見えなかった。申し訳ないが覚えている事と言えばこれだけぐらい。

 書道は科目には無かったが、書道部というものはあった。一応入部はしたものの殆ど何もしないうちに勤労動員が始まり自然消滅みたいな形で終わってしまった。ところが何十年か後に尾崎であった皿田能という能楽鑑賞会を観に行ったところ、スポンサーとして挨拶したのが何と書道部の伊崎先輩で、これも驚きだったが、同じ場で実に久しぶりで石橋君にも出会い親交が復活した。全く、何時、誰に合うやら、人の出会いというのも不思議なものだ。


アートシーン


●マーラー編曲のベートーベン「7番」

 5月12日のEテレ「クラシック音楽館」で上記の曲を演奏していたので興味深く拝聴。実は、マーラー以外にも編曲を試みた作曲が複数いたらしい。なぜ、大先輩の名曲をいじりたくなるのか。そのワケはサウンドの貧弱さにある。曲想の立派さ、スケール感に対して表現力がイマイチだから、もっとかっこよく聞こえるように編曲しなおす・・というのが本意だと想像する。

 で、マーラー版の「7番」はどうだったのか。聴いてみれば、旋律やテンポはまったく変えず、木管楽器の編成を8名から16名に倍増した。これだけです。(細部に変更があったのかも知れないが、聴感では分からなかった)なので、少々期待はずれでした。それでも音に厚みが増したのはわかり、弦楽器が前に出すぎるギスギス感が小さくなっていた。

 自分の印象では、ギスギス感が気になるのは「7番」と「9番」の2曲。9番(合唱付き)は聴くたびにオーケストレーションの貧弱さが気になる。ヴァイオリンとビオラのコンビネーションにもう少し配慮すればええのに、なんて勝手に想像する。しかし、考えてみれば、この曲を作った当時、ベートーベンの聴力はひどく衰えており、新しい発想での曲づくりは無理だった。それに、当時は金管楽器の性能が発達途中で現在の楽器のような、大きな音を安定して出すことができなかった、という理由もある。初演のときの人数が合唱団合わせて100人未満なら、そもそも分厚いサウンドなんか望むべくもない。

 現在の「9番」の演奏は「一万人の第九」という年末行事的な大スケールの演奏会もあるけど、オケの編成はあまり変わらないのではと思います。(不詳) だから、ギスギス感も変わらない。
 他の交響曲はどうか。駄目男の好きな「8番」なんかイジッてほしくない。室内楽のような、こじんまりしたところが魅力の曲だから。「3番(英雄」もさわらない方が良い。では、先輩のモーツアルトの交響曲はどうか。上記のような不満や違和感を感じたことがない。ということは、スコアの完成度ではモーツアルトのほうが一枚上と言える・・なんちゃったら、ベーさんファンに怒られそう。(演奏はベルリン放送交響楽団)


ベートーベン

DHさんの「昔の思い出話」



(108)中学校学科<歴史Aー日本史>

 大越(おおこし)先生。綽名はオコシ。「岩おこし」のおこしではなく、女性の腰巻の事である。色が白く、一寸ぶよぶよ肥っていて言葉にもどこかの訛りがあった。
 日本史は一応小学校で習っているので何を今更と思っていた所、流石に重複する所は避けて、天平、白鳳の仏像はどうだったとか、鎌倉時代の運慶、湛慶はこうだったとか、或は尾形光琳がどうの螺鈿細工がこうのと言った具合で歴史というより美術史の趣があり、これなら真新しくはあるが、余り興味の持てる内容ではなかった。

 それよりも先生は「宮座」の研究では斯界でも著名人だとの事で、或はこれで博士号位は貰ったかも知れない。多分もう少し後の事と思うが著書も出版された。私の大学時代に三省堂でお目にかかった。一見して高い本だなあというのが第一感だった。専門書だから発行部数も少なく当然コストも高くなるのも已むを得ないが本を出すのも大変だなあ、が偽らざる気持ちだった。「宮座」とは聞きなれない言葉だが道明家は出身地の熊取町では確か清原神社の「座」に属していたと聞いている。年に一度、氏子の中の最年長者が他の氏子一同を接待するもので、私の父も一度その役に当たった事がある。一度当たればお役御免で次の者に順番が移る。続いて居れば当然いつかは私の番になる筈だが一向にお呼びがない所からすると、この習慣も絶えてしまったのではなかろうか。

<歴史Bー東洋史>
 申し訳ないが先生の名前も覚えていない。しかし習っている筈で、東洋史と言えば勿論その中心は中国とインドになる。中国の方は遣隋使、遣唐使以来のお付き合いで隣国と言うより、むしろ輝ける星だった。第一、現在私どもの使っている言語・文字の根幹は漢字・漢語だから日本文化の半分以上は中国文化だと言えない事もない。詳細はともかく漢、秦、隋、唐、宋、元、明、清など歴代王朝にも馴染みがある。

 インドについてバラモンとかカースト制度とが記憶に残っている。このカーストがインド社会のガンでこれを何とかしない限りインドの進歩も発展も望めないとの事だったが、今でもこの制度が続いているのだろうか? それにしては戦後、人口が3倍以上に急増して10億を超えたという事はそれだけ経済規模も拡大した訳で、一体どうなっているのか情報も殆ど入らず、何だか聾桟敷に置かれているような感じだ。

<歴史Cー西洋史>
 山中先生。綽名「ツータン」。少し古い話になるがエジプトの王家の墓から例の「ツタンカーメン王」の黄金のミイラが発掘されて大騒ぎになった事件があったらしい。その当座、先生が狂喜の余り口を開けばツタンカーメン、ツタンカーメンというものだから、それが綽名になった由である。こちらはインドと違って、エジプト、ギリシャ、ローマ以降は現在と同じイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、スペイン、ポルトガルと何れも知った名ばかりだからインドに比べると断然親しみやすい。

 それにしても何とも不思議でならないのがエジプトのピラミッドで(スフィンクスは狛犬みたいなものだろう)未だに何の為にどのようにして造られたのかも分からないとは信じがたい。諸王の墓との説が大勢らしいが墓は別の処にあるからこの説は取り難い。それに現在の科学技術でもピラミッドを造れないと聞くと、現在の科学も大したものでもないと思うとともに、あんなに優れた文明、技術が継承されずにプツンと切れてしまっているのがどうしても解せない。一体何があったのだろうか。

 ギリシャについても似たような事が言える。あの華麗なギリシャ文明もあの一時期限りで今はない。ギリシャという国は今もあり、そこにギリシャ人が住んでいると言うのにである。彼らは本当に曾てのギリシャ人の後裔なのだろうか? 文明というものはそんなに続けにくいものなのだろうか? 余談だがなぜギリシャ人の名前はすべてスで終わるのだろう。ソクラテス、アリストテレス、アルキメデス、ピタゴラス・・・プラトンだけは例外だが。
 ローマ帝国も滅んだ。これは歴史の必然みたいなもので不思議でも何でもないが、不思議なのは今のイタリア人があの永遠の都ローマを築いた偉大な種族の後裔とはとても思えないその落差の大きさだ。個人に青年、壮年、老年があるように民族にも それぞれの寿命というものがあるのだろうか。

 中世のヨーロッパは暗黒の時代といわれる。キリスト教の所為だ。魔女裁判という無茶苦茶な事もあったし、「それでも地球は動く」の天動説と地動説の争いもあった。キリスト教に限らず宗教には理が通じないから困ったものだ。特に一神教がいけない。自教以外は異教であり、その存在を許そうとしない。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が三つ巴になって争っていては永遠に平和はない。幸い宗教の力も現代になってから少しずつ弱まっているので、それが希望と言えば言える。
 そして科学技術が爆発し産業革命となるが、それが不幸にして「日没する事なき大英帝国」に代表される西欧列強の植民地支配と白人優位説となるが、それも第二次世界大戦までで、戦後、漸く人種間に優劣がないという考えになってきた。人類の歴史は漸くこれからだろう。


戦前の歴史教科書の復刻版
歴史教科書 


戦前は女子高校生向けの歴史教科書があった。
歴史教科書



ウオーキング・観光


●Nさんの「太子快道」レポート

 平野区在のNさんより「太子快道」完歩しました、の便りが届きました。Nさんはウオーキングや旅行が趣味ですが、歩きに関しては「20年間で4万キロ」歩行を目標にして毎日の歩行距離を記録されています。4万キロは地球一周分の距離です。1年なら2000キロ、一ヶ月なら約167キロ、一日なら約5,6キロ、毎日一万歩くらい歩けば達成できるという計算ですが、一日サボれば翌日は10キロのノルマになり、怠惰な駄目男にはぜんぜん向いてません。

 では、実績はどうか。Nさんのブログ「散歩人の夢想」によれば、開始の2010年1月21日よりただ今(5月13日)までの歩行距離が1万8693キロです。残りは2万1307キロ。この歩行にはハイキングでの歩行だけでなく、日常生活のなかの歩行も含まれているかもしれず(不詳)趣味での歩きだけではかなり荷が重いような気がします。なんにせよ、目標をもって続けることは、しんどい半面、励みにもなります。「太子快道」を全部歩いても77キロで、数字稼ぎにはあまり役に立たないけど、四天王寺から飛鳥村の橘寺まで、さらに叡福寺へのお礼参りまで、フルコース踏破されました。この場で御礼申しあげます。
 なお、Nさんは昨年暮れにつくった「西除川ウオーキングコース」も歩き、今後「京快道」も予定に入れてもらってます。

このブログに「西除川」と「太子快道」のレポートがあります。
「散歩人の夢想」
http://beigehare3.sakura.ne.jp/





読書感想文


●坂本政道著「あの世はある!」を読む

 なんだかキワモノふうタイトルですが、よくある自称「霊能師」とかが書いた本ではないのが手にした理由。著者、坂本氏は東大物理学科卒業でソニーに就職、約10年間、半導体素子の開発に携わった人。本人も「自分はガリガリの物質主義者」と述べている。そんな人に「あの世はある!」と言われてもなあ・・困惑しつつ読みました。

 読んで見ると、あの世へ行くには相当に高度なサイエンスのチカラを借りなければならないことが分かる。その方法を開発したのはロバート・モンローというアメリカの音響技術者で、後に「ヘミシンク」と名付けたテクノロジーを研修会などで学んだうえでトライできる。アホなおっさん(心身のデリカシーを感得できない人)はあの世へいくことができない。 知性、感性のレベルが高くて、かつ心情冷静な人であることが重要だ。落語の「地獄八景 亡者の戯れ」にでてくるオッサン、オバハンではとても無理であります。

 ま、難しい話はさておき、あの世を訪ねるためには段階を踏まねばならない。トレーニングと成果はつぎのような順になる。

(1)夢を見る、幻覚が起きる
(2)体外離脱体験
(3)あの世を訪問
(4)死者との交流、自分の過去世を知る

著者はこれらを全部マスターし、世に広めようと何十冊もの本を書いている。おそらく、日本におけるヘミシンクの第一人者と思われる。著者がこの道に進んだわけは、もともと死後の世界に興味があったことと、死ぬことに対する恐怖感がすごく強かった。しかし、死んでもあの世で暮らせることが分かれば恐怖感は大巾に減る。死=不幸ではなくなる。

 著者によれば、体外離脱なんて朝メシ前だ。やはり本命は「あの世」の訪問である。さすがにこれは簡単に体験できず、米国での研修会では5泊6日の日程でレッスンする。レッスンの大半はヘッドフォンで特殊な音を聴くことである。宿泊研修するヒマなんかない、と言う人のためにCDセットがある。え?・・CD聴けばあの世に行けるのか、と怪しむが、ネットで調べると普通にCD商品として販売されている。なんだかとてもイージーな感じがするが、これがマユツバ商品なのかどうか分からない。

 それにしても、亡くなった父母に会いたいと思ってあの世を訪ねたら本当に会えた、という話を俄に信じる気にならない。あるいは、自分の過去世を知って自分のこれからの生き方を学ぶという話。例えば500年遡って何人もの「自分」に会い、その中に殺人者がいたら・・。どひゃ~~、であります。本書の最終章にはあの世を訪ねた人のレポートがたくさん載っているけど、読後感は総じて暗い。明るい風景や楽しい語らいといった場面はなく、争いや戦争に巻き込まれて苦労するといったネガティブな体験談が多い。

 それはさておき、本書の内容がまるでインチキともいえないのは、私たちが観念としてもっている「三途の川」や「輪廻転生」に通ずるところがあるからでせう。しかし、いまや、神様や仏様に導かれてあの世へ行くのではなく、研修会とCDによってあの世へ行く時代になった。キリスト様やお釈迦様も、いやはや、えらい世の中になってしもたなあ、と嘆いておられるに違いない。(平成26年 ハート出版発行)


本 あの世はある

ウオーキング・観光


●「ネモフィラ」だらけの丘  ~馬見丘陵公園~

 大阪・舞洲のゆり園が昨年の台風被害でオシャカになり、代わってネモフィラを植えたところ、なかなかの人気で、ピンチヒッターがホームランを放った感じ。関西では、この花の大規模な栽培がなかったのも好評の理由だと思われます。同じネモフィラが奈良県の馬見丘陵公園にもたくさん植えられて、あちこちで青いお花畑が見られました。
 和名は「ルリカラクサ」というそう。一年草で、栽培簡単、たぶんコストも安いのでこんなにたくさん植えられたのでは、と勝手に想像しています。(5月8日撮影)

ネモフィラ



ネモ 


ネモ 


ネモ 


ネモ 


ネモ 





DHさんの「昔の思い出話」



(107)中学校学科<地理>

 地理は私の一番好きな学科である。子供の頃から地図を見るのが大好きで地図を見ては見知らぬ土地の事をあれこれと空想して一人で楽しんでいた。日中戦争が始まるとどこで手に入れたか地名だらけの大きな支那の地図を拡げて日本軍が占領した土地に赤丸を付け、それがどんどん増えて行くのを見ては喜んでいた。

 さて地理。尾崎先生。綽名はスボケ。スボケの正確な意味は分からないものの余りいいものではない事だけは知っていた。随分年取って見えたが、その通りで私達が勤労動員で学校から遠ざかっている間に故郷の和歌山の方に隠棲されたと聞いた。
 普通地理と言えば土地土地の物産が主要テーマになるもので、それには違いないのだが、その前に「沿革」という聞きなれない言葉が出てきて、地名と言っても旧国名の由来が示された。例えば静岡県の「伊豆」は富士火山帯の爆発で伊豆半島が出て来たから「出づ」だとか、山梨県の「甲斐」は峡谷が多いので「峡」(かい)なのだと言った類である。

 多分、宿題だったかと思うが、北海道の(これも多分)地図を写してこい、というのがあって、私のそれが丁寧でよく出来ていると先生が私のノートを拡げて教室中見せて廻った事があったらしい。私自身に覚えがなく、これは何十年か後に同級の児玉君から聞かされた話である。
 それよりはっきり覚えているのは、100点満点のテストで102点になった事。どうしてそんな事になったかと言うと、先生が字の綺麗な者には1~5点の追加点をやると言いだしたからで 私の場合は97点プラス5点で102点という前代未聞の結果になった。全生徒の答案用紙に眼を通さねばならない先生としては蚯蚓ののたくったような読めない字で書かれてはたまったものではない。追加点を出す先生の気持ちもよく分かるし私にとっても忘れられない出来事になったが、この方法はこの回限りで終わった。

閑人帳



〇ビのレジャーは古本屋めぐり

 ヒマあり、カネなし・・オジンの楽しみは古本屋めぐり、というわけで、四天王寺の「春の古本祭」に出動。なんせ、店も本も多すぎて選ぶのがたいへんです。ある店で古地図がたくさん出ていて買いたいが、一枚5000円くらいするので手が出ない。明治、大正時代の絵葉書にも魅力的なものがあります。ま、それは諦めるとして、3時間くらいウロウロして買ったのが写真の7冊。購入価格850円ナリ。

□向田邦子「あ・うん」
□津本陽「巌流島~武蔵と小次郎」
□タン・ロミ「阿片の中国史」
□武田邦彦「偽善エコロジー」
□正岡子規「病床六尺」
□宮本常一「絵巻物に見る日本庶民生活史」
□新潮日本文学アルバム「宮沢賢治」



フル品  



閑人帳



●憲法問題 世論調査のええかげんさ

 毎年、憲法記念日の一ヶ月ほど前に憲法に関する世論調査が行われる。3000人くらいを対象に郵送などの方法で実施されるので回答を考える時間は十分にあり、電話による調査とちがって結果の数字は妥当だと思いがちだけど、そうとも言えない。新聞社の思想、姿勢が結果に反映されることが多い。だから、一つの新聞社の調査結果を見てそれが日本国民全体の世論だと思うのは間違い、少なくとも2社のデータを見比べたほうがよい。

 下のグラフは読売と朝日の世論調査の結果を象徴的に表示したもので、グラフをつくったのはなんと「朝鮮日報」さんです。有り難く拝借させてもらいます。一目、文章で説明するよりずっと分かりやすい。質問内容がズレてるにせよ、読売と朝日、なんでこんなに違うのか。両社、全く同じ質問文で調査したらこんなに差異はでないはずです。ということは、各社とも「こう言う結果が出てほしい」という思惑があり、望ましい答えを導くために誘導尋問的な問い方をする。

 朝日の場合は憲法九条改正は絶対反対の立場だから、改正反対の答えが増えるような問い方をする。具体的には「安倍政権を評価しますか」要するに「安倍さん、好きですか、嫌いですか」といったニュアンスの質問を執拗に繰り返す。憲法改正の内容より安倍政権の好き嫌いを答えなさい、って感じです。解答者が憲法改正反対の人や朝日新聞読者なら安倍憎しの思いから積極的に回答するでせう。もし、解答者が読売新聞の熱心な読者なら質問を読んだだけでムカつくかもしれず、回答拒否するケースもある。約30%の無回答のなかにはそういう例があります。

 回答する人の世代が高年齢に偏っていることも数字に影響する。高年齢ほど憲法改正反対者が多く、かつ回答率が高い。ということは、世論として「憲法改正反対」の数値が大きくなります。これをもって「日本人の世論」とするのはアブナイ。朝日の調査で憲法改正反対の数字が大きいのはこんな背景、ウラ操作がある。読売の質問内容が見られなかったが、まあ、同じような事情があると思います。
 グラフによると、朝日の調査では64%が憲法改正に反対している。反対するのは自由だが、反対派の人たちは憲法問題についてはほとんど思考停止の状態で、GHQや左翼メディアに洗脳されっぱなし、自ら学習しようという気概など皆無という人たちです。国家的問題を論理でなく、感情優先で考えるなんて韓国人とそっくりさん、と言われても仕方ない。

朝鮮日報制作のグラフ
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/05/04/2019050480005.html

グラフ



参考情報
https://www.j-cast.com/2019/05/03356689.html?p=all 
https://www.asahi.com/articles/ASM4M4CDXM4MUZPS003.html


西除川ウオーキングガイド


●法雲寺のツツジが満開

 西除川沿いにはツツジの名所が2カ所あります。一つはよく知られた浅香山つつじ公園、もう一つがここに紹介する法雲寺(法雲禅寺)です。ウオーキングコースの地図づくりをしたのは秋だったのでツツジのことは紹介せず、今回訪ねてツツジの名所であることを確かめました。
 名所といっても知名度は皆無、もしや堺市の市民でも知らない人がいるのではと訝るくらいです。(昔は行政域が美原町だったせいもある)ビジターのほとんどは近隣の住民とお寺の檀家さんくらいでは、と思います。なので、拝観料は無料、その代わりサービスは一切ナシ。バリアフリー対応もナシ。禅寺なのでさもありなんという感じです。

 境内はとてもきれいに整えられていますが、堂塔の配置がえらくイレギュラーではじめて訪ねたときは少しうろたえます。当寺は、開創時は真言宗だったが水害で全滅し、その後、黄檗宗の寺として再興したそうです。弘法大師がつくったとなれば、都から天野山金剛寺や高野山への往来には西除川筋の道をたどったかもしれず、そうなら「空海の道」でもあったわけで興味をそそられます。(撮影は5月4日)

西除川ウオーキングガイド(マップ)の案内
http://oskjk.blog107.fc2.com/blog-category-40.html


●法雲寺の歴史
 前身は、空海開基の神福山長安寺(ちょうあんじ)という名の真言宗の寺院であったが、元和6年(1620年)に、狭山池の堤防が決壊し、西除川の洪水により、寺地及び寺は流出した。
 明暦年間(1655年 - 1657年)頃に、曹洞宗の僧・宗月が、長安寺の寺地と寺を今井村中から譲り受け、寛文11年(1671年)に地中より観音像を掘り出し、草庵に安置して再興した。

翌、寛文12年(1672年)に、宗月は宇治・黄檗山万福寺の開祖の隠元隆琦の弟子である慧極道明(えごくどうみょう、1632年~1721年)に寺地と寺を譲り、寛文13年(1673年)に慧極は幕府の許可を受け、寺号を大宝山法雲寺と改め、黄檗宗の寺となった。
 慧極は、延宝5年(1677年)に禅堂を、延宝8年(1680年)に鐘楼を建立し、その後、30年をかけて大門、大方丈、開山堂、斎堂、天王殿、長生閣などの二十数棟を整備した。
 元禄10年(1697年)に、狭山藩(後北条氏の末裔が藩主)の5代藩主北条氏朝は、慧極と師弟の約を結び、以後、北条家の菩提所となった。墓地の中央には、第11代藩主北条氏燕の墓がある。

引用元
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9B%B2%E5%AF%BA_(%E5%A0%BA%E5%B8%82)


法雲寺 



法雲時 



法雲時 



法雲時 


飲み物とケーキのセットが500円 (ツツジの期間だけ)
法雲時 





DHさんの「昔の思い出話」


(106)中学校学科<国語>   
 
 これは小学校からあったとは言うものの内容はかなり違った。それに教科書を開くとまず文部大臣、荒木貞夫(当時 陸軍中将?)の一頁大の写真で文部大臣が何故軍人なんだ?とドッキリさせられる。小学校では全科目同じ先生だが中学校ともなると科目ごとに先生が異なるし、同じ科目でもいろんな先生に接するのでなかなか新鮮味豊かな点は結構だが、講義を受けるだけで個人的な接触がないから親しみという点では小学校より劣るかも知れない。

 まず草野先生(綽名は鬼さん)。何故「鬼さん」と言われるのか、それほど怖い顔とも思えぬが非常に彫の深い顔だったから案外こんな所が綽名の所以かも知れない。夏目漱石の作品の特徴はその低徊趣味にあるなんて言われても全然ピンと来ないが、「漱石」の由来が面白かった。「石に枕し流れに漱ぐ」とある言葉を「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違え、それを指摘されても頑として撤回しなかった片意地な男の話が由来との事であった。

 この先生の作文の時間に一寸したハプニングがあった。作文と言えば先生の出題に応じて生徒が何らかの文を書くものだが、この時は先生が何かの文を読んでそれに最も適したと思う題を考えよというものだった。生徒たちが頭を捻ってあれこれと出した中で最優秀に選ばれたのがY君の「頑張った おっさん」だった。Y君は話せば舌足らずだし、オツムの方も今一、それに何と言っても都落ち組の一人なのでこれは大いに意外だった。都落ち組というのは岸中生の大半が地元出身の中にあって大阪近辺に住んでいながら、そちらの中学校に入れる自信がないので一段レベルを落してわざわざ岸和田くんだりまで来た連中の事で、話す言葉も少し違うし、水と油のようにどうしても地元の生徒とは肌の合わない所があった。

 やはり作文の時間に私が「本山たるもの」という題で妙心寺へ姉の納骨に行った時の事を書いた所、たるものはいらない。「本山」だけの方がよいと添削された事もあった。また南紀紀行を書いた所、那智の滝の高さはどれくらいだったと聞かれ、他に思い浮かぶ物もなかったので咄嗟にデパートの高島屋位と答えてしまったが、これは見当はずれもいいとこで桁外れに違っていた。

 高羽先生は非常に変わった先生だった。私達の乗った南海電車がお隣の鶴原駅にさしかかると決まって先生が畠の畦道をえっちらおっちら走って来る姿が見えた。あれで大丈夫かしらと心配な程だが多分間に合っていたのだろう。因みに当時の各停は二両連結で前の車両が岸女(岸和田高等女学校)生、後ろの車両は岸中生と決められていた。何しろ「男女七歳にして席を同じうせず」の世代の事だ。序に中学校よりレベルが低いのに高等女学校とは心外な事だ。

 先生には珍しい事に綽名が無かった(と思う)。苦虫を噛み潰したようなとまでは言わぬがニコリともしない無表情な顔、動いているのかいないのか分からないような口から出る抑揚のない言葉などから一種独特の近寄りがたい雰囲気を醸し出しており、これが綽名の無い主因だったように思う。あの頃「大学目薬」という目薬があったが先生の顔はそれの商標マークにそっくりのむつかしい顔つきで、いつも気詰まりな講義だった。又しょっちゅう「流行の魁となる勿れ、流行の殿(しんがり)となる勿れ」という言葉を口にされたが、分かったような分らないような言葉でごく普通に解釈すれば世間一般の人と同じように振舞えという事になりそうだが、それなら何もわざわざあんなに事々しく言う必要もない訳で、今以てその真意がよく分からない。

 教科書に島崎藤村の「うてや鼓」という詩が出てきた。「うてや鼓の春の音 雪にうもるる冬の日の かなしき夢はとざされて 世は春の日とかはりけり」で始まる詩だが、この時、先生が「これは調子の高い詩だから、みんなそのつもりで読むように」と言われたが 調子が高いも何も 詩なんて始めてお目にかかるような連中だから、結局、散文と同じような読み方になって先生をがっかりさせたようだった。

 またある時、なぜか教科書とは全然関係のない作品を読み上げられた事があった。なんでも銃を持った父親が嘘をついたと知った我が子を雑木林に連れて行く描写があって「・・・そして銃声がした。」で唐突に終わってしまう。父親が嘘をついた我が子を射殺したらしいと分かって教室中一瞬固まってしまったように思えた。どうやらこの作品はプロスペル・メリメの「マテオ・ファルコーネ」の事だったらしいと知ったのは随分後の事で、舞台は信義を生命よりも重視するマフィアの本拠シシリー島の事らしい。メリメは長編がないので余り有名な作家ではないが「カルメン」の作者である。ともあれ先生がなぜ藪から棒にこんな作品を紹介されたのか、その真意はやはりよく分からない。

 谷野先生。綽名は「天狗」。なぜ天狗なのかは先生の鼻を見れば一目瞭然である。まさか天狗ほど長くはないが西洋人並には高い。その所為かどうか、声も鼻に抜ける鼻音だった。これ亦ある時黒板に「玄之又玄 衆妙之門」と書いて生徒の中にこの意味の分かる者が居ったら逆立ちで運動場を三周してやると変な見得を切った事があった。もとより誰一人分ろう筈もなかったが、なぜ先生が唐突にこんな事を言い出したのか、これも訳の分らぬ話である。ただ「玄之又玄」という言葉には馴染みがあった。小学校時代にこの名の墨を使っていたからだ。「玄」は黒という意味だから墨の名としては打ってつけだったろう。

 その中「文法」なるものが出てきて、おやおや、こんなものがあったかである。何も知らない外人に日本語を教えるには必要かも知れぬが、生まれてからこの方日本語の中で育ってきた私共にあっては文法など知らなくても無意識に文法に叶った日本語が出てくる。例えば動詞の語尾の四段活用。書か(ない)、書き(ます)、書く。書く(時)、書け(ば)、書け。(命令形)。と考えなくてもすらすらと出てくる。もう一つ、書こ(う)の「こ」はどうなるのだと疑問に思ったが、余計な事を言って話をややこしくする事もあるまいと黙っていた。


参天堂「大学目薬」の商標の顔
道明 大学目薬 


商標は現在でも使われている
大学


メリメ「マテオ・ファルコーネ」ラストシーンの挿絵
道明 メリメ  







閑人帳


●「令和元年」それがどうした、という新聞

 天皇が退位、即位され、元号が変わった5月1日、各新聞は最大級のタイトル文字で新時代の幕開けを報じた。しかし、数百万部の発行を誇る聖教新聞はトップニュースにしなかった。5月1日のトップニュースは「池田大作先生がブラジルの某大学から名誉博士号を授与された」というものだった。(この種のトップニュースは年に100回くらいある)
 宗教団体の新聞だからこの扱いは当然だとも言える。むしろ、その潔さに感心するくらいだけど、一方でこの新聞の読者は支持する公明党を通じて政治世界に深く関わっており、世間の動向に敏感なはずである。

 だったら、もう少し「世間の今」のありさまを伝えてよいではないかと思うけど、それはアウト。なにしろ、阪神大震災や東北大震災でさえマイナーニュース扱いなのだから天皇の代替わりくらいでトップ扱いするわけにいかない。天皇の動向の報道が池田先生のそれを超えることは絶対に許されない、という不文律があるのでせう。
 では、令和元年に関するニュースはどこに載っているのかと探すと、全12面の第10面に8段を使って掲載している。これっきりです。一般ニュースのほとんどは共同通信などから買っていると思われるので仕方ないと言えるが、その記事スペースは12面中2面しかない。ここに政治、経済、社会事件、スポーツニュースまで詰め込む。ぜんぜん無いよりマシではありますが、この新聞を読んで社会の動向を知ることは難儀でありませう。(注)政治問題に関しては別に「公明新聞」がある。

<追記> それがどうした・・と聖教新聞の知らん顔ぶりを書いてから、今日、5月2日の新聞を見たら、一面トップに「新天皇陛下即位」の記事がでていてドヒャーッとびっくり仰天。池田大作先生をさしおいて天皇の記事。聖教新聞のセオリーを破った大変身であります。やっと世間の常識に目覚めたのか。半強制的に購読させておきながら、読者の意向など忖度しない編集部の石頭ぶりに読者(信者)がキレた?。昨日(1日)の紙面を見た読者から編集部へ「なに考えとんじゃ、ボケ!」と抗議の電話が・・あったと勝手に想像します。


5月1日の聖教新聞 第一面
聖教新聞



ウオーキング・観光



●目に染みる鮮やかな黄色 ~コガネノウゼン~

 長居植物園の樹木の花は全部見た、と思っていましたが、見逃しがありました。植物園の敷地外に咲いていた「コガネノウゼン」です。ブラジルやコロンビアで産するノウゼンカズラの一種で、写真では鮮やかさが再現できてませんが、とにかくヴィヴィッドな黄色が印象的。ブラジルの国花になってるそうで、もし、群落シーンがあれば、ものすごく華やかでせうね。なんども紹介したジャカランダも同科目です。(4月27日撮影)


コガネノウゼンカズラ 


コガネ 





DHさんの「昔の思い出話」


(105)中学校学科<漢文>  

 これも新しい科目の一つである。担当は「ゴマ」という綽名の木下先生。その最初の講義は「まず辞書の買い方を教える・・・」から始まった。教えられる前に生徒一同、教科書と一緒に買った揃いの漢和辞典を持っている。ともあれ「買う前に第一頁から終りまで落丁(抜けている頁)がないかどうか、よく調べる事・・・」これが第一声だった。漢字自体に変りはないが、こちらも文章は、主語、動詞、目的語と並ぶ順番は英語同様である。返り点とか送り仮名とかがあって生徒は下を見たり上を見たりで忙しい事この上も無いが、何も無い英語よりはやや親切と言えようか。

 最初に習った文章は「身体髪膚これを父母にうく 敢えて毀傷せざるは これ孝の始めなり」(孝経)だったか「朋あり遠方より来る 亦楽しからずや」(論語)だったか。その他「修身斉家治国平天下」とか「君子豹変す」「士は己を知る人の為に死す」などが記憶に残っている。
 また詩では有名な頼山陽の「鞭声粛粛 夜河を渡る・・・」や広瀬探窓の「・・・君は水を汲め 我は薪を拾わん」などの日本人の作った漢詩を始め、本物の漢詩の断片、例えば「少年老い易く 学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」や「国破れて山河あり」「白髪三千丈」「春眠暁を覚えず」「男子志を立てて郷関を出ず」、「人間(じんかん)至る所青山在り」などが思い出されるが、これらは果たして漢文の時間に習ったものやら、或は他の読み散らした本から覚えたものやら定かではない。「東籬の下 菊を採る 悠然として南山を見る」は確か漱石の作品にあった筈だ。

 漢字そのものが表意文字だから漢詩-漢文は非常に簡潔で力強く歯切れが良い。その代り情緒纏綿と言った場面を表現するには向いていないように思う。例えば「源氏物語」を漢訳すればどんなものができるだろうか。空恐ろしい気がする。
 その中勤労動員が本格化して各先生とも疎遠になり、やがて敗戦を迎える。戦後私が高校生だった頃、岸和田の駅下がりを歩いていると新たに古本屋が開店していた。真ん中の通路と両側の本棚だけという間口の狭い店だったが、入ってみると一番奥の番台に座っている主人が何と木下先生ではないか。先生の方は勿論私達を覚えていない。こちらも素知らぬふりで二、三冊拾い読みをしただけで店を出たが、学生向きの本が多く、かなりの部分が先生の蔵書だったのではとの印象を受けた。

 その後何年か経って又商店街を訪ねると古本屋が無くなって、道を隔てた反対側にその何倍かの大きな新本書店となっていた。この店は当然代替わりしている筈だが、今も商店街の最初の店舗として?昌しており立派なものである。店の前を通る度に木下先生もあれでなかなか商才があったんだと懐かしく思い出す。


昔の漢文教科書
道明・漢文



漢文例
道明・漢文

閑人帳


●87歳でムショ暮らしという地獄

 池袋で母子をはね殺した加害者は87歳。このトシで「人殺し」の汚名を浴び、裁判のあと、5~10年くらいの刑に服さなければならない。元エリート官僚の最晩年が服役囚とは・・死ぬまで地獄の日々が続く。死んでも地獄行きです。一片の悪意がなくてもこういう運命に陥る恐ろしさに戦慄を覚えます。地獄の苦しみを味わうのは加害者の家族、親戚も同じ。遠からず、被害者遺族に面会して謝罪することになるが、双方の苦しさ、悲しみを察するとその心情は言葉で表せない。

 加害者の車もひどい壊れ方をしているが、加害者も助手席の妻も命は助かった。エアバッグが正常に作動したおかげである。はねられた母子は死んでもはねた運転手は助かる。車の安全設計思想はあくまでドライバーの命を優先する。はねた相手の命を守るという発想はない。エアバッグのおかげで死なずにすんだ・・この優れた「救命」装置に加害者は感謝するだろうか。自分なら「死んだほうがマシ」と思う。しかし、それもズルい。逃げ、である。被害者や遺族にとってはなんの慰めにもならない。

 山奥や離島ならともかく、交通便利な都会に住んでいるのに80歳代で車を使うのはエゴか甘えだという認識が広まりそうだ。あの人、まだ車に乗ってはる、アブナイで、と白い目で見られる。同年輩の近隣の人の多くは不便を我慢して免許証を返納している。それでもマイカーにこだわる80歳老人には、認知症診断だけでなく、警察は車が必要なワケを厳しく問う。「買い物に不便だから」が主な理由ならアウトです。病気の妻を病院へ送迎するため、と言う理由なら通院を証明する書類を提出してもらう。これくらい圧力をかけないと免許証返納は進まない。

private  のらくろ会情報


■のらくろ会 5月行事ごあんない

イラスト 梅本三郎
平成最後の孫バカぶり いつまで一緒に入ってくれるか・・・

5月イラスト 

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●くちまめ例会 ごあんない ~担当 藤家さん~
5/9(木)宇治川ウオーク④ 約8KM
集 合:京阪 宇治駅 10:00 
コース:駅~天ケ瀬ダム~宇治平等院~宇治橋~宇治駅着
*昼は弁当持参のこと
*6月予定は13日です 

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●くら寿司ランチと長居植物園バラ園見物 ~担当 小西~
■実施・・・5月16日(木)(雨天なら17日に延期)
■集合・・・午前10時50分
      地下鉄御堂筋線 西田辺駅(梅田から25分) 
      中百舌鳥方面行き改札口集合
■コース・・西田辺駅~くら寿司~長居植物園~長居駅
                   約3キロ(植物園で解散します)
■申込み・・5月14日夜までに申し込んで下さい。
■備考・・・ランチは千円くらいの予定 
                      勘定はワリカンにします。小銭をご用意下さい。
                      市外の方は植物園入場料200円が必要です。

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●「竹の杜茶論」で筍ランチを賞味
 3月の「豚汁」に続いてたなかさんのお世話になり、4月17日に旬のタケノコで筍ご飯を炊いて賞味しました。かまどで羽釜を使って・・という昔ふうご飯炊きでしたが、無事おいしく炊けました。

 
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筍飯 


筍 





DHさんの「昔の思い出話」


(104)中学校学科 <英語>

 中学生になって学習科目が大幅に変わった。中でも一番は英語である。英語を習うようになって中学生になったという実感が湧いてくる。しかし困った。何しろそれまで見た事も聞いた事もない言葉で、何のとっかかりもなくアルファベットのABCからただただ覚えてゆくしか方法がない。それに日本語にはない発音まである。thの音。Dのでぃーとどうーの音。RとLの違い。日本語ではどちらもラリルレロだが英語では違う。違うと言われても、その違いを耳で聞いてもよく分からぬし、ましてや口でその差を表現する事は不可能に近い。恥ずかしながら今でもこれはできない。音だけではない。さらに文法が追い打ちをかける。主語・動詞だって。それ位はまあいいとしよう。しかし「貴方は何処から来ましたか?」という日本語を英語にすると「どこ・か 貴方は・来ました・から」となる。そんな滅茶苦茶な!と言いたい所だが言ってみても始まらぬ。

 単数、複数の問題もある。日本ならただ犬で済むところを、a dogなのか、dogsなのか、それとも、the dogと言うべきなのか、なにしろ日本にはない概念なので慣れるまでが大変だった。「古池や 蛙とびこむ 水の音」余りにも有名な芭蕉の句だが、これを英訳するには蛙を単数にするのか、それとも複数にするのか、どちらかを選ばねばならない。多くの人が複数にしている中でラフカディオ・ハーンだけが単数にしていたそうだ。英語の基本は一にも二にも単語を覚える事にあり、その為には表には英語、裏には日本語を書いた小さい短冊形の単語カードを作り、一つ一つ覚えるしかない。他に近道がなく誠に辛気臭く鬱陶しい。これで大方の生徒は英語嫌いになってしまう。

 一年生の私は一組で担任は「ろうそく」という綽名の英語の先生だった。何故、蝋燭なのか由来も良く分からないが、何となく感じが分るような先生だった。たまたま英語の教科書に蝋燭(キャンドル)という単語の出る箇所があり、その時先生がどんな顔をするかと生徒一同固唾を呑んでみまもった。流石にその箇所はさらりと読んだものの首筋の辺りが微かに色ずいたかに見えたがそれは生徒の思い過ごしだったろうか。先生、固より自分の綽名が蝋燭である事は先刻承知の上で俳号を「老足」とはなかなか敵もさるものである。どういう訳か先生とのご縁が深く一年から三年までずっと担任が続いた。
英語の試験の時 問題を見た内原君が手を挙げて「先生。問題の・・・はofとなっていますがoffの間違いではないでしょうか?」と言いだしたのにはびっくりした。その場は先生が出題のミスプリを認めて治まったが、ofとoffの違いもよく分からぬ私は流石に内原君と改めて感心した。

 この年の12月に太平洋戦争が始まり 英語は敵性語という事でこの科目自体が無くなってしまった。私も含め生徒たちは大喜びである。箸にも棒にもかからない科目がなくなったのだからこんな嬉しい事はない。馬鹿みたいな話だが、野球のセイフが成功になり、ストライクがいい球一つというようになった。後になって考えてみると日本は敵の言葉だからと使用を禁止してしまった。アメリカは逆に敵を知るためにはと日本の研究に力を入れるようになった。孫子の兵法にあるように「敵を知り己を知らば百戦して危ふからず・・・」なのに自ら敵を知る事をやめてしまっては勝てる戦も勝てなくなろう。

 ともあれ段々英語が使えなくなって新聞のスポーツ欄からカタカナが消えて漢字に変って来た。テニスを庭球はまあまあとしてバスケット・ボールを籠球、バレー・ボールを排球と言われても困ってしまう。サッカーの蹴球はいいとして、アメフトはア式蹴球、ラグビーはラ式蹴球とは苦しい、苦しい。ベース・ボールを野球と翻譯したのは正岡子規だが直訳すれば塁球となるものをわざわざ野球としたのは塁球では野球のイメージと結びつかないからだろうか。私達は子供の頃から野球として親しんで来たので野球と聞けばすぐ野球をイメージするが、そういう慣わしに捕らわれずに純粋に野球と言われたらどんなイメージを持つだろうか? グラウンドで選手が動き回っている姿を描きそうで こうなると野球からかなり離れてくる。むしろ台湾語の「棒球」の方がイメージとしては野球に近いように思うが どうだろう。


いまどきの英単語暗記カード
英単語カード


読書感想文


● 山口真由著「東大首席弁護士が実践・誰でもできる完全独学勉強術」を読む

 読売TV「そこまで言って委員会」でときどきお目にかかるこの人、東大首席卒業というふれこみの才女であります。で、そのご本人が書いたのが首題の本。著者は謙遜して自分に最適な勉強方法を見つけて努力すれば東大なんか怖くはない、とおっしゃいます。その勉強方法とは・・?

 読めば、それホンマか、とほとんどの読者は疑いたくなるでせう。一言で言えば、その方法とは「教科書を7回読む」ことであります。これをマスターすれば塾に通ったり、参考書をたくさん買い込んだりする必要はナシ、という。この方法の基本には、試験問題は「教科書で習った範囲からしか出ない」という考えがある。即ち、教科書をまる暗記すれば,その中に答えがあるはず、と言うのです。どないです? 納得できますか。予備校、塾通いするヒマがあるなら、その時間を教科書暗記に使いなさいと。誰に教えられた方法でもなく、自ら考えついた方法だそうですが、このアイデアを生み、実践して成果をあげる。これって凡人にはできません。ご本人は自分は決して天才などではないと謙遜していますが、彼女が天才でなければ他の人は全部凡才未満でありませう。
 
 教科書を7回読む。その具体的な方法が書いてある。これがまたユニークです。一~三回目は眺める、四~五回目は読む、六~七回目は頭に叩き込む、とあります。三回目までは頁を眺めるだけでよし、文章を読んではならない、というのです。そして、六~七回目は全文、句読点に至るまでしっかり暗記する。こうして試験に臨めば答えは脳のメモリーから抽出するだけで良い・・のだそうです。これで東大一発合格した。入学後、司法試験の勉強をはじめ、三年生で試験合格。受験勉強には一日19時間を費やしたというモーレツぶりです。

 かくして東大法学部を首席で卒業、財務省主税局という日本最高のお役所勤めをしたのですが、たった2年で退職、弁護士事務所を開いて現在に至る。彼女の目からみれば、財務省のエリートたちも馬鹿の集まりにしか見えなかったらしい。(2014年 SBクリエイティヴ発行)


山口真由

山口 




プチ・ケチの研究

 
●7個200円のグレープフルーツ

 果物は柑橘類が好きなので年中食べたいけど、みかんがシーズンオフになるとオレンジやグレープフルーツの出番となり、これは値段が高い。しかし、近所の安売り店では写真のようなB級品がザルに7個盛って200円という安さ。皮にシミがあったり、色むらがあるのが安い理由だと思うけど、味は遜色ないのでお買い得です。先週はオレンジを10個を200円で買った。他のスーパーでは一個80~100円なので、プチ・ケチ人は大助かりです。この店、週に三日、一日二時間しか営業しないという、まるで蜃気楼のような商いをしている。ある日突然、姿を消してしまうかもしれない。 


グレープフルーツ 



DHさんの「昔の思い出話」


(103)新入生
 
 「ピカピカの一年生」という言葉があり、事実、小学校の時は新しい制服、制帽姿も凛々しかったが、さて中学の一年生はどうか。制服も長ズボンもス・フ製でダラーッとしてシャンとしない。「胸に五つの金ボタン」の筈が何と瀬戸物製で、これまたガッカリというも愚か。せめて足許ぐらいはピカピカの革靴での願いも空しく、ずんぐりむっくりの布製の編上げ靴と来てはため息も出ない。唯一の救いは制帽でこれだけは黒のラシャ製だった。その上、二条の白線である。これで一挙に中学生気分になれる。さて校章は?大阪の府立中学はすべて六稜で、その中心にそれぞれの学校を示す一字が入る。例えば天王寺中学だと「天」である。その伝で行けば岸中(岸和田中学)は「岸」が入ってしかるべきだがなぜか「六」になっている。それは岸中が府立の第六中学校だからで、以来「六」は私のラッキー・ナンバーとなり、四年後には幸運にも第六高等学校に入学できた。その別称がこれ亦「六稜(りくりょう)」である。六稜で分かりにくければ五稜が星マークだと言えば分って貰えるだろう。

 小学校では各クラスに級長がいたが、岸中には級長制度がなく代りに教室の一番後ろの席が列長席になる。各組とも六列編成だから列長も六人で正面に向かって右から第一列長、第二列長以下第六列長となる。これらはすべて成績順で学年での一番が一組の第一列長、二番が二組の第一列長・・・と六組まで進み、七番が一組の第二列長、八番が二組の第二列長・・・という順になる。しかし級長に該当する一列長のみが重要であとの列長は名前だけの存在だった。生徒数は私らの学年では300名前後、一クラス50名余りのクラスが六つあった。従って一年生の列長は入試の成績の一番から36番までとなる。成績順の非常に厳しい時代で採点も甲乙とか優良とか言った大雑把なものではなく、それこそ一点刻みで点けられていたようだ。尤も表に出るのはあくまで36番までであり、それら以外の者の席は背の順になっていた。 
 入試の成績の一番は内原君(我が家から3,4軒東)で二番が石橋君(今は阪南市尾崎)で、この時内原君から石橋君に「義兄弟になろうや」と何とも大時代的な申し出があったとか・・・これは何十年も後に親友の石橋君から聞いた話である。


学生帽の例

学生帽




読書感想文


●昭和30年の「サザエさん」を読む

 新聞漫画の傑作「サザエさん」が函入り本で全集が発行されており、その中の昭和30年の分を読みました。戦後の高度成長期にあたり、懐かしい場面が出てきます。平成生まれの人が見たら「?」な場面があるかもしれません。戦後すぐに生まれた人だって10歳そこそこだから、年齢による記憶のギャップが大きいと思います。画を見て当時の暮らしぶりをリアルに思い出せるのは70歳以上の人かもしれない。資料に当たると、昭和30年ごろのサラリーマンの月収は3万円程度で、家電商品もまだ普及していない時代でした。


町内一斉に大掃除という習慣がありました。

サザエさん 


「給仕」という職業、いつ消えてしまったのか。
サザエ 

お見舞いやご祝儀は百円が相場でした。
サザエ 

木製の「氷冷蔵庫」と五右衛門風呂が普通だった時代。
サザエ

ウオーキング・観光


●チューリップが満開・・万博公園

 
先週、太陽の塔を見学したばかりですが、別の会でまた万博公園へ。太陽の塔の北西200mくらいのところにチューリップ園があり、ただいま満開です。知らない間に品種が増えて花びらに模様のあるものも登場。しかし、全体では色彩の派手さがチューリップの魅力です。20日ごろまで
満開状態で見物できるのではと思います。

万博チューリップ 


万博 


万博