読書と音楽の愉しみ



●幸田 文著「木」を読む

 文章の上手さに魅せられて、読み出したら止まらない。「杉の木は縦縞の着物をきている」なんちゃって、万年着物姿の著者が書けば,読者はたちまち幸田ファンになってしまうのであります。ま、文章の上手さは親の血筋といってしまえばそれまでなのですが。(父が幸田露伴)


著者、最後の作品で、60~70歳代に全国の「木」を巡り訪ねたエッセイ。観光地の有名樹木は屋久島の「縄文杉」だけで、他は著者が個人的な興味から、森林関係者の協力のもと、足弱なのに深山に分け入って出会いを楽しんだ。悪路急坂は山男におんぶされての難行で、世話する側も大弱り? 幸田文でない、只のばあさんだったらキッパリ断ったでせうね。ブランドの効果大であります。


研究者や業者ではなく、作家の見る木であるから、そこは文学的観察になるのは仕方ない。それにしても感情移入がすさまじくて、木の生い立ち、処世術、死と再生など、つい擬人化して語ってしまう。さりとてコーフン状態のまま綴るのではなく、そこは抑制もされてるのですが、まあ、これほど木への思い入れの強い作家は他にいないでせう。  


いちばん感銘深いのは「えぞ松の更新」です。北海道富良野の東大演習林にその例を見ることができる。駄目男もはじめて知る木の死と再生の話です。なにしろ気候の厳しい土地、普通に地面に落ちたタネが芽を吹いて、というわけにはいかない。何百年か生きて命尽き、倒れた大木に苔が生えると、ここが新しいえぞ松の生地になる。落ちてくる種のなかの、ほんの一部の幸運なものがここで発芽する。しかし、そのほとんどが成長できずに消えてしまう。地面でなく倒木の円周の上面に落ちた種、というから宝くじ的確率であります。生き残った若芽は腐敗が進む倒木を栄養源にして育つ。地面に落ちたのは栄養が足りないとか、日照不足で育たない。


なんとか生き残った若木は倒木の栄養で育つが、そのうちに倒木自体は完全に腐敗してカタチを失い、地面と同化する。結果、若木は一列に並んで成長する。これを「えぞ松の更新」という。親の屍が子を再生し、自らは子への栄養分となって形を消す。過酷な環境のなかで、どうしたら子孫をのこせるか。えぞ松にはこんな智恵があったのです。おそらく何万年とか、気の遠くなるような歳月のなかで学習したのでせう。これを学者は子孫維持の高度なシステムととらえるが、幸田文には涙なくして語れない輪廻転生の物語だった。今年読んだ本の中では一番のスグレモノでした。(平成7年 新潮社発行(文庫)

蝦夷松の更新(北海道 東大演習林)
倒木に苔が生え、その上に種が落ち、芽をだす
ezomatu

若木が倒木を栄養源に生長する
ezomatu


百年、二百年後、一列に並んで大木になる。
5-IMG_0938.jpg 


ezomatu 




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□□□子供じぶんの思い出話□□□  作:DH

女の子のあそび


16)ロー石(ろーせき)

 これは多分、皆さんご存知ないと思う。ありようは青っぽい石ころに過ぎないのだが、これで固い物の上に絵が描ける。丁度チョークで黒板に描くような具合に。幸い、我が家の土間はセメントで塗ってあった為うってつけだった。専ら軍艦の絵、それも真正面から見たものをよく描いた。横から見た絵には煙を吐いている煙突や艦尾に飜る軍艦旗も描かねばならない。消すのも至って簡単で靴の裏でゴシゴシ擦ればよい。こんな変な物、一体どこで買ったのだろう。この辺の記憶は霞の彼方で思い出せない。どこかで買った筈なのだが。後年、四国八十八か所の内、 阿波の焼山寺へ行く途中これに似た岩の山道があった。或はこれがロー石の原石ではないかと今も思っている。


箱には「石筆」と表示してある
ろーせき  



(17)竹馬

 これは皆さんご存知。作るのも至って簡単。二本の竹の棒と蒲鉾板が四枚あればいい。竹の一番下の節の上に二枚の蒲鉾板を楔状に縛り付けるだけ。蒲鉾板が足を乗せる台になる。但し、しっかり縛りつけておかないと、歩いている中に緩んだりしたら落っこちたりして大事になりかねないので要注意。これが初歩段階で、慣れればもう一段高い節まで上げればよい。足を掛ける事のできる高さの限度はこのあたり。もっと高い所に乗っている絵をよく見るが、歩くのは兎も角、あんな高い所までどのようにすれば足を持っていけるのか腑に落ちない。


目線の高さが変わると世界も変わる。高い所から見下ろすと何だか自分が偉くなったように感じるのではないか。馬に乗ったらそんな気持ちだろう。竹馬だって馬の中である。何しろ「ぼーくは ぐんじん だいすきよ。くんしょう つーけて けんさげて、おうまにのって はいどうと」という歌と共に育った世代である。


竹馬



(18)おはじき

 これは女の子の遊びなので記憶の方も曖昧である。小さくて丸くて平べったいガラス玉が「おはじき」。畳の上のお遊びで、適当にバラまかれた敵の玉の一つを的にして、これから弾こうとする玉の間に指で線を引く。と言っても本当に線を書くのではなく、恰も線を引くかのように指を滑らすだけ。弾いた玉が目的の玉に当たれば良し、外れたらアウト。的とは別の玉に当たってもダメ。うまく当てた時はどうなるのか、ま、た玉突きのように二つ以上の玉を弾いたときはどうだったか、よく覚えていない。何と言っても女の子の遊びだからネ。

おはじき 


おはじき






読書と音楽の愉しみ



●武部好伸著「ウイスキー&シネマ」を読む

 映画の小道具として登場する酒を物語とともにウンチクを傾ける。お酒を飲まない人には興味0%の本だけど、ウイスキーも映画も好き、という人はほとんどいないので、まあ、売れない本です。そうだったのかと驚いたのは、あの英国の「鉄の女」と呼ばれた、マーガレット・サッチャー首相がアル中に近いくらいの酒好きだったこと。ご馳走が並ぶ公式の晩餐会でもワインを断り、ウイスキーを飲んだ。フランス料理にウイスキーって、ダイジョウブ?と他人事ながら気になります。映画「鉄の女の涙」でサッチャーを演じたのはメリル・ストリープ、似せるのに大苦労したでせう。彼女が愛飲したのはスコッチのメジャーブランド、フェイマス・グラウスだった。


・・てな、話が何十編も登場するのですが、やや、残念なのは古い映画が多くて、出て来る酒が今の時代感覚に合わない。オールドパーやカティサークをもったいぶって語られてもピンとこないのであります。日本でいえば、サントリーオールドや角瓶を恭しく頂くという感じで笑ってしまう。


小津安二郎監督の遺作「秋刀魚の味」も紹介されている。1962年の作品だから東京オリンピック(1964)の頃。笠知衆、岩下志麻、岸田今日子、加藤大介などが当時の典型的な中流家庭の人間模様を描く。そこで登場するのが、トリス、オールドで、庶民でもなんとか親しめるウイスキーだった。トリスバーのキャラは柳原良平のアンクルトリスというのも懐かしい。そして,ギフトに登場するのがジョニーウオーカー。マルビは手の届かない高嶺の花の酒でしたが、それが今じゃ全くの安物扱い、ドラッグストアで売っている。この時代にトリスやオールドに馴染んだおじさんたちは、生涯、美味しいウイスキーの味を知らないままあの世へ行ったのでは、と想像します。(2014年 淡交社発行)


映画「秋刀魚の味」のポスター
秋刀魚の味

ウイスキー本








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□□□子供じぶんの思い出話□□□  作:DH

女の子のあそび

(13)毬つき

歌の文句からは綺麗な綾糸をぐるぐる巻いた一寸大き目の手毬をイメージしそうだが、下町の女の子のつくのはテニスボール大のゴム毬である。時には股を潜らせたりしてなかなか器用なものである。勿論、戸外の遊びだし、それに女の子のスカート、夏冬を問わず必ず膝上何センチかのミニと決まったもので、全く元気なものだし、見る目にも爽やかである。別段、お正月に限らない。


まりつき 


(14)羽根つき

これも歌からは大振袖の袂を片手で押え、見るからに重たげな羽子板で羽根をつく姿が思い浮かべられるが、それは上流階級の話。ここらの羽子板は薄っぺらで見るからに安っぽい。墨で顔に○や×を書くような上品な事は間違ってもしない。男の子はあまり参加せず、専ら屋根に上がった羽根を竿なんかで引き落とす役である。こればかりは お正月に限られる事 言うまでもない。


羽根突き

 

(15)お手玉

 女の子の遊びが続いた所で、特筆大書したいのはお手玉である。端切れを縫い合わせて作った小さい袋の中に小豆や数珠玉(と称する小豆の倍位の大きさの草の実)を入れた物がお手玉だが、そのお手玉で遊ぶ事もお手玉というからややこしい。
 お手玉を三つ用意し、順繰りに投げ上げながら常に二つのお手玉が空中にあるように、くるくる舞わすさまはなかなかのものである。大道芸の初歩でもあり、大阪城公園なんかでよくこれをやっているのを見る事ができる。四つ以上となると、一寸子供の手に負えない。


お手玉はストンと落ちた時にバウンドしないでピタっと止まる。月面探査機が月に着地するときバウンドしてはいけない。めりこんでもいけない。という訳で詳しい事はわからぬが、軟着陸させるためにお手玉の原理が応用されたという。昔の人は賢かった。


お手玉


教室での実習
お手玉






大阪日暮綴



●くるみパンが好き

 菓子パンのなかで一番好きなのは、長年「三角蒸しパン」だった。味や形に懐かしさを感じていたからで、むろん、今でもよく食べる。しかし、最近はくるみパンを食べる回数の方が多い。味、香り、食感が気に入ってます。きっかけは近所のスーパー2軒で、店にパン焼き釜を設けて焼きたてを売るようになったからです。メーカーものよりずっと美味しい。しかも、よりどり100円(税抜き)と値段は抑えています。昼飯代わりに、週に3ヶくらい食べます。


シンプルなのにカロリーが高いのはくるみの成分のせいらしい。65gで180~200kl。二つ食べてもそんなにお腹はふくれないけど、400klにもなる。切り餅(50g)一個が120klだから、やはり高カロリーだといえます。


くるみパン


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□□□子供じぶんの思い出話□□□  作:DH

遊びのいろいろ

(11)ヨーカンベー

 一体何のこっちゃ。これが当地の方言で凧の事であります。 江戸時代の凧揚げの絵を見ると殆どが四角い絵凧・字凧で奴凧は滅多にない。ところが、わが町では奴凧しか売っていなかった。それも安物である。奴さんの足に細長い紙を貼り付けたぐらいでは よく上がろう筈もない。更に凧揚げの場所も良くない。家の前の道路(紀州街道)である。さほど広くもない道の両側は殆ど二階建ての家ばかり。おまけに 電線が蜘蛛の巣のようにとまでは言わぬが、滅多やたらと多かったような気がする。幸い自動車とかいう無粋な代物の無い時代だったから、道路で遊んでも危ない事は無かったが。兎も角 そんな訳で余り気持ち良く揚げた覚えがない。
 後年 一時ゲイラカイトの流行った時があった。これは実によく揚がった。所も海岸だった所為もあろうが、揚がって、揚がって、揚がって、どこかへ飛んで行ってしまった。これは友人から聞いた話だが「タコ」とは古代朝鮮語で「鳶」という意味だそうな。同じくお祭りの「ワッショイ、ワッショイ」は「来ました、来ました」の意味だって。


奴凧
道明 タコ 


(12)コマ(独楽)

 これでは結構よく遊んだ。心棒の根元に太い紐を巻き付け、これ以上巻けなくなったところでエイッと投げ出す。と、コマはゴロリと寝転んでしまう。エイツの後、紐の伸びきった所でヤッでグイと引き戻す。このタイミングと力加減が微妙で、何回かやって習い覚えるしかない。なーに自転車同様すぐ覚えられる。これが第一段階で、コマは地面の上を廻るだけ。もう一ランク上げるには紐を引く時グッと跳ね上げ、空中に浮いたコマを掌で受ける。コマは地面ではなく掌の上で廻る。更にランクを上げると、コマを投げ上げると同時に紐をヒョイと肩に引っかけ、その紐でコマを受ける。


こう書いてくると、何だかコマの綱渡りのように聞こえるかも知れぬが、幾ら何でも子供がそこまでできる筈がない。百聞は一見で、口で説明するのはむつかしい。心棒の先ではなく根元を紐に引っかけるのだ。ヴァリエイションとして、掌の上でコマを廻しながらの追っかけっこもある。コマが廻っている間だけ走れて、コマが止まれば足も止めねばならない。何だか似たようなゲームがオリンピックに一度だけ登場したような気がする。


それはともかく、今、コマを買いたいとして何処へ行けばいいんだろう。駄菓子屋はとっくに無くなったし(原田泰治さんの絵によると地方によっては まだありそうだ) 玩具屋に行くほどご大層なものでもなし。観光地の土産物屋には出ているが、あれは飾り物でしょう。ま、廻せば廻らぬ事もなさそうだが。
 コマ廻しのプロの芸人もいる。テレビで何回か見たが、イヤー、たいしたものだ。見事なものだ。コマの質からして違うにしても、一寸捻っただけとしか見えないのに、何時までも廻る事、廻る事。剣の刃渡りまでやるに至っては神業としか言いようがない。

これで男の子のお正月の遊びが終わり、これから「お正月には毬ついて、追羽根ついて・・」の女の子の遊びに移ろう。


独楽
道明 独楽


独楽あそび
道明 独楽




閑人帳


●キタにもミナミにも嫌われて・・苦境「朝日新聞」

 5月19日の当ブログで「韓国政府、朝日新聞に無期限の出入り禁止処分」というタイトルの記事を掲載しました。今度は北朝鮮から「日本の『朝日新聞』が、われわれの最高尊厳を冒涜し、共和国の現実を悪辣にこき下ろす謀略記事を掲載した」とコテンパンです。日本のマスコミで一番「朝鮮愛」豊かな朝日新聞がこんなに露骨に叩かれたのははじめてではないか。北朝鮮の労働新聞はさらに「許し難い犯罪行為の張本人」として、牧野愛博ソウル支局長の名前を挙げています。えらいこっちゃ。


キタを怒らせた理由のひとつが、経済改革の停滞へのもどかしさから、金正恩朝鮮労働党委員長が涙を流す映像が上映されたなどと報道したからでは、という。朝日にすれば、悪意どころか、金委員長も普通に人徳をそなえた人物であることを伝えたのかもしれない。しかし、キタはそう受け取らず、「われわれの最高尊厳を冒涜した」と感じた。まあ、イチャモンはなんとでもつけられます。時期が時期だけに過敏になっている。さらに、記事は「安倍政権にそそのかされて書いた」というのだから、朝日はん、怒りなはれ。記事捏造は朝日のお家芸やと思ってたら、キタもマネしてる。ええかげんな記事書くな、金一族めが、と。

引用資料
http://www.sankei.com/world/news/180609/wor1806090035-n1.html

世にもミジメな首脳会談
 金正恩一行が宿泊するホテルの代金が外貨不足で払えない。ミサイルつくる金はあっても宿代に事欠くという。で、シンガポール政府が負担することに。こんなみっともない話は,キューバのカストロ政権以来らしい。助け役のシンガポール政府がまたアコギです。宿泊代負担分は世界中から集まるメディア関係者の会場使用料やホテル代のアップでモトをとる。3000人?からぼったくるわけです。アコギ~~~。


もうひとつのミジメ話は専用機。ソ連製のオンボロ機は長距離を飛んだことがなく、往復約1万キロを無事飛行できるのか。金親分は会談と同じくらいに緊張するでせう。ならば、他国からチャーターすれば、と思うけど、そこは厳しい「制裁」があるために難しい。第一、ホテル代もないのに、高額のチャーター料を払えるはずがない。で、結局、中国に泣きつくしかない。なんやかんやで中国にぎょうさん「借り」をつくってしまいました。このミジメさ、金正恩の最後が見えてきたような気がします。会談は金にとって「おおむね失敗」というのが駄目男の予想です。



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続々:お金で買わない物を幾つか・・・

(10)松露(しようろ)

 眼にしなくなって久しい。或は既に絶滅したか? わが家より南やや西寄りに2~3キロほど歩いた所にダンバラ山という一風変わった名の山がある。山と言うのも恥ずかしい丘に毛の生えた程度のものだが、それでも標高49メートル、わが町の最高峰である。名の謂われは、昔ここに檀波羅密寺という根来寺の末寺のあった故との事。信長の根来攻めの際、ここも焼かれてしまって今は跡形もなく、公園墓地や住宅になっているが、私の子供の頃はまだ瓦の破片が見つかったりもした。


ここの一画に砂地の松林があり、お祖母ちゃんに連れられて松露採りに行った。松露はキノコの種類で、松の根方に生えているのだが、傘もなければ脚もなく、見てくれはどう見ても小さい石ころである。石か?キノコか?手でつまんで固ければ石、柔らかければ松露だ。こうして拾ってきた松露をおつゆの実として松露汁にする。さて その味は?松茸のように香りが高かったか、或は、しめじのように味が良かったか、残念ながら さっぱり記憶にない。


あれから八十余年。松露と言えばダンバラ、ダンバラといえば松露と「兎追いし かの山」を連想させたダンバラも、今は平凡な宅地になって、あわれ子供の時の夢は幻となって儚くも消えてしまった。まだまだ食べ物にまつわる話のタネは尽きないが、食傷して貰っても困るので、目先を変える意味で、ここらで一時ストップして、次からは子供たちの遊びの話にうつりたい。まず最初は「お正月には凧あげて コマを廻して遊びましょ」とあるから凧の話から・・・


松露
しょうろ



浜寺公園駅 駅前の「福栄堂」では松露だんごを売っている。
しょうろ 






たなかよしゆきさんの古道紀行


●お知らせ

古道紀行おおばこの会 こばこの部
日程変更のお知らせ
 
こばこの部、8月5日(日)業平道パートⅢは
      8月12日(日)に変更します。
      ご注意下さい
。(6月12日掲載)


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ササユリの会 2018年後半 予定表

主宰はたなかよしゆきさんです。お問い合わせは
電話・ファクス 0745-79-6452
ケータイ 090-3485-6452 へお願いします。
(注)文字が小さいので拡大してご覧下さい。


ササユリの会 2018後半 







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●6月臨時企画のご案内

★クイズつき★ 端から端まで 中之島万歩
    
~万歩計お持ちの方は忘れずに~

■6月20日(水) 雨天21日(木)再延期もあり。
■10時30分

 地下鉄中央線 阿波座駅ホーム西寄り(九条側)
 改札口を出ないでホームでお待ち下さい。
■弁当不要・・昼食は「中之島ミューズ」「エル・ガーデン」など  1000円くらい~
■コース・・阿波座駅~宮本輝文学碑~福沢諭吉生誕地~昼食(T)~ダイビル本館(T)~フェスティバルシティ(T)~大阪市役所(T)~中之島図書館(T)~中之島公園(T)~天神橋~。ゴール最寄駅は「北浜」又は「天満橋」駅 歩行4~5キロ。坂道はありませんが、階段の上下はあります。■途中リタイアOKです。(T)はトイレ ~担当 小西~

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★★万歩クイズ★★
 中之島の東西両端間の直線距離は地図で測ると2860mです。しかし、地形はゆるくカーブしており、また、歩行コースはくねくね歩きするので距離はかなり増えます。端から端まで1万歩になる?ならない?・・で、歩数を予想して下さい。西端のスタート地点で0にセット、昼食時に歩数を予想します。カウントした人の平均値を正解にします。万歩計のない人も予想歩数を応募して下さい。

■賞品・・1位・・お米券5枚(5kg分)
     2位・・切手シート

中之島遊歩道 Rロイヤルホテルのあたり
中之島 


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既報●6月 くちまめ例会 ご案内

□ 6/14(木)太閤道 約8.6㎞
□集 合:JR高槻駅 9:30
□コース:駅~(バス)磐手橋~金龍寺跡~
馬の背曲がり坂~若山神社~阪急・水無瀬駅着
 *昼食持参のこと
 *7月・8月は休みます  ~藤家~


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●5月例会レポート

■天王寺動物園見学と「風月」 ~担当 小西~
5月17日(木)

動物園

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■奈良女子大訪問 ~担当・山本~
 ランチタイムコンサートと学食ランチを楽しみました。
 5月31日(木) 

奈良女子大 


奈良 


南さんのスケッチ ~記念館~
奈良 



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□□□子供じぶんの思い出話□□□  作:DH


続:お金で買わない物を幾つか・・・

(8)カルメ焼き

 材料。キザラ(ザラメ砂糖)少々。 道具。アカ(銅)製のお椀型の小鍋。鍋に水とキザラを入れて煮る。キザラの分量は ほどらい(適当とか、いい加減 という意味の当地の方言)。沸騰したら 火から離して重曹を入れる。この量も ほどらい。と あら不思議。鍋の中身が膨らんで やがて茶褐色の固体になる。これがカルメ。水は冷やせば固体になる事は誰でも知っているが、熱して固体になるとはこれ如何に。この時 入れる重曹の量とタイミングが微妙かつ重要で、これを誤ると、折角膨らみかけたカルメがスーっと萎んでしまう。何もかも、ほどらいの世界で申し訳ないが、当時は何事もこんなもので、何を何グラムとか、何秒おいてとか、キチっとした、むつかし事は言わない。これで何でも廻って行くんだから それで いいではないか。


 この鍋は カルメ焼き専用で 他には使えない。こんな物が何故、普通の一般家庭にあったのだろう。我が家ではなく、多分 伯父の家にあったものと思う。なにしろ、あそこは娘ばかり四人の家だから、幾らカルメを焼いてもアっという間に無くなったのではないか。お菓子代の節約にもなったろうし。それにしても最近はとんと見かけなくなった。その中、死語になってしまいそうである。


カルメ焼き



(9)おかき(かき餅)

 これは皆さんご存知。だが、どのように作られるかは多分ご存知ない筈。では微に入り細に亘って説明しよう。餅つきの模様は後日の事として、たっぷり餅とり粉を敷いたもろ蓋の中に数個の正方形の枠を置き、その中に搗き上がった餅を入れる。餅は柔らかいから枠通りの形になる。小さくて厚めの座布団をイメージして貰えばいい。日が経つて固過ぎも柔らかすぎもしない頃合いを見計らって、枠から四角い餅を取り出す。この餅を立てて、鎌と鉋を合わせたような刃物(この名前が思い出せない)で餅を剥ぐように薄く削る。この仕事を餅を「かく」という。かかれた餅だから[かき餅]である。この薄くて細長い「かき餅」を包丁で3~4等分するとカルタ大になる。


平べったい竹籠に新聞紙を敷き、この半ナマの「かき餅」をくっつかないように並べて天井から吊るす。こうして何日か経てば固くなって本物の「かき餅」となる。随分と手間暇のかかるものではある。どうも昔の人は 労力はタダだと考えていたフシがある。また、餅も白とは限らない。搗く段階で青のりを入れれば 出来上がった[かき餅]に青い斑が入るし、紅ジャコを入れても同じ様に彩がつく。これだって餅だから当然、炙れば膨らむ。やはり寒い間の食べ物だ。現在市販されているものは、いろいろ味付けして炙ってから冷ましたものだろう。


おかき  






読書と音楽の愉しみ



●楊海英著「逆転の大中国史」を読む

 著者は北京の大学で日本語を学んだあと、日本へ留学し、別府大学などでアジア史を学ぶ。しかし、著者はモンゴル人である。その目で見た常識的なアジア史、とりわけ中国史はとうてい納得できない。モンゴル人の血と中国文化圏人という葛藤を経て、アジア史の主役は中国では無く、モンゴル(遊牧民族)史だと唱える。その思想を支えたのは、梅棹忠夫氏をはじめ、多くの日本人学者だった。そして、日本へ留学した11年後(2000年)著者は日本へ帰化した。


いや、もう・・ややこしい話であります。モンゴルで生まれ、北京の大学で日本語を学び、日本へ留学して歴史を研究するなかで中国の歴史観(世間の歴史観でもある)に異を唱え、反中国思想に傾き、モンゴル人もヤメて日本人になった、のであります。結局、この人のアイデンティティは奈辺にあるのか、自分がその立場だったら悶絶死しそう・・と想像してしまう。まあ、それは日本人、駄目男のしょぼい発想で、ご本人は「日本人になりましてん」くらいの感覚かもしれないけど。


現在の中国でも、国土は日本の16倍もあるのに、著者の歴史観のキモは「ユーラシア」であります。西はヨーロッパに達する広大さである。その中のほんの一部を「漢民族」が占め、本当は何回もコテンパンにやられたのに主役ぶっている。そのあげく「中国ー悠久の四千年史」みたいな言い方が常識になってしまった。特に漢籍学者なんかは、中国史イコール漢民族史という概念にとらわれがちだ。当然だが、漢字文化だけが中国を語るわけではないのに、漢籍学者の頭にモンゴルはない。


中国の歴史に比べたら、日本の歴史はなんとシンプルでありませう。登場人物の99%は日本人であります。その上、異民族に支配されたことがない。そして国土は狭い。四方、海に囲まれている。ゆえに楊海英氏のような「ややこしい人生」を送らなくて済む。だからといって日本人はシアワセ、なんて思ってる人もいないけど。本書は石田俊雄さんからお借りして読みました。(2016年 文藝春秋発行)

大中国史






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■その6・・続々:駄菓子のいろいろ 

(I)しんこ細工

 あやふく見逃す所だった。たった一度きりの経験で記憶もおぼろだが、赤、白、青と色とりどりのしんこ棒を伸ばしたり、丸めたり、小さな鋏で切ったりして、あっという間に犬であろうが、鳥であろうが、何でも作ってしまう。その神業にガキどもは目を見張って呆れるばかり。余りの見事さに食べるのが勿体ない。難は食べでがない事。パクリと一口でおしまい。まるっきり腹の足しにならない。案外こんな所が馴染めなかった原因かもしれない。


しんこ細工
しんこ細工


実演しているところ
しんこ細工 





(J)その他 

これまでが大体一銭で買えたもろもろである。「森永ミルクキャラメル」、「グリコ」、「明治チョコレート」などは昔も今も変わりないが、一日二銭の小遣いでは一寸手が届かなかった。世の中 そこはよくしたもので「新高チョコレート」なんどというB級品があって、二銭OKだった。


これからはお金で買わない物を幾つか・・・

(7)甘蔗(カンショ)さとうきび
 
 と言えば知識としてはご存知でも、さて現実にどんな物かとなると、案外ご存知ないのでは? 母の実家が百姓で畠の片隅に甘蔗を何本か植えていた。細めの竹のような物と思えばいい。節と節との間隔が一尺足らずと言った所かナ。竹との違いは 竹の中は空洞だが、こちらの中は甘い汁を含んだ繊維で詰まっている事。これを引き抜いて、節の所を鎌でパンパンと切る。一尺に足りない筒になる。それをバナナのように皮を剥いてシガシガと噛むと口の中に甘い汁が・・という事で なにしろ甘い物の乏しい時代だったから こんな物でも結構おやつ代りになった。

 甘蔗の絞り汁を煮詰めたものが黒糖で、沖縄の特産品である。昔は現実にこれを作っている農家があった。大きな石臼で絞るのだが、人力では無理なので牛に引かせたそうナ。その頃はどんな農家でも牛を飼っていた。平素は余り見かけないが田植時となると、どこの田にも鋤を引く牛の姿が見られた。耕運機に代ったのは戦後の事である。しかし「黒毛和牛」という名が 恰も高級牛肉の代名詞のように使われている所を見ると、今でも牛を飼っている地方があるという事だろう。


さとうきび
さとうきび 


さとうきび畑

さとうきび畑






閑人帳



●わが晩メシは刑務所なみ?

 ワケあって、もし自分が刑務所暮らしを余儀なくされたとき、一日三食のオリめし(檻めし)の献立に文句をいうことはなさそうだ。なぜなら、日々、自分でつくってるメシのクオリティとほぼ同じだからです。つまり、娑婆暮らしの自分の食生活は囚人なみ、時に、囚人以下なのであります。


資料によると、懲りない面々の一日の食事代は約540円。一ヶ月なら約1万6000円。(調理に必要な光熱費は別と思われる)駄目男の場合は酒代も含めてのコストであり、さらに、ムショでは大量仕入によって材料単価は大巾に安いことを考えると、明らかにムショのほうがリッチなめしを提供してくれる。何より、毎日自分で調理しなくてもよいし。


殺人とか、重罪で終身刑を科せられたワルは工場労働もしなくてよいから、文字通り「三食昼寝つき」で生涯遇される。ま、24時間、監視つきですけどね。単純計算すると、一年間では約20万円。50年間服役すれば1000万円。他の諸経費も含めると約3倍以上になるので、物価変動がナシとしても3000万円以上の費用がかかります。むろん、ぜんぶ国費で賄われます。


死刑制度を廃止すると、彼らのために、年間、何十億もの予算を計上しなければならない。死を免れ、大金を消費して、彼らはいかほどに幸せなのか。一方で、清く、正しく生きて餓死や自殺に追い込まれる人は死刑囚よりはるかに多い。生活の安全担保という点では、ワルのほうが格段に恵まれている。

参考資料
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_2_4_3_2.html


刑務所の夕食例  
ムショ メシ 


我が家の夕食例 酒は麦焼酎のオンザロック。ご飯は0,4合。
ムショメシ 






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□□□子供じぶんの思い出話□□□  作:DH


■その6・・続:駄菓子のいろいろ    


(D) 洋食

 今風に言えば「お好み焼き もどき」。 溶いたメリケン粉を鉄板の上に丸く流し、葱、 紅ジャコなどの具材(間違っても肉類は無し)を乗せて両面を焼き、ソー スを塗って出来上がり。ただし「お好み焼き」は客が焼くが、こちらは店のオッチャンが焼いてトレイならぬ新聞紙に盛って渡してくれる。こんなチャチなものでも 食べ盛りで一日中腹減ったガキには結構おいしいのだ。 第一、 当時、本物の「お好み焼き」なるものが あったかどうか。 山の彼方のナンバや大阪の異世界は知らず、わが町にはこれしか無かった。何故、洋食というかって、それはネ 和食じゃないから。ワハハハ。トレイもラップも無かった当時、包むにしろ、盛るにしろ、すべて新聞紙。不潔だとか汚いとか言った感触の全くない世界だった。


洋食


(E) わらび餅

 ものそのものは今と同じ。少し大ぶりだったかな。 年配のオジイチャンが コマ附きの屋台を押してチリンチリンと鈴を鳴らしながら売りに回ってき た。一銭渡して白い紙の籤を引く。これを水に漬けると数字の一が浮かびだす。ごくたまに 二が出ると やったネ。大当たりで二倍貰える。食べるより籤を引く方が楽しみで買ってるようなものだ。これも漏斗状に巻いた新聞紙に入れて ハイ。


(F) 焼き芋

丸ごと焼く 石焼き芋ではない。もっと大きな芋を輪切りにして 大きな鉄鍋に入れ ご丁寧にも上から蓋をして焼いたもの。屋台ではなくレッキとした店だったから 芋のシーズン中はいいが オフには何をしていたのか どうしても思い出せない。 板垣という苗字だった事まで覚えているのに。
 


(G)ミカン水(すい)

 薄い砂糖水をラムネより一寸小振りの壜に詰めただけのもの。いかにも冷やしてますと いわんばかりに水を張った小桶に4~5本入れて店先に出してあった。店番は相当年のいったお婆さん。丁度 通学路にあったが たまにしか買わなかった。

ミカン水


(H)アメ板 

 水飴を薄い円盤状にして焼いた物をピザを切るように小さく分けたものだが、これは飴よりも籤が面白い。今回はルーレット方式だ。まず円盤がある。中心に腕の付いた棒が立っており、腕の端に針が吊ってある。子供が指先でこの腕を廻す。廻って、廻って・・・止まった針の下の文字が当たりで、大とか、小とか 貰える飴が決まる。

以上が1銭で買えた駄菓子の数々だ。今では銭=百分の一円 を知らない人口の方が多い筈。ましてや厘=十分の一銭 を知っている人、いや現実に使った人となると・・・一度だけ5厘銅貨を使った事がある。1銭銅貨より少し大きく表には5厘ではなく「半銭」と書いてあった。これで黒糖味の大きな飴玉が買えた。昭和初期にはまだ厘が生きていた。
 物価を比較するのは難しいが敗戦まではまずまず安定していた。物価が千倍、万倍と大きく変ったのは戦後の超インフレ以後の事だ。戦前で覚えているのは郵便葉書が一銭五厘、銭湯 餡パンが二銭ぐらい。郵便葉書が62円で約4000倍、銭湯は450円とすると、22,000倍。餡パン、100円で5000倍とバラツキが大きい。地価にいたってはイヤハヤ。因みに兆という数字が初めて具体化したのが昭和30年、吉田内閣時の国家予算だった。銭や厘の話が いつの間にか億,兆へと大脱線してしまったところで 今日はこの辺でオシマイ。


あめ板








ウオーキング・観光



●ハナショウブが見頃に・・・白鷺公園

 南海高野線白鷺駅の南へ歩5分のところにある地味な公園でハナショウブが見頃になっています。わざわざ遠くから訪ねるほどの名所ではありませんが、そのぶん、静かで閑散としているのが心地よい。菖蒲池の西側に背高なコンクリート塀があるので、花園のとなりになんとまあ無粋なことよ、と近づいてみると、泉北高速鉄道のトンネルの擁壁でした。なかもず駅から一旦地下に入って高野線線路をくぐり、地上にあらわれるのがこの地点です。納得。 遅咲きの菖蒲もあるので、見頃は6月中旬まででせうか。写真を撮るなら、晴天より曇天の日がおすすめです。無料。 



ハナショウブ 



めでたい名前「宝の山」
はなしょうぶ 



ちょっと怖い?名前「葵上」
はなしょうぶ 



はなしょうぶ 








大阪日暮綴



●アジサイはこれから・・・長居植物園

 今年はいろんな花が早咲きするので、アジサイももう見頃ではと訪ねたら、ようやく咲き始めというタイミングでした。見頃は6月中旬くらいではと思います。数年前、剪定の失敗で花が咲かなくなってしまったあじさい園ですが、今年ようやく「平常通り」に咲きそうです。(5月26日)


カシワバアジサイ
アジサイ

咲き始めたばかりのクレナイ
アジサイ

よくぞ名付けた「隅田の花火」
アジサイ

シャーレーポピーが満開
アジサイ

植物界のモフモフ「スモークツリー」
アジサイ 







犬町・猫町情報


□□□子供じぶんの思い出話□□□   作:DH


■その6・・駄菓子のいろいろ
 
(A)ニッキ紙
 
 きょうは駄菓子の話にしよう。最初はアっと驚くニッキ紙。まさか知ってる人は居まいと思うが。これ以下はないほど粗悪な、半ば藁(わら)のような紙に砂糖とニッキで味付けしただけの代物。口の中でシガシガ噛んで甘味が無くなるとペっと吐き出す。これって、もしかすると、チューインガムの元祖じゃないかナ。

ニッキ水  


(B)アイスクリン

 アイスクリームと似ているのは名前だけ。試験管に赤とか黄とか色づけした砂糖水と串を入れてカキ氷で冷やしたもの。冷えて固まったところで試験管から取り出す。欠点は非常に溶けやすいので速く食べないといけない。伯父の家の壁際に「蠅のマラ」という、何ともチンケな名前のオッチャンが屋台を出していて、いつもロハで貰ってた。

アイスクリンに近いレシピでアイスクリームをつくる「ぜー六」
(中央区堺筋本町近く)

アイスクリン


アイスクリン 



(C)ラジオ焼き

 安物の「たこ焼き」である。勿論「たこ」なんて上等な物はなく、入ってるのは削り節の粉と紅ショウガぐらいのもの。それにしても、どこからこんな名がついたのだろう。

ラジオ焼き
 

●参考情報「ラジオ焼き」 Wikipedia から引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E7%84%BC%E3%81%8D

ラジオ焼き(ラヂヲ焼き)は、たこ焼きの元祖であり、スジ肉を具材として丸く焼いた粉もの料理である。球状にくぼんだ鉄板を使用して、小麦粉を主体とする生地と他の具材を入れて丸く焼き上げる。ちょぼ焼き板を使用してカンテキで焼く「ちょぼ焼き器」・「ちょぼ焼きコンロ」という調理器具も使用されていた。

子供のおやつの屋台を中心に、明治〜大正で流行していた。また、昭和8年ごろ、ちょぼ焼きにおでん種として用いられる醤油味の牛スジ肉を入れて売っていたともされ、当時まだ高価でハイカラの象徴だったラジオにあやかってラジオ焼きと呼ばれるようになった。
 後に明石焼きの具をまねてたこを入れたものがたこ焼きとなり、これが大阪で人気となったため、現在においてはたこ焼きの方がポピュラーとなっているが、関西圏のたこ焼き屋ではサブメニューとして供されている店舗が存在する。


たこ焼きの元祖は「会津屋」西成区玉出
ラジオ焼き 会津屋




閑人帳



●話題の貧しさ、認知症の前兆?

 40年くらい付き合ってきたAさん(76歳?)が認知症を患ってしまい、さて、どう対応すればよいのか困っている。同じ付き合いなかまのBさんとCさんはガンが進行していて、もう呑み会などには出られない状況。ン十年の付き合いがあっさりホーカイしてしまった。


Aさんについては2年くらい前から「?」と感じることがあって、すごくおしゃべりな人なのに、話すことは家族のことばかり。他の話題に振ってもそれには反応せず、たちまち家族の話に戻ってしまう。その話の半分くらいは孫の自慢話だった。せっかく楽しそうにしゃべっているのに腰を折るようなこともできず、相づちを打ってきたけど、今考えれば、極端な話題の狭さは認知症の前兆だったかも、と疑っている。


要は、日々起きる多様な現実世界の出来事を認識できなくなってしまったのだ。興味がある、無い、のまえに、いま、世界で何が起きてるのかを認識できない。新聞を開いても、見出しをチラと見るだけで終わってしまう。世間そのものが朦朧としてしまって自分の立ち位置すらあいまいになる。オレオレ詐欺に簡単に引っかかってしまうのは、世間の認識はできず、しかし、自称息子とか身内からの語りかけには素直に反応、誤認識してしまうからではないか。世間知の豊かな人がニセの息子に騙されることはない。世間は半径10m内、みたいな生き方をしている人が騙される。


 時系列に沿って知識や経験を積み重ねた家族の話と毎日更新される世間のニュースは、脳の別々のメモリーで記録される。新しい情報を処理、記憶できなければ、古い家族ネタをくり返し語るしかない。聞かされる方はいささか迷惑だけど、聞いてるフリをするのが無難でありませう。この説、駄目男の想像なので、マユにツバして読まれますように。



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□□□子供じぶんの思い出話□□□   作:DH


■その5・・手作りおもちゃの数々を
 

□竹トンボ

 まずは竹トンボ。長さ12~3センチ 幅2センチぐらいの薄い竹片が材料です。真ん中の2センチ程はそのままにして、右側は手前半分を、左側は外側半分を例の「肥後守」で薄く削り、真ん中には丸い穴をあけ、そこに同じく竹製の心棒を通して、ハイ、出来上がり。心棒を両手で擦って エイヤっと放すと竹トンボは青空高くとまでは行かずとも10メートルぐらいは飛びます。

しかし、これはふつうのトンボで足が付いたままです。「ふたまた」は前半の作業は同じですが、真ん中の穴が一つ目ではなく、サイコロの二の目のようにし、心棒も単なる丸棒ではなく、上の方を刺股状にする。これが一寸難しい。で刺股の先を二つの穴に差し込み、両手で擦る所までは同じだが、エイヤっで放さずに手の中で止めると、心棒は残って 羽根だけが飛んでゆくという、一風変わった トンボです。


材料の竹はどうするかって、そんなもの2~30分も歩いて山の方へ行けばその辺で幾らでも手に入りました。このあたりの山も今ではすっかり開けて住宅や道路になり、子供がうろつくような場所ではなくなりました。たかが竹トンボ。でもこれ、ヘリコプターのハシリではないでしょうか。


竹とんぼ 




□紙鉄砲とスギ鉄砲

 紙鉄砲の材料は片方に節を残した竹の筒で、口径は精々1センチぐらいまで。節から4~5センチの所で筒を輪切りにし、節の方にできるだけ太い心棒を差し込みます。筒の一方に濡れた新聞紙をくしゃくしゃに丸めた玉を詰め、もう一方の方にも同じ玉を詰めてこれを心棒で押し込んでゆくと筒の中の空気が次第に圧搾されて、ある限度に達するとポンと結構大きな音と共に前の紙玉が飛び出すという仕組みです。


スギ鉄砲もぐっとサイズが小さいだけで同じものです。玉は奉安殿(後日説明します)の周りにある直径1~2ミリのスギの実(本当の杉ではないがここではスギにしておきます)で音も小さいので教室内でも使えます。前の席の生徒に向けてポンとやっても撃たれた方も何か当たっ! たようなと感じて首筋に手をやる程度のものです。

紙てっぽう 



□パチンコ

 チンジャラのあれではありません。Y字型の木の枝を切ってきて両端にゴム紐を縛りつけ その反対側にはズボンのベルトから切り取った革を着けて出来上がりです。手ごろな小石などを弾に雀や野良猫などを撃つのですが滅多に当たりません。遊び道具にしてはいささか危険なものだったかもしれません。以上すべて小刀一本で作ったものです。


ぱちんこ






閑人帳




●安い買い物だったモディリアーニの裸婦画

 今から30年近く前、バブル景気の余波が残っていた1989年、大阪市はモディリアーニの「髪をほどいて横たわる裸婦」画を19億円で購入しました。ヨコ1m足らずの裸婦画です。その金額のデカさに大阪市民はびっくりしました。画商にふっかけられたんやろ、とか、そんな金があるなら福祉施策に使え、とか、懐疑や批判の声ゴウゴウでした。


あれから30年。名画は仕入れても展示する美術館がないという、なんともブサイクな状況のなかで、この絵は現市立美術館や長堀の仮設美術館で何度も展示されました。駄目男も5回くらいは観た覚えがあります。今は、どこかの秘密の倉庫に保管されています。市民の目には触れなくなったけど、人気作品なので外国の美術館からレンタルの注文があり、当然、レンタル料の収入があります。


もともと作品の数が少ない画家だったところへ、あの独特の表現は100年経っても魅力十分です。そして、つい最近、外国のオークションで同じような裸婦画がなんと170億円で競り落とされたのです。19億円でもカッと頭に血が上ったくらいの高額だったのに170億円!。脳血管ブチ切れ、心臓破裂もんの金額です。(サイズはヨコ1,5mと大きい)


だったら大阪市蔵の裸婦画の「時価」は?・・もし、オークションにかけられたら、控えめに見積もっても80~100億になるかもと勝手に想像します。購入価格の4~5倍になります。今にして思えば、19億円は安い買い物でした。市の財政が苦しいからと売り払っていたら、どんなに後悔したことか。もっとも、それは個人の考えで、芸術に関心のない人の多くは「売り払ってヨシ」です。芸術オンチの橋下徹さんが今でも大阪市長だったら「チャンスや、売ってしまえ」というかも知れない。橋下氏支持者のほとんどは芸術オンチだから賛成します。アブナイ。


1989年、大阪市が19億円で購入した作品
モディリアニ 


今回、170億円で落札された作品
モディリアニ 







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□□□子供じぶんの思い出話□□□   作:DH


■その4・・修学旅行
 
初回に書き洩らした修学旅行の行き先は伊勢神宮でした。わが町の お宮さんに比べ随分大きいなと思った以外、殆ど記憶がありません。 泊は二見ケ浦でした。何しろ初めて親許を離れて外泊する餓鬼ンちょ50余人が一つの大部屋に、となれば静かにという方が無理。ただで済む筈もなく、夕食後寝室に引き上げるなり枕の投げ合いです。ワアーワアー キャーキャーと奇声,喚声を張り上げ、自分たちの声でまた一層興奮し、ハイになり、止まる所を知らずです。それでも引率の先生の「ええ加減に静かにせエ」の一声と消灯で昼からの疲れもあって忽ち高鼾です。翌日、夫婦岩を見た後は買い物タイム。名物の生姜板はお土産用。自分用には一寸高いがハリコンデ(奮発して)「菊一文字」の小刀を買いました。誰でも鉛筆削り用として「肥後守」という安物の折り畳み式のナイフは持ってますが、「菊一文字」は鞘に入った上等品で、これを持っているという事だけで他人より一寸偉くなったような気になりました。小刀の使い方についてはいずれ後程。

安い肥後守
道明 




高価な菊一文字
道明 





閑人帳



●韓国政府、朝日新聞に無期限の出入り禁止処分

 日本の新聞社の中では、韓国政府に一番好かれている朝日新聞が出入り禁止処分になったという意外なニュース。以下、韓国政府から一番嫌われている産経新聞の記事を引用。

韓国大統領府は18日、「韓国政府が4月末に北朝鮮の核兵器や核物質を国外に搬出させる案を米国に提案していた」と同日付の朝刊などで報じた朝日新聞に対し、「全く事実ではない」とし、無期限の出入り禁止処分を通告した。韓国メディアによると、韓国駐在の外国報道機関に対する無期限の出入り禁止は初めてという。

 同紙は米韓関係筋の話として、4月24日にボルトン米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)と面会した韓国大統領府の鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長が一部兵器搬出を打診したと報道した。
 朝日新聞社広報部は産経新聞の取材に「(出入り禁止処分の)通告を受けたことは事実です。今回の記事は、十分な取材に基づいて報道したものです」と回答した。(5月19日の記事 引用ここまで)

https://www.sankei.com/world/news/180518/wor1805180046-n1.html


南北会談の問題で神経ピリピリしている韓国政府がボルトン大統領補佐官との会談内容を朝日新聞にバラされてしまったので頭にきたのが「出入り禁止」の理由でせう。取材しても、そこんところは韓国政府の立場、状況を「忖度」せんかい、ということです。実は、今年になって別の件でも韓国政府を怒らせる記事を朝日は書いていた。(内容は忘れた)朝日を贔屓(ひいき)する韓国政府も今度はキレてしまったらしい。週明け早々にも菓子折持って平身低頭、謝罪に参りませうぞ。




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DHさんの思い出話は連載で紹介します
□□□子供じぶんの思い出話□□□   作:DH


■その2・・ 初めての勤労奉仕

  昭和12年7月7日 盧溝橋事変が発生 ついで上海事変へと飛び火して「廟行鎮の敵の陣・・江下 北川 作江たち・・」の「爆弾三勇士」となり 日本は まっしぐらに軍国主義に突入してゆきます。わが町からもぼちぼち出征兵士が出始めました。一家の働き頭を取られるので遺された家族は大変です。少しでも それを助けるための勤労奉仕が始まりました。当時の泉州地方は玉葱の主産地でしたから まずはその収穫の手伝いです。乱暴に引き抜くと葉っぱが千切れて玉葱が畠に残る事になり助けるより迷惑を掛ける結果になります。それに強烈な臭いの作物で作業の後 お風呂で幾ら洗っても手に臭いが残って往生しました。


余談ですがホンネとタテマエが違うのは よくある事ですが出征の時ほどその差の大きいケースは他にないでしょう。本人や家族は「名誉な事です」「お国のために頑張って来ます」と表向きは強がっていますが夫婦や親子の生き別れとなるかも知れず、腹の中は 泣きの涙ですし、周囲もメデタイ、メデタイ、万歳 万歳、と煽り立てますが、実態は ああ自分に当たらなくて良かったと、心中密かに安堵の胸を撫で下ろすと言った所でしょう。


出征兵士の見送り風景
道明作文 

■その3・・紀元二千六百年

 昭和15年は紀元2600年に当たります。この紀元(又は皇紀)は神武天皇の即位の年を元年とする日本だけの暦年です。当時は西暦は滅多に使われず、圧倒的に昭和、次いで紀元でした。これだと西暦より660年古くなるので、まだ西洋文明に対する劣等感の強かった当時にあって、歴史だけは西洋より古いんだぞと誇示する意味合いがあったように思います。日支間の戦争が泥沼化して一向に解決のメドがつかず、何となく重苦しくなってきた気分を一層する意味から、丁度キリのいい歳を迎え 国を挙げての祝賀ムードが盛り上げられました。「金鵄輝く日本の・・・紀元は二千六百年・・・」という歌も作られました。小学校でも二千六百年賞という賞が出来、私も成績優秀とあって算盤を賞にいただきました。


小学校の歴史で 王仁(わに)が百済から千字文を持って一二一二とやって来た(1212年)とか、源頼朝が鎌倉に幕府をいっぱいに開いた(1812年)とか教わった年度はこの紀元です。又、有名な零戦もこの年に使われ始めたためのネイミングで それ以前のものは九七式爆撃機と言った具合に使われてました。太平洋戦争の始まったのがその次の年ですから、開戦直後の零戦は出来たてのほやほやの最新鋭機であり、強かったのも当然とうなずけます。


零戦
道明作文 零戦







読書と音楽の愉しみ



●吉本ばなな著「キッチン」を読む

 ヒロインみかげは子供の時分に両親を亡くし、代わりに育ててくれた祖父母も亡くなって天涯孤独の身になった。そんな彼女をボーイフレンドの雄一が「うちで暮らしたら」と誘う。訪ねてみると彼は美貌の母親と二人暮らしで、みかげを暖かく迎えてくれた。しかし、いつまでも好意に甘えるわけにはいかない。そんなある日、ドッキリの事実を知ることになる。雄一の美しい母は男だった・・・。


 四天王寺の古本市の「一冊100円コーナー」で買った本。1988年発行だからもう30年も昔の「古本」であります。しかし、内容,表現は少しも古くさくなく、デビュー作とは思えないこなれた文章で読み出したらとまらない。努力の成果ではなく、持って生まれた才気が感じられる文章です。但し、たった60余ページで終わってしまう。雑誌に掲載した作品だから仕方ないが、これではいくら優れていても単行本にできない。なので、キッチン2を加えた。そんな出版事情は理解できるけど、「2」はなくもがな、であります。味が薄まってしまうのは仕方ないか。それでも近年の芥川賞作品なんかよりはずっと魅力的な作品であることは認めます。


題名のせいではないと思うけど、読者は女性が断然多いらしい。かつ、発行後30年を経ても本書をバイブルのように読み返す、手放さない人がたくさんいるようで、これは著者にとってこの上ない幸せでせう。で、この作品の魅力、奈辺にありやと思えど、文章の上手さ以外、老いぼれジジイにはいまいち分からない。身内をすべて亡くしてしまった女のコがそれでも明るく生きようとする、その切なさに共感する・・だけなら、ハーレクインレベルですが、その先にある抗いがたい孤独と死の暗示が、おねえさん、おばさんたちを「哲学」に導くのかもしれません。(1988年 福武書店発行)

キッチン